第9話「転移省の査察官」
■波乱の朝
ひまわり市役所の朝は、だいぶ賑やかになってきた。
書類の山、翻訳魔法の光、そして異世界語が飛び交う。
だがその日は、いつもの混沌よりひとつ濃い緊張感が漂っていた。
ドンッ!
異世界経済部のドアが勢いよく開く。
美月がペンを落として跳ね上がった。
「お、お客様ですか!?」
長身の女性が立っていた。
銀髪をきっちり束ね、黒のスーツ風ローブを纏っている。
背中には金色の刺繍で“秩序”の文字。
目はまっすぐ冷たい――まさに官僚の目だ。
「転移管理省・監査局第七課、リエン=グラース。」
淡々と名乗ったあと、彼女は一枚の書類を静かに掲げる。
「この町――“ひまわり市”の転移は、不正空間干渉の疑いがあります。
本日より臨時査察を行います。」
勇輝はコーヒーを落としそうになり、町長が慌てて前に出た。
「いやいや! 不正のつもりじゃなくてですね! 偶然の……事故の……」
リエンの声は容赦がない。
「手続きのない転移は違法です。
規定第42条――“自発的異界漂着”の項に基づき――」
赤い印章が光る。
『即時是正命令。該当空間の隔離、及び解体対象として登録。』
美月が青ざめて叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待ってください! “解体”って何ですか!?」
「あなた方の“町ごと”を、元の世界座標から切り離す処理です。」
「要するに――消すってこと!?」
「語弊があります。“修正”です。」
語尾は柔らかいが、内容はまるで断頭台の宣告だった。
■市庁舎
数分も経たず、市の掲示板とSNSは噂で溢れた。
『この町、消えるらしいぞ』
『また行政絡みか!』
『解体って物理?精神?税金?』
どれも正しいようで間違ってる。
だが、パニックの伝播速度だけは世界共通らしい。
■査察ヒアリング
午後、会議室。
リエンは淡々とヒアリングを進める。
表情ひとつ変えず、質問と記録を繰り返す。
「転移時の状況を説明して。」
勇輝が資料をめくりながら答える。
「ええと……観光イベント中に空が割れて、光が降って――」
「科学的根拠は?」
「……魔法的根拠ならあります。
スライムが証言してくれます。」
「書面で。」
勇輝の心が折れる音がした。
■緊急会議(混乱含む)
町長室では、経済部メンバーが集まり対策会議。
ホワイトボードには雑に書き殴られた案が並ぶ。
【転移弁明案】
・うっかり
・不可抗力
・観光効果大
・情状酌量希望
・※泣けば許される?(美月)
「……だめだ。全部弱い。」
「泣き落とし削除!? 有効な行政手法なのに!」
「どうする? このままじゃ“異界削除”だぞ!」
「でも私たち、違法のつもりじゃ……」
「“つもり”は法では通らんのだ!」
市長が頭を抱える中、リリアがふと立ち上がる。
「待って――彼女、本当に“消す”つもりなのかな?」
「え?」
「リエンさんの目、冷たいけど……“迷ってる”感じがした。
多分、誰かに命令されてる。」
勇輝は小さくうなずいた。
「……じゃあ、こっちもただ守りに入るだけじゃダメだな。」
■屋上・夜のシーン
リエンは役所の屋上で、一人、空を見上げていた。
月が二つ浮かんでいる。
この世界に来てから、もう何度目の監査だろう。
「……また、ここも“誤転移”か。」
そこにリリアが現れた。
ホット缶コーヒーを二つ持って。
「夜勤、お疲れ様。異世界でも缶コーヒーは合法ですよ。」
リエンは無言で受け取る。
一口飲んで、少しだけ表情が柔らいだ。
「……あなたたちは、なぜここに留まる?」
「帰る方法がわからないし、でも――ここには、もう“町”がある。
人がいて、暮らしがあって。
それを壊されるのは、行政職員として許せない。」
「行政……?」
「ええ。こっちの世界の“市役所職員”。
だから、あなたの気持ちも少しわかる気がする。」
リエンは缶を見つめたまま、つぶやいた。
「……私は、世界の歪みを正すのが仕事。
でも、正すたびに誰かが泣く。
それでも、止めるわけにはいかない。」
「だったら、“正しさ”の基準を一緒に作ればいいじゃない。
ここを、“異界融合モデル”として――共存の証明に。」
■翌朝・決断
リエンは転移省本部に通信魔法を開く。
背後には市長と勇輝たち。
「査察の結果報告。
――本件、“偶発的転移”かつ“安定的自治運営を確認”。
よって、“修正対象”から“観測保留”へ変更を申請します。」
「リエン監査官、それは越権行為では?」
魔法通信越しに、上司の声が響く。
「報告書はすでに提出済みです。決裁印もいただいてます。」
にこり、と笑う。
(※前夜、市長印を“観光協定書”の流用で転用していた)
「……なんて強引な!」
市長が頭を抱えた。
「異世界行政は、現場判断が命です。」
リエンは肩をすくめて微笑む。
「では、当面この町は“異界融合観測指定都市”として扱います。
監査は終了――ただし、私はしばらく滞在します。」
「えっ!? まだ居るんですか!?」
「あなたたちが次に何をやるか、興味があるので。」
笑顔――初めて見せた、心からの笑顔だった。
「こうして、ひまわり市は消滅の危機を脱した。
だが、彼らの挑戦は、まだ序章に過ぎない――。」
次回予告
第10話 「異界祭と消えた温泉」
市の目玉“温泉観光”が突如枯渇!?
原因は――ドラゴンの寝返り?それとも“魔力汚染”!?
ひまわり市、初の災害対応へ!




