第94話「公営住宅の住人が魔族:生活ルールの最適解」
ひまわり市役所の朝は、だいたい“相談”から始まる。
誰かの困りごとが、紙に包まれて窓口へ来る。
そしてその紙が、なぜか魔法で増える。最近は特に。
「主任……公営住宅の件で、緊急です」
住宅政策係の職員が、顔を引きつらせて異世界経済部に入ってきた。
「また空き家が勝手に光ってるとか?」
「それはスライム案件です! 今回は魔族案件です!」
「魔族が住んだ?」
「住んでます! もう住んでます!」
美月が椅子から跳ねた。
「えっ、公営住宅に魔族!? めっちゃ多様性!」
「多様性で片づけると炎上するから、慎重に言え!」
加奈がコーヒーを置きながら、落ち着いた声で聞く。
「トラブルは?」
職員は、指を折りながら言った。
「ゴミ出しが“夜中”です」
「共用廊下で“詠唱”してます」
「玄関前に“結界”貼ってます」
「そして一番やばいのが――」
「やばいのが?」
「“ルールは守ってる”って言い張ってます」
「守ってるのに揉める、いちばん面倒なやつ!」
そこへ、市長がふらっと現れた。
「いいじゃないか。公営住宅は“共生”の最前線だ」
「最前線に爆弾持ち込むな!」
勇輝は立ち上がった。
「現場行く。ルールの確認と、住民の話を聞く。
生活は“制度”が効く分野だ。ちゃんと落とす」
ひまわり市営ひまわり団地。
昭和感のある四階建て。廊下に風が通り、掲示板には自治会のお知らせがぎっしり貼ってある。
その掲示板の端っこに、最近追加された紙があった。
『異界住民の皆さまへ:ゴミ分別のお願い(絵で説明)』
美月が小声で言う。
「最後は絵本になる前に、もう絵になってる……」
「先回りするな」
団地の集会室には、自治会長と住民数名が集まっていた。
皆、疲れた顔をしている。だが怒りだけじゃない。困惑が混ざっている。
「主任さん、聞いてくださいよ……」
自治会長がため息をついた。
「魔族の方がね、悪い人じゃないんです。挨拶も丁寧。
でも、夜中にゴミ出しするし、廊下でボソボソ呪文みたいなの言うし……怖いんです」
「夜中のゴミ出しはダメですか?」
「ルール上は“収集日の朝8時までに”って書いてあるでしょう?
だから“夜中でも朝8時まで”って言われると……」
勇輝は、胃がキュッとなった。
ルールの穴を、善意で踏み抜くタイプだ。
そこへ、問題の当事者――魔族の入居者が入ってきた。
黒いコートに角。だが態度は驚くほど礼儀正しい。
「本日はお時間をいただき、感謝する。
我が名はリュディア。魔王領の文官だ」
「主任の勇輝です。今日は“生活ルール”の調整に来ました」
リュディアはすぐ頷いた。
「理解している。
私はルールを尊ぶ。契約を尊ぶ。だから揉めているのが不思議だ」
「揉めてる側も不思議なんですよ」
加奈がやわらかく入る。
「怖いって声があるの。夜の詠唱とか、結界とか」
「結界は防犯だ。あなた方も鍵をかけるだろう?」
「鍵はかける。けど、廊下に光る文字は貼らない」
美月が思わず言う。
「光る文字、映え――」
「黙れ」
まずゴミ出し。
勇輝は分別表を机に置き、リュディアに見せた。
「可燃、不燃、資源。収集日はこの通り。
問題は“出す時間”です。夜中に出すと、カラスが散らかす。風で飛ぶ。臭いも出る」
「カラス……鳥か。鳥は狡猾だ。理解した」
リュディアは真面目に聞き、言った。
「だが、朝は弱い。日光は魔族に刺さる」
「刺さるって言うな。……でも事情は分かった。なら代替策が必要だ」
自治会長が小さく言う。
「朝出せないなら、前の日の夜に出す人もいますよ」
「それもやめてって掲示してるんですけどね……」
勇輝はすぐ整理した。
「解決策。
①収集日の“前日夜”は原則禁止のまま
②ただし“例外枠”として、管理人立会いの保管庫を使う」
団地にはゴミ置き場がある。
鍵付きの保管庫を増設できれば、夜間に出しても散らからない。
市長が満足げに頷いた。
「いい。保管庫は予算で対応できる」
「軽い! でも助かる!」
リュディアが頷く。
「鍵付きなら契約に合う。私はそこに出す」
「その代わり、分別は守ってください」
「守っている。だが“資源”とは何だ?」
美月が即答した。
「ペットボトルです! 異界だと“透明の水筒”みたいなやつ!」
「表現が雑!」
加奈が笑いながら補足する。
「あと“呪いの瓶”は不燃ね」
「呪いの瓶!?」
「冗談。……たぶん」
勇輝は眉間に力を入れた。
“たぶん”が一番怖い。
次は騒音。
住民が言う。
「夜に、廊下で“ぶつぶつ”言ってるんですよ。
あれ、呪いじゃないんですか」
「違う。静音魔法の詠唱だ。生活音を消している」
「え、逆に静かにしてくれてるの?」
「そうだ。私は迷惑をかけたくない」
勇輝は思わず言った。
「……善意が方向音痴だな」
「方向音痴?」
「こっちの言い方です」
静音魔法で生活音を消す。
発想としては優しい。だが、廊下で詠唱すると“怖い”。
なら、手段を変える。
「詠唱は部屋の中で。廊下は共用です。
さらに“詠唱不要”の方法も考えましょう」
リュディアが首を傾げる。
「不要?」
「夜間は、スリッパを静音タイプに。ドアクローザー調整。
つまり物理で解決です」
自治会長が「それだ!」という顔をした。
「普通の対策だ……ありがたい……」
「普通が一番強いんですよ」
美月が手を挙げる。
「じゃあ“魔族用・静音スリッパ”を返礼品に――」
「しない! 公営住宅だ!」
最後に、結界。
住民の不安の中心だ。
「玄関前に赤い線が……子どもが踏んだらどうなるんですか」
「踏んでも何もない。侵入者にだけ反応する」
「侵入者って誰判定ですか! 自治会長も侵入者になりそう!」
「自治会長は侵入者ではない」
「その判断が怖いんだって!」
勇輝は、ここが一番“行政”だと感じた。
安全のための装置が、別の不安を生む。
「結界は、玄関内側だけにしてください。外(共用部)に出さない。
共用部は“共用”です。個人の防犯は部屋の中で完結させる」
「理解した。共用部は契約外だな」
リュディアの理解は早い。
だが、住民の不安は一度ついたら簡単に消えない。
加奈が、穏やかに提案した。
「一回、“生活ルール説明会”をやろう。
お互いの文化の違いを知るだけで、怖さって減るから」
「やります。小規模で。質問タイムあり。
そして文章は短く、絵は多め。最後は絵本にしない程度で」
美月がニヤッとする。
「絵本にしない程度、って言い方がもう絵本です」
「黙れ!」
その場で、ひまわり団地の“共生ルール”は簡単にまとまった。
「公営住宅・異界住民向け生活ルール協定(試行)」
ゴミ出し:収集日の朝が原則。事情ある場合は鍵付き保管庫(夜間OK)
詠唱:廊下禁止。部屋内のみ(静音は物理対策も併用)
結界:玄関の内側のみ。共用部には設置しない
共用部:廊下・階段・掲示板は“誰のものでもない=みんなのもの”
困ったら:自治会長・管理人・市役所に相談(“囁き”で決めない)
市長が最後の一文を読んで、少し咳払いした。
「……囁きは反省している」
「反省を継続してください」
リュディアが深く頭を下げた。
「私の善意が、恐怖を生んだことは想定外だった。
以後、ルールに従う。説明会にも出る」
「助かります。こちらも“分かる形”で伝えます」
自治会長が、ようやく笑った。
「主任さん、これなら……やっていけそうだ」
「やっていけます。問題が出たら、また調整します。
ルールは“作って終わり”じゃないので」
集会室を出るとき、廊下がいつもより静かだった。
たぶん、リュディアが詠唱をやめたせいじゃない。
住民の肩から、少し力が抜けたせいだ。
勇輝は、心の中で小さく頷く。
公営住宅は、町の縮図だ。
暮らしは、ルールで守る。
そしてルールは、人のために調整され続ける。
――魔族が相手でも、そこは変わらない。
次回予告
税の督促に行ったら、相手が“時間停止”で逃げた。
止まるのは時間だけじゃない、事務手続きも止まる。
「税の督促、相手が時間停止で逃げる」――徴収係、次元を超えて追う!




