第43話「落とし物係が死ぬ日:拾得物が魔剣と王冠」
市役所の朝は、平和に始まる。
……という建前で、だいたい何かが起きる。
開庁前の庁舎は、まだ人の声が少ない。廊下に響くのは、コピー機の立ち上がる音と、どこかの部署が淹れたインスタントコーヒーの匂い。
窓口のロールスクリーンは半分だけ上がっていて、そこから差し込む朝の光が床に薄い帯を作っていた。
総務課の片隅、壁際に寄せられた金属棚。
そこが「遺失物保管棚」——つまり、落とし物の一時保管場所だ。
本来ここに並ぶのは、傘が数本、手袋が片方、子どもの帽子、鍵のキーホルダー。
忘れられた日常が、番号札をぶら下げて静かに待っている場所。
だから、棚の前で若手職員が硬直している光景は、最初から絵としておかしかった。
「……勇輝主任……すみません、異世界経済部から呼び出してしまって……これ、どうしたらいいんでしょう……」
総務課の若手——名札には「佐原」とある——が、声をひそめて言う。
その手は、棚を指すようでいて、指していない。指したくない、と言っている。
呼び出された勇輝は、息を吸ってから近づいた。
嫌な予感は、こういう時に裏切ってくれない。
棚の上。
段ボール箱が二つ。
片方の隙間から、黒光りする刃が、遠慮なくはみ出していた。
「……これ、まず落とし物のジャンルじゃないよな」
思わず口に出した声は、佐原に対するものじゃなく、棚に対する愚痴だった。
金属棚が「私のせいじゃないです」と言いたげに見える。
刃は、ただの包丁のそれではない。
柄には金属の装飾が巻かれ、鍔には見慣れない紋章。刃の表面は磨かれているのに、なぜか周りの空気だけがひんやりしている。
そして、もう片方の箱——こちらの主張も相当だった。
ふたの隙間から覗くのは、金色の輪。宝石のきらめき。見るからに重そうな王冠。
棚が泣いている。いや、棚の向こうにいる総務課の人たちの心が泣いている。
「いつから?」
「昨日の夜です……当直の警備さんが、玄関で受け取ったって。
『拾いました』って一言だけで、名乗らずに置いて行ったそうで……」
「市役所に武器と王冠を置いて帰る、って……その人、落とし物の概念をどこかに置き忘れてないか」
佐原は「ですよね……」と力なく頷いた。
笑えない。笑える要素はあるのに、笑ってる場合じゃない。
勇輝は、まず周囲を見回した。
人が集まり始めている。総務課の先輩職員が遠巻きに様子を伺い、窓口担当が通りがかりに立ち止まり、誰かが「何それ」と口元を押さえる。
こうなると、次に起きるのは一つだけだ。
「主任! 聞きました! 落とし物棚が、今日は主役です!」
ぱたぱたと軽い足音。
美月が、スマホ片手に滑り込んできた。朝から目が妙に冴えている。こういう時の美月は、情報の匂いに一番早く反応する。
「……噂が回る速度、最近ちょっと怖いんだけど」
「だって、王冠ですよ? 王冠が落とし物棚ですよ?
落とした人の人生、いろいろ大丈夫なんですかってなりますよ!」
「なるけど、だからこそ今は静かに。写真も——」
「え、でも—— linker……」
美月の腕が、反射で上がりかける。
勇輝はその手首を軽く押さえて止めた。強く掴まない。ここで美月の勢いを折ると、別のところで勢いが暴走する。
「撮るのは後。いま一番怖いのは、変に拡散して『俺のだ』『いや私のだ』が殺到すること。
落とし物って、物より人が来るから」
「……あ、確かに。コメント欄、絶対に荒れるやつ」
美月は渋い顔をして、スマホを胸の前に引っ込めた。
えらい。たまにこういう自制を見せるから、現場が回る。
勇輝は佐原に視線を戻す。
「触った?」
「箱を開ける時に、ふたを……ちょっと……」
「ちょっと、の中に怪我は入ってる?」
「怪我はないです……ただ、箱の周りだけ、空気が冷たい気がして……」
勇輝は無言で一歩下がった。
冷気——ただの金属の冷たさではない。温度じゃなく、気配のほうが冷たい。
「よし。ここからは“危険拾得物”扱いにする。総務課だけで抱えない。俺が受ける」
「危険拾得物……そんな区分、ありましたっけ……」
「いま作る」
言い切ると、佐原の目が少しだけ救われた。
“ルールがある”というだけで、人は落ち着ける。
そのタイミングで廊下の向こうから、紙袋の揺れる音がした。
「おはよう。差し入れ持ってきたよ——って……」
加奈が現れ、棚を見た瞬間に足を止めた。
喫茶ひまわりの紙袋は、今朝に限って場違いなくらい平和の匂いがする。
「……え、なにこれ。市役所の棚に、魔王の忘れ物?」
「魔王のって決めるのは早い。早いんだけど……その予想、当たりそうで怖い」
「だよね。なんか、生活の棚じゃない光り方してる」
加奈の言い方が妙に的確で、勇輝は笑いそうになって、こらえた。
笑うと、状況が軽くなる。軽くなりすぎると、誰かが触る。だから、まだ笑えない。
「とにかく、これは棚から出す。
総務課の保管棚に置いていい種類じゃない」
「重量の話? それとも……」
「責任の話」
「うん、そっちだよね」
加奈は紙袋を棚から少し離れた机に置き、さっと周囲を見た。
人が増えている。遠巻きの輪が、好奇心の輪になりかけている。
「ねえ、勇輝。これ、見物が増える前に場所変えたほうがいいよ。
『触ってみたい』って気持ちは、止めるのが難しいから」
「同意。美月、誘導できる?」
「できます! えっと、『落とし物対応中につき立ち入り控えてください』の紙、作ります!
あと、“撮影は——”」
「撮影禁止って言い切ると反発出る。『安全のため距離を確保』にしよう」
「了解! 言い方、工夫します!」
美月が走り出す。
加奈は近くの総務課の人に声をかけ、自然なトーンで人を散らし始めた。
こういう時の加奈は、役所の拡声器より効く。
その背後で、ゆっくりした足音が近づいてきた。
「おや。朝から随分と華やかな棚だな」
市長だった。
スーツではなく、今日は動きやすい上着。出勤の早さが、妙に“現場寄り”の気配を出している。
口元だけ、わずかに上がっている。面白がっているというより、「厄介なものほど面白い」と言いたげな顔だ。
「市長、これを『華やか』で片づけないでください。棚が泣いてます」
「棚は泣かん。泣くのは担当者だ」
「……それも正解で嫌です」
市長は段ボールの隙間から覗く刃に目をやり、王冠の箱にも目をやった。
その視線が、少しだけ真剣になる。
「拾得物として受理したのか?」
「受理の前段階です。危険性がある。まず安全確保。
それと、持ち主が“誰か”で扱いが変わる」
市長は頷いた。
「確かに。武器は危険だが、扱いは定められる。
だが王冠は——持ち主が誰かで、話が外交になる」
「いきなりスケールを上げないでください。まだ“落とし物”です」
「落とし物の顔をして、市役所に置かれた可能性もある」
市長の言葉が、妙に現実的だった。
勇輝は嫌な方向の想像を抑えながらも、否定しきれない。
「……一旦、会議室で扱います。総務・法務・異世界経済部で臨時対応。
美月は広報、加奈は現場の支援枠で」
「私、現場枠って肩書き初めて聞いた」
「いま命名した。便利だから」
加奈が「はいはい」と笑い、紙袋からコーヒーを一つ取り出して勇輝の手元に置いた。
「飲んで。顔が固い。こういう時、顔が固いと周りが余計に固まるよ」
「……ありがとう。飲む」
それだけでも、少しだけ呼吸が戻った。
――遺失物法と異界の常識、ぶつかる
会議室の机の上には、段ボール二つ。
そして、誰も必要以上に近づかないように、テープで“ここまで”の線が引かれている。
総務課の佐原は、受理票の用紙を持ったまま、いつでも書けるのに書けない顔をしていた。
法務担当の職員は条文の冊子を広げているが、ページをめくる指が止まっている。
美月はスマホを膝の上に置いて、置いているだけで落ち着かない様子だ。
加奈は一歩引いた位置で全体を見渡し、市長は椅子に座りながらも姿勢は前のめり。
勇輝は一度、咳払いしてから言った。
「まず前提整理。
市役所が拾得物を受け付けること自体は、転移前から“窓口サービス”としてやってきた。最終的には警察へ引き渡すこともある。
ただし、異界転移後は“異界の物”が混ざる。ここが問題」
佐原が小さく頷く。
「……最近は、落とし物に『魔導ランプ』とか『妖精の靴』とか増えました……
でも、今回は……」
「今回は、武器と王冠」
勇輝が言うと、法務担当が言いづらそうに口を開いた。
「武器は、危険物として扱い、原則は警備・警察相当機関に——」
「問題は、その“相当機関”が異界側に跨ることです」
勇輝が受けて言う。
「ひまわり市の中には、異界住民がいる。
もし持ち主が異界の要人なら、こちらの法だけで処理すると摩擦になる。
逆に、異界の掟だけで動くと、市民の安心が崩れる」
市長が机を軽く叩いた。
「つまり、ひまわり市が“中立の預かり場”として機能できるか、という試金石だな」
「試されるの、落とし物係なんですよ……」
佐原の声が、震えるほど小さい。
勇輝は咄嗟に、彼の方を見る。
「佐原、君のせいじゃない。
いま必要なのは、手順を決めて守ること。責任は組織で持つ」
佐原の表情が、ほんの少しだけ戻った。
こういう一言を言うのが、主任の仕事だ。説教じゃない。背中を預かる仕事。
美月が手を上げた。勢いは控えめにしている。えらい。
「……告知って、どうします?
『落とし物あります』だけだと、心当たりの人、めちゃくちゃ来ません?」
「来る」
加奈が即答した。
「だって異界転移後のひまわり市、『心当たり』で生きてる人、多いもん。
『あ、それ私のかも』って言いながら、全然違うやつ持ってくる人もいる」
「あるある言うな……」
勇輝は額を押さえ、すぐに戻した。
“困ってる顔”を見せすぎると、現場が不安になる。
「告知は最小。『遺失物を預かっています。詳細は窓口で確認』。
写真は出さない。特徴も言いすぎない。
持ち主確認の質問を作る。拾得者にも、できれば名乗ってもらうけど……今回は無理そうだな」
市長が頷いた。
「拾得者を探すより、持ち主の確定が先だ。
そして、安全確保だ。主任、武器のほうは——」
そのときだった。
段ボールの中から、かすかな音がした。
——カタ……カタカタ。
会議室の空気が一斉に硬くなる。
佐原が椅子の背に張りつく。法務担当が条文冊子を落としそうになる。美月の瞳が怖いのに輝く。加奈は息を止め、市長だけが目を細めた。
「……今、動いた?」
加奈が言う。
勇輝は、動揺を飲み込んで頷いた。
「動いたな」
美月が、反射でスマホを持ち上げかけて、途中で止めた。
止めたのは勇輝が言う前だった。現場で学習している。
段ボールの隙間から、刃が“すっ”と持ち上がった。
物理的に持ち上がる、というより、箱の中で自分の居場所を主張している。
空気が一段、冷える。
暖房の設定温度じゃなく、背中の皮膚感覚が冷たくなるタイプの冷えだ。
「……やっぱり、普通の落とし物じゃない」
加奈が小さく言った。
勇輝は、机の上のテープラインより先に踏み込まないまま、声だけを強くした。
「全員、距離を保って。
佐原、保管棚に戻すのは無し。危険物保管庫へ移す……いや、その前に“扱える人”を呼ぶ」
「扱える人って……誰ですか!?」
美月が声をひそめたまま叫ぶ。
勇輝も内心は同じだが、ここで迷うと余計に不安が増える。
「異界の安全管理、封印、契約解除……そういうのに詳しい担当。
竜族観光組合の窓口に“安全管理担当”がいたはず。加奈、心当たりあるって言ってたな」
「いるよ。昨日のドラゴンの件の時、名刺もらった。
たしかドワーフで、名前は……グルムさんだったかな」
「よし。美月、連絡できる?」
「できます! 今すぐ! ……でも、その前に、状況メモとして——」
「写真じゃなくてメモで頼む」
「わ、分かりました! 文字で戦います!」
美月が会議室の隅で電話をかけ始めた、その瞬間。
王冠の箱が、静かに光った。
——ぽう。
淡い金色の光が、ふたの隙間から漏れた。
魔剣の冷気とは違う。冷たいではなく、“整う”ような気配。
場が勝手に正される。背筋が伸びそうになる。そういう圧。
「……そっちのほうが、むしろ厄介かもしれない」
勇輝が呟くと、市長が珍しく真顔で頷いた。
「象徴物は、武器より揉める。
持ち主だけでなく、『欲しい』という欲そのものを呼ぶ」
加奈が眉を寄せる。
「呼ぶって……人が寄ってくるの?」
「寄る。理屈じゃなく寄る。
だから、情報を出すな。出すと寄り道が増える」
美月が電話口で小声になりながらも必死に頷いているのが見えた。
“バズる”方向じゃない方へ、勢いを向けようとしている。えらい。今日はよくえらい。
そして、会議室のドアがノックされた。
「失礼します。総務課宛てに、落とし物の問い合わせです。ええと……『王冠を預かっていると聞いた』と……」
廊下側の職員の声。
早い。早すぎる。情報が漏れているというより、もう“匂い”で嗅ぎつけた人がいる。
勇輝は一瞬だけ目を閉じ、開けた。
「……窓口対応を分けます。
『王冠』という単語が出た時点で、相手には情報を与えず、本人確認の質問だけして一旦帰してもらう。
佐原、君は窓口の先輩と一緒に“聞き取り”のテンプレを作れる?」
「は、はい……!」
佐原の返事に少し力が戻った。
仕事になると、公務員は強い。
市長が小さく息を吐いた。
「来訪者の波は、もう始まったな」
「始まってほしくない波ほど早いです」
――そして来訪:安全管理担当(異界)
十分も経たずに、会議室の扉が開いた。
入ってきたのは背の低いドワーフ。
ヘルメット、反射ベスト、腰には工具。胸には札——しかも日本語で「安全第一」。
その姿が、妙に安心できて、逆に笑いそうになるのが悔しい。
「やあやあ。竜族観光組合・安全管理担当のグルムだ。
呼び出し内容は……なるほど。朝から元気な棚だな」
「棚は元気じゃないです。こっちが元気なくなります」
勇輝が返すと、グルムは短く笑った。
笑い方が、職人のそれだ。焦りを笑いで流すタイプ。
グルムは段ボールの魔剣に近づきかけ、テープラインの手前で止まった。
止まり方が、慣れている。
「……呪い剣だな。放っておくと勝手に“持ち主”を探しに動くタイプだ」
「動く……って、比喩じゃなく?」
「比喩じゃない。夜に廊下を歩く。
たいてい、警備員が泣く」
「泣く要素が増えた……」
加奈が低い声で言い、美月が「夜の廊下……」と想像して肩を震わせた。怖いのに面白がりが勝っている。危ない。
グルムは工具袋を開きながら続ける。
「まず、落とし物扱いで“持ち主不明”にすると呪いが強まる。
呪い剣は『私は誰のものだ』って契約で立ってる。
不明にされると、拗ねる。怒る。探す。歩く」
「拗ねる……」
勇輝は、言葉の選び方に一瞬だけ負けそうになった。
剣に機嫌がある世界を、役所の机に載せるな。
「じゃあどうする」
「契約解除。もしくは“預かり契約”に切り替える。
この市役所が一時的な預かり主だと認めさせれば、動きは止まる」
「認めさせるって……話が通じるんですか」
「通じる。通じないと危ない。だから通じるように作ってある」
グルムはそう言って、段ボールの側面に小さな金具を当てた。
金具はただの金属に見えるのに、当てた瞬間、冷気が少しだけ引っ込む。
「……ほら。これでいまは“静かにしろ”が伝わる」
段ボールの中で、魔剣がカタカタと震えた。
まるで不満そうに。
グルムは、低い声で叱る。
「落ち着け。お前はいま“拾得物”だ。勝手に歩くな。市役所の廊下は広くない」
魔剣が、ぴたりと止まった。
会議室が、一瞬だけ静まった。
その静けさが逆におかしくて、加奈が口元を押さえ、美月が目を丸くしている。
「……叱られると止まるんだ」
加奈が、信じられないものを見る顔で呟く。
「止まる。剣もだいたい、注意されると止まる。
止まらないやつは、そもそも落とし物にならない。戦争になる」
「戦争はやめてください」
勇輝が言うと、グルムは「同感だ」と短く頷いた。
そしてグルムは、王冠の箱に視線を向けた。
その視線だけで空気が変わる。
「……それは、触るな。絶対だ」
「やっぱり?」
美月が小声で言う。
「王冠は“呼ぶ”。
持ち主だけじゃない。欲しいやつも呼ぶ。
それに、持ち主が“持ち主である理由”そのものが付いてる。
つまり、迂闊に触ると——」
グルムは言葉を探してから、こちらの感覚に合わせるように言い直した。
「……役所の印鑑を、勝手に押すのと同じだ。
押したやつが“責任”を背負わされる」
「うわ……それ、急に現実的で怖い」
加奈が言い、勇輝も頷いた。
役所の印鑑は、笑えない。王冠も笑えない。
市長がゆっくりと口を開いた。
「つまり王冠は、“届け物”の可能性が高いな。
落とし物の顔をして、市役所に置かれた——」
「市長、推理は後で。まず保管」
勇輝は遮るように言って、すぐに語尾を整えた。
「……まず保管の手順を決めましょう。
グルムさん、こちらがやるべきことを、順番でください」
グルムは工具をいくつか机の上に並べながら、淡々と手順を口にした。
「一、魔剣は“預かり契約”に切り替える。これで動くのは止まる。
二、王冠は“隔離保管”。情報は最小限。
三、窓口対応の質問を作る。持ち主確認の鍵になる情報は、外に出すな。
四、今日中に異界の関係機関へ連絡。竜族観光組合だけじゃなく、王冠の可能性がある国——お前たちの言葉で言えば、領事館相当だ」
勇輝は頷いた。
「了解。
総務課、保管庫は“危険物”でなく、“重要物”枠も使う。
鍵の管理者を二名にして、開閉ログを残す。
美月、告知は『遺失物を預かっています』のみ。写真無し。特徴無し。
加奈、窓口の雰囲気が荒れそうなら、声のトーンで落ち着かせてほしい」
「任せて。喫茶の『混み合ってます』と同じ。
怒ってる人ほど、言葉が届く距離を作れば落ち着く」
「助かる」
美月が口を尖らせながらも頷く。
「……バズらない方向で、私、頑張ります。
たぶんこれ、私の人生で一番“静かに”戦う日です」
「静かに戦う、いい表現だ。今日の広報はそれで」
勇輝がそう言うと、美月の肩が少しだけ上がり、やる気が戻るのが見えた。
――窓口が荒れそうになる
その後、窓口には案の定、人が来た。
『王冠を預かっていると聞いた』
『剣が見えた、危ない、早く回収しろ』
『それ、うちの祖父の形見じゃないか』——祖父、王冠、形見。情報が混ざっている。
佐原は、勇輝の作ったテンプレを握りしめ、丁寧に聞き取りをした。
“特徴を言わせる”。
“触れた人だけが知っている情報を確認する”。
“本人確認のための質問を複数用意する”。
加奈は、窓口の横に立ち、並んでいる人たちに声をかけた。
「お待たせしてすみません。
順番に伺いますので、落ち着いて。寒い人は、玄関ロビーに椅子あります。
……あ、そこの方、前に詰めなくて大丈夫です。近づかなくていいですからね」
“近づかなくていい”を、角が立たない言い方で言えるのが、加奈の強みだ。
市役所の窓口は、言葉が硬いと硬く返ってくる。柔らかいと言いすぎると甘く見られる。
その間を、加奈は自然に歩ける。
美月は裏で、問い合わせのSNS投稿を見ながら“火種”だけを拾って潰していた。
「王冠の写真ある」
「剣、歩くらしい」
そういう嘘と本当が混じる投稿を、言い回し一つで沈める。
“否定しすぎない”。
“安全のため距離を”。
美月の指は今日だけ妙に真面目だった。
そして、グルムの作業が佳境に入る。
会議室。
段ボールの魔剣に、金具と紐のようなものが取り付けられていく。
紐は普通の縄に見えるのに、結び目が増えるほど冷気が落ち着いていく。
「……よし」
グルムが短く言った瞬間。
魔剣の刃が、ほんの少しだけ光を落とし、段ボールの中に収まった。
「これで歩かない。
預かり主は“ひまわり市役所”だ。
持ち主が現れるまで、お前は大人しくしてろ」
魔剣が“カタ”と一回だけ鳴った。
返事みたいで、勇輝はまた笑いそうになって、喉の奥で止めた。
「……これ、受理票にどう書けばいいんですか」
佐原が半泣きで言う。
勇輝は机の上の紙を取り、ペンを走らせた。
「品名:刃物(装飾あり)
特記事項:異界由来の契約物の可能性。安全管理担当の指導により預かり契約を設定。
保管:重要物保管庫、施錠、二名管理、開閉ログ記録」
「……行政文書って、結局なんでも書けるんですね……」
「書けるようにするのが、俺たちの仕事だ」
言いながら、勇輝は自分の声が少しだけ落ち着いているのを感じた。
手順ができると、恐怖は“作業”に変えられる。
――王冠の正体に、少しだけ触れる
王冠の箱は、重要物保管庫へ移された。
グルムは最後まで「触るな」と言い続け、勇輝はそれに従った。
ただ、移す前に“外観の確認”だけは必要だった。
持ち主確認のために、どんな特徴があるか。
写真を撮らず、言葉で記録する。
矛盾しているようで、役所ではよくあるやり方だ。
「……宝石は、青が三つ、赤が二つ。
内側に刻印がある。読み取れる文字は——」
勇輝が覗き込みながら呟くと、グルムが小さく息を吸った。
「その刻印、読み上げるな。耳が拾う」
「耳が拾う?」
「王冠は、耳がある。
いや、比喩だ。だが……聞いてるやつがいる。
欲が寄る。寄ると、厄介が増える」
勇輝は頷いた。
刻印の文字は、紙に書かず、保管庫の中の“閲覧専用記録”として封じることにした。
開閉ログがつく形でしか見られないようにする。
ひまわり市役所が、今日一番“役所らしい”対応をした瞬間だった。
市長が廊下を歩きながら、勇輝の横に並んだ。
「主任。今日の一件、落とし物係の手に余るように見えて、実は“信頼”の話だ」
「分かってます。
だから、ちゃんとやります。ちゃんと預かって、ちゃんと返す」
「うむ。返せる仕組みを作るのが行政だ」
市長は、派手な言い方をしなかった。
それが逆に、今はありがたい。
加奈が後ろから追いついてくる。紙袋は空になっていた。
「落ち着いた?」
「一応。
でも、今日中に“領事館相当”へ連絡って話が出た。
王冠の持ち主が、本当にそういう立場の人なら——」
「揉める?」
「揉める前に、こちらが先に礼を尽くす。
揉めるのは、礼を欠いた後だ」
加奈はそれを聞いて、少しだけ表情を和らげた。
「それなら、ひまわり市は大丈夫。
だって勇輝、礼を欠くの嫌いでしょ」
「嫌いっていうか……怖いだけだ。欠いた後が」
「怖がれる人は、ちゃんとやるよ」
加奈の言葉が、妙に胸に残った。
――そして、夕方
結局その日、王冠の“それらしい持ち主”は現れなかった。
魔剣も歩かなかった。
窓口の問い合わせは続いたが、テンプレと二名管理と、加奈の声と、美月の静かな広報で、なんとか大事故にはならなかった。
閉庁前。
総務課の遺失物保管棚には、いつもの傘と手袋と帽子が戻っていた。
佐原が棚を見つめて、ぽつりと言う。
「……棚が、落ち着いて見えます」
「落ち着かせたのは君たちだよ。
棚はただの棚。でも、棚の向こうに“担当者”がいる。
その担当者がちゃんと動けたから、今日が終わった」
佐原は、照れたように頷いた。
そして、ふっと笑って言った。
「……明日は、普通の落とし物がいいです。
鍵とか、傘とか、そういうの」
「ほんとそれ」
勇輝が言うと、隣で美月が小さく手を挙げた。
「主任。今日の件、タイトル、どうします?
“落とし物係が——”って言いかけたけど、やめときます。さすがに」
「やめとこう。
落とし物係は、死なない。死なせない。
代わりに、手順が増えるだけだ」
「手順、増えるのが行政ですね……」
美月は遠い目をして、でもすぐ笑った。
「でも、増えた手順、私、好きです。
だって、次はもっと早く守れるから」
加奈が「それ、いい言い方」と頷き、市長は廊下の先で一度だけ振り向いた。
「主任。明日、暫定マニュアルを文書化しよう。
“異界拾得物の一次隔離手順”。
それから、王冠のような象徴物の扱いも——」
「分かりました。
……できれば、次は傘でお願いします」
市長は声を立てずに笑った。
その笑い方が、今日は少しだけ“仕事の終わり”の顔に見えた。
ひまわり市役所は、今日も平和に始まり、だいたい何かが起きた。
それでも最後には、机の上に“次に備える紙”が残る。
それが、町の安心を作る。
落とし物棚が泣かない程度に——そう願いながら、勇輝は庁舎の明かりを落とした。




