第87話「商店街にエルフ出店、値札が『葉っぱ3枚』」
朝の喫茶ひまわりは、だいたい平和だ。
だいたい――というのがポイントで、平和じゃない日が普通に混ざるのが、今のひまわり市だった。
「勇輝、今日さ……商店街の入口、見た?」
加奈がカウンター越しにコーヒーを置きながら、眉をひそめた。
「見てない。朝から役所で“スライム応急措置”の報告書を書いてた」
「うん、それも十分おかしいけど、今日のはもっとおかしい」
加奈は窓の外を指さした。
商店街の方向――人だかりが、いつもより明らかに多い。
「屋台が出てる。しかもエルフ」
「……エルフ?」
「うん、エルフ。しかもね……値札が」
加奈は、なぜか声をひそめた。
「“葉っぱ3枚”」
「通貨じゃねぇ!!」
勇輝は反射でツッコミを入れ、コーヒーを半分こぼした。
こういう時に限って、店内は妙に静かで、ツッコミが響く。
美月が扉をバーンと開けて飛び込んできた。
「課長! 商店街が“エルフ市場”になってます!!」
「知ってる! 今聞いた!」
「値札、葉っぱですよ!? “葉っぱ3枚”って何円ですか!?」
「知らん! 誰が換算するんだよ!」
そこへ、タイミングよく市長が入ってきた。
いつものように、何も悪いことをしてない顔で。
「おお、話は聞いた。エルフの出店だな」
「市長、知ってたんですか」
「昨日、商会が“商店街に混ぜてほしい”と言ってきた」
「許可したんですか」
「許可した」
「判断が早すぎる!」
市長はあっさり言う。
「空き店舗もある。活性化になる」
「活性化の前に、価格表示法が泣きます!」
加奈が苦笑する。
「とりあえず、現場行こう。
朝からお客さん、混乱してる」
「だな……」
こうして異世界経済部は、商店街へ出動した。
商店街の入口には、エルフの屋台が二つ並んでいた。
木の香りがする棚、布の天幕、そして――どこか幻想的な雰囲気。
人間側の商店主が、遠巻きに見ている。
客は興味津々だが、顔が困っている。
理由は簡単だった。
値札が全部、葉っぱの絵だ。
『葉っぱ1枚:木の実パン』
『葉っぱ3枚:薬草茶』
『葉っぱ5枚:森の香り石けん』
『葉っぱ10枚:幸運の枝(※折ると怒られる)』
「最後、商品説明が長い!」
勇輝が突っ込みながら屋台の前に立つと、
エルフの商人がにこやかに頭を下げた。
「ようこそ、ひまわり市。
森の恵みを、あなたの暮らしに」
「ようこそはいい。値札が問題だ」
エルフはきょとんとした。
「値は書いている。葉っぱで」
「葉っぱは通貨じゃない」
「通貨?」
「お金。円。……異界の貨幣でもいい。何か“基準”が必要」
エルフは首を傾げ、真顔で言った。
「基準ならある。葉っぱは、森が認める」
「森が認める基準、役所が扱えない!」
美月が横から、わくわくした声で言う。
「葉っぱって、どの葉っぱでもいいんですか!? 種類で価値が変わるとか!」
「変わる。香りがよい葉は価値が高い」
「やっぱり! かわいい!」
「かわいいで済ませるな! それは“相場”が発生する!」
加奈が冷静に問う。
「葉っぱで払うと、あなたはその葉っぱをどうするの?」
「森へ返す。循環だ」
「循環……」
「森は喜ぶ。私も嬉しい。あなたも嬉しい」
エルフの理屈は美しい。
美しいけど、商店街の現実は美しくない。
実際、客の一人が困っていた。
「すみません、薬草茶ください。葉っぱ3枚って……どこで葉っぱ手に入るんですか?」
「この辺に落ちている」
「それでいいんですか!?」
「いい。森の恵みは、拾うもの」
勇輝は頭を抱えた。
落ち葉で買い物が成立したら、税務が死ぬ。会計が死ぬ。消費者も混乱する。
市長が、にやりとする。
「面白い。新しい経済だ」
「面白くても、制度が追いつかないんですよ!」
商店街の理事長(地元の八百屋さん)が、勇輝に耳打ちしてきた。
「主任さん、これ……どうしたらいい?
うちの店にも客が流れてくるのはありがたいんだけど、
“葉っぱで払え”って言われたら困る」
「言われてないですよね?」
「言われてないけど、客が“葉っぱ持ってきたら安くなる?”って聞くんだよ……」
「もう波及してるじゃないですか!」
美月はスマホを見ている。
「課長、もう“葉っぱ経済”ってタグができてます」
「最悪だ!」
加奈が小さく言った。
「でも、エルフさんが悪気あるわけじゃないよね」
「ない。だから厄介」
勇輝は一歩前に出て、エルフに向き直った。
「あなたたちの文化は尊重する。
でも、ここは“市の商店街”だ。最低限のルールが必要」
「ルール?」
「そう。値札は“誰でも同じ基準で理解できる”必要がある。
葉っぱは人によって価値が変わる。偽物も出る。トラブルになる」
エルフは少しだけ眉を下げた。
「森を偽る者がいるのか」
「います。人間はやります」
「悲しい」
「悲しいけど現実です」
市長が口を挟む。
「折衷案はどうだ。葉っぱは“ポイント”として扱う」
「ポイント?」
「円で支払いつつ、葉っぱを“エルフ商会ポイント”として加算する」
「つまり……円払いの上で、葉っぱはサービス券扱い?」
「そうだ」
勇輝は一瞬考えた。
意外と筋がいい。葉っぱを“決済”にしなければ、税務上の混乱は減る。
ただし、表示は必要だ。
「なら、こうします。
①価格は円で表示する(必須)
②葉っぱは“エルフポイント”として任意
③葉っぱポイントの価値は固定(例:葉っぱ1枚=10円相当)
④落ち葉の偽造防止のため、葉っぱは“指定の紙ポイント券”にする」
美月が目を輝かせる。
「課長、それ“葉っぱ券”って名前にしたら絶対かわいいです!」
「名前だけは可愛いかもしれないけど、まず制度!」
加奈が屋台のエルフに優しく説明する。
「値札を“円”で書けば、人間のお客さんも安心して買えるよ。
その上で、葉っぱの文化も“おまけ”として残せる」
「……森の文化が消えないなら、よい」
エルフは少し考え、頷いた。
「では、葉っぱは“森の挨拶”として受け取る」
「挨拶なら税務も怒らない……たぶん」
理事長がほっと息を吐く。
「主任さん、助かった……」
「まだです。ここからが本番です」
問題は、値札の張り替えだった。
美月が屋台の前で、即席のPOPを作り始める。
「“薬草茶 300円(葉っぱ3枚でもOK!)”――こんな感じで!」
「“でもOK”って書くな! また決済が混ざる!」
「じゃあ……“薬草茶 300円/葉っぱはおまけ歓迎”」
「それだ!」
加奈が笑う。
「美月、こういうときだけ修正が早いね」
「炎上慣れです!」
「慣れるな!」
市長は満足そうに頷いた。
「よし。商店街と異界商会の“共存モデル”第一歩だ」
「第一歩で胃が痛いんですが」
そこへ、別の商店主が駆け込んでくる。
「主任さん! 今度は“葉っぱでうちのコロッケ買えますか”って言われました!」
「ほら波及してる!」
勇輝は深呼吸し、商店街全体に向けて声を張った。
「みなさん! 落ち着いてください!
葉っぱは“決済”じゃなく“交流”です!
支払いは円、もしくは正式な異界通貨に限ります!」
――と、言った瞬間。
美月のスマホが震えた。
通知が増える音がする。
「課長……今の叫び、誰かが動画撮ってて……“葉っぱは交流です”が字幕で……」
「やめろぉぉ!!」
加奈が苦笑しつつ、そっと言った。
「でも、言い方はちょっと良かったよ」
「褒めるな! 俺の承認欲求炎が燃える!」
市長が静かに締める。
「良い。今日の教訓。
文化の違いは“否定”ではなく、“翻訳”で橋をかける」
「きれいにまとめないでください。現場は泥だらけです」
それでも、商店街の空気は少しずつ落ち着き始めた。
値札に円が並び、葉っぱは“歓迎”になり、客の顔も安心に変わる。
そして、なぜか売上は上がった。
理事長がぽつりと笑う。
「主任さん……商店街、久しぶりに賑わってるよ」
「それは……良かったです」
勇輝は疲れた顔で頷いた。
町は今日も、異界に振り回されながら、ちゃんと前に進んでいる。
……胃は削れているけど。
次回予告
情報公開請求が来た――理由は「市長の囁き」。
個人情報って何? 異界の概念が窓口を直撃する。
「個人情報って何? 情報公開請求の理由が市長の囁き」――役所の紙が、今日も増える!




