二十九、彗星の年ー嘘ー
「於大さま、おかげんいかがでしょうか。」
天竺屋は慇懃に声をかけた。
於大は熱を出した後、しばらく呆然としている日が多く
廃人となってしまうのかと危惧したが
最近は自分を取り戻しつつある様に見えた。
和仁には「天府にはいない。」と言った。
もうこのクニには居ないといった。
全部本当で全部嘘だ。
言葉の単なる綾である。殺したとは言っていない。もうこの件は始末したと言った。
天府にいないのだから、クニにもいない。
和仁がどう取ったかは、分かったが。
於大の横には侍女がいつもいた。
元の同じ里出身の台所の下女だ。
しばらく部屋に佇み、出ていく。
雨が続いてもう季節が変わってきた。
夏はこの国は湿度が高くなる。
いつものように礼をして出ていこうとした。
「天竺屋。」
と於大が初めて口を開いた。
体を止めて振り返る。
「何でございましょう?」
「これからどうすべきか?」
「ちょうど外海へ帰る船がございまして、
そちらに同乗されますか?」
「ふっ。此の国ではなく
外海で死ねと?」
「いいえ。途中寄港する里がございます。
そちらに手のものがおりますれば
ひとまずそちらに移られてはと思います。」
「行ってどうする?
何故私を助けたのかもわからない。
あの子はいったいどうなってしまったのか?」
赤子を連れ去った阿太は矢にあたった後、
川に流されたまま行方知れずだ。
「まだご遺体は上がっておりません。
捜索しておりまする。まだ希望はございます。」
あの時は晴天が続き、川の流れが強くはなかった。
ただ、朔日で、月の明かりがなかったから
見落とした。
天府の軍ならいざ知らず、
天竺屋が普段から使っている間者も欺かれたとは
心外だった。
川の向こうには確かに人がいたと聞いている。
馬もそれらしきを見つけたが馬は流石に見分けはつけにくい。
そして人がわからない。
黙って聞いていた於大は
「助かっているのだろうか。」
と天竺屋を初めて見据えた。
「川の向こうで馬で走り去った人物がおります。
私は赤子さまだけは助かったと信じておりますが、
見つけてはおりませぬ。」
天竺屋の言葉は重かった。
「何故私を助けた?」
商売の手札が欲しいからとは言えない。
「私は商売人でございます。
和仁さまがなさろうとしていたことは、
国が傾く元でございます。」
「商売は戦時ではめちゃくちゃになってしまうのです。
戦時のが儲かるものもおりますが。
戦争は憎しみを生み、巡ってまた戦争をおこす。
私は平和に商いをするためには
於大さまには生きて欲しいとその時思ったのでございます。」
ただの御託だな。
話していて思った。
しかし於大には響いたらしい。
天竺屋が考える以上に
このお方は思慮深いのか?一時はあの帝の寵愛を受けていた。
侍女が於大を心配そうに見ると、
於大は両手で顔をおって、天竺屋にきて
初めて泣いた。




