第91話「説明会が地獄:反対派も賛成派も同じ主張」
ひまわり市役所の会議室には、たまに“空気が重い日”がある。
書類が重いんじゃない。椅子が重いんでもない。
人の気持ちが、重い。
今日は、その日だった。
「主任……今日の夜、住民説明会です」
総務課の担当が、資料の束を抱えて異世界経済部にやってきた。
「何の説明会?」
「天空橋周辺の“安全対策工事”です。
昨日、巨人業者が応急復旧した件も含めて、今後の整備計画を――」
勇輝は眉をひそめた。
「……荒れそうだな」
「はい……荒れます。
でも、荒れ方が……いつもと違うんです」
「違う?」
「反対派も賛成派も……同じこと言ってます」
「……は?」
美月が隣で目を輝かせる。
「え、なにそれ。カオス回じゃないですか!」
「喜ぶな!」
加奈がコーヒーを置きながら、静かに聞く。
「同じことって……例えば?」
「“子どもが安心できる町にしてほしい”です」
「それ、誰も反対できないやつだ」
「そうなんです。誰も反対してないのに、揉めてます」
市長が入ってきて、淡々と言った。
「揉めるのは健全だ」
「健全の範囲を超えてる気がします」
勇輝は資料を受け取り、ページをめくる。
そこには予想通りの地獄が書いてあった。
工事に賛成:安全が最優先。早くやれ
工事に反対:安全が最優先。危ないからやるな
工事に慎重:安全が最優先。まず説明しろ
工事に疑問:安全が最優先。誰が責任取る
「……全部“安全が最優先”だ」
勇輝は立ち上がった。
「よし。今日の勝負は、定義づけだ。
“安全”が何かを、具体に落とす」
美月が手を挙げる。
「具体って、どうやるんですか?」
「数字とルールと手順だ。役所の得意分野だ」
加奈が頷く。
「“みんな同じ言葉”のときほど、噛み合ってないもんね」
「そう。言葉は同じでも、見てる未来が違う」
夜。ひまわり市民ホール。
会場は満席に近かった。町が異界に転移してからというもの、説明会の出席率だけは異様に高い。
前列には子ども連れの親。
後ろには商店街の人。
脇には異界側の見学者――エルフ、ドワーフ、魔族の顔も見える。
司会の総務課担当がマイクを握り、緊張で声が少し上ずった。
「本日は、天空橋周辺の安全対策工事について――」
言い終わる前に、手が上がる。
いや、手が上がるというか、上がりすぎている。何十本も。
「はい、そこの方」
司会が当てると、男性が立ち上がって叫んだ。
「子どもが安心できる町にしてください! 危ない橋なんて、今すぐ閉鎖だ!」
「閉鎖は――」
次の瞬間、別の女性が立ち上がる。
「子どもが安心できる町にしてください! 通学路が遠回りになるから閉鎖は困る!」
「閉鎖の話は――」
すぐ隣の高齢者が立つ。
「子どもが安心できる町にしてください! 橋が壊れたままでは危ない、早く工事しろ!」
「工事は――」
商店街の人が立つ。
「子どもが安心できる町にしてください! 工事で通行止めになると店が死ぬ!」
会場がざわざわどころじゃない。
全員が同じ旗を掲げて、違う方向へ走っている。
美月が小声で言った。
「課長……全員、正しいこと言ってません?」
「正しい。だから地獄なんだよ」
市長がマイクを取ろうとするが、勇輝が目で制した。
市長が喋ると、囁きと笑みが混ざって余計に増える。
勇輝は席から立ち、前へ出た。
「皆さん。
“子どもが安心できる町”は、全員の目標です。
ここまでは一致してます」
会場が一瞬だけ静かになる。
――“一致してる”と言われると、少し落ち着く。人間は単純だ。
勇輝は続けた。
「ただ、今は“安心”の中身がバラバラです。
なので、ここで整理します。
安心=安全と利便性と生活、全部のバランスです」
前列の父親が言う。
「バランスじゃなくて、安全が最優先だろ!」
「最優先です。だからこそ、安全を具体にします」
勇輝はスライドを映した。
役所の説明会にしては珍しく、数字が並ぶ。
橋の耐荷重(現状):制限あり
歩行者通行量(通学時間帯):平均○○人
危険箇所:支柱部・手すり部・路面段差
工事期間(案):○日
迂回路の距離:+○m
交通誘導員配置:○人
「まず、橋は“閉鎖するかしないか”ではありません。
現状は、応急復旧済み。
ただし、正式検査が終わるまで――大型通行は制限します」
ドワーフが手を挙げた。
「大型とは、どれほどだ」
「トラック、観光用ドラゴン荷車、巨人の歩行」
「巨人、歩行って言われた」
会場がざわっと笑った。
笑いが出た瞬間、空気は少しだけ軽くなる。
勇輝はそこで畳みかけた。
「次に、工事の影響。
通行止めを“ゼロ”にするのは無理です。
でも“最小”にする方法はあります。
夜間工事、休日集中、仮設通路」
反対派っぽい男性が言う。
「夜間工事はうるさいだろ!」
「うるさいです。なので、夜間は“音が出ない工程”だけ。
音が出る工程は昼に。
その代わり、昼の通行規制は時間を区切ります」
賛成派っぽい女性が言う。
「そんな細かい調整、守れるの?」
「守らせます。守れないなら工事は止まります。
だから、業者選定も“技術提案型”にします」
市長が横で頷いている。ドワーフ入札の伏線回収だ。
加奈が後ろで小声で言う。
「ちゃんと前の話が生きてる」
「生かすしかない」
それでも、会場の熱は簡単に引かない。
「子どもが安心できる町に!」
また同じ言葉が飛ぶ。
今度は、若い母親だった。
「異界の人が増えて、正直怖い。
橋のところで、ドラゴンが寝てたって聞いた。
子どもが安心できる町にしてほしい」
空気が、少しだけ刺さる。
言葉の裏にあるのは、不安だ。
そしてそれは、簡単に否定すると燃える。
勇輝は息を吐き、丁寧に答えた。
「怖いと感じるのは自然です。
なので、対策をセットで出します。
橋周辺は“見守り”を増やす。
巡回、照明、防犯カメラ、そして多言語の注意喚起」
魔族の見学者が手を挙げた。
「それは、我らへの監視か?」
「監視じゃないです。“事故防止”です。
人間も異界も、誰でも同じルールで守るためのものです」
ドワーフが頷く。
「なら公平だ」
「そう。公平に安全を守る」
市長がここでマイクを取った。
「私からも一言。
“子どもが安心できる町”は、言葉として正しい。
だが、正しい言葉だけでは町は動かない。
だから、我々は――具体の手順で示す」
珍しく、まともなことを言った。
勇輝は心の中で拍手した。口に出すと囁きが増えるので出さない。
説明会の終盤。
勇輝は最後に、結論を三つにまとめた。
橋は応急復旧済みだが、正式検査までは通行制限
工事は段階的に実施し、通行止めは時間帯を区切って最小化
橋周辺の見守りと多言語案内を同時に強化し、不安を減らす
そして、最後に言った。
「皆さんの“同じ言葉”は、町にとって力です。
ただ、その言葉を現実にするには、具体が必要です。
今日の議論は、具体に近づきました」
拍手が起きた。
完全な納得ではない。
でも、暴発もしなかった。
――説明会としては、勝ちに近い。
控室に戻ると、総務課担当が崩れ落ちた。
「主任……生きてます……」
「お疲れ。今日のあなた、よく耐えた」
美月が言う。
「課長、今日の学び。
“みんな同じこと言うときが一番怖い”」
「それ、役所の金言にするな」
加奈が笑いながら、紙コップの水を渡してきた。
「はい。“聖水”じゃないやつ」
「その言い方、やめろ!」
市長が満足げに言った。
「良い説明会だった」
「胃が死にかけました」
「胃も町の一部だ」
「そんな町は嫌です!」
それでも勇輝は、帰り道に少しだけ思った。
住民が同じ言葉でぶつかるのは、町が本気で未来を考えている証拠だ。
面倒で、重くて、ややこしい。
でも――それが“生きてる町”だ。
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