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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第47話「露店の道路占用許可、ドワーフ鍛冶屋が歩道で開業」

 ひまわり市役所にとって「平和な朝」の定義は、意外と現実的だ。

 窓口が滞らない。救急車のサイレンが妙に近くない。庁舎前の植え込みに謎の生き物が住み着いていない。そして――苦情電話が鳴らない。


 つまり、今朝は平和ではなかった。


 朝イチの内線が鳴り、続けて代表電話が鳴り、最後に、なぜか観光案内所から直通が入った。

 全部同じ内容であることを、受話器を取った勇輝は数秒で悟った。言葉の端々が違うだけで、状況はほぼ同じだ。


『主任……たぶん、現場、見た方が……』


「落ち着いて。場所はどこ? けが人は?」


『温泉通りです! 歩道の真ん中で……火花が……熱が……あと、鉄の匂いが……!』


 耳に入る情報が、頭の中で順番待ちを始める。

 熱、火花、鉄の匂い。温泉通り。歩道の真ん中。

 火災か、事故か、あるいは――。


「……火が出てる? 煙は? 炎は?」


『炎ってほどじゃないんですけど、でも、見た目がもう“燃えてる”に近くて! 子どもが寄っていってて!』


 勇輝は、息をゆっくり吐いた。慌てると声が尖る。声が尖ると、相手の焦りが増える。焦りが増えた報告はだいたい情報が崩れる。

 電話の向こうの人がいま必要なのは、「怒られない安心」と「次に何をすればいいか」だ。


「分かった。まず、近づかないように誘導できる? コーンとか、ロープとか。なければ“ここから先は危ないです”って声かけでもいい。とにかく距離を取って」


『はい、でも人が……観光客が集まって……』


「集まるよね。火花は視線を引く。そこは責めない。今は安全優先で、できる範囲で距離だけ確保して。こっちは今すぐ動く」


『……すみません、ありがとうございます……』


 受話器を置いた瞬間、勇輝は席を立った。椅子が床を擦る音が、静かな事務室で妙に大きく響いた。


 そこへ、廊下を駆ける足音。ドアが開く前にスマホの画面が先に見えた。美月が、今日も“情報”を抱えてやってくる。


「主任、映像、もう回ってます。『温泉通りの歩道で鍛冶屋』って――今、上がり始めてます」


 勇輝は、言葉を選んだ。止めろ、と言えば簡単だ。でも美月が止められる範囲は限られている。

 ここで必要なのは、感情ではなく手順だ。


「上がり始めてる、ってことは、まだ“確定トレンド”じゃない?」


「はい。今なら、コメント欄が割れる前に“公式情報”を差し込めます」


「よし。まず現場確認中、危険があるので距離を取ってください、って短く。煽りになる言い方は避けて、お願いベースで」


「了解です。『安全確保のため一時立ち止まりはご遠慮ください』みたいにします? あと、迂回路も」


「迂回路は道路管理と合わせる。先に“危ないので近づかない”を出して、それから“ここを通ってください”を続報で。段階を分けよう」


 美月が頷き、手元で文字を整え始めた。入力する指が速いのに、文がちゃんと落ち着いている。最近の美月は、その辺りが頼もしい。


 さらに廊下から紙袋の音がした。加奈が顔を出す。喫茶ひまわりの差し入れで、役所に立ち寄るのが半ば習慣になっている。


「おはよ。……あ、これは現場の匂い。なにが起きたの?」


「温泉通りの歩道で、火花が出てる。たぶん、鍛冶関係」


「鍛冶……あの、カンカンってやるやつ?」


「そういうやつ」


 加奈は一拍置いて、困ったように笑った。


「それ、見に行く人が増えるやつだね。危ないのに、見たい気持ちが勝つやつ」


「そこが一番難しい。怒鳴って散らしても、反発が出るだけだから」


「うん。じゃあ私、住民の空気を先に見ておく。怒ってる人がどこで引っかかってるか、喜んでる人が何を求めてるか、分かれば言い方も変わるし」


「助かる。無理しないで、距離は取って」


「距離取るのは得意。喫茶のカウンターでも、距離の取り方で場が変わるから」


 そう言って加奈は、紙袋を机にそっと置いた。

 “差し入れ”が、今日は“現場への準備物”に見える。


 背後で、もう一つ気配が増えた。

 静かに入ってきたのに、空気が少し締まる。市長だった。朝の庁舎に似合わないほど、目が冴えている。


「聞いた。温泉通りで鍛冶屋が開業したそうだな」


「市長、その言い方だともう“名物化”してます」


「名物にするにはまだ早い。だが――放っておけば危ない。止めれば反発が出る。となると、やることは一つだ」


 勇輝は、腕章を掴みながら頷いた。


「安全確保して、ルールに乗せて、場所を整えて、続ける形にする。ですよね」


「そうだ。ひまわり市の通常運転だな」


 勇輝は、市長の顔を見て、ほんの少しだけ笑った。

 この町の“通常運転”は、毎回なぜか難易度が高い。


「道路管理、消防、商工、あと公園緑地も。すぐ連携を組みます。美月は情報発信の一次対応。加奈は住民側の温度確認。市長は――」


「現場へ行く」


「ですよね。……では、危ない場所には近づきすぎないでください。お願いします」


「努力する」


 その“努力する”が、だいたい現場で薄くなるのを、勇輝は知っている。

 知っているからこそ、言葉で一度釘を刺す。


 こうして、ひまわり市の朝が動き出した。


現場:温泉通りの歩道が“工房”になっている


 温泉通りに着いた瞬間、勇輝は理解した。

 電話口の「歩道が燃えてる」は、比喩としては正確だった。


 歩道の真ん中に、簡易の小さな炉。

 その前で、背の低いドワーフがハンマーを振り下ろしている。

 金属音が乾いたリズムで跳ね、火花がぱっと散り、熱気が空気の層をゆらす。鉄が焼けた匂いが、温泉の湯けむりと混ざって、妙に“旅情”っぽくなってしまっているのが厄介だった。


 そして何より、人だかりだ。

 観光客、住民、異界側の行商、子ども連れ、動画を撮る人、写真を撮る人、立ち止まって拍手する人。

 歩道は完全に“観光スポット化”していた。


「うわ、本物だ……!」

「映画みたい!」

「近くで撮ったら火花がきれいだよ!」

「お兄ちゃん危ないから下がって、って言っても聞かないんだよねぇ……」


 導線が、死んでいる。

 ベビーカーが進めない。車椅子は完全に詰む。自転車は手押しでも抜けられない。

 “通る場所”が“溜まる場所”に変わった瞬間、町の機能が止まる。それは観光地でも同じだ。


 道路管理担当が汗だくで駆けてきた。顔が真剣すぎて、言葉が少し震えている。


「主任! まずいです! 道路占用許可がない状態で、露店どころか炉を置いてます!」


「……うん、炉だね。火気だね」


 消防署員も、少し離れた位置で腕を組んでいる。近づくと危ないし、近づかないと状況が掴めない。あの距離感は“現場に慣れている人の距離”だった。


「火気使用。消火器は一応置いてあるが、囲いがない。風向きによっては火花が飛ぶ。見学者が近すぎる」


 勇輝は頷きながら、目だけで周囲を確認した。

 消火器は一本。砂は見当たらない。水もない。囲いもない。

 そして子どもが、好奇心のまま最前列に立っている。


 勇輝は、まず“怒り”を出さないように心の中で一度整理してから、道路管理担当に言った。


「今すぐ、コーンとロープで距離を作れる? 最低でもこの辺りまで下がってもらう。通行幅も確保したい」


「はい、持ってきます!」


 消防署員にも視線を向ける。


「消火器、増やせますか。砂も。火花が飛んだときにすぐ止められるように」


「応援を呼ぶ。あと、風が強くなったら即停止の判断を入れる」


 ここまでで、ようやく“現場が動き出す”。

 動かさないと、話し合いも成立しない。


 加奈が人混みの端から戻ってきた。表情が「だいたい分かった」の顔をしている。


「住民、半分怒ってる、半分喜んでる。怒ってる方は“歩けない”“煙い”“危ない”。喜んでる方は“客が増える”“町が賑わう”“お金が落ちる”」


「分かりやすい、そして割れやすい」


 美月も、少し離れたところでスマホを見ながら言った。声は落としてある。


「コメント欄も同じ構図です。『危ないからやめろ』と『最高の観光資源』が、もう言い合い始めてます」


「言い合いは、こっちが“安心できる情報”を置けば落ち着く可能性がある。美月、今の段階で“距離を取ってください”と“迂回のお願い”を出せる?」


「はい。位置情報と、迂回の矢印も付けます。写真は――火花の写真は使わず、現場の全体図だけにします。刺激が強いと余計集まるので」


「助かる」


 市長が、少し遠くから炉を眺めている。

 笑ってはいないが、目が“面白い課題を見つけた人”の光り方をしている。


「主任。これは、行政の出番だな」


「はい。ただ、出番の出し方を間違えると、事故か反発か、どっちかが増えます」


「増やさないために出番がある」


 勇輝は頷いた。

 事故を減らす。反発を減らす。賑わいを壊しすぎない。

 全部同時にやるのが、ひまわり市の“異界対応”だ。


 勇輝は、炉の前に立つドワーフへ近づいた。

 距離が縮まるほど、熱が肌を刺す。火花がぱちぱち飛ぶ。

 けれど本人は涼しい顔で、鉄を叩いている。熱に慣れた職人の背中だった。


「すみません。ひまわり市役所です。……お話、よろしいですか」


 ドワーフが振り向いた。

 髭が立派で、目が鋭く、腕が太い。職人の圧というのは、威圧ではなく“信念の厚み”だと、勇輝は思う。


「俺は鍛冶屋だ。ここで商いをしている」


「ここは歩道です。歩道で、ですか?」


「歩道で」


 言い切りが清々しい。悪気がない。

 だからこそ、こちらも言い方を間違えると一気にこじれる。


「まず確認させてください。許可は……取りましたか?」


「許可?」


 首をかしげる仕草が、“知らない”のではなく“その概念がない”側の首のかしげ方だった。


「通りは人が集まる。人が集まるところで商いをする。正しい」


「理屈としては分かります。人がいる場所で商いをするのは、商売の基本です。ただ……ここは“みんなが通るための場所”で、火花が出ると危ない」


 加奈が横から、生活者の言葉で補足する。


「ねえ、火花って、見てる分にはきれいなんだけど、目に入ったらほんとに危ないよ。あと、小さい子って、近づくのが速いんだよね」


 鍛冶屋は胸を張った。


「火花は祝福だ。鉄が生きている証だ」


 美月が反射的に声を上げそうになったのを、勇輝は軽く手で止めた。

 ここで“否定の強さ”をぶつけると、相手は“誇り”で返してくる。


「祝福として大事にするのは分かります。ただ、こちらの暮らしでは“安全に扱う”必要があります。祝福を、けがに変えたくない」


 鍛冶屋は一瞬だけ目を細め、勇輝の言葉を吟味するように見た。

 その視線は、敵意ではなく評価に近い。


「……名前を言え。お前は誰だ」


「ひまわり市役所、異世界経済部の主任、勇輝です。町の“困った”を整理する係です」


「俺はグラトン。ドワーフ連合の職人だ」


 市長が一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。


「グラトン殿。商いは歓迎する。だが、ここは道路だ。市民の通行のための場所であり、誰もが使う共有の場所だ。安全と導線を守る必要がある」


 グラトンが腕を組む。


「導線?」


 勇輝は、地面を指さした。

 それは説明というより、“見えるもの”を共有するための指差しだった。


「ここは歩くための線です。人が通る。車椅子も、ベビーカーも通る。今は通れない」


「……通るなら、横を通ればよい」


 加奈が、困ったように笑いながら首を振る。


「その“横”が火花の横なんだよね。大人でも怖い。子どもはもっと怖い。怖がらない子もいるけど、怖がらない子ほど突っ込む」


 グラトンは少し考えて、真面目に言った。


「では、少し小さくする」


「炉を?」


「俺を」


 冗談ではない顔で言われると、反応に困る。

 美月が笑いそうになって口元を押さえている。勇輝も、笑ってしまいそうになるのを堪えた。笑いは空気を柔らかくするが、今はまだ“安全の確保”が先だ。


「グラトンさん。あなたが小さくなるのは無理です。だから、場所と形を小さくする。火花が飛ぶ範囲を囲って、距離を取って、通れる幅を残す。それが必要です」


 グラトンは頷きかけて、しかし首を少し傾けた。


「囲う……距離……。それは“許可”か?」


「そうです。許可というか、条件です。条件を満たせば、商いは“やっていい”になる」


 その瞬間、グラトンの目が少し光った。

 禁止ではなく、条件付き。職人は、条件が見えると動ける。


道路占用許可:役所の“地味で強い武器”


 勇輝は、その場で“説明のやり直し”を始めた。

 怒鳴って止めるのは簡単だ。けれど、その場で止めても、また別の場所で始まる。

 この町は“異界との暮らし”を続ける前提で動いている。なら、続けられる形を作るしかない。


「道路を使って露店や設備を置く場合、道路占用許可という手続きがあります。どこに、どれくらいの幅で、何を置くか。人が通れる幅をどれくらい残すか。火気なら火花対策と消火設備。見学者の距離。風が強い日の中止条件。そういう項目を確認して、条件が整っていると判断できたら、許可が出ます」


 消防署員が頷き、要点を足した。


「火気は、囲いが必須。消火器は複数。砂も。水はむしろ使えないことがある。あと、風向き次第で火花が飛ぶから、風の強い日は中止。これは譲れない」


 道路管理担当も、地図を広げながら言う。


「通行幅は最低二メートルは確保したいです。角の見通しも必要。人が急に出てくる場所に炉があると危険が増えます」


 美月が小声で加奈に囁く。


「二メートル……グラトンさん、二メートルで収まるかな」


 加奈が、即答した。


「収まる形にするしかない。やるならね」


 その“やるならね”が、住民の強さだと勇輝は思った。

 怒るだけじゃなく、成立させる方向へ頭が回る。生活の人は、現実に強い。


 市長が、言葉をまとめるように口を開いた。


「つまりこうだ。ここではなく、場所を移す。だが商いそのものは認めたい。町の賑わいも守りたい」


 グラトンが眉を寄せる。


「移す……どこへ?」


 勇輝は、すぐ答えられるように準備していた。現場で“候補がない”と言うと、その瞬間に話が止まる。止まった話は、熱だけ残して燃え広がる。


「候補は二つあります。ひとつは公園の一角。火気の扱いができる場所を限定して、囲いと見学ラインを作る。もうひとつは工業団地の空き地。広くて風向き管理がしやすい」


 加奈が、観光目線で補足する。


「人の流れで言うと、公園のほうが見てもらえる。けど、安全だけで言うなら工業団地。……どっちがいい?」


 グラトンは少しだけ黙った。

 職人が黙るときは、頭の中で“仕事の形”を組み替えている。


「……人がいる方がいい」


「じゃあ公園。そこなら、町も協力しやすい。ここよりずっと安全にできる」


 勇輝は頷いた。


「公園なら“公園使用許可”と“臨時の火気使用届”の枠組みで整理できます。道路より管理がしやすい。見学ラインも引けます」


 道路管理担当が、心底ほっとした顔をした。

 道路は、本当に神経が削れる。担当者の神経も。


しかし問題:観光客が「ここがいい」と言い出す


 話がまとまりかけた、そのときだった。


「えー! ここがいいのに!」

「歩道でやってるから“街の中の工房”って感じで良かった!」

「移動したら冷めるって!」


 声が上がる。

 気持ちは分かる。珍しいものは“今この場所で見たい”になる。しかも温泉通りだ。旅のテンションが背中を押す。


 美月が、息を吸って言った。


「来ました……“移動反対派”。コメント欄も同じ流れです。ここで黙ると、町が折れたみたいに見えます」


 勇輝は頷いた。

 ここで曖昧にすると、余計に熱が上がる。なら、理由を分かる言葉で言うしかない。


「みなさん。見学してくれてありがとうございます。ここでやっているのが面白いのも分かります。でも、ここは道路です。通行の場所です。火花が飛ぶ。子どもが近づく。ベビーカーや車椅子が通れない。もし事故が起きたら、鍛冶屋さんも、町も、“二度と続けられない”になります」


 声は大きくする。でも怒らない。

 説明は短く、結論を先に置く。


「だから、安全な場所で続けます。公園で、ちゃんと囲いを作って、見学ラインも作って、安心して見られる形にします」


 加奈も、隣で言葉を足した。押しつけではなく、提案の温度で。


「ここで事故が起きたら、二度と見れなくなるよ。今日だけの面白さより、これからも見れるほうが、私は嬉しい。……みんなも、たぶんそうじゃない?」


 観光客の顔が、少し落ち着いた。

 怒っていた住民側も、頷く人が増える。

 “続けるために移す”という理由は、反発を減らす力がある。


 市長が、最後に静かな声で言った。


「歩道は歩く場所だ。みんなの場所だ。鍛冶屋だけのものではない。だからこそ、みんなが納得できる場所へ移そう」


 その言い方が、押しつけではなく“共有”の言葉になっていた。

 美月が小声で呟く。


「市長、今の言い方、ちゃんと届きましたね」


「届いてるうちに、動かそう。現場は待ってくれない」


 勇輝は、道路管理担当に合図した。


「コーンで通行幅を確保しつつ、移動ルートも作ってください。消防は火を落とすまで距離管理を。美月、告知は“公園に移って安全に続けます”を今すぐ。加奈、喫茶の常連さんにも“見れる場所が変わる”って伝えてもらえると助かる」


「うん。ついでに、“走らないでね”も言っておく。走る人、絶対出るから」


「お願いします」


移動開始:鍛冶屋、役所の許可で“正式開業”へ


 グラトンは、職人らしく潔かった。

 炉の火を落とし、道具を手際よくまとめ、見学していた人たちへ軽く頭を下げる。その仕草が意外なほど丁寧で、見ている側のテンションも少し落ち着く。


「分かった。安全は大事だ。……許可というもの、面白い」


「面白い、はいいんですが、守ってもらう前提でお願いします」


 勇輝がそう言うと、グラトンは口の端を少し上げた。

 挑発ではない、“納得した人の笑い”だった。


「条件を満たせばやれる。なら、俺は満たす。俺は、条件に強い」


「条件に強い職人、頼もしいです」


 役所側も動く。

 公園緑地担当と連絡を取り、火気が扱える場所を臨時で確保。

 消防が設置条件を提示し、道路管理が移動導線と安全距離を作る。

 商工担当は“露店扱い”の整理と、後日の手続きの段取りを組む。


 ここで勇輝が一番気をつけたのは、“今ここで全部の書類を完璧にしない”ことだった。

 現場に必要なのは、まず安全の確保と、今日一日の臨時運用の成立。

 詳細な要綱や継続申請は、後で整える。順番を間違えると、現場が止まる。


 公園に着くと、そこは温泉通りより少し風が通っていた。

 だからこそ、囲いと風対策が必要になる。消防署員が風向きを見て、設置位置を少しずらすよう指示を出す。


「この向きなら火花が人の方へ飛びにくい。見学ラインはここから。距離、もう半歩下げよう」


 見学ラインが引かれ、コーンが置かれ、消火器が二本増える。砂も用意された。

 “ただ移した”ではなく、“安全にする準備が見える”ようになったのが大きい。


 美月が、さっそく告知文を整えて見せた。


「『ドワーフ鍛冶屋、温泉公園で安全に実演中。見学ラインの内側へは入らないでください』……このくらいなら、興味は引きつつ、危険は煽らないです」


「いい。主語もいい。“見に来て”より“安全に見て”が前に出てる」


「はい。あと、“歩道で”って言葉は使わないです。場所を固定しておいた方が混乱が減るので」


「助かる」


 加奈が、紙袋を抱えたままグラトンに近づいた。


「これ、差し入れ。熱いから水分。……でも、水じゃなくて麦茶。人間の“無難”」


 グラトンは紙コップを受け取り、匂いを嗅いで頷いた。


「渋い。良い」


「麦茶を“渋い”って言う人、初めて見た」


 そのやり取りで、見学していた人たちが少し笑った。

 笑いは空気を柔らかくする。柔らかくなると、ルールが入りやすくなる。

 加奈のこういうところが、現場では本当に効く。


公園での実演:火花は“きれい”だけで終わらせない


 準備が整い、グラトンが炉に火を入れる。

 火が安定し、金属が赤くなり、ハンマーの音が始まる。

 さっきと同じ景色のはずなのに、今は印象が違った。距離があり、線があり、役所と消防が立っている。

 “守られている催し”になると、人は安心して見られる。


 グラトンが今日作り始めたのは、ひまわりの形をした小さな金具だった。

 温泉街の木札に付ける飾り。鍵をつけるフック。あるいは風鈴の吊り金具。

 尖った刃物ではなく、“暮らしの道具”に寄せたのも、彼なりの配慮に見えた。


「これは何になるんですか?」


 前列の少し後ろ、見学ラインの外から声が飛ぶ。

 グラトンは手を止めずに答える。職人の答え方は、作業のリズムに乗っている。


「持ち帰れる道具だ。旅は思い出だけでは弱い。手に残るものがいる」


 その言葉が、やけに温泉街に合ってしまうから困る。

 観光は“持ち帰り”で続く。役所の施策も、だいたい最後はそこに繋がる。


 途中、ひとつだけ小さなトラブルがあった。

 火花が、思ったより高く跳ねて、囲いの上を越えそうになったのだ。


 消防署員がすぐ動いた。


「風が回った。いったん火を落とそう。囲いの高さ、もう一段足そう」


 グラトンは、即座にハンマーを止めた。

 嫌がるでもなく、言い訳するでもなく、“条件”として受け取っている。


「分かった。条件だな」


「条件です。条件を守れば、続けられます」


 勇輝がそう言うと、グラトンは短く頷いた。


「続けるために止める。良い」


 加奈が見学者側へ向けて、落ち着いた声で言う。


「ちょっとだけ休憩ね。安全のため。止まった時間で、写真撮るなら今がいいよ。火花がないから逆に落ち着いて撮れる」


 美月がすぐに補足する。


「今の時間、通路も空けます。移動したい方はスタッフの案内に沿ってお願いします。無理に前に詰めないで大丈夫です」


 “無理に前に詰めないで大丈夫”という言い方が、場に刺さった。

 禁止よりも、安心の方が人を動かす。

 現場の学びが、今日も増えていく。


片付けと、その後の会議:ルールは“押す”より“渡す”


 夕方、実演は無事に終わった。

 見学者は思ったより整然と引き、通路は最後まで確保できた。

 怒っていた住民も「歩けるならいい」と表情を戻し、喜んでいた住民は「公園でも十分見せ場がある」と頷いていた。


 戻りの車の中で、市長が窓の外を見ながら言った。


「今日の件、どう整理する?」


 勇輝は、少し考えてから答えた。

 現場は収まった。だが同じことは、必ずまた起きる。

 “今日だけの対応”で終わらせないのが、市役所の仕事だ。


「異界側の露店・実演について、最初から“やっていい場所”と“やっちゃいけない場所”を見える形にします。道路は原則不可。公園は区域限定。工業団地は条件次第。あと、火気は消防とセットで事前相談が必要。これを“手引き”にして、窓口とオンラインにも置きます」


「ドワーフ連合にも渡すか」


「はい。言葉だけで渡すと解釈が揺れます。図と条件表にします。通行幅、囲い、消火器本数、風速の基準、終了時間。数字にしたほうが伝わります」


 美月が助手席から振り返った。


「告知文も、定型を作っておくといいです。『現場確認中』『安全確保中』『場所を移して継続』の三段階。今日はそれで落ち着いたので」


「頼もしい。じゃあテンプレも作ろう。刺激の強い言葉を避けつつ、必要な情報が揃ってる形」


 加奈が、後部座席からゆるく笑う。


「喫茶側も、待機とか誘導の“受け皿”になるなら、事前にひと声ほしい。こっちも段取りがあるし、ケーキの数も調整できる」


「すみません、助けてもらってばかりで」


「助けてもらってばかりでもいいよ。その代わり、役所は“続けられる形”にして。続けられるなら、こっちも続けて手伝える」


 その言葉が、今日の一番の核心に聞こえた。


 庁舎に戻ると、グラトンが窓口に立っていた。

 今度は歩道ではない。ちゃんと窓口だ。

 そして申請書らしき紙を、丁寧に揃えて持っている。


「許可を取りに来た」


 勇輝は、思わず笑いそうになって、でもきちんと頷いた。

 笑うのは後でいい。今は“渡すべきもの”を渡す。


「ありがとうございます。じゃあ一緒に条件を確認しましょう。グラトンさんが続けられて、町も安心できる形にしたいので」


 グラトンは、短く言った。


「条件に強いと言っただろう」


「聞きました。じゃあ、こちらも条件を作るのが得意です」


 美月が、横で小声で言う。


「なんか……いい関係、できてません?」


「できてるうちに、制度にする。関係は揺れるけど、制度は残る」


 市長が、少しだけ満足そうに頷いた。


「主任。今日の教訓は?」


 勇輝は、言葉を整えて答えた。

 きれいにまとめすぎると嘘っぽくなる。

 でも、雑に言うと伝わらない。ちょうどよく、現実の重さで。


「道路はみんなの通り道です。商いは歓迎しても、場所は選ぶ。火花はきれいでも、まず安全。安全があって初めて賑わいになる。……そして許可は、禁止の札じゃなくて、続けるための約束の形です」


 市長が、頷く。


「良い。町の順番を守るための約束だな」


「順番、守るのが仕事ですから」


 加奈が、最後に紙袋を机に置いた。


「差し入れ。今日は走り回ったでしょ。落ち着いたら飲んで」


「ありがとう。……今日は、ちゃんと“落ち着いて飲める”日になりました」


 窓の外で、温泉通りの灯りが少しずつ点き始めている。

 歩道には、もう炉はない。火花もない。

 人は歩ける。車椅子も通れる。ベビーカーも通れる。

 それが当たり前であることのために、役所は今日も動いた。


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転。

 ただし――歩道は工房ではない。工房は、許可と安全と一緒に、ちゃんと場所を持つ。

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