クアンティン談話
アッズワース政庁の奥まった場所、常に物々しい気配を漂わせた者達が片時も離れず、気を緩ませる事も無く警備を続ける一室がある。
要塞司令ペルギスの部屋に勝る誂えの調度品が並び、天蓋付きの豪勢な寝具には上品な花の香が焚かれ、整えられた部屋の調和を乱す大きな書棚には方々から集められた貴重な書物が収められていた。
日に二度、全身隅々まで検められた下働きの者が部屋を訪れて清掃など行い、手入れも疎かではない。この心配りの程は尋常では無い。
それは正にその通り、この部屋の主はシャーロス。嘗てクアンティン・ユージオ・クラウグスを名乗り、二百年に渡ってクラウグスを統治した男だ。
「最近はそなたと話す時間を多く取れて嬉しい」
暖められた蜂蜜水を手ずから杯に注ぐシャーロス。
ティタンは見た事も無いような銘木から削り出された椅子に深く腰掛け、そのゆったりとした手並みを観察していた。
椅子も茶器も地味ながら上品な品だ。杯を差し出されたティタンは蜂蜜水を一口含み、口を滑らかにした。
「俺は穴が開くほど睨まれる時間が増えて肩がこる」
捻くれたティタンの返答。
それも仕方なく、部屋には扉に一人、窓に一人、そしてシャーロスの傍に一人と、常に三人の護衛が控えている。
護衛達は常に刺すような視線でティタンを睨む。それが彼等の役目であり、実際ティタンも気にはしていなかったが、軽口を叩くくらいは許されるだろう。
「捨て置け。気にせずともよい」
のんびりとシャーロスも蜂蜜水を口に含む。護衛の者達を自然に意識の外へと置いている
生まれた瞬間から全ての者達に傅かれて来た男の鷹揚さがあった。
「そなた、私に聞きたい事があろう?」
「あぁ、沢山な。……だが、アンタが答える義務を持たないような事ばかりだ」
「またそのような他人行儀な事を言っておる。言って見なさい、女神パシャスに問うたように」
ティタンは片方の眉だけ器用に顰めた。昔も今も、彼が言うほど親密だった覚えは無いのだが。
思い出は美化される物。彼もそうなのだろう。
兎にも角にも本人からの許しが出た。我慢する必要は、もう無かった。
「三百年の時が経つ。慣れるまで変わってしまった言葉や習慣なんかでかなり苦労した。だがアンタは時の神の掌から零れ落ちてしまったみたいだな?」
「私の出生について噂を聞いた事は無いか」
「ある」
「事実なのだ。私は赤毛王ハルカンドラと、妖精の女王キルビスとの間に生まれた」
赤毛王ハルカンドラ。正に戦士の国クラウグスの王に相応しい男で、戦いに滅法強かった。当時の評判も上々であった。
シャーロスに言わせれば、それだけ名君と呼ぶ事は出来ないらしいが。
「成程。ではアンタは矢張り、妖精の不老の性質を受け継いでいるんだな」
「死にはするぞ?」
「……返答に困る」
妖精は古よりクラウグスを悩ませる邪な霊達と同じ祖を持つが、互いに必要以上に干渉する事無く上手く関係を続けている。
彼女達は奔放で、考えなしで、身内贔屓が強い。その女王の子となれば、彼女達は加護を惜しまないだろう。果たして毒でも呪いでも彼を殺せる者がいるかどうか。
「まぁ良い。聞きたい事は他にもある」
「存分にせよ」
灰色の仮面の位置を直し、口元に笑みを浮かべるシャーロス。
「『北の英雄 諸説』と言う本を知っているか?」
途端に声を上げて笑い出した。
「ふ……、ふふ、あっはっは! あぁ、知っている」
「随分と呑気に笑ってくれるな。アレを読まされた時、俺がどんな顔をしたか想像出来るか?」
「出来るとも。今みたいな顔だ」
シャーロスが指さすティタンは、口をへにゃりと曲げて険しく目を細め、時折眦を震わせている。
「十二歳で屈強な山賊の集団を壊滅させ、十五歳で震える霊山の三つ首竜を討ち取った恐るべき勇者が居るらしいぞ。俺も是非御目に掛かりたかったモンだ」
「話は誇張されて伝わる物だ」
「嘆かわしいのはこう言った類の本が幾らでも転がってるって事だ」
「それの何がいけない。娯楽の品では無いか」
「俺に関するものだけじゃない。死者達の功績が歪んだ形で伝わり、しかもそれを多くの者が信じている。アンタは何も思わないのか?」
「そなた、私に民草の頭の中身をすっきり綺麗に整えさせたいのか」
シャーロスの声には嗜めるような響きがあった。
「もう一度言うが、娯楽の品なのだぞ。それすらも許せないか? 皆揃って同じ方を向き、同じ事だけを考えているような国が望みか?」
「極端だ。卑怯な言い方じゃないか?」
「そうだな……。確かに極論が過ぎた」
「……王都には歴史を記録する神殿があると聞く」
「その通りだ。正しく歴史を記した資料は王都にて可能な限り保管している。知ろうと思えばそれらを知る事は出来るのだ。市井の漫談程度は許してやれ」
ティタンはもう一度蜂蜜水を口に含み、甘ったるさに顔を顰める。
「私は臣民が、正義を正義として捉える事は重要だと思う。だが何を考えているかまで強制したり、咎めたりはせんよ」
「寛大な方だ」
「後ろめたさもあるのだ」
「後ろめたい?」
シャーロスは杯を弄び、中の蜂蜜水をゆらゆらと波打たせる。
「私も正しいばかりの男では無い。私の都合で闇に葬り去った事柄が幾つもある。幾つも、幾つも。その私が歴史の正しさに口出しするのも可笑しかろう」
「それは、アンタの王としての責務で?」
「そうだ」
「興味があるが」
「馬鹿正直に言ってしまうとそなたに嫌われそうだ」
「冗談で言ってる訳じゃ無さそうだな。想像もつかん」
ティタンは彼がこのような物言いをする事に驚きを覚えていた。
「……そうだな、これはほんの一例だが……ある時、どうしても亜人達の国バリアラの行動を抑制したい時期があった」
「それは昔、俺も常に思っていたぜ。俺の仲間達も同意見だった」
「そなた等ならばそうであろう。……まぁ兎に角、その時は選択肢が限られていた。私は手の者や息の掛かった商人達を放ち、彼等の主な食物の相場に介入した」
「介入?」
「当然、良い方向にではない。腑に落ちないか? ……効果的だったのだ。あの時の彼等は愚かで、北部バリアラを地獄に変え、内乱状態に陥らせるのは実に簡単だった」
ゾッとするような気配。
シャーロスの言葉には凄味があった。少しピンと来ない話だったがティタンは肩を竦めて見せる。
それを真似するようにシャーロスも肩を竦め、空気を切り替える。
「矢張り駄目だな。これ以上は言わぬ」
「うん?」
「そなたとは宣誓の拳を交わした故に、嘘は吐けぬ。だから都合の悪い事は言わぬようにする」
「……興味はあると言ったが、元はアンタが勝手に話し出した事だ。言いたくないと言うならば、聞かない」
「ははは、それは済まんな」
嘗てティタンの養父ロンブエルは、人を率いると言う事を荒々しい波に乗る事に例えた。
それはそれは困難な事らしい。嘗てクアンティンと言う男は、それを行う為に何をしたのか。
興味が無い訳では無かったが、ティタンも彼の事を嫌いたくは無かった。
話を変えよう、とシャーロスが切り出し、ティタンもそれに付き合う。
「ドワーフの姿を見ないな。彼等は今何を?」
「彼等の偉大な指導者達が立て続けに死に、大体のドワーフ達は今、故郷の地下大要塞へと戻り喪に服している」
「語り合う事が出来なくて残念だ。彼等ならば古きよき時代の事を正しく継承しているだろうに」
「ドワーフと言えばそなたやそなたの同胞、赤銅の牡鹿戦士団の剣はドワーフが鍛造した物であろう?」
「そうだが」
「クラウグス南部ファンマー地方に、そなたの剣を継承する一族が居るのだ」
「ソイツは妙な話だな。俺の剣は今、アッズワースで最も真摯な職人の所に研ぎに出しているのに」
「ふぅん、矢張りか。その者等が家宝として継承する剣の造りがどうにもクラウグス人の手による物に見えたから、不思議に思っていたのだ」
「彼等はその剣の由来を信じているのか?」
「実に大真面目に。……更に面白いのは、他にそなたの末裔を自称する者達が居て、その剣をめぐって争った事だ」
「妻は居たが子は居ない。頭が痛くなりそうだ……」
「流石に見逃せず仲裁した」
「…………ひょっとして俺が聞いておくべき事は、俺が思っているよりずっと多いのかな、シャーロス」
にやぁと笑うシャーロス。二人はそこから様々な事を語り合った。良い事も悪い事も。
ティタンはキラン・フェイオーや方々から手に入れた書物で三百年間の出来事を学んでは居たが、矢張りそれらの時代を生きてきたシャーロスの言葉は一味も二味も違う。
話し疲れるのはあっと言う間だ。集中力を必要とする会話だった。
新しい技術で作られるようになった形式の鎧や盾等の事を話し終えた辺りで、ティタンは切り出した。
「アッズワースの慰霊碑を知っているか」
「あぁ。そなたがそれについて何をしているかも」
「あぁ言った物はクラウグス各地に幾らでもあるんだろう。全てに手は回せない。……だが少なくも此処アッズワースの死者を慰める為の物ならば、俺は無関係ではない」
「私に何をさせたい」
「石について悩んでいる。戦友達の名を刻むに相応しい上質の石材は、切り出しや流通の量が制限されているからな」
「そなたが今座る椅子のように」
ティタンは視線を下げた。深い焦げ茶色の椅子は重く、質が良く、上品な装飾が施されている。
「金銭だけでは上手く片付かんな」
「随分と他人事のように言ってくれる。……アンタならば上手く取り計らえるんじゃないか?」
「……私は補修を行うならば、各地の物に一斉に手を付ける一大事業にすべきだと考える」
「アンタや今代の王にやって欲しい訳じゃない。これは俺の仕事だ、金は俺が準備する。アンタには少し口を利いて欲しいだけだ。慰霊碑の補修を行う鍛冶師ミガルが、問題なく石を手に入れられるように」
シャーロスは頷いた。既に何らかの伝手を使って補修の許可が降りている事は把握していた。石を手に入れる口利きぐらいならば、どうと言う事は無い。
「それをするに適切な者に話をしておく」
「……感謝する。今日一番の収穫だ」
部屋がノックされ、扉の警護に当たっていた者が新たな水差しを持って来る。
僅かに湯気が立ち、独特の香りが広がる。シャーロスは蜂蜜水の入っていた水差しを下げさせ、新たな水差しを手に取った。
再びシャーロス手ずから注がれたそれは薄い緑色をしていた。
「珍しかろう。この茶は、北では余り飲まれない」
「俺のような身分の男はそもそも茶なぞ飲む機会も無い」
「そうか? 嗜んでみよ、悪くない物だぞ」
器に口を付けて茶を含む。甘ったるい蜂蜜水の名残をそれが消し去ってくれる。
「実によい。そなたと話していると、消え去って行った様々な事を思い出せる。色鮮やかに浮かび上がる」
「余り昔を懐かしんでばかり居るのもな」
「そなたは何も思わないか」
「……どうやら俺も老人のようだ」
「で、あろ?」
和やかに微笑んだ後、シャーロスはティタンに疑問をぶつけた。
「石は良い。だがそなた……ティタンの名をどうする?」
「ん?」
「そなたは生きている。だがそなたの名を省いて新たに建立しても、事情を知らぬ者は反発しよう」
何せ、アッズワースの大英雄だ。
シャーロスの言葉は意地が悪い。だがティタンは平然と答える。
「俺もいつかは戦いで死ぬ。ならば、先に名を刻んで置いても良いだろう」
「そうきたか」
「その時こそ英霊達は俺を暖かく迎え入れてくれる。慰霊碑に恥ずかしげも無く俺の名が刻まれていても、許せる気になる筈だ」
シャーロスは沈黙した。何事か深く考えているようだった。
「不自然か?」
「まさか」
シャーロスは思い切り茶を煽り、詳しく話そうとはしなかった。
「だが、嫌な話だと思ったのだ」
その後も暫く歓談は続いた。ティタンはとっくの昔に喋りつかれていたが、シャーロスは話を繋ぐのが妙に上手く、つい長々と話を続けてしまった。
じきに陽も落ち始める頃合でティタンは席を立つ。
最後にこれだけはと思い至り、ティタンは疑問を口にする。
「シャーロス。アンタの趣味にケチを付けるつもりは無いんだが……」
「何だ?」
「顔を隠すにしても、その仮面は少し考え物だと思うぞ」
「あぁこれか。これな」
シャーロスは灰色の仮面に手をやる。覗き穴の無い仮面は矢張り異様な無機質さを感じさせた。
「これも、そなたには言いたくない」
「不愉快な話なのか?」
「そうだ。キルビスからの贈り物であるのだが……私はこれが大嫌いだ」
「ならば良い。不愉快にさせる気は無かった」
妖精の女王からの贈り物、常人には計り知れぬ何かがあるのだろう。
ティタンは最後に拳を胸に打ち付ける礼をして部屋を出る。むっつりと黙り込んだ護衛がティタンの為に扉を開き、その背を見送った。
「有意義だった」
政庁の出口に向かいながらティタンはポツリと零す。様々な話を聞けたし、昔を懐かしむ事も出来た。
「(しかし本人の言う通り、随分と変わった物だ)」
普通に話に組み込むと何だか色々と面倒そうだったので、閑話として独立させました。
何か話させる内容を考えていたんですが、いざ書くかと言う時になってド忘れしちゃった……。
会話だけだとスゲー楽だなぁ、と感じました。
嘘です。後半になるにつれ会話の内容で苦しみました。ぐへぇ




