アッズワースは甦る9
連日連夜のお祭り騒ぎの締めとして予定されているのが戦勝式典だ。六日間も浮かれ上がったアッズワースが、最後の七日目に誉れある者達を総出で称え、恐らくは誰も眠らない。
出席者は皆思い思いに着飾ってくる。アッズワースに望んで来るような者達は、当然だが強さや勇敢さを売りにしている者達ばかりだ。そういった者達は犠牲を恐れず功績を挙げ、また得てして派手好きである。
ティタンも栄えある式典に参列するにあたり、身嗜みに気を使っていた。ミガルの工房であれやこれやとひっくり返されたり、採寸されたり、ティタンはミガルの着せ替え人形になった。
「んん、中々良い胴回りだ。長い戦いでも少しも痩せてない。鎧飾りをぶら下げたら、強そうに見えるよ」
鎧の小さな傷を塗料で消したり、細かい手入れを行ったり、後は戦場には着けて行かないような飾りを付けたり、ミガルは酷く張り切っている。
肩の部分にある留め具に簡単な細工をして、マントが肩を覆わず後ろに流れるようにする。後は体の線を強調するように飾りに気を配ってやる。
すると屈強な身体がよく目立つ。鎧を着せていて楽しい男だな、とミガルは笑っていた。
「そういうお前は少しやつれたな」
「此処暫くあたしらも大忙しだったからね。まぁ、稼がせて貰った」
アッズワースでは職人達は大切にされている。今回のように厳しい戦いで、消耗の激しい装備類の面倒を引き受けてくれるからだ。
前線の指揮官は装備の品質のバラつきを酷く嫌う。食料や衣類などと同じように装備を他からの輸送で賄うとどうしても質の良し悪しが出てくる。そうなると指揮官達は納得しない。
今も昔も、熟練の職人達がアッズワースの戦士達を支えていた。
「……しかし、邪魔だな」
「何が」
「飾りだ。動き難い」
ミガルは我慢しろと言った。お洒落とは得てして余分な物なのだ。そしてそう言う所が見る者に余裕を感じさせるのである。
「よし、脱ぎな。……ひょっとしたらアンタ、痩せるどころか更に太くなってないか?」
「俺が宿に篭って酒ばかり呑んでいるように見えるか? 誰よりも鍛え、誰よりも戦う。肉体は応える」
「そりゃ分かり易くて良い事だ。……さぁ次は足だ。その汗臭いのを綺麗にしてやる」
「俺は確りと洗ってるぞ」
ティタンの文句も聞かず、ミガルは革鎧を脱がせて行く。
「アンタは余り傷を負わないが、それでも鎧ってのは疲れてくるモンだ」
各装甲の具合を確かめながら言うミガル。
「レッドアイの鎧……。良い品だ。大切に使ってきたんだろう。だが、そろそろ限界だね」
「何だと?」
「本当に良い品だよ。見た感じ、んむ……十年……って所か? 普通の素材の鎧じゃここまで良い状態を保てない」
ミガルは鎧を作業台の上に並べて行く。財宝を扱うかのように丁寧な手付きだ。
彼女は鎧に封じ込められた年月を感じていた。戦いの歴史を。
「アンタの親は戦士か?」
唐突なミガルの問い。ティタンは胸を張って答える。
「戦士だ。多くの人々から尊敬を受けた偉大な男だった」
「じゃぁこの鎧は、アンタの親父さんから受け継いだ物か」
「ん、いや……」
ティタンは唸った。ミガルは鎧がどれ程の年月使われてきたか見抜けるほどの目を持っている。
この革鎧はティタンが十七の時、単身レッドアイを打ち倒し、手に入れた皮から作られた。
それは赤銅の牡鹿戦士団の儀式のような物で、それが出来て漸く一人前の戦士と認められる。どんな所から現れた、どんな偉業を達成した勇者でも、牡鹿団への入団を求めるのならばこの試練が課された。
これを達成し、赤い革鎧を纏うまで、牡鹿の同胞とは認められない。
しかしこれは俺の戦果だ、と言っても訝しがられる気がする。若造、若造と侮られるようなこの見てくれでは、十年前に自力でレッドアイを打ち倒したと言っても受け入れられまい。
少し、癪だ。
「違うのか」
「あぁ……まぁ、違う」
「じゃぁ、買ったのかい? 目玉が飛び出るくらい金が掛かったような気がするが」
「それも違う。……これは俺が一人でレッドアイと対峙し、それを殺して得た皮で作らせた。それが儀式だった。俺が本物の男として認められるための試練だ」
まぁ良いとティタンは開き直って答えた。疑われる事の不愉快さよりも、戦士の宣誓の遵守の方が重要だった。それは虚偽を許していないからだ。
今日のミガルは妙に深入りしてくる。傭兵の事情に首など突っ込まない女の筈だが。
「試練か。レッドアイと言えば蹄で岩を割り、鋭い角の一突きでオーガだってぶちのめすらしいじゃないか。ソイツを狩れだなんて、とんでもない試練もあったもんだ」
「困難で無い試練に意味など無い。……親父も、仲間達も、俺が半ば生きて戻らぬと思いつつも最大限の愛と敬意で見送ってくれた。戦士の誇りは、そういった物事の繰り返しから生まれる」
ふぅん、とミガルは作業台に頬杖を突いた。探るような視線がティタンの裸体に注がれる。
「アンタ、自分がどんな風に噂されてるか知ってるだろう」
そう来たか。ティタンは眉を顰めた。
疑われるより不愉快ではないが、同じくらい面倒な問題だ。
「大体予想は着く」
「あたしは構わない。アンタが何者で、今何であろうと。けどまぁ、何事にも潮時って奴があるんじゃないかねぇ」
言うだけ言ってミガルはティタンから視線を外した。
「鎧をどうする?」
「……あぁ、新調しよう」
「レッドアイの物が良いのか?」
「それが良い」
「伝手を当たって見るよ」
「感謝するぜ。だが、レッドアイの皮は貴重品だ。時間が掛かるんじゃないか?」
「それがそうでもないのさ」
ミガルは真面目な顔になる。
「今アッズワースには色んな品が入ってきてる。あんまりにも量が多くて、門を守る兵士達も監視の目が行き届いてないらしいよ。危ない品も結構流れ込んでる」
「では鎧も?」
「ま、あたしらにとっちゃ悪くない状況だね。……でも物と一緒に胸糞悪い連中が入ってくるのは勘弁して欲しいモンだ」
「金と物が動けば人が集る。治安を維持できるかどうか、要塞司令ペルギスのお手並み拝見だな」
ティタンの言葉に、ミガルは何処か懐疑的だった。
「何だかちょっと……様子が可笑しいような気がするんだがねぇ」
――
式典当日、小鳩亭にディマの遣いが現れた。
式典自体は昼頃から行われるのだが、ティタンはその功績を鑑み、ディマと同列での参加を許されるらしい。侯爵家次男と一傭兵が並び立つ違和感を思えば、当然異例の事だ。
ディマはその事に関して打ち合わせを求めていた。ティタンに拒む理由は無かった。
「皆勇敢に戦ったが、矢張り最も称賛されるべきは俺達だ。敵の攻勢を真向から受け止め、反撃の好機を作った。
お前とシュラム、そしてケイロンは逃げたアークオーガを見事に討ち取り、お前に至っては更にオーガ止めの戦いに加わり横撃隊の先頭を走った。
まぁ、我がイヴニングスターもその後オーガ達に一当てしてやったのだが」
ディマは屋敷の庭で打ち立てた功績について自信満々に語っている。
ティタンと、ティタンの背後に控えるパシャスの巫女衆筆頭は真面目な顔でそれを聞いていた。
「戦功第一位は譲れぬが、お前達ヴァン・オウル・アッズワースがどれ程勇敢に戦い、死んで行ったか、多くの者が目にしている。それは我等に劣らぬ物だった。
式典への参加が許されているのはお前とそちらの巫女殿だけだが、ヴァン・オウル・アッズワースにはお前が望めば何か特別な計らいがある筈だ。俺も話を通しておいた」
「感謝する。雛どもも喜ぶだろう」
「して、式典に臨むにあたっての作法だが」
「こういった事は初めてじゃない」
そうか、とディマは頷いた。初めてだと言われたほうが寧ろ意外である。
「何か聞いておく事はあるか?」
「アンタには無い」
「……どうやら打ち合わせは必要無かったようだな。まぁ、部屋を用意させてある。出発までゆっくりしていろ」
そう言うとディマは部下達を引き連れて屋敷の中に戻って行く。彼はこれから無数の羊皮紙に目を通し、訪れる賓客の応対をしなければならない。
ティタンと筆頭はイヴニングスターの隊員に案内され、客室へと通された。ティタンは遠慮なく椅子に腰を落ち着けると、筆頭に質問した。
「……で、何故お前が俺と共に?」
「先方の申し出です。ペルギス様の御名前で、ティタン様と同席しても良いと」
ペルギスは良くも悪くも事情を知っている男だ。当然と言えば当然の配慮である。
「お前の部下達は? 奴等も俺達に劣らぬ戦いをした。特にスワト、奴の戦い振りは目を見張るものがあった」
「……スワトに伝えて置きます」
「それは好きにしろ。……で?」
「我等は女神パシャスの信徒。名誉と栄光は、パシャス様が与えて下さいます。……当然そればかりでは上手く物事が回らない事も御座いますので、ペルギス司令などがお心配り下さる事もありますが」
ティタンは気の無い返事をした。この筆頭を始め、パシャスの巫女達が正当な報酬を得ているのならば、別にそれ以上口を出す気はなかった。
パシャスの信徒達、特に中枢で活躍する者達は行動力があるし、特に禁欲的と言う訳では無い。彼等の働きでパシャス教は活動に充分な資金を得ている。
だがそればかりと言う訳にも行かない。クラウグスは土と水を治める存在として民草を慰撫し、国家に貢献した者には報酬を与えなければならない。それが支配者の地位を明確にする。
ある程度の寄付があり、それでよりパシャス教は潤う。傭兵働きをする内に察した雰囲気では、クラウグスと女神パシャスは非常に上手くやっていた。
「どのような行いにも報いがあるべきだ。その通りになってるなら、別に良い」
「勿体無いお気遣いです」
「そして俺も、お前達に借りを作った」
ティタンはオーガ達との決戦前の事を思い出す。ティタンはケイロンの提案で、この筆頭にアッズワースの上級将校達への働き掛けを要請した。
パシャス教と、そして恐らくはシャーロスの行動によって、アッズワースはオーガ達への攻撃を決断した。始め、戦いの状況は危うかったが、結果としてアッズワースは勝利を手にした。
借り、と言われた筆頭は最初何の事か分からないようだった。貸しを作った気にもなっていなかったのだろう。
全く健気で献身が過ぎる。ティタンは落ち着かない気分を味わう。
「それを返す気ではいる」
「それは、なんと……」
筆頭は酷く感激した。今までティタンからこのように言われた事は無かった。
正に好機であった。筆頭は深く腰を落とし、礼を払いながら控えめに言った。
「それでは明日、神殿にて行われる戦勝の宴に御出で下さい」
「……このアッズワースの馬鹿騒ぎで俺がどんな目に会ってると思う? 六日間嫌になるくらい酒を呑まされてるし、多分今日もそうなる。そろそろ死んじまう」
「心配ありません。パシャス様の聖水はティタン様の体を腑の底から癒すでしょう。今こそ、我等が神の酒をお受け下さい」
「俺は特別な事はしないぞ……」
「私達に全てお任せを」
いつに無く強い口調だった。ティタンは肩を竦める。
借りを返すと言ったら、酒を呑めと言われた。自分でも波乱の多い人生を歩んでいると思うが、その中でも珍しい展開だった。
「パシャスの神殿で、か」
ティタンは目を伏せた。
気付けば、このアメデューによく似た巫女の顔にも、動揺する事は無くなった。人は慣れる生き物だ。受け入れる、と言うべきか。
出会った当初に抱いた悪感情も消え去っている。彼女達は日々、無辜の人々に対して親切で、常に礼を払っている。
幾度か戦場を共にもし、そして彼女達は勇敢で献身的だった。嫌いになれる筈が無い。
「まだお怒りですか」
「パシャスか?」
筆頭はジッとティタンの言葉を待つ。
「……アッズワースで過ごす内に時代の移り変わりを感じた。不満はある。良い事よりも悪い事の方が多いからな。
だがその中でパシャスが、少なくとも卑怯者で無い事は分かった。クアンティン王……今はシャーロスか。彼との契約により、アッズワースに厚き加護を与えてくれている事も。
俺も……奴に敬意を払うべきだと言う事は分かっている」
パシャスは傲慢で、嫌な奴だが、それだけの存在ではない。
奴もまた戦っている。悪意を引き連れて襲い来る、汚らわしい闇の神々と、その軍勢を相手に。
「パシャスに少し聞きたい事もある」
「で、では!」
「あぁ。……奴をぶん殴るような事にならなきゃ良いが」
大真面目に言うティタンに、筆頭は引き攣った笑みを浮かべた。
アッズワースを守護する慈愛の女神相手に拳を振るうなど、何をどうすれば思い至るのだろうか。
でも、喜ばしい事だと筆頭は思った。ティタンが明確に歩み寄りの姿勢を見せてくれた。
誠心は通ず。いつかアバカーンが言っていた事だ。真摯に話し合えば、この方には伝わる筈だと、筆頭は信じた。
――
式典はアッズワース政庁の広間で行われた。名だたる兵団の長達が僅かな部下のみを連れて集い、そこは奇妙な熱気に包まれている。
式典と言ってもそこまで仰々しい物ではないようで、僅かな音楽隊が控えているのみで後は椅子すらも無い。
とは言ってもここに集う指揮官達全員分の椅子を用意したらとても入りきらない。ペルギスの意向もあり、必要な儀礼を済ませたらとっとと解散する予定のようだ。
後は各々浮かれ切ったアッズワースで存分に楽しめばよい、と言う事なのだろう。何せ六日間はお祭り騒ぎが続いており、誰も彼も既に嫌になるほど酒を喰らっている筈だ。
今更格式張った食事も何も無い。
ティタンは品の良い赤い絨毯の上、ディマ、シュラムと共にペルギスの前へと立った。
ペルギスは深い青の礼服を過不足無く着こなしている。他の派手な格好をしている出席者達とは違い、落ち着きがあった。
「諸君等の、特別な勲を称えよう」
厳かなペルギスの言葉に合わせて演奏が始まる。主神を始めとする神々への感謝と敬意、祖国クラウグスと偉大な王への忠誠。儀礼としてそれらを述べた後、ペルギスは目の前に立つ三人それらの戦い振りを称えた。
まずはディマ。イヴニングスターの戦果を疑う者は居ない。
「バシャーの使命は戦い。陛下の杖とバシャーの名に懸けて戦い、死ぬ事。それのみ」
次にシュラム。彼の振るう槍と斧、そして雷。彼はオーガ達に取って死神にも等しかった筈だ。
「苦しい戦いだったが、それに参加出来て光栄だ。尊敬すべき多くの同胞を得る事が出来た」
長らくペルギスからの問い掛けは続いた。戦いに臨む精神、勝利を奉げる先。
この二人は堂々と応答し、ディマは兵団の被害を補填するに充分な金貨と幾つもの名物を与えられ、シュラムは主神より与えられし使命なればと褒賞を固辞した。
そして最後に、ティタンが問い掛けられる番になる。
「傭兵、場違いだと感じているか?」
ペルギスは堅苦しい様子も無く、冗談のように問い掛けてくる。
「俺が感じているのは胸焼けだ」
「それは大半の者がそうであろうな。かく言う私も少し呑み過ぎておる」
互いにニヤリと笑う。
「ティタン、そしてヴァン・オウル・アッズワース。お前達の働きは他の傭兵と一線を画す。アッズワース要塞にはこの戦いに備え各地から精鋭が集ったが、その中に置いても目を見張る物がある。
その原動力はなんであろうか。お前達が戦いに臨みし時、それを導くのは」
「戦士の誇りだ」
笑う者は居なかった。傭兵が自信満々に答えるにはどうにも格好付け過ぎた台詞だったが、ティタンに纏わる噂を全ての者達は知っていた。
ディマがその名に懸けて、と答え、シュラムが主神の導き、と答えた問い掛けだった。ティタンの答えはこれだった。
「素晴らしい。お前達に文句は無い。そして、その格別の働きには当然報いよう。望みは何だ?」
「黄金と名声だ」
うむ、とペルギスは頷く。
ペルギスが何か言い始める前に、ティタンは続ける。
「しかし名声は……それらは与えられる物じゃない。俺達は常に勝ち取る。名誉も、栄光も」
「ほぉ……」
「だからその分、存分に黄金を賜ろうと思う。俺は傭兵だ。金銭を卑しい物とは思わん」
「ハハハ、こやつめ!」
ペルギスは破顔した。とても朗らかに笑うような人物には見えないのに、ティタンの物言いに面白い物を感じたらしい。
「傭兵ではあるが、お前にも一応聞いて置こう。勝利を、何に奉げる」
「“我等に、お前達に”」
「あぁ、然様か」
ペルギスは軽い足取りでティタンへと近付き、拳を差し出した。
「“戦友達に”」
ティタンはペルギスと拳を合わせる。
戦いに関して戦士達が好んで用いるこの掛け声には、そう大した意味は無い。
我等、は声を上げる者達、詰まりが生者を意味し、お前達、は呼び掛けられる者達、戦いによる死者を意味する。
生き残った者、死んだ者、全ての戦友に奉げると言う意味だ。
「シャーロス様が贔屓する訳だ」
ティタンだけに聞こえるようペルギスは小声で言った。ティタンは何を言うでもなく、無表情で通す。
ペルギスは踵を返し、元の位置まで戻ると、声を張った。
「宜しい、下がれ!」
ティタン達三人は一斉にマントを翻し、人の群れの中へと紛れる。
そして、新たな勲功者達が進み出て行くのであった。
――
式典の翌日、ヴァン・オウル・アッズワースの面々は白い小鳩亭に集合し、黒く染められた皮袋を前に戦慄していた。
一抱えもあるそれはズシリと重たい。中身は全て金貨だ。
金貨と銀貨では大きな価値の隔たりがある。ロールフは唾を呑み込んで言う。
「かなりの額だな」
「俺、こんなの見た事ねぇ」
皮袋を突っつきながら隊員が大きな溜息を吐く。これだけあれば何が出来るだろうか、そんな事ばかり考えている。
「アーマンズ、シェフは?」
「さぁ? 知らんね。俺を此処に呼び付けて、その皮袋を押し付けて来たと思ったら、さっさと何処かに行っちまったよ」
「メル?」
「えっと……巫女様達が、何かやるって」
姿の見えないティタン。なんじゃそりゃ、とロールフは眉を顰めた。
金貨だけぽいと渡されて、それで良いのか悩み所だ。何せ金の使い方に関しては信用ならないぼんくらどもが揃っている。
「屋敷が買えるな。それに馬も。下働きだって雇えるぜ。……分配するか?」
「出来ればそれはシェフにやって欲しい所だな。奴がするならどんな分け方でも納得できる」
「こんな大金初めてだぜ。……これが俺達の戦いの対価か。……俺達には、これだけの価値があるんだな」
「くたばった同胞の為に上等な墓石を買い付けようぜ。奴等が居なけりゃ無理だった」
思い思いの感想を口にする隊員達。
大金を得た、と言う感動と共に、妙な達成感が彼等にはあった。
五名が死んだ。残りも大小様々な傷を負っている。ロールフなんかは顔がぺちゃんこにされているし、指や耳を食い千切られた者も居る。
辛うじて後遺症が残る者こそ居ないが、大体皆重傷だ。しかし、それだけの傷を負う意味はあった。
金だけではない。彼等は明確に己の価値を証明した。
「穀潰し、ろくでなしと呼ばれて来た俺達がよぅ……。やったじゃねぇか。畜生、震えてきたぜ。
見たか、クソッタレ。俺達はやったんだ。俺達の戦いは、御偉い貴族様にだって無視できないんだ。
……手に入れたぜ、黄金と名声を!」
『Woo!!』
隊員達は奇声を上げながら飛び上がった。肩を組んで踊りだす者も居た。
その中でロールフはぶつぶつと何事か唱え、唐突に提案する。
「買うか、屋敷」
『は?』
「ソーズマンを知ってるだろう、熾烈な牙傭兵団の。奴等は立派な屋敷をこさえて、そこから睨みをきかせてる」
「ふぅん……成程、そうだな」
アーマンズが一番に賛成した。
「俺達にも拠点が必要だ。立派な奴が。……堪らないな、嫉妬と羨望の的になるぜ」
途端に賛成意見が上がり始める。浮付いた空気に乗っかるようにしてあれやこれやと好き勝手な事を言っている。
俺達はやった。俺達こそヴァン・オウル・アッズワース。勇敢な戦士の集いだ。
そうやって喜びを顕にする様子を眺めながら、オーメルキンはちょっと困った顔をした。
「大丈夫かなぁ」
この愚かで愛しい同胞達は思い付きで大胆な事をやってしまう。いつもはアーマンズが手綱を取るから問題にはならないが、今回はそのアーマンズが乗り気だ。
「うーん、でも確かになぁ……」
ヴァン・オウル・アッズワースの拠点って事は、あたしも其処に住める。
この面白い連中が居て、あたしはいつでも其処に帰る事が出来るんだ。
そんな風にオーメルキンは考えた。そしてそれは確かに素晴らしい事のように感じられた。嘗ての仲間達と共に凍える風に耐え、行き交う人々を羨み、路地裏を這いずり回っていた事を思えばまるで楽園だ。
小さな宿、白い小鳩亭にも随分と馴染んだ。此処だって素敵な場所だが、矢張り我が家と呼べる物があれば嬉しいのだ。
――
夜になり、アッズワースが漸く落ち着きを取り戻し始めた頃、ティタンはパシャスの神殿で信徒達の攻勢を必死に受け流していた。
全く何が嬉しいかは知らないが、彼等は引切り無しにティタンの居る上座を訪れ、酒や食い物の世話を焼こうとする。
無碍に出来ず杯を受けるが、次から次へと新手が現れる。ティタンも流石に堪らず酒に思考を押し流されつつあった。
「名誉あれ」
「あぁ、名誉あれ」
「勇者の帰還に!」
「おい、勝手な事を言うな」
「神の酒をお受け下さい」
「……クソ、頂こう」
信徒達は朗らかに笑い、闊達に語る。彼等は普段礼儀正しく、如何にも禁欲的な印象を与えるが、実際は酷く人間味がある。
パシャスは激しい感情を愛す神。その信徒達が大人しい訳が無かった。元よりパシャスは堕落しない程度に欲望を曝け出し、その上で人を愛すよう信徒達に説いている。
人間こそ感情の生き物だと確信していて、より人間らしく生きる姿を好んでいる。そんな彼女の信徒達が胸の内に秘める人間性とは、きっと激しい物なのだろう。
神殿の祈りの間、黒檀の扉を越えた更に奥。
より高位の、深くパシャスに仕える信徒達の為の広間で、彼等はパシャスの神像に見守られながら戦勝の酒に酔った。
「……それで彼女達と来たら……神殿にまで蛇を持ち帰ってきて」
「ほぉ」
「ファロくらいの年頃ならばまだ分かります。ですがアバカーンはもう少し落ち着きを持たなければ」
「蛇はどうしたんだ?」
「余程気に入ったらしく、ファロが片時も手放そうとしません」
困り果てたように話すタボル。しかし口調こそ責めるようだが、目元は優しく笑っている。
どうやらアバカーンとファロが一悶着起こしたらしい。何気なく視線を遣ると、ファロのローブの隙間から蛇が頭を出し、しゅうしゅうと舌を出していた。
ファロはそれに合わせるように舌をちらちら覗かせている。確かに、蛇の事が大層気に入っているようだ。
「ファロ、はしたない」
ファロは誤魔化すようにフードを被る。筆頭が楽しそうに笑い、それにつられて信徒達も笑みを零した。
アバカーンだけが口をもごもごとさせて唸っている。毒蛇なんだぞ、と険しい表情をしていた。
かなりの長い時間、巫女達を始めとする多くの信徒と歓談したように思う。
彼女等の言う神の酒とやらに偽りはないようで、注がれるまま干す内にいつの間にか胸焼けは消えていた。
気だるさや、妙に重たかった腸の異常も消えており、気分よく体は火照る。霊薬の類なのだろうか。
宴もたけなわを過ぎ、信徒達が騒ぎ疲れた頃合で、漸くティタンは切り出した。
「パシャスと話がしたい」
まず筆頭が立ち上がり、聖句を唱え跪いた。それに習うように巫女達が。続いて、信徒達が。
彼女達が求めていたのは正にそれだ。女神パシャスとティタンの対話。
祈りの言葉を終え、筆頭はティタンを導いた。
「こちらへ」
信徒達が見送る中、神殿の中枢を抜け地下へ降り、無数の蝋燭が照らす通路を通り抜けて行く。
丁寧に掃き清められた古い石の床。敷き詰められた滑らかな赤い布。一歩進むごとに、地上とは明らかに違う空気が、濃く、強くなって行く。
半年前にも訪れた場所に、今また導かれた。神殿最奥部。パシャスの信徒達が秘する物。
清き水を湛える祭壇。パシャスの聖域だ。其処に踏み込めば、急激に酔いが覚めて行った。
信徒達は左右に分かれて跪いた。ティタンに道を開けるように。
「…………パシャス、アンタは嫌な奴だ」
呟き、一歩を踏み出す。円形の水の祭壇は静かに波打っており、奥底がぼんやりと青白く光っていた。
薄暗い聖域内での唯一の光だ。その光を魅入られたように見詰めながら、ティタンは水の祭壇の前に立つ。
「だが少なくとも、アンタはアッズワースを守っている。敬意を払える部分もある。……姿を現せ」
ティタンの言葉に応えるように祭壇の水が蠢いた。確かな意志を持ち、水の腕がティタンに巻き付く。
強く引き寄せられる感覚がした。ティタンは祭壇の縁に足を掛けると、思い切り体を捻った。
「ティタン様?!」
むざむざパシャスの領域に引きずり込まれる心算は無い。慌てたような筆頭の声を手で制す。
引き千切られた水の腕が祭祀場の床に落ちる。水浸しになった足元を蹴り払い、ティタンは再び祭壇に向き直る。
「俺は姿を現せと言った」
『つれぬ男だ』
パシャスは姿を現した。細さと豊満さの混在するくっきりとした肉体にアリバスの朱衣を巻きつけ、妖しく輝く濡れた黒髪を漂わせて。
水の祭壇の上に音も無く浮かび、片膝を抱えてそれに頬を寄せている。上目遣いにティタンを見遣る目を細め、ちらりと唇を舐める仕草が、どうにも淫らだった。
『此度もよく戦った。カヴァーラめ、恐れ慄いておった』
「強敵ではあったが、あの程度でアッズワースは落ちん」
『どうかな。奴等の勢力がもし尽きる事を知らず、あの攻勢が無限に続くとしたら流石のお前もどうだ? 被害を覚悟であの下品な魔物達を蹴散らしたのは正解だ』
「……それらについて話を聞きに来た。敵の話を」
パシャスは胡坐をかいて、ピンと背筋を伸ばす。彼女は自らの肉体に絶対の自信を持っている。秘部も、乳房も、朱衣が僅かに覆うばかりで、少しも隠そうとしていない。
面白そうな表情であった。こういった表情を最近よく目にするな、とティタンは眉を顰めた。
どうにも長生きしている者は、こうやって自分のやることなすこと面白がる傾向がある。
「シンデュラの勇者を討ったのは偶然だった」
『シンデュラは歯軋りしておった』
「オーガの軍勢は二体の首魁を討ち取られ、残りは北へと逃げ帰った」
『我もカヴァーラとその権能を交えたぞ。奴は己の身の程を知り、自らの領域へと逃げ帰って行った』
「……」
『どうした?』
パシャスはにやにやしている。
『まさか我が、砂蜥蜴が地中に篭るようにこの祭壇へと篭り、全ての物事を傍観しているだけだとでも?』
「そんな風には思っていない。話を続けたい」
『言って見よ、ティタン』
「古の王、クアンティンと話した。驚くべき事に彼は嘗てと殆ど変わらぬ姿のままだった。彼は敵の動きについて懸念を示していた」
パシャスは表情を変えない。続けよ、とティタンに先を促すのみだ。
「シンデュラとカヴァーラを跳ね返したのならば、次は何だ? アンタは敵について知っている筈だ。
オーガ達に勝利し、アッズワース要塞では皆、苦しい戦いに一区切り着いたと安堵の息を漏らしている。
……黒竜との戦いに劣らぬ物、と言ったな。この程度で終わりはすまい。次は何が来る? いつまで続く?」
刺すようなティタンの視線。
「俺達の敵は何者だ」
一頻り聞き終え、パシャスはゆっくりと語りだした。
『三百年前の戦いで、我等の勢力図は大きく揺れ動いた。ティタン、貴様も名を知るであろう多くの神々が勝利し、或いは破れ、力を増し、そうでなければ姿を消していった。
しかし変わらぬ者達も居る。北に亡骸を晒す闇の神アーヴァル、それに従属していた悪神達だ。
夜の神、血に餓えた獣に加護を与える者、シンデュラ。
混沌を望み数多の勢力に争いを仕掛け、邪霊達の鎖で縛られた愚か者、カヴァーラ。
そして……密議と姦計を好み、只管に敵の苦痛と悲鳴を求める邪悪の顕現、マト』
「……マト」
確かめるようにティタンは反芻する。
悪神マト。魔道に通ずる呪いの神だ。
煤色の霧を操り、その中で邪悪な謀り、殺人、破壊など、何でも行うと言う。
嘗て冥界の覇権を得んが為にウルルスンに挑み、その邪悪な魔法はウルルスンの左腕を未来永劫奪ったとされる。強大な力の持ち主だ。
パシャスは続ける。
『カヴァーラは手勢を失い、奴自身も散々に叩いた。向こう数百年は動けまい。
しかしシンデュラは諦めて居らぬ。そして、マト。
マトはカヴァーラ如き愚か者とは比べられぬ。奴は周到にして狡猾だ。……奴との戦いは、いつも気が滅入る』
「ふん、アンタを憂鬱にさせられるような奴が居るとは。俺も一つ、コツを教えてもらうべきかも知れんな」
『あぁ面白そうだなぁティタン。お前が奴と対面すれば、お前は必ずや奴の心の臓を貫きたくて堪らなくなるだろうよ。賭けてもよい』
ティタンは鼻を鳴らした。
悪神マトには邪悪にして陰惨な逸話が多い。少なくともその思考を理解したいとは思わないし、友好的な態度も取れないだろう。
そもそもクラウグスに、アッズワースに攻め寄せる敵となれば、討ち果たすのみだ。
「シンデュラとマトを撃退すれば、戦いは終わる」
言ってからティタンは自分の発言を誤りだと思い直した。
戦いに終わりは無い。永遠に続く歴史の環の一部が戦いなのだ。なりを潜めるだけで、またいずれ目を覚ます。
「いや、俺の間違いだな。終りなど無い。次なる戦い、次なる名誉と栄光だ」
パシャスはしなやかに体を反らし、伸びをすると立ち上がった。
もったいぶりながらティタンに近付き、その胸板にほっそりとした指を這わせる。
ティタンは、今度は拒もうとはしなかった。
『ティタン、お前は我に疑問をぶつけに来た。お前は我を嫌っているが、我はお前を愛している。アッズワースに戦う可愛い可愛い子らの一人だ』
「……」
『お前が問えば、我は応える。いつでも。お前が望むだけ、我は与えるのだ』
唐突にティタンは踵を返す。
「シンデュラとマト、それだけ聞ければ十分だ」
聖域の扉を開き、足早に去って行く。狼狽する巫女達にパシャスはティタンを追うように告げる。
ばたばたと慌しい足音が遠ざかる中で、パシャスは顎を指で撫ぜながら笑った。
ティタンの意固地さが伝わって来て、そこが無性に可愛く感じられたのであった。
書きたいところを書き終えて、我ながらかなりたるんどる。
ちょっと巻いていかねば、と思うこの頃。




