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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第52話「広報ギルド暴走:市の公式アカウントが“詠唱”し始めた」

◆朝・ひまわり市役所 広報コーナー(役所の文章は、目立たないことまで含めて仕事になる)


 広報の文章は、うまければいいというものではない。

 ひまわり市役所の広報を担当する美月は、そのことを異界転移の前よりずっと強く知るようになっていた。観光案内なら少しくらい柔らかくてもいいし、季節の催しなら写真が映える言い回しを添えてもいい。けれど、道路工事、断水、避難訓練、図書館の臨時休館、熱中症注意、そういった生活に直結する情報は、面白くなくていいから、読んだ人が一度で分かる文章でなければ困る。役所の文章にとって、一文の華やかさより「誤読されないこと」の方がずっと価値がある。そこを間違えると、たった数行の投稿が、住民の一日を平気で狂わせる。


 だからその朝も、美月はいつもの順番でパソコンを立ち上げ、投稿予定の原稿を見直していた。

 本日の道路工事のお知らせ。図書館の資料点検に伴う一部閲覧停止の案内。週末の防災訓練の告知。さらに、観光客向けの温泉通りイベントの案内。地味だ。だが地味であることが、広報としてはだいたい正しい。市の公式アカウントは、誰かの気分を一瞬持ち上げるためのものではなく、町の暮らしが少しでも詰まらないように、必要な人へ必要な情報を通すための道なのだから。


 そのはずだった。


 ログイン後の管理画面に、見覚えのない投稿がすでに並んでいるのを見た瞬間、美月はほんの数秒だけ、脳が状況を拒否した。


 自分はまだ投稿ボタンを押していない。

 予約投稿の一覧にも、こんな文面は登録していない。

 なのにタイムラインには、ひまわり市役所公式アカウントの名で、たしかに投稿が出ている。


『汝ら、湯けむりの街へ集え。

本日、温泉通りは清き風に満ち、商いは賑わい、歩みは滑らかならん。

迷うなかれ、香りの白き門を目印とせよ』


「……は?」


 美月は、まばたきを忘れたまま画面へ顔を寄せた。

 語尾の一つ一つが濃い。説明ではなく宣言に近い。観光投稿だとしても盛りすぎているし、何より市役所の公式アカウントが勝手に“汝ら”を使い始めるのは、普通に嫌だった。


 その時、窓の外がふっと明るくなった。

 さっきまで薄く曇っていた空が、まるで誰かが指で雲をほどいたみたいにゆっくり割れ、陽が差す。ロビーの白い床に、朝の光が一段だけ強く伸びた。


「……え?」


 美月は反射で窓を見て、それからもう一度画面へ戻った。

 投稿時刻は、ほんの一分前。偶然かもしれない。偶然だと思いたい。そう思いながらタイムラインを一つ前へスクロールすると、そこに出てきた文で、偶然説はだいぶ弱くなった。


『雨よ降れ。道路の塵を洗い、葉を潤し、我らの肌を冷ますがよい。

午後の熱を鎮め、商いの息を細やかに整えたまえ』


 投稿時刻のすぐ下には、住民からの返信がもういくつも並んでいる。


「投稿と同時に雨降ってきたんだけど」

「ちょっと待って、洗濯物が」

「公式アカ、天気まで触るの?」

「雨乞いアカウント爆誕」


 美月はそこでようやく椅子を蹴るみたいに立ち上がり、広報コーナーから廊下へ飛び出した。


◆朝・異世界経済部へ続く廊下(言葉が勝手に世界を動かし始めた時、広報はもはや広報だけの案件ではない)


「主任! 公式アカが、詠唱してます!」


 叫びながら走ってきた美月を見た瞬間、勇輝は、今日は朝から平穏が薄い日の顔だなと思った。

 ただ、その第一声が「詠唱してます」だったので、思った以上に薄かったことをすぐ悟り直した。


「落ち着け。詠唱って何だ。投稿文が長くなったとか、妙に格好つけ始めたとか、その程度ならまだ――」


「その程度じゃないです! “汝ら”とか“然れど”とかを越えて、完全に呪文です! しかも、投稿すると天気が動いてるっぽいです!」


「っぽい、で言うな。そこは確認しろ」


「確認する前に晴れました!」


 加奈が紙袋を抱えたまま、すぐ横から会話へ入ってくる。


「広報で呪文って、どういう用途?」


「用途があったら怖いだろ」


 勇輝がそう返しつつ、突き出されたスマホ画面を見た。たしかに、市の公式アカウントの文としては強すぎる。美しいとか面白い以前に、情報が一発で頭へ入らない。しかも、妙に“叶いそう”な言い回しばかりが並んでいる。願望を説明へ混ぜる時点で、役所の広報としてはかなり危ない。


 そこへ市長が現れた。今日はいつもより少しだけ機嫌のよい顔で、しかもその顔が嫌な予感をさらに育てる方向の機嫌である。


「広報が詠唱か。言葉に力が宿るのは、よい兆候ではないか」


「市長、良い方向へしか作用しない保証がないんです」


 勇輝が言い切ると、市長は美月の画面をのぞき込み、ふむと小さく頷いた。


「たしかに、これは少々、力みすぎだな」


「少々じゃないですよ。道路工事のお知らせが神託になったら、誰も通行止めの時間読めません」


 美月が半泣きでそう言うので、勇輝はすぐ立ち上がった。

 広報が暴走した時、一番困るのは格好よくなりすぎることではない。必要な情報が必要な形で届かなくなることだ。もしこれが観光案内だけなら、まだ笑って止めればいい。だが、今日の予定投稿には道路工事も図書館の点検も防災訓練も混ざっている。そこへ詠唱が混ざったら、役所の広報はただの魔法事故になる。


「広報コーナーへ行く。まず、何が乗っ取られたのかを確認する」


「乗っ取られた前提なんですね……」


「公式アカが勝手に天気を動かした疑いがある時点で、優雅にしてる余裕はない」


 加奈もすぐに歩幅を合わせた。


「生活情報が呪文になるの、一番困るもんね。洗濯物もだけど、道路工事なんて変に盛ったら“今日見に行こう”って人まで出るかもしれないし」


「そう。役所の文は、見た人を集めるためじゃなく、迷わせないためにある」


 その言葉に、市長が少しだけ目を細めた。否定ではない。たぶん半分くらいは同意している顔だ。半分しか同意していないのが少し怖いが。


◆午前・広報コーナー(“届く文章”と“世界を揺らす文章”は、似て見えて役所ではかなり違う)


 管理画面を開くと、異常は一目で分かった。

 投稿文そのものだけではない。設定の表示まで一部が見慣れない語に置き換わっている。通常なら「連携アプリ」「投稿権限」「二段階認証」と並ぶ欄に、今日はなぜか「修辞付与」「天候共鳴」「真名認証」などという物騒な単語が混じっていた。


「真名認証って何だよ……」


 勇輝が思わず呟くと、美月が涙目でスマホを差し出した。


「二段階認証を戻そうとしたら、これです」


 画面には、見たこともない文字列が浮かんでいる。


『認証のため、真名を囁け。

魂の震えが一致せぬ限り、言葉の門は開かれぬ』


「役所のログイン画面に“囁け”が入るな」


「戸籍名を入れても弾かれました! “魂の震えが足りぬ”って! 評価が詩的すぎます!」


 加奈が横からのぞき込み、口元だけで引いた。


「これ、完全に広報ギルドの仕業じゃない?」


「広報ギルド?」


 勇輝が聞き返すと、加奈は少しだけ考える顔になった。


「この前、異界新聞の人が店で言ってたの。人間のSNSは便利だけど、文章に魂がない、って。だから広報ギルドが“届く文章”を手伝ってやればいいのにって。冗談かと思ってた」


「冗談であってほしかったな」


 美月はログを開いた。そこには、投稿者表示の脇に見慣れない文字がある。


 連携投稿元:広報ギルド・第七修辞室


「……第七修辞室って何ですか」


「知らん。でも嫌な響きしかしない」


 勇輝はそこで、被害の範囲を確認し始めた。今朝の投稿予定一覧。道路工事案内。図書館点検。防災訓練。イベント案内。もしこれらすべてへ勝手な修辞が乗るなら、誤解だけでは済まない。


「美月。道路工事案内を詠唱に変換したら、どうなる」


 美月は半泣きのまま管理画面のプレビューを開いた。


「『汝ら、掘削の轟きに耳を澄ませ。

本日、北通りは一時閉ざされるも、それは未来の滑らかさへ至るための儀なり――』」


「だめだ。見物客が来る」


「ですよね!」


「防災訓練は」


「『鐘のごとき報せに従い、汝ら身を寄せ合い、避難の道を想起せよ――』」


「もっとだめだ。本番と訓練の区別が消える」


 加奈がすぐ頷いた。


「図書館の点検なんて、きっともっと読まれないよ。普段から“点検中です”だけで済むのに、そこへ詩が入ったら“あとで読もう”で流される」


「そう。広報の言葉が一番困るのは、意味が増えることなんだよ」


 勇輝は低く言った。


「役所の文は、解釈の余白が狭い方がいい時がある。住民が一回で同じ意味を受け取れるように」


 その時、ロビーの方が少しざわついた。

 複数の足音が、妙に揃って近づいてくる。庁舎の廊下を歩くというより、舞台へ入るみたいに整えられた足取りだった。


◆午前・庁舎ロビーと温泉通り(“届く文章”が危険なのは、誤解が速く、しかも少し気持ちよく広がるからだ)


 管理画面の異常を見ただけでも十分まずかったが、本当に怖いのは、外でその文章がどう受け取られているかだった。

 広報の失敗は、たいてい庁舎の外で本性を現す。だから勇輝は、加奈と美月を連れてロビーへ出て、実際の反応を拾うことにした。画面の中だけ見ていると、役所は時々、自分たちがどこで人を迷わせているのかを見失う。


 ロビーの掲示前には、すでに数人の住民が集まっていた。

 市の公式アカウントを見て来たらしい若い観光客の二人組は、さっきの温泉通りの投稿を開きながら、かなり本気で「白い門ってどこですか」と受付へ聞いている。ところが、温泉通りに白い門などない。たぶん“湯けむりの立つ入口”を詩的に言っただけなのだろうが、観光客からすれば目印として解釈してしまうのも無理はない。


「白い門……ですか? すみません、そのような正式名称の場所は……」


 受付の職員が困っている。

 さらにその横では、町内会の男性がスマホを見ながら渋い顔をしていた。


「この“道路の塵を洗え”って投稿、道路清掃のことかと思ったら雨だったのか。朝の集会で“今日は散水でも入るのかね”って話してたぞ」


 美月が小さくうめく。


「だめだ。誤解の方向が全部生活寄りだ……」


「そこが一番だめなんだよ」


 勇輝はすぐ答えた。

 広報の比喩が危険なのは、意味が全然伝わらなくなるからではない。人が“自分に都合よく”解釈できてしまうからだ。白い門と書けば、誰かは白い建物を探し、誰かは湯けむりを門だと思い、誰かは映えスポットだと勘違いして集まる。つまり、読み手の数だけ正しそうな誤読が生まれる。


 そこへ、さらに税務課の前を通った帰りだという高齢の女性が割って入る。


「ねえ、これ、市の公式なんでしょ。だったら“歩みは滑らかならん”って、温泉通りの段差直ったって意味じゃないの? さっきカート押して行ったら普通にいつもの石畳だったけど」


「違います、段差の話ではなくて……」


 美月が説明しかけて、自分で止まった。

 違う、のあとに何が続くべきか、公式の投稿文そのものが曖昧なので説明がしづらい。こういう時、広報担当は一番つらい。自分の出した言葉ではないのに、その後始末だけは自分の役目になるからだ。


 加奈は、受付へ立ち止まっていた観光客にやさしく声をかけた。


「白い門っていうのは、たぶん比喩なんだと思う。温泉通りの入口に白い門はないから、普通に“駅側からまっすぐ”って理解した方が安全だよ」


「比喩なんですか?」


「公式が比喩を使うなって話なんだけどね」


 加奈が笑わずに言うと、観光客もつられて苦笑した。

 役所の文章が誤解を生む時、人は怒る前に、まず少し困った顔になる。その顔が広がり始めたら、もう十分に危ない。


 しかも、投稿によって実際に周辺環境が少し動いている疑いがある以上、笑い話にもしにくい。

 ロビーを出て温泉通りへ目をやると、朝の投稿のあとから、薄雲の切れ方がやや不自然に揃っているようにも見える。偶然と言い張れなくはない。だが偶然を前提に運用するには、広報という仕事は生活へ近すぎた。


「主任、もう一個まずいのあります」


 美月が端末を見せる。

 防災訓練の告知予定へ、勝手に修辞案が自動付与されていた。


『鐘鳴れば集え。煙なき火を思い、慌てず騒がず、隣人の手を取りて……』


「これ、本番の火事と訓練の区別つかないですね」


「完全にだめだ」


 勇輝は即答した。

 ここでようやく、広報ギルドの行為を“面白い侵入”ではなく“公共インフラへの干渉”として扱う理由が、庁舎の外側でも十分に揃った。観光の盛り文句が少しきらびやかになる程度ならまだしも、防災と道路と施設案内にまで同じ熱をかけるなら、もう完全に線を引かなければいけない。


 勇輝は庁舎へ戻りながら言った。


「交渉の論点は一つ追加だ。単に“勝手に触るな”じゃない。“その文章で実際に生活が誤動作している”まで伝える」


「誤動作、いいですね」


 美月がすぐメモを取る。


「気分の問題じゃなくて、運用の障害って言い方にできます」


「そう。詩が悪いんじゃない。緊急情報を詩にするのが悪い」


◆午前・庁舎ロビー(文章で戦う人たちは、だいたい姿勢からしてすでに強い)


 やって来た一団は、ひと目で「文章が仕事の人たち」だと分かった。

 羽ペンを意匠にした徽章、巻物めいた書類筒、無駄に整った襟元。騎士ほど物々しくはない。商人ほど実利一辺倒でもない。けれど、自分たちの扱うものが“言葉”であり、その言葉に価値があると本気で信じている人間の佇まいだった。


 先頭に立つのは、銀髪のエルフの女性だ。背筋が真っ直ぐで、目線に迷いがない。広報ギルド代表と名乗られても不思議ではない顔をしている。


「ひまわり市役所の皆さま。広報ギルド代表、リュシアと申します」


 美月が横で、小さく呟いた。


「来た。本体」


 リュシアは優雅に一礼して、それからまっすぐ勇輝を見た。


「貴殿らの発信は有益です。正確で、誠実で、公共に資する。されど、味気ない。人は心が動かなければ、情報を開いても最後まで読まぬ。ゆえに我らが“語り”を与えました」


「その“語り”で天気が動いた疑いがあります」


 勇輝が淡々と返すと、リュシアは一度だけ瞬きをした。


「天気? ああ。言葉に力が乗れば、世界が応えることはあります。自然なことです」


「自然じゃないです」


 美月が耐えきれず言いかけたところを、勇輝が肩で軽く止める。怒っていい場面だが、ここで感情だけ先に出すと、相手は“言葉の良さを分からぬ役所”という構図で押してくる気がした。


 加奈が一歩前へ出て、生活側の言葉に落とした。


「良くしたい気持ちは分かるんです。たぶん“読まれるようにしたい”んですよね。でも、役所の広報って、特に緊急のお知らせは“すぐ分かること”が一番大事なんです。道路工事は、格好よくなくていい。図書館の点検は、余韻がなくていい。洗濯物が濡れる投稿は、できれば詩じゃない方が助かる」


「洗濯物が……?」


 リュシアの眉がそこで初めて少し動いた。

 生活が異界の美学へ刺さる瞬間は、だいたいこういう細部だ。


「今朝の雨の投稿で、干してた布団がやられた人が出たら、広報としては失敗です」


 加奈は真顔で言った。


「読まれることより先に、暮らしを狂わせないことがある」


 リュシアはそこで口を閉じた。話が通じないわけではなさそうだ。ただ、優先順位の置き方が違うのだろう。


 市長が、静かに前へ出た。


「守れる」


 短い一言だった。

 それだけでロビーの空気が少し張る。


「貴殿は?」


 リュシアが問うと、市長は淡々と答えた。


「ひまわり市長だ。行政の言葉は、剣ではない。だが盾だ。派手に世界を動かさずとも、人を迷わせず、必要な時に必要な方角を示す。それが役所の広報だ」


 美月が横で、小さく息を呑んだ。加奈も少しだけ目を細める。

 こういう時の市長は、腹が立つくらい言葉がまっすぐだ。


 勇輝は、その空気のまま交渉の形を作った。


「ギルドの協力そのものを拒否したいわけではありません。観光PRや文化案内に、あなたたちの文章力が役立つ場面はあると思う。でも、公式アカウントの主導権は市が持ちます。勝手に投稿しない。まず案を作る。市が承認し、責任を持って出す。天気や周辺環境へ共鳴する修辞は、緊急情報や生活情報では使わない」


 リュシアは即答しなかった。

 代わりに、勇輝の顔を少しだけ観察するように見てから言う。


「承認に時間がかかれば、言葉の熱は死にます」


「熱より正確さです。少なくとも、道路工事と避難情報では」


 勇輝も引かなかった。


 加奈が、そこでまた生活の言葉を置く。


「温泉まつりの案内なら、ちょっと盛ってもいいと思う。でも、“本日午後二時から断水です”は盛らない。誰も比喩で水を止められたくないから」


 リュシアは、その言い回しに少しだけ口元を緩めた。


「……なるほど。日々の骨格を成す文は、飾りが少ない方がよいと」


「そうです。骨格です。そこへ勝手に羽をつけないでください」


 勇輝が言うと、リュシアの後ろにいたギルド員の何人かが、少しだけ悔しそうに視線をそらした。心当たりがあるらしい。


◆昼前・認証奪還(最後に強いのは、だいたい詩ではなく規程と手順だ)


 話がついたからといって、すぐに権限が戻るわけではなかった。

 問題は管理画面の“真名認証”である。リュシアはそれを「広報の魂を確かめるため」と言ったが、美月にとってはただの業務妨害だった。


「真名、何ですか」


 美月が半分怒りながら聞くと、リュシアは当然のように答えた。


「その発信の本質です。誰に、何を、何のために伝える言葉なのか。それが真名です」


「抽象度が高すぎる」


 勇輝は管理画面の前へ座り、少しだけ考えた。

 戸籍名ではない。担当者名でもない。愛称でもない。なら、公式アカウントという存在の“本質”は何か。観光の賑わいか。異界との交流か。いや、それだけではない。道路工事も図書館も防災も税も、このアカウントを通る。なら、本質はもっと地味で、公的で、面白みの少ないはずだ。


 ふと、頭の中に、広報運用規程の一文が浮かんだ。

 新しい規程を作った時、勇輝自身が修正を入れた部分だ。


「市民の安全及び生活に必要な情報を、正確かつ速やかに伝達する公的発信」


 試しに、その文を認証欄へ打ち込む。


 画面が、少しだけ白く光った。


『真名、一致』


 カチ、と管理権限の表示が戻る。

 投稿権限、連携設定、二段階認証。普通の、地味で、ありがたい管理画面が、ようやく帰ってきた。


 美月が本気で崩れ落ちた。


「戻った……文明が戻った……!」


「文明って言うな」


「だって、さっきまで魂の震えが足りぬとか言われてたんですよ!? 広報担当に必要なのは震えじゃなくて確認です!」


 その叫びは正しかった。


 勇輝はすぐに連携設定を開く。そこには、見慣れない項目がいくつも増えていた。


『広報ギルド:自動修辞付与』

『読了誘導:強』

『天候共鳴:ON』

『共感波及:中』


「天候共鳴……OFF」


 勇輝がクリックすると、窓の外の風がふっと弱まった。偶然かもしれない。だが、偶然でもOFFにできるなら、まず切る。共感波及も切り、自動修辞付与は“承認後のみ候補表示”へ変更する。読了誘導だけは通常の広告的な機能にも近いので、ONのまま“観光・文化投稿に限定”へ落とした。


 リュシアがその操作を見ていた。


「全部は切らぬのだな」


「全部切る必要はないと思ってるからです」


 勇輝は画面から顔を上げずに答えた。


「役所の広報でも、読まれなければ意味がないのは事実だ。だから、読了率を上げる工夫や、少しだけ届きやすい言葉は使う。ただし、勝手に世界へ触るのはだめです。責任が持てないから」


 リュシアは、そこでようやく深く頷いた。


「それなら筋は通る」


◆昼・実証確認(戻ったと思った時に一度試すのが、役所の地味で大事な癖だ)


 権限が戻ったといっても、そのまま本番で試すのは危ない。

 役所の仕事は、戻ったと思った時に一度テストを挟むのが大事だ。特に広報は、一回誤投稿すると回収より早く拡散が走る。


 美月は手を少し震わせながら、新規投稿画面を開いた。


「試しに、影響の少ないやつでいきます。図書館の点検案内から」


 書き込んだ文は、今日の朝と同じ内容だ。


【お知らせ】

本日、ひまわり市立図書館は資料点検のため一部閲覧を停止しています。

ご不便をおかけしますが、ご協力をお願いいたします。


 短い。普通だ。だが、こういう普通を普通のまま出せることが、いまは何より大事だった。


「押します」


「押せ」


 投稿は、すっと通った。

 画面の向こうで、余計な修辞は増えない。語尾も盛れない。窓の外も動かない。数秒待っても、空の色も風の匂いも変わらない。


 全員が、そこでやっと本当に息を吐いた。


「勝った……」


 美月が呟く。


「私、ログインに勝ちました……」


「勝ったのは、真名と規程だ」


 勇輝が言うと、加奈が笑った。


「でも、その真名を思い出したの主任だから、半分くらいは勝ってるよ」


 美月は机へ突っ伏しそうになりながら、なおも新しい投稿案を開いた。


「じゃあ次。観光の方で、ギルド案も試してみます?」


 リュシアがすぐに身を乗り出す。


「試したい。観光は“歩かせる言葉”が要る」


「ただし二段構えです」


 勇輝は線を引いた。


「まず、市の通常文を出す。そのあと、ギルド案は“おすすめの読みもの”として別枠に付ける。公式アカウントの主文は、あくまで分かりやすい方」


 そこで作られた文は、こうだった。


【週末イベント案内】

今週末、温泉通りで手仕事市を開催します。

開催時間は午前10時から午後4時までです。歩行者の通行にご協力ください。


 その下へ、ギルド協力文として別枠で添える。


【ことばの余白】

湯けむりの下、手のぬくもりが並ぶ一日です。

急がず歩けば、音と香りのあいだで、町の手仕事に出会えます。


 美月が二つを並べて投稿すると、反応は面白いほど分かれた。

 必要な情報だけを先に見る人は最初の文で止まり、雰囲気も欲しい人はそのまま下まで読む。しかも、天気は動かない。通行止めにもならない。洗濯物も無事だ。


 リュシアが、その結果を見て小さく息を吐いた。


「……なるほど。盾の上に装飾を置く、か」


「そうです」


 勇輝は頷いた。


「骨格を先に出し、その上で余白を選べる形にする。行政情報は、それがたぶん一番強い」


◆午後・広報の運用づくり(きれいな合意ほど、その後ろに地味な承認欄が要る)


 協議書の叩き台ができたあとも、仕事はそこで終わらなかった。

 むしろここからが、役所らしい地味さの本番だった。勝手に動いていたものを「今後は勝手に動きません」で済ませると、だいたい次の月にまた別の形で再発する。だから必要なのは、性善説ではなく、流れとして再現できる手順だった。


 勇輝はホワイトボードをもう一枚出し、広報の投稿を三種類へ切り分けた。


 第一種。緊急情報。防災、断水、道路規制、避難、事故、施設の急な停止。

 第二種。生活情報。図書館の点検、税の案内、健康診断、窓口の時間変更。

 第三種。観光・文化情報。催し、季節案内、交流イベント、特集記事。


「この三つを、同じ文章ルールで回さない」


 勇輝が言うと、美月がすぐに続けた。


「第一種は平文固定。比喩なし。修辞なし。副詞少なめ。二人承認。緊急時は一人でも出せるけど、テンプレに沿う」


「そうです。第二種は平文を基本に、末尾に一文だけやわらかい補足は可。第三種は、通常文の下にギルド案を添える形で自由度を上げる。ただし天候共鳴と周辺環境干渉は全部OFF」


 リュシアが腕を組みながら聞いている。

 顔つきは真面目だ。プライドはあるだろうが、いまは“どこなら自分たちの仕事が活きるのか”を探っているように見えた。


「第一種と第二種は、味気なくなりすぎぬか」


「味気なくていいんです」


 加奈が即答した。


「断水のお知らせに余韻いらないでしょ。図書館の点検だって、“今日は使えない”が一番先。読んだ人が生活を組み直せるのが最優先なんだから」


「観光だけに回せ、ってことか」


「いや、観光“だけ”じゃない」


 勇輝は少し考えながら言葉を選んだ。


「第三種の中でも、祭りや催しの気分を伝える文、町の空気を少し柔らかく見せる文、そういう“余白の価値”があるものに限る。行政サービスの条件説明にその余白を混ぜない」


 リュシアは、そこで初めて少し安心したように見えた。


「ならば、我らは第三種で役に立てる」


「役に立ってください。その代わり、第一種と第二種へは入らない。ここは厳守です」


 そこへ市長が口を挟む。


「承認欄も分けよう。第三種の投稿は、広報担当だけでなく、内容を持つ担当課も見ろ。観光なら観光、図書館なら図書館、道路なら道路。広報は言葉を整えるが、事実の責任は元の部署が持つ」


「それです」


 勇輝は頷いた。

 広報が暴走しやすいのは、言葉の表面だけが独り歩きした時だ。事実を持つ部署の目が入っていれば、少なくとも“白い門”みたいな実在しない目印は減らせる。


 さらに、美月が実務的な提案を出した。


「投稿画面そのものに“種別”を最初に選ばせましょうか。第一種を選んだら、比喩語や呼びかけ語が自動で赤く出るようにする。『汝』『集え』『然れど』『願わくば』みたいな語を入れると警告が出る感じ」


「いいな、それ」


 勇輝は少し笑った。


「役所版の校閲だ。しかも“平文を守るため”の」


 リュシアがその案に興味を示す。


「では、第三種を選んだ時だけ、我らの修辞候補を出す形にできるか」


「できます。候補表示だけなら。勝手に置き換えないなら」


「良い。承認前の装飾案として置こう」


 話がそこまで進むと、広報ギルドの面々も少し表情が和らいだ。排除ではなく役割の再配置だと、ようやく体で分かったのだろう。


 庁舎の一角で始まった即席の運用会議は、最後に“緊急投稿の模擬訓練”までやることになった。

 美月が第一種として入力する。


【緊急】北通りで漏水のため、午後三時から一時間、通行規制を行います。現地誘導に従ってください。


 画面の下に、赤い警告なし。

 第三種候補も出ない。

 その代わり、「代替ルート図を添付しますか」「時間を太字表示しますか」という、実務寄りの補助だけが出る。


「……こっちの方が、よっぽど役所っぽくて好きです」


 美月が素直に言った。


「好きでいい。役所の“好き”は、だいたい住民の“助かる”に近い時がある」


 加奈は、その横で紙コップを配りながら笑う。


「広報って、面白い文章を書く仕事だと思われがちだけど、本当は“誤解の余地を減らす仕事”なんだね」


「うん。でも、余地を全部なくすと今度は誰も読まなくなる。だから今日みたいに、骨格と余白を分けた方がたぶん続く」


 その言葉に、リュシアも静かに頷いた。


「我らも学んだ。魂を入れる前に、骨を折ってはならぬのだな」


◆午後・広報協力の枠組み(勝手に動かないための居場所を作ると、相手も勝手に触る理由を失う)


 午後には、簡単な協議書の叩き台が作られた。

 名称は「ひまわり市広報協力員運用覚書」。相手は広報ギルド。役割は、観光・文化・交流分野における表現案の提供。権限は、投稿権限なし、閲覧権限は限定、草案提出のみ、緊急情報・防災情報・生活インフラ情報には介入しない。監査ログは市が保持。連携設定の変更は、必ず市側二名承認。


 美月がそれを読み上げる。


「“広報ギルドは、市の公式発信において表現上の助言を行うことができる。ただし、発信の主導権及び最終責任はひまわり市が負う”……よし、好きです。この文章」


「好きで済ませず守れ」


「守ります」


 リュシアも文面を確認し、羽ペンの先で一つずつ追った。


「こちらの力を認めつつ、線も引く。よい。これなら、勝手に“魂を入れる”必要はなくなる」


「最初からそうしてください」


 勇輝が言うと、リュシアは少しだけ笑った。


「貴殿らの広報を見て、焦ったのです。情報は正確だが、人の心へ落ちる前に流れていく。もったいないと思った」


「その気持ちは分かる。でも、勝手に雨を降らせるな」


「そこは反省する」


 市長がそこで小さくまとめる。


「行政の言葉は、届かなければ意味がない。だが、届くために形を変えすぎて、肝心の骨が折れてはならない。今日は、その線を一つ引けたな」


「珍しく完全に同意です」


「珍しく、をやめろ」


 加奈は協議書の脇へ紙コップを並べながら、少し笑った。


「でも、広報ギルドの人たち、悪い人たちじゃなかったね。やり方がだいぶ危なかっただけで」


「そうだな。町の言葉を良くしたい気持ちは本物だったと思う」


「うん。だから、居場所があると落ち着くんだよ。勝手に触るより、“ここでやってね”って場所がある方が、人もたぶん普通になる」


 その言い方に、勇輝は少しだけ感心した。

 異界の組織や文化との衝突は、禁止だけでは長く続かない。動く理由があるなら、動いていい枠を作る。そのかわり、枠の外ははっきり止める。最近のひまわり市は、その繰り返しで何とか町の形を保っている気がした。


◆夕方・庁舎の窓際(投稿ボタンがただのボタンへ戻ることのありがたさ)


 夕方が近づくころ、広報コーナーはようやく普段の顔を取り戻していた。

 新しい観光投稿は、通常文と余白文の二段で静かに伸びている。道路工事の案内は誰にも神託扱いされず、図書館の点検情報も必要な人へだけ届いていた。防災訓練の告知は、訓練であることが一目で分かる文に戻され、窓の外の空も、ただの秋の空へ落ち着いている。


 美月は画面を見つめながら、ぽつりと言った。


「投稿ボタンが、ただの投稿ボタンなのって、こんなに安心するんですね」


「本来そうだろ」


「でも今朝は、押したら世界がちょっと動くかもしれない感じでしたから。あれ、本当に嫌でした……」


「分かる。広報担当が一番欲しいのは、魔法じゃなくて再現性だ」


 加奈がそこで笑う。


「でも、観光の余白文、ちょっと好きだったよ。市の文だけだと通るけど、ギルドの文が少し入ると“行ってみようかな”になる感じがある」


「それは認める」


 勇輝も頷いた。


「情報の骨格は市が守る。人の足を一歩だけ動かす余白は、協力を借りてもいい。今日の収穫はそこかもしれない」


 リュシアは、帰る前に一度だけ広報コーナーを振り返った。


「次は勝手に触れません。案を持ってきます。貴殿らの盾が強いほど、我らの装飾も生きる」


「装飾は天候を動かさない範囲で」


「努力する」


「努力じゃなくて守ってください」


 美月が即座に返すと、リュシアは今度こそ声を出して笑った。

 その笑いに、敵意はもうほとんど混じっていない。


 市長が窓の外を見ながら言う。


「言葉は不思議だな。少し濃すぎるだけで世界を揺らし、少し薄すぎるだけで誰にも届かぬ」


「だから難しいんですよ。役所の広報って」


「だが、難しいからこそ面白い」


「面白い、で済ませるのは広報担当だけにしてください」


 勇輝がそう返すと、美月がすぐに抗議した。


「私に全部押しつけないでください! 今日ほんとに命がけでしたから!」


「広報は地味に命がけだって、やっと分かったか」


「前から分かってました! でも今日は“地味に”じゃなくて、普通に命がけでした!」


 その訴えがあまりに正確で、加奈がとうとう笑いをこぼす。


 庁舎のロビーを通る人たちも、もう誰も空模様を警戒しながら公式アカウントを見ることはしていない。投稿は投稿で、ボタンはボタンで、広報は広報だ。たぶんそれが、一番ありがたい普通なのだろう。


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転と言うには、公式アカウントが少し世界へ触りすぎた一日だった。

 けれど最後には、役所の言葉は盾として立ち直り、その上へ少しだけ余白を乗せる方法も見つかった。


 そうしてこの町はまた一つ、異界の力をただ追い払うのではなく、責任の線の内側へ折り畳んで使うための手順を増やしていくのだった。

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