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第98話「多言語観光案内、最後は絵本になる」

 ひまわり市役所の観光課には、最近“翻訳”という名の怪物が住んでいる。

 異界から観光客が来る。

 日本語が通じない。

 翻訳アプリは魔力で落ちる。

 結果――紙が増える。胃が減る。


「主任、観光課が泣いてます」

 総務課の職員が、今日も今日とて“泣いてます報告”を持ってきた。


「観光課が泣くのは日常になってきたな」

「原因が……“多言語観光案内”です」

「それも日常だ」

「でも今回は……最後が……」

「嫌な予感」

「絵本になりました」

「やっぱりかぁぁ!!」


 美月が目を輝かせる。


「来た! 予告回収! 役所が絵本!」

「喜ぶな! 観光課の胃は死んでる!」


 加奈が笑いながら言う。


「でも、絵本って分かりやすいよね。子どもも読めるし」

「分かりやすいは正義だ。

 ただ、“役所が絵本作ってる”って現実がやばい」


 市長が入ってきて、淡々と言った。


「よい。行政は伝える仕事でもある」

「それはそうなんですけど、手段がファンタジー寄りすぎます!」


 観光課の会議室は、紙と付箋とカラーペンで埋まっていた。

 机の上には、案内板の試作、パンフの試作、翻訳リスト――そして、厚紙の束。


「これが……絵本です」

 観光課の担当が、魂の抜けた声で言う。


 表紙には、可愛いイラストでこう書かれていた。


『はじめての ひまわり市 〜温泉とごはんとルールのほん〜』


「タイトルがもう可愛いのに胃が痛い!」


 美月が両手を合わせる。


「うわぁぁ、かわいい! 売れます!」

「売るな! まず配るための案内だ!」


 加奈がページをめくる。

 中は、まさに“絵で伝える”構成になっていた。


温泉に入る前に体を洗う


タオルは湯船に入れない


ドラゴン停留所は河川敷


ゴミは分別(絵で色分け)


夜は静かに(詠唱は部屋の中)


写真撮影OK/NGのマーク


 そして最後のページに、でかい文字。


「わからないときは しやくしょへ!」


「役所に誘導するなぁぁ! 窓口が死ぬ!」


 観光課担当が泣きそうに言った。


「主任……もう日本語で説明しても通じないんです……

 エルフは読めるけど、スライムは読めないし、ドラゴンは読まないし……」

「ドラゴンは読め!」

「読まないんです!」


 市長が頷いた。


「絵は、種族を越える」

「越えるけど、作る側の胃が越えない!」


 問題は、なぜ“絵本になったか”だ。

 観光課の担当が、これまでの歴史を語った。


「最初は多言語パンフでした。

 日本語、英語、エルフ語、ドワーフ語、魔族語……」

「増えすぎだ」


「翻訳したら、言葉の概念が違って、誤解が起きました。

 “温泉で体を洗う”を、魔族語で訳したら“儀式”になって……」

「儀式にするな!」


「ドワーフ語だと、注意書きが全部“命令”に聞こえて喧嘩になって……」

「命令に聞こえるのはまずい!」


「スライム語は……文字が溶けました」

「溶けるな!!」


 美月が真顔で言った。


「つまり……文字が限界」

「限界だ。だから絵本だ」


 加奈が頷く。


「絵なら、“命令”にも“儀式”にもならない。

 ただ、やってほしいことが伝わる」

「そう。説明より“動作”だ」


 勇輝は、観光課に提案した。

 ただ絵本にするだけじゃなく、“行政としての設計”を入れる。


「絵本はいい。でも、絵だけだと細かい例外が伝わらない。

 だから、二層構造にしよう」


絵本(誰でも読める):行動の基本だけ


詳細版(文字):宿・事業者向けに配布(説明責任のため)


「観光客には絵本。

 宿やガイドには詳細版。

 窓口にはQ&Aシート。

 こうして分ければ、全部が絵本にならない」


 観光課担当が、ぱっと顔を上げた。


「それなら……現場が回る……!」

「回すために作るんだ。可愛いだけで終わらせない」


 美月が言う。


「でも絵本、SNSで拡散したら……」

「炎上の匂いがするから黙れ!」


 市長が笑う。


「拡散は悪ではない。

 “公式”として出せばいい」

「公式の絵本……公費で……」

「必要経費だ」

「また軽い!」


 その日の午後。

 絵本制作会議が始まった。役所なのに。


 観光課、広報、美月、そしてなぜか加奈。

 加奈は喫茶店の看板娘なのに、町の“常識”担当として召喚された。


「加奈、温泉のマナー、絵で表すならどれが一番大事?」

「“かけ湯”かな。いきなりドボンが一番揉める」

「よし、1ページ目にする」


 美月がペンを走らせる。


「スライム用に、文字少なめ、絵多め。

 ドラゴン用に、アイコン大きめ」

「ドラゴン用って何だよ!」


 観光課が言う。


「魔族は“禁止”より“理由”が欲しい傾向があります」

「理由は、絵で補足する。

 “危ない”マークと、転ぶ絵で」


 ドワーフは命令に見える。

 なら、指さしの手ではなく、“お願い顔”のキャラを描く。


「行政が“お願い顔”のキャラ作るの、初めて見た……」

 勇輝が呟くと、市長がさらっと言う。


「ゆるキャラは自治体の武器だ」

「今日の議題、絵本ですけど!」


 完成した試作は、想像以上に“役所っぽくない”出来だった。

 でも、伝わる。


 試しに、異界市場の前で配ってみた。


 スライムが、絵本をぷるぷる揺らしながら見ている。

 ページをめくるたびに、理解したみたいにぷるん、と鳴る。


『ぷる(温泉)

 ぷる(かけ湯)

 ぷる(タオルは外)』


「……読めてる!」

 観光課が泣きそうになる。


 ドラゴンは、絵本を鼻先でつついて、ページをめくった。

 そして、停留所の絵を見て、河川敷の方向を指さすように尻尾を動かした。


「……ドラゴンも読んでる!」

「読まないって言ったの誰だよ!」


 エルフは普通に読んで、笑った。


「これは親切だ。森の子も理解できる」

 ドワーフは頷く。


「命令ではない。良い」

 魔族は腕を組む。


「合理的だ。

 “禁止”より“安全”を示している」


 勇輝は、ようやく息を吐いた。


「……よし。絵本、正解だ」


 美月が勝ち誇った顔をする。


「課長、役所、絵本作家デビューですね!」

「デビューするな! 業務だ!」


 ただし、最後に一つだけ問題が残った。

 絵本の最後のページ。


「わからないときは しやくしょへ!」


 勇輝は観光課担当を見た。


「ここだけ修正。

 “市役所”に誘導すると窓口が詰む。

 代わりに“観光案内所”と“宿”に誘導」


 観光課担当が頷く。


「確かに……役所は最後の砦で……」

「砦に観光客を呼ぶな!」


 加奈が笑った。


「でも、役所が砦なの、頼もしいけどね」

「砦でありたいけど、攻められたくない!」


 こうして、ひまわり市の多言語観光案内は、ついに――絵本になった。

 文字が溶けても、言葉がズレても、絵は残る。


 役所は今日も、開庁している。

 そしてたぶん、明日もまた――新しい“紙の形”が生まれる。


次回予告


公園の落書きが魔法陣だった。消すと増える。

清掃したいのに、掃除がトリガーになる地獄。

「公園の落書きが魔法陣:消すと増える」――勇輝、落書きを“管理”する!

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