表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

94/141

第94話「公営住宅の住人が魔族:生活ルールの最適解」

 ひまわり市役所の朝は、だいたい“相談”から始まる。

 誰かの困りごとが、紙に包まれて窓口へ来る。

 そしてその紙が、なぜか魔法で増える。最近は特に。


「主任……公営住宅の件で、緊急です」

 住宅政策係の職員が、顔を引きつらせて異世界経済部に入ってきた。


「また空き家が勝手に光ってるとか?」

「それはスライム案件です! 今回は魔族案件です!」

「魔族が住んだ?」

「住んでます! もう住んでます!」


 美月が椅子から跳ねた。


「えっ、公営住宅に魔族!? めっちゃ多様性!」

「多様性で片づけると炎上するから、慎重に言え!」


 加奈がコーヒーを置きながら、落ち着いた声で聞く。


「トラブルは?」

 職員は、指を折りながら言った。


「ゴミ出しが“夜中”です」

「共用廊下で“詠唱”してます」

「玄関前に“結界”貼ってます」

「そして一番やばいのが――」


「やばいのが?」

「“ルールは守ってる”って言い張ってます」

「守ってるのに揉める、いちばん面倒なやつ!」


 そこへ、市長がふらっと現れた。


「いいじゃないか。公営住宅は“共生”の最前線だ」

「最前線に爆弾持ち込むな!」


 勇輝は立ち上がった。


「現場行く。ルールの確認と、住民の話を聞く。

 生活は“制度”が効く分野だ。ちゃんと落とす」


 ひまわり市営ひまわり団地。

 昭和感のある四階建て。廊下に風が通り、掲示板には自治会のお知らせがぎっしり貼ってある。


 その掲示板の端っこに、最近追加された紙があった。


『異界住民の皆さまへ:ゴミ分別のお願い(絵で説明)』


 美月が小声で言う。


「最後は絵本になる前に、もう絵になってる……」

「先回りするな」


 団地の集会室には、自治会長と住民数名が集まっていた。

 皆、疲れた顔をしている。だが怒りだけじゃない。困惑が混ざっている。


「主任さん、聞いてくださいよ……」

 自治会長がため息をついた。


「魔族の方がね、悪い人じゃないんです。挨拶も丁寧。

 でも、夜中にゴミ出しするし、廊下でボソボソ呪文みたいなの言うし……怖いんです」


「夜中のゴミ出しはダメですか?」

「ルール上は“収集日の朝8時までに”って書いてあるでしょう?

 だから“夜中でも朝8時まで”って言われると……」


 勇輝は、胃がキュッとなった。

 ルールの穴を、善意で踏み抜くタイプだ。


 そこへ、問題の当事者――魔族の入居者が入ってきた。

 黒いコートに角。だが態度は驚くほど礼儀正しい。


「本日はお時間をいただき、感謝する。

 我が名はリュディア。魔王領の文官だ」

「主任の勇輝です。今日は“生活ルール”の調整に来ました」


 リュディアはすぐ頷いた。


「理解している。

 私はルールを尊ぶ。契約を尊ぶ。だから揉めているのが不思議だ」

「揉めてる側も不思議なんですよ」


 加奈がやわらかく入る。


「怖いって声があるの。夜の詠唱とか、結界とか」

「結界は防犯だ。あなた方も鍵をかけるだろう?」

「鍵はかける。けど、廊下に光る文字は貼らない」


 美月が思わず言う。


「光る文字、映え――」

「黙れ」


 まずゴミ出し。

 勇輝は分別表を机に置き、リュディアに見せた。


「可燃、不燃、資源。収集日はこの通り。

 問題は“出す時間”です。夜中に出すと、カラスが散らかす。風で飛ぶ。臭いも出る」

「カラス……鳥か。鳥は狡猾だ。理解した」


 リュディアは真面目に聞き、言った。


「だが、朝は弱い。日光は魔族に刺さる」

「刺さるって言うな。……でも事情は分かった。なら代替策が必要だ」


 自治会長が小さく言う。


「朝出せないなら、前の日の夜に出す人もいますよ」

「それもやめてって掲示してるんですけどね……」


 勇輝はすぐ整理した。


「解決策。

 ①収集日の“前日夜”は原則禁止のまま

 ②ただし“例外枠”として、管理人立会いの保管庫を使う」


 団地にはゴミ置き場がある。

 鍵付きの保管庫を増設できれば、夜間に出しても散らからない。


 市長が満足げに頷いた。


「いい。保管庫は予算で対応できる」

「軽い! でも助かる!」


 リュディアが頷く。


「鍵付きなら契約に合う。私はそこに出す」

「その代わり、分別は守ってください」

「守っている。だが“資源”とは何だ?」


 美月が即答した。


「ペットボトルです! 異界だと“透明の水筒”みたいなやつ!」

「表現が雑!」


 加奈が笑いながら補足する。


「あと“呪いの瓶”は不燃ね」

「呪いの瓶!?」

「冗談。……たぶん」


 勇輝は眉間に力を入れた。

 “たぶん”が一番怖い。


 次は騒音。

 住民が言う。


「夜に、廊下で“ぶつぶつ”言ってるんですよ。

 あれ、呪いじゃないんですか」

「違う。静音魔法の詠唱だ。生活音を消している」

「え、逆に静かにしてくれてるの?」

「そうだ。私は迷惑をかけたくない」


 勇輝は思わず言った。


「……善意が方向音痴だな」

「方向音痴?」

「こっちの言い方です」


 静音魔法で生活音を消す。

 発想としては優しい。だが、廊下で詠唱すると“怖い”。


 なら、手段を変える。


「詠唱は部屋の中で。廊下は共用です。

 さらに“詠唱不要”の方法も考えましょう」


 リュディアが首を傾げる。


「不要?」

「夜間は、スリッパを静音タイプに。ドアクローザー調整。

 つまり物理で解決です」


 自治会長が「それだ!」という顔をした。


「普通の対策だ……ありがたい……」

「普通が一番強いんですよ」


 美月が手を挙げる。


「じゃあ“魔族用・静音スリッパ”を返礼品に――」

「しない! 公営住宅だ!」


 最後に、結界。

 住民の不安の中心だ。


「玄関前に赤い線が……子どもが踏んだらどうなるんですか」

「踏んでも何もない。侵入者にだけ反応する」

「侵入者って誰判定ですか! 自治会長も侵入者になりそう!」

「自治会長は侵入者ではない」

「その判断が怖いんだって!」


 勇輝は、ここが一番“行政”だと感じた。

 安全のための装置が、別の不安を生む。


「結界は、玄関内側だけにしてください。外(共用部)に出さない。

 共用部は“共用”です。個人の防犯は部屋の中で完結させる」

「理解した。共用部は契約外だな」


 リュディアの理解は早い。

 だが、住民の不安は一度ついたら簡単に消えない。


 加奈が、穏やかに提案した。


「一回、“生活ルール説明会”をやろう。

 お互いの文化の違いを知るだけで、怖さって減るから」

「やります。小規模で。質問タイムあり。

 そして文章は短く、絵は多め。最後は絵本にしない程度で」


 美月がニヤッとする。


「絵本にしない程度、って言い方がもう絵本です」

「黙れ!」


 その場で、ひまわり団地の“共生ルール”は簡単にまとまった。


「公営住宅・異界住民向け生活ルール協定(試行)」


ゴミ出し:収集日の朝が原則。事情ある場合は鍵付き保管庫(夜間OK)


詠唱:廊下禁止。部屋内のみ(静音は物理対策も併用)


結界:玄関の内側のみ。共用部には設置しない


共用部:廊下・階段・掲示板は“誰のものでもない=みんなのもの”


困ったら:自治会長・管理人・市役所に相談(“囁き”で決めない)


 市長が最後の一文を読んで、少し咳払いした。


「……囁きは反省している」

「反省を継続してください」


 リュディアが深く頭を下げた。


「私の善意が、恐怖を生んだことは想定外だった。

 以後、ルールに従う。説明会にも出る」

「助かります。こちらも“分かる形”で伝えます」


 自治会長が、ようやく笑った。


「主任さん、これなら……やっていけそうだ」

「やっていけます。問題が出たら、また調整します。

 ルールは“作って終わり”じゃないので」


 集会室を出るとき、廊下がいつもより静かだった。

 たぶん、リュディアが詠唱をやめたせいじゃない。

 住民の肩から、少し力が抜けたせいだ。


 勇輝は、心の中で小さく頷く。


 公営住宅は、町の縮図だ。

 暮らしは、ルールで守る。

 そしてルールは、人のために調整され続ける。


 ――魔族が相手でも、そこは変わらない。


次回予告


税の督促に行ったら、相手が“時間停止”で逃げた。

止まるのは時間だけじゃない、事務手続きも止まる。

「税の督促、相手が時間停止で逃げる」――徴収係、次元を超えて追う!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ