表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

49/132

第49話「図書館が危険:読んだ人の口調が変わる本」

 図書館は、静かであるべきだ。

 ひまわり市立図書館も例外ではない。木の匂いのする閲覧机、ページをめくる音、足音を吸い込むカーペット。——町が異界に転移してからも、ここだけは「ちゃんと地上の日本」を保っている、数少ない場所だった。


 ……昨日までは。


「主任……図書館から“苦情”というか、“相談”というか……とにかく来てください……」


 電話口の声は、図書館司書のものだった。

 いつもなら落ち着きの塊みたいな人が、今朝は声が震えている。図書館が震えるときは、たいてい本が濡れた時か、子どもが走った時か、蔵書整理が間に合わない時だ。


 でも今回は、違った。


「何があったんですか」


『利用者の……口調が……変なんです』


「口調?」


『敬語で来た人が急に時代劇みたいになったり、学生が詩人みたいになったり……あと、市長が今ここにいるんですけど……』


「市長が?」


『市長だけ、いつも以上に“朗々”としてて……』


 嫌な予感が、ひまわり市名物の温泉湯気みたいに立ち上った。

 勇輝は受話器を置き、隣の美月に視線を送る。


「図書館、行くぞ」


「行きます! もう噂になってます!」


「まだ何も言ってないのに!?」


「『図書館で口調がバグる』って!」


「バグって言うな!」


 そこへ加奈が、いつもの紙袋を抱えて現れた。


「図書館? 静かな場所で何かやらかした?」


「静かじゃなくなってる」


「それはやばい」


 加奈の真顔は信用できる。

 そして後ろから、のっそりと市長が現れた……のではなく、今日は“市長が現場にいる”案件だった。さらに嫌だ。


図書館:静けさが、変な方向に壊れている


 図書館に入った瞬間、勇輝は「静けさの種類が違う」と気づいた。

 音がないのではない。みんな、声を出さないように必死でこらえている――その気配が、空気に張り付いている。


 受付の司書が、泣きそうな顔で迎えた。


「主任……助けてください……」


「状況、整理してください。何が起きてる」


「……本です。ある本を読んだ人が、口調が変わります」


「ある本?」


「はい。昨日、寄贈として届いた本で……」


 司書は小さな台車を指さした。

 そこには、一冊の本が置かれている。表紙は黒。装丁は古い。金色の文字でタイトルが刻まれていた。


『語りの書』


 ……タイトルからして不穏だ。

 勇輝が眉をひそめると、美月が後ろで小声を漏らした。


「もうそれ、地雷です」


「言うな」


 加奈が司書に尋ねる。


「それ読んだ人、どうなるの?」


「口調が……その本の“語り”に引っ張られるみたいで……。今、閲覧席にいる人たちが……」


 司書が指さす先。


 閲覧席で、サラリーマン風の男性が本を閉じ、深く頷いている。

 なのに口を開いた瞬間、出てきた言葉が完全に時代劇だった。


「……いやはや、拙者、今日の仕事に遅刻するところでござった」


 隣の高校生らしき子が、ノートに詩を書きながら呟く。


「風が……ページをめくり、僕の心をさらってゆく……」


 そして奥の閲覧室では、なぜかスーツ姿の市長が立っていた。

 ……いや、市長はいつも市長だが、今日は“さらに市長”だった。


「諸君! 本とは灯火! 言葉とは翼! ひまわり市の未来はここに——」


「市長、図書館では静かに!」


 司書が小声で止めているのが、妙に哀しい。


 美月が勇輝の耳元で囁く。


「主任、これ、感染してますよね」


「感染って言うな。……でも現象は似てる」


 加奈が小声で言った。


「口調が変わるって、本人は自覚あるの?」


「ある人と、ない人がいます……。自覚がある人は“変な言葉が出る”って困ってて、自覚ない人は普通に喋ってるつもりです」


「地獄」


 勇輝は深呼吸して、司書に確認した。


「“語りの書”は、いつから?」


「昨日の午後、寄贈として届きました。寄贈者の名前は……記載がなくて」


「名乗らない寄贈、最近多いな」


 最近のひまわり市は、落とし物も寄贈も“意図”が混ざる。役所が試されてる気がしてならない。


 そこへ市長が、朗々と……いや、朗々としそうになりながら近づいてきた。


「主任! これは素晴らしい。市民が言葉の力を思い出している!」


「市長、思い出し方が強制です!」


「強制ではない。読んだ者が選んでいる」


「選べてないから問題なんです!」


 加奈が市長の袖を軽く引っ張る。


「市長、いったん外で。ほら、深呼吸。いまの口調、さらに盛れてる」


「盛れてるとは何だ」


「余計に格好つけてる」


「私は常に格好つけている」


「その自覚が一番怖い」


 美月が司書にこっそり聞いていた。


「これ、貸出停止できます?」


「できます……でも市長が“文化振興”って……」


 勇輝は即答した。


「停止できるなら、一旦止めます。事故の可能性がある」


 市長が抗議する。


「事故ではない。文化だ」


「文化でも事故ります!」


原因究明:本は“魔法”か“心理”か


 勇輝は、まず現象の条件を確認した。


「読んだ人は全員口調が変わる?」


「はい。立ち読みでも、数ページ読むと影響が出ます」


「触っただけでは?」


「触っただけでは、今のところ」


 美月がすかさず言う。


「じゃあ“読む”がトリガー!」


「トリガーって言うな、図書館だぞ」


 加奈が首をかしげる。


「でも“読むと口調が変わる”って、何が問題になるの?」


 勇輝は、すぐに答えた。


「役所の書類が崩れる。窓口対応が崩れる。住民が困る。あと、本人の意思と違う言葉が出るなら、それは人格に干渉してる」


 加奈が真顔で頷く。


「うん、それはダメだね」


 市長だけが、まだ納得していない顔をしている。


「だが、言葉の幅が広がるのは——」


「幅が広がるのは自分でやるからいいんです。勝手に変わるのは違う」


 勇輝がきっぱり言うと、市長は少しだけ黙った。

 ……効いた。たぶん。


 司書が小声で言う。


「主任……この本、ページの端に……変な文字が……」


 勇輝は司書と一緒に本を開いた。

 ページの余白に、細い文字で何かが書き込まれている。日本語ではない。けれど、目が滑らない。不思議に“読めそう”になる。


 美月が背後から覗き込み、ふっと声を漏らした。


「……あ、やば。なんか……言いたくなる」


「覗くな!」


 勇輝は慌てて本を閉じた。

 覗いた瞬間に引っ張られる。つまり、この本は“読む人を語らせる”。


 加奈が言った。


「これ、呪いの本ってこと?」


「呪い、というか……“語りの魔法”だな。読んだ人の口から、用意された語り口を出させる」


 市長が小さく呟く。


「……魅了だな」


「市長、分かってるなら止めてください」


 市長は独特の笑みを引っ込め、珍しく真剣な目になった。


「分かった。止める。だが、方法だ。封印か、保管か、それとも返送か」


「返送先が分からない」


 美月がすかさず言う。


「寄贈者不明! いつものやつ!」


「いつものにするな!」


対応方針:貸出停止、隔離、そして“読むな”の告知


 勇輝は、司書と短く打ち合わせた。


即時貸出停止(閲覧も停止)


現に影響を受けた利用者への説明(本人の不安を減らす)


館内告知(ただし煽らない)


安全な保管(封印できる協力者が必要)


 美月が即座にSNS文案を作る。


「『図書館の一部資料について、現在確認作業中のため閲覧を停止しています。ご協力ください』……これでどうです?」


「いい。“口調が変わる”は書くな」


「でももう噂が……」


「噂に乗ると燃える。淡々と」


 加奈は、影響を受けた利用者のところへ行き、やさしく声をかけていく。

 時代劇口調のおじさんは困り顔で、詩人高校生はなぜか楽しそうだが、加奈はちゃんと「本人が困るなら止めようね」と言って、笑いで流さない。


 問題は、本の処理だった。


「封印できる人……」


 勇輝が考えた瞬間、思い当たった。


「グルム。あのドワーフの安全管理担当。呪い剣も扱えた。これもいけるかもしれない」


 美月がすぐに電話を取り出す。


「呼びます! 最近、連絡先が“いつメン”になってきました!」


「いつメンって言うな!」


 市長が腕を組み、静かに言った。


「図書館は、町の知の中心だ。ここで“言葉が勝手に変わる”など、放置できない。主任、よく判断した」


「珍しく褒めましたね」


「褒めるときは褒める。……ただし、私はまだこの本を惜しいと思っている」


「惜しむな!」


 その時、閲覧席の方から、また小さな声が聞こえた。


「……あの、本……もう一回だけ……」


 詩人高校生が、ふらっと台車の方へ近づこうとしている。

 目が少しうつろだ。引っ張られている。


「止めて!」


 加奈が即座に腕を伸ばし、優しく肩を抱いて戻した。


「君、今は読まない。大丈夫。言葉は逃げない」


 高校生は、はっとして頷いた。


「……ごめんなさい。なんか、続きが気になって……」


「続きが気になるのが本だ。でも、それは“自分の意思”で読むもの。いまのは違う」


 加奈の言葉は、強いのに優しい。

 勇輝は少しだけ救われた気持ちになった。


グルム到着:本を“封じる”のは、読むより難しい


 しばらくして、図書館にグルムが現れた。

 工具と、革の手袋と、なぜか小さな箱を持っている。


「……語りの書、か。厄介だな」


「知ってるの?」


「知ってる。昔、ドワーフの集会で“演説が止まらなくなる本”として問題になった」


「なんだその地獄」


 グルムは箱を開け、中から黒い布を取り出した。


「これで包む。読む力を遮断する。図書館の保管庫に入れて鍵を二重に。で、掲示。『閲覧不可』」


「閲覧不可って書くと逆に読みたくならない?」


 美月が言うと、グルムが即答した。


「なる。だから、“点検中”と書け」


「さっきと同じ結論!」


 勇輝は頷いた。


「よし。包んで保管。館内は落ち着かせる。影響を受けた人には、時間が経てば戻ると説明——」


 グルムが補足する。


「戻る。ただし、強く読んだ者は数日残る。詩人になったり、武士になったりする」


「武士はまだマシです。市長が“さらに市長”になるのが一番困る」


 市長が、咳払いした。


「私は戻らない」


「戻れ!」


 全員の声が揃い、司書が肩を震わせた。笑ってしまったらしい。図書館で笑うな、と言いたいが、今はそれでいい。


ひまわり市の結論:図書館は静かに、言葉は自由に


 “語りの書”は黒布に包まれ、保管庫へ。鍵は二重。

 館内には「資料点検中」の掲示が貼られ、利用者には丁寧に説明された。


 そして、時間が経つにつれ、口調は少しずつ元に戻っていった。

 時代劇おじさんは「……すみません、変な喋り方して」と恥ずかしがり、詩人高校生は「戻っちゃった……」と残念そうにしていたが、加奈が「自分で詩を書けばいいじゃん」と背中を押した。


 美月は最後に、そっと勇輝に言った。


「主任……あの本、危険でしたけど……ちょっとだけ、楽しかったですね」


「楽しいは、危険の入り口だ」


「でも、言葉って、すごいですね」


「それは同意する」


 市長が独特の笑みを浮かべ直す。


「よし。図書館は守った。言葉は自由にした。良い行政だ」


「最後にまとめるのだけは上手いですね」


「行政はまとめるのが仕事だ」


 勇輝は、図書館の静けさを見回した。

 静けさが戻ると、町も少しだけ落ち着いた気がする。

 異界でも、言葉の自由は守らなきゃいけない。勝手に変わる言葉は、自由じゃない。


 司書が深く頭を下げた。


「ありがとうございました……。もう、心臓に悪いです……」


「こっちもです」


 勇輝は苦笑した。


 そして、心のどこかで思う。

 寄贈者不明の本が来る町って、どういう町だよ。


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転。

 ただし、図書館の本は“しゃべらせてくる”ことがある。


次回予告(第50話)


「市民相談窓口、相談内容が異世界すぎる」

「家の影が勝手に増える」

「隣の住人が“契約”を求めてくる」

「スライムが家族に馴染みすぎた」

相談窓口、今日も地獄のフルコース——!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ