第61話「本人確認が地獄:マイナンバーカードの写真が“変身”に追いつかない」
住民課の窓口は、今日も人生が並んでいる。
転入、転出、婚姻、出生、そして「住所が変わったので」みたいな小さな手続き。小さい手続きほど数が多い。数が多いほど、職員の心が削れる。
そんな窓口に、今日も新しい種類の地獄が降ってきた。
「主任! マイナンバーカードの写真が……昨日と顔が違うんですけど!!」
住民課職員の悲鳴は、庁舎の空気をきれいに裂いた。
勇輝は、書類から目を上げて一言。
「……顔が違う?」
隣で美月が、すでにスマホを握っている。やめろ。その手は今、封印だ。
「主任、これ“本人確認”の最難関です! しかもSNSで『毎日顔が変わる人、役所を困らせる』ってバズりそう!」
「バズらせるな!」
加奈が紙袋を抱えて入ってくる。今日は珍しく、付箋とペンがセットで入っていた。嫌な予感が生活用品になっている。
「住民課の悲鳴ってことは、住民生活に直撃するやつだね。……顔が違うって、どのくらい?」
「角が生えたり消えたりするくらい」
「日替わりトッピングだね」
「料理みたいに言うな!」
背後から、のっそりと市長が現れる。不敵な笑みが今日は“ちょっと嬉しそう”で腹立つ。
「ふむ。変身種族か。異界は多様で良い」
「良いけど、本人確認は多様だと詰むんです!」
窓口:カードの写真と、目の前の人が別人
住民課のカウンター前。
そこにいたのは、若い女性——に見える。髪は黒く、目が大きく、服装は町でよく見るコート。姿勢も丁寧で、声も落ち着いている。
ただし。
職員が手に持つマイナンバーカードの写真は、まったく別人だった。
写真には、同じ年頃の女性が写っている——が、髪が銀色で、耳が長い。明らかにエルフ寄り。いや、エルフそのものだ。
職員が震える声で言った。
「えっと……お名前は同じなんですけど……写真が……」
目の前の女性が、申し訳なさそうに笑った。
「はい。昨日は……耳が出てました」
「昨日は耳が出てた??」
勇輝が思わず突っ込むと、女性は真剣に頷く。
「はい。今日は、控えめにしました」
「控えめにできる耳って何だよ……」
加奈が横から、やさしく言った。
「“控えめにした”ってことは、本人は悪気ないよね。困らせたいわけじゃない」
美月が小声で囁く。
「でも主任、これ“なりすまし”と区別できないと、制度が死にますよ」
「そう。だから今から、区別するための手順を作る」
市長が独特の笑みで言った。
「住民課は、町の門番だからな」
「門番、胃が痛いんです」
問題の整理:変身は“虚偽”ではなく“体質”かもしれない
勇輝は、窓口の横で小さく深呼吸し、状況を噛み砕いた。
カードの情報(氏名・住所・生年月日など)は一致している
ただし顔写真が一致しない
目の前の人が本人でも、別人でも、現場では判断不能
しかし本人確認ができなければ、手続きは止まる
止めると生活が止まり、苛立ちが不信に変わる
そして不信が差別に変わる(最悪)
つまり必要なのは、**“本人だと確認できる別の要素”**だ。
写真だけに頼らない。写真がズレる世界なら、別の軸を作る。
勇輝は女性に丁寧に言った。
「まず、失礼があったらすみません。手続きのために確認します。
あなたは“姿が変わる体質”ですか? それとも、意図的に変えてますか?」
女性は少し困ったように笑って答えた。
「体質です。……正確には、魔法が皮膚に馴染みすぎてて。気分とか体調で、表に出る形が変わります」
「体調で耳が出るの、かわいいけど困るな」
加奈が小さくうなずく。
「うん、本人も困ってそう」
美月がメモを取りながら言う。
「“体調で顔が変わる”……保健室案件みたいになってきた」
「今日は住民課案件だ!」
まずは今日の手続き:写真以外の本人確認を二重にする
勇輝は住民課職員に、小声で指示した。
「写真が一致しない場合の臨時手順でいきます。
①カードの暗証番号(本人しか知らない)で電子証明を確認
②追加書類(健康保険証や在留カード相当など)
③質問確認(転入日、同居者、直近の手続き履歴)
三点セットで“本人”と判断できれば、今日は進める」
職員が目を見開いた。
「暗証番号……! それなら確かに」
女性がすぐ言った。
「暗証番号、分かります。……昨日、窓口で変えたので」
「昨日も来てる!? 常連!?」
加奈が思わず笑ってしまい、女性も苦笑した。
「すみません。昨日は耳が出てたので、今日こそはと思って……」
「余計に混乱する努力!」
市長が腕を組む。
「だが、努力は良い。問題は仕組みが追いついていないことだ」
「市長、今日は正論の波状攻撃やめてください。胃が耐えない」
職員がカードリーダーで電子証明を確認する。
暗証番号も入力してもらい、署名用の確認も通る。
「通りました……! 電子証明、本人です!」
窓口の空気が、少しだけ軽くなる。
“顔”が違っても、“本人である証拠”がある。それだけで人は落ち着ける。
美月が小声で言った。
「主任、やっぱりITが救う……」
「救うのは手順だ」
加奈が横で、女性にやさしく言う。
「大丈夫。あなたが悪いわけじゃないよ。制度が“同じ顔で固定される前提”だっただけ」
女性は、ほっとした顔で頷いた。
「ありがとうございます。……人間の町の制度、すごく丁寧だけど、ちょっと硬いですね」
「硬いから守れる部分もあるんです」
勇輝はそう答えた。
守るための硬さ。だが硬すぎると割れる。だから調整が必要だ。
次の地雷:写真が合わない人、これから増える
今日の一件は処理できる。
問題は、これが“例外”で終わらないことだ。
住民課職員が、震える声で言った。
「主任……実は、似た相談が今週だけで七件目です……」
「増えてるな!!」
美月が即座に言う。
「『人間に擬態できるの便利』って異界掲示板に書かれてます! 便利って、言葉が怖い!」
「便利が悪いとは言わないけど、本人確認が死ぬのは困る!」
加奈が現場目線で言う。
「これ、悪意がなくても“疑われる人”が増えるよね。疑われるって、生活が削れる」
「そう。だから正式な仕組みに落とす」
市長が独特の笑みで言った。
「住民課に“変身対応”の運用を入れよ」
「軽く言うな!」
「軽く言わねば重くなる」
「うまいこと言った顔するな!」
ひまわり市の新ルール:顔写真に頼りすぎない本人確認
勇輝はその場で、住民課と異世界経済部の合同で「暫定運用」を決めた。
とにかく現場が迷わないように、短く、実務に落とす。
変身・擬態がある場合の本人確認(暫定)
電子証明(暗証番号)による確認を基本(可能なら最優先)
顔写真が一致しない場合は、追加書類+質問確認で二重確認
「変身体質」の申告があった場合、本人の同意のもとで
“基準となる外見”を一つ決める(写真更新の目安)
もしくは “特徴の変動範囲”をメモとして内部記録(耳・角・肌色など)
窓口対応は“疑う”ではなく“確認する”言い方を徹底(言葉で刺さない)
美月が目を輝かせる。
「“疑う”じゃなく“確認する”、大事! これ掲示用の文案作れます!」
「掲示は慎重に。差別を生む言い方は禁止」
「はい! 詠唱もしません!」
「詠唱は関係ないけどな!」
加奈が頷く。
「本人に“基準の外見”を決めてもらうのいいね。役所が勝手に決めると、嫌な感じになる」
「そう。自己決定が大事だ」
市長が腕を組んで言う。
「だが、写真更新の頻度が増えるな」
「増えます。でも、更新できないよりマシです」
そして別の問題:暗証番号を忘れると、地獄が深い
ここで、窓口の別の列から声が上がった。
「暗証番号……忘れました……」
「来たな」
勇輝が胃を押さえた瞬間、さらに追撃。
「昨日の顔と違うので、暗証番号も違う気がします」
「暗証番号は顔で変わらない!!」
美月が思わず叫んで、加奈がすぐにフォローする。
「大丈夫大丈夫、暗証番号は“あなた”が決めた番号だからね。顔が変わってもあなたはあなた」
市長が、独特の笑みでぼそっと言った。
「哲学だな」
「哲学じゃなくて住民課です!」
勇輝は、これも現実として受け止めた。
暗証番号は鍵だ。鍵を忘れれば、本人でも開かない。
だから“忘れた人向け”の手順も、丁寧に整えるしかない。
住民課職員へ指示する。
「暗証番号再設定の案内を、分かりやすく。恥ずかしがらせない。
変身の人は特に不安が強い。『忘れても手続きできます』を先に言う」
職員が深く頷いた。
「はい……! 言い方、大事ですね」
「大事です。言い方で、窓口は地獄にも救いにもなる」
小さな締め:本人は“困ってる側”でもある
最初の女性の手続きが終わり、最後に彼女が小さく頭を下げた。
「ありがとうございました。……正直、役所に来るの、怖かったです。毎回“誰?”って言われるのが」
勇輝は、静かに言った。
「“誰?”じゃなくて、“確認させてください”にします。町として」
加奈が笑って、紙袋から小さなクッキーを一つ差し出した。
「お疲れさま。甘いのは、変わらない味だから」
女性が少しだけ笑った。
「……それ、安心しますね」
美月がその光景を見て、スマホを握る手を止めた。珍しく。
「主任……今日のは、バズらせる話じゃないですね」
「やっと分かったか」
「うん。生活の話だもん」
市長が独特の笑みで締める。
「よし。ひまわり市は、顔が変わっても住める町になる」
「目標が増えすぎ!」
勇輝は、住民課のカウンターを見渡した。
列はまだある。相談もまだ来る。
でも今日、少しだけ“回し方”ができた。
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、本人確認は“顔”だけでは足りない。
次回予告(第62話)
「写真撮影が修羅場:証明写真機が“本当の姿”を写してしまう」
「角は出したくない!」
「でも機械が勝手に……!」
住民課×写真機×異界の真名——撮影ブースが戦場になる!




