第52話「広報ギルド暴走:市の公式アカウントが“詠唱”し始めた」
ひまわり市役所の広報という仕事は、地味に命がけだ。
なにせ一文の言い回しひとつで、住民の安心も不安も、わりと簡単に揺れる。
そして異界転移してからは、さらに命がけになった。
情報発信の相手が「住民」だけじゃなく、「異界の住民」も「異界の観光客」も「異界の行政組織」も含むようになったからだ。
だから美月は今日も、いつものように市の公式アカウントを開き、落ち着いて投稿するはずだった。
……はずだった。
「主任! 公式アカが、詠唱してます!」
広報コーナーから飛んできた美月の叫びは、朝の庁舎を切り裂いた。
勇輝は書類から目を上げ、嫌な予感のスイッチを迷いなく入れる。
「落ち着け。詠唱って何だ。投稿文が長くなったとか?」
「違います! 語尾が“汝”とか“然れど”とかじゃないです! 完全に、呪文です!」
「呪文……?」
隣で加奈が紙袋を抱えたまま首をかしげる。
「広報で呪文って、どういう用途?」
「用途があったら怖いだろ」
そこへ、のっそりと市長が現れた。不敵な笑み。今日の笑みは、嫌な予感に油を注ぐタイプだ。
「ふむ。広報が詠唱か。言葉は力だ。良い兆候だな」
「市長、良い方向に使える保証がないんです!」
美月がスマホを突き出した。
画面には、確かに市の公式アカウントの最新投稿が表示されている。
『汝ら、湯けむりの街へ集え。
本日、温泉通りは清き風に満ち、商いは賑わい、歩みは滑らかならん——』
「観光案内が盛られすぎてる!」
勇輝がツッコんだ瞬間、窓の外がふわっと明るくなった。
さっきまで薄曇りだった空に、陽が差している。雲がほどけるように流れていく。
「……晴れた?」
加奈が窓の外を見て言った。
美月が青い顔で頷く。
「主任……これ、投稿した瞬間に晴れました」
「偶然だろ」
「じゃあ次の投稿も見てください!」
美月がスクロールする。さらにその前の投稿が出る。
『雨よ降れ。道路の塵を洗い、葉を潤し、我らの肌を冷ますがよい——』
そしてタイムラインの横には、住民からの返信がずらりと並んでいた。
「え、投稿と同時に雨降ってきたんだが」
「公式アカが天気操作してるってマジ?」
「雨乞いアカウント爆誕」
「やめて、洗濯物が」
勇輝は、静かに胃を押さえた。
「……美月。これ、誰が投稿した?」
「私じゃないです! 勝手に投稿されてます!」
「ログは?」
「見たら“広報ギルド”って表示が……!」
「広報ギルド……?」
その単語に、加奈が小さく「あっ」と声を漏らした。
「この前、異界新聞の人が言ってた。『人間のSNSは便利だが、文章に魂がない。広報ギルドが魂を入れてやる』って」
「余計な親切!」
市長が腕を組む。
「魂の入った広報。素晴らしいではないか」
「魂が入ると天気が変わるのが問題なんです!」
詠唱アカウントの被害:一番困るのは“正しい情報”が届かないこと
勇輝がまずやったのは、被害の整理だ。
広報は「面白い」では済まない。特に緊急時は、一文の遅れが命取りになる。
「美月、今朝の予定投稿は?」
「道路工事のお知らせと、図書館の点検中の案内と、あと……防災訓練の告知です」
「それが詠唱に変換されると?」
美月が震える声で答える。
「『汝ら、掘削の轟きに耳を澄ませ。道は一時閉ざされるも、未来の滑らかさのため——』みたいになります!」
「道路工事が神託になってる!」
加奈が真顔で言う。
「それ、読まない人いるよね。というか、読めない人もいるよね」
「そう。だから止める」
市長が、妙に楽しそうに言った。
「しかし天気が良くなるなら——」
「市長、洗濯物の恨みを甘く見ないでください」
加奈の現場感が強すぎて、市長が一瞬だけ黙った。
勇輝は広報コーナーへ移動し、パソコンの前に座る美月の背後に立った。
「ログインできる?」
「できます。……できるんですけど」
「けど?」
「二段階認証が……“魔法鍵”になってます」
「は?」
美月がスマホを見せる。
画面には、見たこともない表示が出ていた。
『認証のため、真名を囁け』
「真名……?」
勇輝が固まっている間に、市長が鼻で笑った。
「魔法系のセキュリティだな。簡単だ。真名を言えばよい」
「市長、我々の真名って何ですか」
「……戸籍名だろう」
「雑!」
美月が泣きそうに言う。
「戸籍名を入力しても弾かれます! しかも“魂の震えが足りぬ”って!」
「評価が詩的すぎる!」
加奈が横から覗き込む。
「要するに、広報ギルドがアカウントの管理権限を握ったってこと?」
「そういうことになる」
勇輝は一度、深呼吸した。
行政はこういうとき、感情で殴らない。手順で殴る。
「よし。まず、投稿を止める。次に、権限を取り戻す。最後に、再発防止」
「どうやって止めます?」
「ネットワーク遮断……は最後の手段だ。まずは“連携アプリ”を切る」
「連携アプリ……!」
美月が管理画面を探すが、そこにあるはずの設定が――ない。
「主任、設定項目が……“詠唱”に置き換わってます……」
「UIまで呪われたのかよ!」
参戦:広報ギルド(本体)
そのとき、庁舎のロビーがざわついた。
受付の方から、やたらと整った衣装の一団が入ってくる。羽ペン、巻物、胸に徽章。表情は誇らしげ。
先頭に立つのは、エルフの女性だった。髪は銀色、眼差しは鋭い。まさに「文章で戦う人」だ。
「ひまわり市役所の皆さま。広報ギルド代表、リュシアと申します」
美月が小声で言う。
「来た、本体……」
リュシアは優雅に微笑んだ。
「貴殿らの発信は有益。されど、味気ない。ゆえに我らが“語り”を与え、民の心を動かした」
「心は動いた。天気も動いた」
勇輝が淡々と言うと、リュシアは少しだけ眉を上げた。
「天気? ……ああ。言葉に力が宿れば、世界が応える。自然なこと」
「自然じゃないです!」
美月が耐えきれず言いかけ、勇輝が肩を軽く押さえて止める。
加奈が一歩前へ出て、丁寧に言った。
「気持ちは分かるの。良くしたいんだよね。でも、役所の広報は“分かりやすさ”が最優先。緊急のとき、詩みたいだと困る」
リュシアは、少しだけ表情を緩めた。
話が通じるタイプかもしれない。希望が見えた。
「理解する。だが、貴殿らは“見られない”」
「……見られない?」
「情報が埋もれている。人は心が動かねば読まぬ。だから我らが“届く文章”にした」
理屈は分かる。理屈は。
だが行政には、理屈より優先されるものがある。
「届いても、誤解されたら終わりです。天気が変わるなら、なおさら」
勇輝が言うと、リュシアは静かに頷いた。
「では、問う。貴殿らは“力のない文章”で、町を守れるのか」
その瞬間、市長が前に出た。独特の笑みが、いつになく真っ直ぐだ。
「守れる。行政の言葉は、剣ではない。だが盾だ」
美月が小声で囁く。
「市長、たまに急にかっこいい……」
「今は感想戦するな」
勇輝は、ここで交渉の形を作った。
「広報ギルドの協力は歓迎します。だが、アカウントの主導権は市が持つ。
ギルドは“文章案”を作る。市は“承認して投稿する”。勝手に投稿はしない。天気を動かす文は使わない」
リュシアが言い返す。
「承認が遅ければ、熱は死ぬ」
「熱より正確さです。緊急時は特に」
加奈が柔らかく足す。
「通常の観光PRなら、ちょっと盛ってもいいよ。でも“道路工事”は盛らない。洗濯物が死ぬ」
「洗濯物が……?」
リュシアが初めて、明確に困惑した。
生活が異界人に伝わる瞬間は、だいたいこういうところだ。
美月が畳み掛けるように言う。
「あとログイン返してください! 真名とか魂の震えとか、広報担当が死にます!」
リュシアは少しだけ目を細め、それからあっさり言った。
「良い。返そう。だが条件がある」
「条件?」
「我らを“広報協力員”として正式に位置づけよ。勝手に触るなと言うなら、勝手に動く理由もなくなる」
勇輝は即答した。
「分かった。協力員として枠組みを作る。範囲は明確に。アクセス権は限定。監査ログも残す」
「監査……?」
「市役所の“魂の震え”みたいなものです」
美月がすかさず言うと、リュシアが小さく笑った。
通じた。今のは通じた。
ログイン戦争:最後に勝つのは、だいたい“地味な手順”
リュシアが指を鳴らすと、広報アカウントの認証画面が変わった。
真名の要求が消え、普通の二段階認証に戻る。たったそれだけで、美月の顔が泣きそうにゆるむ。
「戻った……! 文明が戻った……!」
「文明って言うな」
勇輝はすぐに設定を開き、連携を確認する。
そこに、見たことのない連携が増えていた。
『広報ギルド:自動修辞付与』
『天候共鳴:ON』
「……天候共鳴、OFF」
カチッ。
窓の外で、風がふっと弱まった気がした。
偶然かもしれない。だが偶然でも、OFFにできるならOFFにする。
美月が震える指で新規投稿画面を開き、試しに短く打つ。
「【お知らせ】本日、図書館は資料点検のため一部閲覧停止です。ご協力ください」
投稿ボタンにカーソルが乗る。
広報担当として、ここが一番怖い瞬間だ。
「……主任、押します」
「押せ」
ぽち。
投稿は、普通に出た。
詠唱ではない。
天気も変わらない。
美月が崩れ落ちた。
「勝った……! 私、ログインに勝った……!」
「勝ったのは手順だ」
加奈が笑って紙袋を差し出す。
「お疲れ。甘いの食べな。広報は糖分で回る」
「回らないときは胃が回ります……!」
市長が独特の笑みを戻す。
「よし。広報は守られた。だが、ギルドの文章力は捨てがたい」
勇輝は頷いた。
「捨てません。使います。ルールの中で」
リュシアが静かに頭を下げた。
「了解した。貴殿らの盾の上に、我らの装飾を添えよう」
「装飾は天気を動かさない範囲でお願いします」
「努力する」
「努力で済ませるな!」
ツッコミが庁舎に響き、なぜかその瞬間だけ、ロビーの空気が少し明るくなった。
……今度のは、天気じゃなくて、たぶん人の気分だ。
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、公式アカウントの投稿ボタンが、世界のスイッチになることがある。
次回予告(第53話)
「防災無線が異界語で放送される:日本語のはずが詠唱」
夕方の定時放送が、なぜか異界語に。
住民「何言ってるか分からん」、異界住民「今の、宣戦布告?」
勇輝、誤解が戦争になる前に“翻訳”と“運用ルール”を整えろ!




