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もう逃げねぇ1

暑が夏いんじゃん。体調崩さないように皆様も気をつけてくださいなんじゃん。

 爽やかな風が吹くようになった。



 厳冬を越え、風には仄かな花の香と暖かさが混じるようになる。人々は燦々と差す陽光に眉を開きながら外を練り歩き、仕事に精を出す。


 アッズワース要塞は活気付く。春が訪れた。これから増え始める魔物に備え、この北部の守りの要たる戦闘要塞は戦力の増強を始める。


 新たな戦いの季節が訪れようとしている。ティタンは傭兵ギルドアッズワース支部の掲示板を眺め、何とも言えない顔をした。


 「新規ギルド加入者への講義……?」


 ギルド掲示板は傭兵の募集やギルドからの告知を張り出すための物だ。受付横に大きな一枚板が設置されており、傭兵達から質問があれば受付の人間が速やかに答えられるようになっている。何せ傭兵達の大多数は余り教養が無い。


 これまで魔物の耳しか取ってこなかったティタンには余り馴染みのない物だ。納品依頼も、戦力募集もそっちのけ。一匹狼を気取っていたティタンはこれまでそういった物を無視して来た。


 しかし何の気無しに目を遣ると、でかでかと大振りな文字で何やら張り出してある。声に出して首を捻るティタンに、受付にいたテロンが羊皮紙の束を処理しながら声を掛ける。


 「ここ一ヶ月の間にギルド登録された傭兵の方への講義です」

 「ひよこのお守りか。……今までこんな物があったのか?」

 「いえ、新しく赴任されたギルド支部長の方針です」


 ふぅん、とティタンは興味なさ気に相槌を打つ。ティタンは傭兵ギルドアッズワース支部所属と言う事になっているが、帰属意識は薄い。支部長の首が挿げ代わった事も知らなかった。


 「まぁいい。一ヶ月と言う事は、俺は参加しなくて良いんだろう?」

 「えぇ。素行の悪い方は期間に関係なく出席を義務付けられていますが、ティタンさんなら問題ありません」

 「新しい支部長殿は随分と口煩いようだな」

 「私から言わせて貰えば、寧ろこれまでが異常でした」


 多少同意できるな、とティタンは零した。アッズワースでの傭兵の素行はお世辞にも良いとは言えない。

 数日前にもアッズワースの往来で傭兵が乱闘騒ぎを起こした。ここ最近アッズワースに訪れた若い傭兵の集団らしく、古参と新参の間に奇妙な確執が生まれている。


 ティタンに言わせれば古参も新参も無かった。腕前も志も似たり寄ったり。見るべき物のない連中が評価するに値しない物を無意味に競い合っているだけだ。


 「春だな」

 「はい?」

 「若いのが増えて騒がしくなった」


 猛烈な勢いで動いていたテロンの羽ペンが止まる。


 貴方も若いでしょう、と言い掛けてテロンは止めた。ティタンの年齢が二十八歳でギルドに登録されている事を思い出したのだ。

 幾ら若作りで通したとしても年を誤魔化し過ぎだろうと内心では思っていたが、テロンから見たティタンは優良な傭兵だ。多少問題に巻き込まれる傾向があるようだが、彼自身は乱暴を働くわけでも、犯罪に走る訳でもない。ならばそれぐらいは大目に見る。


 それに二十八歳と言われてもまぁ納得できる落ち着きがある。若い傭兵なんて言うのは、テロンから見ても根拠の無い全能感を大なり小なり持っており、それのせいで周囲と衝突してばかりだ。

 血の気が多いのである。それを考えればティタン等は全く優等生と言っても良かった。


 また、ティタンはアッズワースに訪れてそれ程時間が経っていないため知名度は今一つだが……その功績は群を抜いている。ギルドの看板として売り出しても良い強さと討伐実績があるし、以前セリウ家に雇用された際の評判も非常に良かった。……契約については多少言いたい事もあるが。


 ギルドとしては優遇したい構成員なのである。


 良い機会だ。テロンは一呼吸置き徐に切り出した。トントンと羽ペンで羊皮紙を突く仕草が如何にも勿体振っていた


 「ティタンさん、貴方の討伐実績は他とは隔絶した物です。この半年足らずで驚くほどの敵を倒している。傭兵の間で貴方の名は静かに、しかし確かに存在感を強め、アッズワースの一部の騎士や高級将校にまでそれは及んでいます。以前の黒いワーウルフの件もそうです。今はまだ眉唾物と考える人が多いでしょうが、そう遠くない内に気付く事になる。傭兵ギルドアッズワース支部のティタンが、真実ワーウルフなど物ともしない剣士だと言う事に」

 「お前が人を煽てようとするとは……珍しいな」

 「えぇ、えぇ。今後はこのような事が増えると思ってください。私のように貴方を褒めそやし、煽て、取り入ろうとする者が出てくるでしょう。いや、もう既に居るのかも知れませんね。……まぁ、どういう人物と付き合うかは貴方の自由です。しかし……」

 「……しかし、何だ。俺に媚び諂う者が居たとして、俺がソイツ等に乗せられて分別を失い、恥を晒すと思っているんじゃないだろうな」


 名誉と栄光は、戦士達が命を賭して望む物だ。そして時にそれは戦士達にとって毒に成り得る。


 堅固な精神と肉体を具えた人物が栄光を掴んだ途端堕落した話はそれなりにある。煽てられて調子に乗り、身を持ち崩すとでも心配されているのか? ティタンは眉を顰めた。


 「……これは、どうやら余計な御節介だったようですね。お許しを。ティタンさんはギルドにとって非常に有益な人材です。詰まらない事で失いたくないんですよ。……出来れば魔物の素材の回収を……あぁまぁ、これは今は置いておきましょう」

 「ふむ……過分な評価痛み入る、と言って置くか」

 「少し前の揉め事で、熾烈な牙傭兵団と協力したと聞きますが?」

 「……確かに、詰まらない犯罪者の動向を知るためソーズマンを頼った。だが、それが?」

 「いえ、今後はギルドも頼って欲しいな、と。それだけです。アッズワース支部は貴方の働きによって影響力を増しています。職員一同吃驚していますよ。たった一人の傭兵の働きが、明らかに支部の発言力に影響を及ぼしているんです。……ギルドは今後貴方をより一層擁護し、便宜を図るでしょう。それが正しい事の為ならば尚更。貴方にはそれを享受し、心置きなく日々の戦いに臨んで欲しいと思っています」


 ティタンは訝しげな顔になる。テロンと言う人物は、そういった贔屓が大嫌いな気性だと思っていた。


 「贔屓? 冗談でしょう」


 テロンはからから笑って見せた。どうやら本気で言っている。


 邪推出来ない事も無い。熾烈な牙傭兵団の影響力は、ギルドにとって余り面白いものではない筈だ。

 俺とソーズマンが仲良くしている(ように見える)のが、目障りなのかも知れんな。ティタンは顎を擦りながらテロンをジッと見る。


 俺を骨抜きにでもしたいのかな。


 ティタンの視線に気付かない振りをしつつテロンは話を変えた。


 「あぁ、そうそう。個人契約を結ぶ時は、事後でも良いですからちゃんとギルドに報告してくださいね。……セリウ伯名代殿の時のような契約をされると、ギルドでも少しばかり面倒な手続きが必要なので」


 詰まり、ギルドの頭越しに契約を結ばれるのは面白くないと言う事だろう。

 あれやこれやと心配事が多くて大変だな、とティタンは言った。些か辟易としたその姿に何を感じたのか、テロンも思わず、と言った感じに溜息を吐いていた。



――



 「新顔が増えたね」


 偉そうな事をオーメルキンが言っている。彼女は頭に巻いた深紅の布の位置を頻りに直しながら、にししし、と笑っていた。


 「その頭巾は?」

 「ミガルがくれたんだ。こういうのも気を使えって。良くわかんないけど」


 褐色の肌の大女を思い出してティタンはうーむ、と唸った。細かい刺繍の施された深紅の頭巾は、どうやらミガルの贈り物らしい。

 子供でも女は女、洒落っ気を出せと言う事か。その割に、ミガル本人は装飾品等に気を使っているようには見えないが。


 牙の首飾り、深紅の頭巾、使い込まれた外套、誂えた革鎧。オーメルキンは自身の歳すら正確に記憶していないが大体十四歳。子ども扱いは免れないが、確かに戦士としての装いを整えている。

 ティタンの施す厳しい訓練にも慣れ、実戦を積み、余裕が出てきた所だった。


 「毎年春になるとこうなんだ」


 オーメルキンは話を戻した。余裕が出てくると色々な事が目に留まるようになる物だ。彼女の視線の先では頻りに周囲を見回しながらおっかなびっくり歩く若者の姿がある。

 着ている物はみすぼらしく、靴は擦り切れそうな有様だ。何処かの貧農の出なのか、身体だけは細身ながらも逞しい。

 鎧どころかまともな靴も無いくせに、腰には碌に手入れもされていない手斧を下げている。傭兵……の心算らしかった。


 「……何処の家でも、次男三男は肩身の狭い思いをしている。それは騎士だろうが農民だろうが変わりない」


 オーメルキンに歩くよう促しながらティタンは言う。二人は連れ立って歩き、職工街を目指す。


 「先祖伝来の畑を継ぐのは大体の場合長子だ。他の兄弟姉妹は小作人扱いされる。傭兵になって一旗上げようと考えるのは不思議じゃないな」

 「ふーん……。あたしは飯が食えるだけ良いと思うけどなぁ……」


 オーメルキンの言葉には重みがある。居場所も何も無くアッズワースの路地裏を這いずり回っていた者の実感が篭っていた。


 他愛無い話を続ける内に職工街に辿り着く。目指すのは職工街の東にあるミガルの工房だ。


 ミガルは今日も熱心に鋼と向かい合っている。豪放で気風の良い性格の癖に病的なまでに丁寧な仕事をするミガルは、今は革鎧の脇腹を編み上げている所だった。


 「ミガル、何してんの?」

 「おー良く来たねメルキン。鎧を作ってんのさ。新入りどもにも手が出せるような、安い奴をね」


 懐っこい子犬のように駆け寄るオーメルキン。ミガルは朗らかに笑ってオーメルキンを歓迎した。姐御肌の彼女にとってオーメルキンは可愛い可愛い妹分だ。

 オーメルキンの鎧を作り、オーメルキンが仕留めた狼の牙を首飾りに加工したのもミガルだ。馬が合うとでも言うのか、ミガルとオーメルキンは短い付き合いながら非常に仲が良い。


 「……良い仕事だ、相変わらず」


 革鎧を一瞥してティタンは言う。ミガルは鼻の頭を掻いて照れ臭そうに笑った。


 「忙しくしているようだな」

 「この時期は大体ね。兵士も傭兵も、がらりと顔ぶれが入れ替わる時期だ。新入り達の剣と鎧を面倒見てやらなきゃならないのさ」


 作業を中断して、ミガル。昼時だが、朝から集中して作業を続けていたらしいミガルは大きく伸びをする。


 「ふ……む、良い事だと思う。アッズワースにはお前のように、若手を気に掛ける鍛治師がもっと必要だ」

 「煽てるなよ」


 ミガルは照れ隠しの心算なのかティタンの背中を思い切り叩いた。煽てている心算は当然無かった。


 鍛治師達とて商売でやっている。金にならない新入り達……言ってしまえば、先ほど通りで見かけた錆びた手斧を下げたような手合いの相手など時間の無駄だろう。


 だがそういう者にこそまずまともな装備が必要だ。それ以上に必要とされるのが戦いの知識と経験なのは間違いないが、ミガルのような真摯な職人が居るか居ないかで彼等の生存率は大きく変わってくる。


 「皆、先達に導かれて一人前になる。生まれたその瞬間からゴブリンと切り結べるような奴は居ない。……最近見かける新入り達は確かにここの流儀も知らず、みっともないかも知れないが……、それでも相手をしてやるべきだ。お前のことを尊敬する」

 「だから、止めろって」


 あんまりにもミガルが声を荒げるのでティタンもそれ以上は控えた。工房仕事一筋のミガルはこういった言葉に不慣れらしい。そこが妙に可愛く思えた。


 ミガルは照れを誤魔化すように言う。


 「メルキンの剣だろう? 上がってるよ。確かめな」


 その言葉に従い、ティタンはオーメルキンと二人でミガルの工房に入り、小剣の具合を確かめた。

 小剣は鈍い輝きを放つ。ティタンはオーメルキンに武具の手入れを怠らないよう言っており、オーメルキンも忠実にそれを守っているが、矢張り本職の仕事には及ばない。

 剣が生まれ変ったようにも感じる。依頼したのが二日前、急な仕事だったがミガルは完璧な仕事をしてくれた。


 「ありがとうミガル」

 「おー良いって事よメルキン、得物を大事にしな」

 「急な話ですまん」

 「あぁ。……ただ、これから忙しくなるからこれまでみたいには行かない。悪いんだが、暫く慰霊碑の補修は……」


 ミガルは言い辛そうに眉を顰めた。ティタンは仕方ない、と答える。


 ミガルには以前からアッズワースの霊地、三百年前の慰霊碑の補修を依頼していた。当然本来なら個人が個人に依頼するような規模の話では無い。

 だから特に期限を設けたりはしていないし、ミガルも空いた時間を使って少しずつ補修を進めている。今更ぐだぐだ言う事は無かった。


 「割と無茶を言っているからな。お前の都合の良いようにしてくれ」

 「そう言って貰えると助かるよ。最近、大口の依頼が入ったばかりでね」

 「邪魔をしても悪い。そろそろ行く」


 ティタンは小剣を太陽に掲げて目をキラキラさせているオーメルキンを呼び付けた。

 皮袋から銀貨を一握り、六万クワン。小剣の研磨の代金としては少し行き過ぎた額だ。


 だが、何事にも勉強料と言う奴がある。相手に無理を強いたのなら、相手が何も言わずとも心配りをする物だ。


 「代金だ、今後も頼む」

 「おう、気前が良いね。相変わらず稼いでるようだ」


 軽く手を振り合って、二人はミガルの工房を出た。


 ミガルの言う大口の依頼とは、工房に所狭しと並べてあった革鎧の事に違いない。新入りでも手が出せるような安価な革鎧……ミガルがどういう依頼を受けたかは、想像できた。



――



 この時期はアッズワースの北のみならず、南方面でも魔物が増える。隊商や軍の輸送隊等は護衛を増やす必要があり、それはハッキリとした輸送コストの増加になっている。

 しかし人と物の需要が高まるこの季節、商人達の行き来は絶えない。アッズワースの南門は人で溢れていた。


 傭兵達は朝方に仕事に向かい、夕暮れ前には戻る。それぞれの成果をギルドに報告して褒賞を得、後は酒場で管を巻き、武勇伝に花を咲かせる。

 早朝から展開される朝市で商機を逃した商人達の勝負時はその辺りだ。僅かながら金銭を得て気分を良くした傭兵達に物を売る為に、昼にアッズワース入りして準備しようと考える者は多かった。


 そんな商人達が入場手続きの為に列を成す南門で、兵士達が揉めていた。一人が門兵に食って掛かっているようで、それは大層な剣幕だった。


 「ティタン、あれ」


 門兵に食って掛かるのは歳若い兵士だ。浅くない傷を負っており左の脇腹から腰にかけて赤く染まっている。


 ティタン達が何の騒ぎだと見詰める中、歳若い兵士は怒り狂い、とうとう門兵の一人の胸倉を掴んで締め上げ始めた。たちまち周囲の兵士達に取り押さえられる。左肩を痛めているらしく苦悶の声を上げた。


 「この臆病者ども! 俺とは戦える癖に、ゴブリンとは戦えないのか! 畜生、恥を知れ!」


 怒鳴り声にティタンとオーメルキンは顔を見合わせた。手早く手続きを済ませて門の外に出ると、揉め事の最中に踏み入った。


 「話を聞かせて貰いたい」

 「お前らは? 傭兵か」

 「問題の解決に手を貸せるかも知れない」


 取り押さえられながら身を捩る兵士がティタン達に気付く。


 「傭兵か?! 手を貸して貰いたい!」

 「それじゃ解らん」

 「俺の主、騎士ルーメイアがゴブリンの群れに襲われている! 南東の平原だ! こいつ等は門にへばりついている事しか出来ない臆病者で、役に立たない!」


 兵士は頭に血を上らせて罵声を撒き散らす。


 「街道警備の隊は?」

 「……別の場所でも問題が起きている。これ以上は手が回らない」


 門兵達は難しい顔をしていた。無情な言葉だった。


 ティタンは即座に決断した。


 「馬を貸すぐらいは出来るだろう」

 「一傭兵に? ……流石に無理だ。お前が馬を金に換えて行方を眩ませないと、どうして約束できる」

 「その時は、その勇ましい奴から金を取れ」


 視線を向けられ、門兵達に取り押さえられたままの若い兵士は喚いた。


 「は、払う! その時は必ずや補償する!」

 「だ、そうだ。…………どうした、急げ! 何もせずに同胞を見捨て、名誉ある祖霊達に顔向け出来るのか?!」


 ティタンは急激に気配を変えて一喝した。腹の底まで響く、オーガのような咆哮だった。


 怒鳴り付けられた門兵は弾かれたように走り、馬を一頭牽いて来る。ティタンはそれに跨るとオーメルキンを引っ張り上げ、自分の前に座らせた。


 「お前ら、いい加減に離せ! ……傭兵、敵の中には最初オーガも居た! 直ぐに何処かへと消えたが断言は出来ん! 俺も行く!」

 「止めとけ」


 門兵の拘束を振り払った兵士にティタンは冷たく告げた。

 何故だ、と詰め寄ろうとした兵士が唐突に膝を着き、呻き声を上げる。


 「興奮していて気付かなかったようだが、血を流し過ぎている。それ以上動けば死ぬぞ」

 「くそったれ、ふざけるな、俺も……」


 ティタンはそれ以上取り合わなかった。即座に馬を南東へと走らせる。


 南東の平原はアッズワースから出て小高い丘を超えれば、後は僅かに背の低い草が生えるばかりで本当に何も無い場所だ。地平線まで何の問題もなく見渡すことが出来、何かあればそれを察知することは容易な地形だった。


 事実、ティタンは詳細な位置を知らずとも兵士が言っていたらしい戦いを見つける事が出来た。


 破壊された荷馬車らしき物の傍で騎士が一人大立ち回りを演じている。二十匹を越えようか言う程のゴブリンの群れに取り囲まれた状態だ。幸いにもあの兵士が言っていたオーガは居ないようだが、この数相手では歴戦の勇者すら持て余すだろう。


 馬を駆り立てながらティタンはしかし上手い戦い方だ、と漏らした。騎士は猛烈に剣を振るったかと思えばがっちりと盾を構えて睨みあい、ゴブリンの群れに対して巧みに時間を稼いでいる。それをずっと繰り返しているようで、個人の働きとしては破格と言って良い。


 しかし人間一人の出来る事には限界がある。激しく戦い緊張状態を維持すればあっと言う間に疲弊する。ティタンが駆け付ける直前、とうとう騎士の一瞬の隙を突いてゴブリンが背後から飛び掛った。


 「オーメルキン! 弓で狙えるか!」

 「無理だよ! こんなに揺れてたら!」

 「ならソイツをしまえ! このまま突っ込むぞ!」


 転倒する騎士にゴブリン達が群がっていく。汚らしい子鬼達はその残虐性を剥き出しにし、四方八方から騎士に喰らいつき、棍棒を叩き付ける。


 「馬の首にしがみついてろ!」


 ティタンはオーメルキンに短く言い、牡鹿の剣を引き抜き馬上で身を引き絞った。馬の右側に身を傾かせ、ともすればそのまま馬上から転げ落ちそうな程前傾姿勢になる。


 「Woooo! Vaaaaan!」


 突撃、雄叫び。


 ティタンの駆る馬はゴブリンの群れに突っ込んだ。馬蹄に跳ね飛ばされた数匹と、ティタンの一振りで両断された数匹。

 ティタンは転がるように馬から飛び降り、再び雄叫びを上げてゴブリンの群れを威嚇する。オーメルキンもそれに続いて飛び降り、小剣を構えた。


 眼前のゴブリンに向けて一歩踏み出す。一瞬前まで嫌らしい笑みを浮かべながら獲物を嬲っていた子鬼は恐れ慄き、ぎゃぁぎゃぁと喚きながら転げまわる。ティタンは容赦なくその首を撥ねた。

 その横から健気にも立ち向かってくる一匹。ティタンは棍棒を振り上げたゴブリンが、それを振り下ろすよりも早く突きを放ち、胸を貫いて絶命させる。流れるように澱みない、予定調和のような動きだ。


 背後から飛び掛るゴブリンがある。ティタンは視線を向ける事もせず剣を逆手に持ち替えて背後に突き出す。手には確かな感触が残り、どさりと何かの倒れる音がする。


 素早く構えを取り、油断無く精神を研ぎ澄ます。

 ティタンは頭だけではなく背にも目を持つ、と評された戦士だ。如何なる奇襲も、この男には通用しない。


 「醜い化け物め! 俺と戦って見せろ!」


 更なる大喝。ゴブリンの群れはティタン一人に完全に気圧されていた。

 容赦なく飛び掛るティタン。その様は激しい風のようで、ゴブリン如きは木の葉のように跳ね飛ばされ、息絶えるしかない。

 オーメルキンも絶叫を上げて後ろに続く。短いながら入念に戦いの為の鍛錬を積み、ティタンの背を追い続けた。今更ゴブリン相手に怖気付きはしなかった。


 二人の繰り出す鋭い刺突。新たに二匹のゴブリンが倒れ、それが決め手となった。

 ゴブリン達は泣き喚きながら逃げ出したのである。オーメルキンがダメ押しとばかりに雄叫びを上げながらそれを追い散らし、戦いは決着した。


 ティタンは荒い息を静めながら牡鹿の剣の血を拭い、鞘に収めると、倒れた騎士の状態を確かめる。


 「ティタン、やばいよ」

 「女か」


 酷い有様だった。鎧に守られた部分は兎も角、太腿や脹脛、脇腹などから大量に出血している。特に首を食い破られたのが拙い。一目見て危険だと分かる程の出血だ。


 それに棍棒でしこたま打ち据えられたようだ。鼻が折られ、頬には見るに耐えない痣がある。息が細く、今にも途絶えてしまいそうだ。


 「……貴公……すさ、まじい……腕前……」

 「死にたくなければ黙っていろ」


 鼻腔、口腔に血が堪っているのか、ぐぶりと赤い泡を吐く騎士。


 何か言おうとするのを黙らせマントと鎧を脱がせると、ティタンは応急処置に取り掛かる。

 革紐で足の出血の酷い部分を縛り上げ、脇腹も布を当てその上からきつく縛る。首にも息が止まらない程度に同様の処置をして、ティタンはその身体を担ぎ上げた。


 馬は戦いの最中逃げ去ってしまったようだ。平原の彼方、走り去る後姿が見える。思わず舌打ちした。


 「馬車の……荷を……」

 「そんな事を気にしている余裕は無いと思うが?」

 「どう……しても……。せめて……金貨……」

 「……ったく。オーメルキン」


 オーメルキンは荷馬車の中から手早く当たりをつけ、皮袋を引き摺り出した。中に詰まっているのは驚くべきことに、銀貨ではなく金貨だ。

 オーメルキンが抱えられる程の大きさしかないが、全て金貨ならかなりの金額になる。ティタンはそれを確認するとアッズワースに向かって走り出す。


 「あの世でも金貨が使えれば良いがな」


 ティタンの皮肉。女騎士はせめてもの意地なのか、にやりと笑って見せた。


 ティタンはオーメルキンが驚くほどの速さで掛けていく。息は乱れる物の人一人を担いでいるとは思えない足取りで、そしてそれが衰える事も無い。


 しかし馬よりは遅い。歯痒かった。


 「ティタン、巫女様だ!」


 オーメルキンが歓声を上げる。アッズワース方向の小高い丘から馬を駆ってくる者達があった。若木の刺繍が施された聖印のローブ。パシャスの巫女達だ。


 先頭を走るのはアメデューに似た女。希望が見えた。


 「貴公……」

 「運が良いな、アンタ。どうやら助かりそうだぞ」

 「貴公、頼みがある」


 ハッキリとした声だった。先程までのか細い声とは違う。


 ティタンが首を捻って騎士を見遣れば、彼女は目を見開きながらティタンを見ていた。肩をぎりぎりと握り締める力は、死に掛けの人間とは思えない程強い。


 「傭兵、で、あろう。契約を、結び、たい」

 「アンタ……」

 「我が主が、難しい問題に、取り組んで居られる。それを、助けて、貰いたい」

 「おい、そう言うのは」

 「そして」


 騎士の瞼がゆっくりと落ちていく。まるで眠りにつくかのように。


 「バルドに、強く生きろと」


 ティタンは呻いた。クソッタレ、と。


 直ぐに騎士を地面に横たえ、息を確かめる。


 無情にもそれは止まっていた。駆けつけてきた巫女達が馬から飛び降りるも、ティタンは首を振る他なかった。


 「駄目だ。死んだ」


 大きな大きな溜息を吐く。


 ティタンは死した戦友達に敬意を払い、滅び去った物を胸に抱いて戦う。

 戦いに置いては英霊達に加護を望み、勝利の栄光を奉げる。


 そうやって戦う戦士が、死者との契約を反故にする事は絶対に許されない。例えそれが一方的に押し付けられた物であったとしてもだ。


 痛ましげな表情でローブを脱ぎ、騎士の遺体にそれを巻き付ける巫女達を見ながら、ティタンはもう一度溜息を吐いた。


 オーメルキンが遺体の上に野花を置き、祈っていた。


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