第60話「住民課が困惑:住民票の“世帯主”がドラゴンになっている」
住民課は、町の“生活そのもの”を扱う部署だ。
転入、転出、出生、死亡、世帯変更——人生の節目が、だいたいここに流れ込む。
だからこそ、住民課のカウンターは平和であるべきだった。
……平和であるべきだったのに。
「主任……住民票の“世帯主”、ドラゴンです……」
住民課の職員が、紙を持ったまま半泣きで言った。
紙の上には、はっきりと印字されている。
世帯主:グラン=ドゥル(竜)
勇輝は一瞬、言葉を失った。
「……運動会の安全係のドラゴン?」
「はい……たぶん……」
隣で美月が、肩を震わせている。
「主任、世帯主がドラゴンって……字面が強すぎる……!」
「笑うな! 住民課は笑うと死ぬ!」
そこへ加奈が紙袋を抱えて入ってくる。今日は珍しく、胃薬も入っている気配がした。嫌な予感が正確すぎる。
「住民課が困惑してるって聞いた。……え、なにこれ」
「世帯主がドラゴン」
「うん。困惑していい」
背後から、のっそりと市長が現れる。今日はなぜか“納得顔”なのが腹立つ。
「ふむ。守護竜が世帯を治める。合理的だな」
「市長、合理の方向が異界に寄りすぎです!」
事件の現場:提出されたのは“世帯主変更届”
カウンター前には、提出者がいた。
温泉通りの民宿のおかみさん——影が増える相談をしてきた、あの人だ。顔は真剣そのもの。
「主任さん! これ、早めに直してほしいの!」
「直すっていうか、まず聞きます。どうして世帯主がドラゴンに……?」
おかみさんが胸を張る。
「だって、うちの家を守ってるの、あの子だもの!」
「守ってる……?」
美月が小声で囁く。
「市役所に『守護』が提出理由になる日が来た……」
「囁くな!」
加奈がやさしく聞く。
「守ってるって、具体的にどんな?」
「夜になると玄関の影が増えてたでしょ? あれ、最近ピタッと止まったのよ。あのドラゴンの子が、玄関前で一回だけ“咳払い”したらね」
「咳払いで治安が改善するの、強すぎる」
勇輝は頭を押さえた。
話は分かる。感謝も分かる。だが——住民票は感謝状じゃない。
「おかみさん。ドラゴンを世帯主にすると、税の通知も、国保の通知も、選挙の入場券も、ぜんぶドラゴン宛てになります」
「……ドラゴン、字、読める?」
加奈がぽつりと言うと、おかみさんの顔が固まった。
「……読めないわね」
「はい。そういう問題が出ます」
市長が腕を組む。
「世帯主とは、行政との窓口だ。意思疎通できる者でなければならぬ」
「市長、今日は正論を押し出してきますね」
「住民課は正論でしか生き残れん」
「確かに!」
さらに悪化:同じ申請が“もう三件”ある
住民課職員が、震える声で追加資料を持ってきた。
「主任……実は……ドラゴン世帯主、これで四件目です……」
「増えるな!!」
美月がすかさず言う。
「SNSで『ドラゴンを世帯主にすると安心』って謎ライフハックが回ってます!」
「ライフハックじゃない、ライフバグだ!」
加奈が顔をしかめる。
「これ、放置すると“ドラゴンがいない世帯は不安”みたいな空気にならない? それは困る」
「困る。差別と不安が一番危険だ」
勇輝は即座に、論点を整理した。
住民票の世帯主は「実務上の代表者」
“守ってくれる存在”と“行政窓口”は別
異界の家族観・守護契約が混ざっている
でも善意から来ているので、頭ごなしに否定すると燃える
つまり、必要なのは「否定」じゃなく「翻訳」だ。
ポイントカードや回数券と同じ。概念のズレを、制度に落とす。
交渉:ドラゴン本人に聞く(本人が一番まとも)
勇輝は、運動会のときのドラゴン——グラン=ドゥルを呼んでもらった。
しばらくして庁舎前に、でかい影が落ちる。
「呼ばれた。どうした」
相変わらず礼儀正しい。存在感だけが災害級。
勇輝は正直に言った。
「あなたが“世帯主”として住民票に登録されそうになっています」
ドラゴンは一拍置いてから、真面目に答えた。
「……世帯主とは、長か?」
「長です」
「長なら、俺ではない。守るのは得意だが、書類は不得意だ」
「助かる。理解が早い」
加奈が笑いながら言った。
「ね、本人が一番分かってる」
美月が小声で言う。
「ドラゴンの方が行政適性ある……?」
「あるな」
「主任、認めた!」
「認めるなって何だ!」
ドラゴンは続けた。
「だが、守りたい者がいる。だから夜に立つ。それは変えない」
「それは感謝してます。……ただ、“世帯主”ではない形で、正式に扱いたい」
市長が独特の笑みで頷いた。
「制度を作る時だな」
「はい、作ります」
解決策:住民票に“守護協力者”枠は作れない。だから——
ここが住民課の強さで、同時に限界だ。
住民票は、勝手に項目を増やせない。全国で通じる帳票だからだ。
なので勇輝は、**“住民票の外側”**で整理する道を選んだ。
1) 世帯主は人間(行政窓口ができる人)に戻す
これは絶対。実務が回らない。
2) ドラゴンは「同居」ではなく「協力者」として別管理
住民票に載せるのではなく、異世界経済部の「協力者登録」に入れる。
(※観光協定や安全協力の枠に近い)
3) 住民課の案内文を作る
「世帯主=家の偉い人」ではなく、**「行政の連絡先」**だと周知する。
4) “守護”は感謝状で処理する(制度ではなく文化へ)
守ってくれた人に、町として表彰・感謝を出す。
世帯主にしなくても、敬意は示せる。
加奈がすぐに乗った。
「感謝状いい! “世帯主にしないと感謝できない”って誤解を外せる」
美月も頷く。
「SNSにも『世帯主=窓口です』って短文で出せます。詠唱なしで!」
「詠唱禁止!」
市長が満足そうに言った。
「よし。ドラゴンは世帯主ではなく“名誉市民”に——」
「名誉市民は話がでかい!!」
「では“名誉安全係”でどうだ」
「運動会じゃないんですよ!」
最後の仕上げ:おかみさんの“気持ち”を傷つけずに戻す
勇輝はおかみさんに、まっすぐ言った。
「守ってくれてありがとう、って気持ちは町として受け取ります。
でも住民票の世帯主は、行政の連絡先なので——おかみさんの世帯主に戻しましょう。ドラゴンには、別の形で正式に感謝します」
おかみさんは少しだけ悔しそうに唇を噛んで、それから頷いた。
「……そうね。あの子に“書類の責任”まで背負わせるのは違うわね」
「そうです。守ってくれる人には、余計な負担を背負わせない」
ドラゴンが、静かに言った。
「理解した。俺は守る。書類は任せる」
「任されました……」
勇輝は胃が痛い顔で言って、加奈が笑った。
「でも、そうやって役割分担できるなら、この町は強いよ」
ひまわり市の結論:家族観は尊重する。でも帳票は尊重しない
その日のうちに、ドラゴン世帯主は全件取り下げになった。
代わりに住民課の窓口には、新しい掲示が貼られた。
世帯主=行政の連絡先(代表者)です
家族の形・守り合いは尊重します。
ただし住民票の記載は、手続き上の代表者としてお願いします。
さらに、異世界経済部の「協力者登録」が新設され、グラン=ドゥルは第一号として登録された。
登録証の肩書は——美月が勝手に盛りかけたが、勇輝が止めた。
「“守護竜”って書きたい!」
「書くな。正式名称は『安全協力者』」
「地味!」
「地味が行政です!」
市長が独特の笑みで締める。
「今日も町は守られたな」
「守られました。帳票にドラゴンを載せずに済んだ」
加奈が紙袋を差し出す。
「はい、差し入れ。住民課、今日は胃がすごく疲れたと思う」
住民課職員が泣きながらクッキーを受け取った。
「主任……次は何が来ますか……」
勇輝は遠い目で答えた。
「次は……たぶん、身分証」
その瞬間、窓口の方から声が上がった。
「すみません! マイナンバーカードの写真が……昨日と顔が違うんですけど!」
「来た!!」
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、世帯主にドラゴンが立候補してくることがある。
次回予告(第61話)
「本人確認が地獄:マイナンバーカードの写真が“変身”に追いつかない」
「あなた、誰ですか?」
「私です(昨日は角がありました)」
窓口で始まる“顔が毎日違う人”対応——。




