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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第63話「広報が炎上寸前:『真の姿を写す写真機』が都市伝説化する」

 噂は、足が速い。

 とくに、ひまわり市みたいに町が小さくて、異界の出来事が派手で、SNSが妙に元気だと――噂はだいたい、言い終わる前に次の人の口へ移っていく。

 しかも移っていく途中で、ほどよく味付けされる。

 怖さが足されて、便利さが盛られて、最後に「誰かが言ってた」が添えられる。そうなると、もう立派な怪談だ。


 そして今日、その怪談が市役所の正面玄関を狙ってきた。


「主任! 役所の写真機が“本性暴き”って都市伝説になってます!」


 美月が執務室に飛び込んできた。スマホを握った指が忙しなく動いていて、画面の向こうの炎が指先まで熱を伝えてくるみたいだ。

 燃えているのは美月じゃない。SNSだ。けれど燃え方を見誤ると、こっちまで燃える。


「……都市伝説。写真機は使用停止にしたよな?」


「してます。してますけど、噂の方が止まりません。ほら、これ!」


 美月が画面を差し出す。

 まとめ画像の見出しが、すでにいろいろ危うい。


『役所の入口で本当の姿がバレる』

『真名を抜かれると契約させられる』

『擬態してると捕まるらしい』


 勇輝は、息を吸って吐いた。言葉を強くしすぎると、噂の背中を押してしまう。分かっている。分かっているが、胸の奥に小さな痛みが立つ。


「……捕まえない。捕まえないし、契約させないし、真名も求めない」


「主任、冷静でえらい! でもこの三段階の盛り方、相当です。最初は“角が写る”だけだったのに、いま“真名”まで飛んでます」


 そこへ加奈が紙袋を抱えて現れた。今日はのど飴が大量に入っている。飴が多い日は、広報が荒れる。

 加奈は袋を机に置く前に、勇輝と美月の顔を見比べた。状況の温度を測るのが早い。


「来庁者、減ってる?」


「減ってます。とくに異界の人が露骨に避けてます。“役所に行くと剥がされる”って言ってる」


「剥がされる……外見を、ってこと?」


 加奈が言葉を整えるように訊ねると、美月がうなずいた。


「はい。『皮を剥がされるみたいで怖い』って表現も出てます。冗談っぽく書いてあるのに、読んだ側が真に受けたら終わりのやつです」


 勇輝は頬の内側を軽く噛んで、机の上の予定表をひとまず脇へずらした。

 役所の信頼は、静かに積み上げるものだ。静かに積み上げた分、崩れる時も静かだ。音がしないぶん、気づいた時には足場がぐらついている。


 廊下の方から、落ち着いた足音がした。

 市長が姿を見せる。今日は表情が引き締まっていて、口元の笑みも控えめだ。いつもの「よし、やってみよう」より、「見過ごさない」が前に出ている。


「行政の信頼が揺らぐ噂は、放置できない。現場の混乱も増えるだろう」


「はい。今日の相手は“噂”です。しかも、噂の中身が生活を止めます」


 勇輝が立ち上がると、美月も椅子を引いた。加奈は紙袋ののど飴を三つ、机の端に並べた。まるで“作戦会議の道具”みたいに。


「広報で止めます。美月が主導。加奈は商店街と住民側の空気を集めて。市長は――」


「もちろん同行する」


「同行は助かりますけど、前に出すぎると“布告”っぽく見えるので、ほどほどにお願いします」


「ほどほどにする」


「……その言葉、信じたい」


 美月が小さく笑って、すぐ真顔に戻る。笑ってる余裕があるうちに、手を打たないといけない。


――


 異世界経済部の会議スペースに集まった。ホワイトボード、簡易プロジェクター、そして机の真ん中に置かれたのど飴の山。

 まず美月が、画面を投影して見せる。


 広報ギルドらしき掲示板の書き込み、異界新聞の切り抜き風画像、SNSの短い動画――全部が混ざって、最悪のスープになっている。

 しかも一杯飲めば、味が分かる前に喉が焼けるタイプ。


「これが最初の火種。『写真機が真の姿を写す』。ここまでは、まあ、前回の件で分かります」

「……分かるのが悔しいけどな」


 勇輝が小さくつぶやくと、加奈が視線だけで「言い方、やさしく」と合図する。自分の癖が出そうになる時ほど、味方が助けてくれる。


「次。『役所の入口には“真実の鏡”がある』。ここで物語化します」

「鏡、置いてない」

「置いてません。でも“鏡”って言葉が出た瞬間に、もう怖い話です」


 美月は指で画面を滑らせる。


「で、第三段階。『真名が抜かれる』。真名って単語は、異界側の文化に刺さりすぎます。契約、呪い、縛り……そこへ直行します」

 加奈がうなずいた。


「怖い話って、理由がなくても広がるもんね。とくに“名前”の話は、怖いほど力がある」


 市長が静かに言う。


「否定は短く。代わりに、事実と手順を示せ。役所は“何をしているか”が見えるほど強い」


「はい。やることを絞ります。全部の噂を追いかけると、こっちが息切れします」


 勇輝はホワイトボードに太字で書いた。


 ――役所は暴かない。手続きは守る。


 書きながら、自分でも確かめる。

 これはスローガンじゃない。運用の背骨だ。背骨がぶれると、言葉だけ綺麗でも意味がない。


 美月がその下に、もう一行足した。


 ――禁止:煽り返し/犯人探し/皮肉


「美月、今日は最初からブレーキがついてるな」


「炎上対応、喉が先に持たないので。喉が元気なうちに勝負を決めたいです」


「動機が実務的で助かる」


 加奈が飴を一つ口に放り込み、話を続ける。


「じゃあ、どういう順番で出す? SNSだけじゃなくて、掲示も必要だよね。異界の人はSNSを見ない人も多い」


「うん。短文と見える化、そして“第三者の声”。この三つにします」


 勇輝は、ボードに大きな矢印を描いた。

 “噂の物語”は強い。だから同じ土俵でぶつからない。事実と安心と行動で、静かに上書きする。


「事実は一つ。写真機は停止中。入口で外見を変えさせることはない。真名を求める運用もない」

「安心は一つ。本人の意思が最優先。困ったら相談していい。責めない」

「信頼は一つ。役所の言葉だけじゃなくて、現場の声と、利用者の声を借りる」


 市長がうなずく。


「第三者の声は重要だ。役所が自分で“安心です”と言っても、疑う者は疑う。だが生活者が“助かった”と言えば、伝わる」


 加奈も乗る。


「商店街の人の声、集められる。『役所で写真、ちゃんと相談できたよ』って、短い一言。あと学校にも。願書写真で使う子がいるし」


「お願いします。美月は投稿文と画像。僕は窓口のQ&Aと案内文の整備。市長は……」


「“前に出すぎない”範囲で、後ろから背中を押す」


「その言い方なら、信用できます」


――


 まず、美月が原稿を作り始めた。

 文章は短く、言葉はまっすぐ。盛らない。詠唱しない。だけど冷たくもしない。

 勇輝が横で、事実と運用の部分が曖昧になっていないか確認する。加奈は“読む側の心”で引っかかる言葉を探す。市長は時々、名言を入れたくなって口を開き、加奈の視線で静かに閉じる。


 最終的にできた文は、こうだ。


【お知らせ】住民課入口の証明写真機について

現在、住民課入口の証明写真機は使用停止(調整中)です。

住民課の手続き用写真は、スマホ撮影+窓口での規格確認でも対応できます。

役所が外見を変えさせること、真名を求めることはありません。

不安な点は、窓口でご相談ください。ゆっくり説明します。


 美月が顔を上げる。


「これでいきます。入口の貼り紙も撮って、画像で出します。文字だけだと拡散の途中で意味が変わるので、画像が安全です」


「貼り紙の写真はいい。ただし来庁者が写らないように。個人情報は絶対に守る」


「もちろんです。顔だけじゃなくて、後ろの申請書とか住所とかも、写り込みゼロにします」


 加奈が言う。


「“不安なお気持ちは当然です”って一文、入れてよかったね。否定だけだと、怖がってる人が置いていかれる」


「うん。否定は短く、安心は具体的に。住民課は“あなたの生活が止まらない”が伝われば勝てる」


 市長が頷いた。


「よし。次は現場だ。入口で迷う者を減らせ」


 勇輝も同意した。噂は画面の上で燃えるが、生活が止まるのは現場だ。入口で足が止まった人に、いま必要なのは“説明”より“道”だ。


 その前に、広報の“裏側”を一つ片づける必要があった。

 噂が広がる時、窓口が困るのは来庁者だけじゃない。電話が鳴る。問い合わせが積み重なる。職員の手が止まる。

 住民課の内線も、広報用の代表番号も、朝からずっと忙しかった。


「はい、ひまわり市役所住民課です。……ええ、写真機は現在、調整のため使用停止で……はい、スマホの写真でも……」


 受話器越しの声は丁寧なのに、返ってくる声はざらついている。

 “怖い”という感情は、説明を聞く耳を奪う。説明が届かないまま、さらに怖くなる。

 この循環を断ち切るには、「言い方」と「同じ答えをすぐ出せる仕組み」が必要だった。


 勇輝は、住民課のカウンター脇の棚を指して言った。


「電話の人にも渡せるように、Q&Aを一枚にまとめましょう。窓口の台本じゃなくて、質問にそのまま返せる形で」


 住民課の係長が眉を上げる。


「台本……確かに、今は職員ごとに言い方が微妙に違って、余計に不安を呼んでいる気がします」


「違う言い方が悪いんじゃなくて、答えの芯がぶれるのが良くないんです。芯を一枚にして共有します」


 美月がすぐに紙を取り出した。付箋とペンが、今日の装備として役に立つ。


「主任、Q&A、私が文章を短く整えます。読む人、疲れてるので」


「助かる。短く、でも誤解の余地は減らす。あと、“真名”の言葉は、できれば一回で済ませたい」


 加奈が横から口を挟む。


「異界の人向けには、日本語だけじゃなくて、簡単な共通語でも貼った方がいいかも。噂って、翻訳されながら増幅するから」


 それを聞いて、市長が小さく頷いた。


「通訳担当を呼べ。翻訳は正義だが、勝手な翻訳は災いになる」


 ほどなくして、庁内の通訳担当が来てくれた。彼女はいつも、異界から届く書面の妙な敬語を整える人だ。今日は逆に、こちらの言葉を“怖くならない”形に整えてくれる。


「“真名”は、向こうの文化だと『本名以上のもの』です。こちらが否定する時は、軽く触れて終わらせた方がいいですね。『求めません』だけで十分です」

「ありがとうございます。じゃあ、Q&Aはこうします」


 勇輝は短くまとめた。紙面に載せるのは、最低限の四つ。


Q:役所の入口で外見が変わりますか?

A:変わりません。外見を強制することはありません。


Q:真名を入力させられますか?

A:求めません。役所は真名の申告を必要としません。


Q:証明写真機は使えますか?

A:現在、調整のため使用停止です。


Q:写真はどうすれば?

A:スマホ撮影の写真でも対応できます。窓口で規格を確認します。


 美月が頷きながら、言葉の角を削っていく。加奈は“怖がっている人が読みやすい順番”に並び替える。市長は黙って見守り、最後に一言だけ言った。


「よい。短いほど、守れる者が増える」


 その時、別の内線が鳴った。

 住民課ではなく、異世界経済部の方だ。受話器を取った職員が、困った顔で勇輝に視線を向ける。


「主任……異界新聞の記者さんが来てます。“写真機の件でコメントを”って」


「……来たか」


 噂は紙面にも乗る。乗るなら、こちらが先に“紙の上に堤防”を作るしかない。


 会議スペースの端に小さな立ち位置を作り、記者を迎えた。

 記者はエルフで、筆記具の代わりに水晶端末を持っている。目が真面目で、むやみに煽る感じはしない。むしろ「早く整理してくれ」と困っている顔だ。


「市役所の入口に“真実を写す鏡”が置かれた、という噂が出ています。市として、どう説明しますか」


 勇輝は一拍置いて、まず事実から言う。


「証明写真機は、現在使用停止です。入口で外見を変えさせることも、真名を求めることもありません」


 記者が端末を光らせる。


「真名は?」


「求めません。個人の大事な情報です。役所は“必要な範囲の確認”しかしません」


 市長が一歩だけ前に出た。前に出すぎない、という約束を思い出したのか、歩幅が小さい。


「手続きは、町に住む者の生活を守るためにある。怖がらせる仕組みは置かない。必要なら、仕組みを直す」


 その言葉は短くて、余計な飾りがない。記者はうなずき、少しだけ肩の力を抜いた。


「分かりました。訂正文として出します。……正直、噂が先に走ると、こちらも困るので」


「困りますよね。だから、こちらも“見える形”で整えます。もし紙面でQ&Aを載せられるなら、許可します」


 記者の目が少し明るくなった。


「助かります」


 広報は、味方を作る仕事でもある。今日、ひとつ味方が増えた。


――


 住民課の入口へ向かうと、写真機の前で立ち止まっている人がいた。

 異界側の商人らしい若い男性。耳が少し尖っているが、帽子で隠しきれず、気づいた人が見ればすぐ分かる。けれど彼は今日、帽子を深くかぶり直してから、扉の前で一歩下がった。


 勇輝がすぐ近づくのではなく、職員に目配せして先に声をかけてもらう。

 “役所の人が近づいてきた”だけで、心臓が跳ねる人がいる。だから距離は丁寧に扱う。


「こんにちは。ご用件は何でしょう。写真のことで不安があれば、先にご案内できます」


 職員の声は落ち着いていた。勇輝は少し後ろで見守る。加奈はのど飴を袋ごと渡して、職員の机の引き出しに入れてもらった。日常の戦いの装備は、現場に置いた方がいい。


 男性は、少し迷ってから小声で言った。


「……写真が必要だと聞いた。だが、あの機械が……“本当の耳”を映すと」


 その言い方に、勇輝は胸がきゅっとなる。噂はもう、彼の口の中で“事実”になりかけている。


 職員がすぐに、貼り紙を指した。


「写真機は現在、使用停止です。スマホで撮った写真でも大丈夫です。ここで規格を確認しますので、よろしければ一緒に」


「……スマホで、いいのか?」


「はい。ご本人が落ち着ける姿で撮っていただいて構いません。困ったら、会議室で撮影のお手伝いもできます」


 男性の肩が、少しだけ下がった。


「……助かる。役所は、怖い場所だと思っていた」


 勇輝は、その言葉を聞いて、今朝の会議室の女性を思い出す。怖い、と言えるだけでも勇気だ。言えない人は、黙って帰る。


 美月が入口の掲示を確認しながら、勇輝の隣に来た。


「主任。貼り紙、やっぱり小さいです。読める人だけ読めるサイズ。噂に負けます」


「うん。今日のうちに変える」


 勇輝は住民課の職員と一緒に、掲示を作り直した。

 上から大きく「使用停止」。その下に「写真はスマホ撮影でも対応」。そして一番下に短く「真名は求めません」。

 “真名”という単語は、出すほど怖い物語を呼ぶと分かっている。けれど今は、噂の言葉で刺されている人がいる。刺さった棘を抜くために、短く一度だけ使う。痛いけど必要だ。


 加奈がテープを渡しながら、ぽつりと言った。


「貼り紙って、町の魔法だよね。みんなが同じ情報を、同じ場所で見られる」


「紙の魔法だ。しかも停電でも効く」


 勇輝が返すと、市長が少しだけ口元を緩めた。


「紙は強い。だが、紙だけでは足りぬ。言葉を添えよ」


「はい。窓口で言う言葉も揃えます。『疑う』じゃなくて『確認する』。『怖い』と言われたら、『相談してくれてありがとう』と言う」


 住民課のベテラン職員が、深く頷いた。


「主任、その一言があるだけで、こっちも落ち着けます。……怒られると思って来る方が多いので」


「怒らない。困ってる人の生活を回すのが仕事です」


 美月が言った。


「これ、職員さんの短いコメント、画像にできますか。匿名で。『確認はするけど、暴くことはしない』って」


 職員は少し照れたように笑ってから、真面目に答えた。


「……いいです。名前は出さなくていいなら。

“確認”はします。でも“暴く”ことはしません。不安な方ほど、ゆっくり説明します」


 その言葉は、短いのに温度があった。役所の言葉としてちょうどいい。背伸びもないし、軽くもない。


――


 午後。美月の投稿が出た。貼り紙の写真、スマホ撮影の簡易ガイド、そして職員のコメント画像。

 さらに、異界新聞にも短い訂正文を出してもらう手配をした。異界新聞の編集部は「噂が紙面を汚すのは嫌いだ」と言い、意外なほど協力的だった。商売の道具である“信用”を守りたいのは、役所だけじゃない。


 加奈は商店街を回り、温泉通りの宿や土産物屋に声をかけた。

 「役所、怖い?」と訊くのではなく、「いまこういう噂が出てるけど、困ってる人がいたらこの案内を渡していい?」と訊く。相手を試さない。味方になってもらう。


「うちにも来たよ。『入口で角が生えるんですか』って、半笑いで。笑ってるけど、あれ本気で怖がってる顔だった」

「だよね。だから、これ。スマホで大丈夫って書いてあるやつ。もしよかったら、会計の横に置いて」


 加奈が渡すと、店主は「置く置く」と言ってすぐに目立つ場所へ置いた。

 “人が目にする場所に置かれる”という行動は、役所の文章が生活の側へ入った証拠だ。広報の勝ち筋は、画面の上じゃなく、そういう場所にある。


 夕方、住民課の待合には、異界の人の姿が少しずつ戻ってきた。

 入口で一度立ち止まっても、貼り紙を見て、窓口の言葉を聞いて、前に進める。前に進めるだけで、人の顔の強張りはほどける。


 もちろん、噂は完全には消えない。

 都市伝説はしぶとい。しぶといから、こっちも仕組みにするしかない。


 投稿の返信欄には、案の定、尖った言葉も混ざった。

『役所が止めたって言ってるけど、昨日撮ったら角が出たぞ』

 そういう声に、噓だと決めつけるのは簡単だ。けれどそれをやった瞬間、怖がっている人ごと切り捨てることになる。

 美月は短く打ち込んだ。


『不安な思いをさせてしまい、すみません。写真機は現在停止し、窓口で別の方法をご案内しています。もしよろしければ状況を確認しますので、窓口でお声がけください(個人情報は公開しないでください)』


 謝るところは謝り、できることを示し、そして個人情報を守る。

 それだけで、返信欄の空気が少しだけ落ち着くのが分かった。


 美月がスマホを見ながら言った。


「主任、いまのところ炎上はしてません。むしろ『丁寧で助かる』って反応が多いです。あと、『写真機が止まってて安心した』って」


「よし。今日の目標は達成だ。噂を全部消すんじゃなくて、生活を止めない」


 市長が窓口の様子を見渡して、ぽつりと言った。


「噂は水だ。止めようとすれば溢れる。だが堤防を作れば、流れは町を避ける」


「その例え、今はいいですね。短いし」


「当然だ」


 加奈がのど飴を差し出した。


「はい、堤防の補修材」


「うまいこと言うな。……でも助かる」


 勇輝は飴を受け取り、ゆっくり舐めた。甘い。

 今日一日、窓口で交わされた“確認”と“安心”の言葉が、喉の奥で少し溶けていく気がした。


 ふと、入口の掲示板を見上げると、さっき作った案内の横に、小さな手書きの紙が増えていた。

 誰かが、共通語のつづりで「ここは安全」と添え、さらにその下に、子どもっぽい丸い字で「こわかったら きいていいよ」と書いてある。

 役所の文章じゃない。だからこそ、胸の奥の固いところにすっと届く。

 勇輝はその紙を勝手に剥がさず、端が浮かないようにテープだけ足した。

 市長もそれに気づいたらしく、少し離れた場所で小さく頷いた。「条例より先に、こういう紙が町を守る日もある」。

 勇輝は笑いそうになるのをこらえて、飴をもう一つ口に放り込んだ。甘さが増すと、声も少しだけ出しやすくなる。


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転。

 ただし、噂とも戦う。戦い方は、声を荒らげることじゃない。見える道を作って、安心を渡して、静かに積み上げることだ。


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