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高潔なる者4

 闇の中で息を殺しながらオーメルキンは葛藤した。どうすべきか、何をしなければならないのかは明確だったが、時として人はそういった決断を躊躇する。


 真夜中、宿屋は静まり返っている。部屋にティタンは居ない。オーメルキンに良く考えさせるためなのか、何処かへと出掛けて行った。


 窓から見える空は不気味に明るい。暗闇に慣れきった目はか細い月光ですらそう感じさせた。オーメルキンは片膝を抱え、深い呼吸を繰り返す。胸が締め付けられるような錯覚。吐き気すらしていた。



 ティタンは冷厳に言った。ペイトの盗みの計画と、そしてそれが絶対に上手く行かないであろうと言う事。


 このまま放っておけば嘗ての仲間達がどうなるか目に見えている。食べ物や物品を細々とちょろまかすのではなく、堂々と商店に押し入ったとあれば、もう警備兵達も黙っては居ない。これまで子供だからと目溢しされていた甘い部分も無くなる。

 路地裏から出てオーメルキンが学んだ事は多い。アッズワースの……傭兵は兎も角、警備等の兵士達が思っていたよりずっと情け深い、と言うのがその内の一つだ。

 これまで幾度も盗みを働いた。捕まったことも一度や二度では無い。それでも温情を掛けられていた。気付かない所が子供だったんだな、とオーメルキンは思った。


 「あたしは……あたしが……」


 その温情が無くなった時、どうなるか。

 いや、兵達は寧ろこれまで情けを掛けてきた事を後悔するだろう。より苛烈な対応になる事は目に見えている。


 「あたしがやらなきゃ」


 自分に言い聞かせるようにオーメルキンは呟く。路地裏から這い出そうとして失敗した仲間達。袂を別ったがそれでも彼等の事を大切に思っていた。


 オーメルキンは小剣を握り締めた。丁寧に手入れされた武具の重みが、オーメルキンを励ました。



――


 翌日。


 真昼の大通りを歩きながらティタンは二枚の羊皮紙を広げていた。ソーズマンの部下から渡された地図だ。


 一枚はペイト達のねぐら。もう一枚はペイト達が標的にしているらしい商店の位置だ。


 ねぐらの情報はどうでも良かった。ティタンはペイト達の標的に注視する。

 人の多い区域から僅かに離れた位置にある書店だ。書物と言うのは大変貴重な物品で当然値が張る。警備兵達の詰め所等からも比較的遠く、密やかに事を運べば成程、上手く行くと錯覚しそうだ。


 「馬鹿は馬鹿なりに考えているようだな」


 ティタンは嘲笑いながら言った。何時の間にか背後にパシャスの巫女が付き従っていた。

 スワトだ。ティタンがぶっきらぼうに突き出してきた羊皮紙を一瞥し、眉を顰める。


 「ニコアの書店ですね。ニコアは以前大きな商会に勤めていたらしい老人で、パシャス様の敬虔な信徒です」

 「ふぅん。間抜けの標的になるとは、不幸だな」

 「不幸中の幸いかと。一般の信徒を守護するのも我等の役目の一つ。……ペイト等という者の好きにはさせませんよ」


 同感だな、とティタンは零す。だが同時に、邪魔されたく無い事もある。


 「事前にそのニコアと言う老人を避難させろ。後は手出し無用だ」

 「おや……何をなさろうと?」

 「こちらで始末を着ける。不安なら幾らでも見張っていれば良いが、明らかに俺達が失敗した、と言うような状況になるまでは手を出すな。……まぁ、有得んが」

 「どういった意味が?」

 「オーメルキンの邪魔をするな、と言っている」


 平坦な口調だったが、スワトはそこに口答え出来ない程の圧迫感を覚えた。


 ティタンは本気だ。これはオーメルキンに必要な事だ。言ってしまえばペイトもニコアもどうでも良い。戦士の宣誓、或いは規範に従い正義を行うが、今最も重要な事は何か、と言われたらそれはオーメルキンだ。


 奴がどう決断するのか。何処まで戦えるのか。それが全てだ。


 「それにしてもソーズマンは仕事が速い」


 昨日の今日、だ。探ると言った翌日の昼にソーズマンは結果を出した。

 機敏な動きは見習うべきだな、とティタン。ティタンの後ろに侍りながらスワトは気の無い風を装って言った。


 「次は我等にお任せ下さい」

 「……気が向けばな」


 スワトは飄々とした女だがこの時は内心の意地が見て取れた。ソーズマンだか何だか知らないが、傭兵に遅れは取らぬ、と思っているに違いない。



――



 夜になりティタンは宿屋に戻った。オーメルキンは話を伝えられてから丸一日悩み続けたようで、目の下にハッキリとした隈を作り、一睡もしていないようだ。


 だが、最早彼女の中に葛藤は無い。決断した人間の潔さ、とでも言うのか、表情に不思議な清廉さが垣間見える。


 「腹は決まったのか?」

 「うん」


 怒りも悲しみも無い静かな佇まいだった。見下ろすティタンの目を真直ぐ見返しながら、オーメルキンはハッキリと答えた。


 「やるよ」

 「……警備隊に通報して、後は知らぬ振りを決め込んだって構わないんだぜ」

 「嫌だ。……あたしがやる」

 「良いだろう」


 嘗ての仲間と戦うのは、或いは魔物達と戦うのよりも余程恐ろしいだろう。

 ティタンには理解できる。オーメルキンがどれ程葛藤して答えを出したか。如何に苦悩し、身を捩じらせたか。

 だから尊敬の念をオーメルキンに抱いた。


 侮りや嘲りと言った物は一切無かった。オーメルキンの戦う心を尊敬した。


 「明日一日緩やかに準備を進める」

 「何をするの?」

 「まぁ……別に大した事はしない。武具を整え、心を研ぎ澄ませろ。……いざと言うとき呼吸が乱れぬように」



 言葉の通り、ティタンは緩やかに準備を行った。

 急ぐ事も、緊張することもせず、戦いに備えて武器に油を差し、服の解れを繕った。


 「剣は腰に一振り。後は胸にナイフを一振りだ。肩掛けのベルトをやるから、それを使って胸に佩け」

 「解った」

 「咄嗟の状況では一呼吸が生死を分ける。ここぞと言う時に素早く抜け」


 言い聞かせながら、着々とオーメルキンの装備を整えていく。


 彼女の為に誂えた小さな革鎧。身体の動きを阻害しない事に重点が置かれた手甲と膝当て。外套の裏側にはレイヒノムの神官によって祝福された聖水を染込ませ、聖句を唱える。これは魔除けや、戦勝祈願等の意味を持っている。


 夕暮れになればアッズワースの霊地、黒竜戦役の戦没者達の名が刻まれた慰霊碑を訪れ、花を奉げる。

 この慰霊碑とは何らか係わりの無いオーメルキンだが、正義と仲間の為に戦う気高き心を、戦士達は決して無碍にはしない。


 ティタンの大きな背中とオーメルキンの小さな背中が慰霊碑の前に並ぶ。ティタンの見様見真似で慰霊碑の前に跪くオーメルキン。


 兄弟達よ。と、ティタンは真摯に祈った。


 この娘に加護を与え給え。未だ不足の多い、一人前の戦士とはとても言えない小娘だが、心だけは本物だ。


 嘗てクラウグスを照らした真紅の太陽達よ。大陸を守る前衛となった真の戦士達よ。


 勇気を与え給え。力を与え給え。


 彼女の戦いを見届け給え。彼女の魂を、敵を貫く疾き風に乗せ、彼女死す時はその勇戦を称え、情け深く迎え入れ給え。


 ティタンは長く祈り続けた。オーメルキンは己が目を開けてもまだ祈るティタンに静かに声を掛ける。


 「……あたしのため?」


 ティタンはふ、と笑った。


 「小さな小さな戦いだ。傭兵と盗人の小競り合いに過ぎない。歴史に残る事も、誰かに讃えられる事も無い」

 「そうだね」

 「だが、お前の決断と戦いに赴く意思を、俺は讃える。…………本物になれよ、オーメルキン」


 何てことだ、とオーメルキンは天を仰ぐ。そうしないと涙が零れそうだったからだ。


 やっぱりティタンは、この不器用で無愛想でぶっきらぼうな男は、自分の事を頭から信じている。本当の本当に信じている。

 ただのコソ泥でしかなかった自分が、怖気付いたり、逃げたりするなんて、少しも考えていないのだ。


 そしてちっぽけな自分のちっぽけな決断が、どれ程の苦悩の末に下されたかを感じてくれている。


 勇気が湧いてきた。路地裏から抜け出そうと足掻いた時は、孤独の寂しさと恐怖の中で只管にのた打ち回っていた。

 今は、ティタンが居る。自分を理解してくれる人が居る。


 孤独ではなかった。



――



 夜の闇が降り、そしてそれは太陽に払われる。ペイト達の計画が実行される日が来た。


 もうそろそろ春になろうかと言う時期、アッズワースの風はしかし冷たい。

 オーメルキンは心を乱さぬように深呼吸していた。余計な事を考えないようにするだけで必死で、そうする内にあっと言う間に夜は来た。


 夕日がアッズワースの高い城壁の影に隠れていく。ティタンとオーメルキンはとある民家の屋根の上に潜み、息を殺した。


 夜の闇に目が慣れていく。頼りない月光ですら煌くように感じる。


 アッズワースの大通りは兎も角、主要区域から外れたこの周辺は人が居ない。光源の類もだ。


 風の音だけが耳に届く。そのまま、暫く闇を見詰め続けた。


 「ん?」


 ふと、ティタンは南に目を遣る。俄かに明るく、奇妙な臭いがする。


 幾許もしない内にティタンは眉を顰めた。火の手が上がっていた。


 「火事?」

 「の、ようだな」


 オーメルキンが屋根から身を乗り出して目を凝らした。火が確認できたのはつい先程だが、随分と勢いが強いように見えた。


 アッズワースの空気が俄かに変わる。人々が騒ぎ始め、浮き足立つ。


 火事だ、と大声が聞こえた。


 「火の回りが速すぎる。油でも撒いたみたいだ」


 まさかな、とティタンは零す。


 アッズワースは腐っても要塞、それも魔物との戦いの最前線だ。放火等は破壊工作とみなされ、死よりも重たい重罰が下される。

 少なくとも、ティタンの知識ではそうだ。現在どうなっているかは知らないが。


 しかしそのまさか、も、南側……火の手が上がった方向から夜陰に紛れるようにこちらに向かってくる集団を見た時、冷たい怒りに変わった。


 野次馬でも、火消しでも、火元に向かうのは変わらない。ではその火元側から逆走してくるのは? しかも明確な目的を持った足取りで。


 「ティタン、あれって」

 「正真正銘の屑どもが」

 「そんな、嘘」


 偶々ペイトが盗みを行う日、偶々同じ時間に、火事が起きる。

 そんな偶然をティタンは信じなかった。奴等は盗みを遣り易くする為、警備兵達を混乱させる為に火を放ったのだ。



――



 用意してあった松明に火をつければ、その集団は驚きに足を止めた。


 向かう先に唐突に光源が現れたのだ。夜の闇に隠れながらこそこそとひた走って来た物だから警戒もする。


 ティタンは彼等のその様子に構わず周囲の篝火に火をつけて回った。殊更ゆっくり、悠然と。ティタンが用意した即席の篝火三つはじわりと燃え上がり、周囲を照らし始める。


 暫し、松明を持ったまま集団と睨みあう。一様にフードで顔を隠しており、先頭の者はティタンと同じかやや低いぐらいの背丈。後ろに続く五名は背が低い。


 ペイトと、嘗てオーメルキンの仲間だった者達と見て間違いなかった。


 「てめぇ、何だ?」

 「ペイトだな?」


 低い声で誰何する男。名を呼べば明らかに動揺した。


 「クソ、誰がたれこみやがった」


 焦ってナイフを抜くペイト。ティタンを警備隊の兵士と勘違いしたらしい。

 堂々と犯罪計画を吹聴して回っていた癖にたれこみやがったとは笑わせる。ティタンは片目を瞑って口をへの字に曲げ、笑いを堪えた。


 「俺は衛兵じゃない。……お前を相応しい場所に送ってやろうとは思っているが」

 「何ぃ……? どういう事だ」

 「俺達を殺す事が出来れば、杜撰な計画を実行する事が出来るぞ」

 「訳の解らん事を言いやがって」


 オーメルキン、お前がやれ。


 肩を怒らせるペイトを見ながらティタンは呼び掛けた。


 ペイトと言う男の器量次第ではティタンは子供達は別にしても自身で手を下す心算だった。

 しかし相対してみて解るが、ペイトと言う男には相応の物しか感じない。所詮は子供にしか言う事を聞かせられない情けない奴だ。


 全てオーメルキンにケリを着けさせよう。


 そしてオーメルキンはその声に応え、屋根の上から軽やかに飛び降りた。猫の様なしなやかさで飛び降りた彼女の背格好、フードの端から覗く灰色の髪は、闇の中で橙色の篝火に照らされていても良く解る。


 ペイトの背後で事の成り行きを見守っていた子供達が声を上げた。


 「オーメルキン……? まさか本当に、メルキン?」

 「何でこんなとこに?!」


 オーメルキンは身体を強張らせている。狼と渡り合っても息を乱さない少女が、狼よりも遥かに容易い相手に心を揺らしている。


 「心を乱すな」

 「ティタン」

 「奴を斬れ」


 顔を俯かせ、睨み上げるように。口を窄め、鋭く息を吐く。それでオーメルキンは平静を取り戻す。胸中に鳴り響く雑音を消していく。

 オーメルキンは一歩ずつ、大地を足の裏で掴むように確りと歩いた。身体の強張りが解れ、気配が鋭くなっていく。


 ティタンの前に出てペイトと相対する。フードを取り払えばペイトが忌々しげに歯軋りした。


 「お前……この糞餓鬼が……邪魔しようってのか。食い物を恵んでやった恩も忘れやがって」

 「バン。いや、ペイトか。……アンタのせいで全部おかしくなった。……でも、盗人を辞める切欠にはなったよ。そこは感謝してる」

 「大した間抜けだ。やめるやめねぇじゃねぇんだよ。そんな簡単な訳ねぇだろうが」

 「言っといてなんだけどさ、アンタと話したい訳じゃ無いんだ。…………殺す気でやるよ」


 小剣を引き抜いてだらりと下げた。剣の振り方は教わっている。毎日毎日、休養日ですら剣の鍛錬は怠らなかった。


 斬れる。

 オーメルキンは歯を食い縛る。

 いや、斬る。


 オーメルキンは身を低くして飛び込んだ。


 「この」


 ペイトが何か言っていた。オーメルキンは無視する。

 狙いは太腿。ペイトが慄いて飛び退る。


 喰らいつくように更なる踏み込み。迷うな、迷うな、とオーメルキンは唱えた。


 心を細く。視界を広く。剣は確りと、だが柔らかく握り、足は地面に吸い付かせ。


 「ふざけやがって!」


 ペイトが身を翻してオーメルキンの肩を抑えにかかる。身長差があるためつい手が出てしまったのだろう。

 オーメルキンは更に身を低くした。ペイトの手をすり抜けて、当初の狙い通り腿を切り裂く。


 「浅いぞ、オーメルキン」


 ティタンが呑気に口を挟む。確かにティタンが言うとおり、浅い。ズボンと一緒に皮を僅かに裂いただけで充分な攻撃とは到底言えなかった。


 しかしそんな不十分な一撃にもペイトは悲鳴を上げた。


 思いもしない痛みだった。予想に無い痛みだった。たかが子供一人簡単に抑えられると思っていたのに、信じられない素早さで自分の腕を潜り抜けた。

 そして斬られた。予想外の敵、予想外の出血。ペイトは混乱していた。


 ペイトはせめて身を護ろうと滅茶苦茶にナイフを振り回す。オーメルキンはペイトの腕が届くギリギリの距離で踏み止まり、それを避けた。


 「畜生、止めろ!」

 「うるさい! アンタなんか!」


 ペイトの振り回すナイフを見切って鋭く一振り。

 鉄が鉄を叩く甲高い音。ナイフは一撃で折れ飛び、刃先が地面に転がる。

 手が痺れたのかペイトは呻いた。オーメルキンはすかさず踏み込み、もう一度太腿に小剣を叩きつける。


 「それじゃ棍棒だ」


 ティタンの無機質な声。ペイトの右足に食い込み激しい出血を強いたオーメルキンの一撃だが、ティタンには不満の残る内容だったようだ。

 しかしペイトを這い蹲らせるには充分な一撃だ。背中から倒れこみ、じたばたと地面を転がって逃げようとするペイト。


 追い詰められた彼は叫んだ。


 「お、お前ら! コイツをやれ!」


 修羅場に身を竦ませていた子供達は顔を見合わせる。咽が引き攣り、足は地面に張り付いたように動けない。

 オーメルキンの明らかな殺意。嘗ての仲間だった少女が、自分達に激しい敵意と刃を向けている現実。

 子供達を躊躇させるには充分だった。それに、ペイトの命令も。


 「こんなモンじゃないか! 見ろ! こんな情けない奴だ!」


 オーメルキンは怒鳴りつける。一瞬の出来事だったが息は上がり、心臓が激しく鳴っている。


 とどめとばかりにペイトの鳩尾を踏み抜き、頭を蹴飛ばした。ペイトは吐瀉物を撒き散らした挙句失神する。


 人間相手に剣を振った。それも明確な殺意を込めて。

 その事実に身が竦みそうになる。それでもオーメルキンは感情のままに叫んだ。


 「こんな奴の言う事聞いて、馬鹿みたいだ! このままじゃ碌な事にならないぞ! あの火事だってお前らの仕業なんだろ!」

 「あ、アレは……俺達は知らなかったんだ。バンが勝手に……」

 「そんな事、誰が信じてくれる?! 衛兵はお前らを見逃さない! どこまでもどこまでも追い掛けて来るんだ!!」


 オーメルキンはぐだぐだと言葉を続ける。感情的に成り過ぎて俄かに錯乱し、言葉が勝手に飛び出してくる有様だ。


 目に涙を浮かべ、口からは泡を飛ばす。彼女自身、自分がみっともない姿なのは解っている。訳の解らない事になっているのは、解っている。


 「馬鹿! 馬鹿馬鹿! 皆揃いも揃って!」

 「……うるさい! 好き勝手言いやがって! お前に何が解るんだ!」


 オーメルキンの面罵にとうとう子供達も我慢の限界が来た。と言うよりは、萎縮していたのが直ったと言うべきか。

 感情のままに叫ぶオーメルキンにこれまた感情的に叫び返す。


 ティタンは周囲を見渡した。人の居ない区域は、少ない住人も火事騒ぎの見物に出掛けたか誰も駆けつけてくる者が無い。幸運だったな、と零す。


 「やるしかなかったんだ!」

 「何がだよカーロン! 鍛冶屋の修行が辛くて、二週間もしない内に逃げ出した癖に! 他の奴等の事も知ってるぞ!」

 「やろうとしたさ! 頑張ったんだよ! でも駄目なんだ! 誰も俺達を信じてくれない!」

 「当たり前じゃないか! あたし達はコソ泥なんだぞ! 解ってて、でもそこから抜け出したかったんじゃないか! なのにアンディは懲りずにスリをやって家具職人の所から叩き出されたし、バナーは他のお弟子さんにちょっと虐められたぐらいで石膏の仕事を放り出した!」

 「俺達が悪いのか?! 俺達のせいかよ! ふざけんな!」

 「五月蝿い馬鹿グーノ! 客に頭を下げるのが嫌で、三日で逃げたんだろ?! この怠け者! 馬鹿! シールはやってるぞ! 本当の本当に頑張ってる! 最初は信じてもらえなかったし、酷い事も言われたみたいだけど、それでも我慢して、信じてもらえるように頑張って」


 息が詰まったようにオーメルキンは言葉を切った。唇を噛み締め、嘗ての仲間達を見詰める。目を真ん丸に見開いて。


 ぽろぽろと涙が零れる。声は奮え、どもりそうになる。畜生、と思った。


 「あたし達だって」


 やれる筈なんだ。


 「あたしたちだって、やれるんだ……! 衛兵達にも、ごろつき達にも怯えないで、盗んだり、嘘を吐いたり、そんな卑怯な真似をしないで、普通に、真っ当に生きて行く事が……! 出来るんだ、やれる筈なんだ! あたし達にだって!」


 細い、姿だった。

 触れれば簡単に手折る事が出来そうな。


 困難な事は解っている。辛い事や苦しい事ばかりが起きるだろう。そしてそれに打ちのめされながら生きていかなければならない。

 それを思えば震えそうになる。だがそれでも。


 オーメルキンはぜぇぜぇと喘ぎ、鼻を啜る。言いたい事は言った。正直、自分が何を言いたかったかなんて解らなくなっていたが、兎に角伝えた、とオーメルキンは思った。


 「……無理だよ」


 そして子供達は答えた。オーメルキンの望んだ答えではなかった。


 「無理だよ、できっこない。……奴等、俺達が何言ったってまともに取り合っちゃくれない。何かあれば真先に疑われる。いつだってゴミを見るような目で俺達を見張ってる。……無理だよ」


 膝が崩れ落ちそうになる。どんなに叫んでも、伝わらない。その事実にオーメルキンは絶望した。


 そんなの当たり前じゃないか。あたし達はついこの間まで盗人だったんだぞ。

 今言ったじゃないかよ、解らないのかよ、とオーメルキンは歯を食い縛る。俯き、小剣を強く握り締めた。


 「…………解った。ならもう、何も言わない」

 「……メルキン?」

 「言って駄目なら……もう、こ、殺す気で……」


 手がガタガタと震え始めた。狼を前にしても、ペイトを前にしても、手が震えることは無かった。


 なのに狼よりもペイトよりも、きっとゴブリンよりも遥かに弱い相手を前に、手の震えが止まらない。


 「殺す気で……やるよ……」


 小剣を引き寄せ、左の掌を柄尻に。ティタンが教えた突きの構え。


 「……冗談だろ?」


 オーメルキンは答えない。冗談でこんな事は言わない。

 だが冗談だと思いたいなら、勝手に思っていれば良い。あたしが剣を繰り出すその瞬間まで。

 ……オーメルキンの腹は決まっていた。


 「嘘だよな?」


 オーメルキンは何も言わない。ただ呼吸を整えるだけだ。


 「何とか言えよ。俺達、今までずっと助け合って……」


 オーメルキンの、目。鬼気迫る目。涙を流し、狂気を孕み、瞬き一つしない。

 それに睨みつけられ、子供たちは言葉を詰まらせる。


 そのまま少し時間が経った。オーメルキンが本気だと、誰もが思い知るに充分な時間が。


 「……裏切り者!」

 「クソッタレ!」


 子供達は口々に叫ぶ。


 「もう兄弟だなんておもわねぇ! 畜生、お前もシールも運が良かっただけじゃねぇか! それをなんだよ! 俺達がどんなに頑張ったかも知らないで!」

 「……斬る!」


 ふざけるな、馬鹿。オーメルキンは走り出す……振りをして見せた。

 それで子供達は蜘蛛の子散らすように逃げ始める。悲鳴と罵声を上げ、あちらこちらに散らばっていく。


 「…………」


 オーメルキンはまた喘いだ。ぜぇぜぇと苦しそうに肩を上下させ、時折鼻を啜る。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を拭うが、拭う端から涙が零れていく。


 「でぃだん……あ、あだ、し……」


 奥歯がかちかち鳴っていた。ティタンは震えるオーメルキンに歩み寄る。


 「……辛かったな、オーメルキン」

 「あだ……じ……うぇぇ」


 マントの内側にオーメルキンをすっぽりと覆い隠してやる。オーメルキンはティタンの腹にぐしゃぐしゃの顔を押し付け、見栄も外聞も無く泣いた。


 「うぇぇぇぇぇ……うぇぇぇぇぇぇ」

 「よくやった」


 本当に良くやったとティタンは思う。戦った相手は所詮程度の低いごろつきと脅せば逃げるような子供だったが……。


 「友に剣を向けるのは、時に強敵と戦うよりもずっと勇気が要る。……お前は成し遂げた。お前は勇気と高潔さを一度に証明した」


 マントの上からオーメルキンの頭を撫でてやる。オーメルキンは泣き続ける。


 「お前と出会えた事は幸運だった。そして、お前の助けになれた事を誇りに思う。……お前は本物になった。好きなだけ泣け、オーメルキン」


 雨が降り始めた。暗い夜空から降る冷たい雨にうたれながら、ティタンとオーメルキンは少しの間そのままで居た。



――



 春が近付いている。アッズワースに吹く風はいつだって冷たいが、その中に仄かな温かみを感じてティタンは顔を上げる。


 北では冬篭りをしていたゴブリンや魔獣どもが巣穴から這い出し、縄張り争いのやり直しを始めるだろう。それが終われば争いに敗れた者達は行き場を無くし、南下してくる。


 詰まり、傭兵の仕事が俄かに増え始める季節だ。これから夏にかけて魔物達は増え続ける。熾烈な戦いに備えて要塞の戦力は増強されるだろう。……三百年前なら。


 今はどうか知らない。ただ純粋に、春の風を感じた。



 「どう?」

 「うん、前よりも良い」

 「本当? やった」


 宿の水場で剣の手入れをするティタンとオーメルキン。オーメルキンは日進月歩、日を追うごとに知識と技術を吸収し、練磨していく。


 「丁寧にやれ」


 おなじみの台詞を吐くティタン。穏やかな陽光の元に輝く剣と格闘しながら、オーメルキンは生返事を返す。


 ペイトとオーメルキンの嘗ての仲間達の事件など忘れたかのように、二人は元の日常へと戻った。ティタンがオーメルキンに悲鳴を上げさせる訓練付けの毎日だ。


 ペイトは警備隊に引き渡したし、事のあらましは話した。その後の事は知らない。ティタンは調べようと思わないし、オーメルキンにも最早その心算は無いように見える。


 あの子供達は逃げ切れないだろう。兵士達もそこまで甘くは無い。

 だが彼等はギリギリでオーメルキンに止められた。……温情は与えられる筈だ。


 警備隊の騎士オレヴィは流石に顔を引き攣らせていた。警備隊の面子を言い訳のしようも無いほどに潰したから、無理もない。

 暫くは兵士どもから睨まれそうだな、と考えるが、逆に言えばそれだけだ。


 決着したのだ。

 もう、オーメルキンに憂いは無い。過去は捨て去れる物ではないが、彼女はもうそれに捕われない。


 「ふふ……」


 一心不乱に取り組むオーメルキンを見ていると、何だか微笑ましくなる。ティタンは無愛想を崩して小さく笑った。


 目敏くそれを見つけるオーメルキン。


 「ねぇ、ティタンってさ」

 「なんだ」


 んー、とオーメルキンは逡巡する。言って良いのかどうか、非常に迷っていた。


 「やっぱりなんでもない」

 「そうか」


 ティタンは無理に聞こうとは思わなかった。オーメルキンは賢い娘だ。考えて話すし、考えて動く。

 言わないと言うのであれば聞かない。それで良かった。



 ティタンは再び空を見上げる。春。新しい命が芽吹く季節だ。山野に緑が戻り始め、薫風と友に命が満ち始める。


 そしてここでも新しい命が生まれた。コソ泥のオーメルキンは死んだ。今は、戦士オーメルキンが居る。


 新しい戦士が生まれたのだ。たった一人、それも子供、アッズワース要塞の片隅で起きた、ほんの小さな慶事だが……。


 ティタンはそれを心から祝福した。


 新しき同胞に、名誉と栄光を。


 ティタンは拳を掲げて見せた。


さらっさらっと流れるような文章を目指してみたんだけど……。


違うな……これじゃない……。

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