第89話「入札の流儀:ドワーフが相見積もりを拒否」
ひまわり市役所には、月に一度くらい“胃が縮む日”がある。
それが――入札日だ。
誰が悪いわけでもない。
ただ、金が動く。責任が動く。書類が動く。
そして、今日の入札は――異界案件が混ざっていた。
「主任、今日は“異界向け案内板”の設置工事の入札です」
財政課の佐伯課長(別部署だが顔が疲れている人)が、会議室の前で資料を渡してくる。
「案内板……多言語化のやつか」
「はい。“最後は絵本になる”前に、まず文字で整備する計画です」
「絵本にする気はあるんだな……」
美月がにやにやする。
「課長、案内板のデザイン、私の案も入ってますよ!
ピクトグラム多めで、映える感じ――」
「映えるより、読めるを優先しろ」
加奈が小声で言った。
「入札ってことは、業者さんも来るんだよね」
「来る。いつもの建設会社も、看板屋も、そして――」
勇輝は資料の参加業者一覧を見て、嫌な名前を見つけた。
「……ドワーフ連合、入ってる」
「入ってますね!」美月が元気に言う。「職人さん、誇り高いですよね!」
「誇りが高いのはいいけど、入札は誇りだけじゃ回らない」
市長が会議室に入ってきて、さらっと言った。
「公平に競争してもらう。これが行政だ」
「その言葉、今日の伏線になりそうで怖いです」
入札室は、いつもより人が多かった。
スーツ姿の日本側業者に混じって、革のエプロンを着たドワーフがいる。
髭は立派、眼光は鋭い。腕が太い。とにかく“圧”がある。
ドワーフの代表――ゴルド(例の給食の人とは別の、工匠側のゴルド)が、胸を張って椅子に座っていた。
机の上には、分厚い紙束。見積書らしいが、紙が妙に光っている。たぶん金属粉が混じっている。
「……見積書が輝いてる」
美月が小声で言う。
「輝かせるな。税金の見積書だぞ」
司会の契約担当が、淡々と進行する。
「それでは、ひまわり市発注、異界観光案内板設置工事の入札を開始します。
本件は指名競争入札――」
言い終わる前に、ゴルドが手を挙げた。
「待て」
室内の空気が一瞬で凍った。
ドワーフの声は低い。腹に響く。
「相見積もりは、拒否する」
「……え?」
契約担当が固まる。
勇輝は、心の中で叫んだ。
(来た……!)
ゴルドは立ち上がり、堂々と言い放った。
「魂を込めた見積は、一社のみ。
他社と並べて比べるなど、侮辱だ。
我らは“値段”で負けるなら、最初から入札しない」
「入札来るなぁぁ!!」
勇輝のツッコミが、喉元まで出たが、飲み込んだ。
ここは会議室。叫べない。叫びたい。
市長が、静かに言う。
「ゴルド殿。ここはひまわり市。
公の契約は、公平性が大事だ。相見積もりは基本だ」
「公平性? 我らは公平だ。
同じだけ魂を込めている。違うのは“誇り”だ」
「誇りで予算超過を正当化するな!」
美月が小声で言う。
「課長、これ……バトル漫画みたいです」
「行政はバトル漫画じゃない!」
加奈は落ち着いて状況を見ていた。
そして勇輝に耳打ちする。
「これ、真正面から否定すると拗れるよね」
「拗れる。というか、すでに拗れてる」
契約担当が必死に場を戻そうとする。
「えっと……本件は市の契約規則に基づき――」
「規則は、人間の誇りを測る物差しではない」
「誇りは測らなくていいです!」
勇輝は立ち上がり、前に出た。
「ゴルドさん。あなたが言いたいのは、“安さ勝負”が嫌だってことですよね」
「当然だ。安くするほど、魂が薄まる」
「魂を濃縮するな!」
勇輝は深呼吸した。
この手の案件は、相手の“価値観”を否定しないで、制度に落とすのが正解だ。
「わかりました。なら、方式を変えます。
“価格だけで決める”入札じゃなく、技術提案型に切り替える」
室内がざわついた。
市長が目を細める。
「ほう。具体的には?」
「価格は基準内で、提案内容と品質、耐久性、保守性を評価します。
つまり、魂を込めた分を“説明”してもらう」
「説明……」
ゴルドが腕を組む。
「我らの魂を、言葉で?」
「はい。言葉にしてください。行政はそれで判断する」
美月が小声で言う。
「魂のプレゼン……」
「笑うな。こっちは真剣だ」
契約担当が恐る恐る言った。
「主任、それ……制度上、可能です。
ただし、仕様書と評価基準の作り直しが必要で……」
「やります。今日の入札は中止。公告し直し」
「えっ、今日中止――」
「中止!」
胃は痛むが、ここで強行したら後で爆発する。
勇輝は、ここで一気に決めた。
市長が頷く。
「合理的だ。公平性も守れる。
ただ、時間がかかるぞ」
「時間がかかっても、揉めるよりマシです」
入札室は一旦解散になった。
日本側の業者は「またか」とため息をつき、ドワーフは不満そうに鼻を鳴らす。
廊下で、ゴルドが勇輝を呼び止めた。
「主任ユウキ」
「はい」
「我らは、侮辱されたくない。
だが、貴殿は……侮辱しなかった」
「侮辱したら、もっと面倒になるからです」
「正直だな」
ゴルドは少しだけ口元を上げた。
――笑ったように見えた。たぶん。
「技術提案型。
我らの魂を、紙に落とせと言うのだな」
「落としてください。仕様書と提案書に」
「なら、やる。
ただし、言っておく。
我らの案内板は百年持つ」
「百年持つなら、保守費用が減る。そこは強いな」
勇輝が真面目に言うと、ゴルドが胸を張った。
「当然だ。
木は森と相談し、石は山に礼を言い、金属は火と語る」
「その工程、見積内訳に書けます?」
「書ける」
「書けるのかよ!」
美月が横でメモしている。
「“火と語る”……キャッチコピーに――」
「使うな!!」
加奈が、ほっとしたように言った。
「ちゃんと“折り合い”ついたね」
「折り合いというか、制度を変えて折り合いを作った」
市長が満足げに頷く。
「いいじゃないか。
異界と日本の行政が、お互いの価値観を翻訳している」
「翻訳代が胃に来てます」
午後。異世界経済部と契約担当、観光課、そしてドワーフ連合が集まって、仕様のたたき台を作り始めた。
勇輝はホワイトボードに書く。
技術提案型(総合評価)
価格:上限あり(予定価格内)
評価:耐久性/視認性/多言語対応/保守性/材料調達の透明性
“魂”は提案書で説明(※表現は自由だが根拠は必要)
ドワーフの職人が、真顔で言った。
「魂の根拠は、火だ」
「火は根拠じゃない! でも……工程の説明として書くのはあり!」
美月が笑いながら言う。
「課長、今日の会議、名言多いですね」
「名言じゃなくて議事録に残るんだよ!」
加奈が囁く。
「でも、案内板が百年持つなら、町の財政には優しいかも」
「……確かに。初期費用は高くても、ライフサイクルコストで見れば合理的」
勇輝はそこで、ようやく気づいた。
ドワーフの“誇り”は、単なるわがままじゃない。
長期品質という行政的にも重要な価値に繋がる。
「……なるほど。
誇りを制度に落とすと、ちゃんと合理性になる」
市長が笑った。
「そういうことだ。
君も少しずつ、異界の行政に慣れてきたな」
「慣れたくて慣れてるわけじゃありません!」
こうして、ひまわり市の入札は「中止」という形で一旦終わった。
だが、終わり方としては悪くなかった。
揉める前に止め、揉める理由を制度で受け止め、
公平性を守りながら、新しい価値を取り込む。
――それが、ひまわり市役所のやり方だ。
ただし、胃が持つかどうかは別問題である。
次回予告
巨人業者が現れ、橋の補修が“一晩で完了”!?
早すぎる工事に、検査と書類が追いつかない。
「工事が早すぎる:巨人業者が一晩で橋を直す」――役所、スピードに負ける!




