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煤色の霧1


 吐く息が白い。肌に感じる冷たさは刺すようで、肉が裂けたのではと勘違いする程だ。

 アッズワースに凍える風が吹く。悪夢のような青白い雪が絶え間なく降り注ぎ、視界を埋め尽くしていく。


 丘陵部の開けた戦域、南方から現れたペンドリトン戦士団が隊列を組み、その脇を補うようにしてヴァン・オウル・アッズワースが小高い丘に布陣していた。


 遥か南、黒く堅固な土と険しい山脈の最奥で、熱き鋼を鍛えしペンドリトン戦士団。あらゆる鉄の神ヘベンの加護を受けし彼らは、彼ら自身粘り強い鉄の如く敵と戦う。

 背は低くとも筋骨隆々。小さな巨人とでも評すべきドワーフの戦士イブリオンは、視界を閉ざす吹雪を打ち破るようにして、丘に居る同胞に吼えた。


 「ヴァノォォォーラン! 兄弟よォ!」


 同胞の声が野太くそれに応える。


 「ペンドリトン戦士団! 脇目も振らず戦うが良い!」


 イブリオンは一般的な物よりも長大なメイスを掲げ、盾を身体に引き寄せた。

 そして腰を落とし、改めて盾を突き出す。前方に迫り来る影の、邪悪な息遣いを感じていた。


 風は絶え間なく戦士達から熱を奪い、雪は止むことなく降り積もる。


 だが戦士達は耐えた。身を切るような冬の厳しさに。

 だが戦士達は耐えた。押し寄せる敵の悪意に。


 「受け止めろぉ!!」


 イブリオンが吼え、ペンドリトン戦士団が応える。


 『A・Woo!』


 吹雪の中を突き破り、獰猛な魔獣達が濁流の如く押し寄せていた。

 灰色をした針金のように硬い体毛。風穴のように開かれた口には鏃の如き鋭い牙が並ぶ。

 金色に輝く狂った瞳は戦士達の喉首に狙いを定め、そして躊躇することは無い。


 ワーウルフの攻撃だ。血肉の味を想像し汚らしい涎を撒き散らしながら襲い来る巨大な狼達をペンドリトン戦士団は果敢に受け止めた。

 そしてヴァン・オウル・アッズワースが黙ってそれを見ている筈が無い。


 シェフ、ティタンは、舞い散る雪の中で己が剣の輝きを確かめ、そして声もなく駆け出した。


 「シェフに続け」


 傷面の戦士ロールフが喚きティタンの後を追う。

 年若い戦士達が我も我もと続き、握った得物を振り上げて敵を睨む。


 遠くはない。百歩程の距離。ペンドリトン戦士団に襲い掛かる事に夢中なワーウルフ達の横腹は、何とも柔らかそうに見えた。

 彼等はただの一言も発すること無く、そこへと飛び込んで行く。


 その突撃は屈強俊敏な筈のワーウルフの群れを容易に食い破った。ワーウルフ達が普段そうするように。


 その一撃を、ペンドリトンに所属するドワーフの戦士達は、“アッズワースの風”と呼んだ。



――



 アッズワース要塞北門にも雪が降り積もっている。訪れた厳しい冬に凍える門兵達は毛皮のマントに身を包み、どうにか風をやり過ごしている。


 その中に、戦いの余韻に身を燻らす戦士達。ヴァン・オウル・アッズワースとペンドリトン戦士団は拳を打ち付けあい、戦勝を称え合った。


 「若き同胞よ、この馬鹿げた寒さの地を訪れた事を最初は後悔していたが、お前達に出会えた事でそれは帳消しだ」

 「寒いのは苦手か、イブリオン」

 「五十歳の時大雪山で遭難し、死ぬ目にあった。俺はくたばる時は仲間達に囲まれ、火を吹くような酒をたらふく呑んでからと決めているんだ」


 鹿角の兜を脱ぎ雪を払うイブリオン。南から北へクラウグスを縦断してきたこのドワーフは、正にドワーフらしく頑固で粗野で酒好きだ。


 「その立派な髭の手入れも怠るな。虱が跳ね回っているようでは格好が付かんぞ」


 ティタンはイブリオンの前を歩きながら言う。ペンドリトン戦士団は長旅を続け、そのまま休む間もなくアッズワースでの戦いに参加した。

 身を清める間もなかったのであろうドワーフ達は多少臭う。


 「冬は魔物達の勢いが衰えると聞いたぞ」


 傭兵ギルドアッズワース支部に向かう道すがら、イブリオンは疑問を口にする。


 「だがアッズワースは未だに広く戦士達を求めている。そして今日の戦いのように、魔物達は寒さに震えるどころか俺達の腸が欲しくて仕方ないようだが」

 「その通りだ。魔物達の勢いは衰えてなど居ない」


 褐色肌の戦士団がティタン達と擦れ違う。彼等はティタンの姿を目に止めると、拳を胸に打ち付けて敬礼を捧げた。

 蛮族達の、とある勇敢な部族を起源に持つ異色の戦士団だ。西方では荒野の大顎、アルコン・メンシスと呼ばれているようだ。


 「ヴァノーラン! 加護を与えて貰いたい!」

 「お前達自身の神に祈れ。勇敢に戦い、勝利の栄光と名誉ある死を手に入れろ」

 『WooAaa!!』


 雄叫び上げて去っていくアルコン・メンシスの戦士達。

 彼等ははらはらと雪が舞う中出撃し、敵と戦うのだろう。たった今、ヴァン・オウル・アッズワースとペンドリトン戦士団が散々敵を叩いてきたばかりなのに。


 「健気な人族どもめ。矢張り音に聞こえしアッズワースは空気が違う。ここの戦士達の張り詰めた、刺すような気配はとても心地良い」


 一年前であれば、弛緩した空気にとてもそのような事は言えなかっただろう。

 ティタンは鼻を鳴らす。


 「ならばお前達は問題なくここに馴染めるだろう」

 「で、ティタン。魔物達は何故こうも執拗に襲い掛かってくる?」


 夏、アッズワース要塞の戦力は北から攻め寄せるカヴァーラの軍勢、オーガの大群を打ち破った。

 異常発生していた他の魔物達もなりを潜め、北の大地は平穏を取り戻した。


 しかしそれも僅かな間だけだった。ほんの三ヶ月、穏やかな秋が過ぎ去った時、再び魔物達は現れた。


 「イブリオン、北の大地は闇に属する神々に狙われている。これはクラウグス王国が公的に認めている」

 「ふぅーん?」

 「詰まり……まぁどうという事もない。お前の活躍の場は幾らでもあるって事だ」


 イブリオンは満足気に笑った。筋肉と脂肪をたっぷりと蓄えた太い胴体が、大きな笑い声に合わせて震えていた。


 それから少し歩き、アッズワースの政庁と傭兵ギルド、それぞれへの分かれ道に差し掛かった。

 風は止んだが雪は止まず、行き交う人々は防寒具を確りと身体に巻き付け、俯き気味に身を屈めている。


 「盗人だ!」


 露天市の方向から声が上がる。この厳しい寒さの中でも愚かな者は愚かな真似をする。


 目の下に隈を作った男が追い立てられていた。その盗人らしき男は手当たり次第に人を突き飛ばしながら路地裏へと駆け込んでいく。


 「オーメルキン!」

 「Woo!」


 ティタンが一声掛けるとオーメルキンが進み出た。目付き鋭く盗人の消えた方向を見やった少女は、深紅の布を頭に被り、手早く弓に弦を張る。


 「晩飯までには戻れ」


 オーメルキンは弓を身体に引っ掛けて駆け出した。近くの果物屋に置いてあった木箱に飛び乗り、更に隣の家屋の壁に飛び付く。

 かと思えば更にその壁を蹴って飛び、果物屋の屋根の上に這い上がった。そのまま路地裏へ消えた盗人を追う為に、家屋の上を飛び移っていく。


 軽快な身のこなしだ。屋根の上に躍り出るまで三つ数える間も無く、その後も猿か何かのように俊敏に跳躍する。


 「未だにお前達が傭兵だと言う事が腑に落ちんわ」

 「褒め言葉と受け取っておこう」

 「どうだ、一杯やらんか」

 「機会はその内訪れる」

 「まぁ良い」


 ペンドリトン戦士団はヴァン・オウル・アッズワースと別れ、政庁に向かう道を歩き始めた。

 彼等はクラウグスに従属するドワーフ達が送って寄越した援軍で、アッズワースでは客分だ。

 イブリオンは政庁に部屋を与えられ、彼の戦士団は兵舎に住む。


 ティタン達はそのまま傭兵ギルドアッズワース支部へと向かう。道に積もった雪に車輪を取られたか、馬車が難儀しながら進んでいる所に遭遇する。

 雪は人々の営みを阻害する。何をするにも手間と労力が掛かるようになり、良い事など殆ど無い。


 そして厳しいのは人々の生活だけではなく、戦士達の戦いもだ。冷たい風と雪の中で戦うのは、単純に強敵と戦うのとはまた違った辛さがある。


 幸い去年の冬はあまり雪が振らなかったが、今年は去年よりも更に寒く、雪も多いようだ。ティタンは歩きながら顔を上げ、ふと呟いた。


 「そうか、もう一年になるか」


 シンデュラの勇者、あの強敵を討ち取ったのは。

 ティタンの首元には磨き上げられた彼の黒いワーウルフの牙が今も光っている。

 そして腰のベルトにはアークオーガの一体から奪い取った銀の鎖が巻きつけられていた。



――



 オーメルキンは倒れた男の懐から転がり出た黒い箱のような物に目を奪われた。


 膝裏に矢を受けた男は転倒した拍子に何処かぶつけたようで完全に失神している。

 手からは盗んだ品らしい金細工を施されたナイフが転がり落ちる。美術品といった感じで、好事家に流せば多少の金になるのだろう。


 しかしそんな事はまるで問題にならないとオーメルキンは感じた。この黒い箱の方が明らかに拙い。


 「これ……一体なんだ」


 決して其処に美しさなどと言った魅力的な物を感じた訳ではない。

 寧ろその逆だ。黒い、所々に白い筋のような物が走った不気味な小箱。オーメルキンの掌に少し余るくらいの大きさで、何故か仄かに温かい。


 オーメルキンには何の知識も無い。神秘や魔道の類の才も無い。

 しかしこの箱からは、言い様のない禍々しさを感じた。


 「そこの! お前は……!」


 盗人を追いかけていたらしい衛兵が追いついてきてオーメルキンを見咎めた。

 オーメルキンは咄嗟に黒い箱を隠す。


 「お前はオーメルキンか。盗人に仕事まで盗られるようでは、いよいよ俺達の存在価値も怪しくなってきたな」

 「文句があるならあたし達ヴァン・オウル・アッズワースの屋敷まで来いよ」

 「……ふん」


 何故黒い箱を隠したのか、オーメルキンには明確に説明できない。盗人の所持品として衛兵に渡した方が正しいのは分かっている。

 だがこれはティタンの元に持ち帰るべきだと考えた。ティタンに渡せば、彼を擁護する集団であるパシャス教に話が通る。パシャスの巫女様達ならば、この箱をどうにかしてくれる筈だ。


 「(何だか分かんないけど、これは放っておいてはいけない物だ)」



――



 ヴァン・オウル・アッズワースは次第にヴァノーランと呼ばれるようになった。僻地の訛りで発音し、更にそれを縮めるとそうなるらしく、その呼び方が段々と広まったのだ。

 ヴァノーランの方が呼び易いと言えば呼び易い。場によって使い分ける事でヴァン・オウル・アッズワースの名をより特別に、神聖視させる事も出来、ティタン達自身にも特に不満はなかった。


 ヴァノーランの名声はオーガ達との戦いを契機に高まり続けた。

 それは北の戦いが僅かに落ち着きを取り戻した秋の三ヶ月間でも変わらず、彼等はどんな戦士団よりも激しく戦い、酒色に耽って遊びつくし、また積極的に自らを苦境に追い込んで鍛え抜いた。


 同時に、ヴァノーランは下賜された多大な褒賞を惜しみなく使って拠点を手に入れた。

 アッズワースの東、職工街の外れにある屋敷を政庁から買い取り、そこに物資を溜め込んだ。三頭の馬を揃え、下働きの下男を雇い、彼等は名声に見合う風格を手にした。


 これを成し得たのが二十歳前後の、とても経験豊富とはいえない雛鳥達の集団だと言う事に、誰もが驚きを隠せなかった。


 ヴァン・オウル・アッズワース、若く猛き新たな風。彼等の名は、立志伝中の怪物として多くの戦士達の間に鳴り響いている。



 半年間で大分顔付きが変わったテロンは、羽ペンを忙しなく動かしながらギルドの受付に陣取っている。

 北の戦いの激化に伴い傭兵達が流れこむようになり、彼の周囲も大きく様変わりした。テロンはその中にあって優秀さを証明し、また前にも増して海千山千の老獪な怪物達と渡り合っている。


 以前は線の細い優男だったが、今は鋭さばかりが目立つ。ティタンの無茶な要求や物言いにも怯む事が無くなった。


 「ジンヴァー、ツリーズ、カステヤノン、何処かで聞いたような名前ばかりだな」


 ティタンはテロンが取り組む羊皮紙を覗き込んだ。テロンはそこに何事か書き込みながら憂鬱な溜息を返す。


 「指折りの犯罪者です。元、ギルド構成員の」

 「新参の連中か」

 「北の戦いの厳しさに負け途端に本性を表しました。傭兵と言うよりは火事場泥棒に近い」

 「増えているな、そういった手合が」


 テロンが羊皮紙を丸め、作業卓の上に置いてある杯を取った。

 中身は湯らしく、湯気が立っている。ギルドホールは暖炉で暖められているが、それだけでは些か厳しい物がある。


 「アッズワースに訪れるのは、貴方の望む『真の戦士』ばかりでは無いと言う事です」

 「空気が張り詰めている。明らかに揉め事が増えた」

 「人も物も増えています。怪しげな商人が特に。こうなるのも仕方ないのでは?」

 「俺も最初はそう思った。だが要塞司令ペルギスはそれらを見逃すほど寛大な男ではない筈だ」


 ペルギスの凍えるような目を思い出す。必要に応じてどんな事でもする男で、犯罪者を相手に間違っても容赦などしない。


 アッズワース要塞は少しずつ浮足立ち、混乱しているようにティタンには思えた。そしてそれは、いい加減見逃せない程にまでなってきている。


 テロンは暫く何事か考えているようだったが、その内に話を変えた。政をどうのこうのと言える立場ではなかった。


 「契約完了の報告ですね。耳は?」

 「門の所の荷役に任せてきた。日が暮れる前には纏めて持ってくるだろう」

 「と、言うことは毛皮などもそちらですか」


 テロンは満足気に頷いた。

 ティタンは元々魔物達を討伐した証である耳以外を持ち帰らない。これは有名な話だ。

 だがティタン配下のヴァノーラン達までそれに付き合う義理は無い。彼等は討ち取った強敵の身体を持ち帰り、正当な報酬を得る。

 テロンは肩の荷が降りた思いである。上役から何とかこの古臭い脳みそをした堅苦しい戦士を説き伏せ、様々な魔物の身体を持ち帰らせろとせっつかれていたのだ


 「数を誤魔化さないよう荷役に睨みを効かせておけ。次下らない誤魔化しをしたら許す気はない」

 「伝えておきます」


 しかし、ちょっとした厄介事も増えた。大きな成果を挙げてくれるのは全く喜ばしいのだが、それに伴う問題だ。


 ヴァノーランのように多量の戦果を上げる集団は、魔物の死体を運ぶのに大きな労力を割かねばならない。危険なアッズワース北部の戦域で、そのような事で動きを鈍らせたくないと考えるのは自然だろう。

 そういった者達の為にギルドは荷役を用意する。戦いには参加せず、純粋に荷物運びをする者達だ。

 が、この荷役に着くのはそもそも他に働く宛がなかったあぶれ者。手癖の悪いのも居て、そういった者達は戦果をちょろまかす。


 ヴァノーランもそれをされた経験がある。血の気の多い傭兵達の中でも更に年若い乱暴者ばかりが揃っているから、当然大事になった。


 「どうぞ、報酬です。耳や毛皮の分はまた後日」

 「頼んだ、テロン」


 銅皿に積まれた銀貨の山を革袋に納め、ティタンは踵を返そうとした。

 するとテロンに呼び止められる。彼は新しい羊皮紙と格闘しながら、ティタンに伝えた。


 「熾烈な牙傭兵団シェフ、ソーズマンが貴方を呼んでいます。可能な限り早く会いたいそうです」

 「ふん、分かった」


 ティタンは一仕事終えたら真先にギルドへ戻るのが習慣だ。テロンに伝えておくのはまずまず確実で早い手段だった。


 「ティタンさん。今や貴方達はギルドの顔です」

 「それは光栄だ」

 「振る舞いには御注意を」


 以前も同じような事を言われた。テロンはどうやら、ヴァノーランと熾烈な牙の間に揉め事が起きるのを警戒しているようだった。

 或いは、二人が親密になり結託して勢力を拡大することか。



――



 ソーズマンは欺瞞や理不尽な暴力を効果的に使う男だ。ティタンはそういったソーズマンを認め、部分的には尊敬すらしていたが、同時に決して好いては居なかった。


 ソーズマンは多くの権益を握っている。自身の武力、影響力、後は商人達との結び付きを上手く使い、アッズワースでの地位と利益を守っている。そしてそれによって得られた物はろくでなしどもの統制を取る事に用いられ、ソーズマンの行動は確かにアッズワースの治安維持に貢献していた。


 だがここ暫く流入してくる危険な品物やろくでなしどもの量は彼の手に余る規模になっており、彼はそれを御し切ろうと必死になっている。アッズワースの薄暗闇では絶えず彼等の暗闘が続けられている。


 「ソーズマンはまだか」

 「えぇ。もう少しお待ち頂ければ、と」

 「大分待たされている。日を改めるのはどうだ?」

 「どうかご容赦を」


 戦いの泥を落とし、熾烈な牙傭兵団の屋敷を訪れたティタンは、客室で長く待たされていた。ソーズマンを尋ねたは良いが彼は別の問題に時間を取られている。

 ソーズマンの部下は決まり文句しか返そうとしない。ティタンが大きく溜息を吐いた時、怒声が聞こえた。


 女の声だ。それと何かの割れる音。

 屋敷の空気が変わる。


 「揉め事か?」

 「少々お待ちを、確認して参ります」

 「奴の顔を立てるのも此処までだ」


 ティタンは立ち上がり、部屋から出る。ソーズマンの部下は制止しようとしたが既に太陽も沈み始めるような時刻だ。


 これ以上待たされるのは御免だ。ソーズマンの執務室の扉を開くと、中では案の定揉め事が起きていた。


 「邪魔するぞ」

 「ティタンか。来て欲しく無かったなぁ」

 「俺もこれ以上苛々させられたく無かったんでな」


 割れた盃らしき物の欠片とソーズマンの部下に羽交い締めにされた老女。

 老女は今も大声でソーズマンを罵倒しており、尋常ではない様子だ。


 「黙らせろ!」


 ソーズマンが一喝し、部下達は老女の口を塞ぐ。


 「俺はその婆さんの息子に金を貸してたんだがな、それが気に食わないらしい」


 言いながらソーズマンは何かで濡れた深緑の外套を脱ぐ。割れた盃を見れば何をどうされたかは明白だ。

 薄着になったソーズマンは肩を竦めた。執務室は暖炉で暖められている。外套が無くても問題はない。


 突然、老女の口を塞いでいた者が悲鳴を上げて手を離す。噛み付かれたらしい。


 「この悪党め! 舐めるんじゃないよ!」


 大した度胸の女だった。傭兵達の顔役ソーズマンを相手に、身を拘束されながら食って掛かるとは。


 「金なら返してやるってんだよ! 金輪際息子に近づくんじゃねぇ! 分かったかい腐れ外道!」


 ソーズマンは露骨に顔を顰めた。内心を容易く見せる男ではない。余程辟易しているようだ。


 「困ったモンだ……。お前ら、その婆さんを……」


 ティタンは皮肉を披露してみせる。


 「ソーズマン、アンタは傭兵か、商人か、それとも殺し屋か」

 「……分かってる。おいタリス、その婆さんにお帰り頂け」


 ソーズマンの部下達は未だに喚き続ける老女を引き摺って行った。


 ティタンは適当な椅子に腰掛け、ソーズマンの愚痴を聞く。


 「この世には自由に操れん物が多過ぎる。その内の一つが肉親の情って奴だな」

 「アンタにしては殊勝な台詞だ」

 「簡単に子を売り飛ばす親が居る一方、さっきの婆さんみたいなのも居る。……おっと勘違いするな、俺はあの婆さんみたいなのが嫌いじゃない。

  子を愛する母ならば、八つ裂きにされても子の為に尽くす。そんな場面を何度か見てきた。純粋に、尊敬するぜ」

 「……正直、意外だな」

 「似合わん事を言っているのは分かってる。……待たせて悪かったな、本題に入ろう」


 やっと目的を果たせる。皮肉っぽくティタンが言い返した時、またもや屋敷が騒がしくなった。

 執務室の外から慌ただしい足音が聞こえる。誰かが何者かに制止するよう言っているが、その何者かの足音は止まらない。


 「お次はなんだ?」

 「あー……済まん。最近多いんだ。俺達は警備隊の連中に睨まれっぱなしでな」


 乱暴に執務室の扉を開いて入ってきたのはアッズワースの治安維持を担う警備隊の者達だ。


 見覚えのある女騎士を筆頭に四名程が執務室に雪崩れ込み、横柄な態度でソーズマン達と睨み合う。


 「あぁソーズマン、暇つぶしに来てやったぞ。今日も元気に碌でもない事をやってるか?」

 「これはこれは、アンタに遊びに来て貰えて嬉しいぜ、騎士オレヴィ」

 「私も嬉しい。これからどうやってお前の尻を蹴っ飛ばしてやろうかと考えると、心が踊る」


 騎士オレヴィ、ティタンも漸く思い出した。オーメルキンの問題で会った時以来だ。

 オレヴィは以前とは似ても似つかないふてぶてしい顔をしている。

 ゴロツキと、それもソーズマンのような知恵の回る悪党と戦おうと思うと自然とこのような顔になる物だ。この女も苦労しているようだな、とティタンは思った。


 「穏やかじゃなさそうだ」


 ティタンが声を発した時、初めてその存在に気付いたオレヴィは目を見開く。


 「これは……ティタン殿。まさかこのような場所でお会いするとは」

 「騎士オレヴィ、俺の時と少し態度が違いすぎるんじゃぁないか?」

 「黙ってろソーズマン。私はお前に話を邪魔されると苛々するんだ。……それでティタン殿、貴殿の交友関係に口を出すのも憚られるが」


 オレヴィは恭しく、遠慮がちに言う。


 「友人は選ぶべきだ。この男はアッズワースの害虫だ」

 「俺の意見は少し違うが、アンタの言葉を借りて言うなら、アッズワースは害虫のお陰で大きな混乱を免れている事になる。ギリギリの所でな」

 「……深入りしない事をおすすめする」


 ティタンの言葉の意味をオレヴィとて分からない訳ではない。

 しかしオレヴィの立場上とてもソーズマンと友好的に接するなど出来ないし、何よりそれでソーズマンを好きになれるかと言われたらそんな訳が無かった。


 ソーズマンが兵士達と睨み合いを続ける部下達に命じ、オレヴィの為の椅子を用意させる。

 それと酒だ。オレヴィは椅子には座ったが、運ばれてきた盃には目もくれなかった。


 ソーズマンは提案する。


 「騎士オレヴィ、丁度ティタンと話そうとしていたんだ。アンタも加わっていかないか」

 「話す? ……ソーズマン、お前の下らない企みにティタン殿を巻き込もうと言うなら、それは愚かな選択だぞ。パシャスの信徒達を怒らせるとどうなるか、想像出来ん訳じゃないだろう」

 「アッズワースの為になる事だ。いい加減に誤解も解いておきたい」


 オレヴィはソーズマンを睨みつけた後、ティタンを見遣った。

 そこにどんな思考があったか定かでないが、少なくともオレヴィは会話の続行を選択した。


 「実りある話ならば」


 決まりだ。ソーズマンは腕組みして背凭れに深く背を預けた。


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