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ゼタとシグ1


 「もう一度言えるか? 俺の目の前で同じ事を。どうだ? 試してみろよ」


 暗い霧の立ち込めるアッズワースは何処も異様な気配に満ち、殺気立っている。人々は目に見えぬ何かを恐れ、隣人を疑い、常に重圧に晒され、またそれから開放されようと藻掻いている。

 驚くほどの勢いで揉め事が増えていく。元々乱暴者が集まる要塞だから、大抵は流血沙汰になる。そして恐怖を感じているのは揉め事を取り締まる側の衛兵達も同じだ。


 彼等の仕事振りはかなり乱暴になっている。前にも増して強引で、突然に暴力を振るったり、在り得ないような因縁をつけたりもする。追い詰められているのだ。


 だからといってアーマンズは自分がその標的とされた時、彼等を慮ったりなどしなかった。

辻で衛兵達と睨み合うアーマンズ。一触即発の空気の中で、アーマンズは衛兵の指揮官を挑発する。


 「お前達はいつだって口ばかりだ。パシャスの信徒達以上に血と汗を流したことが一度でもあるのかよ」


 衛兵隊の指揮官は鼻を一つ鳴らして目を細めた。年嵩の男で、己の半分程度しか生きていないアーマンズの挑発を受け流すなど造作も無かった。


 「お前達傭兵は要塞の現状が理解できていないらしいな。今お前のような分別の無い奴に歩き回られると迷惑なのだ」

 「あぁそうだろうよ。お前達がケツで椅子を磨いてばかりで、仕事をしないからな」

 「我々の仕事をどのように捉えていても構わんが、指示には従ってもらう。全ての武器を置いて壁に手を突け。持ち物を検める」


 本当に腹立たしい事ではあるが、警戒態勢にあるアッズワースで指揮官のこの程度の要求は実に真当な物だった。


 アーマンズは溜息と共に剣とナイフを壁に立てかけ、手を突いた。三人の衛兵がアーマンズを取り囲み、乱暴に服の上から身体をはたいて不審な物を隠し持っていないか確認していく。


 アーマンズの所持品である革袋の中身を確認しながら指揮官は質問した。


 「ここで何をしていた?」

 「別に何も。ねぐらに帰る途中だった」

 「ん、薬……いや、酒か。上等な物だな」


 革袋から出てきた酒筒から臭いを嗅ぎ、指揮官は眉を顰めてみせる。


 「中々羽振りが良いようだ」


 酒筒を地面に放り出す指揮官。所持品の検査は続き、革袋から次々と物が放り出さていく。


 その内にアーマンズの身体検査も続く。衛兵達は鎧の胸元の隠し鞘とその中に納められていたナイフに気付き、アーマンズは舌打ちした。


 「おい、これは?」

 「……見て分からないのか?」

 「武器を隠し持っていたな」


 途端にアーマンズの膝裏に蹴りが入り、無理矢理跪かされる。糞野郎と罵れば遠慮のない握り拳が返ってきた。


 「これは遺髪か」


 指揮官は清められた紙に包まれた黒い物に気付いた。


 「何かの呪いの類ではないだろうな」

 「同胞の物だ。マトだかなんだかとは関係ない」

 「成程、お前は葬儀の帰りと言うのだな?」


 アーマンズは衛兵によって固定された首を無理矢理捻り、指揮官を睨み付けた。

 先程から随分と人の持ち物をぞんざいに扱ってくれている。もしこの指揮官に死者への敬意が無かったとしたら、ゾッとする話だ。


 「良いか、もしそれを、他の荷物と同じように投げ捨てたりしたら……、例え剣が無くても、お前に思い知らせてやる」

 「何をだ? 是非知りたい、試してみよう」


 指揮官は鼻で笑って遺髪を放り捨て、それに飽き足りず泥に汚れた靴底で踏み躙った。アーマンズは咆哮し、腸を焼かれるような怒りと共に身を捩った。


 肩と腕の拘束を力任せに解き、背後から身体をまさぐっていた衛兵に後頭部での頭突きを食らわせる。

 跪いた状態から右側の衛兵の足を掬い上げて転倒させ、アーマンズを殴り付けようとした左側の衛兵の腕を取り、身体を半回転させて位置を入れ替え、同時に腕を捻り上げて勢いそのままに圧し折る。


 鈍い感触と悲鳴。転倒から立ち直った衛兵が体当たりを仕掛けアーマンズを壁に叩き付けようとするが、それよりも早くアーマンズは右足を振り上げた。

 爪先が衛兵の顎を打ち抜く。糸が切れたように崩折れた衛兵の首に腕を回し、アーマンズは周囲を取り囲む者達を威嚇した。


 「こいつの首を圧し折るぞ!」

 「正気か?! 自分が何をしているか分かっているのか?!」

 「同胞を侮辱したな。俺達ヴァン・オウル・アッズワースは、決してそれを許さない」


 衛兵達は戦慄した。その名を知らぬ筈がなかった。


 「こいつがヴァノーラン?!」


 流石に指揮官も拙い相手に手を出したと理解したようだ。ヴァノーランの背後に居るパシャス教と揉める事は出来ない。

 苦々しい表情で苦しい台詞を吐く。


 「このような事をして……諸君らの立場が悪くならなければ良いが」

 「ほぅ」


 わざとらしい驚きの声だった。それは指揮官の背後から聞こえた。


 一同が視線を向けると曲がり角から一人の男が姿を現す。赤い魔獣の革鎧と裾の擦り切れた防塵マント。


 ティタンだ。衛兵が一人、げぇ、と蛙のような鳴き声を上げた。


 「どうしたアーマンズ」

 「シェフ!」

 「立場だと? 馬鹿馬鹿しい。さっさとそのクソったれ共に思い知らせろ」


 アーマンズは我が意を得たりと跳躍した。追加で二名の重傷者を生み出し、衛兵の指揮官を引き摺り倒すと、屈辱的な姿勢で非礼を謝罪させた。

 ティタンは眉を顰めた。アーマンズがこのような手合いに負ける筈が無い。


 特に今の彼は酷く暴力的な感情に支配されている。彼が敵に向ける視線と来たらそれは厳しい物だった。


 「お前みたいな奴に理解出来るとは思えないが教えてやる! 俺の同胞はお前には到底真似出来ない生き方をして、恐れを知らないまま死んだ。良いかこのクズ野郎、死者に敬意を払え……!」


 震えながら何度も頷く指揮官の頭を勢い良く地面に叩きつけ、それで漸くアーマンズは満足したらしかった。


 「荒れているな」


 ティタンが遺髪を拾い上げてアーマンズに差し出した。ロールフの遺髪を。それは雪の染みた泥で酷い有様になっている。

 アーマンズは遺髪を受け取ると深い溜息を吐く。


 「自覚はある。だが俺は冷静だぜ、シェフ」

 「そうは見えないが? まるでロールフの魂が乗り移ったかのような戦いぶりだ」

 「ソイツらがまだ生きてるのがその証明だろ。……俺は警告した」


 倒れ伏した衛兵達を見遣ってティタンは鼻を鳴らす。


 「これで良い、同胞の名誉を守ったのだ。俺達こそヴァン・オウル・アッズワース。血の繋がらぬ兄弟。生まれも育ちも違う家族」

 「…………ロールフは死んだ。だがゼタは生きているんだろう」

 「奴はマトとの戦いに使える」


 アーマンズはいつもの飄々とした表情に戻り、放り捨てられた荷物を拾い集めた。

 それらを革袋に放り込みながら言う。アーマンズの背中は妙に疲れ果てている。


 「彼女についてどうすべきか俺も考えた。……でもやっぱり、アンタの判断に従おう、シェフ」

 「アーマンズ、お前はロールフと最も息が合っていた」

 「それはもう止してくれ。……今はマトと戦いたい気分なんだ。奴に属する者となら、何とだって」


 全て片付け終えて、アーマンズは振り返らずに歩き出した。


 「俺達全員、アンタの号令を待っている」


 ティタンはその背を見送って肩を竦める。


 「後始末を押し付けて行きやがったな」


 物陰に潜んでいたパシャスの巫女、スワトがそそくさと出てきて、重症を負った衛兵達の容体を確かめた。



――



 クラウグスの戦士は必ず報復する。

 報復は残された者の義務である。



 「WooAaa!!」


 パシャスの神官戦士達に混ざり、ヴァノーランは要塞を駆けずり回った。要塞の外においても、アングイビやグール達のねぐらを突き止め其処に討ち入った。


 彼等は前にも増して殺気立った。ヴァン・オウル・アッズワースの一年足らずの短い歴史の中、戦いによって仲間を失うこともあったが、これ程までに彼等が怒りを感じたのは初めてだった。


 「ロールフが死んだ。もしティタンの糞野郎がくたばる事でもあれば、その後を継ぐ筈だった男だ」

 「あぁ、幸運な野郎だ。存分に格好つけて死にやがった」


 これまで要塞内に蔓延る煤色の霧にパシャス教は押されっぱなしだったが、いつまでもそれに甘んじている訳はない。神官戦士達は本当に手遅れになる前に残された力を結集して霧に対抗した。

 そして要塞各軍から選出された精鋭達もそれに合力する。


 ヴァノーランは剣と盾を打ち鳴らし霧の魔物に襲いかかった。

 本来ならばそれらと相対するには特別な才能が必要だったが、彼等はパシャスの加護を受け入れその尖兵として魔物達と戦った。加護は目に見えぬ魔物の姿を暴き、その呪いを防いだ。

 ここまで明確にパシャスの手勢として剣を振るうのはヴァノーランとしても初めてだった。彼等にしてみれば、忌々しいマトとか言う卑怯者と戦う機会が与えられるのであれば何でも良かった。

 要塞の至る所が血で濡れた。


 『Woo!! Woo!! Woo!!』


 一人が盾で巨大な化物に体当たりし、一人がその脇から剣を腰だめに構えて突き掛かる。最後の一人が逆手に握りしめた槍を高く掲げ、野獣のように跳躍し、むしゃぶりついた。

 その醜悪さ、巨大さ、何するものぞ。ジャラジャラと地を擦る鎖の音、怪物の上げる苦悶の声。彼等の雄叫びはそれらを押し潰していく。


 パシャスの神官戦士達を中核に据えた要塞内での霧への反攻作戦の最中、ヴァノーラン達はたった今仕留めた怪物の死体を蹴り飛ばして語り合った。


 「俺も、後十年も二十年も無駄に長生きしちまうようなら、ティタンに決闘を申し込んでみるか。戦神ラウに自慢出来るぜ」

 「お前なんぞどう頑張っても二年以内にはくたばっちまうよ」

 「何だと……? いや、あぁそうだろうな。ヴァン・ロゥ・ラン、戦士の誇りに懸けて、お前よりも勇敢に戦い、お前よりも早く死んでやる」

 「止めろ二人共。そんな調子じゃヴァン・オウル・アッズワースはあっという間に壊滅だ」


 何処か遠くで太鼓の音がした。敵の新手らしい。

 見通しの悪い霧の中でパシャスの神官戦士達が走り回り、魔を退ける秘儀を示し続けている。三人のヴァノーランは顔を見合わせた。


 「行けるか? 新しい飯の種が来やがったぜ」

 「黄金と名声に変わってもらおう」

 「奴等の流す血が死んでいった連中の慰めになる」


 この反攻作戦でのヴァノーラン達の戦い振りは、彼等をよく知るディオ・セリウですら蟀谷に鈍痛を覚える程の物だった。



――



 反攻作戦の傍ら、ティタンはパシャスの筆頭巫女とゼタ、そしてパシャスの神官戦士達の中から選りすぐられた極僅かな精鋭と共に要塞西側まで足を伸ばしていた。


 「此処か。如何にもと言う感じだな」


 周囲には古びれた建物が多く、雑然としている。ティタンは目の前の歴史を感じさせる民家を眺め、目を細めた。


 「二名、裏口へ回れ。油断するな」


 筆頭の指示で神官戦士達が路地を抜けていく。ティタンは民家の扉に手を掛けて気配を探った。

 誰かが居るような感じはしない。無人か。


 「……気配がない、カステヤノンは逃げたか」

 「私達も派手に動いているのだから気付かれない筈無いわ」


 目をギラギラさせながらゼタが言う。彼女は傷も衰弱も回復しないままティタンの出撃に付き合っている。

 魔道の類が相手ならば、筆頭巫女と並んで頼りに出来る女だ。多少無理でもやってもらう必要があった。


 「マトによって邪悪な魔物に変えられたらしいが、カステヤノンの身の隠し方は非常に冷静だ」

 「厄介ね」

 「ゼタ殿、他人事のように言われては困る」


 筆頭は複雑な表情でゼタの言葉に噛み付いた。ゼタの置かれた状況を思えば考えさせられる事も多いが、それ以上に彼女の行動で酷い迷惑を被っているとも感じていた。

 ゼタがもうほんの少しだけ協力的であれば、マトに対してもっと早く有効な対策を取る事が出来た筈だ。それを思えばゼタに同情し切る事が出来ず、また逆に憎み切る事も出来ない。


 「……御免なさい」


 ゼタは己の運命を受け入れている。弁解も、当然挽回も、彼女には必要無かった。


 「行くぞ」


 ティタンは扉を蹴破った。老朽化した蝶番が千切れ飛び扉は無残に割れて転がる。

 すえた臭いがある。食事の後そのままにされたらしい食器と燃え尽きた蝋燭。散らばった何かの書物。

 ティタンは鋭く視線を巡らし、ナイフを抜いて油断なく中へと踏み入る。


 「罠に注意して」


 家探しが始まる。裏口から侵入してきた信徒達とも合流し、家の中を隅から隅まで引っ繰り返す。

 しかし当り障りのない物しか見つからない。ティタンは筆頭に視線を遣った。


 「……カステヤノンは複数の隠れ家を持っていましたが、確認出来た物の内では此処が最後です。此処で何も見つけることが出来なければ振り出しに戻る」

 「他の隠れ家には何も無かったのか?」

 「はい」


 ふぅん、と相槌を打つティタン。何となく勘が働いて食器が放置された机を横に退かし絨毯を捲る。

 木造の扉だ。地下へと続いている。風の流れがあり、黴臭い臭いを運んできていた。


 「洞窟の奥の宝物に期待しよう。松明を寄越せ」

 「……二度目だけれど、罠に注意して」


 小さ目の松明に手早く火を灯し、ティタンは地下へと潜り込んだ。


 狭く、息苦しい空間であった。天井も低く、ティタンでは少しばかり身を屈めながら進む必要がある。

 おどろおどろしい雰囲気で、しかもその中から微かな唸り声のような物まで響いてくる。妙に甲高い女の声で。


 「カステヤノンは一時期傭兵ギルドにも所属していた。恐らくは偽名だろう。何の目的があったのやら」


 言いながら進むティタンに油断はない。頼りない松明で進むには深すぎる闇だったが、気配を探りながら更に奥へと踏み込んでいく。

 その洞窟は大した広さでも無かった。十数歩も進まぬ内に多少開けた空間に出て、其処には幾つかの燭台と、ティタンには何に使うのか検討も付かない道具が散らばっている。


 「唸り声を聞いたな? だが此処には何も居ないように見える」

 「いえ、居ます。……ですが、まぁ、その……別に、ティタン様のお耳に入れるような事ではありません」

 「……お前の部下達はどうしている?」


 ティタンは燭台に火を付けて回りながら筆頭に聞いた。彼女の傍に控える神官戦士は二名。


 「二名に地下への入り口を見張らせています」

 「正しい判断だ。何かの罠で生き埋めにされるのは御免だからな」

 「何かあるとしたら……あの魔法陣でしょう」


 二人が会話を続ける内にゼタは一人奥へと進んで地面に広げられた羊皮紙と向かい合っていた。

 複数の羊皮紙を繋げた大きな物で、得体の知れない魔法陣が描かれている。火を灯して回る際にティタンもその異様さに眉を顰めた。


 膝を突いて魔法陣をなぞるゼタ。ハッキリとした嫌悪の表情を浮かべている。


 「どうやらカステヤノンはこの魔方陣で夜な夜なマトと交信していたらしいわ」

 「家の様子を見るに大慌てで逃げ出したのは分かるが、それほど重要な物まで置き去りにするとは」

 「もう必要ないのかも知れない。奴は魔物へと変わったんでしょう?」

 「それで、この洞窟の中の得体の知れないガラクタで、奴の居場所が分かるか?」


 ティタンは言いながら泥に塗れた銀の匙を拾い上げた。食器と言うよりは美術品のような趣だ。

 価値ある物なのかも知れないが、これも魔術の道具なのか? ティタンは銀の匙を放り捨て、ゼタへと近付く。


 「ティタン様、お待ち下さい。邪悪な気配が強まっています」


 ティタンが筆頭に視線を遣った瞬間、ゼタが悲鳴を上げた。


 「ほぅ、レイスか!」


 引っ繰り返ったゼタを見下ろすように、半透明の赤黒い色をした霊が空中で泣き叫んでいた。

 ゼタが調べていた魔法陣から現れたらしい。カステヤノンの置き土産だろう。ゼタは才ある魔導師らしいが、それは罠や奇襲に強い理由にはならない。


 薄暗い中でも発光しているかのようによく見える。髪の長い女の姿をしているが、口からは鋭利な牙が幾つも乱雑に伸びていて、目が異様に大きい。

 腕が枯れ木のように細く、歪に捻れた指を頻りに握ったり開いたりしている。生者に言葉に出来ぬおぞましさを感じさせる邪悪な霊だ。


 全てのレイスは悲鳴で生者を衰弱させる力を持っている。祝福された刃でなければ通じない厄介な相手で、パシャスの巫女達は正にこれの専門家だ。

 筆頭がその役目を果たそうと飛び出す。


 しかしその時既にレイスは存在を捻り潰されそうになっていた。

 今正に襲いかかろうとした相手、ゼタから逃れるように身を捩り、聞くに堪えない耳障りな声を上げ続ける。


 胸元に手を這わせるゼタ。其処には彼女の娘、シグの骨と魂を閉じ込めた黒い小箱があった。


 「……あ、あぁ、シグ」


 ゼタの手の中で小箱が激しく震える。レイスは更に狂乱し、自らの手で自らの首を締め上げた。

 女に化けた邪悪な霊が、自らの首を締めながら、風で揺れる稲穂のようにばたばたと頭を揺らし、髪を振り乱している。


 何とも言葉を失う異様な光景だった。レイスはそのまま十も数えぬ内に力を失い、その半透明の身体を四散させて煙のように消え去る。


 筆頭は唾を飲み込んだ。矢張りこの小箱は恐ろしい力を秘めている。


 「シグ……有難う……」


 一刻も早い娘の魂の開放こそゼタの願いではあるが、それには時間が掛かるし小箱はマトに繋がる手掛かりだ。

 マトとの交信を可能にする危険な呪術具であると共に、その呪いに抵抗する為の力でもある。

 毒を以て毒を制す。小箱は、未だゼタに預けられていた。


 「ふん、肩透かしを食らった。ゼタ、無事だな?」

 「大丈夫」

 「カステヤノンは小箱の力に呑まれた。お前はどうなんだ」

 「……それも、大丈夫よ」


 ティタンは剣を鞘に納めて魔法陣へと近付いた。


 「信用しよう。さて、手掛かりはコイツぐらいだが」


 立ち上がったゼタはティタンの横を擦り抜けて魔法陣の描かれた羊皮紙を拾い上げる。

 張り付いた砂がパラパラと落ちる。同時に何とも言えない奇妙な臭いがした。


 「酷い臭い。血の秘儀ね」

 「一つ、マトに語り掛けてみるか? あの卑怯者を挑発するぐらいならば許されるだろう」

 「貴方はマトを微塵も恐れないのでしょうけど、皆がそうじゃないわ。そしてマトを恐れる者はその力に抗えない」


 大きな溜息。ティタンは軽口を止めた。

 ゼタは羊皮紙を丸めて懐に仕舞い込む。何か方法があるらしい。


 「さっきのレイス」

 「あぁ、レイスは人の魂を食らうほどに青白い身体が血のように赤くなると聞く。あれほどの色味、手強い相手かと期待したが」

 「まだ滅びては居ないわ。未だこの魔方陣の……血の秘儀の中に閉じ込められている」

 「だったら祝福された香油に浸し、纏めて燃やしてしまえ。……と言いたい所だが」

 「ティタン、小箱はマトと仲良くお話する事しか出来ない訳じゃない」


 そんな事は見りゃ分かる。ティタンは眉間に皺を寄せた。

 小箱を恐れはしないが、侮ってもいなかった。



――



 ゼタは羊皮紙をパシャスの神殿へと持ち帰り、レイスと相対した。パシャスの信徒達が不浄の存在を神殿に入れる事を嫌った為、それは中庭で行われた。

 今神殿には多くの避難民が居り、彼等の安全も考慮しなければならなかった。


 血の秘儀と言うよく分からない物に縛り付けられ、悶え苦しみ、呻き声を上げる邪悪な霊。

 ゼタは握り締めた小箱を突き出し、盛んにレイスに呪文を投げかけた。赤黒い身体のレイスは極めて強力だったが、小箱の力はそれすら凌ぐ。


 やがてレイスはゼタに屈服した。同時にティタンは小箱への反感を強める。

 その製法、秘められた力、そして大体の人間が考えるだろう用途。全てがクラウグス人に取って唾棄すべき内容だった。


 「湧水の魔法戦士団が戦力として欲する理由も分からなくはない」


 ティタンは恐ろしい瞳で睨みつけてくるレイスを見下ろしながら言った。

 この邪霊の目には生有る物全てへの悪意を感じる。どれ程痛めつけようとも此方の隙を伺い、寝首を掻こうと考えるだろう。


 そも、レイスの類を使役出来ると言うのが全く異常な話だが……。


 「だが、こんな汚らわしい魔術具をいつまでも野放しには出来ん」

 「全てが終われば、その時は……」

 「パシャスは少なくとも嘘は吐かない。パシャスの巫女達も。……契約を結べば、心臓に懸けてそれを果たすだろう」

 「……信じているわ」

 「正に、“神に祈れ”」


 ティタンの言葉は実に皮肉っぽい。ゼタはそれを無視した。


 「カステヤノンに使役されていたこのレイスならば後を追える筈よ」

 「ゼタ、充分に注意しろ。コイツが腹を見せて仰向けに寝そべっても、それは擬態だ。隙を見せるな」

 「えぇ」


 部下と何事か話し合っていた筆頭が戻ってくる。

 内容は要塞内での反攻作戦の事だった。霧を払う為、パシャス教はその戦力と影響力の全てを注いだ。


 「要塞内の戦いは終始此方側の優勢でした」

 「当然だな。自らの膝下すら覚束無いようでは、パシャスも面子が立つまい」

 「ヴァン・オウル・アッズワース、その戦功並ぶものなしと報告が届いておりますよ」

 「……どうせアバカーンだろう」


 筆頭は苦笑した。パシャス教の戦力もギリギリだ。彼女以外の巫女達は全て霧との戦いに赴いている。

 その中でも特に張り切っていたのがアバカーンだ。防戦一方で神経を擦り減らすより、攻めに回って敵を追い立てる方が余程彼女の気性に合っていた。


 ゼタが会話に割り込んだ。要塞での戦いは完勝らしいが、レイスの扱いには慎重になる必要があった。


 「急ぎたい所だけど……どうする? 戦いが終わったばかりの要塞にレイスを放つのは得策だとは思えないわ」

 「……直ぐに日も傾き始める。この邪悪な猟犬に働いてもらうのは明日からだ」

 「話を回して置きます。レイスが真昼間から出歩いていても騒ぎにならない程度に」


 ゼタが高く小箱を掲げるとレイスは身悶えしながら魔法陣の中へと吸い込まれていく。

 それを丸め、懐に入れようとするゼタ。そこに筆頭は手を差し出した。


 一拍の間見詰め合い、ゼタは筆頭に羊皮紙を渡す。当然の措置ではあった。


 「明日が待ち遠しい。……狐狩りだ」


 ティタンはニタァ、と笑った。



――



 「メルは……どうしてる?」


 ヴァノーランの拠点に戻ろうとするティタンの背に、ゼタは言った。


 オーメルキンは拠点でベッドに縛り付けられている。煤色の霧の中で激しく消耗したため、ヴァノーランの誰も戦いへの参加を認めなかった。

 それ以前に彼女は戦士としてまだ若い。ロールフの死について深く考える時間が必要だろう。ティタンはそう考えた。


 「同胞が同胞を殺したと思ってる。俺はロールフが名誉ある死を手にしたと確信しているが、オーメルキンがそれを受け入れられるかは微妙だな」

 「メルに…………」

 「何と言おうか迷うか? ……それとも寧ろ、会いたくないか」

 「卑怯ね、私。……でも、恐いわ」


 フードを深く被り直すゼタ。相変わらず、色々な意味で情の強い女だ。


 ティタンは少し前のソーズマンとの会話を思い出す。あの手強い妖怪じみたシェフは、随分と彼らしくない事を言っていた。

 子を愛する母ならば、八つ裂きにされても子の為に尽くす。


 少なくともこの女はこれまでそうしてきた。これからも恐らくはそうするだろう。


 「奴はシグの代わりにはなれん。誰にも、そんな事は出来ない」


 ゼタは眉を釣り上げたが、直後には肩を落として俯いた。


 「戻るわ」


 彼女にだって、そんな事は分かっている。

 だが理解と納得は別物だ。彼女のような女にとっては特に。


 ティタンは帰路を急いだ。


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