第30話「空飛ぶ役所、発進!」
■朝・ひまわり市庁舎
朝の庁舎。
異界に浮かぶ町・ひまわり市の朝は、いつも少しだけ空気が澄んでいる。
夜の魔力の余韻が薄れ、人の営みが前に出てくる時間帯だ。
職員たちはそれぞれの部署へと足を運び、
コピー機の起動音、書類をめくる紙の音、
窓口のシャッターが開く規則的な金属音が、
庁舎という「日常の装置」を静かに動かし始めていた。
いつも通りの平和な朝……のはずだった。
だが、勇輝はふと違和感を覚える。
庁舎の廊下を歩いているにもかかわらず、
どこか“足元が落ち着かない”。
視線を上げた先、会議室の大きな窓。
そこから見える空の色が――おかしい。
だが、窓の外――空の色が歪んでいた。
青空の上に、もう一枚、揺れる魔法の空が重なっている。
まるで世界が二層構造になったかのような、不安定な重なり。
異界に来てから幾度も“異常”を見てきた勇輝でさえ、
これは直感的に「良くない」と感じる光景だった。
加奈が資料を抱えたまま、窓辺に立ち尽くしている。
「……え、空が、二重になってます!?」
「まさか、異界気象庁の警報なしに異常気象か!?」
その瞬間だった。
突然、庁舎全体が揺れ始める。
床がきしみ、壁の中で何かが軋む音がする。
コピー機が跳ね、天井灯がきらめく。
美月は反射的に机を押さえた。
広報課の彼女は、災害時の初動対応を身体に叩き込まれている。
(これは……揺れ方が違う……!)
「地震!? いや、上昇してる――!?」
庁舎の窓から見下ろすと、町の地面がどんどん遠ざかっていく。
見慣れた市役所前の広場。
商店街の屋根。
遠くの温泉街の湯けむり。
それらすべてが、ゆっくりと下へ離れていく。
庁舎ごと、ゆっくりと空へ浮かび上がっていた。
■昼・上空1,000メートル
庁舎が、まるで巨大な浮遊船のように浮かぶ。
窓の外に広がるのは、地上とはまったく別の景色。
雲海が足元に広がり、その下に小さくなったひまわり市が見える。
美月は思わず喉を鳴らした。
(市役所が……飛んでる……)
「し、新庁舎が……飛んでますっ!?」
「なにがどうしてこうなったぁぁぁ!?」
その叫びに応えるように、
屋上のハッチからぬっと顔を出す影があった。
ドラン(ドワーフ技師)だ。
煤と油にまみれた作業着。
まるで「原因は俺だ」と言わんばかりの登場だった。
「いやぁ~、すまん! 温泉の地脈を安定させようとしたら、
庁舎の魔力循環と共鳴しちまってのう!」
「だから温泉整備で庁舎が飛ぶなってぇの!!」
美月は額に手を当てた。
(この説明、どう市民に出すの……)
■午後・空中庁舎運営
やむを得ず、庁舎職員たちは“空中行政モード”へ。
それは誰かが決めた正式名称ではない。
だが、今この瞬間、
「役所が空にある」という非常事態を処理するための
即席の共通認識だった。
窓口職員は魔法通信端末を並べ、
総務課は避難計画と落下時想定図を同時進行で作成する。
「地上の市民から、問い合わせが殺到してます!」
「“住民票の空中申請”とか前代未聞だぞ!」
美月はすでにSNS用の第一報を書き上げていた。
――《現在、市庁舎は魔力異常により浮遊中ですが、行政機能は継続しています》
ルナ(動物保護課)が窓から外を見て叫ぶ。
「勇輝さん! ドラゴン型の飛行生物が接近してます!」
「まさか、空の不法侵入者!?」
モニターには、空中を滑空する巨大な影――天空商人ギルドの飛行船。
無線(魔法通信)
「こちら天空ギルド。貴市の空域進入について、課税手続きを求めます。」
一瞬、全員が沈黙した。
「いや、逆に俺らが課税されるの!?」
美月は内心で叫んでいた。
(空にも税金がある世界、ほんと厄介……!)
■夕方・空中交渉
庁舎屋上で、天空ギルド代表レヴィアンと対峙。
彼は翼を持つ青年――冷静かつ交渉巧者。
風にたなびく翼。
その姿は、どこか“空の支配者”を思わせた。
レヴィアン
「空域使用料を払ってもらおう。
この空は、我々の“流通ルート”だ。」
「……異界行政に“空の固定資産税”ってあるのか!?」
「ありません……でも作られそうです……」
美月はこの一言を、
絶対に公式記録に残さない と心に誓った。
だが、その緊張を切り裂くように――
庁舎下部から煙が上がる。
魔力炉の暴走――庁舎の浮力が不安定になっていた!
「落ちるぞぉぉぉぉぉ!!」
■夜・空中墜落阻止作戦
夜の空は、昼とは別の顔をしていた。
雲海は闇に沈み、月光だけが輪郭を与えている。
高度一千メートル――その数字を正確に理解する者はいない。
だが、落ちれば終わりだという事実だけは、全員が本能で理解していた。
勇輝、加奈、ドランの三人が屋上へ駆け出す。
風が強い。
いや、違う。
庁舎そのものが、空気を切り裂きながら沈み始めている。
魔力制御塔のコアは、もはや「機械」ではなかった。
暴走する魔力が可視化され、
心臓のように脈打ちながら、青白い光を放っている。
(……まずい)
美月は屋上に出る一歩手前で足を止めた。
広報課の人間として、
そしてこの町の職員として、
“最悪の瞬間”を記録する役割が、無意識に身体に染みついている。
――でも。
(これは……記録しちゃいけない)
今、ここにあるのは「事件」じゃない。
人が町を支える瞬間だ。
「魔力炉、手動で止める! 加奈、非常回路を起動!」
その声は怒鳴っているのに、
不思議なほど真っ直ぐだった。
恐怖を押し殺した声ではない。
覚悟を決めた人間の声だった。
「了解です!」
加奈の指は震えていた。
だが、それでも迷いなく魔法回路へと手を伸ばす。
(……怖い。でも)
(勇輝さんが前にいる)
ドラン
「儂が風圧を調整する! 庁舎の重量を固定せい!」
老ドワーフの背中は小さい。
だが今は、この空の中で、
誰よりも大きく見えた。
庁舎が急降下する。
耳鳴り。
内臓が浮く感覚。
美月は思わず手すりを掴んだ。
(……落ちる)
その瞬間――
勇輝は、ためらいなくコアへと踏み込んだ。
魔力の奔流が、皮膚を焼く。
理屈じゃない。
行政職員として、ひとりの市民としての直感が叫んでいた。
――ここで止めなきゃ、全部終わる。
「――『行政令第零条・市民を守るための緊急措置』ッ!!」
魔法札が叩きつけられる。
それは呪文でも、正式な魔導式でもない。
“この町は落とさない”という意思そのものだった。
光が弾ける。
空気が一瞬、凍りついたように静止する。
次の瞬間――
庁舎の揺れが、止まった。
落下が、止まった。
雲間に広がる月光が、
ゆっくりと庁舎全体を包み込む。
まるで、
「よくやった」とでも言うように。
加奈(息を整えながら)
「……落ちませんでした……!」
その声で、ようやく現実に戻る。
勇輝は膝に手をつき、大きく息を吐いた。
「この町、ほんとに毎週災害級イベント起こるな……」
美月は、少し遅れて屋上へ出た。
夜風に髪を揺らしながら、
静かにスマホを構える。
画面に映るのは、
雲の上に浮かぶ、傷だらけの市役所。
(……でも)
(この町は、ちゃんと立ってる)
■ラスト・空の夜景
庁舎の屋上から見下ろす、雲海の夜景。
雲の切れ間から、地上の灯りが瞬いている。
それは宝石みたいでも、幻想でもない。
生活の光だった。
「上から見ると、ほんとにきれいですね。」
加奈の声は、どこか遠くを見るようだった。
勇輝も、同じ方向を見つめる。
「ああ。だけど、地に足をつけて生きるのが、町の本当の強さだ。」
その言葉に、美月は小さく息を吸った。
(……そうだ)
(派手じゃなくていい)
(でも、この町は――ちゃんと生きてる)
やがて、庁舎はゆっくりと高度を下げていく。
地面が近づき、
見慣れた街並みが、現実の輪郭を取り戻す。
ひまわり市、無事着陸。
誰かが拍手したわけじゃない。
歓声もない。
それでも、
この夜を越えたという確かな実感だけが、
全員の胸に残っていた。
『異界に浮かぶ町、ひまわり市』
― 第30話「空飛ぶ役所、発進!」END ―
次回予告 第31話
「異界バレンタイン・チョコ行政」
魔導チョコが“感情を可視化”!?
想いが暴走し、庁舎中が告白パニックに――!
加奈のチョコが勇輝に届くその時、
謎の“異界愛情審査会”が召喚される!?
ひまわり市、恋愛行政の章へ突入。




