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第53話「防災無線が異界語で放送される:日本語のはずが詠唱」

 ひまわり市の夕方五時は、だいたい穏やかだ。

 子どもは「帰りましょう」の放送に追い立てられ、大人は夕飯の献立を思い出し、観光客は温泉街に流れていく。


 そして決まって、あの声が流れる。


『こちらは、ひまわり市です。本日の——』


 定時放送。

 役所にとっては“地味だけど超重要”な仕事のひとつだ。

 何かあった時、最後に町を守るのは、だいたいこの無線だから。


 ……なのに。


「主任! 防災無線が、異界語です!!」


 美月が広報席から飛び出してきた。

 今日もスマホが先で、本人が後。息が切れている。


「落ち着け。異界語って、どこの」


「分かりません! ていうか、詠唱です! しかも、住民から“宣戦布告か?”って電話来てます!」


「宣戦布告!?」


 勇輝は椅子から立ち上がり、背筋が凍った。

 誤解が戦争になる。

 異界転移してから、町が何度も学んだ最悪の教訓だ。


 そこへ加奈が紙袋を抱えて現れる。今日は夕方なのに来た。嫌な予感が当たった。


「無線? 外、ざわついてるよ」


「ざわつくな。止める」


 さらに背後から、のっそりと市長が現れた。不敵な笑み。だが今日は、その笑みが少し硬い。


「防災無線は、町の神経だ。混線は放置できない」


「市長、今日は真面目ですね」


「戦争の誤解は笑えないからな」


 勇輝は頷いた。

 よし。今日は全員同じ方向を向けている。珍しい。


被害状況:住民は混乱、異界住民は警戒


 防災担当の職員が、無線室から飛び出してきた。


「主任! 定時放送を流したんです! いつも通りの原稿で! でも、出てきた音声が……これです!」


 職員が録音を再生する。

 スピーカーから流れたのは——確かに“言葉”だ。だが、日本語ではない。

 音の響きがやたら厳かで、語尾が伸び、息継ぎが妙に規則的で……完全に詠唱だ。


『——ラ・セ・ル・ナ……キリス……オル……』


「……これ、何語だ」


 勇輝が呟くと、美月がスマホを叩きながら言った。


「住民からは『悪魔呼んでる』って言われてます!」


「悪魔は呼ぶな!」


 加奈が現場の声を足す。


「商店街の異界の人たちがね、顔色変えてた。『今のは軍の宣言に似てる』って」


「似てる、って何だよ……」


 市長が静かに言った。


「“似てる”が厄介だ。誤訳より、類似が怖い」


 勇輝は即座に指示を出した。


「今すぐ、誤解を止める。

 ①放送を止める(定時放送は中断)

 ②臨時で“日本語の肉声”で訂正放送

 ③SNSと掲示で“誤放送”を説明

 ④原因調査。混線か、乗っ取りか、機器の異常か」


 防災担当が頷く。


「放送停止はできます! ただ、訂正放送は……今流すなら、誰が喋ります?」


 美月が手を挙げた。


「私、やります! 広報の声、通ります!」


「ダメ。今の状態で美月が喋ったら、テンションで詠唱っぽくなる」


「失礼すぎません!?」


「褒めてるんだよ!」


 加奈がぽつりと言う。


「じゃあ、主任。落ち着いた声だし」


「やだよ!」


 市長が、すっと前に出た。


「私が喋る」


「市長はダメです」


「なぜだ」


「市長が喋ると、内容がどうであれ“宣言”になる!」


 美月が即座に頷く。


「確かに! 市長の声、布告向きです!」


「布告向きって何だ」


 加奈が、苦笑して言った。


「じゃあ…防災担当さん? いつも原稿読む人」


 防災担当職員は、震える声で言った。


「私、緊張すると早口になります……」


「早口はまだマシだ。詠唱よりマシ」


 勇輝は決めた。


「防災担当さんが読む。私は横で原稿を持って補助。加奈は現場で“今から訂正放送が流れる”って声かけ。美月はSNSに即投稿」


「了解!」


 誰も迷わない。役所の現場力が戻った。


訂正放送:日本語で、短く、はっきり


 無線室に入ると、機械が並んでいる。

 いつもなら“頼れる相棒”に見えるそれが、今日は不気味な箱に見えた。


 防災担当職員がマイクを握り、勇輝が原稿を差し出す。

 原稿は短くした。余計なことを言うと、誤解が増える。


「いきます……!」


 スイッチが入る。赤いランプが点灯する。


『こちらは、ひまわり市です。先ほどの放送は機器の不具合により、内容が正しく伝わりませんでした。現在、原因を確認しています。危険情報や避難情報ではありません。ご不安をおかけして申し訳ありませんでした』


 ……普通だ。

 日本語だ。

 詠唱じゃない。


 勇輝は、思わず息を吐いた。

 無線室の空気が少し軽くなる。


 美月が廊下でスマホを叩く音が聞こえる。

 おそらく今、公式SNSに同内容が出ている。


 加奈は外で、住民に声をかけているはずだ。

 市長は——無線室の隅で腕を組み、黙っている。珍しい。


「……これで一旦、誤解は止まります」


 勇輝が言うと、市長が小さく頷いた。


「よし。次は原因だ」


「はい。ここが本番です」


原因調査:機器が“翻訳”しようとしている


 防災担当職員が機器のログを確認し、首をかしげた。


「主任……放送システムの設定が、変わってます」


「変わってる?」


「言語設定が……“多言語自動変換:ON”になってます」


 勇輝は固まった。


「そんな設定、あったっけ」


「本来は無いです。……でも、今はあります」


 つまり、誰かが“機能を追加した”。

 そしてその機能が、日本語を異界語へ“変換”した。


 美月が走って入ってきた。


「主任! 広報ギルドから連絡来ました! 『言葉が届くようにした』って!」


「……また広報ギルドか!」


 加奈が頭を抱える。


「この町、言葉に手を出すとだいたい燃えるね」


「燃えるな! 防災無線は燃えたら終わりだ!」


 市長が静かに言った。


「広報ギルドは“届く”を善とする。だが、防災無線は“正確”が善だ」


「珍しく100点の発言!」


 勇輝は即座に決断した。


「多言語自動変換、今すぐOFF。設定をロック。権限を絞る。

 そして、異界語での放送が必要なら、別枠で“翻訳済み原稿”を作って人が読む。自動変換は使わない」


 防災担当職員が頷く。


「OFFにします!」


 カチッ。


 画面の表示が、すっと普通に戻る。

 “多言語自動変換”の項目が消える。まるで最初から存在しなかったみたいに。


「……消えた」


 美月が呆然と呟いた。


「今の、夢?」


「夢じゃない。悪夢」


 加奈がため息をつく。


「でも、対策はできたね」


「できた。……ただ、異界語放送のニーズは本物だ」


 勇輝は、そこが一番難しいと思っていた。

 異界住民が増えれば、日本語だけの防災情報では届かない人がいる。

 だからこそ、正しい翻訳が必要だ。詠唱じゃなくて。


「市長、広報ギルドと話をつけます。防災無線に勝手に触らせない。協力するなら“翻訳チーム”として、監修に入ってもらう形」


「良い。枠組みで縛れ」


「言い方!」


 美月が挙手する。


「翻訳チーム、私も入っていいですか!? “届く文章”なら作れます!」


「美月は“届く”が強すぎるから、監修の監修を付ける」


「なんですかそれ!」


「主任です」


「うわぁ!」


 加奈が笑った。


「じゃあ私、住民側の“分かりやすさ”担当する。言葉って、生活の中で使われるものだし」


「助かる」


ひまわり市の結論:防災は詠唱ではなく、運用で守る


 その日の夜、ひまわり市役所は正式に通達を出した。


防災無線は日本語の原稿を人が読む


異界語対応は別枠の翻訳原稿を用意し、人が読む


自動変換・外部連携は禁止(権限管理と監査ログを設定)


広報ギルドは協力員として翻訳監修に限定


 そして、町は落ち着いた。

 誤解が戦争になる前に、ギリギリで止まった。


 無線室を出ると、市長が珍しく真面目な顔で言った。


「主任。今日の教訓は?」


「言葉は強い。だから、勝手に動かすな」


「よし」


 美月が疲れた顔で言う。


「でも……異界語でちゃんと放送できたら、安心する人、増えますよね」


「増える。だから作る。……詠唱じゃなくて、翻訳で」


 加奈が紙袋を差し出した。


「ほら、糖分。今日は本当に胃が縮んだでしょ」


「縮んだ。ありがとう」


 勇輝は甘いものを口に入れた。

 甘い。現実に戻る味がする。


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転。

 ただし、防災無線は“世界の誤解”を止める最後の砦だ。


次回予告(第54話)


「学校が異界対応:転校生が“透明”で出席が取れない」

朝のホームルームで先生が困惑。

「えー……出席を取ります。……あなた、どこですか?」

教育委員会、現場と制度の板挟みが始まる!

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