表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/143

第61話「本人確認が地獄:マイナンバーカードの写真が“変身”に追いつかない」

 住民課の窓口は、今日も人生が並んでいる。

 転入、転出、婚姻、出生、そして「住所が変わったので」みたいな小さな手続き。小さい手続きほど数が多い。数が多いほど、職員の心が削れる。


 そんな窓口に、今日も新しい種類の地獄が降ってきた。


「主任! マイナンバーカードの写真が……昨日と顔が違うんですけど!!」


 住民課職員の悲鳴は、庁舎の空気をきれいに裂いた。

 勇輝は、書類から目を上げて一言。


「……顔が違う?」


 隣で美月が、すでにスマホを握っている。やめろ。その手は今、封印だ。


「主任、これ“本人確認”の最難関です! しかもSNSで『毎日顔が変わる人、役所を困らせる』ってバズりそう!」


「バズらせるな!」


 加奈が紙袋を抱えて入ってくる。今日は珍しく、付箋とペンがセットで入っていた。嫌な予感が生活用品になっている。


「住民課の悲鳴ってことは、住民生活に直撃するやつだね。……顔が違うって、どのくらい?」


「角が生えたり消えたりするくらい」


「日替わりトッピングだね」


「料理みたいに言うな!」


 背後から、のっそりと市長が現れる。不敵な笑みが今日は“ちょっと嬉しそう”で腹立つ。


「ふむ。変身種族か。異界は多様で良い」


「良いけど、本人確認は多様だと詰むんです!」


窓口:カードの写真と、目の前の人が別人


 住民課のカウンター前。

 そこにいたのは、若い女性——に見える。髪は黒く、目が大きく、服装は町でよく見るコート。姿勢も丁寧で、声も落ち着いている。


 ただし。


 職員が手に持つマイナンバーカードの写真は、まったく別人だった。

 写真には、同じ年頃の女性が写っている——が、髪が銀色で、耳が長い。明らかにエルフ寄り。いや、エルフそのものだ。


 職員が震える声で言った。


「えっと……お名前は同じなんですけど……写真が……」


 目の前の女性が、申し訳なさそうに笑った。


「はい。昨日は……耳が出てました」


「昨日は耳が出てた??」


 勇輝が思わず突っ込むと、女性は真剣に頷く。


「はい。今日は、控えめにしました」


「控えめにできる耳って何だよ……」


 加奈が横から、やさしく言った。


「“控えめにした”ってことは、本人は悪気ないよね。困らせたいわけじゃない」


 美月が小声で囁く。


「でも主任、これ“なりすまし”と区別できないと、制度が死にますよ」


「そう。だから今から、区別するための手順を作る」


 市長が独特の笑みで言った。


「住民課は、町の門番だからな」


「門番、胃が痛いんです」


問題の整理:変身は“虚偽”ではなく“体質”かもしれない


 勇輝は、窓口の横で小さく深呼吸し、状況を噛み砕いた。


カードの情報(氏名・住所・生年月日など)は一致している


ただし顔写真が一致しない


目の前の人が本人でも、別人でも、現場では判断不能


しかし本人確認ができなければ、手続きは止まる


止めると生活が止まり、苛立ちが不信に変わる


そして不信が差別に変わる(最悪)


 つまり必要なのは、**“本人だと確認できる別の要素”**だ。

 写真だけに頼らない。写真がズレる世界なら、別の軸を作る。


 勇輝は女性に丁寧に言った。


「まず、失礼があったらすみません。手続きのために確認します。

 あなたは“姿が変わる体質”ですか? それとも、意図的に変えてますか?」


 女性は少し困ったように笑って答えた。


「体質です。……正確には、魔法が皮膚に馴染みすぎてて。気分とか体調で、表に出る形が変わります」


「体調で耳が出るの、かわいいけど困るな」


 加奈が小さくうなずく。


「うん、本人も困ってそう」


 美月がメモを取りながら言う。


「“体調で顔が変わる”……保健室案件みたいになってきた」


「今日は住民課案件だ!」


まずは今日の手続き:写真以外の本人確認を二重にする


 勇輝は住民課職員に、小声で指示した。


「写真が一致しない場合の臨時手順でいきます。

 ①カードの暗証番号(本人しか知らない)で電子証明を確認

 ②追加書類(健康保険証や在留カード相当など)

 ③質問確認(転入日、同居者、直近の手続き履歴)

 三点セットで“本人”と判断できれば、今日は進める」


 職員が目を見開いた。


「暗証番号……! それなら確かに」


 女性がすぐ言った。


「暗証番号、分かります。……昨日、窓口で変えたので」


「昨日も来てる!? 常連!?」


 加奈が思わず笑ってしまい、女性も苦笑した。


「すみません。昨日は耳が出てたので、今日こそはと思って……」


「余計に混乱する努力!」


 市長が腕を組む。


「だが、努力は良い。問題は仕組みが追いついていないことだ」


「市長、今日は正論の波状攻撃やめてください。胃が耐えない」


 職員がカードリーダーで電子証明を確認する。

 暗証番号も入力してもらい、署名用の確認も通る。


「通りました……! 電子証明、本人です!」


 窓口の空気が、少しだけ軽くなる。

 “顔”が違っても、“本人である証拠”がある。それだけで人は落ち着ける。


 美月が小声で言った。


「主任、やっぱりITが救う……」


「救うのは手順だ」


 加奈が横で、女性にやさしく言う。


「大丈夫。あなたが悪いわけじゃないよ。制度が“同じ顔で固定される前提”だっただけ」


 女性は、ほっとした顔で頷いた。


「ありがとうございます。……人間の町の制度、すごく丁寧だけど、ちょっと硬いですね」


「硬いから守れる部分もあるんです」


 勇輝はそう答えた。

 守るための硬さ。だが硬すぎると割れる。だから調整が必要だ。


次の地雷:写真が合わない人、これから増える


 今日の一件は処理できる。

 問題は、これが“例外”で終わらないことだ。


 住民課職員が、震える声で言った。


「主任……実は、似た相談が今週だけで七件目です……」


「増えてるな!!」


 美月が即座に言う。


「『人間に擬態できるの便利』って異界掲示板に書かれてます! 便利って、言葉が怖い!」


「便利が悪いとは言わないけど、本人確認が死ぬのは困る!」


 加奈が現場目線で言う。


「これ、悪意がなくても“疑われる人”が増えるよね。疑われるって、生活が削れる」


「そう。だから正式な仕組みに落とす」


 市長が独特の笑みで言った。


「住民課に“変身対応”の運用を入れよ」


「軽く言うな!」


「軽く言わねば重くなる」


「うまいこと言った顔するな!」


ひまわり市の新ルール:顔写真に頼りすぎない本人確認


 勇輝はその場で、住民課と異世界経済部の合同で「暫定運用」を決めた。

 とにかく現場が迷わないように、短く、実務に落とす。


変身・擬態がある場合の本人確認(暫定)


電子証明(暗証番号)による確認を基本(可能なら最優先)


顔写真が一致しない場合は、追加書類+質問確認で二重確認


「変身体質」の申告があった場合、本人の同意のもとで


“基準となる外見”を一つ決める(写真更新の目安)


もしくは “特徴の変動範囲”をメモとして内部記録(耳・角・肌色など)


窓口対応は“疑う”ではなく“確認する”言い方を徹底(言葉で刺さない)


 美月が目を輝かせる。


「“疑う”じゃなく“確認する”、大事! これ掲示用の文案作れます!」


「掲示は慎重に。差別を生む言い方は禁止」


「はい! 詠唱もしません!」


「詠唱は関係ないけどな!」


 加奈が頷く。


「本人に“基準の外見”を決めてもらうのいいね。役所が勝手に決めると、嫌な感じになる」


「そう。自己決定が大事だ」


 市長が腕を組んで言う。


「だが、写真更新の頻度が増えるな」


「増えます。でも、更新できないよりマシです」


そして別の問題:暗証番号を忘れると、地獄が深い


 ここで、窓口の別の列から声が上がった。


「暗証番号……忘れました……」


「来たな」


 勇輝が胃を押さえた瞬間、さらに追撃。


「昨日の顔と違うので、暗証番号も違う気がします」


「暗証番号は顔で変わらない!!」


 美月が思わず叫んで、加奈がすぐにフォローする。


「大丈夫大丈夫、暗証番号は“あなた”が決めた番号だからね。顔が変わってもあなたはあなた」


 市長が、独特の笑みでぼそっと言った。


「哲学だな」


「哲学じゃなくて住民課です!」


 勇輝は、これも現実として受け止めた。

 暗証番号は鍵だ。鍵を忘れれば、本人でも開かない。

 だから“忘れた人向け”の手順も、丁寧に整えるしかない。


 住民課職員へ指示する。


「暗証番号再設定の案内を、分かりやすく。恥ずかしがらせない。

 変身の人は特に不安が強い。『忘れても手続きできます』を先に言う」


 職員が深く頷いた。


「はい……! 言い方、大事ですね」


「大事です。言い方で、窓口は地獄にも救いにもなる」


小さな締め:本人は“困ってる側”でもある


 最初の女性の手続きが終わり、最後に彼女が小さく頭を下げた。


「ありがとうございました。……正直、役所に来るの、怖かったです。毎回“誰?”って言われるのが」


 勇輝は、静かに言った。


「“誰?”じゃなくて、“確認させてください”にします。町として」


 加奈が笑って、紙袋から小さなクッキーを一つ差し出した。


「お疲れさま。甘いのは、変わらない味だから」


 女性が少しだけ笑った。


「……それ、安心しますね」


 美月がその光景を見て、スマホを握る手を止めた。珍しく。


「主任……今日のは、バズらせる話じゃないですね」


「やっと分かったか」


「うん。生活の話だもん」


 市長が独特の笑みで締める。


「よし。ひまわり市は、顔が変わっても住める町になる」


「目標が増えすぎ!」


 勇輝は、住民課のカウンターを見渡した。

 列はまだある。相談もまだ来る。

 でも今日、少しだけ“回し方”ができた。


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転。

 ただし、本人確認は“顔”だけでは足りない。


次回予告(第62話)


「写真撮影が修羅場:証明写真機が“本当の姿”を写してしまう」

「角は出したくない!」

「でも機械が勝手に……!」

住民課×写真機×異界の真名——撮影ブースが戦場になる!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ