第十話「窓を開けた先には」③
アーサー必死に話し合おうとトーマスに提案する横で、村人たちは状況が呑み込めずに立ち尽くしているウルフをその場に残したまま、天幕を囲むように杭を打ち、縄を張り始めている。木槌の音が夜気に重く響いた。
「一体、何の騒ぎだ」
低い声に、何人かの村人がびくりと肩を揺らした。トーマスは一歩前へ進み出る。
「初めまして、かな。貴様と直接喋るのは初めてだと思うが、私はこのアッシュワース村で領主ジェフリー・オーランド・ペンストレイト男爵様より代官を任ぜられている、トーマス・ベネディクトゥス・ゴードンである」
わざとらしく名乗りを済ませ、口元だけで笑う。ウルフは答えず、黙って見下ろしていた。
「アーサー司祭殿から貴様の事は多少聞いてはいる。単刀直入に言おう……流浪人殿を村人たちが怖がっている。今すぐ立ち退いてはくれないか。もしそれを拒否するなら、この結界の中から出る事はまかりならん。貴様には村に呪いを持ち込んだ疑いがあるのだ」
「だからトーマスさんっ、彼は誰かを呪ったりはしてません!」
アーサーが前へ出る。だがトーマスは視線だけでそれを制した。
「では、それを今すぐ証明したまえ。今すぐだ。出来ないなら我々に従って頂く他無い」
「今すぐって……」
喉がひりつく。アーサーは不安げにウルフを見た。呪いの原因はまだ調査中だ。今この場で潔白を示すのは難しい。
「では時間をください。一日……いや、数時間あれば彼が呪いと無関係であることを証明いたします!」
縋るように言うと、群衆の後ろで小さなざわめきが起きた。
「無駄な時間稼ぎだ」
トーマスの声は冷え切っていた。
「騒ぎが起こってから何日経っていると思っている。数時間でどうにかなるなら、とっくにどうにかしていてもおかしくないだろう、司祭殿。村人たちはもう我慢の限界を迎えている。今すぐ説明出来ないなら、下がっていていただこう」
言葉のたび、村人たちの視線がアーサーへ突き刺さる。
「それは現在……」
調査中です、と口を滑らせかけたアーサーを遮るように、ウルフが口を開いた。
「分かった。俺はここから出ていく……それで良いんだろう?」
「ウルフ!?」
アーサーが振り向く。ウルフは彼を見ず、荷物の置かれた天幕の方へ視線を向けていた。
「今まで世話になったな、司祭殿。村の迷惑になるなら仕方ない。出ていくしかない。俺はただ、静かに暮らしたかっただけだからな」
「まって、待ってウルフ……僕は貴方と……っ」
背を向けたウルフの手を、アーサーは咄嗟に掴もうとした。指先が袖に触れた瞬間、その手は乱暴に振り払われる。必要以上の強さに、アーサーの肩が揺れた。
「うるさい。面倒は嫌なんだよ」
突き放すような声音だった。だがその横顔は、松明の影に隠れてよく見えなかった。
呆然と立ち尽くすアーサーを置き去りにし、ウルフは天幕から手荷物だけを持ち出すと、そのまま闇の中へさっさと消えていった。村人たちは道を開けながら、誰一人声を掛けなかった。
その様子を見ていたトーマスは、いかにも愉快そうに笑った。
「危険な見た目に反して存外、物分かりの良い男だったな。機会と手順さえ間違えなければ仲良くなれたのかもな。司祭殿は気にかけていたみたいだが、今回はしょうがなかろう。諦めなさい」
そう言って、労うようにアーサーの肩をぽんぽんと叩く。アーサーの身体はそのたび小さく揺れたが、振り払う気力も残っていなかった。
周囲では村人たちが呪いの排除に安堵の声を漏らしていた。笑う者、胸を撫で下ろす者、十字を切る者までいる。やがて結界の前には立札まで打ち込まれる。
『呪いの地につき立ち入り禁止』
アーサーだけが、ウルフの消えた暗がりを見つめたまま、いつまでも動けずにいた。
その後、アーサーは迎えに来たピーターと一緒に司祭館へ帰った。
館へ入ると、母が帰りを待っていたのかホールに立っており、項垂れたアーサーを見付けると、心配そうに肩を抱き、手を握って、静かにそっと寄り添ってくれた。けれど、悲しみに満ちたアーサーの心が、すぐに晴れることは無かった。
マーサも普段の物言いは無く、何か言いたげにしては、結局は口をつぐんだまま頭を下げただけだった。
皆の哀れみの視線が集まる中、ピーターは何も言わずにアーサーを見て、それから短く言った。
「今日はもう寝なさい」
その声に逆らう気力も無く、アーサーは力なく頷いた。
そうしてトボトボと階段を上る未熟な青年の背中を、ピーターはいつまでも見つめていた。
視界を歪ませたままアーサーは大人しく部屋へ戻り、扉を閉める。見慣れた部屋のはずなのに、今夜はどこかよそよそしかった。
もう、何も考えることは出来なかった。
ただ呆然とベッドへ腰かけているうちに、これまでのことばかりが浮かんできた。
夜の森で出会ったウルフ。
革のフードから見え隠れする神秘的な白い髪と、赤い瞳に宿る警戒するような眼差し。ぶっきらぼうな物言い。なのに、不意に見せる優しさ。
ルーシーの明るい笑い声。
アリスの遠慮の無い口ぶり。
四人で過ごした賑やかな時間。
あんな日々が、これからも続くのだと思っていた。
もっとみんなで仲良くなって、彼から色々なことを教えて欲しかった。森のことも、旅のことも、自分の知らない外の世界のことも。
それなのに、ウルフ……ありもしない呪いの噂の原因にされたまま、彼を追い出してしまった。
「あとちょっとだったのに……」
あと少しで真実を掴めたはずだった。
あと少しで皆に分かってもらえたはずだった。
あと少しで、ウルフを守れたはずだった。
今日いきなりルーシーがトーマスに連れていかれたのも、やはりアーサーから引き離すつもりだったのだ。
ウルフを失った今、彼女に何かあってもアーサーひとりでは助け出す術は無い。
所詮アーサーは、クロムウェル家から送られてきた人質に過ぎない。教会の司祭でいることだけを許されている身で、ペンストレイト領の問題に口出し出来るような立場ではなかった。教会の後ろ盾があっても、村に働きかける権限など無いも同然だ。
そう、アーサーには何一つ守れない。
「ルーシー……ウルフ……ゴメン、ゴメンよぉ……」
堪えていたものが途切れるようにその場に膝をついてしまうと、声が震え、涙が止まらなかった。
その時だった。
コン、コン。
不意に窓を叩く音がした。
アーサーはハッと顔を上げ、音のした方へ視線を向ける。
ざらついたガラスのはまる窓の向こうに、白い影が揺らめいていた。
だが、見間違えるはずもない。
そこにいたのは、ウルフだった。




