表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/58

高潔なる者3



 ティタンは草原の草陰に伏し、弓を構えた。身を潜め、息を殺し、二十メートル先の狼の群れを見詰める。

 この距離は本当に危険な距離だ。野生の獣の鋭敏な感覚はそう易々と誤魔化せる物では無い。僅かな油断で気取られてしまう。そういう距離だ。

 数は五。湖の辺に戯れる群れは、通常より少しばかり少ない。目を細め只管集中するティタンの隣では同じようにオーメルキンが弓を引き絞っている。


 ティタンは本来弓を使わない。牡鹿団時代から人並以上には鍛え今も練度を維持しているがどうも性に合わない。

 だが弓が強力な武器である事は認めている。オーメルキンにも習得させて置きたかった。


 「(風が変わる前に撃つ)」


 ティタンは小声でオーメルキンに伝えると、息を吸い込んだ。


 そして、矢を放つ。二人の呼吸は見事に合一の物となった。ティタンの矢は腹這いになって休んでいた一頭の狼の頭を撃ち抜き、その直後オーメルキンの矢は水を飲んでいた一頭の腹を貫く。


 狼の群れは激しく吠え立てた。群れは厳しい縦社会だ。生きるか死ぬか、群れの首魁がその全てを支配している。

 オーメルキンに腹を射抜かれた狼が高く吼える。狼達は一斉に森のほうへと向かって走り始めた。


 「ティタン、あいつら逃げる!」

 「追うな」


 突然の攻撃。そして相手の見えない恐怖。狼の群れは逃走を選び、一目散に駆けて行く。


 最後によたよたと走り始めた狼。オーメルキンに傷つけられたあの一頭がリーダーだ。足取りは乱れ生来の俊敏さが失われている。


 「群れを先に逃すか。そんな狼も居るんだな」


 そういう気性は嫌いではない。長く苦しめたくないな、と思った。

 そしてそれはオーメルキンも同じだったらしい。


 「……仕留めろ」


 ティタンはオーメルキンに言った。オーメルキンは少しの間傷付いた狼の後姿を見詰める。


 呼吸を整えて一射。狼の足に命中し、転倒させる。

 最後の一射。喉頸へ。群れの長はとうとう動かなくなった。


 「……やった」

 「筋が良い。……いや、冗談で無く。普通、一月程度ではこうはならない」

 「本当? ……嬉しいな」


 控えめに喜んでみせるオーメルキン。口数少ないが、緩んだ口端を抑えきれていない。


 ティタンの言葉は嘘でもなんでもない。弓矢をまともに、それも生き物に中てられる程に習熟するには、本来長い時間が掛かる。

 オーメルキンの上達の速さは見ていて気持ち良い程だ。何でも貪欲に取り組み、あっと言う間に自分の物にしていく。

 子供の凄さを見た気がした。成長しきった大人では、こうは行くまい。


 「耳を取れ。毛皮は好きにすれば良い。だが、手伝いはしない」

 「……時間が掛かったら置いてくんでしょ?」

 「そうだな」


 上目遣いに見詰めてくるオーメルキンに、ティタンは意地悪く答えた。


 自分で仕留めた一頭の耳を落とし、簡単に土を盛る。気休め程度だが、血の臭いが広がるのを抑えてくれる。

 オーメルキンも同様の処置を狼に施す。ティタンの胸元をちらりと見遣って、興味深そうに言った。


 「その首飾りってさ」

 「黒いワーウルフの物だ」

 「宿屋で聞いたんだ。酔っ払いは大法螺だって言ってたけど、やっぱり本当なんだ」

 「素晴らしい戦いだった。俺は勝利を手にしたが、負けていても可笑しくなかった」


 些か興奮したようにオーメルキンは視線を行ったり来たりさせる。


 「ね、ね、どうして牙を取ったの? いつも耳しか取らないのに」

 「ソイツを見ろ」


 首まで土を掛けられた狼のリーダーを顎でしゃくる。オーメルキンは素直にその死体を見詰める。


 「お前は傷一つ負わずにソイツを殺した。だが、ソイツの事を弱いと思うか?」


 オーメルキンは首を横に振った。不意打ちだから偶々矢が中っただけだ。それ以前に、ティタンが傍に居なければ不意打ちでだって戦うのは御免だ。


 オーメルキンは素直に応える。勝てない相手に勝てないと言うのは、恥で無いとティタンに教わっている。


 「そうだ。お前に取っちゃ強敵さ。確かに俺はお前の傍に居たが、お前は息を潜め、最大の能力を発揮してコイツと渡り合った。今回勝ったのはお前だが、何か一つ間違えばお前は首を喰いちぎられていたかもしれない」

 「うん」

 「お前よりも、ソイツよりも強い奴なんて掃いて捨てるほど居るだろう。だが、ソイツの事を不思議と偉大だと思わないか」

 「うん。……うん、思う」

 「俺もそうだったのさ。だから牙が欲しくなった。偉大な敵との戦いの思い出に」


 オーメルキンは良く考えてから肯定した。適当に話を合わせている訳ではなかった。

 ティタンは気分良く笑い、新たに指示する。


 「気が変わった。……弓は性に合わんが、お前が初めて仕留めた強敵だ。ゴブリンなぞとは比べ物にならんぞ。……牙を奪え。生死を掛けて矢を放った、刹那の一呼吸の思い出に、な」

 「うん……あっ」


 オーメルキンは弓を置いて跪くと、拳を胸に押し当てた。


 「強敵に、敬意を」


 厳かに唱え、目を閉じる。ティタンはその後姿を見ながら満足そうに頷いた。


 まともな戦いの経験も無いくせに、いざその場に臨んで僅かな怯えも見せなかった。


 コイツは良い戦士になるかも知れない。



――



 先日の揉め事から二週間、ティタンは何事も無かったかのようにオーメルキンを鍛え続ける。

 鍛えて、休ませ、鍛えて、休ませ、アメデューの元で散々兵を調練してきたティタンには容易い事だった。子供が相手、と言うのが多少の不安要素だったが。


 オーメルキンも良く応える。ティタンは彼女がどんな事を言っても一先ずは話を聞いてくれる。

 どれ程常識はずれでも、見当はずれでも、オーメルキンが考えて口にした事ならば応えてくれるのだ。頭ごなしに否定したり馬鹿にしたりしない。だからオーメルキンはティタンと共に居てもちっとも苦痛ではなかった。


 宿屋の水場で共に剣を研ぐ。最初は見ていて危なっかしかったオーメルキンも、今では随分と慣れて来た。


 「……どう?」


 井戸の隣で刃と格闘していたオーメルキン。自分なりに満足出来たのか、小剣を掲げて見せた。水に濡れた小剣は陽光をキラキラと跳ね返している。


 「悪くない」


 大した品ではないが、剣は剣。慎重な扱いを心掛けさせた。大切に磨ぎ上げられた小剣はオーメルキンに良く応えるだろう。

 武具とはそう言う物だ。


 「油を引け。丁寧に」

 「うん」


 言われたとおり丁寧に、オーメルキンは刃と向かい合う。ティタンも牡鹿の剣と予備の剣をそれぞれ磨き上げ、刀身を確かめた。


 穏やかな時間だった。こう言うのも悪くは無い。


 「ティタンさん」


 宿屋の娘が顔を出した。仕事の途中だったのか、手に布巾を持っていた。


 「お客様です」

 「客?」

 「警備隊に勤めていらっしゃる騎士様です。なんでも、とある事件についてお話を聞きたいそうで」


 事件か、この間の揉め事だな。


 ティタンは剣を鞘に収める。オーメルキンが不安そうにティタンを見ていた。


 「お前も来い」

 「解った」

 「不安がる事は無い。あちらさんも、もう乱暴なことはせんさ」

 「別に恐くないよ」

 「なら良い」


 二人揃って宿屋に入る。ティタン達を訪ねてきた騎士は、中央の円卓に共を連れて座っていた。

 気の強そうな釣り目の女騎士だ。ティタンに気付いた彼女は立ち上がって一礼する。


 丁寧な挨拶だ。少なくとも問答無用で引き摺り倒されることはないらしい。


 「こうして会うのは三度目か。僅かな間に随分と名を挙げられたようだ。お祝い申し上げる、ティタン殿」


 女騎士は言って見せるが、ティタンは彼女の事を知らない。

 出会った事があったか、と首を傾げてみせる。


 「会った事があるのか。済まないが、記憶にない」

 「無理も無い。名を交わした訳でもない。牢と、ここで、貴公の揉め事にほんの少し居合わせただけだからな」


 成程。ティタンは頷く。

 ティタンが不当に……完全に不当、と言う訳でも無いが、牢屋に打ち込まれた時、パシャスの巫女達を案内して現れた女騎士だ。


 ティタンが色々と冷静でなかった時の話だ。覚えていろ、と言うのも難しい話だった。


 「思い出した。知っているんだろうが、改めて名乗ろう。俺はティタン、傭兵だ。こっちはオーメルキン」


 ティタンに肩を押されてオーメルキンも名乗る。


 「……オーメルキン」


 一度、ティタンを横目で見上げる。


 「傭兵だよ」


 女騎士は胸に手を当てる。騎士の作法を簡略化しつつ、名乗った。


 「オレヴィと言う。家名なんて大した物は持っていない。気楽に接してくれ」

 「アンタも暇じゃないんだろう。聞きたい事は?」

 「そこのオーメルキンの……昔の仲間についてだ」


 ふぅん、と気の無い返事をして、ティタンは椅子に座った。オーメルキンも椅子に座らせ、話を始める。


 「アンディ、カーロン……他にも居るが主だった者はこの二人か。知っているな?」


 オーメルキンは頷く。


 「あいつ等がどうかしたの? ……この前言ってた薬の話?」


 その時、宿屋の扉を開けて数人乗り込んでくる。

 パシャスの巫女達だ。スワトを先頭に三名が足音高く現れた。巫女達はティタンに丁寧に一礼し、オレヴィ達を威圧するようにティタンとオーメルキンの背後に立つ。


 「遅くなってしまい申し訳ありません」

 「呼んだ覚えは無いが……まぁ良いさ」

 「騎士オレヴィ、我々も立ち会います」

 「信用してもらいたいところだが、無理も無いか」

 「していますとも。念の為です」


 スワトがオーメルキンに優しく語り掛ける。


 「大丈夫さオーメルキン。彼女ならきっと理不尽なことはしない」


 オレヴィは擽ったそうに苦笑して見せた。


 「話に戻ろう。……と、そういえば……この前は部下達が乱暴したようで済まない」

 「別に良いよ。それよりカーロン達が」

 「ヴィーマータ商会の馬車の件はもう良い。アレに君が関与していない事は調べが着いた。だがそれは別として、この所彼等の行動が……ハッキリ言って目に余る」


 断固とした口調だった。言葉は曖昧だが、オレヴィの態度は厳しい。


 「どうやら最近アッズワースに流れ着いたゴロツキが子供たちに要らぬ入れ知恵をしているようだ。ペイトだかグレアだか、兎に角いい加減な偽名を使い分けているけち臭い奴だ」

 「……うん」

 「君の仲間が……あぁ、済まない。君の元友人達が良くない方向に向かっているのは解るだろう? これ以上彼等が悪い状況に追い込まれる前に、止めさせたい」


 オーメルキンは俯いた。ジッと黙り込み、何も答えない。

 オレヴィ配下の兵達が目配せしているのにティタンは気付いた。ティタンはわざとらしく拳を握ったり開いたりして、骨を鳴らした。


 「……何が知りたいの?」

 「彼等の隠れ家を」

 「あたしが居た時のなら……。でも、今は違う所に移ったかも。バン……。あたし達が会った時は、アイツはバンって名乗ってた。アイツに誘われて、別の場所に移ったって聞いたから」

 「バンか。ペイトの偽名の一つだな。……新しい隠れ家に心当たりは無いのか?」


 オーメルキンは首を横に振る。オレヴィは言い募る。


 「頼む。裏の人間は私達相手に口が堅い。恥を晒すようで情けないが、中々足取りが掴めないのだ」

 「本当に知らないんだ」

 「では、君の知っている隠れ家だけで良い。何処にある?」


 オーメルキンは口頭で場所を教えた後、渡された羊皮紙に簡単な地図を書いた。

 オレヴィはそれを懐に仕舞うと礼を述べ、幾許かの硬貨が入っているらしい皮袋をテーブルに置く。

 そして立ち上がり一礼。部下を引き連れて去って行った。


 オーメルキンは皮袋を睨みつけている。唇を噛み締め、手を硬く握り締め、身じろぎ一つしない。


 過去は何処までもお前を追う。ティタンの言葉だ。だがそれと同時に、オーメルキン自身も過去を振り切れて居ない。


 震え出しそうな肩に手を掛けた。オーメルキンは振り向かず、肩に感じるティタンの掌の熱を受け入れた。


 「あたし」

 「……何だ」

 「仲間を……売ったのかな」


 ティタンはオーメルキンを鍛える時、最初に戦士の心を説いた。今のクラウグスのろくでなしどもとは一線を画す、古の本物の戦士達の心だ。


 その中で確かに教えた。

 同胞を愛せ。彼等を守りぬけ。彼等は応えるだろう。

 そう、教えた。


 「こんな……こんなもんで……」


 オーメルキンには金の入った皮袋が薄汚い物に見えていた。今までどんなはした金でも得る為に必死になっていたのに、今はそれがどうしようもなく下劣な物に感じられた。


 ティタンはオーメルキンから視線を外し、椅子に座り直す。

 誰しも見られたくない顔がある。ティタンにだってあるのだから、きっとオーメルキンにもあるだろう。


 ティタンは天井を見詰めながら言った。慰めの言葉は掛けられない。彼の不得意分野だからだ。


 「お前はもう傭兵だ。盗人どもなど仲間じゃない」

 「そんなの」

 「他人の懐を狙い、足元を掬う隙を探し、己で育もうとせず奪うだけの卑怯者。俺だったらそんな奴等は仲間とは思わん。助けもしなければ憐れむ事も無い。最後の手向けとして、自ら引導を渡すだろう」

 「そんな悪いところばっかりの奴等じゃないんだ。皆、必死で、助け合って、それで」

 「それで、何処かの誰かを踏みつけにして生きる」


 オーメルキンの言葉が止まる。くしゃくしゃに顔を歪め、今にも泣きそうになっている。


 ティタンはオーメルキンの頭を撫でた。客足の無い宿屋の中、暫くそうしていた。


 「……今日は自由にしていい。俺は用事がある」


 ティタンは言い残し、宿屋から出た。宿屋の娘がオーメルキンに何事か話しかけているのが見えた。

 あの娘は万事控えめで気弱だが、心優しい。オーメルキンにもよくしてくれるだろう。


 通りに出れば真青な空に太陽が昇っている。その太陽を見上げ、ティタンはここが分れ目だと感じた。


 太陽を前に恥じ入る事無く胸を張って生きる事が出来るか、それとも負い目を感じたまま顔を伏せ、薄暗闇に隠れながら生きていくか。


 ――オーメルキンが本物になれるかどうか、ここが分れ目だ。



――



 傭兵ギルドから程なく歩いた所には、傭兵団『熾烈な牙』の本拠地が存在する。古びていたが大きな屋敷で、五年前に熾烈な牙が買い取る以前は、娼館だったと聞く。

 熾烈な牙は傭兵団の中でも実力のある者達で、傭兵達の顔役だ。揉め事の仲裁をしたり、ろくでなしどもに抑えを効かせる役目を担っていた。大体の傭兵達から月ごとに金を取り、その分彼等の世話をしてやっている。

 熾烈な牙が睨みを利かせているからアッズワースの治安が保たれている部分もある。……と言うと聞こえは良いが、結局はごろつきの纏め役と言う所だ。


 ティタンはその熾烈な牙傭兵団の屋敷を尋ねた。門に詰めている下っ端に声を掛けると、直ぐに屋敷の客室まで通される。


 少し待てば深緑の外套を纏った男が二人の部下を連れて現れる。背丈はティタンと同じほど。良く鍛えられた体躯が服の上からでも解る。


 熾烈な牙傭兵団シェフ、ソーズマン。若々しく三十歳ほどに見られがちだが、実際は既に四十も間近の男だ。荒事も謀略も過不足無くこなす手強い男だった。


 「よーう人狼狩り、歓迎するぜ」


 余裕たっぷりの歩き方でソーズマンは右手を掲げて見せた。椅子に深く腰掛け、部下に酒を持ってこさせる。


 「何の用かは知らんが、ま、ゆっくり話そうか。お前も呑むだろう?」

 「朝っぱらから?」

 「朝も夜もあるかよ」


 手をぶらぶらさせながらソーズマンは言った。運ばれてきた杯を手に取り、差し出してくる。

 ティタンは受け取った。好意を無碍にしない程度に軽く口を付ける。そのまま他愛も無い世間話が始まる。


 十分かそこいら無意味な会話を続けた所で、そろそろ本題に入りたい、とティタンは切り出した。ソーズマンはおぅ、とぶっきらぼうに応え、杯を下げさせる。そして新たに水を持ってこさせた。


 「人狼狩り、最近どうやら面白いことをしているみたいじゃないか。それ関係か?」

 「そうだ。……ペイト、と言う男について知りたい。聞いた話では随分と色んな名前を持っているようだな」

 「あぁ……多少は知ってるぜ。ソイツと仲良くしたいって訳じゃぁ無さそうだな」

 「どうせ知っているんだろうが、俺は今オーメルキンと言う娘の面倒を見てる。ソイツが昔の仲間のことを気にしている」


 ふぅん、とソーズマンは気の無い相槌を打つ。少し黙考し、部下に命令した。


 「タリスを呼べ。もう戻っている筈だ」


 水を一口呑んで、ソーズマンはティタンに向き直った。


 「ペイトって奴は傭兵の間でも評判が悪い」

 「子供を使って盗みを働くような卑怯者だ」

 「らしいな」

 「ペイト自体はどうでも良いが……」

 「ガキどもの方が気になるって? 御優しい事だな、人狼狩り」

 「ふん」


 鼻を鳴らすティタン。そうこうする内に、ソーズマンの部下が現れる。


 「おう、来たか」


 部下は突然のシェフの呼び出しに些か緊張気味だった。ぎこちなく歩き、背筋を伸ばす。


 ソーズマンも、大勢力の長を務めるだけあって生易しい男ではない。周囲の者からその格に相応しい畏怖の感情を向けられている。


 「タリス、ペイトについて何か言っていたな」

 「あのろくでなしですか」

 「あぁ。俺の友人がソイツの事を知りたがってる。協力してくれ」


 ソーズマンは冗談っぽく肩を竦め、ティタンに流し目を送った。

 ティタンは眉も動かさず受け流し、タリスを見る。無精髭の傭兵は訝しげな表情で聞いてきた。


 「何をお話しましょうか」


 ティタンは率直だった。


 「何処に居る?」

 「奴のねぐらですか? 西側のスラムです。あの野郎にゃ、相応しい住処です」

 「奴は最近子供を使って盗みを働いている。ソイツ等もそこに?」

 「あぁ……そうらしいです。4、5人のガキ共と一緒に居る所を見た奴が」

 「……充分だ。礼を言うぜ」


 ティタンは息を一つ吐き出してソーズマンを見た。この男に話を持ってくると色々なことが遣り易くなる。


 「もう良いのか?」

 「詳しい位置が知りたい。地図を書いてくれるか?」

 「タリスに書かせよう。他には?」

 「もう良い。感謝する、ソーズマン」

 「あの……」


 話を切り上げようとしたティタン。タリスが待ったを掛ける。


 首を掻きながらタリスは何か思い出そうとしているようだった。僅かの間うんと唸り、漸く記憶を掘り起こしたのか話し始める。


 「奴に関してもう一つ。……あの屑野郎は、三日後にまた盗みの計画をしているようです」

 「ほぉ」


 興味深いな、とティタンは身を乗り出した。


 「どこぞの商店に盗みに入ると溶岩の靴底亭で豪語していたとか。……あぁ、路地裏の酒場です。どうしようもない連中が集るどうしようもない店ですよ」


 ソーズマンは笑った。子供しか配下が居ないくせに大胆な事を考えるもんだ、と嘲笑したのだ。

 それに自身の犯罪計画を堂々と吹聴するとは。


 「ペイトってのは相当の馬鹿らしいな」

 「二週間ほど前、ヴィーマータ商会の馬車から薬を盗んだらしい。それが偶々上手くいったから気が大きくなっているんだろう」

 「成程。……無理だな、上手くいくとは思えねぇ。ペイトは絞首刑、ガキ共は……さてどうなるか」


 ティタン、どうしたい? ソーズマンは聞いてくる。


 「お前がどうしてもってんなら、ペイトが何を考えてるか部下に探らせてやっても良いが」


 恩着せがましい言い方だ。ティタンは舌打ちしたい気持ちになるが、確かに言うだけの事をしてくれている。この上ペイトの事を調べてくれると言うのなら、度を越した過分な協力だろう。


 自分が感じる嫌な物は、恩知らずのそれだ。ティタンは自戒した。


 「頼む。その後のことは……俺の方で始末をつける」

 「良いだろう。お前の力になれて嬉しいぜ、ティタン」

 「礼はする」


 ティタンは立ち上がり、謝礼として銀貨を取り出そうとした。

 ソーズマンはそれを拒否する。肩をすくめる仕草にすら貫禄がある。


 「気にするな。こう言う時に助けになる為、俺は普段お前たちから金を取ってるのさ。……ただまぁ」


 言う事は立派だが、ソーズマンは善意だけで動く男ではない。強く、賢く、抜け目無く、……必要な場面で、必要なだけ狡猾に、図々しくなれるのがこの男だ。


 「いずれ、お前に頼みたい事が出来るかも知れん。その時に今日の事を思い出してくれれば良い。俺達が互いに助け合える友人だと言う事を、な」

 「覚えて置く」

 「おう、俺はお前のような奴が好きだぜ」


 ティタンは傭兵で、ソーズマンは傭兵の顔役だ。当然無関係では居られない。だが出会いは特殊だった。

 この三百年後のアッズワースに辿り着いてからティタンは熾烈な牙傭兵団の揉め事に巻き込まれた。その一件での立ち回りに、ソーズマンは好感を抱いたらしい。或いは利用価値を覚えたか。


 ソーズマンの部下に言わせれば「目を掛けられている」そうだが、果たしてそれが嬉しいかと言われたら難しい話だった。

 しかしティタンは戦士や指揮官としてのソーズマンに一目置いても居る。


 何にせよ、重ねて言うがソーズマンは手強い男だ。コイツの掌で踊るような事にはなりたくないな、とティタンは思う。


 「そういう言葉はアンタの愛人たちに掛けてやれ」


 ティタンは客室から出た。ソーズマンがその背中に、またな、と一声掛けた。


 ティタンが去った後、ソーズマンはにっこりと部下に笑いかける。


 「偉いぞタリス。人狼狩りに貸しが作れた」

 「は、はぁ……」



――



 夕暮れ時、オーメルキンはアッズワース政庁前の通りにあるパン屋を訪ねた。要塞の荒くれ者達相手に商売しているにしては清潔で、整った店構えだ。


 そこでオーメルキンの友人が働いている。以前は路地裏で身を寄せ合って寒さを凌ぎ、共に盗みを働いた。


 オーメルキンと共に盗みをやめ、必死に真っ当な道を歩もうとしている尊敬できる友人だった。あちらこちらで何でもするからと雇ってくれる場所を探して回り、漸くこのパン屋に行き着いた。

 出会う者全てに白眼視され、疑われても、それでも諦めなかった。オーメルキンの最後の友達だった。



 「あ……」

 「……シール」


 オーメルキンは暫く店の横に立っていた。石壁に背を寄り掛からせていると、一人の娘が店の前を掃除するため、箒を持って出てくる。

 オーメルキンの目当ての人物だ。


 「元気?」

 「うん」


 シールは言葉少なく聞いて来る。そのまま互いに顔を伏せ、ぽつり、ぽつりと言葉を交わす。


 「大丈夫?」

 「うん。……凄い奴に鍛えて貰ってるんだ。運が良かったよ。……何とか、やれてる」

 「そう、良かった。……本当に」

 「そっちは?」

 「……あたしの方もまだまだ大変だけど、頑張るよ。メルキンみたいに」


 まだまだ大変、という言葉に複雑な物を感じてオーメルキンは憂鬱になった。

 オーメルキンと同じように、シールも苦労している筈だ。筋金入りのスリが「心を入れ替えました」何て言って見せても、そう簡単に信用されない。


 シールは、良い娘だ。彼女が幸せになれば良いと本気で思う。


 しかし、彼女以外の嘗ての仲間達は。


 「シール」

 「何?」

 「カーロン達が……」

 「何かあったの?」


 オーメルキンはそこまで言って考える。彼女に伝えて、それで、どうしたいんだろ?


 シール以外の仲間達も最初は働き口を探そうとしていた。しかし本当に路地裏から抜け出せたのはオーメルキンとシールだけだ。

 アンディ、カーロン、その他の仲間達。皆、結局は盗人に戻ってしまった。誰にも信じてもらえない現実に拗ねた彼等は、最後まで足掻く事が出来なかった。


 それを伝えて、どうする? 自分はシールに何を言って貰いたい?


 オーメルキンは唇を噛み締める。


 言葉を捜している間にパン屋から人が出てきた。店の主人で、シールを探しに来たらしい。


 「シール、今日の事なんだが……」


 恰幅の言い壮年の男だ。パン屋の主人はオーメルキンを見咎めて、顔色を変える。


 「……シール。昔の仲間達とは手を切る約束だった筈だ」

 「リックさん、メルキンは」

 「彼女がそうか……。だが私が信じたのは君だ。彼女じゃない」


 シールが顔を歪めた。直ぐに涙が眦に溜まり始める。

 オーメルキンは慌てて言った。


 「も、もう行くから安心してよ。大丈夫さ、あたしもシールも、もう関係ないんだ。偶々出くわしただけだから」

 「メルキン」


 足早に店の前を去る。夕日に恥じ入るように顔を背け、通りの雑踏の中を摺り抜けて行く。

 幾許も歩かない内に呼び止められた。オーメルキンは声の主を探す。


 「……ティタン」


 何時の間にかティタンが目の前に立っていた。フードを下ろし、オーメルキンを見下ろしていた。


 「見てたの?」

 「さてな」


 意地の悪い男だなぁ、とオーメルキンは何だか笑ってしまう。だが、ティタンはにこりともしない。


 オーメルキンは何かざわつく物を感じた。ティタンから発せられる気迫。何か重大な決断を迫られる予感がした。


 「三日後、事件が起きる」

 「え?」

 「詳しいことは宿で話す。……お前に選ばせてやる」


 ティタンは言った。冷たい言葉だった。用件はそれで終わりなのか、ティタンは踵を返してさっさと歩いていってしまう。



 アッズワースの大通り。多くの兵士や傭兵達が行き交う。


 雑踏の中でオーメルキンは立ち尽くした。あの怒りを押し殺したようなティタンの表情。心細くて、寂しくて、独りぼっちになったような気がした。


ちょっと暗くし過ぎたか……?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ