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まおうのおうこく  作者: 石原にしん
26/33

まおうのおうこく25

 メ゛ェェェエェエェエエエエ


 〝山羊〟の鳴き声が薄暗い森に反響する――不幸中の幸いか、まだ距離はある。

 ほんの少し、本当にほんの少しだけミリスは心の中で安堵した。


 丁度北東の方角、上の方から鳴き声が聞こえたことを考えると、恐らく前方500mくらいに見える崖の上にいるのだと思われる。


「しッ・・・!」


 にわかに、ざわめき立つ村人達を、一差し指を唇に当てて制した。

 アリアナがすかさずハンドサインで、皆に身を屈めるように指示を出し、ゆっくりと森の街道の脇に身を潜めるよう誘導していく。


「なぜこんなところに・・・」


 アリアナの歯噛みするような呟きに、ミリスは無言で頷く。


 確かに、山羊が出没するのは、エルキア山脈と東のハクア連峰から続く山がぶつかる――切り立った崖がむき出しになった山の中腹あたり。ここからもっと上の筈である。


「拙いね・・・」


 ミリスが焦りの滲んだ表情で、苛立たしげに漏らす。


「何がだ?」

「え? ああ、いや。

 今の鳴き声・・・あれは発情してる時の雌の鳴き声さ」


 自分の呟きが外に漏れていることにすら気が付いていなかった様子でミリスは答えた。


「わかるのか?」


 信じられないといった様子でアリアナが聞き返す。

 それもその筈。普通の人間の耳で発情しているかどうかを鳴き声で聞き分けるのは不可能な上、そもそも発情中に鳴き声が変わるという情報さえ帝国は把握していなかったのだ。


「猫目族を舐めんじゃないよ」


 ミリスはそう言って気休めに笑って見せた。


「ああ、なら事態は深刻だ・・・」


 アリアナが声を落とす。


 エルキア山脈の山羊は周年繁殖である上、発情期の間隔も長いことから発情中に鉢合わせる事など滅多起こらない。ただその滅多に起きない偶然にもし巡り逢ってしまったならば、それは最悪の事態なのである。


 ただでさえ凶暴な上に発情中は落ち着きがなくなり、こうして縄張りの外まで徘徊する。

 発情中は繁殖行動と腹の中にいる子供の成育の為大量の栄養を――つまり食料を必要とし、雑食だが特に肉を好んで食べ、その肉には人間や獣人も含まれる。

 

 そして最も最悪なのが、エルキアの山羊の雌は一匹が発情するとそれが周囲に広がっていき、やがて群れ単位で発情するのである。


 つまり、あの崖の上には飢えた何十匹にも及ぶ山羊達が群れを成していることになるのである。そして森の街道はその崖の下へと続いている。


 迂回するにも周辺一帯は地面の凹凸も多く見通しが悪い。その上時間帯も良くない――時刻は日の沈みかけた夕刻。こんな時刻に森に入れば、いつ別のモンスターと鉢合わせるか分からない。そうなればいずれ山羊にも察知され見つかる。


「私は隊列の右側に」

「ああ」


 そう言ってアリアナが不測の事態に対応する為、ミリスから見て隊列の反対側に移動していく。


「こんなところで時間を食ってる暇なんて無いってのに・・・」


 ミリスは周囲を見渡しながら別の道を探るが、確認できる限りそんな都合の良い抜け穴など存在しない。

 その時だった。


「おねぇちゃん・・・」

「ルル・・・! あんた何しに・・・!?」


 茂みに隠れていた筈のルルがミリスの許に駆け寄り、焦った様子で声をかけてきたのだ。


「こっちは危険なんだ、元の場所に戻りな」


 確かにミリスが今いる場所は、他の村人達が隠れる茂みの外。

 少し見通しの良い地形的に盛り上がった場所である。


「でもタマが・・・」

「タマ?」

「うん。タマが〝もうすぐそこまで来てる〟っていうの・・・」

「・・・どういう意味だい?」


 それにタマって・・・と、そう聞きかけたその時だった――ミリスの鋭い聴覚がピクリと反応した。

 跳ねるように顔を上げ、焦燥感に突き動かされ張り裂けんばかりに声を上げる。


「姉御! 後ろだ、8時方向!」


 後ろを守るエルシィ=姉御に大声で合図を送る。

 次の瞬間、


 メ゛ェエエェェエェエ!!


 斜め後方の地形が窪んだ森の陰から、ゲルニカのようなねじれた二本角を持つ、立派な紺色髭の巨大な化け物が現れた。


「オス!? くそ、妊娠したメスの為にエサを狩りに来たんだ!!」


 現れた山羊のすぐそばには森の茂みに隠れるように伏せる無力な村人達――隠れると言ってもこの距離まで接近されてしまえば意味を為さない。


 そしてオス山羊の突進を止めることは魔術師には不可能だ。バフをかけた戦士か騎士が無理矢理止めるか、もしくは避けるしかない――エルシィが間に合ったとしても、もうどうにもならない――見捨てるしかないのである。


 ふと、茂みに身を潜める全身毛だらけの犬獣人の子供と目が合った――アリアナもミリスもこの位置からでは到底間に合わない。

 

 次の瞬間には失われるであろう命を見つめ、ミリスは奥歯を噛んだ。


 しかし、


「その呼び方、やめてって言ったじゃありませんか!!」


 エルシィが山羊と村人達の間にすかさず割って入ったのである――杖を構えたまま後ろにいる村人を庇うように両手を体一杯横に広げる。


「な!? 姉御! 避けろォォお!」

「バっ! エルシィ!!」


 ミリスもアリアナもその光景に目を疑い、次に起こるであろう悲劇を想像し、そして絶望した。

 どんな魔術を行使しようと、あんな巨体の突進を魔術師がどうこう出来るものではない。それどころかエルシィ自身助かるかどうかも怪しいのだ。


 しかし次の瞬間。


――城壁(アジェリス)


 この世界では本来有り得ない、詠唱を一切必要としない異界の魔術が発動した。


 たった一瞬。一秒にも満たないその一瞬の内に、エルシィの足下の地面が、何枚もの夥しい数の四角い壁となって隆起し、山羊の顎鼻を勢いよくかち上げた。

 そのままの勢いで壁の先端は森の木々の背を軽々と越え、やがて遙か上空でピタリと止まる。


 エルシィの目の前に、見たこともない、神話の時代に存在するような常識外れに分厚く高い壁がそびえ立っていた。


 ゲルニカがエルシィの為に開発した防御魔術――どのような魔術も大口径の砲でさえ、全てを押し止め対象を守る絶対防壁。その場にある大地を壁へと形成し結合させ、硬度と靱性を極限までに高めた、この世界では最強の物理盾である。


「な・・・!」

「こんな・・・」


 ミリスとアリアナは唖然とその光景をただ見ていた。

 山羊がその巨大な質量をもって、間に入ったエルシィに襲いかかった瞬間、二人だけではない、ここにいる全ての皆がエルシィの死を確信した。


 激突のその瞬間に、直視出来ず目を閉じるもの、声の限り叫ぶ者、ただ呆然と見ているだけしか出来なかった者――皆がその瞬間心の中では諦めていた。


 ところがである――結果は常識外れのこんな馬鹿げた規模の大魔術の行使。

 それは全くの予想外。

 オス山羊の存在すらも霞むその強大さに、誰もが一瞬希望を見た――これならもしかしたら、と思ってしまった。

 それはアリアナとミリスの二人も例外ではなく――だから反応が遅れた。

 ただの一瞬だが、間違いなく二人は油断したのである、それは紛れもない隙であった


 気が付いた時には、ミリスの目の前、丁度ルルの背後に、別のオス山羊の大きな蹄が、今まさに振り下ろされようとしていた。


「っぁ・・・!」


 束の間の希望が、一瞬の内に絶望に変わる。

 人の胴体程もある大きな蹄。人など軽々丸飲みにできるサイズの口。人と同じような歯並びの歯がやけに気味悪く禍々しく目に映り、まるでその顔が嗤っているかのように見えた。

 もはや取り返しようの無い失敗。必死にルルに手を伸ばすが間に合う筈もない。


「くそがぁああ!!」


 今さら後悔しても遅い。涙に滲む視界で吠えたその時。


 ぬっと何の音もなく、何もない虚空を裂いてルルの背後から現れた、象の腹程もある血塗れの包帯だらけの太い腕がオス山羊の頭をまるでハエでも叩くように(はた)き落とした。


 ドガン!! と地が揺れるような音がして、オス山羊の巨体が地面に凄まじい勢いで叩きつけられバウンドする。木々をなぎ倒しながら放物線を描き、ぼろぼろになって地面に転がった。


 衝撃により巻き上がった腐葉土がぱらぱらとその巨体に降り注ぐ。


 やがて手足を弱々しく痙攣させた後、なんとか立ち上がり血塗の顔で異形の化け物を睨み返す。 

 空間を裂き、半身だけを出現させていた化け物が、のろのろと産み落とされる馬の赤子のように〝べぢゃりっ〟と地面に着地する。


 ケラケラケラケラケラケラ


 ゲルニカがルルをそして村人達を守る為につけた護衛のアンデッド――人喰い猿。

 喉から漏れ聞こえるのは、山羊のものよりも気味の悪い異形の鳴き声。


「あ、タマ~・・・」


 しかし、ルルは何を思ったか両手をバンザイして所謂(いわゆる)〝抱っこ〟の姿勢で人喰い猿に駆け寄るではないか。


「え!? ちょ、おいルル!」


 ミリスは咄嗟のことで慌てたが、しかし人喰い猿ことタマは、猿が我が子にそうするように、駆け寄ってきたルルを自分の胸の毛の一番柔らかい部分にしがみ付かせ、それでもまだ頼りないルルの背中をしっかりと左手で包み込んだのだ。


 ルルがしっかりと自分の胸に固定されたことを確認すると〝人喰い猿〟は、凄まじい脚力で軽々と跳躍し、辺りで一番高い木の天辺に足を屈伸させた状態で飛び乗った。


 ケラケラケラケラ


 首を90度に折り、喉からあの奇妙な鳴き声を発すると、森の各所から、


 ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょんと


 身を潜めていたのか無数の山羊達が次々に飛び跳ね、人喰い猿のもとに殺到していく。


 勿論ミリス達を狙う山羊達がいなくなった訳ではない。

 凡そ群れの半数――その夥しい数の山羊達がさがさと茂みをかき分けミリス達の前に顔を出す。


「ま、あの様子なら、少なくともルルは守ってくれそうだね」


 木の上に悠然佇む〝人喰い猿〟を一瞥してから、油断無く斧槍(ハルバード)を構える。

 こめかみには一筋の汗――状況はマシになったが好転した訳ではない。

 ここではもう戦えない――戦えないというより、山羊に見つかった時点で一旦後退するしか道はないのだ。

 

 当たり前の話だが〝討伐〟と〝護衛〟この二つの任務の難易度には、実はとても大きな開きがある。

 討伐はただ敵を殺せばいいだけで、敵を追いつめるためメンバーは自由に動くことが出来、また攻撃を避けても良い。

 対して護衛は、護衛対象を守るため自由に動けず、更に攻撃を避けてはならない瞬間というものが存在する――実は、この避けてはいけない、自由に動けない、というのがなかなかに厳しい。


 この状態で山羊を全て狩ることは、事実上不可能である。


「ひとまず後退するぞ! 

 エルシィは後衛。退却方向にも気を配れ!」


 アリアナが槍を構えつつ声を上げた。

 全身が黄金色に輝き、刻まれた紋章が光りの粒を吐き出しながら浮き出ている――アリアナの戦闘体勢である。


 全く、13歳とは思えない判断の速さだ――ミリスはパーティを組んでいた頃のような心地よさに口元を緩める。 


「あたしはどうすりゃいいんだい?」

「貴様は私と一緒に殿だ。どうだ嬉しいだろう?」


 アリアナも口元をつり上げ、めい一杯笑って見せる――ここが正念場だと、そう言っているように見えた。


「まったく! 嬉しすぎて涙が出るね!」


 ミリスはそう吠えると、アリアナとまるで門前を守る兵士のように両側に展開し斧槍を構える。


「聞こえたな? 人喰い猿!

 貴様はルルを預かっているんだ、しっかり私達に付いてこいよ、いいな!」

「途中でルルを落っことしたら、地獄の底まで追ってって、必ずぶっ殺してやるからね!」


 そう言って二人とも呵々と笑った。


 ケラケラケラケラ


 〝人喰い猿〟の気味の悪い声が、森に木霊する。

 日は既に落ちかけて、夜はもうすぐそこまでやってきていた。


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