表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/1271

第46話「公共施設予約バトル! 天界と魔界が同時予約」

――体育館の予定表は、平和の象徴……のはずだった。


 公共施設の予約というのは、ふだんは平和そのものだ。

 平日の午前には健康体操の輪ができて、午後は囲碁の石が静かに鳴る。夕方になると子どもたちのバスケットボールが床を叩き、夜はバドミントンの羽が白い弧を描く。

 たまに文化祭の練習、たまに町内会の総会。予定表のマス目は、暮らしのリズムをそのまま写したみたいに、きちんと埋まっていく。


 そして役所は、そのマス目を守る。

 守る――というより、「守れている状態」を当たり前に維持する。誰かが困らないように、誰かが怒らないように、誰かが遠慮しすぎないように。いつも通りに使えることが、いちばんの行政サービスだ。


 ……のはずだった。


「主任、すみません。ちょっと、今、見ていただきたくて」


 体育館の管理担当が、控えめにドアをノックして入ってきた。

 顔色が薄い。声も、いつもより一段小さい。こういうとき、派手な言葉は出てこない。代わりに、手元の紙がやけに丁寧に揃えられている。


 机の上に置かれたのは、印刷された予約一覧表と、申請書が二枚。

 一枚には金色の印章。もう一枚には黒い蝋封。紙の重さが違う。文化の温度が違う。――そして、なんとなく、背筋の汗が違う。


 勇輝は、紙を見てから管理担当の顔に視線を戻した。


「落ち着いて話して。二重に入ってる?」


「はい……同じ日時、同じ体育館です。しかも、どちらも“全面使用”で」


 横から覗き込んだ美月が、目を丸くした。


「……え、これ、天界の印章と……魔界の封蝋、ですよね?」


 その声が思ったより弾んでしまったのを、美月自身も気づいたのだろう。口を押さえて、慌てて小さく続ける。


「す、すみません。びっくりして……いや、びっくりはしていいんですけど、窓口的には……」


 勇輝は、指先で予約一覧表の該当欄を押さえた。

 日付。施設名。区分。使用形態――全面。

 そして団体名が二つ並んでいる。


 天界合唱隊。

 魔界舞踏団。


 文字だけで、空気が変わる。体育館の床板が、今から何かを察して身構えているみたいだった。


「声量は落として大丈夫。今ここで驚きが跳ねると、廊下まで伝わる」


「はい……静かに、燃え……あ、燃えません。燃やしません」


「燃やさない。できれば、熱も上げすぎない」


 管理担当が、申し訳なさそうに指を組んだ。


「私の処理が悪くて……いや、私というより、システムと窓口の……」


「順番に聞こう。まず、どういう経路で入った?」


「天界側はオンライン申請です。“天界観光庁”のアカウントで入りました。申請フォームは正規で、必要事項も全部揃っていました」


「魔界側は?」


 管理担当は一度だけ喉を鳴らしてから、言いにくそうに続けた。


「窓口です。封蝋つきの紙で……提出に来た方が……こう、影みたいな……すみません、表現が……」


 美月が、思わず小さく頷いてしまう。


「わかります。影みたいな人、います。窓口に“来た”っていうより、窓口の横に最初から“いた”みたいな」


 勇輝は、管理担当を安心させるようにうなずいた。


「その表現で十分伝わる。で、問題は……どうして“両方確定”になったのか、だよね」


「はい。オンラインの方で一瞬、システムが落ちまして……予約確定の通知が、二回出たんです。こちらの端末にも二回。自動で“確定”のステータスが付いてしまって、その直後に窓口申請が来て……窓口の方も、通常の手順だと“空き”が出ていたので、こちらも確定処理をしてしまいました」


 勇輝は、紙の角をそろえ直した。

 こういうとき、紙を丁寧に揃えるのは、気持ちを揃えるための手つきだと自分でも思う。慌てているときほど、指先で現実を掴む。


「つまり、重複の原因は市側の処理とシステムの挙動。どちらか片方に“あなたが悪い”とは言えない」


 加奈が、ちょうどそのタイミングで覗き込んできた。

 喫茶ひまわりの紙袋を抱えている。最近、役所への差し入れが「寄り道」ではなく、「業務の一部」みたいな速度で届く。


「おはよ。……あ、なんか空気が固い。何が起きたの?」


「体育館が、天界と魔界で同じ日に押さえられた。しかも全面」


「全面……それ、片方が譲るしかないやつ?」


「普通なら。相手が普通じゃない」


 加奈は一拍置いて、天界の印章と魔界の封蝋を交互に見た。

 そして、妙に真剣な顔で言った。


「……同じ場所で、同じ時間に、合唱と舞踏? 体育館が割れるっていうより、たぶん住民の感情が二つに割れる」


「割れないように、うまく繋ぐ」


「うん。繋ぐ方法があるなら、繋ぐ」


 そこへ、さらにもう一人。

 のっそり、というより、静かに“場に馴染む”形で気配が増えた。


「状況を聞いた。体育館か」


 市長だった。

 いつもの、どこか楽しげに見える目。今日はその光がほんの少し強い。――問題の匂いを嗅ぐと、なぜか機嫌が良くなるタイプの行政トップである。


「市長、機嫌が良さそうに見えるの、今はちょっと危ないです」


「機嫌が良いのではない。こういうときに“表情が曇らない”のが仕事だ」


「言ってることはありがたいんですけど、現場は曇るときは曇ります。曇らないと滑る」


 美月がメモ帳を開き、ペン先を構えた。


「調整会議ですね。議事録、取ります。あと、告知文も……」


「告知は、煽らない。落ち着いた言葉で、必要な情報だけ」


「わかってます。わかってますけど、“天界と魔界が同時予約”っていう事実がもう強いので……」


「強い事実ほど、静かに扱う」


 勇輝は、管理担当に向き直った。


「相手方には連絡した?」


「まだです。どちらも“確定通知”が行っているので……今、こちらから連絡すると……」


「混乱する前に、こちらが責任を持って整理する。会議を設定しよう。天界側と魔界側、代表を呼べる?」


「天界観光庁の窓口は連絡が取れます。魔界側は……封蝋の申請書に連絡先が……“黒い伝令”とだけ……」


 美月が、そっと手を挙げる。


「黒い伝令、たぶん、います。役所の裏口あたりに。よくわからないけど、用があるときだけ現れて、用が終わるといなくなる人」


「……いる前提で動けるの、すごいな」


「慣れです。慣れは怖いですけど、役に立ちます」


 加奈が、紙袋を机の端に置いた。


「じゃあ、まず会議。公平に。丁寧に。あと、最初に“市が原因”って言わないと、どっちかが相手のせいにし始めるよ」


「そこは最初に言う。市側の不備で二重確定になった。だから、市側が調整する。責任の所在を曖昧にしない」


 市長が、軽くうなずいた。


「公平というのは、“同じ扱いにする”ではない。“同じだけ納得できる”ようにすることだ。主任、会議室を押さえよう」


「会議室も予約制です。ここでも二重になったら笑えません」


「笑えないものを笑える形にするのも行政の仕事だ」


「今は笑う前に、ちゃんとスケジュールを確認してください」


 そんなやり取りで、会議の準備が始まった。


 *


 会議室には、いつもより少しだけ多めに水とおしぼりが置かれた。

 天界の人は手を清める文化がある、と誰かが言い、魔界の人は“冷たい水より常温”が良い、と別の誰かが言った。

 結局、全部置いた。置けばいい。置くぐらいなら、揉めない。


 席の配置も工夫した。

 正面からぶつからないように、長机をコの字にして、真ん中に資料を置くスペースを作る。

 天界側と魔界側は対面しない。視線が一直線にぶつかると、言葉より先に空気が尖ることがある。異界相手だと、尖った空気が本当に刺さることがある。


 勇輝は、資料の束を手元に揃えた。

 予約一覧、申請書コピー、利用規約、使用区分の説明、転換作業の手順案、そして――「市の処理不備に関する説明とお詫び(案)」。


 行政は紙で心を守る。

 紙は、逃げ道ではなく、足場だ。


 天界側の代表は、合唱隊の代表・セラフィナだった。

 白い衣。背中の翼はきちんと畳まれ、姿勢が美しい。笑みは柔らかいのに、目の奥に規律がある。歌う人の目だ。


 魔界側の代表は、舞踏団の代表・ヴァルド。

 黒い外套。長身。視線が鋭い。笑っているのに、言葉を選ばないとこちらが転びそうになる圧がある。

 ただし――手元の申請書は、驚くほど丁寧に整えられていた。魔界の人は雑だ、という先入観を、こういうところで裏切ってくる。


 勇輝は、まず名乗った。

 定型から入る。定型は心臓の鼓動を整える。


「本日はお忙しいところありがとうございます。ひまわり市役所、異世界経済部の主任・勇輝です。本件の調整窓口を務めます」


 隣に座る加奈が、軽く会釈する。


「こちら、喫茶ひまわりの加奈さんです。地域側の協力者として同席してもらっています。施設運用や導線面で意見をもらいます」


 美月は少し距離を置いて座り、資料に付箋を貼りながら笑顔で頭を下げた。


「広報・記録担当の美月です。議事録と、当日の案内資料の作成を担当します。必要な情報を、誤解が出ない形に整えます」


 最後に市長が名乗る。


「市長だ。公共施設は市民の財産であり、文化の器でもある。今日はその器を、割らずに活かすために来た」


 セラフィナが、穏やかに頷いた。


「お招きいただきありがとうございます。私たちは祈りの合唱を捧げるため、この体育館を必要としています。音の響き、天井の高さ、人の導線。すべてが整って初めて、歌は届きます」


 ヴァルドは、短く言った。


「我らも同じだ。舞踏は闇の芸術。床の反発、照明の落ち方、観客の距離。……そして何より、日程は軽々しく動かせぬ」


 美月が、ペン先を止めた。

 勇輝は、美月の視線を一度だけ受け止めてから、やんわりと“落ち着け”の合図を送った。

 ここで反応すると、空気が釣られる。


 勇輝は、真正面から事実を置いた。


「本題に入ります。体育館の予約が、同じ日付で二重に確定していました。原因は、市側の処理とシステム挙動にあります。本来であれば発生させてはいけない重複でした。ご迷惑をおかけします」


 セラフィナは、胸の前で手を重ねた。


「謝意をもって受け取ります。けれど、私たちは既に合唱隊を編成し、祈りの段取りを組み、来訪者の導線も整えています。簡単に日程は変えられません」


 ヴァルドは、さらに低い声で続けた。


「我らも同様だ。舞踏は夜の潮と連動する。日程をずらせば、舞台が死ぬ」


 加奈が、ここで口を挟んだ。

 喧嘩を止める挟み方ではない。

 ただ、地面の目線を置く。


「まず確認していい? “本番”の時間。合唱は何時から何時まで。舞踏は何時から何時まで。そこがわかれば、できることが見える」


 セラフィナが書類を差し出す。


「午後二時、開場。三時、開演。終演は四時半。撤収は五時までです」


 ヴァルドも、同じように書類を出す。


「我らは夜。六時入り。七時開演。九時終演。撤収は十時まで」


 勇輝は、頭の中で予定表を広げた。

 ……被っていない。

 驚くほど、被っていない。


 管理担当が、慌てて補足する。


「“全面使用”が同じ日で……システム上は、一日通しで押さえた扱いになっています。準備とリハーサルを含めての全面、という申請でした」


 勇輝は、静かに息を吐いた。

 詰んでいない。

 ただし、何もしなければ詰む。


「ありがとうございます。整理します。両団体とも“全面使用”を希望しているのは、準備とリハを含めての確保が必要だから。つまり、“時間帯”で分割し、転換時間を確保できれば、両方成立する可能性が高い」


 市長が、わずかに口角を上げた。

 “道がある”という表情だ。


 勇輝は、提案書の一枚を差し出した。


「提案です。体育館の使用を時間帯で分割します。天界合唱隊は午前から夕方まで。魔界舞踏団は夕方から夜まで。間に転換時間を一時間確保し、市側で換気・清掃・照明切替を支援します」


 セラフィナが、丁寧に問い返す。


「転換の一時間で、音響機材の移動と、床の状態の調整まで可能ですか?」


 ヴァルドは、目を細めたまま言う。


「我らの闇は、闇であることが条件だ。天界の光が残れば、舞踏は死ぬ。香りも、残れば邪魔だ」


 美月が、思わず口を開きかけた。

 しかし勇輝が先に、穏やかに手を上げる。


「香りや光の“残り”も含めて、転換作業の項目に入れます。換気を最大に回し、香りの強いものは残さない。照明は、転換後に完全に切り替え、舞踏側の要求に合わせます。必要なら遮光幕も追加します」


 加奈が、現場の感覚で補足する。


「体育館って、換気扇のスイッチ、意外と見つけにくいんだよね。あと、床は湿りすぎても滑る。乾きすぎても舞踏で粉が立つ。清掃のやり方、最初に決めといたほうがいい」


 管理担当が、食い気味に頷いた。


「はい。床清掃は乾拭きとモップの組み合わせでいけます。転換担当の職員も増員します」


 ヴァルドが、低く言う。


「市がそこまで責任を持つのだな?」


 勇輝は、目を逸らさずに返した。


「持ちます。二重確定は市側の不備です。だから、市が動きます。責任を押し付ける形にはしません」


 セラフィナが、静かに頷いた。

 ヴァルドも、何も言わないまま、紙を指先で叩く。

 ――拒絶ではない。検討の仕草だ。


 ただ、異界の調整は一個通ると、次の一個が出てくる。

 運用はパズルで、しかもピースの形が動く。


「もう一点、確認があります」


 セラフィナが、声を少し落とした。


「合唱は、音取りが非常に繊細です。魔界の準備段階の低音や足音が混ざると、こちらの集中が乱れます。リハーサル中の外部音は、可能な限り遮断したい」


 ヴァルドが、すぐに返す。


「我らの足音は舞台だ。抑えるものではない。抑えろと言うなら、そちらが先に帰れば良い」


 火花が散りかけた。

 言葉だけで済んでいるうちは、まだ大丈夫だ。

 しかし放っておくと、言葉が空気を尖らせ、空気が人の態度を尖らせる。


 勇輝は、間に“手順”を置いた。


「音の混入は、時間帯の分割で最小化できます。魔界側の準備開始は、天界側の撤収完了後。待機も別室で行う。体育館の中に同時に入らない運用にしましょう」


 美月が、小声で勇輝にだけ囁く。


「別室、足りませんよね……会議室しか……」


 加奈が、すぐに言葉を拾った。


「喫茶ひまわり、待機に使っていいよ。お客さんには説明する。天界と魔界、同じ時間に店内に入ると、たぶん席の空気が面白いことになるから、時間帯は分けたほうがいいけど」


 セラフィナは、少し驚いたように目を瞬かせた。


「喫茶……というのは、人が飲み物を共にする場所、ですね」


「うん。飲んだり、落ち着いたり、打ち合わせしたり。そういうところ」


 ヴァルドが、興味を隠さずに言った。


「苦い飲み物はあるか」


「ある。濃いのも、もっと濃いのも」


「良い」


 セラフィナも、控えめに言う。


「甘いハーブティーがあれば、合唱の喉が整います」


「任せて。喫茶って、そういう“困った時の受け皿”にもなるから」


 市長が、妙に満足そうに言った。


「よし。喫茶ひまわりを中立の待機地とする」


「市長、条約みたいに言わない。運用です。運用」


 笑いが起きかけて、起ききらない。

 でも、その起きかけが大事だった。空気が少し柔らかくなる。


 最後の課題が残っていた。

 いちばん現実的で、いちばん厄介なやつ。


「観客導線です」


 勇輝が口にすると、管理担当が頷いた。


「同じ日に二公演となると、入れ替えのタイミングで混雑します。駐車場も、玄関も、トイレも……」


 美月が、ペンを走らせながら言った。


「しかも、“両方見たい”って人が絶対に出ます。出るのは悪くないけど、同じ列に並ぶと揉めます。揉めなくても、混ざると詰まります」


 勇輝は、即答しなかった。

 来るな、と言って止められるものではない。

 止めるより、流す。流れを作る。


 加奈が、指を折りながら言う。


「入口を分ける。誘導の色を分ける。列の看板を大きくする。あと、終演後の出る流れと、次の開場の入る流れを同じ場所に重ねない」


 市長が、落ち着いた声で言った。


「二つの文化が一日に咲くのは価値だ。だが混乱は価値ではない。混乱は怪我に変わる。怪我は信頼を削る」


 勇輝は、最終案を一枚にまとめてテーブルの中央へ置いた。


 【暫定運用案(第1版)】

 ・時間帯分割:天界 9:00〜17:00/魔界 18:00〜22:00(転換 17:00〜18:00)

 ・転換作業:市が換気・床清掃・照明切替を支援(安全管理・立入制限つき)

 ・待機場所:喫茶ひまわりを時間帯分離で利用(体育館への同時入場を避ける)

 ・観客導線:入口二系統、色分け誘導、スタッフ増員、駐車場整理

 ・情報発信:注意事項は統一文面で告知(刺激の強い表現は避ける)

 ・責任:市は重複確定の不備を認め、必要経費(追加清掃・誘導資材等)を負担する


 セラフィナが、ゆっくりと目を通し、顔を上げた。


「受け入れます。秩序が守られ、合唱が守られるなら」


 ヴァルドも、紙を見てから頷いた。


「良い。約束が守られるなら、我らも守る」


 勇輝は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。約束は守ります。守れる形に、こちらが整えます」


 美月が、勇輝の横で小さく息を吐いた。

 それが安堵だとわかるくらい、静かな音だった。


 加奈は、紙袋の口を少し開けてみせた。


「差し入れ、置いとく? 会議終わったら、みんなで甘いの食べよう。こういう話って、頭が固くなるから」


 管理担当が、救われた顔で頷く。


「……お願いします」


 市長が、会議の締めに向けて言った。


「では、本日の合意を“覚書”として残し、当日の動線と作業割りを明文化する。主任、議事録と合わせて回覧だ」


「回覧する前に、言葉を整えます。読み手が怖がらない文面にします」


「怖がらせないのは大事だ。怖がらせると、予約表そのものが怖いものになる」


 そうして、会議は“戦争にならず”に終わった。

 終わったというより、当日の現場に引き継がれた。

 行政の会議は、いつもそうだ。会議で終わるのではなく、会議で始まる。


 *


 当日。体育館は、朝から違う匂いがしていた。

 木の床の匂いに、少しだけ空気が澄んだような感覚が混ざる。天界側の来訪者が、玄関で小さく手を合わせている。住民はそれを見て、つられて背筋を伸ばす。


 勇輝は、誘導スタッフの配置表を手に、玄関前で全体を見渡した。

 色分けした矢印――白は天界、黒は魔界。

 仰々しいかと思ったが、実際に立ってみると必要だった。視覚のルールがあると、人は迷いにくい。


「美月、案内板の高さ、もう少し上げられる?」


「はい。目線より上にすると、写真にも入りにくいので、変に拡散されません。誘導はしやすくて、余計な“映え”にはならない位置でいきます」


「その感覚、今すごく助かる」


 午前中、天界の合唱隊が入り、体育館が“音の箱”になる。

 透明な声が天井に吸い込まれ、残響がふわりと降りてくる。

 住民の誰かが、ぽつりと呟いた。


「……なんか、肩の力が抜けるな」


 隣の人が、笑う。


「健康体操より効きそう」


 合唱の本番は、予定通り。

 来訪者の導線も崩れない。誘導スタッフが余計な声を出さず、必要なときだけ手を差し出す。

 こういう“静かな成功”が、役所の好きなやつだ。


 撤収も驚くほど丁寧で早かった。

 セラフィナが、最後に勇輝へ軽く会釈する。


「約束どおり、五時までに完全撤収します。転換の作業が始めやすいように」


「ありがとうございます。こちらも、転換をきちんと回します」


 そして、問題の転換一時間。


「換気最大。入口側も開けます。床清掃は乾拭きから。照明は……“暗い側”を優先。遮光幕、準備」


 勇輝の指示に、管理担当が走る。

 美月は貼り紙を貼り替える。白い矢印を一部外し、黒い矢印を増やす。

 加奈は喫茶ひまわりで待機組を受け入れ、時間帯ごとに席を分け、飲み物を出しながら空気を整えている。


 そして、市長は――誘導棒を持っていた。

 どこから持ってきたのか、ちゃんと反射板付きだ。仕事が早い。


「こちら、魔界の列。こちら、天界の列。交わるな……いや、交わるなら、今は“外”で交わってから、列は分けろ」


「市長、言いたいことはわかるんですけど、説明が高度です。今は単純にいきましょう。列は分ける。迷ったらスタッフに聞く。以上」


「承知した。単純にする」


 市長が素直に引くと、現場は回る。

 珍しい。だが、ありがたい。


 転換の終盤、ひとつだけ小さなトラブルが起きた。

 天界側の装飾の一部――白いリボンのような飾りが、換気の風でふわりと舞い上がり、体育館の梁に引っかかったのだ。


「取れますか?」


 管理担当が脚立を持ってきた。

 しかし梁は高い。脚立では届かない。


 美月が、すぐにメモを見ながら言う。


「えっと、こういうときは……」


 ヴァルドが、無言で手を上げた。

 団員の一人がするりと影のように動き、梁の下に立つ。

 次の瞬間、影が“伸びた”。ひょい、と飾りを掴み、静かに下ろす。


 セラフィナが、小さく頭を下げる。


「助かりました」


 ヴァルドは、淡々と返す。


「借りを作るのは好きではない。だが、今日は貸し借りではなく、運用だ」


 勇輝は、その言葉に少しだけ救われた。

 運用。

 言葉が現実を固定してくれる。


 夜。魔界の舞踏が始まる。

 低音のリズムが床を叩き、照明が闇を切り裂く。

 観客は息を呑み、誰かがぽつりと呟いた。


「……合唱とは、別方向で、心が整うな」


 終演後、ヴァルドが勇輝の前に来た。

 圧はまだある。けれど、視線の鋭さが“敵意”ではなく“評価”に変わっている。


「市は約束を守った」


「守れてよかったです。協力があったから回りました」


「……協力というより、邪魔をしなかっただけだ」


「それが一番助かることもあります」


 セラフィナも、静かに微笑んだ。


「秩序ある転換でした。あなた方の町は、強い。強さが“硬さ”ではなく、“柔らかさ”でできているのが素敵です」


 勇輝は、つい視線を加奈の方へやった。

 喫茶ひまわりの紙コップを抱えた加奈が、軽く肩をすくめる。


「役所だけじゃ無理だったでしょ」


「うん。今日は、ほんとに助かった」


 片付けが終わり、体育館の床がまた“ただの床”に戻る頃。

 市長が、ロビーで勇輝に近づいた。


「主任。今日の教訓は何だ?」


 勇輝は、即答しそうになって、いったん言葉を選んだ。

 教訓は一つじゃない。だが、まず一つ目はこれだ。


「予約システムは落とさない。落ちる前提なら、落ちたときの手順を作る。二重確定が起きたら、現場が倍では済まない」


「良い。二つ目は?」


「“全面使用”の定義を見直す。異界の団体は、必要があって全面と言う。だからこそ、時間帯と作業区分を最初からセットで案内する」


 市長は、満足そうに頷いた。


「そして三つ目だ。文化は、分ければ共存できる」


「それ、今日いちばん綺麗に聞こえるやつですけど、結局は時間割です。時間割の勝利です」


「時間割は平和の設計図だ。軽んじるな」


「軽んじてません。今日ほど時間割に感謝した日はないです」


 美月が、スマホを見せながら近づいてきた。

 画面には、短い告知文と注意事項。ハッシュタグも控えめだ。


「主任、見てください。落ち着いた感じで反応が伸びました。『同日開催』が面白がられる前に、“導線が丁寧だった”“安心して見られた”ってコメントが先に出てます」


「よし。それが一番いい」


「はい。ちゃんと“役所がんばった”じゃなくて、“来た人が安心だった”に寄せました。主語を間違えると変な方向に行くので」


「その判断も助かった」


 加奈が、紙コップを差し出す。

 苦いのに、温かい、いつもの味。


「コーヒー。転換の一時間、ずっと走ってたでしょ。落ち着いて飲んで」


「……うん。落ち着く」


 勇輝は、体育館の入口を振り返った。

 白い矢印のテープは剥がされ、黒い矢印も片付けられて、床には何も残っていない。

 何も残っていないことが、成功の証拠だ。


 公共施設の予約は、平和そのものだ。

 平和を平和のままにしておくのは、案外、手がかかる。

 けれど――手がかかった分だけ、町は「いつもどおり」をひとつ増やせる。


 市長が、どこか静かな声で言った。


「主任。明日は、何が起きると思う?」


 勇輝は、コーヒーを一口飲んでから返した。


「明日は明日で考えます。今日は“予定表が守れた日”として、まず一回、胸を張らせてください」


「いい。胸を張れ。守ったのは、予定表ではない。暮らしの順番だ」


「順番、守れましたね。今日のところは」


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転。

 ただし、体育館の予定表は――天界と魔界を一日で受け止めても、ちゃんと戻ってくる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ