第51話「税務課パニック:異界通貨で納税したい人たち」
◆朝・ひまわり市役所 税務課前(税というものは、正しく怖がられているうちがまだ平和だ)
税務課の朝には、独特の重たさがある。
誰かが怒鳴っているわけでもなく、机を叩く音がするわけでもないのに、封筒の束と電卓の打鍵だけで空気が少しだけ固くなる。納期限という言葉は、日常会話で使うには妙に強く、通知書という紙は薄いのに、人の予定と財布と気分をまとめて動かす力を持っている。だから税務課は、役所の中でも目立たない顔をして、ずっと町の背骨に近い仕事を抱えている部署だった。
朝一番の税務課は、普段なら静かだ。
窓口番号の札が整えられ、封を切られていない返信用封筒が端へ積まれ、職員が前日の収納確認をもう一度だけ見直す。相談に来る人も、だいたいは低い声で話す。税金の話をわざわざ明るく始める人は少ないし、明るく始められたとしても、だいたい途中で現実に引き戻される。そういう種類の場所だった。
ところがその朝、税務課の前にできていた列は、静かであるはずの場所の色をしていなかった。
金属がこすれる微かな音がする。
革袋が机へ置かれる重い気配がある。
どこかから宝石箱みたいな蓋の触れ合う音がして、金属粉とも鉱石ともつかない匂いが、書類とコピー紙の乾いた匂いへじわじわ混ざっていく。
税務課の若手職員は、最初の一人が金貨の袋を置いたところまではまだ笑顔を保てていた。
観光用の土産かもしれない、記念メダルの勘違いかもしれない、そう思ったのである。けれど二人目が宝石箱を置き、三人目が脈打つ透明結晶を布で包んで差し出し、四人目が鱗の腕で革袋を三つ並べたあたりで、笑顔の根本が危うくなった。
「……本日は、納税のご相談で」
ドラゴンの青年が、思った以上に丁寧な声でそう言った。
「うちの隊商、今年から市内で倉を借りた。義務が生じたと聞いた。ならば納めたい」
言葉は真面目だ。態度も真面目だ。なのに、カウンターへ置かれているのは円ではない。磨かれた金貨が袋の口から覗き、朝の照明を受けて、いかにも価値がありそうに光っている。価値がありそう、というより、たぶん本当に価値はある。問題は、その価値を税務課がそのまま税として受け取れるわけではないことだった。
若手職員が乾いた唇を一度だけ舐め、係長の机へ視線を飛ばした。
係長も、見て見ぬふりをできる段階ではないと悟って立ち上がる。そこへさらに列の後ろから、エルフの商人が細長い箱を抱え、スライムが銀色の粒を袋ごとぷるぷる揺らし、魔族らしき来庁者が黒い布に包んだ石板みたいなものまで出しかける。
税務課は、その瞬間、静かに終わった。
◆朝・異世界経済部へ走る廊下(役所の中には、だめな気配だけで説明が済む朝がある)
美月が廊下を全力で走ってきたのは、その数分後だった。
今日はスマホより本人の勢いが前へ出ている。よほど切迫している時の走り方で、角を曲がる前から声が飛んできた。
「税務課が金属臭いです!」
勇輝は、机へ広げていた資料から顔を上げたまま数秒黙った。
言葉としてはかなり終わっている。だが、異界へ来てからというもの、終わっている日本語ほど現実を正確に言い当てることが増えた。
「落ち着け。何が起きた」
「納税相談です! しかも“払いたい”人ばっかりです! でも持ってきてるのが円じゃない! 金貨、宝石、魔力結晶、あと……なんか脈打ってる透明なやつまで!」
「脈打つな。税務課で脈打つな」
「私もそう思います! でも列ができてて、しかも皆さん真面目なんです! 真面目に納めたいんです!」
それが一番厄介だった。
怒鳴っている人を押さえるより、善意で列を作っている人たちに「それは違います」と伝える方が、税務課の現場はよほど削られる。
そこへ加奈が紙袋を抱えて入ってくる。今日は少し大きめの袋だ。ひと目で、朝から役所の空気が普通でないと分かったらしい。
「税務課?」
「そう。たぶん今日は、笑ってる暇がないやつ」
「税金は暮らしそのものだもんね。揉めると店も家も全部波をかぶる」
「その通り。だから一回で済む説明を探したい」
加奈は短く頷いた。軽口を差し込まず、最初から温度を合わせてくれる時の彼女は本当に助かる。
最後に市長が現れた。
手には、なぜか小ぶりの木槌みたいなものを持っている。飾りなのか象徴なのか分からないが、税務課に持ち込んでよさそうな道具ではない。
「納税相談と聞いた。よいことだ。市民の義務への意識が高い」
「その木槌は何ですか」
「税務課の空気を整える象徴だ」
「象徴で空気が整うなら誰も苦労しません」
勇輝は立ち上がり、腕章を取った。
今日必要なのは、異世界経済部の裁量というより、制度と現場の間へ立つ人間の顔だ。税そのものは税務課の領分だが、異界通貨を持って列を作る人たちへ「町のルール」と「あなたの善意は無駄じゃない」を同時に伝えるなら、こっちが入らないと回らない。
◆朝・税務課(机の上に金貨が並ぶと、正しい説明ほど言いづらくなる)
税務課へ着くと、美月の言っていた“金属臭い”の意味がすぐ分かった。
硬貨の袋を開けた時の乾いた匂い、宝石箱の内張りの古い布の匂い、結晶がうっすら発する熱の気配、皮袋へ詰め込まれた何か重いものの匂い。それらが封筒と紙とインクの匂いの中へ混ざって、税務課らしからぬ空気を作っていた。
列は長い。
しかし不穏ではない。むしろ皆、きちんと順番を守っている。
ドラゴンの青年は袋を胸の前で抱え、エルフの商人は順番札を指先で持ち、スライムは透明な袋をぷるぷるさせたまま椅子の脚元で待っている。魔族らしき男性は黒布の包みを膝の上へ置き、視線だけで周囲を確認していた。
税務課の係長が、勇輝を見つけてほとんど縋るように寄ってきた。
「助かります……! 皆さん“払いたい”って言ってるんです。逃げようとしてるわけじゃないんです。むしろ真面目すぎて、こちらが“受け取れません”と言うたびに余計空気が悪くなるんです」
「分かります。拒否に聞こえますからね」
「はい。しかも“では滞納になるのか”って顔をされると、こっちも違うんですと言いながら心が削れるんです……」
そこへ、ドラゴンの青年がきちんと会話の切れ目を待ってから口を開いた。
「急かす気はない。だが知りたい。俺の金貨は、市の義務を果たす力として足りぬのか」
良い声だった。真面目で、少しだけ不安が滲んでいる。
勇輝はすぐに向き直り、相手の目線へ合わせる。
「価値が足りないのではありません。金貨の価値は尊重します。ただ、税務課が“税として受け取れる形”が円に限られているんです」
「価値はある。だが、形が違う」
「そうです」
ドラゴン青年は、そこで一度だけ深く息を吐いた。
「ならば、形を整えれば納められるか」
その質問はありがたかった。
怒りではなく、手順を知ろうとする方向へ向いたからだ。
「整えれば納められます」
勇輝はきっぱり答えた。
その横で、エルフの商人が細く笑う。
「形、ね。紙と数字の国らしい。けれど、こちらから見れば金も宝石も価値そのものです。交換比率は、誰が決めるんです?」
そこが本丸だった。
税務課がそこへ触れた瞬間、会計も監査も治安も全部まとめて崩れる。だからこそ、最初の線引きが要る。
「税務課は決めません」
勇輝は即答した。
「税務課は税を円で受けるだけです。異界通貨や貴金属の交換は、税務の外で、別の窓口で行います。市役所が勝手に物品を税として受け取ることはしません」
エルフは、その答えに少しだけ目を細めた。
「責任を分けるのか。賢い」
「賢くないと死にます」
美月が思わず小声で言い、勇輝に肘で止められた。
スライムが、袋の中の銀色の粒を持ち上げるみたいにして前へ出る。
「ぷる……(これ、納税……)」
税務課職員が顔を引きつらせる。
袋の中の粒は金属なのか結晶なのか判然とせず、少なくともその場で机へ出していい雰囲気ではない。
「主任……あれ、“現金”じゃないですよね……」
「現金ではないですね。たぶん危険物寄りです」
そこへ市長が口を挟んだ。
「魔力結晶なら、扱いを誤ると床が伸びる」
「最悪の例えやめてください」
「例えではない。前例だ」
税務課の職員たちの顔色がさらに悪くなる。
笑えない。今回は本当に笑えない。
◆朝・税務課奥の緊急会議(制度を崩さず善意を殺さない、その細い橋を探す)
窓口の列を一旦税務課の前で待ってもらい、奥で緊急の短い打ち合わせが開かれた。
税務課係長、収納担当、会計担当、異世界経済部の勇輝、美月、加奈、市長。こういうメンバー構成が最近少し馴染んできているのが嫌だったが、役所は馴染んだ時ほど気をつけなければいけない。
勇輝はホワイトボードへ書き出す。
「現状。異界住民が納税の意思をもって来庁。持参しているのは円ではなく、金貨、宝石、魔力結晶など。税務課は税としてそれらを直接受領できない。だが“払いたいのに払えない”で追い返せば、滞納扱いへの不信と誤解が発生する。さらに、庁舎内へ高価物や危険物が溢れて治安も悪くなる」
会計担当が苦い顔で言う。
「受領した瞬間に、市の会計上どう評価するかで詰みます。査定権限がないまま物品を取るのは無理です。しかも宝石なんて、同じ見た目でも価値が全然違う」
「ですよね。だから“税としては受け取らない”。これは固定です」
勇輝がそう言うと、税務課係長が不安そうに聞いた。
「でも、それをどう言えば怒られずに済みますか」
「怒られない、より先に、“あなたの納税意思を否定しているわけではない”と伝えるしかないです。問題は意思ではなく形式だと」
加奈がそこで言葉を整えた。
「“払えない”じゃなくて、“払える形に変える必要がある”だね。追い返される感じじゃなくて、次の段取りがあるって分かるとだいぶ違う」
「そう。それです」
市長が木槌を机へ置く。
「では、交換の導線を作る。納税そのものは円。円へ換えるための窓口は別。税務課と交換窓口を分ける。二段構えだ」
「最近その言い方、便利すぎませんか」
「便利なものは使え」
悔しいが、その通りではある。
問題は交換をどこでやるかだった。市役所自身が両替や査定を始めたら、その瞬間に別の地獄が始まる。だから、市が担うのは案内と流れの設計までに留める必要があった。
「商工会と、異世界経済部の協定商会を使います」
勇輝は決めた。
「今日だけは税務課前に臨時案内机を出して、“納税は税務課、交換案内は別窓口”の二列に分けます。交換そのものは役所会計の外。相場は複数の協定商会提示価格を参考に、本人同意で。税務課はレートに関与しない」
会計担当がほっと息を吐く。
「そこまで線を切るなら助かります。役所が自分で査定しないなら、まだ死なずに済みます」
「死なない前提で言ってください」
美月が端末を叩きながら聞く。
「広報はどうしましょう。“金貨で税金払えます”は絶対違うですよね」
「違う。正確には“異界通貨をお持ちの方にも納税手続きのご案内を行っています”です。払えます、じゃなくて、ご案内です」
「やわらかいけど強いですね、その言い方」
「役所はそこが大事なんだよ」
加奈が頷き、すでに列に配るための小さな紙コップを準備し始めていた。
「待ち時間長くなるなら、飲み物いるね。怒る人より、不安になって黙る人の方があとでしんどいから」
そこが本当にありがたかった。
税務課は普段から緊張の高い窓口だ。そこへ通貨の違いまで重なると、人は怒るより先に萎縮しやすい。黙って待っている人の不安ほど、役所は気づくのが遅れる。
◆午前・臨時案内所の設置(言い切るより、どう進めばいいかを先に示した方が列は落ち着く)
税務課の前に、小さな臨時机が二つ並べられた。
一つは税務課の納付案内。もう一つは異世界経済部の交換・手続き案内。紙へ大きく書く内容も、勇輝たちはかなり慎重に選んだ。
納税は円でのお支払いです。
円をお持ちでない方は、交換・手続きのご案内をいたします。
美月が通る声で案内を始める。
広報としての声の通り方は、こういう時には本当に役に立つ。
「皆さま、納税の意思をありがとうございます。納税は“円”でのお支払いになります。円をお持ちでない方は、こちらで交換・お手続きのご案内をします。列は二つです。納付の方、案内の方、それぞれ順番にどうぞ」
最初に動いたのは、ドラゴンの青年だった。
「理解した。形を整えればよいのだな」
「はい。金貨そのものを否定しているわけではありません」
「なら従う」
その素直さに、税務課係長が奥でほとんど祈るみたいな顔をしている。
相手が真面目で、しかも説明を聞こうとしてくれるなら、窓口はかなり救われる。
エルフ商人は一方で、案内所の紙を見ながら聞いてくる。
「交換レートが不透明だと、結局、税の公平も崩れませんか」
そこは鋭かった。
税務そのものは円で平等でも、円へ換えるところで人によって損得が大きく揺れれば、不公平感は残る。
「だから、市はレートそのものを決めませんが、“今日の参考相場”を表示します」
勇輝はすぐに答えた。
「協定商会三者の提示価格を並べて出し、その範囲で本人が同意した交換に限る。どこか一者だけへ寄せず、参考幅を見せる。税務課はその手前まで」
エルフは、少しだけ口元を上げた。
「なるほど。市場に寄せつつ、行政は誘導だけを持つのか。悪くない」
「褒められても気が抜けるだけなので、今日はやめてください」
後ろでは、スライムが袋の中の銀色の粒を上へ持ち上げている。
近くで見ると、それは硬貨ではなく、魔力を含んだ微細な金属粒らしかった。光り方が穏やかではなく、息をしているみたいに淡く脈打つ。税務課の床へこぼしたくない種類であることだけは、全員が本能で理解できた。
「こちらは、まず安全確認です」
勇輝がはっきり言うと、スライムは少ししゅんとしたように袋を下げた。
「ぷる……(払いたい……)」
加奈がすぐ隣へしゃがむ。
「うん、払いたいのは分かるよ。だから順番ね。まず安全。それから換えられる形にする」
その言い方がよかったのだろう。スライムは納得したようにぷるりと揺れた。
こういう時、役所の言葉だけでは硬すぎることがある。加奈の言葉は、相手を幼児扱いせず、でも不安を煽らない。
◆昼前・交換窓口の立ち上げ(税務課が税務課の仕事だけに戻れることが、まず一番大事だった)
商工会と協定商会へ連絡を飛ばし、交換の相談に慣れた担当が二人、庁舎の別室へ急ぎで来ることになった。役所の外だが、役所の中に一時的な相談導線を引く。その組み合わせが、この町では案外よく効く。
別室の入口には、参考相場の簡易表示が張られた。
金貨一枚あたりの参考円価、宝石類は鑑定後、魔力結晶は安全確認後かつ買取可否個別判断。そこへ「税としての受領ではありません」「交換は本人同意に基づく任意手続きです」の一文も添える。細かいが、この一文がないとあとで全部が曖昧になる。
税務課係長は、その表示を見て、ようやく少し笑った。
「主任……税務課が、税務課してます」
「その感想、だいぶ切ないですね」
「でも本当にそうなんです。さっきまで、うちのカウンターが鉱山の集会所みたいでしたから……」
たしかに、金貨袋と宝石箱と結晶袋が机へ並ぶ税務課は、どう見ても本来の姿ではなかった。
いまは、税務課の窓口へ来た人へまず納付書と円納付の説明ができている。形が戻るだけで、職員の声色まで変わるのがよく分かった。
一方で、交換窓口の方はまだ気が抜けなかった。
ドラゴン青年の金貨は重さと刻印が比較的分かりやすく、参考相場の範囲でまとまりそうだったが、エルフ商人の宝石は色も透明度もばらばらで、鑑定の説明だけでかなり時間がかかる。しかも、相手は商人だから当然のように値を見てくる。ここで役所側が不用意に口を出すと、税務の公平まで疑われる。
勇輝は線を守った。
「税務課はここから先に関与しません。交換条件は商会とご本人の合意です。ただし、納税期限との関係があるので、本日来庁済みの記録だけは税務課で残します。交換に時間がかかっても、今日来た事実は消えません」
その一言で、列の空気がだいぶ落ち着いた。
払いたいのに払えない。しかも、そのせいで滞納扱いになるかもしれない。その恐怖が一番強かったからだ。
ドラゴン青年は、来庁記録票を両手で受け取り、真顔で言った。
「これで、誠意を疑われずに済むのだな」
「はい。あなたが今日、納税の意思をもって来庁したことは記録します。円への交換に時間がかかっても、それを踏まえて税務課が見ます」
「よかった……」
その“よかった”が、どれだけ本気かは顔で分かった。
税は生活の義務であると同時に、共同体へ自分が属している証明みたいに感じる人もいる。異界から来た住人にとっては、なおさらなのかもしれない。だからこそ、払いたい意思を制度の外で撥ね返すだけではだめだった。
◆午後・思わぬ反発(“異界住民だけ手厚い”に見えた瞬間、別の不公平感が生まれる)
流れが整い始めたころ、別の種類の不満も顔を出した。
それはある意味で当然だった。税務課の前に臨時案内机が出て、異界住民向けの交換案内が始まれば、普段から口座振替やコンビニ納付で黙って納めている地元住民の目には、「なんだか異界の人だけ特別に丁寧だ」と映る可能性がある。
実際、午後一番に来た地元の自営業の男性が、納付書を手にしたまま勇輝を呼び止めた。
「ちょっといいですか。あの人たち、金貨とか宝石とか持ってきて、別室で丁寧に案内されてるでしょう。こっちは円で普通に払ってるのに、なんか“異界の人だけ特別扱い”に見えるんですけど」
声は怒鳴っていない。だが、不満ははっきりしている。
こういう声を軽く流すと、あとでじわじわ効く。税の公平は、実際の金額だけではなく、扱われ方の公平感にも支えられているからだ。
勇輝はその場で立ち止まり、納付書を持つ男性と視線を合わせた。
「ご指摘はもっともです。なので先に申し上げますが、特別扱いはしていません。むしろ逆で、税務課は“円以外では受け取らない”という同じルールを全員に適用しています。異界の方は、その“円へたどり着く”手順が生活習慣の違いで分かりにくいので、別室で案内しているだけです」
男性はまだ少し硬い顔のままだった。
「でも、手間かけてるでしょう」
「手間はかけています。ただ、その手間で税額が変わるわけではありませんし、納期限も別扱いにはしていません。今日来庁した事実を記録しているのは、“払いたいのに払えない”誤解で滞納扱いにならないようにするためです。逆に言えば、それ以上の優遇はしていません」
加奈が、横から生活の言葉に直す。
「たとえば、初めて銀行振込する人に書き方を教えるのって、特別扱いじゃなくて“迷わないようにする”でしょ。今日のはそれに近いと思ってもらえると嬉しいかも」
男性はそこで、ようやく少しだけ表情をゆるめた。
「……なるほど。税金が安くなるわけじゃないなら、まあ」
「安くはなりません」
勇輝はきっぱり言った。
「そこは全員同じです。払う手段が違うだけで、税そのものは同じルールです」
男性は納得したように頷き、そのまま窓口で普通に納付を済ませていった。
去り際に「でも、金貨はちょっと見たかったな」と小さく言ったので、美月が吹き出しかけ、勇輝に睨まれて黙った。
税務課係長が、ほっとした顔で呟く。
「助かりました……。税って、金額だけじゃなくて、扱いの“見え方”でも揉めますから」
「ええ。今日はそこもちゃんと拾っていかないとまずいです」
そこで勇輝は、急ぎでもう一枚掲示を作らせた。
納税のルールは全ての方に共通です。
異界通貨等をお持ちの方には、円で納付するための手続き案内を行っています。
税額や納期限の扱いが変わるものではありません。
美月が掲示を持って走りながら言う。
「これ、結構大事ですね。説明しないと“手厚い=優遇”に見える」
「そう。税務は、その誤解が一番あとを引く」
市長も珍しくそこは真面目だった。
「公平とは、同じ物差しで測ることだ。だが、同じ扉から入れない者には、扉までの道だけは作らねばならん。そこを言葉にして見せる必要がある」
「今日はほんとに、まとめの精度だけが高いですね」
「だけ、を外せ」
◆午後・領収証の壁(納めた実感が紙にならないと、人は意外なほど不安になる)
もう一つ、現場で詰まりかけたのは領収証だった。
交換窓口を経て円で納付した異界住民の何人かが、納付後にそこで立ち止まり、「最初に持ってきた金貨や宝石の価値と、税として納めた円とがどう繋がっているのか」を紙で持ち帰りたいと言い始めたのである。
それはもっともだった。
税務課が出すのは、あくまで円納付の領収確認だ。だが本人たちからすれば、手持ちの異界通貨を手放して円へ換え、その円で納めた以上、「自分の持ってきた価値がどう税へ変わったか」の実感が一枚の紙にならないと不安が残る。
エルフ商人が、交換明細を片手に勇輝へ言った。
「私は仕組みを理解している。だが、故郷へ戻って帳簿をつける時、交換と納税の連続性が書面で示されていないと、部下が混乱します」
「なるほど……」
税務課係長が苦い顔になる。
「税務課としては、交換前の価値までは証明できません。そこまで領収欄へ書くと、査定に関与したことになります」
「ですよね。じゃあ、一枚で済ませるんじゃなくて、二枚を結ぶしかない」
勇輝はすぐに考えを切り替えた。
「交換窓口側で“交換受付票”を出してもらう。そこに受付番号と交換成立額、本人名。税務課の領収確認にはその受付番号を追記する。税務課は円しか証明しない。交換窓口は交換しか証明しない。でも二枚を並べれば本人の中で一本に読める」
会計担当が、そこでようやく大きく頷いた。
「それなら責任が混ざりません。税務課は税務、交換窓口は交換窓口。それでいて、本人の不安も減る」
加奈が言う。
「レシート二枚を一緒に持って帰る感じだね。お店とカード明細みたいな」
「生活の言葉にすると一気に分かりやすいな」
さっそく交換受付票の簡易様式が作られた。
手書きでも構わない。大事なのは、納税した人が“自分はちゃんと手順を踏んだ”と家へ帰ってから確かめられることだ。
ドラゴンの青年は、その二枚を両手で受け取り、しばらく見比べてから言った。
「よい。これなら、倉の会計役にも説明できる」
「説明しやすいですか」
「うむ。金貨が数字へなり、数字が税へなったと分かる」
その言い方に、勇輝は少しだけ救われた。
役所の仕組みは、とかく途中の変換を見えなくしがちだ。だが、今日はその変換を見せないと逆に信用を失う場面だったのだと思う。
◆午後・魔力結晶の地雷(価値があるものと、庁舎で扱ってよいものは、たいてい同じではない)
問題が一番ややこしかったのは、やはり魔力結晶だった。
安全管理担当のグルムが呼ばれてきた時には、税務課の職員たちはほぼ全員、彼の顔を見ただけで救われた顔になっていた。最近の庁舎ではそういう現象が起きがちで、少し悔しい。
「結晶、どれだ」
グルムが短く聞く。スライムが袋を持ち上げる。
「ぷる」
「……これは税務課へ持ち込むな」
第一声がそれだったので、勇輝は少しだけ安心した。判断が早い。
「やっぱり危険か」
「危険だ。危険というか、“静かな場所に置くと勝手に周囲の魔力を吸う”タイプだな。床の板や配線に寄る。役所の床で光らせるな」
「最悪すぎる」
市長が横から言う。
「これを収納箱に入れていたら、来月の税務課が少し成長していたかもしれん」
「面白く言うな」
グルムは袋の外から慎重に見たあと、交換窓口の担当へ向いた。
「買い取るにしても、普通の通貨扱いは無理だ。魔力の量を抜いてから素材価値で見る。今日は預かるな。見積もりだけ出して、後日対応にしろ」
スライムはそこで、目に見えてしょんぼりした。
加奈がまたすぐにしゃがみ込む。
「今日は納税したかったんだよね」
「ぷる……」
「でもね、これ、そのまま置くと税務課が育つらしいよ」
「ぷる!?」
スライムが袋を抱え直す。その反応が素直すぎて、窓口の何人かが笑いそうになったが、笑いが出るくらいには空気が持ち直してきたとも言えた。
勇輝はその場で、魔力結晶持参者向けの案内を追加させた。
魔力結晶等、安全確認を要するものは、当日交換不可の場合があります。
ただし、来庁記録により納税意思は確認します。
この一文があるだけで、今日全部終わらなくてもいい理由ができる。
役所の窓口では、全部をその場で終わらせることより、「今日はここまでで大丈夫です」と明示する方が、結果的に人を落ち着かせることが多い。
◆午後・税務課に静けさが戻る頃(税務課が税務課でいられることは、かなりありがたい)
昼を回る頃には、窓口の流れがようやく安定してきた。
税務課へ来る人はまず納付方法の説明を受け、円を持っている人はそのまま納付し、持っていない人は交換案内へ移る。案内票には「本日来庁済」が押される。税務課の机にはもう金貨袋が直に置かれない。宝石箱も別室で開けられ、結晶は窓口から距離を取った場所で安全確認される。
税務課係長が、心底疲れた顔のまま、それでも少しだけ笑った。
「主任……本当に、税務課が税務課の仕事だけしてます……」
「それが一番大事なんですよ」
「分かります。分かりますけど、今日ほど“それだけでありがたい”と思ったことないです……」
美月は案内係で声を出しすぎて、机に肘をついたまま喉を押さえている。
「炎上、ほぼ止まりました……。外の投稿も、『ちゃんと払える仕組み作ってて偉い』の方へ流れてます」
「たまには褒められるんだな」
「褒められるの、ちょっとむずがゆいです。だって、最初は税務課が鉱物展示会みたいだったし」
加奈が最後の紙コップを税務課職員へ配りながら言う。
「でも、“払いたい人が払えない”で終わらなかったのは大きいよね。制度守って、気持ちも折らなかった」
「そこが一番大きい」
勇輝は頷いた。
「税金って、結局“町に参加する”ことに近い部分もあるから。払いたい人へ“その方法は知りません”だけ返すと、制度だけじゃなくて所属感も切れる」
その言葉に、税務課の若手職員がぽつりと漏らした。
「ドラゴンの方、納付終わったあと、すごく嬉しそうでしたもんね。“これで胸を張れる”って」
「聞いてたのか」
「聞こえました。……ちょっと、こっちも嬉しかったです」
そういう小さな感情の回復が、窓口の疲れを少しだけ支える。
◆夕方・臨時のまとめ(今日を凌いだだけで終わらせると、また同じ列が来る)
庁舎の時計が夕方へ寄る頃、列はほぼ解消されていた。
交換窓口も本日の新規受付を締め、税務課は通常の納付相談へ戻りつつある。だが、今日を「なんとかなった」で終わらせるわけにはいかない。役所は、同じ地獄を二回目からは少し薄くしなければならない。
勇輝はホワイトボードの隅へ、次の課題を書き出した。
異界通貨の交換案内を正式な制度外支援としてどう位置づけるか。
税務課来庁記録と納税猶予誤解の防止。
安全確認が必要な物品の分類。
レート提示の公平性と関与範囲。
庁舎内持込ルール。
商工会・協定商会・安全管理との三者会議。
市長がそれを見て、木槌を机へ置いた。
「恒常化だな」
「はい。今日だけの奇跡みたいにすると、次回死にます」
「よし。“異界住民向け納税支援窓口”を作ろう」
「名前が重いんですよ」
「税の話は軽くしてはいかん」
「たしかにそうですけど」
加奈が、少しだけ笑いながら言う。
「でも、名前より大事なのは場所と順番だよね。最初から税務課へ金貨を持って行かなくていいって分かれば、今日みたいな慌て方は減る」
「その通りだ」
勇輝はすぐに書き足した。
「納税通知に、異界通貨をお持ちの方向けの案内文を追加する。最初の窓口を税務課の前に置かない。交換の相談は異世界経済部側の別枠へ誘導」
美月も端末で補足する。
「あと、“税は円だけど、払う意思は無駄にならない”って文言、絶対入れた方がいいです。今日はそこが刺さってた感じします」
「うん。そこだな」
制度の説明だけなら簡単だ。
税は円で、以上。
でも、それだけで人が納得するなら、窓口の仕事はもっと薄い。今日は、払う意思があるのに形式が違うだけで弾かれる怖さを、現場がちゃんと見た日だった。だから次は、その怖さごと減らす必要がある。
そこへ、午前に来ていたドラゴンの青年が、帰り際にわざわざもう一度税務課の前へ立ち寄った。納付は終わっている。手には領収印のある紙がある。
「礼を言う。最初、門前払いされるかと思った。だが違った」
勇輝は少しだけ肩の力を抜いた。
「こちらこそ、順番を守ってくれて助かりました。今日来てくれたこと自体が、町にとって大事でしたから」
「なら、また来年も来る」
「できれば、今度は先に案内文を読んでから来てください」
ドラゴン青年は、ほんの少しだけ笑った。鱗の光り方までやわらかく見えるのが不思議だった。
◆閉庁前・税務課前の廊下(制度は冷たいが、運び方まで冷たくする必要はない)
最後の片づけが終わり、税務課の前から臨時案内机が下げられる頃には、朝の金属臭さもだいぶ薄れていた。封筒の匂いと紙の匂いが戻り、電卓の音もやっと税務課らしい静けさの中へ収まっている。
美月は椅子へ座り込むみたいにして言った。
「今日、喉が本当に終わりました……」
「おつかれ。案内の声、ちゃんと届いてたぞ」
「届きましたけど、“金貨の価値は否定してません!”って何回言ったか分からないです」
「いい言い回しだったよ」
加奈は空になった紙袋をたたみながら、しみじみ言う。
「税務課って、もっと“払ってください”って顔の窓口だと思ってたけど、今日は“払いたいです”って列だったね。変だけど、ちょっとよかった」
「うん。異界の人たち、真面目だったな」
勇輝はそう答えた。
もちろん、善意だけで制度は回らない。けれど、善意がある相手へ制度の冷たさだけを見せる必要もない。今日の役所がやったのは、たぶんそこを少しだけやわらかく運ぶことだった。
市長は、最後に木槌を持ち直し、妙に満足そうな顔で言った。
「今日の教訓は二つだ。税は円。だが、納税の意思は通貨より重い」
「まとめ方だけは本当にうまいですね」
「だけは、をやめろ」
そのやりとりに、税務課の職員たちがようやく小さく笑った。
朝からずっと張っていた空気が、そこでようやく人間の疲れに戻る。
ひまわり市役所。
今日も通常運転と言うには、税務課の机の上が少しきらきらしすぎた一日だった。
けれど最後には、税務課は税務課の仕事へ戻り、払いたい人は払える道筋を得て、制度も善意もどちらも丸ごと折らずに済んだ。
そうしてこの町はまた一つ、異界の重さを、地上の会計へ落とし込むための手順を増やしていくのだった。




