第49話「図書館が危険:読んだ人の口調が変わる本」
図書館は、静かであるべきだ。
ひまわり市立図書館も例外ではない。木の匂いのする閲覧机、ページをめくる音、足音を吸い込むカーペット。——町が異界に転移してからも、ここだけは「ちゃんと地上の日本」を保っている、数少ない場所だった。
……昨日までは。
「主任……図書館から“苦情”というか、“相談”というか……とにかく来てください……」
電話口の声は、図書館司書のものだった。
いつもなら落ち着きの塊みたいな人が、今朝は声が震えている。図書館が震えるときは、たいてい本が濡れた時か、子どもが走った時か、蔵書整理が間に合わない時だ。
でも今回は、違った。
「何があったんですか」
『利用者の……口調が……変なんです』
「口調?」
『敬語で来た人が急に時代劇みたいになったり、学生が詩人みたいになったり……あと、市長が今ここにいるんですけど……』
「市長が?」
『市長だけ、いつも以上に“朗々”としてて……』
嫌な予感が、ひまわり市名物の温泉湯気みたいに立ち上った。
勇輝は受話器を置き、隣の美月に視線を送る。
「図書館、行くぞ」
「行きます! もう噂になってます!」
「まだ何も言ってないのに!?」
「『図書館で口調がバグる』って!」
「バグって言うな!」
そこへ加奈が、いつもの紙袋を抱えて現れた。
「図書館? 静かな場所で何かやらかした?」
「静かじゃなくなってる」
「それはやばい」
加奈の真顔は信用できる。
そして後ろから、のっそりと市長が現れた……のではなく、今日は“市長が現場にいる”案件だった。さらに嫌だ。
図書館:静けさが、変な方向に壊れている
図書館に入った瞬間、勇輝は「静けさの種類が違う」と気づいた。
音がないのではない。みんな、声を出さないように必死でこらえている――その気配が、空気に張り付いている。
受付の司書が、泣きそうな顔で迎えた。
「主任……助けてください……」
「状況、整理してください。何が起きてる」
「……本です。ある本を読んだ人が、口調が変わります」
「ある本?」
「はい。昨日、寄贈として届いた本で……」
司書は小さな台車を指さした。
そこには、一冊の本が置かれている。表紙は黒。装丁は古い。金色の文字でタイトルが刻まれていた。
『語りの書』
……タイトルからして不穏だ。
勇輝が眉をひそめると、美月が後ろで小声を漏らした。
「もうそれ、地雷です」
「言うな」
加奈が司書に尋ねる。
「それ読んだ人、どうなるの?」
「口調が……その本の“語り”に引っ張られるみたいで……。今、閲覧席にいる人たちが……」
司書が指さす先。
閲覧席で、サラリーマン風の男性が本を閉じ、深く頷いている。
なのに口を開いた瞬間、出てきた言葉が完全に時代劇だった。
「……いやはや、拙者、今日の仕事に遅刻するところでござった」
隣の高校生らしき子が、ノートに詩を書きながら呟く。
「風が……ページをめくり、僕の心をさらってゆく……」
そして奥の閲覧室では、なぜかスーツ姿の市長が立っていた。
……いや、市長はいつも市長だが、今日は“さらに市長”だった。
「諸君! 本とは灯火! 言葉とは翼! ひまわり市の未来はここに——」
「市長、図書館では静かに!」
司書が小声で止めているのが、妙に哀しい。
美月が勇輝の耳元で囁く。
「主任、これ、感染してますよね」
「感染って言うな。……でも現象は似てる」
加奈が小声で言った。
「口調が変わるって、本人は自覚あるの?」
「ある人と、ない人がいます……。自覚がある人は“変な言葉が出る”って困ってて、自覚ない人は普通に喋ってるつもりです」
「地獄」
勇輝は深呼吸して、司書に確認した。
「“語りの書”は、いつから?」
「昨日の午後、寄贈として届きました。寄贈者の名前は……記載がなくて」
「名乗らない寄贈、最近多いな」
最近のひまわり市は、落とし物も寄贈も“意図”が混ざる。役所が試されてる気がしてならない。
そこへ市長が、朗々と……いや、朗々としそうになりながら近づいてきた。
「主任! これは素晴らしい。市民が言葉の力を思い出している!」
「市長、思い出し方が強制です!」
「強制ではない。読んだ者が選んでいる」
「選べてないから問題なんです!」
加奈が市長の袖を軽く引っ張る。
「市長、いったん外で。ほら、深呼吸。いまの口調、さらに盛れてる」
「盛れてるとは何だ」
「余計に格好つけてる」
「私は常に格好つけている」
「その自覚が一番怖い」
美月が司書にこっそり聞いていた。
「これ、貸出停止できます?」
「できます……でも市長が“文化振興”って……」
勇輝は即答した。
「停止できるなら、一旦止めます。事故の可能性がある」
市長が抗議する。
「事故ではない。文化だ」
「文化でも事故ります!」
原因究明:本は“魔法”か“心理”か
勇輝は、まず現象の条件を確認した。
「読んだ人は全員口調が変わる?」
「はい。立ち読みでも、数ページ読むと影響が出ます」
「触っただけでは?」
「触っただけでは、今のところ」
美月がすかさず言う。
「じゃあ“読む”がトリガー!」
「トリガーって言うな、図書館だぞ」
加奈が首をかしげる。
「でも“読むと口調が変わる”って、何が問題になるの?」
勇輝は、すぐに答えた。
「役所の書類が崩れる。窓口対応が崩れる。住民が困る。あと、本人の意思と違う言葉が出るなら、それは人格に干渉してる」
加奈が真顔で頷く。
「うん、それはダメだね」
市長だけが、まだ納得していない顔をしている。
「だが、言葉の幅が広がるのは——」
「幅が広がるのは自分でやるからいいんです。勝手に変わるのは違う」
勇輝がきっぱり言うと、市長は少しだけ黙った。
……効いた。たぶん。
司書が小声で言う。
「主任……この本、ページの端に……変な文字が……」
勇輝は司書と一緒に本を開いた。
ページの余白に、細い文字で何かが書き込まれている。日本語ではない。けれど、目が滑らない。不思議に“読めそう”になる。
美月が背後から覗き込み、ふっと声を漏らした。
「……あ、やば。なんか……言いたくなる」
「覗くな!」
勇輝は慌てて本を閉じた。
覗いた瞬間に引っ張られる。つまり、この本は“読む人を語らせる”。
加奈が言った。
「これ、呪いの本ってこと?」
「呪い、というか……“語りの魔法”だな。読んだ人の口から、用意された語り口を出させる」
市長が小さく呟く。
「……魅了だな」
「市長、分かってるなら止めてください」
市長は独特の笑みを引っ込め、珍しく真剣な目になった。
「分かった。止める。だが、方法だ。封印か、保管か、それとも返送か」
「返送先が分からない」
美月がすかさず言う。
「寄贈者不明! いつものやつ!」
「いつものにするな!」
対応方針:貸出停止、隔離、そして“読むな”の告知
勇輝は、司書と短く打ち合わせた。
即時貸出停止(閲覧も停止)
現に影響を受けた利用者への説明(本人の不安を減らす)
館内告知(ただし煽らない)
安全な保管(封印できる協力者が必要)
美月が即座にSNS文案を作る。
「『図書館の一部資料について、現在確認作業中のため閲覧を停止しています。ご協力ください』……これでどうです?」
「いい。“口調が変わる”は書くな」
「でももう噂が……」
「噂に乗ると燃える。淡々と」
加奈は、影響を受けた利用者のところへ行き、やさしく声をかけていく。
時代劇口調のおじさんは困り顔で、詩人高校生はなぜか楽しそうだが、加奈はちゃんと「本人が困るなら止めようね」と言って、笑いで流さない。
問題は、本の処理だった。
「封印できる人……」
勇輝が考えた瞬間、思い当たった。
「グルム。あのドワーフの安全管理担当。呪い剣も扱えた。これもいけるかもしれない」
美月がすぐに電話を取り出す。
「呼びます! 最近、連絡先が“いつメン”になってきました!」
「いつメンって言うな!」
市長が腕を組み、静かに言った。
「図書館は、町の知の中心だ。ここで“言葉が勝手に変わる”など、放置できない。主任、よく判断した」
「珍しく褒めましたね」
「褒めるときは褒める。……ただし、私はまだこの本を惜しいと思っている」
「惜しむな!」
その時、閲覧席の方から、また小さな声が聞こえた。
「……あの、本……もう一回だけ……」
詩人高校生が、ふらっと台車の方へ近づこうとしている。
目が少しうつろだ。引っ張られている。
「止めて!」
加奈が即座に腕を伸ばし、優しく肩を抱いて戻した。
「君、今は読まない。大丈夫。言葉は逃げない」
高校生は、はっとして頷いた。
「……ごめんなさい。なんか、続きが気になって……」
「続きが気になるのが本だ。でも、それは“自分の意思”で読むもの。いまのは違う」
加奈の言葉は、強いのに優しい。
勇輝は少しだけ救われた気持ちになった。
グルム到着:本を“封じる”のは、読むより難しい
しばらくして、図書館にグルムが現れた。
工具と、革の手袋と、なぜか小さな箱を持っている。
「……語りの書、か。厄介だな」
「知ってるの?」
「知ってる。昔、ドワーフの集会で“演説が止まらなくなる本”として問題になった」
「なんだその地獄」
グルムは箱を開け、中から黒い布を取り出した。
「これで包む。読む力を遮断する。図書館の保管庫に入れて鍵を二重に。で、掲示。『閲覧不可』」
「閲覧不可って書くと逆に読みたくならない?」
美月が言うと、グルムが即答した。
「なる。だから、“点検中”と書け」
「さっきと同じ結論!」
勇輝は頷いた。
「よし。包んで保管。館内は落ち着かせる。影響を受けた人には、時間が経てば戻ると説明——」
グルムが補足する。
「戻る。ただし、強く読んだ者は数日残る。詩人になったり、武士になったりする」
「武士はまだマシです。市長が“さらに市長”になるのが一番困る」
市長が、咳払いした。
「私は戻らない」
「戻れ!」
全員の声が揃い、司書が肩を震わせた。笑ってしまったらしい。図書館で笑うな、と言いたいが、今はそれでいい。
ひまわり市の結論:図書館は静かに、言葉は自由に
“語りの書”は黒布に包まれ、保管庫へ。鍵は二重。
館内には「資料点検中」の掲示が貼られ、利用者には丁寧に説明された。
そして、時間が経つにつれ、口調は少しずつ元に戻っていった。
時代劇おじさんは「……すみません、変な喋り方して」と恥ずかしがり、詩人高校生は「戻っちゃった……」と残念そうにしていたが、加奈が「自分で詩を書けばいいじゃん」と背中を押した。
美月は最後に、そっと勇輝に言った。
「主任……あの本、危険でしたけど……ちょっとだけ、楽しかったですね」
「楽しいは、危険の入り口だ」
「でも、言葉って、すごいですね」
「それは同意する」
市長が独特の笑みを浮かべ直す。
「よし。図書館は守った。言葉は自由にした。良い行政だ」
「最後にまとめるのだけは上手いですね」
「行政はまとめるのが仕事だ」
勇輝は、図書館の静けさを見回した。
静けさが戻ると、町も少しだけ落ち着いた気がする。
異界でも、言葉の自由は守らなきゃいけない。勝手に変わる言葉は、自由じゃない。
司書が深く頭を下げた。
「ありがとうございました……。もう、心臓に悪いです……」
「こっちもです」
勇輝は苦笑した。
そして、心のどこかで思う。
寄贈者不明の本が来る町って、どういう町だよ。
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、図書館の本は“しゃべらせてくる”ことがある。
次回予告(第50話)
「市民相談窓口、相談内容が異世界すぎる」
「家の影が勝手に増える」
「隣の住人が“契約”を求めてくる」
「スライムが家族に馴染みすぎた」
相談窓口、今日も地獄のフルコース——!




