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もう逃げねぇ8

 「バルドが遅れている? お前ら何をやっていた」

 「仕事だよ。少なくとも俺達を放り出して暴れに行った副長殿よりは、指揮官バルドの命令に忠実だったと思うぜ」

 「ロールフ、噛み付いてる場合じゃない。……副長、此処に来る少し前に敵の奇襲があった。本当についさっきだ。かなりの混乱状態で、隊の連中が逸れず戻ってこれたのは奇跡に近い」

 「ならバルドはそう遠くないな?」

 「恐らくは。だが彼はランゼー男爵を背負っていた。でかい荷物を抱えたままじゃ厳しい筈だ」


 ティタンはランゼー傭兵隊と合流し、ロールフ、アーマンズらと話し合う。


 監視塔からアッズワース方面へと三十分程駆けた場所には森と川がある。動植物の生息地と水源。当然のように魔物の影響力の強い場所だ。川は人の腰程度の深さしかないがそれなりの幅であり、架けられた橋もそれに見合う大きさと頑丈さを備えていた。


 ディオはその橋を渡ると陣を敷く決断をした。追い縋る魔物達を振り切る為に兵団は乱れに乱れ、かなりの脱落者が出ている。

 ここで続々と追い付いて来るだろう友軍の受け入れ態勢を整えたのだ。必死に落ち延びながらもディオはディオだった。


 ランゼー傭兵隊もその恩恵に預かった。彼等は果敢に戦ったが、此処は魔の領域だ。敵地であり、不利は否めない。

 それに付け加え今は魔物達が大量発生している。森、茂み。岩陰、あらゆる場所から魔物達は襲い掛かり、そのような状況でランゼー傭兵隊が一人も掛ける事無く渡橋出来たのは、ストランドホッグ兵団の助けが大きい。


 「副長、アンタが死ぬ訳は無いと思っていたが、オーメルキンもちゃんと連れて帰ってくれたか」

 「アイツに言わせれば逆なんだろうがな」


 ロールフが視線を向ける先にはオーメルキンが座り込んでいた。走り疲れ立っている事も出来ないランゼー傭兵隊に混じり、窮地から逃れた安堵と脱力で呆然としている。

 ランゼー傭兵隊は限界に来ている。前日から身体を酷使していたのに加え、不慣れな地での不慣れな戦いだ。極限の緊張が彼等を支えていたが、此処に至ってそれが緩んでしまった。

 しかし戦いは終わっていない。今でも橋の向こう側では戦友達を迎え入れる為にストランドホッグ兵団と監視塔のレンジャー達が防衛戦を続けている。


 ティタンはまず、オーメルキンを呼んだ。


 「……何?」

 「まだ、走れるな?」

 「……あたしだけ、帰れって事?」

 「そうは言わない」


 恨めしげな視線。ティタンは彼女を安心させるように言う。


 「離れるな」


 オーメルキンは跳ね起きてティタンの背後に付き従う。


 「立て! 整列だ!」


 大喝一つ。ティタンの恐ろしさを骨の髄まで染込まされた傭兵達は途端に立ち上がり整列した。

 二列横隊でティタンの前に立った彼等にティタンは告げる。


 「良く戦った! 褒めてやっても良い! それだけの事をした!

  ……だが、戦いはまだ終わっちゃ居ない。

  現在指揮官バルドが行方不明だ。奴も一廉の戦士、しぶとく戦い続けている物と俺は思う。

  それで……まず聞いて置きたい。お前等バルドが嫌いか?」


 ティタンの真正面に居る傭兵がふてぶてしく答えた。修羅場を経験した事で、大分胆力が養われたらしい。


 「アンタよりは好きだぜ。一杯奢ってくれるからな」


 途端に笑い声が広がる。


 「なら、戦うな?」


 男たちのだらしない笑みが途端に引き締まった。

 誰も彼も口を引き結び、挑みかかるような目付きになる。疲労など忘れたかのように背筋を伸ばし、ティタンの言葉を待っている。


 「奴は中々良い奴だと思ってる。俺達傭兵をまともに相手してくれる、珍しい指揮官だからな。あぁ言う奴を死なせるのは惜しい。お前らはどうだ?」


 ティタンの右隣に居たロールフが首を鳴らす。


 「支度金がまだ余ってる。傭兵の誇りって奴に懸けて、金の分は働く」


 左隣のアーマンズが、飄々と言ってのけた。


 「やるさ。程々に、上手くな」


 何処からも異論は上がらなかった。ティタンは満足げに頷き、傭兵隊を連れて歩き出した。


 橋の手前にはディオが居る。四方八方へと送り出した斥候からの情報を受け取り、迎撃の指揮を取り続けている。ディオの献身によって救われた兵士達は多い筈だ。

 ティタンは足を止め、ディオに向かって拳を掲げる。ディオは周囲を部下達に取り囲まれ、大量の情報に対処していたが、ティタンに気付くと声を上げた。


 「ティタン」

 「ディオ」


 段々と激しくなる雨。決して大きな声ではなかったが、ティタンの声は雨音に消されること無く響いた。


 「決死隊は使命を果たした。彼等の最後の姿を伝えたい。いずれ、時間を取ってくれ」

 「…………えぇ。……えぇ、えぇ、当然だわ」


 ディオは天を仰いだ。雨が降っていて幸いだった。

 雨が誤魔化してくれるのは臭いだけではない。ディオはか細い声でもう一度言う。


 「……当然、だわ……」


 深呼吸の後、視線を戻すディオ。その立ち姿に揺らぎは見られない。


 「貴方達は?」

 「指揮官とランゼー男爵が遅れている。そう遠くない筈だ。一っ走り探しに戻る」

 「危険よ」

 「承知している」

 「……貴方達の戦いに、神々の加護ぞあれ」


 互いにどちらからともなく歩み寄り、拳を差し出す。

 打ち合わされる宣誓の握り拳。それが胸を打ち、額を打ち、再び差し出される。


 ゼタは戻らなかったか。ディオは苦い物を胸中に閉じ込めながらティタンの瞳を見詰めた。


 そして互いに示し合わせたように踵を返し、それぞれの戦いに戻った。ディオは部下達に対し矢継ぎ早に指示を出し、ティタンは傭兵隊の先頭に立って橋を渡る。


 疲れ果てた身体を引き摺って、若者達は再び戦いに赴く。


 「……アイツは」

 「ティタンさ。そして奴の薫陶を受けた若造ども」


 兵士達はランゼー傭兵隊の為に道を譲り、剣を掲げてその戦いを称え、武運を祈った。

 窮地に、たったの十五名で、包囲を破るために突貫してきた若者達。どうして侮る事が、軽んじる事が出来ようか。


 「知らん内に、傭兵ギルドも多少マシになったようですな」

 「我等ストランドホッグはティタンと共に戦った事もある。アッズワースの役立たずども三百人より、彼一人の方が余程頼りになる」

 「あの男が鍛えたというなら、奴等には見込みがあるな」


 ティタンは敬礼を奉げる兵士達の中を目もくれず進む。兎にも角にも急がなければならず、戦況を見た。


 橋の向こう側で散発的に姿を見せる魔物は主にゴブリンや狼、稀に穴から這い出してくる時期を間違えたか、季節外れのサンドリザードだ。現状問題なく対処出来ている。

 しかし此処にオーガの大群が押し寄せてくると途端に状況は一変するだろう。ディオもそこが限界点と考えている筈だ。


 余り時間は無い。ティタンは防衛線を張った兵士達に一声掛けた。


 「さぁ奴が戦うぞ」

 「道を開けてやれ」


 防衛線が割れる。ティタン達に道を開ける為だ。


 途端に、ティタンは雄叫びと共に駆け出した。ぐしゃぐしゃになった地面に足を叩きつけ、泥を跳ね上げるように駆けて行く。それを負けじと追いかけるロールフ。アーマンズは弓手達を取り纏め、冷静に矢を番える。

 森の小道からゴブリン達が顔を出しているのが見えた。数は少なくとも五以上。


 「射殺せ、アーマンズ!」


 先頭のゴブリンが額を撃ち抜かれて頭を跳ね上げる。ティタンは其処に襲い掛かり、後続のゴブリンを一匹突き殺す。

 後は構わず走って抜ける。追いついてきたランゼー傭兵隊が鋭い動きで残ったゴブリンを始末した。


 ティタンの気迫が乗り移ったかのような攻め方だ。彼等は些少な戦果に笑み一つ見せず、更なる敵を求めて森へと踏み入った。



――



 森の中は魔物達で溢れていた。数十歩進むうちにゴブリンを五、六匹も見かけるような有様だ。

 戦いの音や血の臭いに惹かれ、魔物達が集りつつある。時間が経つほど状況は悪くなるだろう。


 「副長殿……これは流石に……拙いな」


 アーマンズが森の奥を見通しながら言う。ティタンは泣き言に取り合わず、前進の指示を出した。


 前方にサンドリザードの攻撃を受け流しながら撤退してくる友軍が見える。ティタンは其処に乱入し、雨に濡れて生々しく光る黄土色の巨大な蜥蜴の背に剣を差し込む。

 のたうつリザードを足で踏みつけ、予備の剣を引き抜いて更に突き刺す。リザードはびくり、びくりと二度震え、舌をだらりと垂らして動かなくなった。


 ティタンは舌打ちした。サンドリザードの活動期は主に夏の最も暑い時期で、そもそも然程好戦的な魔物ではない。此方から手出ししなければ凡そ無害の筈だ。それが今一斉に起き出して、襲い掛かってくる。偶然とは思えない。

 しかし考えている時間は無かった。リザードに襲われていた二名の兵士に向き直れば、彼等は頬の泥を拭いながら礼を述べた。


 「救援感謝する」

 「我が隊の指揮官とランゼー男爵を探している。見ていないか?」


 装いから見て監視塔のレンジャー達だ。彼等二名の内一名が森の更に奥を指差す。

 道からは外れている。茂みも深く、ここに踏み入るとなれば相応の覚悟が必要だった。


 「ランゼー男爵は恐らく駄目だ。魔物に追い立てられて完全に冷静さを失っていた。……森の中、道を外れて逃げるなど」

 「……ランゼーは一人で?」

 「いや、お前の言う指揮官らしき男が男爵を追った。勇敢な若者だ」


 言い終えると、二名の兵士は互いの顔を見合わせ、頷く。


 「我々も同行しよう。もう手遅れだったとしても、出来る事はしたい」

 「俺達二人だけじゃ手が無かったが、力を合わせれば上手く行くかも知れん」


 二名の兵士は屈強だ。浅くない傷を負っており、疲労も激しいようだが、それでも足取りは確りとしている。先程までサンドリザード相手に平然と剣を振り回していたのだ。

 ティタンは礼を述べた。戦いの経験豊富な熟練の戦士が加わってくれるのであれば、元気と士気だけが取り得の若手達を率いる者としてこれ程心強い事は無い。


 二名の兵士を加え、ティタン達は森の更に奥へと踏み込んで行く。


 「ロールフ、この戦士達と共に最後尾に着け! 背後からの攻撃はお前達を基点に対処しろ!」

 「任されたぜ副長殿」


 言いながら走るティタンの前に、更に魔物が現れる。

 とうとう出た、ワーウルフだ。背後に続く傭兵達が悪態を吐くのが聞こえた。


 「なんて時に出てきやがるんだ! 畜生!」

 「副長!」


 ティタンは足を止めずワーウルフへと襲い掛かった。背の高い草むらを掻き分け、一直線にその金色の瞳へと飛び込んでいく。

 雨に濡れた針金の如き体毛が、薄暗い森の中でも尚ぬらりと輝く。振り下ろされる鋭い爪。


 左手で抜き放たれたナイフがワーウルフの手を串刺しにした。ティタンは力任せにその手を振り払いワーウルフの体勢を崩すと、有無を言わせず剣を振り上げる。

 刃がワーウルフの首に減り込んだ。断末魔の悲鳴すらなくワーウルフは血を噴出させ、倒れ伏す。


 「油断するな! こいつらは通常三匹で群れを作る! 一匹見たら、後二匹を覚悟しろ!」


 言い終わるより早く、隊列の両側面を挟み込むように二体のワーウルフが現れた。一体は茂みの中から立ち上がり、もう一体は岩の上から高く跳躍する。


 これだから森は嫌なんだ。ティタンは吐き捨てながら走る。森の中は脅威で満ちている。平地でも強力な敵であるワーウルフは、森の中で更にその俊敏性を発揮するのだ。


 オーメルキンが茂みからの、アーマンズが岩からのワーウルフに対処した。それぞれ一矢放ち、見事に命中させる。


 「クソ! やってやるぞ!」


 傭兵達が盾を構えて其処に突進する。雄叫びを上げて、我武者羅に。

 戦うときは五人で掛かれ。無理なら逃げるか、でなければ死を覚悟しろ。ティタンが日頃から言っている内容だ。傭兵達は数に頼んでワーウルフ達を押し包み、揉みくちゃで訳も分からぬ状態になりながら突き殺した。


 ティタンは思わず唖然とし、そしてニヤリと笑った。


 経験の浅いこいつ等が、こうもあっさりとワーウルフを殺すとは。

 数人の犠牲を覚悟していたティタンに取っては嬉しい誤算だ。


 「良くやった。少し見栄えは悪いが」


 僅かに荒くなった息を整え、本心を隠しながらティタンは言う。傭兵達はその憎まれ口に引き攣った笑いで答えた。

 彼等自身も、自分で強敵を下した事に今一現実感を持てないでいるのだ。雄叫び上げて体当たりしたら、何が何だか分からない内に終わっていた。そんな感想だろう。


 ティタンは更に前進の指示を出す。マントを翻らせ、隊列の先頭の更に先、最も危険な位置で敵の気配に神経を尖らせ続ける。


 ゴブリン、狼、リザード、一通り突き殺した。無謀とも思える森の中での強行。そしてティタン達は漸くバルドを発見する。


 森の中にぽっかりと開けた空間があった。見上げるような大岩と、そして大木がある。

 その大木を背負うようにしてバルドはゴブリンの群れと対峙していた。十匹もの大群を相手に、時に咆哮で威嚇し、時に盾で堅く守り、じりじりと戦いを続けていた。


 「指揮官!」


 やるな、バルド。よく生きていた。ティタンは一気呵成に其処に切り込む。

 ゴブリン達を追い散らせば、突如として現れた援軍に安堵したのか、バルドは膝を着いて息を荒げた。


 「指揮官、無事だったな」

 「お、お前達……」

 「馬鹿げた方向に逃げたモンだ。アッズワースの森に踏み入るのがどういう事か、ランゼー男爵に伝えておくべきだったようだ」


 バルドは酷い有様だった。逃げる途中で鎧を脱ぎ捨てたらしく、装甲らしい装甲は手甲と鉄で補強されたブーツだけだ。

 剣も盾もボロボロで、特に盾を構えて敵を迎え撃ったであろう左腕、肩などは深い傷を負い夥しく血を流している。そもそも全身に傷を負っているから、「だからなんだ」と言う有様ではあるが。


 「ランゼーは?」


 バルドは背後の大木、その上を見上げた。バルドと同じように傷を負い、失神しているらしいジョーン・ランゼーが太い枝の上でだらりと手足を垂らしている。

 魔物達に追い詰められ、バルドはジョーン・ランゼーを木の上に逃がし、徹底抗戦を決めたのだ。


 その献身、不屈の闘志にティタンは破顔する。


 「もう大丈夫だ。セラン川を越えた所で友軍が陣を敷いている。そこまで行けば安全だ」


 バルドは激しく消耗しており、ティタンに答える事も出来ずに大木へ凭れ掛かる。ティタンは傭兵達に指示してジョーンを大木から降ろさせた。


 身じろぎ一つしないジョーン。ティタンはその様子に嫌な物を感じ、心臓の音を確かめる。

 冷え切った身体は、血の流れを一切感じさせない。ティタンは舌打ちしながら今度は呼吸を確かめる。


 止まっていた。血を、流し過ぎていた。


 「……おい、そんな」


 ティタンの尋常でない様子に気付き、バルドはのろのろと立ち上がってジョーンへと近寄る。

 そして今し方ティタンがしたように心臓の音を確かめ、呼吸を確かめ……ジョーンが絶命している事を確認した。


 ジョーンは死んでいた。バルドの必死の抵抗は、全くの無意味だったのだ。


 「そんな……こんな、馬鹿な……こんな事が……」


 ジョーンの亡骸の前でへたり込むバルド。彼の頭の中を様々な事柄がぐるぐると回り続ける。


 ティタンはフードを握り締め、千切れそうな程力を込めて引き降ろし、詫びた。


 「……済まない。隊から離れるべきでは……無かったのかも知れない」

 「違う……」


 バルドは掠れた声で答える。ティタンの行動は確かに隊を無視した自分勝手な物だったかも知れないが、オーガを強烈に誘引した。

 オーガ達の陽動は必須事項だった。監視塔から南側、アッズワースへと続く道にオーガ達が陣取ったままでは、そもそも撤退自体が侭ならなかっただろう。


 俺だ。バルドは掠れ声を重ねる。俺以外に無い。


 俺はまた失敗した。俺はまた……


 「俺が……俺だけ……また……」


 バルドは騎士ルーメイアを置き去りにアッズワースへと逃れた事をずっと悔いていた。ルーメイアが死に、自分だけが生き延びた事を。

 ずっと、ずっとだ。これまで指揮官としての仕事に忙殺され、それを忘れる事が出来ていた。

 だがこの期に及んでジョーン・ランゼーまで死に、そしてまた自分は生き残った。


 バルドの瞳は暗く燃えた。ティタンは唇を噛み締める。


 このような目付きの戦士を、三百年前のアッズワースで幾人も見てきた。


 彼等は大体の場合……死んだ。


 「バルド、撤退するぞ」


 バルドは応えない。

 周囲を警戒していた監視塔のレンジャーが警告を発する。


 「敵が近付いている……。オーガだ。数も多い」


 ティタンがその言葉に木々の向こう側を見れば、確かにこちらに向けて接近する大きな影を幾つも見つける事が出来た。

 じりじりと急がず、焦らず、前進してくる。その静かで恐ろしい姿にティタンは舌打ちした。


 監視塔前で激しく戦ったオーガ達だ。あれらが放つ雰囲気、間違いない。


 バルドが暗く燃えた瞳を輝かせ、剣を支えに立ち上がる。


 「……指揮官として、ランゼー傭兵隊に最期の命令を下す」


 最期? ロールフが険しい顔をしながら唸る。


 「生き延びろ。その後は……ランゼー家からの沙汰を待て」

 「バルド、馬鹿な事を考えるな」

 「俺は残る。これ以上、恥辱に塗れる事は出来ない」


 ティタンは二の句が次げなかった。バルドの言葉をこの場の誰よりも理解できるのがティタンだ。


 騎士ルーメイアを置き去りに落ち延び、主家の党首ジョーンを守りきる事も出来なかった。

 これ程の不名誉は無い。少なくともバルドはそう感じている。


 このまま生き永らえて何になるのか。卑怯者、臆病者として、自らと騎士ルーメイアの名誉を穢すだけだ。


 ならば、戦って死ぬしかない。最期の瞬間まで勇敢に戦って死ねば、いと尊き神々は必ずや認めてくださる。名誉が穢される事も無い。


 ティタンには痛い程分かった。音が鳴る程に歯を食い縛り、ティタンは漸く説得の言葉を吐き出す。


 「バルド、俺は騎士ルーメイアとの契約を果たせなかった。今それが決定的になった。この上更にお前を死なせたら、俺は英霊たちに会わせる顔が無い」

 「お前のせいじゃねぇ。俺が保証する。お前の戦友達も、きっと分かってくれる」

 「バルド、頼む」


 木々の向こう側で、オーガ達の半分が進行方向を変えた。ゆるり、ゆるりと森の中に浸透し、ティタン達を包囲する構えだ。


 「傭兵、決断が必要だ。囲まれるぞ」


 レンジャー達は油断無く身構えながら言う。雨は激しくなり、雨音が全てを掻き消して行く。


 バルドがティタンをジッと見詰める。酷く落ち着き払っている。目が、死を受け入れていた。


 「俺はもっと早くに死ぬべきだった」

 「馬鹿を言うな」

 「だって、そうじゃないか。騎士ルーメイアの時だって……。そうさ、ルーメイアよりも先に、俺が死ぬべきだった」

 「自分がどれだけ出血していたか覚えてないのか? 騎士ルーメイアがお前を逃がさなければ、両方とも死んでいた」

 「それが正しい姿だった!」


 突然、バルドは吼えた。今まで胸のうちに燻っていた暗い炎を吐き出すように。


 「一度は主を置き去りにして、二度目はこれだ! ……こんなに馬鹿な事は無ぇ! 俺だけが生き延びて、どんなに惨めだったか! 俺は間違えたんだ! 彼女と一緒に死ぬべきだった!」


 クソ、クソ、とティタンは唸った。バルドの言葉はまるで自分の言葉だ。アメデューを失い、八つ当たり染みた戦いを続けていた時の。

 自分は戦う意義を見つける事が出来た。アメデューと戦友達がその防衛のために命を賭したアッズワース、ひいてはクラウグスの為に戦うと、誓う事が出来た。


 だが、バルドには何も残らなかった。


 何もいえない。これはバルドの矜持の問題だ。彼の持つ誇りを否定する事は出来ない。蔑ろにする事は出来ない。


 ティタンには、絶対に、出来ない。


 「これ以上恥を晒して堪るかよ! 俺はもう間違えねぇ! 俺は!」


 バルドは決定的な言葉を発した。

 盾を前に突き出し、その上に剣の腹を寝かせて重ねる。


 クラウグスの戦士の戦いの姿。オーガ達に向けられたその立ち姿から、死の覚悟が気炎となって立ち上る。不退転の覚悟が見て取れる。



 「もう逃げねぇ」



 ティタンは目を伏せた。


 「囲まれたぞ! どうする!」

 「副長、引き摺って行こう! 指揮官は冷静じゃない!」

 「何を迷ってんだ?! おい、副長!」


 ティタンは吼えた。


 「囲みを破る! 付いて来い!」


 血相を変えて噛み付くロールフ。


 「冗談だろう?! 置いていく気かよ!」

 「バルドの決めた事だ。彼の矜持を穢す事は出来ない」


 オーメルキンが蒼褪めてティタンのマントを引っ張った。


 「それって、だって、そんなの……おかしいよ。そんなの必要ないでしょ!」

 「オーメルキン、全ての者が生きる為に戦う訳じゃない」

 「で……でもさ、でもさぁ……!」


 二名のレンジャーはバルドの戦いを肯定する。若い傭兵達と歴戦の精鋭達の間には、大きな死生観の差があった。


 「その指揮官の意志を尊重すべきだ。彼は何も間違ったことは言っておらん」

 「事情はおぼろげにしか分からんが、二度も仕えた主を守れなかったとしたら……俺だって死を選ぶ」


 更に激しくなる雨の中、瞬きもしないバルド。雷が鳴る音を聞き、彼は天を仰ぐ。


 「あぁ雷だ。主神レイヒノムが、祝福して下さっている」


 そして、叫んだ。


 「行けぇ! ランゼー傭兵隊! 名も知らぬレンジャー達! 生き延びろ! せめて俺の死が、意味のある物だと思わせてくれ!!」


 その時、森の一角が巨大な炎の渦に包まれた。その炎は激しい雨を物ともせずに多くの木々とオーガを飲み込み、空白地帯を作り出す。

 かと思えばその炎は一瞬で消え去った。まるで幻であったかのように。


 魔法の炎だ。それ以外に説明がつかない。ティタンが目を凝らせば、木々の陰から藍色のローブの人物が姿を現す。


 「こっちよ! 急いで!」


 女の声だ。今の炎を放った魔導師だろう。ティタンは傭兵隊に怒鳴りつけた。


 「行くぞ! これ以上何か言うなら、この場で俺が殺してやる!」


 傭兵達は歯軋りしながらティタンに従った。ティタンは先頭に立ち、魔導師の作った包囲の穴に飛び込む。



 激しい雨と風。雷が轟き、天を割く。


 遮二無二彼等は駆けた。深き森、深き茂みの中を。


 ディオが陣を敷いた川に戻り、橋を渡り切った時、傭兵達は一斉に膝から崩れ落ちた。長い戦いに限界まで消耗した彼等は、今度こそ立ち上がれない。


 「ティタン様! 遅参をお許しください! このアバカーン、如何様な罰も受ける所存で……!」

 「し、アバカーン、待ちなさい」


 ディオの敷いた陣には援軍として駆けつけたらしいパシャスの巫女達が参加していた。ティタンに甲斐甲斐しく侍る五人をはじめ、アッズワースの防衛に貢献する十数名の神官戦士達。


 彼女達はティタンの姿を認めると息せき切って馳せ参じ、跪こうとしたが、ティタンは全くそれを省みる事無く橋の向こう側へと向き直る。


 ディオもティタンの帰還に気付いた。ティタンと、そして彼女の懸念であった藍色のローブを纏う魔導師ゼタ。彼等の帰還を心底から喜び、言葉に表そうとしたが……。


 「ティタン! ゼタ殿! よく……」


 ティタンの背を見ると、その言葉も萎んで消えた。



 ティタンは牡鹿の剣を抜き地面に突き立てる。跪き、激しい雨を降らせる天を睨み、防塵マントを脱ぎ捨て、同時に手甲を剥ぎ取って放り出した。


 水溜りに浸かる手甲。水を吸って重たくなったマントがどちゃ、と音を立てて泥まみれになる。ティタンはぜぇぜぇと荒い息を吐きながら、吼えた。


 「神々よ! 英霊達よ!」


 ナイフを握り締め、利き手である右腕を裂く。吹き出した血が雨に流れ、大地に染み込んで行く。


 「我が血を奉げる! 我が咆哮を奉げる! そしてこれより訪れる数々の戦いに置いて、強敵達の首級を奉げる事を誓う!」


 そしてまた、吼える。


 「多くの戦士達に安らぎを与え給え! 彼等を称賛と共に迎え入れ給え! そしてそれのみでなく、彼等に、彼等が最も望む物を与え給え!」


 跪くティタン。その雄叫びに誰も身動きできない。息を止め、声すら出せず、只管にティタンの背を見詰める。


 雷雨を打ち破るかの如き咆哮が、ただただ響いた。


 「名誉と――栄光をォッ!!!」



――



 「……今更言うが、あれで良かったのかも知れねぇ」


 傭兵ギルドアッズワース支部で、ロールフは周囲の者達に向けてポツリと呟く。


 あの撤退戦から三日、雨は降り続いた。今はそれが嘘だったかのような快晴を見せている。


 「親父が言ってたのさ。……戦士は、死にたいと思った時が死に時だ。指揮官バルドにとってはあの時がそうだったんだ」


 誰も何も言わない。朝の混雑が引いた真昼のギルドの片隅で、ランゼー傭兵隊は静寂を保つ。


 「……俺は、そこいらに溢れてるようなクソくだらねぇ兵士どもや同業者よりも……指揮官バルドに共感するぜ。皆は笑うかも知れねぇけどな」

 「笑わないさ、ロールフ」


 アーマンズが肩を竦めた。ロールフはそうかとだけ呟いて、ギルドの受付に視線をずらす。


 ティタンとテロンが話し合っている。ランゼー傭兵隊の進退についてだった。

 だが、どうなるかは大体予想できている。ランゼー男爵家は党首が死に、傭兵隊の指揮官であったバルドも死んだ。扱い辛い連中を飼って置く余裕は無いだろう。


 それに関してはティタンも同意見であり、テロンから伝えられる内容も概ね予想通りの物だった。


 「……こんな結果になってしまい、私としても残念です。……しかし、貴方達がどのように戦ったかは全て聞き及んでいます。ギルドは貴方達を讃えるでしょう。アッズワースを守る多くの兵達も」

 「気遣いに感謝する。特にギルドの支援に関しては、深く」

 「ギルドは貴方達の真摯な働きに報います。今回の事に関しても」


 ティタンは話を打ち切り、傭兵達の元へと戻った。


 「……俺達の契約は破棄された。ランゼー男爵家はこれからゴタゴタする。俺達に関わっている余裕はないそうだ」


 誰もが予想していた事だ。疑問の声は上がらない。


 「お前達の戦いに見合う褒賞と、一月分の給金は支払われる。ギルドが交渉してくれた。まぁ、テロンに感謝しておけ。……話はそんな所だ。さぁ、何処へなりとも行くが良い」


 元、ランゼー傭兵隊は一人として立ち上がろうとしない。


 ティタンが訝しげな顔をすると、全員を代表してロールフが話し始める。


 「そりゃ良かった。詰まり俺達には余裕がある」

 「だらだらしていれば一瞬で無くなる」

 「そこら辺は自分で考えるさ。……だが俺達皆、今更他のしょうもない連中と付き合って行くのが億劫でよ……」

 「何が言いたい」

 「アンタが良ければ、だが、もう少しの間訓練をつけてもらいたい。……当然礼はする」


 ティタンは暫く沈黙し、無感動に答える。


 「物好きな奴等だ。……良いだろう」



――



 ティタンはギルドを出ると市に足を伸ばし、瑞々しい果実と砂糖菓子を購入した。


 その途中でパシャスの巫女が一人、タボルが姿を現す。

 彼女達は普段、ティタンに余り姿を見せないよう陰ながら護衛を行っている。何か緊急の用事かと思ったが、タボルは何も言わずティタンの背後に付き従う。


 穏やかで、優しげで、何処か憂いのある眼差しが酷くティタンを困惑させる。語りかける言葉は自然、ぶっきらぼうになる。


 「呼んだ覚えは無いぞ」


 タボルはティタンに深く一礼するが、姿を消そうとはしなかった。


 「ティタン様、御傍に侍ります。貴方の憂いが晴れるまで」

 「鬱陶しい奴だ」


 言葉とは裏腹に、ティタンはタボルを追い払おうとはしない。

 そのまま二人は雑踏を抜け、ティタンのねぐらである宿、白い小鳩亭へと戻る。


 自室に入れば、ベッドに横たわったオーメルキンが二人を出迎えた。


 「お帰り、ティタン。……えっと、巫女様も……」


 雨の中を走り、戦い、極限まで消耗したオーメルキンは体調を崩した。三日経ち、漸く回復してきた所だ。


 ティタンはオーメルキンに果実と砂糖菓子を渡す。オーメルキンはおずおずとそれを受け取り、ゆっくりと口端を綻ばせた。


 「有り難う、ティタン」

 「早く身体を治せ」

 「うん」


 二人の関係は少しぎくしゃくしている。理由は言うまでも無い。

 ティタンはオーメルキンが戦士の生き様を受け入れられないのを当然だと考えていた。オーメルキンは若く、育った環境もティタンとは違う。時間が掛かっても仕方ない。


 タボルがベッドの横に準備されている水桶に手を居れ、布を絞ってオーメルキンの額を拭き始める。実に慣れた動作で、澱みなかった。


 「有り難う、巫女様」


 タボルはにこりと微笑んだ。戦いの場でも無ければ、穏やかな女だった。



 急げよ、とティタンは胸中で呟く。時間が惜しかった。


 激しい戦いが訪れる。そしてそれはこちらの都合に合わせてはくれない。


 ティタンの予想は根拠の無い憶測ではなかった。常軌を逸した魔物達の大量発生。確かな知性を感じさせる統率された戦い方。そして、明らかに異質なオーガ達の武装。


 悪しき神々の意志を乗せて、闇の軍勢が押し寄せてくる。ティタンにはハッキリと分かる。

 恐らくはパシャスの言うとおり、大きな戦いとなるのだろう。


 バルド、と一つ呟く。

 お前にはもっと生きていて欲しかった。


 ティタンの胸中に去来する割り切れない感情。それを無理矢理呑み込んで、ただ彼の安らかな眠りを祈った。




 そしてそれは訪れる。激しい戦いの季節が。


 ゴブリン、オーガ、ワーウルフ、様々な魔物達が跳梁跋扈し、アッズワース要塞は否応無く戦いの渦に飲み込まれて行く。


 クラウグス王国新歴324年、春。北の大地は、近年稀に見る大規模な防衛戦へと突入した。


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― 新着の感想 ―
感想少ないな
[良い点] 生きていてほしかったですね
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