第50話「市民相談窓口、相談内容が異世界すぎる」
市民相談窓口というのは、基本的に“人生の困りごと”が集まる場所だ。
ご近所トラブル。相続。騒音。ゴミ出し。子育て。——どれも切実で、正解が一つじゃなくて、だからこそ役所の腕が試される。
ただし。
ひまわり市が異界に転移して以来、その“困りごと”のカテゴリが、妙に増えた。
そして今日、その増え方が、限界を超えた。
「主任……今日は……覚悟してください……」
相談担当の職員が、朝イチで勇輝に言った。
顔が白い。机に置かれた相談票の束が、厚い。しかも、紙の上からでも分かる。字面がすでに変だ。
美月が横から覗き込んで、目を輝かせた。
「うわ、相談票のタイトルだけで面白い! 見ていいですか!?」
「見て笑ったら死ぬぞ」
「死にません! でも“影が増える”って何ですか!?」
「知らん! これから知る!」
加奈が紙袋を抱えて入ってきた。今日の差し入れは多めだ。嫌な予感がする。
「相談窓口? 今日やばいの?」
「やばい。たぶん、胃が死ぬ」
「じゃあ甘いの多めにした。胃は糖分でごまかせる」
「ごまかすな。解決しろ」
背後から、のっそりと市長が現れる。
「ふむ。市民相談か。行政の真骨頂だな」
「市長、真骨頂を誇る前に現場を見てください」
「見る。むしろ楽しみだ」
「楽しむな!」
勇輝は深呼吸して、相談窓口の席に座った。
今日の目標は一つ。
“異世界すぎる相談を、できるだけ現実に着地させる”。
相談1:「家の影が勝手に増える」
最初の相談者は、温泉通りの民宿のおかみさんだった。
顔は真剣。手にはスマホ。証拠があるタイプは厄介だ。だいたい事実だから。
「主任さん! これ見て!」
おかみさんが見せてきた写真には、玄関が写っている。
日当たりのいい玄関。普通なら影は一つ、せいぜい二つ。
なのに、写真には影が三つあった。
しかも、三つ目の影が——微妙に人型じゃない。
「……これ、どこから?」
「うちの玄関! 朝になると増えるの! 夕方になると減る!」
「影が出勤退勤してる……」
美月が小声で呟いて、勇輝に睨まれた。
「増えた影、何かしてる?」
「……見てるのよ。ずっと、玄関の中を」
「怖い!」
加奈が身を寄せて、優しく聞く。
「家の中で何か変なことは? 物がなくなるとか、音がするとか」
「音はする。……“カリカリ”って」
勇輝は即座にメモした。
影の増殖+夜にカリカリ音。
これは――異界の“影生物”の可能性が高い。
市長が腕を組む。
「影が増えるなら、まず光を増やせばいい」
「市長、物理で解決しようとするのやめてください。……でも一理ある」
勇輝はおかみさんに言った。
「まず安全確保。玄関に照明を追加して、影ができにくい環境にする。次に、戸締まり確認。カリカリの原因も確認したい。
それと、影が“何かを見ている”なら、対象がある。……最近、民宿に異界のお客さん泊まりました?」
おかみさんが頷く。
「泊まった! 真っ黒いフードの人! 静かでいい人だったけど……」
「真っ黒いフード」
勇輝は胃を押さえた。
魔界系か、幽界系か。どっちにせよ、影と相性が良すぎる。
「分かりました。今日は“生活安全”として動きます。夜に職員が見回り、必要なら異界の安全管理担当にも協力を頼む。
影そのものは、刺激しないでください。話しかけない。写真は撮ってもいいけど近づかない」
「分かった……お願いね!」
おかみさんが帰ると、美月が即座にメモを見せてきた。
「主任、相談票の分類、どうします? “住環境(影)”?」
「“住環境(異界影現象)”って新カテゴリ作れ」
「カテゴリ増やすの!? やった!」
「やったじゃない!」
相談2:「隣の住人が“契約”を求めてくる」
次の相談者は、ニュータウンの若い男性だった。
顔が疲れている。睡眠不足。つまり継続案件。
「隣の部屋の人が……夜になると来るんです」
「夜に?」
「はい。で、紙を差し出してきて、“契約を”って」
「契約内容は?」
男性は紙を取り出した。
羊皮紙。インクが赤い。署名欄がやたら広い。
「これ……」
勇輝は紙を見た瞬間、背筋が冷えた。
『隣人としての相互不可侵に関する契約』
『違反した場合、影を一つ差し出すこと』
「影を差し出すの、流行ってるの!?」
美月が声を上げそうになり、勇輝が即座に口元を押さえた。
「声、出すな」
「すみません! でも影、さっきも!」
加奈が真顔で男性に聞く。
「サインした?」
「怖くてしてません。でも、毎晩来ます。……しかも、丁寧なんです。“失礼します”って」
「丁寧な悪魔が一番怖い」
市長が静かに言う。
「契約文化だな。魔族や幽界は、契約を重んじる。逆に言えば、契約には“条件”がある」
「市長、知ってるなら先に言ってください」
勇輝は男性に説明した。
「結論から言うと、サインしなくて正解です。内容が理解できない契約は絶対に結ばない。
ただし、相手が“契約を求める”なら、こちらからも条件を提示できます」
「条件……?」
「普通の生活ルールです。夜間訪問はしない、玄関前に来ない、連絡は昼間に、必要なら管理会社経由——」
「管理会社、異界の契約にも効くんですか?」
「効かせる。行政は効かせる」
勇輝は、ここで手段を選ぶ。
「相手の身元は分かりますか?」
「……黒いフードで、顔が影みたいで……」
「今日、黒いフード率高いな」
加奈が小声で言う。
勇輝は決断した。
「こちらで“生活協定”を作ります。契約に乗る形で、内容を安全なものに置き換える。
市役所として文案を作って、相手に提示。相手が応じない場合は、住居の管理者と連携して“立ち入り禁止”の対応。最悪、異世界経済部から外交窓口へ」
男性が、ほっと息を吐いた。
「……役所って、こういうのもやるんですね」
「本当はやりたくない。でも住民の生活がかかってる」
美月が小声で言う。
「主任、これ“住宅トラブル(契約)”で新カテゴリですね」
「増やすなって言っただろ」
「でも増えます!」
「増えるのが行政……くそ……」
相談3:「スライムが家族に馴染みすぎた」
次に来たのは、年配の女性だった。
穏やかな笑顔。相談内容も穏やか……だといい。
「うちの子(孫)がね、スライムを拾ってきちゃったのよ」
「拾ってきた……?」
「最初はコップに入ってたの。今はね、ソファにいるの」
「ソファにいる……?」
美月が小声で言う。
「座ったら終わるやつ」
勇輝が睨む。
女性は楽しそうに続ける。
「それでね、家族みんな、かわいがっちゃって。もう……家族なのよ」
加奈が優しく聞く。
「困ってるのは、どういうところ?」
「……困ってるのはね、“分裂”するの」
「分裂」
「朝起きると、二匹になってるの。孫は喜ぶ。私は数える。で、夜になるとまた一匹になってる」
「合体もするのか……器用だな」
勇輝は、ここで“危険”と“生活”のバランスを測る。
スライムは種類によっては無害。むしろ掃除してくれるタイプもいる。だが増殖は管理が必要だ。
「噛んだり、溶かしたりは?」
「しないの。むしろ、床がきれいになるの」
「掃除スライムだ……」
加奈が笑う。
「それ、うらやましいかも」
「うらやましがるな。管理が問題だ」
勇輝は女性に言った。
「無害なら、共生は可能です。ただし、衛生と安全のルールを決めましょう。
①家の外に出さない(迷子・増殖防止)
②分裂の回数を記録する(異常増殖の兆候を掴む)
③水回りに流さない(下水が地獄になります)
④来客時は注意表示(驚いて踏む人が出る)」
女性が頷きながら笑う。
「“踏む人”って、勇輝主任、経験者?」
「……聞かないでください」
美月が爆笑しそうになり、加奈が口元を押さえた。
相談窓口、今日も地獄のフルコース
午前だけで、相談票はまだ半分残っていた。
内容をざっと見ると、さらにひどい。
「庭の石が毎朝一つ増える」
「夜になると郵便受けが別世界につながる」
「ペットが勝手にレベルアップした」
「温泉が“しゃべる”」
「……主任、これ、全部今日中に?」
相談担当職員が震える声で言う。
勇輝は優しく、しかし現実的に答えた。
「今日中に“全部解決”は無理。今日は“危険度で仕分け”して、緊急性の高いものから対応。生活が崩れるものを優先。
あとは、担当部署につなぐ。役所は一人で抱えない」
市長が、珍しく静かに頷いた。
「よい。行政とは、抱えない技術だ」
「市長、今日はいいこと言いますね」
「相談が重いからな」
加奈が紙袋を開けて、クッキーを配る。
「はい、糖分。胃はごまかしても、心はごまかせないからね。休みながらやろ」
美月がクッキーを頬張りながら言った。
「相談窓口、異世界すぎて……でも、町ってこういうので出来てるんですね。困りごとがあって、誰かが助けて、暮らしが続く」
勇輝は、少しだけ笑った。
「そう。派手な事件より、こういう“生活”の方が大事だ」
その瞬間、相談票の束の一番上が、ふわりとめくれた。
紙に書かれた次のタイトルが、勇輝の目に飛び込む。
『相談:家の玄関がたまに“別の玄関”になる』
「……次、いきます」
勇輝が言うと、全員が同時にため息をついた。
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、相談窓口は異世界の入口になりがちだ。
次回予告(第51話)
「税務課パニック:異界通貨で納税したい人たち」
金貨、宝石、魔力結晶——。
税務課が受け取れるのは“円”だけ、のはずなのに!
勇輝、税の公平と現実の板挟みへ——。




