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神父と白い野獣―呪われた村で出会ったのは、神に縋る青年と、獣と呼ばれた異教徒だった。  作者: あともす


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第九話「水面下の熱」②

 アーサーが司祭館で過去の思い出に浸りつつ書類の確認作業を行っていると、ピーターと一緒にアリスが現れた。机の上には木の板に書き付けられた記録がいくつも積まれ、紐でまとめられた束がいくつか脇に寄せられている。指先でそれを捲りながら目を走らせていたアーサーは、足音に気づいて顔を上げた。


「アーサー。アリス嬢が来ましたよ」

「アリス?」


 ピーターにいざなわれて姿を現したアリスの姿に、アーサーは作業の手を止めて立ち上がる。たった今まで思い出していた相手が目の前にいることに、胸の奥が少しだけ騒ぐ。視線を逸らす間もなく見つめてしまい、遅れて気恥ずかしさがこみ上げたが、何とか平静を装った。


「私の顔見詰めてどうしたの? 仕事、手伝いに来たわよ」


 アリスはそう言って、紐で縛られた記録用の木の板の束を軽く持ち上げて見せ、にんまりと笑った。板の端から覗く刻まれた文字や印を見た瞬間、アーサーの目がはっきりと輝く。


「あ! 見せて見せて!」


 木の束の正体を察したアーサーは、待ちきれないといった様子でアリスの手からもぎ取るように受け取ると、指先で紐をほどきながら一枚目をめくる。乾いた木の表面に刻まれた花の名や場所の印を追うように視線が走った。

「落ち着いて。そんな急いで見ても蜂が蜜を集めるペースは変わらないでしょ」


 アリスが呆れたように言うと、アーサーは「分かってるよ」と返しつつも手を止めない。 そのまま数枚をざっと見比べてから、ようやく顔を上げた。

 それは、効率的に蜜を採取するために蜂の巣箱を置く場所を判断するための、グリーブ地に咲く花の種類の記録だ。敷地のどの辺りにどんな花がまとまっているのか、季節の移りに合わせてどう変わっていくのか――忙しいアーサーに代わって、アリスが見て回り、書き付けてきたものだった。


「巣箱を設置する季節はもう終わってるでしょ。それでも花の情報って必要なの?」

「うん。今どうなってるかを知っておけば、次に置く場所も決めやすいし、蜜の出来も変わるんだ。どこに何があるか、ちゃんと分かってる方がいい」


 板をめくりながら答えるアーサーの声は、さっきまでの気恥ずかしさが嘘みたいに弾んでいる。


「へ~、そういう感じなのね」


 楽しそうに養蜂の話を続ける二人のやり取りを見ていたピーターは、軽く肩を竦めて口を挟んだ。


「養蜂のこととなると、本当に熱心になりますね、アーサー神父。アリス嬢の報告が有用なのは分かりますが……その前にやることがありますよね?」


 机の上の別の束に視線を落とされ、アーサーはぴたりと動きを止めた。


「あ、うん。その、畑の様子と収穫見込みの書き付けの作業中です……」


 言いながら視線が泳ぐ。


「ですよね。そして今日は体が一つしかないお忙しい神父様のために手伝いを呼んだつもりですが、気心が知れすぎてるせいで作業が滞るなら、次からやはりお一人で頑張っていただくことになりますよ」


 淡々とした口調に、アーサーは露骨に顔をしかめた。


「それは困るよ。僕、畑仕事したことないから分かる人が一人はいてくれないと」

「でしたらちゃんとやってください。読み書きの出来る者は少ないんですから、きちんと活用してください。それと、いつもお伝えしてますようにあまり食べ過ぎられますと、アーサーが太る前に代官殿にちょろまかしがバレてしまいます。ご注意くださいね」

「はーい」

「返事は伸ばさない」


 ぴしゃりと切られ、アーサーは小さく肩をすくめた。


「アリス嬢のご協力はありがたいのですが、アーサー様が養蜂の作業ばかりしないようにちゃんと監視をお願いします。私は別の作業に行ってきますので」

「承りました、ピーターさん」


 アリスは軽く頷き、残されたアーサーの方へちらりと視線を向けた。

 いまいち熱意に欠けるアーサーの仕事ぶりを心配していたピーターが念入りにお願いするとアリスはにこやかに返事をした。


「アーサー。あまりアリス嬢を自分の『趣味』に巻き込み過ぎないように」


 そう念入りに注意するピーターの厳しい眼差しは、まるでアーサーの内側まで見透かしているかのようで、思わず胸の奥がひやりとした。だがアーサーはすぐに視線を逸らし、いつものようにイタズラっぽく苦笑してやり過ごす。

 やがてピーターが執務室を出ていき、扉の向こうに足音が遠ざかると、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。

 アーサーとアリスは顔を見合わせ、自然と声を潜める。


「ピーター、やっぱり僕がウルフやルーシーと何かやってるって気が付いてるのかな?」


 アーサーは机に手をついたまま、少しだけ身を寄せて問いかけた。


「そうであってもおかしくないわよね。だったとしたら、なんで何も言ってこないのかしら」


 アリスも同じように声を落としながら首を傾げる。


「ピーターさんってあなたのお兄さんみたいなものだから、察してたら何も言わない訳ないわよ。まあでも厳しい時は厳しいけど、トーマスさんみたいに何でも駄目って言わないけど」

「そうかも。年齢は旦那様(クロムウェル伯爵)と大して変わらないんだけどね。でも本当に怒る時はトーマスさんよりずっと怖いよ……一緒に暮らしてると逃げ場無くって」


 アーサーは苦い顔で肩をすくめた。


「でもピーターさんが怒る時って、本当の本当にあなたが悪い時だからしょうがないわね。彼がアーサーの味方で、トーマスさんに告げ口するような人じゃないだけ感謝しなくちゃ。この間だって……」

「あわわ。と、ところで」


 アーサーは慌てて声を上げ、言葉を遮る。


「この間の聞き取り調査の報告書、ウルフに見せて来たよ。アリスが自分の身の危険も顧みずに水質汚染の事にはっきり触れてたの、ウルフが勇気あるって感心してたよ」


 話題を変えたのがあからさまだが、そんなアーサーをアリスは一瞬だけじっと見詰めては、すぐに小さく息をつく。


「うん……怖いけど、村の人が困ってるのにここで隠してもしょうがないでしょ。こんなの、パパやママには絶対話せない……けど、アーサーは私を絶対守ってくれるって信じてるから」


 声は小さいが、はっきりとした強さがあった。


「もちろんだよ」


 アーサーも真っ直ぐに答える。


「ウルフも今、一生懸命調査してくれてる。村の人に報告するにしても、君を危ない目には遭わせないって誓うから。問題解決まで、アリスにも協力してもらえると助かる。僕はあまり遠くに出かけたりできないから、君やみんなの力が必要なんだ」


 言いながら、机の上の書き付けにちらりと目を落とす。


「分かってるわよ。川に何かあるなら遅かれ早かれ粉挽きのミルナーの家が恨まれるのは目に見えている……だからこれは私の問題でもあるの。すべてが終わってから報告すればパパたちも分かってくれるわ」


 アリスは迷いなく言い切った。


「そうだと思う。じゃあ、一緒に頑張ろう」

「うん」


 二人は小さく頷き合い、それぞれの手元へと視線を戻す。さっきまでのひそやかな会話を切り替えるように、アーサーは木の板を手に取り、アリスも机の端に寄せられた束に手を伸ばした。



 一方代官のバートン邸ではトーマスが自室で難しい顔をしていた。

 ウルフを追い出すために行った嫌がらせが、手間のわりに思ったような効果が出なかったからだ。

 森に犬でも放てば流浪人くらいさっさと出て行ってくれると思ったが、奴は相変わらず森の一角を陣取ってのうのうと過ごしている。そればかりか、犬を連れてきた羊飼いによると、あの流浪人は多くの犬たちをあっという間に手懐けてしまったという。

 やはりあの男は見た目通り、人よりも獣に近い存在なのかもしれない。


『犬たちがあっという間に付き従うのは、まるで魔法のようでした』と羊飼い達が証言していることだし、そんな怪しい男はさっさと中央教会に突き出してしまいたいところだが、あの流浪人を教会が保護していると言い切られてしまった以上、ペンストレイト様の許可も無く中央教会に相談するのは難しくなってしまった。

 というか、中央教会が動くほどの事態の渦中にクロムウェルの倅が巻き込まれていると見られれば、私の管理能力が疑われ、それだけで代官の立場が飛びかねない。

 それに、この地域を監督しているロバート・カーター助祭長への根回しが、こんな急に出来るはずもない。

 そう、こんな状態で正式な調査を受け入れるわけにはいかないのだ。


(行政側の人間として、教会と一線を引いて付き合ってきたのが仇になってしまった。せめて助祭長殿が『話』の分かる方かくらい分かれば良いのだがな……)


 幸い、呪いの話はまだ村から漏れた様子はない。奇しくもアーサーが必死に火消しをして回っているからだ。

 直接的なことをやりすぎると証拠が残りやすくなるし、ここから先は噂を広めることだけに力を注ぐくらいにした方がよさそうだ。アーサーが教会を後ろ盾にして村民に何かを吹き込もうとも、あんな怪しい流浪人を誰も信用しないし、信頼が生まれるはずもない。異端者を庇って動くほど自分の信頼を失うことをアーサーは思い知るべきなのだ。上手くいけば、流浪人も追い払い、アーサーに自分の至らなさを実感させ、反省を促すことくらいはできるだろう。

 トーマスは謁見室での腹立たしいやり取りを思い出して憎しみを深めた。クロムウェルのくせに、私生児のくせに、弟子のくせに師匠に楯突く態度は許せるものではなかった。

 あの屈辱の落とし前はしっかりと受けてもらい、二度と逆らおうなどと思わないようにしてやりたい。

 若い司祭が思うより、愚民の不安が生む力が強いのを長年士官をしてきたトーマスは知っていた。



 夕方のミサの前、アーサーは診療所を訪れていた。

 戸口をくぐると、薄く煎じられた薬草の匂いと、湿った布の匂いが混ざり合って鼻をつく。室内には簡素な寝台が並べられ、顔色の悪い者や、ぐったりと横たわる者が静かに息をついていた。


「アーサー様」


 シスター・マーガレットが歩み寄り、軽く頭を下げる。


「今日はどうですか。患者の数は増えていませんか?」


 アーサーはすぐに問いかけた。

 その声音には、形だけではない真剣さが滲んでいる。


「今のところ急に悪くなった方はいませんが、食欲が戻らない方が多くて……。診察の数も昨日と同じくらいです」


 マーガレットの言葉に、アーサーは一人一人の様子を確かめるように視線を巡らせた。寝台の傍に立って声をかけ、必要があれば腰を落として目線を合わせる。その姿は、忙しさに追われている神父というよりも、ただ目の前の人間を気遣う一人の若者のものだった。

 ルーシーや他の世話人たちも、手を止めてその様子を見ている。

 誰も口には出さないが、同じ思いが胸に浮かんでいた。


――ここまで気に掛けてくれるのか、と。


 診療所を訪れている患者たちもまた、アーサーの言葉に耳を傾けていた。短い言葉でも、自分のために向けられていると分かるだけで、その表情がわずかに和らぐ。


「しばらくは様子を見るしかありませんが……」


 マーガレットが言いかけると、アーサーは小さく頷いた。


「分かっています。でも、せめて不安は和らげたい」


 そう言ってから、室内にいる者たちを見渡す。


「騒ぎが収まるまで、希望する方には毎日祝福を与えます。ここでも、教会でも構いません。必要な時は遠慮なく言ってください」


 その言葉に、患者たちの間に小さなどよめきが広がった。

 安堵と、驚きと、そして感謝が混ざったものだった。


「ありがとうございます、神父様……」


 誰かがそう呟くと、それに続くように頭を下げる者が増えていく。

 マーガレットもまた静かに頷き、世話人たちの間にもほっとした空気が流れた。

 アーサーの行いは、その日のうちに診療所の外へと伝わった。

 病人に寄り添い、毎日祝福を与える若い神父の噂は、瞬く間に村中へ広がっていく。

 だが同時に、別の噂もまた広がり続けていた。

 呪いの話だ。

 得体の知れない流浪人と、それに関わる異変。

 不安を抱えた者たちは、その話に引き寄せられるように耳を傾ける。

 アーサーの慈悲を称える声と、呪いを恐れる声。

 二つの流れはやがてぶつかり合い、互いを打ち消すように広がっていった。

 中には、強く流布される呪いの噂に心を引かれる者もいる。

 目に見えぬ不安は、優しさよりも強く人の心に残ることがあるからだ。

 静かな村の中で、目に見えない熱がゆっくりと広がっていた。

 放っておけば、やがてそれは大きな争いの火種へと変わりかねない。

 それはまだ水面下にある、だが確かに存在する危うさだった。


 ――果たして、間に合うのか。


 アーサーとウルフが原因を突き止めるより先に、村が揺らぎ始めてしまうのではないか。

 その不安だけが、静かに重く沈んでいった。

【続く】

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