第53話 不思議な依頼
「シルヴィ、今日も付き合ってくれる?」
開店時間を少し過ぎてお城から帰ってきた私達は、急いでお店へ行きお客さんが来るのを待っていたが、依頼が来る様子は無く、特別甘いアンベルに頬を緩ませていた結衣が伸びをしてから話しかけた。
「ええ、勿論です」
シルヴィは頷くと、それまで退屈そうに眺めていた先月の契約書の束を片付けて立ち上がる。
「それじゃあ麗奈、ちょっと行ってくるね」
「うん。頑張って」
結衣は手でブイサインを作って見せ、シルヴィと部屋を出て行った。
「結衣も熱心ですね」
二人を見送り、私がアンベルに口をつけるとリニアスの声が聞こえる。
「何か役に立ちたいと言ってたね。今でも十分すぎるくらいに頑張ってくれていると思うんだけど」
「それにしても、暇な時間にこうして練習しているだけで随分と上達しましたね」
リニアスの言う通り、お店が暇な時にシルヴィアと魔法を練習している結衣は、数種類の魔法が使えるようになった。
「シルヴィの教え方が上手なんだと思うよ」
「そうですね。ただ、結衣にも相当才能があるのは間違いないと思います」
「ふふ、結衣に言ったらきっと喜ぶよ」
「終わったよー」
結衣とシルヴィが練習に行った後すぐに来た井戸替えの依頼から私が帰り、それから二時間程経って二人は戻ってきた。結衣はいかにも成果を聞いて欲しそうな顔をしている。
「二人ともお疲れ様。えっと、どうだった?結衣」
私が尋ねると結衣の顔が輝いた。
「えへへ、聞いてくれる? なんと! ついに治癒の魔法が使えるようになりました!」
ファンファーレが鳴ったと思わせる程嬉しそうな顔で結衣が宣言する。
「ほんと!? おめでとう!」
私が席を立って両手を広げると、結衣は躊躇わず飛び込んできた。
「結衣様は風よりも土の方に得意属性が偏っていたようです。治癒の魔法は決して簡単ではないので驚きました。得意属性のおかげではありますが、それにしてもこんなに早く使えるようになるとは思っていませんでした」
「これからは麗奈も好きなだけ怪我をしていいからね」
私から離れた結衣はそう言って胸を張る。
「あはは……まあ、怪我をしたときは結衣にお願いするよ」
「ところで麗奈様、何か依頼は来ましたか?」
暫くの間、苦笑しながら私と結衣の様子を見ていたシルヴィが思い出したように尋ねた。
「うん、一件あったよ」
そう言った私の表情を読み取ったシルヴィは、困ったような笑みを浮かべ結衣の方を見る。
「いや、大丈夫だよ。そろそろ文句を言うのも面倒になってきたから」
今の今まで元気だった結衣は自嘲的に笑うと椅子に座り天井を見上げた。
「結衣、そんなにすねないで。とりあえずお昼にしよう」
すっかりふくれてしまった結衣を慰めながら、メイドに昼食をお願いする。困った顔で結衣を見ていたメイドは頭を下げて出て行った。
「よし、それじゃあ午後も頑張ろう!」
昼食の間に機嫌を直した結衣の号令で気を引き締めお客さんが来るのを待つ。暫くするとお店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのはフードを深くかぶった人で、俯いた顔はよく見えないが、がっしりとした体格からしておそらく男性だろう。メイドは少し不安そうにしながら男性を席へと案内する。
「どんな依頼でも受けると聞いたのだが」
男性は席へ座るや否や、私が話しかけるよりも早く、低い小さな声で尋ねた。
「ええ、私達に可能なことであればお受けいたします」
男性は無言で小さく頷く。
「ここのアンベルは美味しいらしいな」
「ありがとうございます。今淹れさせますので少々お待ちください」
男性は首をゆっくりと横に振る。
「それが依頼だ」
「それと申しますと、アンベルでしょうか」
男性は再び頷いた。
「ああ、アンベルを飲ませて欲しい。報酬は十ベレカでどうだ」
「問題ございません。それではこちらに記入をお願いします」
男性に契約書を渡す。
記入を終えた契約書を男性から受け取り、店の端にあるお客さんに待って貰うための机へメイドに案内させる。
「結衣様、井戸以外の依頼がきてよかったですね」
シルヴィが男性に聞こえないように小さな声で話しかけた。
「う、うん。そうだね……」
結衣はメイドからアンベルの入ったカップを受け取り、それに口をつける男性の様子を見ながら目を丸くしている。
「どうかされましたか?」
シルヴィが首を傾げてきょとんとしている結衣に尋ねた。
「ううん、何もないよ。ただ、変わった依頼もあるんだなーって思って」
そう言いながら結衣は手元にあった特別甘いアンベルを飲む。
「そうですね。まさか私もこのような依頼が来るとは思っていませんでした」
私達が話していると男性が呼び鈴を鳴らした。メイドは男性のもとへ行くと、困った顔で私の方へ歩いてくる。
「あの、麗奈様。あちらのお客様が茶菓子を所望されているのですが……報酬は別に支払うと仰っています」
メイドの言葉を聞いた結衣が目を更に丸くさせた。
「お菓子か……何か用意できる?」
「はい。少しお時間をいただければ簡単な焼き菓子を用意できます」
「それならお願いしてもいいかな」
結局、男性は三回アンベルをお代わりし、二時間程経って店を出て行った。
「不思議な方でしたね」
男性が出て行った後シルヴィが口を開く。
「また来るって言ってたけど……」
「ええ、随分と満足されたみたいですね。報酬も相当な額をいただきましたし」
男性は最終的に一ケリルも支払って帰って行った。
「まあ、私も驚いたけど井戸以外の依頼が来てよかったね」
私が微笑むと結衣は納得がいかない様子で腕を組んで唸る。
「結衣様、やはり何か……」
シルヴィが心配そうに尋ねると、結衣は首を振った。
「いや、本当に何もないんだけど……何かこう納得がいかないというか……。井戸以外の依頼が来たのは嬉しいんだけどね」
その後、男性が帰ってから閉店までお客さんは来なかった。お店を簡単に片付けた後、着替えを持って私達はお風呂へ向かう。
「結衣、まだ悩んでいるの?」
浴槽で天井を見上げている結衣に尋ねる。
「ああ、うん。何でも屋のことじゃないよ」
「そうなんだ」
「いやー、何て言うか……こっちの生活に慣れてきたなと思って。慣れたというかこれが普通になってると言えばいいのかな」
結衣はそう言って笑うと再び天井を見上げた。
「お二人は別の世界から来られたのですよね。わかってはいますが、改めて考えると不思議な感じです」
シルヴィも天井を見上げる。
「ふふ、私も魔法を見たり使ったりする度に別の世界ってことを実感するよ」
お風呂の中は不思議な静寂に包まれ、私達は三人揃って湯気のかかった天井を眺める。
『生命の源、水を司る精よ、我が手に癒しの力を与えよ!』
結衣のおでこにかざしたシルヴィの手が光った。
「ありがとう。楽になったよ」
結衣はシルヴィにお礼を言うと恥ずかしそうに笑う。長くお風呂に入っていた結衣は、出るとすぐに床へ倒れてしまった。
「のぼせないように気を付けないと。治癒の魔法を使うのは結衣なんでしょ?」
「そういえばそうだった。麗奈、今からもう一度お風呂に入らない?」
結衣は起き上がると、そう言って私の背中を押す。
「私は結衣と違ってのぼせないよ」
結衣は頬を膨らませた。
夕食の後、リビングで少し休んでから私達は部屋へ戻った。着替えを持って結衣の部屋へ行くと、結衣は既にベッドの中で寝る準備を完了していた。
「まだ何か悩んでいるの?」
結衣の横に潜り込み、ぼんやりと宙を見つめている結衣に尋ねる。
「あ、ううん。何でもないよ。ぼーっとしてただけ」
結衣はそう言うとあくびをこぼした。
「ふふ、それならいいけど。それじゃあ寝ようか」
「うん、お休み」
「お休み、結衣」
結衣を抱き枕にして目を閉じる。
「井戸屋さんの次は喫茶店か……」
結衣の呟いた言葉は聞かなかったことにして私はまどろみに落ちた。




