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第41話「分別の地獄! スライムと資源ごみの融合体」

ひまわり市の朝は、いつだって“のどか”の皮をかぶっている。

 小鳥のさえずり、遠くの踏切、そして——本日の主役。


「……資源ごみの日か」


 市役所の裏口から出た勇輝は、鼻の奥をくすぐる“ちょっとだけ誇り高い匂い”に眉をひそめた。缶とペットボトルと段ボールが混ざった、あの独特の香り。人間の文明が一晩で生み出した成果が、静かに回収を待っている匂いだ。


 その“待ち”が、今日はいつもより騒がしい。


「主任っ! 緊急案件です! いま! すぐ! 見てください!」


 背後から、スニーカーが床を蹴る勢いで迫ってきた。

 美月が、市役所の階段を駆け下りてくる。両手にはスマホ。目はキラキラ、頬は赤い。——だいたいこの状態の美月は、災害か炎上のどちらかを運んでくる。


「落ち着け。まず深呼吸しろ。……で?」


「“分別”が! 崩壊しました!!」


「分別が崩壊……?」


 勇輝が聞き返した瞬間、美月はスマホ画面をぐいっと突き出してきた。


 そこに映っていたのは、自治会のごみ集積所。

 そして、ぷるんぷるんと光を反射しながらうごめく——緑色のスライム。


 ……だけなら、まだよかった。


 スライムの中には、ペットボトル、アルミ缶、空き瓶、プラスチック容器、なぜか金属ハンガー、そして「資源」用のネットまでが、まるごと取り込まれている。

 まるで透明ゼリーに文明の遺物を閉じ込めた、異世界式の琥珀細工だった。


「……なにこれ」


「スライムが資源ごみを食べました! いや、食べたっていうか、“溶かして合体した”っていうか! しかも今、めちゃくちゃ拡散してます!」


「拡散、ってSNSで?」


「はい! #ひまわり市スライム分別 ってタグが! もう——あっ、今も増えてる!」


 美月は画面をスワイプしながら息をのむ。

 投稿のコメント欄が、すでに地獄絵図だった。


「資源ごみの概念が異界に負けた」


「かわいいけど近寄りたくない」


「うちの町内会にも来て(来ないで)」


「市役所は説明しろ」


「分別は市民の義務です(スライムにも?)」


 勇輝は頭を抱えた。

 異世界転移してから、住民サービスはなんでも“異界対応”になる。水道も道路も観光もそうだが、まさか——ごみまで魔法的に難易度が上がるとは。


「美月。場所は?」


「第一自治会の集積所です! 喫茶ひまわりの裏手のところ!」


「……うちの目と鼻の先じゃないか」


「そうなんです! で、加奈さんも知ってると思います!」


 美月が言い終える前に、喫茶ひまわりの扉が勢いよく開いた。


「知ってるどころじゃないよ、勇輝!」


 加奈がエプロン姿のまま、息を切らして走ってくる。片手にメモ、もう片手に紙コップ。なぜかコーヒーが添えられているあたり、生活の現場のプロだった。


「今、店の裏の集積所が——“ぷるぷる展示会”になってる! お客さんが写真撮って、子どもが近寄って、町内会長さんが頭抱えて、もう大騒ぎ!」


「……展示会って言うな」


「だって、あれ見たら言いたくなるよ。缶とか瓶がキラキラしてて、妙に映えるんだもん」


 映える、じゃない。

 回収ができない。衛生面も危険だ。何より、ルールが崩れると町は一気に崩れる。地方自治は“積み木”なのだ。一本抜けたら、全部倒れる。


 そのとき、背後からのっそりと影が伸びた。


「ふむ。これは新しい“資源化”の可能性だな」


 市長が、いつもの独特の笑みを浮かべて立っていた。

 手には紙資料と、なぜか作業用の軍手。


「市長、今日は開庁前ですよ?」


「だからこそ現場だ。役所は机の上で完結しない。……それに、このぷるぷるは見ておきたい」


「見ておきたいで済む話じゃないです」


 勇輝が言うと、市長は軍手をはめながらうなずいた。


「よし。現場へ行こう。主任、対応方針を決めるぞ」


「方針って、まずは回収——」


「回収の前に、分類だ」


「……そこから!?」


 勇輝の心の中で、分別表が紙吹雪みたいに舞った。


集積所、そこは“文明とゼリー”の最前線


 現場は、すでに人だかりだった。

 町内会のベテランが腕を組み、若い親が子どもを引き戻し、スマホを掲げた観光客(異界出身含む)が「すごい」「かわいい」「近づくな」を同時に叫んでいる。


 その中心で、融合体が——ぷるん、と揺れた。


 ぴちゃ。

 ……ぴちゃぴちゃ。


 中のペットボトルが、ゆっくりと回転している。

 缶が、沈んで浮いてまた沈む。

 透明なゼリーの中で、ラベルだけが妙に鮮明だった。


「これは……資源ごみの回収車、無理だろ」


 勇輝は呻いた。

 回収は基本、袋やネット単位で行う。だがこれは、袋の外側にスライムが“容器”として存在している。つまり——袋が生きてる。


「主任、あの、触っていいですか?」


「ダメだ!」


 美月が指を伸ばした瞬間に止める。

 だが市長は、すでに近づいていた。


「……ぷるん」


「市長、触らないでください!」


「いや、触ってはいない。触れそうで触れない距離で、文明の難しさを感じているだけだ」


「その距離で感じる必要あります!?」


 加奈は町内会長に近づいて、手際よく状況を聞き取っていた。


「朝、分別どおり出したんです。いつものネットに、缶と瓶とペット……そしたら、どこからかスライムが来て、ネットごと……ええ、吸い込んで……」


「ネットごと……」


 勇輝は目の前の現実を見て、頭を冷やすために深呼吸した。

 自治体の廃棄物処理は、勢いでどうにかならない。処理区分がある。責任がある。条例がある。——そして、住民の努力の積み重ねがある。


「まず確認。危険物は混ざってない?」


「スプレー缶は——出してないはずです!」


 町内会長が慌てて答える。

 勇輝は美月に視線を送った。


「清掃担当の班に連絡。回収車は一旦止めてもらう。現場には近づかないよう注意喚起。加奈、子どもたち下げられる?」


「任せて。お菓子じゃなくて“言葉”で下げてくる」


「それ、逆に怖い言い方だな……」


 美月がその場でSNS用の注意文を打ち始める。

 加奈は、町内会のママたちと自然に連携して、子どもを誘導していく。喫茶の看板娘の人望は、役所の広報よりも速い。


 市長は一歩下がって、勇輝の横に並んだ。


「さて、主任。分類はどうする?」


「……分類、ですか」


「廃棄物処理は“分類”で半分決まる。燃える、燃えない、資源。だが——これは?」


 勇輝は融合体を見つめた。

 スライムは生物。資源ごみは物。ネットは道具。

 つまりこれは——生物が物を包んだ“複合体”。


「……新分類『スライム付着資源』ですかね」


「よし。名付けたな」


「名付けてません。今のは悲鳴です」


 そのとき、融合体がゆっくりと転がった。

 ぬちっ、ぬちっ、と地面を滑り、集積所の端に置かれた段ボールの山に向かっている。


「おい、段ボールに行くぞ!」


 町内会長が叫ぶ。

 段ボールは紙。紙は水分に弱い。スライムは……水分の塊。

 つまり、惨劇の予感しかしない。


「止める!」


 勇輝が一歩踏み出しかけた瞬間、加奈が横から紙コップを差し出した。


「勇輝、これ。冷たいアイスコーヒー」


「今!?」


「冷たいのが効くと思う。スライムって温度で動き鈍るって、前に誰か言ってた」


 確かに、異界の生物の中には温度変化に弱いものがいる。

 勇輝の脳内で、行政マニュアルの隅に書かれていない“現場知”が点灯した。


「……やってみる」


 勇輝はアイスコーヒーを、融合体の進路の前に——そっと、流した。

 地面に広がる冷たい液体。香ばしい匂い。

 スライムは、その手前でぴた、と止まった。


「止まった……!」


 周囲がざわめく。


「ほら! 効いた!」


 加奈が小さくガッツポーズをする。

 美月は即座にスマホで撮影しながら叫んだ。


「『スライムは冷たい飲料で止まる』! これ、拡散——」


「拡散するな! 真似する人が出る!」


 勇輝は慌てて止めた。

 市長は満足げにうなずいた。


「よし、方針は決まった。冷却して動きを止め、回収物を取り出す。問題は——どうやって取り出すかだな」


「取り出すって……スライムから?」


「スライムは生物だ。傷つけずに、資源だけを戻すのが理想だ」


「理想高っ」


 でも、ひまわり市はもう“異界の町”だ。

 理想の方が現実より先に必要になることが、増えている。


ひまわり市、臨時ルールを作る


 勇輝は清掃担当の職員(今日も顔が青い)と合流し、急ごしらえの作戦会議をその場で開いた。


スライムは冷却で鈍る(ただし個体差あり)


資源物はできるだけ汚さずに回収したい


住民が近寄らない導線確保


次回以降の再発防止


 結論はシンプルだった。


「臨時の“スライム分別ステーション”を作る」


 市長が言い切る。


「え、ステーション?」


「この集積所だけで終わらない。今日が第一号なだけだ。異界生物が生活圏に馴染めば、同じことは起きる」


 勇輝は頷くしかなかった。

 自治体は“起きたこと”に対応し、“起きること”に備える。そういう生き物だ。


「美月。ポスター案、今つくれる?」


「任せてください! スライムのかわいいアイコンも入れます?」


「かわいくするな。危険表示を優先」


「でもかわいい方が見てもらえます!」


「……両方だ。かわいくて怖い顔にしろ」


「器用な注文きた!」


 加奈は町内会長に頭を下げ、事情説明を手伝いながら、住民を落ち着かせていく。

 「今日は回収遅れます」「危ないので近づかないで」「スライムは悪くないです、たぶん」という、絶妙に不安を増やす言葉を、なぜか安心感のある声で包んで伝える。


 清掃担当の職員が、手袋と大きめのタライ、そして大量の氷を運んできた。

 氷でスライムの外側を冷やし、動きを止め、ネットごと“ほどける”ように資源を取り出す。少しずつ、ゆっくり、丁寧に。


 作業はまるで、巨大ゼリーの解体ショーだった。


「うわ……缶が、綺麗……」


 誰かが呟く。

 スライムの体液(?)が、なぜか洗剤みたいに汚れを落としている。ペットボトルがぴかぴかだ。


「なんで綺麗になるんだよ……」


 勇輝が呆れた声を出すと、市長は嬉しそうに言った。


「洗浄機能つき資源回収スライム。これは——」


「商品化しません!」


 勇輝の即答に、周囲が笑った。

 笑いが起きた瞬間、場の緊張が少しだけ解ける。こういう小さな緩みが、役所の現場には必要だ。


 最後に残ったスライムは、タライの中でぷるん、と小さく震えた。

 目も口もないのに、なぜか“しょんぼりしている”ように見えるのが腹立たしい。


「……君も悪気はないんだろうな」


 勇輝が小声で言うと、加奈が肩をすくめた。


「資源ごみ、キラキラして美味しそうに見えたんじゃない? 人間だって新作スイーツ見たら吸い寄せられるし」


「比較対象が軽すぎる」


 美月がスマホを掲げて、告知文を読み上げる。


「臨時ルール、できました!

『スライムが接触した資源ごみは、無理に剥がさず、そのまま職員へ連絡。近づかず、安全確保。市が回収します』

あと、ポスターに“ぷるぷる注意”って入れました!」


「言葉が雑!」


「でも伝わります!」


 市長が満足げに頷く。


「よし。今日の教訓はこうだ。異界対応は、制度の外から来る。だから制度を育てるのが、我々の仕事だ」


「……市長、たまにすごく格好いいこと言いますよね」


「たまに、ではない。常にだ」


「いやそこは、たまにでいいです」


 加奈が笑って、勇輝の腕を軽く肘でつついた。


「でも、こういうの見てるとさ。ほんとに“町”って、みんなで回してるんだなって思うよ」


「……だな」


 資源ごみの日が、ただの“作業日”じゃなくなる。

 異界のぷるぷるが一つ混ざっただけで、住民も職員も、ルールも、全部が試される。


 それでも——ひまわり市は今日も、ちゃんと回った。


 市長が、いつもの独特の笑みを浮かべる。


「さて主任。次は何が来ると思う?」


 勇輝は遠い目をした。


「……できれば、静かなやつでお願いします」


 その願いが、叶う気はしなかった。


次回予告(第42話)


「苦情センター爆発! ドラゴンのいびきは騒音か」

深夜、町に響く“ゴォォォ…”という低音。原因は——まさかの観光客ドラゴン!?

生活環境担当、そして加奈の“常識”が火を吹く

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