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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第29話「消えたご当地マスコット!?」

――町の顔がいない朝は、思った以上に騒がしい。


◆朝・ひまわり市庁舎前


 朝の空気は、どこまでも穏やかだった。

 露に濡れた石畳はひんやりして、庁舎前の花壇からは、土の匂いと一緒に甘い草の香りが立ち上がる。異界の鳥は相変わらず見たことのない色で、鳴き声だけがやけに「いつも通り」に聞こえた。


 だからこそ、その“空白”が目に刺さった。


 庁舎前の広場。来庁者を迎える位置に、必ず立っているはずの黄色い影。

 ご当地マスコット「ひまリスくん」の定位置が――空っぽだった。


「……え?」

 誰かの声が小さく落ちたのを合図に、ざわめきが湧き上がる。


「今日、出てないの?」

「担当さん、遅刻?」

「いや、衣装のメンテ日だったっけ?」

「ねえ、台座に足跡もないんだけど」


 最初は軽い笑い混じりの確認だった。

 けれど、笑いは長続きしない。いつもの場所に“いつものもの”がない。それだけで、人は勝手に不安を膨らませる。ましてこの町は、異界に浮かぶ。消える理由がいくらでも思いついてしまう。


 自動ドアが開き、勇輝が庁舎から出てきた。

 まだコートの襟元に朝の冷えが残る時間帯。目の前の人だかりを見て、彼は一瞬で空気を掴んだ。


「……何か、起きてるな」


 視線の先。台座の上にあるべき黄色がない。

 代わりに、風に揺れるだけの小さな立て札がひとつ、ぽつんと残っていた。


 そこへ、庁舎内から駆け足の音。

 加奈がタブレットを抱えて飛び出してきた。顔色が明らかに悪い。息が整っていないのに、言葉だけは先に飛び出す。


「ゆ、勇輝さん! ひまリスくんが……ひまリスくんが、いません!」


「……“出てない”じゃなくて?」


 勇輝は、念のための確認を口にした。冗談に見える言い方でも、現場では確認が命だ。

 でも加奈は首を振り切るように振る。


「着ぐるみ担当の方、出勤してます。更衣室を開けてもらったんですけど……中身も、衣装も、備品も。丸ごと、ありません」


 周囲のざわめきが、ひゅっと空気を吸い込んだ。

 “中身も”という単語が、笑いの余地を瞬時に奪う。


「担当さんが無事なら、まずそこはよかった」

 勇輝はそう言いながらも、眉間のしわが深くなるのを止められなかった。

「……でも衣装がないって、どういう消え方だ」


 加奈がタブレットを見せる。画面には、総務から上がってきた緊急メモ。


『更衣室鍵:閉まっていたが、保管棚の封印札が剥がれている。破損痕あり』

『防犯結界ログ:当該時間帯のみ“かすれ”』


 紙の世界でも魔法の世界でも、“ログがかすれる”はだいたい面倒なやつだ。


 勇輝は台座の前に歩み寄り、立て札をそっと持ち上げた。

 紙は妙に上質で、筆致は妙に丁寧で、そして――本文が妙に詩的だった。


『ヒマリスは異界の闇に消えた

 笑顔の光が強すぎる時、影は自らを持つ。

 今宵、真の均衡を示そう。』


「……なんで書き置きが、広報誌の巻頭ポエムみたいなんだ」

 勇輝は、疲れたように息を吐いた。


 加奈が帽子らしき小物を拾い上げる。ひまリスくんの頭に乗る、ミニひまわりの飾り付き。

 その縫い目は綺麗で、だからこそ“置き方”が整いすぎているのが気になった。


「置き忘れ、じゃないですよね……見せびらかしてる」


 その背後で、硬直している人影があった。

 美月だ。カメラ機材の入ったバッグを胸に抱え、動けないでいる。広報担当として、最悪の朝を前にした時の顔だった。


 マスコット不在。

 人だかり。

 それらを煽りかねない詩的な札。

 そして、すでに誰かがスマホで撮り始めている。


(落ち着け。落ち着け……まずは“市の見解”を出す。次に“捜索中”。それから“協力のお願い”……)

 美月の頭は、体が動く前に文章を組み上げていた。


 勇輝は、広場に集まった人たちへ向けて声を張りすぎないように言った。

 怖がらせない。でも曖昧にもしない。役所の声は、その中間に置く。


「皆さん、ちょっとだけこちらで確認します。危険なものではないと思いますが、念のため台座周りには近づかないでください。……加奈、総務に“人の安全優先”って伝えて。美月は、今すぐ投稿しないでいい。まずは公式が先だ」


「はい!」

 加奈は即座に走り出す。


「わ、わかってます! でも……もう回り始めてます。タグ、出てる……」

 美月は唇を噛んでスマホ画面を伏せた。


 庁舎の“顔”がいないだけで、町の体温が上がる。

 勇輝はそれを肌で感じながら、帽子をそっと戻した。


「……よし。事件として扱う。大げさにしない。だけど、甘くもしない。いつものやつだ」


◆午前・庁舎内 緊急対策ミーティング(広報・観光・総務合同)


 会議室の扉が閉まると、外のざわめきが少し遠くなった。

 代わりに、机の上に並べられたものが目に入る。


 ひまリスくんの写真パネル。

 イベント用のうちわ。

 観光パンフレットの原稿。

 子ども向けのスタンプカード。

 そして、着ぐるみ管理簿――“公有備品”としての台帳。


 たった一体のマスコットなのに、町の色んな部署が関わっている。それが、この町の現実だった。


 観光課長の仁科が、紙束を握ったまま肩を落とす。


「今月の『異界観光フェア』の目玉が……ひまリスくんなんです。ステージにも、ポスターにも、グッズにも……町の顔なんです」


 総務の係長が淡々と報告する。


「更衣室の鍵は施錠。保管棚も施錠。ただし封印札が剥がされていました。物理的な破壊痕より、魔力的な“ほどき”の痕が濃いです。防犯結界ログが当該時間帯だけ薄い。相手は、ここに慣れている可能性があります」


 加奈は資料の端を押さえながら、慎重に口を開いた。


「それと……“中の人”の方は出勤してます。朝、着替えに来て初めて気づいたそうです。今は別室で待機してもらってます」


「人が無事なら、それが一番だ」

 勇輝は頷く。言い切ることで、場の焦りを少し落とす。

「ただ、衣装が公有備品として消えた以上、これは“盗難”か“持ち去り”。それに……札の内容を見る限り、狙ってやってる」


 美月が、すでに作りかけの文面を机に置いた。


「発信の方、案を二つ持ってきました。ひとつは『現在、確認中です。ご心配をおかけしています』。もうひとつは『捜索を開始しました。目撃情報をお寄せください』。……ただ、言葉選びが難しいです。“誘拐”って書くと煽りますし、“行方不明”だと軽く見えます」


 勇輝はしばらく沈黙して、紙に指を置いた。


「“盗難の可能性を含め、所在確認中”。これでいこう。人の安全が絡んでるわけじゃないから、煽らない。でも、動いてることは見せる」


 観光課が慌てて口を挟む。


「でも『盗難』って言ったら、観光イメージが……!」


「隠して後で出た方が、もっときついです」

 加奈がきっぱり言う。声は強いのに、刺す感じがない。現実を踏む声だった。

「“隠してた”って思われる方が、町の信用が揺らぎます。今は、正直に、でも必要以上に怖がらせない言い方を選びましょう」


 美月が小さく頷いた。

 言葉は、矛盾した要求に耐える道具だ。今はその力が試されている。


 勇輝は次に、机上の台帳へ視線を移した。


「捜索は二本立てで行く。ひとつは物理――倉庫、搬出経路、出入り業者。もうひとつは魔力――封印札をほどいた痕から追う。……それと、札の文体。これ、どこかで見た感じしないか?」


 総務係長が首をかしげる。


「文体……詩的というか、宣言というか」


「“広報っぽい”んですよ」

 美月が、苦い顔で言った。

「悪意があるというより、“魅せること”が目的の書き方です。……市の広報じゃない。けど、広報の人間が書いた可能性はある」


 観光課長の仁科が、ふと思い出したように言う。


「異界側に、広報を専門にするギルドがありましたよね。確か……“異界広報ギルド”。イベントのチラシ、翻訳も頼んだことがある」


 勇輝は頷き、決断を早くすることで、全体を前に進めた。


「よし。ギルドに当たる。加奈、連絡ルートある?」

「あります。以前、温泉の開業式で窓口になってくれた人が……ええと、“フェリナ”さんだったはず」


 美月が顔を上げる。


「その人、情報屋みたいに動くタイプです。噂の取り方がうまい。……こういう時は、ありがたい」


 勇輝は立ち上がり、最後に全員を見回した。


「今日の目的は二つ。ひまリスくんを取り戻すこと。もうひとつは、町の不安を広げないこと。どっちも同じくらい大事だ。……動こう」


◆正午・市民課窓口 “ひまリスくんの失踪届”が来る


 会議が終わってすぐ、勇輝が廊下を歩いていると、窓口から手招きがあった。

 市民課のカウンター。そこに立っていたのは、小学生くらいの男の子と、その母親だった。男の子は拳を握りしめ、目元を赤くしている。


「主任さん……」

 母親が困ったように頭を下げる。

「すみません、うちの子が……どうしても言いたいって」


 男の子が、カウンター越しに身を乗り出した。


「ひまリスくん、いなくなったんでしょ。……ぼく、失踪届、出したい」


 周りの職員が一瞬固まって、そして、誰からともなく視線が勇輝に集まった。


 勇輝はしゃがみ込んで、男の子と目線を合わせた。

 急いでいるのに、急いで見せない。ここを間違えると、町の不安は倍になる。


「出してくれるの、ありがたい。……ただ、失踪届って言葉は、人の時に使うんだ。ひまリスくんは“町の備品”で、でもみんなの大事な存在で……ややこしいな」


 男の子は唇を結んだ。泣くのをこらえる顔だ。


「じゃあ、どうしたらいいの」


「こうしよう」

 勇輝は、カウンターにあったメモ用紙を一枚もらい、ペンを取る。

「“目撃情報カード”を作る。見たこと、聞いたこと、教えてくれたら、役所がちゃんと探す。君の情報が、ひまリスくんを戻す力になる」


 男の子の目が、少しだけ開いた。


「……ほんと?」

「ほんと。役所は、そういうところは真面目だ」


 加奈が横から、そっと色鉛筆を差し出す。


「書くのが難しかったら、絵でもいいよ。色もつけられるし。……ひまリスくん、黄色だもんね」


 男の子は小さく頷き、紙にぎゅっと黄色い丸を描き始めた。

 母親が、ほっと息を吐く。


 勇輝は立ち上がり、市民課の職員へ目で合図した。


「目撃情報カード、窓口に置こう。子どもでも書けるやつ。……“お願い”の文章も短めで」


「了解です」

 職員が頷く。


 勇輝は廊下へ戻りながら、胸の奥が少し重くなるのを感じた。

 町の顔が消えるって、こういうことだ。数字やブランドだけじゃない。子どもの涙が直撃する。


◆午後・庁舎地下 備品保管室と更衣室


 備品保管室は、無機質な棚とタグで満ちていた。

 異界に来てから増えたのは、普通の備品だけじゃない。“魔力対応”と書かれた箱がいくつもある。結界札、予備の発声魔石、着ぐるみ用の通気魔導具、汗抜き布――汗抜き布に“魔導”がつく町は、もう説明するだけで長い。


 更衣室の扉の前で、着ぐるみ担当の職員が肩をすくめた。

 制服姿のまま、どこか申し訳なさそうに頭を下げる。


「すみません……昨日の終業後、いつも通りに戻しました。封印札も、確かに貼りました。今朝来たら、棚が空で……」


「責めてるわけじゃないです」

 加奈が言った。声が柔らかいだけで、人は落ち着く。

「思い出せることがあったら、何でも教えてください。昨日、誰か立ち寄ったとか、変な匂いがしたとか」


 担当職員は少し考え、首を傾げる。


「匂い……あ、そういえば。甘い香りが一瞬だけしました。花の香りというか……でも、異界の香水かもしれなくて」


 勇輝は床に視線を落とした。棚の前に、薄い粉のようなものが落ちている。

 美月が近づき、カメラを向けようとして、すぐに思い直して手を止めた。今は“記録”より“復旧”だと、彼女なりに優先順位を切り替えている。


 勇輝は指先で粉をすくい、手袋越しに感触を確かめた。


「……花粉じゃない。魔力の結晶片だ。封印札をほどく時に、余った分が落ちたんだろう」


 加奈が頷く。


「ということは、強引に剥がしたんじゃなくて……“ほどいた”。つまり、手順を知ってる人」


「庁舎の中の人か、外だけど協力者がいるか」

 勇輝は短く言って、すぐに息を整えた。言い切りの強さは、結論じゃなくて方向のために使う。


 美月がぽつりと言う。


「……“ひまリスくん”の中、意外と複雑です。通気の魔導具、発声石、汗抜き布、記念撮影用の香り札……“甘い香り”って、その香り札の可能性もあります」


「香り札が残ってるなら追えるかも」

 勇輝は、その一手に気づくのが早かった。

「……ギルドの人が来たら、魔力追跡を頼もう」


◆午後・庁舎広報室 “短くて正しい文”を作る


 広報室は、普段ならもう少し明るい。

 季節の写真が壁に貼られ、イベントのキャッチコピー案がホワイトボードに踊る。けれど今日は、文字が硬い。机の上の紙が多い。空気も、少し乾いている。


 美月はキーボードを叩きながら、何度も手を止めた。

 短すぎると冷たく見える。長すぎると読まれない。言い切ると嘘になる。濁すと不信になる。


「……言葉って、ほんとに難しい」


 加奈が、横からマグカップを置いた。

 中身は温かいお茶。口をつける時間がなくても、香りだけで呼吸が整う。


「“困ってます”ってちゃんと書きながら、“怖くない”って伝える文章……あるよ。ほら、いつも勇輝さんが窓口でやってる言い方」


 美月は、ふっと笑った。


「それ、私が一番苦手なやつです。テンションを上げずに、安心を置く……」


「置く、って言い方いいね」

 加奈が頷く。

「煽るのは簡単だけど、安心は“置く”って感じだもん」


 二人で推敲した文面が、最終的にこうなった。


『本日朝、庁舎前で活動していたマスコット「ひまリスくん」の衣装一式が確認できない状況となりました。

 関係者の安全は確認済みです。現在、所在の確認と回収に向けて対応中です。

 目撃情報がありましたら、庁舎窓口または公式連絡先までお寄せください。

 ご心配をおかけしますが、落ち着いて行動をお願いいたします。』


 美月は投稿ボタンの前で一瞬止まり、勇輝を見た。


「これでいきます。……信じてもらえる文章にします」


 勇輝は頷くだけで、余計な言葉を足さなかった。

 信じると決めた瞬間、職員の顔は強くなる。


 投稿は、静かに流れた。

 そして同時に、“町が動き始める音”が外から聞こえた気がした。


◆午後・商店街 聞き込みと“ふわふわした影”の噂


 庁舎前の騒ぎは、商店街に届くのも早かった。

 午前中に来庁した人が、帰り道で話す。店主がSNSを見る。観光客が写真を上げる。噂は、風より細かく街に入り込む。


 勇輝と加奈は、顔見知りの八百屋の前で立ち止まった。


「朝方、見ましたよ」

 店主が言う。

「なんかね、黄色いのが……ふわっと。飛んだっていうより、浮いたって感じ。あれ、ひまリスくんじゃないの?」


「浮いた……」

 加奈が復唱する。嫌な想像が、頭の中に増えそうになって、彼女は一度深呼吸した。


 勇輝は落ち着いた声で聞いた。


「何時頃でした?」

「六時半くらいかな。開店準備してた時。空がまだ薄い色で……あれが見えた。あとね、あと。黒い布みたいなものも一緒に揺れてた」


 美月は少し離れたところでメモを取っていた。

 “黒い布”――それは、宣伝幕か。衣装の改造か。あるいは単なる影か。


「他に匂いは?」

 加奈が聞くと、店主は首をかしげる。


「匂い……甘い香りがしたような。花屋の前を通ったから、そのせいかもしれないけどね」


 花。

 甘い香り。

 そして、詩的な札。


 勇輝は、ふと視線を向けた先で、掲示板に貼られた小さな張り紙を見つけた。


『マスコットに“もうひとつの役割”を。

 闇は光を引き立てる。

 均衡のため、協力者求む。』


「……増えてるな」

 勇輝は小さく言った。


 美月が苦い顔をする。


「文体が同じ。つまり、“集団”です。少なくとも、誰かが真面目に世界観を作ってる」


「世界観じゃなくて現実の町なんだけどな」

 勇輝はため息をつき、張り紙を剥がしてポケットにしまった。

「放置すると、真似する人が出る。……加奈、ここは貼り紙回収も動線に入れよう」


◆午後・ひまわり温泉街 ドランの証言


 温泉街は、湯気と木の香りで満ちていた。

 新しい施設が増え、客足も少しずつ戻ってきた。町が“観光で食う”と決めた以上、ここは最前線だ。


 その端で、ドランが腕を組んでいた。作業服に煤の跡。肩に担いだ道具袋が、本人の体格以上に存在感を放つ。


「おう、来たか。いやぁ〜、朝から妙に騒がしいと思ったら、ひまリスが消えたと聞いてのう。

 役所の顔がいなくなると、湯の湧き方まで落ち着かん気がするのは、気のせいじゃろうか」


「気のせいでも、ありがたいです」

 加奈が言うと、ドランは豪快に笑い、それから真面目な目に戻った。


「実はのう。ワシの露天の端に、ぬいぐるみの尻尾みたいなのがぷかっと浮いとってな。

 『これは客に見せたら、余計に不安が増える』と思って、引き上げて保管しておったんじゃ。隠すつもりはないぞ、落ち着いて渡す場所を選んだだけじゃよ」


 美月が脳内で即座に赤字を入れる顔をした。

 その表情に、ドランは「大丈夫じゃ」と手を振る。


「いやぁ〜、湯の中に異物が入ってたと言っても、危ないもんじゃない。ほれ、これじゃ」


 取り出されたのは、ひまリスくんの尻尾を模した装飾。ふわふわの毛が濡れても形を保つように、内部に薄い魔導繊維が入っている。


 勇輝は受け取り、表面を軽く撫でた。


「これ……“香り札”が仕込んであるな。ひまわりの匂い」


「そうじゃ。観光課が『記念撮影の時に癒し効果も』とか言って付けたやつじゃな」

 ドランは頷き、話を続ける。台詞が一息で長い。職人は説明の呼吸が深い。

「で、その匂いが残っとるなら追える。魔力脈にのせて共鳴させれば、行き先の方角くらいはわかるはずじゃ。

 ただし、やり方を間違えると匂いが散ってしまう。散ると追えん。だからワシがやる。任せろ、手順は守るぞ」


「そんなことできるのか」

 勇輝が言うと、ドランは胸を張る。


「おう。いやぁ〜、まずはこの匂いの“核”を金具に写すんじゃ。金具は目印になる。共鳴の具合で、近いか遠いかもわかるのう。

 爆発はさせん。させんが、火花くらいは出るかもしれんぞ。火花で済むように、ちゃんと水も用意する。そういうのが職人の礼儀じゃ」


「火花で済むなら、ありがたい」

 勇輝は苦笑して返した。きついツッコミにしない。ドランの“安心の落とし”を受け止める。


 加奈が小さく息を吐く。


「方向だけでもわかれば、だいぶ違います。ありがとうございます、ドランさん」


「よし。じゃあ、さっさと町の顔を取り返しに行こうじゃないかのう」

 ドランは金属札を握り、尻尾飾りの匂いを写し取る作業に入った。


◆夕方・庁舎前 フェリナ来庁


 庁舎ロビーに戻ると、受付の前に見慣れないエルフの女性が立っていた。

 背筋がまっすぐで、衣装は軽やか。探偵帽のような形の帽子をちょこんとかぶっていて、歩くだけで“情報の匂い”が漂う。


「お久しぶりです、ひまわり市役所のみなさま」

 フェリナは、にこやかに一礼した。

「ご連絡、受け取りました。……町の顔が消えた、とのこと。噂はもう異界側にも流れています」


 美月が小さく呻いた。


「速い……」


 フェリナは肩をすくめ、軽い口調で続ける。


「悪い噂ほど速いのです。ですが、速いということは、こちらが先に上書きできるということでもあります。――で、札を見せてください」


 勇輝が立て札の写しを渡すと、フェリナは一行目を見ただけで眉を動かした。


「なるほど。これは“うち”の文体ですね。正確には、うちの本部じゃありません。分派です。……最近、勝手に名乗っている連中がいる」


「勝手に名乗ってる、って」

 加奈が眉を寄せる。


「広報は、力が強いからです」

 フェリナは淡々と言う。重い言葉を、軽くはしない。

「注目を集めれば、町が動きます。商品が売れます。人が来ます。……だから、使い方を間違える者も出ます」


 美月が、ため息混じりに聞いた。


「それ、どこにいるんですか」


 フェリナは指先で帽子のつばを軽く叩く。


「彼らは“闇のプロモーション”と呼ぶのを好みます。均衡、影、対比……そういう言葉が好き。活動拠点は、古い物流倉庫。異界市場の裏側にある、使われていない建物です」


 勇輝は頷いた。

 ここから先は、“捜査”というより“回収”だ。けれど回収するために、相手の顔も見なければならない。


「案内してもらえますか。……ただし、派手にやりたくない」


「もちろんです」

 フェリナは笑った。

「派手にやるのは、彼らの仕事です。役所は、終わらせるのが仕事でしょう?」


◆夜・異界市場裏 旧物流倉庫(異界広報ギルド分派拠点)


 倉庫は、外から見るとただの古い建物だった。

 けれど近づくほど、空気が変わる。貼られたポスターが多い。色が濃い。光と影のコントラストが強い。

 扉の隙間から、紙とインクの匂いが流れてくる。新しい印刷物の匂いだ。


 ドランが作った金属札が、手の中でかすかに温かくなる。

 共鳴は、確かにここだと告げていた。


「ここ……」

 加奈が小さく息を飲む。


 勇輝は、扉を叩く前に美月の方を見る。


「撮らないでいい。今日は“戻す日”だ」

「……わかってます。けど、記録は必要です。後で“説明”がいるから」

 美月はスマホを胸の前で止めた。撮るというより、守りの構えだ。


 フェリナが一歩前に出て、扉に向かって声をかけた。


「分派のみなさま。フェリナです。話をしに来ました。――町のマスコットを返してください」


 しばらく沈黙。

 やがて、扉がきい、と音を立てて開く。


 中には、黒い布の幕が下がり、スポットライトのような魔導灯が点々と並んでいた。

 ポスターがずらり。そこに描かれているのは――黒いひまリスくん。


 『デスリス』と、堂々たるロゴ。

 デザインは、正直に言って……完成度が高い。

 美月が思わず目を細める。職業病で、構図を読んでしまう。


「……いや、うまいな」


 加奈が慌てて美月の袖を引く。


「褒めないでください! 褒めたら負けです!」


 フェリナは、場の空気を壊さずに紹介を続けた。


「こちら、ひまわり市役所の勇輝さんと加奈さん、そして広報の美月さん。町の人間です。――話を」


 奥から、黒いフードを被った人物が出てきた。声は低く、しかし演出が強い。


「我らが目的は“宣伝の均衡”。光があれば影がある。影があれば光が際立つ。ひまわり市は光ばかりを掲げすぎた。だから我らは――闇の象徴を創る」


 勇輝は一歩前に出る。

 声を荒げない。相手の演出に飲まれない。淡々と、でも逃げ道は残す。


「理念はわかった。けど、やり方がまずい。公有備品を無断で持ち出したら、役所は“回収”に動く。今日はその話をしに来た」


「回収?」

 フードの人物が笑う。演出の笑いだ。

「それは“奪う”ということか。闇から、光を奪い返すということか」


 加奈が、言葉を選びながら割って入る。


「奪い返す、じゃありません。戻ってきてほしいんです。ひまリスくんは、子どもたちの前で手を振る役目です。……あなたたちが作ったものを否定したいわけでもありません。でも、町の“顔”を、勝手に連れていかれたら、町が困る」


 フードの人物が、一瞬だけ黙る。

 理屈の言葉に、感情の言葉を重ねられると、演出が揺らぐ。


 美月が、そこで一歩だけ前に出た。声は明るすぎない。上からでもない。クリエイターに向ける言葉の温度にした。


「……あなたたち、宣伝が好きなんですよね。均衡が好きなんですよね。わかります。私も好きです。良いキャッチと良いビジュアルで、人は前を向ける。これは事実です」

 美月は、ポスターの一枚を見上げる。

「でも、無断でやると、メッセージが“犯罪”の影で汚れます。あなたたちの言いたいことが届く前に、『盗った人たち』で終わる。……それ、損じゃないですか」


 フードの人物が、少しだけ顔を下げた。

 言葉は、反論を探すように漂う。


「……我らは、注目を必要としている。闇は放っておけば、ただの見えない場所になる。だから“事件”が要る」


「事件じゃなくて、企画にしよう」

 勇輝が静かに言った。

「企画なら、町の中で責任を持てる。責任を持てるなら、安心も作れる。……あなたたちが求めてるのは“均衡”だろ。均衡って、相手が怖がって逃げたら成立しない」


 フードの人物の肩が、ほんの少し落ちた。

 それは弱さというより、意地のほどける音だった。


「……では、どうする」


 勇輝は、行政らしいカードを切った。

 ただし脅さない。道を示す。


「制度にできる。たとえば――“公式コラボ枠”。ひまわり市の広報として、夜の企画を期間限定でやる。あなたたちの表現を、町が受け止める。代わりに、ルールは守ってもらう。無断持ち出しはしない。安全の確保はする。関係者の合意を取る」


 加奈が頷き、続けた。


「“闇のマスコット”が必要なら、必要な時だけ、必要な場所で。……その代わり、ひまリスくんは返してください。今、外では不安が増えてます。子どもたちが泣いてます。あの子たちに、均衡の理屈は届きません」


 沈黙が落ちた。

 倉庫の中で、魔導灯の光がじっと揺れる。


 フェリナが、ここぞというタイミングで口を挟む。


「分派のみなさま。あなたたちが“うまい”のは知っています。けれど、本部の名を使って勝手をするなら、本部も動きます。……今日ここで、穏やかに終わらせるのが、一番あなたたちのためです」


 フードの人物は、やがて大きく息を吐いた。


「……返す。だが、条件がある」


「条件?」

 勇輝が聞くと、相手は言った。


「我らの“闇の企画”を、町が一度だけ認めよ。ひまリスは光。ならば影もまた必要だ。影を認めることで、光はより尊くなる」


 美月が、胸の中で“炎上リスク”と“話題性”と“市民感情”を天秤にかける顔をした。

 そして、ひとつの案に着地する。


「……『公式スピンオフ』ならいけます。名前は、強すぎないほうがいい。デスリスは……ちょっと攻めすぎ。『夜ひまリス』とか。『影ひまリス』とか。怖くない範囲で、でもあなたたちの対比は残す」

 美月はポスターのデザインを指でなぞるように見て、付け足した。

「あなたたち、センスは本物です。だから、ルールの内側に入ってきた方が得です。町と一緒にやれば、もっと届く。もっと残る」


「それは……妥協だ」

 フードの人物が言う。


「妥協は、共存の技術です」

 美月は笑わずに言った。

「この町、ずっとそれやってます。だから生きてます。……どうです? “均衡”を、ちゃんと届く形にしませんか」


 フードの人物は、少しだけ頷き――奥へ手を振った。


 幕の向こうから、ひまリスくんの頭部が運び出される。

 そして、その後ろから、もこもこの黄色い胴体も。

 最後に、着ぐるみ担当の職員が、少しよれた服のまま、ひょこっと出てきた。


「す、すみません……閉じ込められたというか、待ってるように言われて……水とお菓子はもらいました。あの、怖い人たちじゃないです。変な演出が好きなだけで……」


 加奈が胸に手を当てる。


「無事でよかった……!」


 勇輝は、フードの人物へ向けて、静かに言った。


「人に危害がないなら、そこは評価する。でも、次は“合意”を取ってからだ。……返却、受領する。今から庁舎に戻る」


「我らは、約束を守る」

 フードの人物が言った。

「闇もまた、言葉で縛られる。……それが宣伝の誇りだ」


 フェリナが小さく笑う。


「ええ。だから、言葉を大事にしなさい」


 ドランが、ひまリスくんの胴体を担ぎ上げながら言った。


「いやぁ〜、重いのう。中身より、想いが詰まっとる感じじゃよ。よし、運ぶぞ。落とさん。落とさんが、転んだらすまん。

 ……いや、転ばん。転ばんように足元を固める。ほれ、こういう時こそ段取りじゃ」


「段取り、大事です」

 加奈が笑って返した。場が、ようやく少し緩む。


◆深夜・庁舎前 “帰還”の瞬間


 庁舎前に戻ると、まだ人が残っていた。

 心配で帰れなかった人。噂を追って来た人。何より、ひまリスくんの“いつもの時間”を知っている子どもたち。


 その視線が、一斉にこちらへ向く。


 勇輝は、まず一歩前へ出た。

 声は大きすぎない。夜の町に合う音量で、でも確かに届くように。


「みなさん、お待たせしました。ひまリスくん、戻ってきました。けが人はいません。関係者も無事です。……ご心配をおかけしました」


 加奈が、着ぐるみ担当の職員へ小さく頷き、衣装を整える手伝いをする。

 美月は、その一連を“撮る”のではなく、“見せる”角度で構えていた。今は、町の安心を作る画が必要だ。


 そして――


 ひまリスくんが、台座に上がる。

 ふわっとした動きで手を振り、いつもの発声魔石が、少し遅れて声を出す。


「みんなー! おまたせー! ひまわりのえがお、きょうもいっしょー!」


 子どもたちの顔が、ぱっと明るくなる。

 大人たちも、少しだけ肩の力を抜いた。


 男の子が、昼に書いた“目撃情報カード”を握りしめたまま前へ出て、小さく叫ぶ。


「おかえり、ひまリスくん!」


 ひまリスくんが大きく頷き、両手を振る。

 それだけで、広場の空気が一段、やわらかくなった。


 美月のスマホ画面に、タグが流れていく。


「#ひまリス帰還」

「#ひまわり市の顔」

「#異界でもゆるキャラ」


(……守れた)

 美月は息を吐いた。守れたのはマスコットだけじゃない。町の“安心”だ。


 フェリナが、勇輝の隣で小さく言った。


「事件は、終わらせ方で価値が変わります。あなたたちは、終わらせ方が上手い」


「慣れたくはないんですけどね」

 勇輝は苦笑した。


 加奈が、台座の下で子どもに声をかけている。

 「触る時は順番ね」「押さないでね」「写真は一回ずつね」

 その指示が、いつもより優しく、いつもより丁寧だった。


 ドランは腕を組み、満足げに頷いている。


「よしよし。町の顔が戻ったなら、湯でも飲みに行くかのう。いやぁ〜、今日の仕事は汗をかいた。爆発はしてない。ワシ偉い。

 ……明日は、ちゃんと“二次利用の窓口”も作るんじゃぞ。出入りを整えると、町の足元が強くなる。ワシは、そういう段取りが好きじゃ」


「そのアドバイス、地味に大事です」

 勇輝が言うと、ドランは満足げに鼻を鳴らした。


 勇輝は、庁舎の灯りを見上げた。

 ここは役所だ。書類も、ルールも、謝罪も、改善も、全部ここから始まる。


「……明日から、マスコット運用規程を作る」

 勇輝が言うと、美月が即座に食いつく。


「規程名、堅くしすぎない方がいいです。市民向けの“お願い”版も同時に出しましょう。『ひまリスくんを守るための約束』とか。子どもでも読めるように」

 美月は一拍置いて、少しだけ笑った。

「あと、“夜ひまリス”の企画書も、ちゃんと作ります。勝手にされるより、こっちが先に形にした方が安全です。……悔しいけど、あのデザイン、良かったので」


「悔しさを仕事にするの、得意だろ」

 勇輝が言うと、美月は小さく肩をすくめた。

「はい。広報ですから」


「いい。そうしよう」

 勇輝は頷いた。

「今日のことを“なかったこと”にはしない。でも、“怖い話”だけで終わらせない。次の安心につなげる」


 加奈が、静かに笑った。


「それが、ひまわり市のやり方ですよね」


 夜風が、広場を通り抜ける。

 台座の上で手を振るひまリスくんの影が、庁舎の壁に揺れた。


 光があって、影がある。

 それでも、町の灯りは消えない。

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