もう逃げねぇ7
ゴブリンの群れは数に頼んで監視塔を取り巻き、オーガは更にその包囲の外側に陣取っていた。位置としては監視塔の南門側、アッズワースへと続く道だ。
「WoooaaaAAA!!」
ティタンはオーガ達の背に向かって走る。雄叫びを上げている。奇襲の心算は毛頭無い。
それにオーガが張り合うかのように絶叫する。落雷のような野太い声が幾つも連なる。
数は夜明け前より更に多い。二十は居た。土色の肌の下に隆々とした筋肉を蓄え、所々に凝固した泥をこびり付かせている。
オーガ達の中には斧を握り締めている固体が居た。オーガは殺害した戦士の得物を奪い取る事があるが、あの斧は明らかにそういった類の物ではない。
岩を斧の形に削り出したような風体だった。暗褐色で、節くれだっている。鍛造された物にはどうしても見えなかった。
「(縛られし者、カヴァーラからの贈り物か)」
彼等に加護を与える巨人の神カヴァーラが背後にいる。アッズワースを狙い、下僕達に力を蓄えさせようとする悪神達の意図をまざまざと感じる。
ただのオーガではない。更なる強敵だ。ティタンは吼え猛る。
群れの中に突っ込む。最後尾に居たオーガは身体を引き絞り、斧を左に引き寄せていた。
そして一振り。豪腕から繰り出された一撃の下をティタンは掻い潜る。地に手を着き、這うように身を沈め、岩の斧が触れるか触れないかといった位置を擦り抜けた。
一撃で分かる。オーガの繰り出した攻撃は決して力任せな物ではない。ただの魔物には在り得ない技術を感じた。
ティタンは反撃せずにそのままオーガの群れの中へと踏み込んでいく。
敵は巨体。怪力で、手に扱く得物もかなりの大振りだ。
密集した箇所にまで踏み込めばオーガ達は互いの巨体が邪魔になってまともに動けなくなる。ティタンはそれを期待していた。
「さぁ、俺と戦うか?!」
走りながら挑発するようにティタン。腕を広げ、掴みかかろうとするオーガ。
一度捕らわれればその怪力から逃れる事は不可能だ。しかしティタンにとってオーガのその恐るべき抱擁は、絶好の機に他ならない。
両の掌が逆になり、剣の柄を包み込む異形の握り。左肘を突き出し、刀身を腰の右に引き寄せた構え。
捩れた鎖の束のような印象を与える立ち姿だ。ティタンは鋭く息を吐き出しながら、その捩れた鎖の力を解き放つ。
右の足を蹴り足に左の足で大きく踏み込む。左肘を顎の高さまで持ち上げ、腰を小さく、しかし強烈に回転させながらの突き。
閃光の一撃。目にも留まらぬ速度で剣はオーガの胸へと吸い込まれていく。
必殺の手応えを得てティタンはそのままオーガへと体当たりした。心臓を破壊され絶命したオーガの肉体はそれに抗わず背から倒れる。
どす、と言う重たい音を待たずティタンはさらにその向こう側へと駆け出していた。
ティタンの信条だ。必殺の位置まで踏み込んだならば、一呼吸の間に敵を殺す。
己の最も早く鋭い動きで、だ。波涛の如く攻め寄せる魔物の軍団と戦い続けたティタンは、速さと鋭さで次々と殺し続ける事を対抗策とした。
「Woo!!」
更なる雄叫びと共に更なる敵へと踊りかかる。ティタンの挑戦を受けて岩の斧を持った三体のオーガ達がティタンを取り囲む。
拙い、と思うと同時にティタンは前進を決めた。左右のオーガを無視し、前方の天高く斧を振り上げたオーガに組み付く。
三体のオーガ達が繰り出した一撃は、そのどれもティタンを捉えること叶わなかった。ティタンは前方のオーガが振り下ろす斧、それを握り締める腕の下、脇に潜り込んでいた。まるでオーガと優しく抱き合うように。
手にした剣はオーガの脇からずるりと入り込み、重要な臓器と血管を引き裂いていた。ティタンが剣を抜き転がるように前に出れば、オーガはゆっくりと膝を着き倒れこむ。心臓の鼓動に合わせ多量の血を噴出させながら。
ティタンは獰猛に笑う。犬歯を剥き出しにし、食い縛った歯の隙間から獣の如く呼気を漏らす。
オーガ達は各々が小さな唸り声を上げながらティタンを取り囲んだ。油断の無い構えと足捌き。ティタンの目が更に鋭くなる。魔物如きにこういう表現をするのは不本意だが、戦士と呼ぶに相応しい姿だと感じた。
急く事も慌てる事もせず、油断無く囲もうと言うのか。監視塔を囲んでいたように。
じりじりと間合いを計るオーガ達。ティタンは小雨を浴びながら曇天に向かって雄叫びを上げる。そして一声叫ぶ度に、腕を胸へと打ちつけた。
「Woo!! Woo!! Woo!!」
咆哮の度に響く鈍い音。手甲とレッドアイの革鎧が立てる音だ。本来は戦士が剣と盾を打ち鳴らして敵を挑発、或いは威嚇する物だが、ティタンは盾を持たない。
思うままに叫び散らした後、ティタンは悠々と両腕を伸ばして胸を開き、オーガ達を迎え入れるような格好を取った。
「どうした、怖気付いたのか?」
二十体のオーガに囲まれながらこうまで言える戦士は他に無い。
言葉は通じずとも挑発されている事は分かるのか、或いはその咆哮に中てられたか、オーガ達は一斉にティタン目掛けて走った。
「そうだ、来い! 力を示せ!」
岩の斧の一撃を避け、ティタンを捉えようとする腕を擦り抜ける。
巨大な拳。凶悪な牙。巨体を生かしての体当たり。どれもティタンを捉えられない。
ティタンは巧みにオーガ達の間隙を擦り抜け、背後を取り、時には真正面から突き倒し、翻弄する。
楽な戦いではなかった。僅かな乱れ、僅かな遅れで忽ちティタンは捕らえられ、殺されるだろう。オーガ達は喜んでティタンの腸を引きずり出し、強敵を破った喜びと共に心臓を喰らう筈だ。
綱渡りのような戦い。背筋を這い回る悪寒と熱。ティタンに取ってそれらは決して忌諱すべきものではない。
彼の中の闘争本能。実力を示す喜び。勝利の栄光と、名誉ある死。強敵との戦いはそれら全てを満たしてくれる。ティタンは全く恐れる事無く戦いに陶酔していく。
思考の隅で過去を思い出していた。三百年前もこうだった。
恐るべきオーガの軍団を相手に散々暴れまわった。多くの者達が敗れ去り、四肢を引き千切られ、オーガの腹に納まった後も。
ティタンは最後の最後まで戦い抜いた。血を浴び、泥に塗れ、そして吼えた。
「ティタン! 死ぬ前に再びお前の戦う姿を見る事が出来るとは! 今我等も加勢する!」
監視塔から出撃した一隊は散々にゴブリン達を引き摺り回した後、その囲みを破ってティタンの方へと接近していた。
五名の戦士達は無謀な突撃を繰り返した。一匹一匹は然程の脅威でも無いゴブリンも、数え切れぬ程集ってくれば容易い相手ではない。突撃の最中に一名、囲みを突破する際に更に一名が討ち取られた。
しかし元より死の覚悟を持って打って出た彼等はそれに消沈する事無く果敢に戦い続ける。
ティタンを囲むオーガ達の中に勢い任せで突入し、未練も無く馬を捨てる。ティタンがその混乱に乗じて周囲のオーガを蹴散らすと、そこに滑り込んで互いの背を守り合う。
皆、荒い息を吐いていた。返り血を浴びた兵士達にティタンはニヤリと笑った。
「決死隊だな?!」
「如何にも!」
「ハハッ! 俺も栄光ある戦いに参加したい!」
「……歓迎するッ! おぉぉ!!」
ふたたびじりじりと周囲を囲むオーガ達。ティタンと兵士達は雄叫びと共にそれに打ちかかった
「囲みを破る! 遅れるな!」
「ティタンに続け! 名誉ある死を掴み取れ!」
――
「畜生、まだか」
落ち着け、落ち着けと呪文のように唱える。
バルドは歯を食い縛り、息を止めて地面に頭を押し付けていた。そうでもしなければ悲鳴を上げて走り出し、今直ぐにでもティタンと決死隊に加勢してしまいそうだったからだ。
ティタン達はオーガの囲みを一突きし、擦り抜けるようにしてその外へと逃れた。その際に一名が犠牲となり、最早三名しか残っていない。
オーガ達はティタン達を追い、ティタン達は戦いながらじりじりと後退する。まだか、ともう一度唸る。
バルドが我慢の限界を迎える寸前で監視塔は門を開いた。
先頭はセリウ家ストランドホッグ兵団。全員が徒歩で、抜剣している。漸くこの時が来たのだ。
これで隠れている必要は無くなった。すると不思議な物で、先程まで感じていた焦燥がす、と消え去り頭脳が冴え渡る。
深呼吸を一つ。曇天の雲の上まで見通せそうな心持だ。
バルドは先程までのみっともない姿を忘れたかのように堂々と声を出した。
「オーメルキンを離してやれ」
「指揮官?」
「良いから離せ」
オーメルキンはこれまでずっとアーマンズに抑え込まれていた。そうでなければ直ぐにでもティタンの後を追っていた。
開放されたオーメルキンは傭兵達を睨み付けた後、背負った弓を握り締めた。バルドはオーメルキンに問い掛ける。
「オーメルキン、ティタンを追うか?」
「指揮官、冗談寄せ! こんなガキ直ぐに殺されちまう!」
ロールフがオーメルキンの手を捕らえて言う。隊の中で最も馴染んでいたのはティタンを覗けばこのロールフだ。
「お前に死の覚悟があるならティタンは置いて行かなかった筈だ」
「五月蝿い! 馬鹿! 馬鹿馬鹿!」
「黙れ! 泣き喚く以外に出来ないのか!」
オーメルキンは唇を噛み締める。バルドに向けられる敵意すら篭った瞳。ぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
バルドには分かる。置いていかれる苦しみが。
「……行け、オーメルキン」
ロールフが何か言う前にバルドは言葉を連ねる。
「ロールフ、ソイツはガキじゃない、戦士だ。自分の死ぬべき時を知っている」
「クソ!」
ロールフは渋々オーメルキンの手を離す。
ロールフだって知っている。この少女が見た目どおりの子供で無い事など。
「……あたしはティタンを助けるし、まだ死なない!」
「あぁやるが良い! 武運を祈る! ……さぁお前達、お待ちかねの戦いだ! ゴブリンどもを叩きのめして監視塔の部隊と合流するぞ!」
駆け出すオーメルキンを見送る事もせず、バルドは剣を握り締める。
ロールフが叫ぶ。別れを覚悟した言葉だった。
「畜生、あばよオーメルキン! いつかあの世で会おうぜ!」
オーメルキンは振り返らず拳を突き上げた。ランゼー傭兵隊はその瞬間一斉に立ち上がり、監視塔周辺のゴブリンの群れ目掛けて駆け出した。
――
監視塔本隊はディオ・ユージオ・セリウを先頭に走る。小高い丘になっている監視塔周辺からゴブリン目掛けて勢い任せに突撃していく。
ディオの傍に控えた藍色の外套を纏う魔導師が身を捩る。手に炎が生まれ、蛇がのたうつようにして大きくなるのをバルドはハッキリと見た。
道中の戦いの痕跡で発見したゴブリン達を仕留めた魔導師に違いない。バルドは炎を操る魔導師を見るのは初めてだったが、成程強力だと感じた。
炎が意志を持ったかのように敵に襲い掛かるのだ。これを防ぐ手立てはあるまい。それにあれ程の火勢であれば小雨など問題にならないだろう。
「炎の魔導師だ!」
「畜生、だったらなんだ指揮官殿!」
「勝ち目があるな!」
「うるせぇ、行くぞぉぉぉ!!」
炎がゴブリン達を纏めて飲み込む。そこにディオ率いるストランドホッグ兵団が突撃した。
更にその反対側から挟み込むようにしてランゼー傭兵隊が切り込む。アーマンズ達弓手が立て続けに矢を放ち、雄叫びを上げるロールフを先頭に我武者羅に突撃していく。
ゴブリンの群れは忽ち拉げ、血煙と肉片の最中で二つの部隊は合流した。
「バルドね! 有り難い!」
「セリウ様! お助けに参った! ジョーン様は?!」
「我が隊で護衛しているわ! それより決死隊に呼応して切り込んだ者は、まさか!」
「ティタンです!」
「……そう!」
ディオは返り血をべっとりと浴びた額を拭いながら言った。顔中に広がったそれを小雨が少しずつ洗い流していく。目に入るが些かも構わず、ランゼー傭兵隊が切り開いた道を包囲の外へと向けて走る。
バルドは兵士達に保護され、足を引きずりながら走るジョーンを発見し、堪らず大声を上げた。
「ジョーン様!」
「ば、バルドか。よくぞ駆けつけた」
「失礼します!」
バルドはジョーンの脇に腕を差込み、半ば引き摺るようにして走り始める。
これより地獄の撤退戦だ。見栄も外聞も気にしている余裕は無い。
最後尾を監視塔の精鋭達が勤める。彼等は巧みにゴブリン達を受け流しながら後退を続ける。
先頭を担うディオの隊はゴブリンの包囲をあっと言う間に抜け出し、オーガ達の方を見た。
「……兵達が、そしてティタンが、私達を助けてくれた……」
「セリウ様、彼等の中に……」
「ゼタ殿?」
何処か唖然としたような女の声。藍色の外套を靡かせた魔導師が、フードの中から発した声だ。
魔導師ゼタは炎のみならず目、音など様々な魔法に精通している。彼女は遠方のオーガの群れと熾烈な戦いを続けるティタン達を正確に把握し、硬い声音で言った。
「子供が……なんて馬鹿な事を」
「子供?」
「セリウ様、此処でおさらばです。御身の無事を祈ります」
「ゼタ殿、急に何を」
「私は決死隊の者達と。さぁ、問答の時間は無い筈です」
ディオは愚かにも僅かな間、逡巡した。一秒たりとも無駄には出来ない状況であると言うのは理解できていたのに。
ティタン達が戦っている。其処に魔導師ゼタも加わると言う。
ディオは兵達に死を命じた。必要な犠牲だった。何故かティタンが其処に切り込み、自分達の撤退を助けてくれている。
ティタンとゼタを置いて行くのか? 本来、身を挺して戦う義務を持たない者達を。
当然、そうすべきだ。選択の余地は無い。
正しい判断だったが、ディオは悔しくて悔しくて堪らなかった。
「……撤退する! フォーマンス、私の傍に! ゼタ殿、貴女とは生きて再び会いたいわ」
「えぇ、私も」
ディオは剣を掲げ後ろを振り返る。額に汗を滴らせる兵達と、此方を取り囲み、いたぶり殺してやろうとするゴブリン達。
ディオは走り出した。ティタン、と叫ぶ。
生きていて。
その言葉を必死に呑み込んだ。五名の兵達を逃れようの無い死に向かって突入させた指揮官としての責任が、そうさせた。
――
「更に増えたな。何処から湧いて来やがるのか」
戦いの最中更に数を増したオーガの群れ。ティタンは雨に打たれながら周囲を見渡す。
身体が熱い。雨が触れる端から蒸発しそうだと思うほどに。
ティタンは決死隊の生き残り二名と共にしぶとく戦い続けた。兵達は装いから見て一名がセリウの兵、一名が監視塔の兵だ。
実力と士気、共に高い。ティタンを基点に巧みに守り、巧みに退き、強敵を相手によく保つ。
最高の働きだった。ティタンは彼等と戦える事を光栄に思った。
それでも、限界は訪れる。監視塔本隊がランゼー傭兵隊と合流を果たし、撤退を開始したのを確認した時だ。
残った二名の内一名、監視塔から選抜された兵が、手に持った槍を圧し折られ、腹に岩の斧の一撃を受けた。
「うぅぅ」
聞こえたのは悲鳴では無い、獣の如き唸り声だ。腹に半ばまで沈んだ岩の斧。監視塔の兵は血反吐を撒き散らす。
しかし、倒れない。腹に減り込んだ岩の斧に抱き付くようにしてしがみ付くと、腰のナイフを抜く。
斧を握り締めるオーガの腕にそれを突き立てた。鋭利な刃が硬い筋肉を貫通し骨まで達する。
兵士はナイフを捻る。これにはオーガも堪らず悲鳴をあげ、岩の斧を手放した。
ティタンは絶叫しながら其処に踏み込んだ。監視塔の兵が作り出した好機を物にすべく剣を繰り出す。
伸び上がるような突き。オーガの喉頸を貫き絶命させる。監視塔の兵はそれを見届けて目を閉じた。膝から崩れ落ち、もう立ち上がる事は無い。
「安らかなれ」
ティタンは祈りの言葉を紡ぎながら次の敵に備えた。その時オーメルキンの声が聞こえてティタンは思わず眉を顰める。
「ティタン!」
「……何故来た!」
「なんでだって?! ふざけんな馬鹿! 馬鹿馬鹿!」
魔物の群れをどうにかこうにかやり過ごしてきたらしいオーメルキンは、泣きながらティタン達の元に滑り込んで来て弓を構える。
オーメルキンを組し易しと見たか一体のオーガが切り込んだ。矢を放つオーメルキン。それはオーガの右肩へと突き立つが、突撃は止まらない。
しかしそれ以上をティタンが許す筈も無かった。ティタンは防塵マントを翻らせながらオーメルキンの前に割り込み、雄叫びと共に突く。
オーガの胸を貫くティタンの剣。肺を破壊されたオーガは突進の勢いそのままに前のめりに倒れ、血を吐いた後動きを止めた。身をずらしてそれを避けたティタンは、オーメルキンに一瞥くれて舌打ちする。
「逃げようよ! もう充分でしょ?!」
「クソ、五月蝿い奴だ」
毒づくティタン。その隣を守るように盾を構え移動してくるセリウの兵士。
決死隊最後の一人は、少しずつ、少しずつ此方へと迫るオーガを睨みつけながら、笑った。
「ティタン、その娘の言うとおりだ。行け」
「あぁ?」
荒い息を吐くセリウの兵は右肩と右脇腹から激しく出血している。足取りもかなり怪しい。
彼は自分の命数を悟っていた。
「囮はもう要らない」
「お前は」
「血を流し過ぎた」
二人が話す間にもオーガ達はじりじりとにじり寄って来る。凶暴性は全くなりを潜め、静かに敵を追い詰めるオーガに似つかわしくない戦い方だ。
「決死隊は役目を果たした。俺も此処に残る」
「……」
「共に戦えて光栄だった」
ディオ達が撤退を開始した以上戦い続ける必要は無い。当然の事だ。ティタンは隣で盾を構える兵士の瞳を見詰める。
腹立たしい位に、澄んでいる。痛みも、出血も、だからなんだと言わんばかりの堂々たる立ち姿だ。
ティタンはそれをしっかと目に焼き付けた。自分が死ぬその瞬間まで忘れることの無いように。
彼の肩に触れ、最後の言葉を掛ける。
「名誉ある戦士に」
兵士は応えなかった。ティタンはオーメルキンの頭に拳骨を一つ落として走り出す。オーメルキンは頭を抑え泣きながらティタンを追った。
数体のオーガがそれに釣られて走ろうとするが、兵士が雄叫びを上げると目標を変えて向き直る。
「ディオ・ユージオ・セリウ万歳! 我等、ストランドホッグの同胞万歳!」
剣と盾を打ち鳴らす。敵に向けて咆哮し、それは天地を震わせる。
雲に覆われた空。身を打つ小雨。出血と疲労に震える体と、それでも闘志を失わない目。
素晴らしい立ち姿だ。走りながら一度だけ振り返ったティタンは、心の底から思った。
「俺も最後は、あんな風に死にたいモンだ」
ティタンの背を追うオーメルキンはその言葉を聞きながら更に泣いた。
ティタンを止める事は出来ない。ティタンは自分がどんなに泣き叫んでも、振り返ってはくれない。
死に方を決めるとは、そういう事なのか。
オーメルキンには分からない。
――
長く降る小雨に流石に地面もぬかるんでいた。ティタンとオーメルキンは一目散に監視塔から離れ、魔物達の姿が見えなくなってから漸く立ち止まった。
巨木に背を預け、周囲に敵の気配が無いか探りつつ呼吸を整えるティタン。ゴブリン達は勢い込んで監視塔本隊を追っている。現状この付近は安全のようだ。
オーメルキンは跪くように倒れ込み、呼吸のたびに大きく肩を揺らしている。泥まみれになるのも気にしていられないようで、ただ只管に喘いでいた。
鍛えていると言ってもまだまだ子供だ。昨日の行軍訓練から休む間も無く出撃し、更に極限の緊張に晒された。無理も無い。
冷たい声音でティタンは言う。
「オーメルキン、俺は確かにお前の面倒を見てやった」
オーメルキンは顔を上げない。
ティタンはオーメルキンに歩み寄る。膝を着き、胸倉を掴んで無理矢理顔を上げさせる。
「だが、戦いの理由まで強制する心算は無い。お前はそれを自分で決めるべきだ」
オーメルキンは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。脱げ掛かった深紅の頭巾を直してやって、ティタンは問い掛ける。
「何故来た、オーメルキン」
口をへの字に曲げて鼻を啜るオーメルキンは、何度もしゃくり上げた後に、震える声で漸く答えた。
「嫌だ、置いてかないで。死なないいで、ティタン」
沈黙する。雨の音と、遠方からの魔物の唸り声だけが聞こえている。
「馬鹿め。死ぬ気なんて毛頭なかった。……その可能性があった事は否定しないが、ディオやバルド達の撤退を見届けたら、俺も逃げる心算だった」
頬の泥を拭ってやり、ティタンは言い聞かせるように言う。
まだまだこの未熟者に教える事が山ほどある。死ねと言われても簡単に死ねる物ではない。
死を受け入れ、しかしそれに打克つ者こそ真の戦士。誰の言葉だったか
兎にも角にもティタンは大きな溜息を吐いた。
「……魔物達が追ってこないな。未だ何者かが戦っているのか……。まぁ良い」
行くぞ、オーメルキン。
ティタンが声を掛ければ、彼女は目を擦りながらのろのろ立ち上がった。
遣り辛くって仕方が無かった。




