第50話「市民相談窓口、相談内容が異世界すぎる」
市民相談窓口というのは、基本的に“暮らしの困りごと”が集まる場所だ。
ご近所トラブル。相続。騒音。ゴミ出し。子育て。ペット。——どれも切実で、正解がひとつじゃない。だからこそ、役所は「話を聞く順番」と「つなぐ順番」で力が試される。
ただし。
ひまわり市が異界に転移して以来、その“困りごと”の種類が、きれいに増えた。増え方が、きれいすぎて困る。
暮らしの悩みはだいたい増えるものだが、増える方向が想像の外へ行くと、人は相談票の書き方から迷い始める。結果、窓口に来る前に、頭の中がいっぱいいっぱいになってしまう。
朝。開庁前の市民相談ブース。
担当職員が、カウンター脇で勇輝に小声で言った。
「主任……今日は……いつもより、少し濃いです」
少し、という言い方に優しさがにじんでいる。だいたい、優しい言い方ほど本題が重い。
「濃い?」
「はい。相談票の束が、こう……見た目からして……」
机の上に置かれた相談票の束は、確かに厚かった。紙の角が、そろっていない。急いで書いて、急いで持ってきた跡がある。
しかも、表紙のタイトルが、目に入った瞬間から“普通の相談”の気配が薄い。
横から、美月が首を伸ばして覗き込み、目を丸くした。スマホのカメラを起動しそうな勢いで、手がもぞもぞしている。
「主任、これ、タイトルだけで……すごいです! 見ていいですか、番号だけでも!」
「番号だけで落ち着くタイプの案件なら、うちの窓口は苦労してない」
「『影が増える』『郵便受けが夜だけ遠くなる』『庭の石が毎朝ひとつ増える』……何ですかこのラインナップ!」
「落ち着いて。声が大きい。相談者の耳に入る」
「すみません! でも、相談票のテンプレ、完全に追いついてないです!」
美月が真面目な顔になった。こういう切り替えが速い。
勇輝は頷いて、相談窓口の椅子に腰を下ろした。カウンター越しに見える待合のベンチには、すでに何人か座っている。
顔つきが硬い人。スマホを握りしめている人。紙袋を抱えている人。落ち着かなさを隠そうとして、余計に肩が上がっている人。
そこへ加奈が、いつもの紙袋を抱えて入ってきた。今日は妙に重そうだ。
「相談窓口? 朝から人が多いね」
「ちょっとね。今日の相談票が、少し元気だ」
「元気って言い方にしてる時点で、だいぶ大変そう」
加奈は紙袋をそっと開けて、クッキーと小さな個包装の飴を並べ始めた。窓口の隅に“置き菓子”が増えていく光景は、たまに市役所の現実味を薄める。
ただ、相談に来た人の指先が震えている時に、温かいお茶や甘いものがひとつあるだけで、呼吸が少し戻ることがある。役所の技術の外側にある、でも確かに効く道具だ。
「今日は、待ってる間の気持ちが落ち着くもの、多めにした。食べられる人だけでいいから」
「助かる。ありがとう」
「うん。相談って、話すだけでも疲れるから」
そのタイミングで、背後の廊下から、のっそりと市長が現れた。
相変わらず、音のない登場のしかたをする。今日はさらに、ネクタイが妙にきっちりしている。現場を見る気のときの市長だ。
「ふむ。市民相談か」
「市長、おはようございます。今日は、席に座る前に一つだけお願いがあります」
「何だ」
「驚いても、顔に出しすぎないでください」
市長は一瞬だけ目を細め、それから、わざとらしくない程度に口角を上げた。
「承知した。市民の不安を増やさない。それも行政だ」
「はい。助かります」
勇輝がそう返すと、市長は“楽しみにしている”ではなく“見届ける”という姿勢で、ブースの端の椅子に腰を下ろした。
珍しく、ちゃんと空気を合わせている。今日は本気で“市民の声”を聞くつもりらしい。
勇輝は深呼吸し、相談票の一枚目を手に取った。
今日の目標はひとつ。
異世界すぎる相談を、できるだけ暮らしの言葉に戻す。
それができれば、あとはルールと部署につなげる。
「それじゃ、受付番号一番の方。どうぞ」
相談1:「家の影が勝手に増える」
最初の相談者は、温泉通りの民宿のおかみさんだった。
足取りが速い。表情が真剣。スマホを握っている。証拠を持ってきた人は、だいたい本気だ。
「主任さん! ねえ、これ! 見て!」
「はい。まず、座ってください。お茶、飲めますか」
「飲む飲む。でも、これ、ほんとに……」
おかみさんが画面を見せる。
玄関の写真。日当たりのいい玄関先。普通なら影はひとつか、せいぜい建物の柱の影がもう一つ。
なのに、影が三つある。三つ目が、微妙に“人の形の真似”をしている。肩のあたりが丸く、首が短い。
「……撮影したのは、いつですか」
「今朝! 掃き掃除しようと玄関出たら、影が増えてて。夕方になると、減るの。朝が一番はっきり出る」
「増えた影は、動きます?」
「動かないの。動かないんだけど……玄関の中をずっと見てる感じがして」
加奈が隣で、おかみさんの声の震えに合わせて、少しだけ姿勢を低くした。
“怖い”と“迷惑”が混ざる時は、どちらか一方に決めつけると、話が進まなくなる。
「家の中で変わったことはありました? 物がなくなるとか、戸が勝手に開くとか」
「それはない。けど、夜に“カリカリ”って音がする。壁の向こうというか、玄関のあたり」
「分かりました。音の時間帯は、だいたい決まってますか」
「寝ようとした頃。子どもが静かになって、やっと……って時に」
生活の時間に入り込んでくるタイプだ。
勇輝は相談票の余白に、できるだけ短い言葉で整理した。
影の増加/朝に顕著/玄関/夜にカリカリ音/視線の気配。
市長が、横から落ち着いた声で言った。
「影が増えるなら、まず光を増やすのが基本だろう」
勇輝は頷きつつ、言い方を整えた。
「その方向で、まず“安全側”に寄せましょう。玄関灯を明るいものにして、影ができにくい状態にします。あと、夜の音の原因確認。戸締まりと、玄関周りの隙間もチェックしたい」
おかみさんが前のめりになる。
「じゃあ、うちが何か悪いことしたわけじゃないの?」
「“悪い”というより、何かが居つきやすい環境になってる可能性です。怖がらせたいわけじゃなくて、対策がある話として整理します」
勇輝は、もう一つだけ聞いた。
「最近、民宿に異界のお客さんが泊まりました? いつもと違う雰囲気の方とか」
「泊まった! 黒いフードの人! 静かで、礼儀正しくて、いい人だったけど……」
「分かりました。今日のうちに、生活安全の見回りに入ります。夜の時間帯に職員が外から確認します。必要なら、異界側の治安担当にも協力を頼む」
「ほんとに来てくれる?」
「はい。暮らしの邪魔になるものは、理由が何であれ放置しません」
おかみさんの肩が、ほんの少し落ちた。
帰り際、加奈がそっと飴を渡す。
「今夜、怖かったら無理に一人で確認しないでね。明るくして、鍵をかけて、できることだけでいいから」
「……うん。ありがとう」
おかみさんが去ると、美月が相談票の端に小さくメモを足した。
「主任、分類どうします? 住環境……いや、“住環境(影現象)”って枠、作ります?」
「作る。今朝の写真見たら、作らざるを得ない」
「了解です。分類表、今日の午後に更新します!」
「嬉しそうなのは、せめて心の中にしまって」
相談2:「隣の住人が“契約”を求めてくる」
次の相談者は、ニュータウンの若い男性だった。
目の下が少し暗い。眠れていない顔をしている。継続的に来ている。つまり、こちらの“生活を削るタイプ”。
「隣の部屋の人が……夜になると来るんです」
「夜、何時頃ですか」
「だいたい、十時過ぎ。ピンポンして、“失礼します”って言って、紙を差し出してきます」
「紙は、これですか」
男性が取り出したのは、羊皮紙のような紙だった。インクが赤い。署名欄がやたら広い。
読み上げる前に、勇輝は一度、男性の顔を見た。怖かっただろう、と言う代わりに、事実を丁寧に拾う。
『隣人としての相互不可侵に関する契約』
『違反した場合、影を一つ差し出すこと』
美月が目を見開いたまま固まっている。声が出そうになったので、加奈が肘で合図する。美月は口を両手で塞いだ。偉い。
「サインはしていません。内容が分からないし……でも、毎晩来るんです。丁寧なんですよ。丁寧だから、余計に断りづらいというか」
「分かります。丁寧なお願いほど、断る側に負担がかかります」
市長が、少しだけ眉を寄せた。
「契約文化だな。魔族や幽界系の者は、合意を形にするのを好む。だが、条件が過剰だ」
「影を“差し出す”のは、暮らしのルールとしては成立しません」
勇輝は、きっぱり言い切らずに、説明に置き換えた。
「ここで大事なのは二つです。ひとつは、理解できない契約には署名しないこと。もうひとつは、相手が“契約の形”で安心するなら、こちらも“生活のルール”を契約として提示できることです」
男性が、少しだけ顔を上げた。
「こっちから出せるんですか?」
「出せます。むしろ、出した方がいい。夜間訪問をしない、訪問は昼間に、連絡は管理会社経由、困った時は市役所を介す。これを“生活協定”として文書化します」
「管理会社って……異界の契約にも通るんですか」
「通るように整えます。生活の枠は、人間側の土台です。土台を崩さない形で、相手の形式にも合わせる」
加奈が、男性の手元の紙をちらりと見て、静かに言った。
「夜に来るのが続いてるなら、あなたの心も休めなくなる。協定を作るの、早めにやろう」
「……お願いします」
男性の声が、やっと少しだけ柔らかくなった。
勇輝は、その場で手順を決めた。
「今日、こちらで協定の文案を作成します。明日、管理会社と連携して、相手に“正式な説明の場”を提案します。廊下での手渡しはやめる。場所は集会室。時間は昼間。こちら側は通訳と立会いを付けます」
「立会い、つけてくれるんですか」
「もちろんです。あなたが一人で抱える形にはしません」
男性が深く頭を下げて帰ったあと、美月が小声で囁いた。
「主任、分類は“住宅トラブル(契約)”ですね……増えますね、カテゴリ……」
「増えるのは仕方ない。増えた分だけ、整理して減らすのが仕事だ」
「かっこいい!」
「褒め方が軽い」
相談3:「スライムが家族に馴染みすぎた」
次に来たのは、年配の女性だった。
顔はにこやかで、声も柔らかい。こういう相談は、実は油断しない方がいい。にこやかな人ほど、悩みを小さく見せようとする。
「うちの孫がね、スライムを拾ってきちゃったの」
「拾ってきた場所は、どこですか」
「公園の近く。最初はコップに入ってたのよ。透明で、ぷるんとしててね」
「今は、どこにいます?」
「ソファ」
勇輝は、即答しそうになった言葉を飲み込んだ。ソファ、と言われた瞬間に想像が広がる。
加奈が先に、穏やかに聞いた。
「困ってるのは、どんなところ?」
女性は、ちょっとだけ困った顔で笑った。
「分裂するの。朝起きたら二匹になってて、夜になるとまた一匹になるのよ。孫は喜ぶけど、私は数えるのが癖になっちゃって」
「危ないことはありませんか? 噛むとか、物が溶けるとか」
「それがね、ないの。むしろ床がきれいになるのよ。台所の隅がいつもピカピカ」
美月が目を輝かせたが、加奈が目線だけで止めた。美月は頬を膨らませて我慢した。
勇輝は“共生可能”の方向で整理しつつ、行政としての線を引く。
「無害なタイプの可能性が高いですね。ただし、管理のルールは必要です。
①家の外に出さない(迷子と増殖防止)
②分裂した回数を記録する(増え方が変わったら相談)
③水回りに流さない(下水設備が困ります)
④来客時は一言伝える(驚いて踏む人が出ます)」
女性が笑った。
「踏む人、出るのね」
「出ます。驚いた時、人は足元を見ません」
「じゃあ、孫に言い聞かせる。『お客さんが来る時は、お布団に移動』って」
「それが一番安全です」
加奈が、女性の笑顔に合わせて頷く。
「家族に馴染んでるなら、無理に取り上げるのは大変だよね。ルールで守ろう」
「そうそう。叱って泣かせる方が、家が荒れるのよ」
生活者の会話が、窓口を少し温めた。
相談窓口、午前の時点で「濃い」が確定する
午前だけで、相談票はまだ半分残っていた。
束の厚みは減っていない。減ったのに、減っていないように見える。相談票とはそういうものだ。
担当職員が、勇輝の横で小さく息を吐いた。
「主任……このペースだと、午後も……」
「大丈夫。午後は“仕分けの時間”を作る。全部を同じ重さで扱わない」
勇輝は相談票をぱらりとめくり、タイトルだけを追った。
さらに濃い。
『庭の石が毎朝ひとつ増える』
『夜になると郵便受けが別の場所につながる』
『ペットが勝手にレベルアップした』
『温泉がしゃべる(苦情がある)』
『玄関がたまに“別の玄関”になる』
美月が、目を輝かせるのを必死で抑えながら言う。
「主任、相談票が、RPGのクエスト掲示板みたいです」
「掲示板なら、達成報酬が欲しい」
「報酬、たぶん“平穏”です!」
「それが一番高い」
市長が、静かに頷いた。
「よい。行政とは、抱えない技術だ。仕分けて、つないで、戻す」
「今日は、それを徹底します」
加奈が紙袋を開け、待合の人にも声をかける。
「よかったら飴どうぞ。順番まで長くなるかもしれないけど、ちゃんと聞くからね」
それだけで、肩の力が少し抜ける人がいる。市役所の“仕事”は、書類だけじゃない。
相談4:「庭の石が毎朝ひとつ増える」
午後の最初。
来たのは、工業団地寄りの住宅地に住む男性だった。泥のついた軍手をポケットに突っ込んだまま、椅子に座る。畑仕事の途中で来たのかもしれない。
「庭に石が増えるんです」
「石、というのは、どんな石ですか。大きさや色は?」
「拳くらい。灰色。角が丸い。最初は気のせいかと思って、片付けたんですけど……翌日、また増えてる」
「増える場所は決まってますか」
「物置の横。だいたいいつも同じところ」
勇輝は“危険度”を確認する。
「触って、熱いとか、臭いとかはないですか」
「ない。普通の石にしか見えない。ただ、数が増えると、こっちが気持ち悪い」
「分かります。気持ち悪さは、生活の大事なサインです」
美月が小声でメモする。
「生活環境、廃棄物、不法投棄……でも“毎朝増える”は……」
勇輝は、現実の手順に落とした。
「まず、写真で記録。次に、石をひとつ袋に入れて保管。残りは動かさず、増える瞬間を確認できるようにする。役所側で現場確認に入ります。防犯カメラが設置できる場所なら、短期間だけ協力をお願いする」
「カメラ、ですか」
「“誰かが置いてる”のか、“勝手に増えてる”のか、切り分けないと対策が変わります」
市長が補足する。
「石は、異界側で“置き印”として使われることがある。だが、それなら意図がある。意図があるなら、話せる」
「話せる相手に届くように、こちらも掲示を出します。『石を置く場合は役所へ相談』って」
「石を置く人が読むかは分からないけど……」
「読ませる努力はします」
男性は、ほっとした顔で頷いた。
「相談してよかった。自分が変なのかと思った」
「変じゃないです。変なことが起きた時に、変じゃない手順で対処するのが窓口です」
相談5:「夜になると郵便受けが別の場所につながる」
次は、商店街の若い店主だった。
相談票の添付として、写真が何枚も付いている。郵便受けの中から、見慣れない石畳が見えている写真。湯気みたいなものが立っている写真。見た瞬間に“まずいタイプの便利”だと分かる。
「夜だけなんです。昼は普通の郵便受け。夜、ふと覗いたら……向こうが見える」
「向こう、というのは」
「知らない路地。灯りが青い。で、たまに向こうから手紙が落ちてくる。読めない文字」
勇輝は、即時対応のラインに入れた。
「それは、まず“封鎖”します。郵便は個人情報のかたまりです。覗ける状態にしておくのは危険です」
「封鎖って、ガムテープでもいい?」
「いいです。いまは応急でいい。夜だけでも、郵便受けを塞いでください。あと、落ちてきた手紙は触らず、袋に入れて保管。こちらで回収します」
美月が顔を上げる。
「主任、これ、異界郵便の管轄とも絡みますよね」
「絡む。郵便の導線は、町の信頼の導線だ。ここが勝手に繋がると、いろんなものが混ざる」
加奈が店主に穏やかに言った。
「怖かったよね。誰にも言いづらいし」
「言いづらかったです。笑われるかと思って。でも、実際に手紙が落ちてくると……」
「笑わないよ。笑っていいのは、無事に片付いてから」
加奈の言い方がちょうどいい。店主の肩が少し下がった。
勇輝は担当部署を決める。
「生活環境と、異界郵便の連絡会、両方に回します。現場確認は今夜。こちらで立会いをつけます。危険がある場合は、郵便受けの交換も含めて対策します」
相談6:「ペットが勝手にレベルアップした」
そして来たのが、最後にして一番説明が難しい相談だった。
犬を連れてきた若い夫婦。犬は大人しく座っている……が、座り方が妙に“誇らしげ”だ。首輪に、いつの間にか小さな金属プレートが増えている。
「すみません、うちの犬が……強くなりました」
「強く、というのは」
「散歩で引っ張らなくなったのはいいんです。でも、昨日、吠えたら……風が止みました」
「風が止んだ?」
「ほんとに。吠えた瞬間だけ、ふわっと。あと、ジャンプ力が……」
美月が声を出しそうになったが、今日は我慢が鍛えられている。手のひらで自分の口を押さえ、目だけで“すごい”を言ってくる。
勇輝は犬の様子を見る。
犬はきょとんとしている。悪気はなさそうだ。むしろ褒められ待ちの顔をしている。
だからこそ、暮らしの中の安全が必要になる。
「まず、犬が悪いわけではないです。環境の影響の可能性が高い。次に、外で発動すると事故につながります。今のうちはドッグランに行かない、人が多い場所で離さない。散歩は短めで」
「……はい」
「それと、動物担当と獣医さんにつなぎます。魔力反応を測れる協力先もあります。原因を調べて、落ち着かせる方法を探しましょう」
加奈が犬の目線に合わせて、そっと手を出した。
「いい子だね。びっくりすることが起きても、ちゃんと座ってる。偉い」
犬が尻尾をぱたぱた振る。夫婦が少し笑って、ようやく呼吸が戻った。
仕分けの技術と、窓口の結論
夕方。相談票の束は、ようやく薄くなった。
解決した相談もあれば、現場確認が必要で“次につないだ”相談もある。大事なのは、どれも放置せず、手順の上に乗せたことだ。
勇輝は、最後に担当職員へ共有した。
「今日出た相談は、三段階で整理します。
緊急(安全・侵入・個人情報)、早期対応(生活が削れる・継続する)、経過観察(記録して様子を見る)。
分類表は更新。新しい言葉は作るけど、作ったままにしない。来週、同じ相談が来た時に“迷わない”ようにする」
市長が静かに頷く。
「よい。市民相談は、町の温度計だ。数字では測れぬ温度がここに集まる」
「温度計が壊れないように、窓口の人員も調整が必要ですね」
「そこも手を打とう。窓口が回らねば、町が回らぬ」
加奈が、残ったクッキーを片付けながら言った。
「今日来た人たち、みんな“変なことが起きた”より先に、“どう暮らせばいいか”を聞きたかったんだね」
「うん。異界の現象でも、生活の形に落とすと、少し見通しが立つ」
美月が、机に突っ伏す寸前の顔で笑った。
「主任、今日、窓口の分類表が二回更新されました。もう“異界対応版”として正式に作り直した方がいいです」
「それ、明日の午前にやろう。今日のうちにやると、言葉が雑になる」
「分かりました。雑になると、また相談者が迷いますもんね」
その瞬間、相談票の束の一番上が、ふわりとめくれた。
最後に残っていた、次のタイトルが目に入る。
『相談:家の玄関がたまに“別の玄関”になる』
勇輝は一度だけ天井を見上げ、深く息を吐いた。
そして、いつもの調子に戻す。淡々と、でも投げない。
「……明日、続き。現場確認の段取りも組みます」
美月が小さく頷き、加奈が紙袋を抱え直し、市長が椅子から立った。
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、市民相談窓口は——ときどき、本当に“入口”になる。




