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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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27/2312

第27話「異界選挙、再び!」

民主主義は、種族を選ばない。


◆朝・ひまわり市庁舎 会議室


 朝の市庁舎は、いつもより静かだった。静かすぎて、コピー機の立ち上がる音がやけに大きく聞こえる。廊下を歩く靴音も、どこか控えめで、みんなが無意識に息を揃えているような空気があった。

 嵐の前触れ、という言葉を使うほど大げさにはしたくない。けれど、落ち着かない。理由ははっきりしている。会議机の上に並ぶものが、いつもの「会議資料」ではなく、町の未来そのものに見える紙と結晶だったからだ。


 立候補届。推薦書。魔法印鑑。異界式の署名結晶。

 それらが、机の中央でやけに堂々としている。しかも、紙の端が光っている。魔法の封印のせいで、物理的に「勝手に破れない」ようになっているらしい。会議室の空気まで、ちょっと固くなる。


 勇輝は、椅子に座ったまま腕を組み、書類の束を見つめていた。目の前の紙が、ただの紙で終わる日が少なくなってきた。異界に転移してから半年、町の制度が「慣れ」で回り始めたのは確かだ。けれど今回の慣れは、少し方向が違う気がした。


 加奈が、一枚の届出書を指先でつまみ上げる。紙に触れた瞬間、淡い光が走り、彼女の手元に小さな文字が浮かぶ。異界式の本人確認の一種で、「触った人の意図」を記録する仕様らしい。


「……勇輝さん。これ、言い方が難しいんだけど、もしかして……“魔法生物”が立候補してません?」


 声は落ち着いているのに、眉だけが困っている。勇輝は、その困り眉を見て、もう答えを知っている顔になった。


「うん。“もしかして”じゃない。ちゃんと書いてある」


 勇輝が書類をひとつ引き寄せると、署名結晶がころん、と小さく転がった。結晶の中に、ぷるん、とした輪郭が映っている。これが「本人の意思波紋」を封じ込めるやつだ。本人が触れたときの微かな魔力の揺れが、固まって残る。人間の署名と同じ扱いにできるよう、選挙管理委員会が急いで整えた道具だった。


 加奈が覗き込み、苦笑いを浮かべる。


「……“スライム個体第14号、異界代表候補”。しかも、ふりがなまで付いてる」


「付いてるのが、逆に丁寧で困る」


 勇輝は軽く息を吐き、次の紙をめくった。


『森のエルフ商会代表 リュシエル』

『ひまわり市市民代表 勇輝』


 最後の一行は、なぜか、すでに記入済みだった。候補者欄に、堂々と。しかも、印鑑欄に「臨時押印済」の朱がある。もちろん、勇輝は押していない。


 会議室に、一瞬だけ、音が消えた。

 コピー機の気配すら遠ざかったように感じる静けさの中で、勇輝がやっと声を出した。


「……俺、出馬の記憶がないんだけど」


 怒鳴りたいわけじゃない。けれど、穏やかに言うほど余裕もない。加奈は推薦欄をそっと指でなぞり、浮かんだ文字を読んでしまって、肩を落とした。


「推薦人が“庁舎全体”になってる。……職員一同、って書いてある。しかも、人数のところが『概数』。どうして概数にしたの」


「概数って何だよ。推薦って、だいたいで集めるものじゃないだろ」


 勇輝のツッコミは柔らかいのに、芯がある。会議室の隅にいた選管職員の田辺が、申し訳なさそうに背筋を伸ばした。


「すみません、主任……いや、候補予定者の勇輝さん。これ、推薦書が“署名結晶”で提出されてまして、結晶が増えすぎて、数えたら……途中で手が震えました」


「それだけ集まったってことだね。震えるくらいなら、一回深呼吸して、落ち着いて数えよう。手順は急がなくていい」


「はい……。あと、皆さん『勇輝さんなら現場を知ってるから』って……」


「現場を知ってるのと、選挙に出るのは別だよ」


 加奈が間に入る。言い方は優しいけれど、線引きは明確だった。


「勇輝さん、まず手続きの確認しましょう。立候補届って、“本人の受諾”が必要ですよね。勝手に書いて出せない。……出せないはず」


 田辺が頷き、慌ててファイルを開く。ファイルには、紙と結晶の両方が入っていて、ページをめくるたびに小さく光る。


「はい。規程上、本人確認として『意思波紋の照合』が要件です。署名結晶が本人の波紋と一致しないと受理できません」


 勇輝は、少しだけ安心した。少しだけだ。なぜなら、その次の言葉が来そうな気配があったから。


 田辺は、視線を落とし、声を小さくする。


「……ただ、勇輝さんの波紋、あります」


「あるの?」


「あります。昨日の夕方、庁舎ロビーで“落とし物”として拾得された結晶に……」


 勇輝は目を閉じた。嫌な予感が、ぴったり当たるときの静けさだ。加奈が、頭を抱えそうになりながらも言葉を整える。


「昨日の夕方って……動物保護課の騒動のあと? みんな、屋上やロビーを走り回ってた」


「そのときに、誰かが……いや、たぶん“善意で”」


 勇輝は、ため息をつきかけて、途中でやめた。ため息が増えると、会議室の空気まで重くなる。代わりに、前を向く。


「じゃあ、今やるべきことは二つだ。ひとつ、俺の波紋が紛れ込んだ経緯を記録して、再発防止。ふたつ、俺が出馬するかしないかを、本人として決める。……できれば、しない方向で」


 加奈が頷き、すぐに現実的な質問を重ねた。


「取り下げ手続き、間に合います? 告示って、いつ」


「今日の正午です」


 田辺が言うと、会議室の空気が、さっと冷えた。正午。つまり、あと数時間。告示が出れば、名前は掲示板に載り、選挙公報にも載り、町中の魔法水晶にも映る。後から取り下げると、混乱が増える。


 扉の外から、くすくすと笑い声が聞こえた。笑い声は軽いのに、会議室の全員の肩が同時に跳ねる。次の瞬間、扉がノックもなく開いて、美月がひょこっと顔を出した。タブレットを抱え、目がきらきらしている。きらきらしているのが、今日はちょっと怖い。


「おはようございます。……あ、やっぱりここにいる。課長、もうSNSが騒いでますよ。『市役所職員、ついに自ら立候補』って。画像付きで」


「画像……?」


 勇輝が聞き返すと、美月はタブレットを少し傾けた。画面には、昨日のロビーで勇輝が職員に指示を出している写真があった。立候補届の写真ではない。なのに、見出しが付いている。


【候補者、現場に立つ】


 勇輝は、額に手を当てた。言葉にならない気持ちが、いくつか重なっている。


「誰が、そんな見出し付けたの」


「たぶん総務課です。『広報に使える』って。ノリで」


「ノリで動かすのは、さすがに危ないな……。ただ、ここで強く言うほど話が燃えそうなのも分かる」


 加奈が苦笑しつつ、美月に手を伸ばす。


「美月。火は大きくしないで。今は、正しい情報だけを出して」


「分かってます。だから、ここで“公式コメント”作りたいんです。『出馬の手続きは確認中』って。曖昧にして炎上を防ぐやつ」


 美月の口調は、軽いようで仕事の勘がある。勇輝は頷き、椅子から立ち上がった。


「よし。俺が決める。決めたうえで、混乱が少ない形にする。……ただし、ひとつ条件。選挙を面白がるのは止めないけど、制度を軽くするのはやめよう。選管も、広報も、そこだけは守ってくれ」


 田辺が、少しだけ顔を上げた。


「守ります。……そのためにも、勇輝さんが“市民代表候補”として出るのは、実は整合が取れます。今回の選挙は、異界代表制度の第一回で、議決権というより、行政協議の正式な席を持つための選出です。市民側の窓口になる人が必要で……」


「それ、最初から俺に言ってほしかった」


「すみません、皆さんが先に推薦を……」


 加奈が、勇輝の横で小さく息を吸った。


「勇輝さん。出ないのが一番シンプルだけど、今この状況で取り下げると『逃げた』って誤解が生まれるかもしれない。出るなら、出る理由を、ちゃんと“行政として”語れる形にしましょう。勝ち負けじゃなくて、制度を育てるために」


 勇輝は、加奈の言葉の温度を受け取るように、ゆっくり頷いた。


「分かった。じゃあ出る。……ただし、勝つために変なことはしない。俺は『現場の代表』として、制度の穴を塞ぐ仕事をする。それでいいなら、引き受ける」


 美月が、珍しく真面目な顔で笑った。


「それ、ちゃんと伝わりますよ。『勝つため』じゃなくて『守るため』って言葉、ひまわり市では強い」


 田辺が小さく拍手しそうになって、慌てて手を止めた。選管職員としての矜持が残っている。


「……では、告示前に必要な手続き、整理します。候補者の意思確認を正式に残す。推薦の“概数”をやめて、実数で記録する。あと、勇輝さんが候補者になるので、庁舎内の選挙事務は、利益相反を避けるため別ラインに分けます」


「そこ、しっかりやろう。『身内で回してる』って思われないように、線引きは丁寧に」


 勇輝が言い切ると、会議室の空気がようやく「仕事の空気」になった。落ち着かない静けさが、動ける静けさに変わる。


◆午前・市役所ロビー 臨時受付


 告示を前に、ロビーには臨時の受付が設けられていた。立候補の追加受付ではなく、問い合わせと本人確認のための窓口だ。掲示板の前には、すでに人と異界住民が集まり始めている。スライムがぷるぷる震え、獣人の子どもが背伸びして紙を覗き、エルフの老人が眼鏡を掛け直して読んでいる。ドワーフの職人風の男性は、腕を組んだまま「ふむ」とうなっていた。


 受付では、署名結晶の扱いを職員が説明していた。説明の仕方が、いつもより丁寧だ。選挙は、説明が雑だと壊れる。


「こちらの結晶に、候補者ご本人が触れていただきます。触れた際の意思波紋が記録されますので、第三者が勝手に提出しても照合で弾かれます。ですから、安心して……」


 言いかけたところで、スライムがちょこん、とカウンターに乗り上げた。半透明の身体の中に、小さな紙片が入っている。どう見ても、候補者名のメモだ。


「わたし、スラ14。……番号だけだと、冷たい。だから、名前、ほしい」


 声は発声魔石越しで、少し震えている。緊張しているのが分かる。職員が一瞬、言葉に詰まった。選挙に必要なのは識別で、識別のために番号を付けた。けれど、本人にとっては「番号で呼ばれる」ことが、別の痛みになる。


 加奈が、窓口の横からそっと身を乗り出した。


「スラ14さん。名前は、登録できます。候補者名の欄に“通称”を併記して、選挙公報にも載せられるようにしましょう。何て呼ばれたい?」


 スライムは、少しだけ身体を揺らし、考えるように沈黙した。沈黙の間に、周囲の市民が見守る。笑いは起きない。場がちゃんと尊重している。


「……スラ。スラが、いい。短くて、覚えやすい」


「分かった。『スラ(通称スラ14)』でいこう。番号は制度の都合として残す。でも、呼ぶときは“スラ”でいい」


 スライム——スラは、ぷるん、と一度大きく揺れた。喜び方が分かりやすい。周囲から小さな拍手が起きた。加奈は、その拍手を止めないまま、次の案内に繋げる。


「はい、じゃあ次。意思波紋の登録をしましょう。触れるときは、急がなくて大丈夫。『投票する』って気持ちと同じで、落ち着いて触れてください」


 勇輝は少し離れた場所で、その光景を見ていた。選挙という仕組みが、紙や結晶の話だけじゃなく、人の扱いの話だということが、こういう場面で分かる。


 その隣で、美月がタブレットに文字を打つ。今度は煽り文句ではない。


【候補者名の登録は“呼ばれたい名前”も尊重します。番号は管理上の表示です。】


 短い文章なのに、やけにあたたかい。美月は、広報の言葉をちゃんと「守る」方向に使っている。勇輝は、少しだけ肩の力を抜いた。


◆昼・市民ホール 公開討論会


 公開討論会の会場は、市民ホールだった。入口には「討論会=投票ではありません」「拍手・反応は自由ですが、誹謗はご遠慮ください」と書かれた掲示が並び、異界語も併記されている。選管が本気で整えているのが分かる。


 壇上には、席が三つ。中央には司会席。司会を務めるのは猫人族のMC、ミャゴスだった。尻尾がふわりと揺れ、マイクを持つ手が軽い。軽いのに、場を壊さない力がある。


「みなさん、ようこそ。今日の討論テーマは『異界と現界の共生』です。難しそうに聞こえるけれど、要は“明日もこの町で暮らせるか”の話だと思ってください。分かりやすく、そして相手を傷つけない言葉でいきましょう。ここ、大事ですニャ」


 最初に前へ出たのは、スライム候補——スラだった。透明な身体がぷるぷる揺れているのに、壇上に立つ姿は堂々としている。発声魔石に触れ、ゆっくり言葉を出した。


「わたし、まぜる。にんげんと、いきもの。まぜたら、こわくなくなる。ぬるぬるも、こわくない。……そう、してほしい」


 短い言葉なのに、間が丁寧で、聞く側が追いつける。会場のどこかで、誰かが小さく「うん」と頷いた音がした。


 ミャゴスが、すぐに具体に落とす。


「“まぜる”って、具体的には何をやるのかニャ。制度? 場所? 仕事?」


 スラは少しだけ揺れ、次の言葉を出した。


「まず、床。スライム、滑る。役所の床、冷たい。……人も、転ぶ。だから、滑らない床にする。次、窓口。言葉、むずかしい。紙、むずかしい。だから、絵で分かる案内と、同じ人がずっと教える時間。……それ、ほしい」


 会場がざわめいた。派手な公約ではない。けれど、生活の話だ。誰かが困っている場所の話だ。


 続いて、森のエルフ商会代表・リュシエルが前に出た。長い耳がゆっくり揺れ、姿勢が美しい。声も落ち着いている。商人の言葉は、現実の重さを知っている。


「この町は、転移をきっかけに“交易の結節点”になりました。ならば、活かすべきです。魔導商業区を拡大し、税収を増やし、その税収で福祉とインフラを支える。理想だけでは回りません。回る仕組みを作ってこそ、共生は続く」


 拍手が、先ほどとは違う層から起きた。商店街の人たち、異界商人、設備の関係者。生活の維持には金が要る。その当たり前を、丁寧に言っている。


 そして最後に、勇輝が立つ番が来た。壇上に上がるまで、彼の心は正直揺れていた。出馬の経緯が妙すぎる。笑い話にしたくなる。けれど、ここで軽く流すと、制度まで軽くなる。


 勇輝はマイクの前で一度息を整え、会場を見渡した。視線の先には、今日も仕事帰りに来たような職員の顔もあれば、初めて選挙を体験する異界住民の顔もある。みんな、期待というより、「確かめたい」顔をしている。


「……まず、出馬の経緯については、本人も驚いてます。たぶん、昨日の庁舎の混乱の中で、善意がちょっと先走った。だから、ここで一つ宣言します。俺は“身内で回す選挙”にはしない。選管の分離も、広報の線引きも、徹底する。そこを守ったうえで、俺が言いたいのは、選挙って、勝ち負けよりも『手続きを共有する』ことだってことです」


 会場が静かになる。勇輝は続ける。言葉は固くしすぎず、でも逃げない。


「スラの言う『滑らない床』も、リュシエルの言う『回る仕組み』も、どっちも必要だ。必要なのに、片方だけを選ぶと、どこかが歪む。行政は、その歪みを見つけて、早めに直す仕事だと思ってる。災害の夜も、医療の壁も、動物の騒動も、全部そうだった。だから俺の一言はこれです。……守る。町も、人も、そして“制度が届きにくい誰か”も」


 小さな拍手が起きた。派手ではない。けれど、拍手の音が、じわじわと広がっていく。勇輝はそれを受け止め、少しだけ肩の力を抜いた。


 客席の後方で、美月が小声で呟く。


「事故候補のはずなのに、ちゃんと候補者になってる。……悔しいけど、絵になるな」


 加奈が肘で軽く突く。


「悔しがらない。今は、ちゃんと伝える仕事」


「はい……。でも、今の『守る』、見出しにしていい?」


「いい。でも、煽らないで。『守る』は、強さより安心として書いて」


 美月は頷き、指を動かした。


◆午後・町なかの演説と掲示板


 討論会のあと、町は一気に選挙の色を帯びた。掲示板は、庁舎前だけでは足りず、商店街の端、温泉通りの入口、駅前ロータリーの脇にも増設された。木材が足りなくて、ドワーフ職人に頼む前に、とりあえず仮設として結界札で“貼れる面”を作ったという雑さが、ひまわり市らしい。雑だけど、使える。


 スラ陣営は、商店街の真ん中に小さなテントを出した。テントの横には、ぷるぷる弾む風船が並ぶ。風船と言っても普通のゴムではなく、薄い粘膜でできたスライム風船で、触ると少しひんやりする。子どもが触って笑い、大人がつられて笑う。笑いが、怖さを溶かす。


「これ、持ってって。割れない。……割れても、また丸くなる」


 スラが子どもに渡しながら言う。子どもが「すごい!」と叫び、周囲の親たちが笑った。小さな交流が、ちゃんと“政策の一部”になっている感じがした。


 リュシエル陣営は、音楽隊を連れていた。エルフの笛と弦の音が、通りを穏やかに流れる。演説というより、集会だ。ベンチに座る高齢者が耳を傾け、商人が頷き、若い人が「税収の話、分かりやすい」と言う。派手さはないのに、しっかり届く。


 問題は——勇輝陣営だった。


 勇輝が「陣営」と呼ぶのも妙だ。本人は、ほとんど行政の延長で動いている。加奈は秘書役のように横についてくれているが、秘書役というより、いつもの相棒だ。


 そして、ポスター。


 ポスター印刷機が、壊れていた。よりによってこのタイミングで。紙詰まりというより、魔力対応のインク供給が不安定になって、印刷面が全部「うすい虹」になってしまった。使えない。


「なんで今日なんだよ……」


 勇輝の声は小さい。悔しさより、情けなさが混ざっている。


 加奈が機械を覗き込み、落ち着いた声で言う。


「公費で印刷する仕組み、異界通貨の支払いがまだ通らないから、外注もしづらい。……つまり、今ある機械が止まったら終わり」


「“終わり”って言葉はまだ早い。止まったなら、止まったなりに回し方を考えよう」


 そう言ったとき、子どもたちが走ってきた。手には、クレヨンで描かれた紙が何枚もある。紙は少し曲がっている。けれど、文字が大きい。


『がんばれ ゆうきさん』

『しやくしょ すき』

『まもってくれて ありがとう』


 勇輝は、言葉を失った。失って、すぐに取り戻す。今ここで黙ると、子どもが不安になる。


「……ありがとう。これ、貼っていい?」


 子どもが「うん!」と頷く。加奈が笑って、掲示板の端に丁寧に貼った。風に煽られてひらひらする紙が、逆に目立つ。整いすぎたポスターより、町の手触りがある。


 美月がスマホを見て、ぽつりと言った。


「すでにバズってます。『市民代表っぽい』って。……あ、でも、誤解が増えないように、ちゃんと説明も付けます。『子どもたちの応援を掲示板に』って」


「頼む。『涙』とか『感動』って煽りは控えめで」


「分かってます。今日は、あおらない日」


 美月の言葉に、勇輝は少しだけ救われた。


 午後の演説は、短い距離をいくつも回る形になった。選挙カーの代わりに、魔導拡声器を使う案も出たが、加奈が即座に止めた。


「音量規制、あります。温泉通りは観光客が多いから、うるさいと苦情が来る。それに、異界の拡声器は“感情”に反応するから、テンション上がりすぎると声が勝手に伸びる」


「勝手に伸びるの、怖いな」


「怖いです。だから、今日は“地声で届く距離”でいきましょう」


 結果、勇輝の演説は、商店街の角で、駅前で、温泉通りの入口で、小さく行われた。声を張り上げるのではなく、近い人に話す。近い人が、遠い人へ伝える。拡声器より遅い。けれど、言葉が角を立てずに広がる。


 勇輝は何度も同じことを言った。けれど、言い回しは少しずつ変えた。聞く人が違うからだ。


「守るっていうのは、誰かを締め付けることじゃない。困ったときに『ここに来ればいい』って思える場所を残すことだと思ってる」

「経済も福祉も、どっちかだけ選ぶと崩れる。選ばないための手続きを増やす。面倒でも、面倒が町を守る」


 加奈が隣で頷き、必要なときだけ補足した。美月は、撮影は最小限にして、代わりに質問箱を用意して回った。質問が集まるのが、ひまわり市の選挙だ。怒号ではなく、質問でぶつかる。ぶつかると言うと過激だが、でも、真剣な人ほど質問が鋭い。


◆夕方・討論番組「異界の声」


 夕刻、魔法水晶を使った生中継番組が始まった。タイトルは「異界の声」。市民ホールの討論会とは違い、画面越しに町全体へ届く。だからこそ、言葉の扱いが重要になる。


 司会のミャゴスは、画面の向こうも意識して、いつもよりゆっくり話した。


「最後に、候補者のみなさんへ。市の未来を“一言”で表すとしたら、何ニャ?」


 スラが即答する。即答なのに、軽くない。


「まぜる。……でも、まぜたら、責任もまぜる。困ったら、みんなで直す」


 リュシエルは、少しだけ微笑む。


「つなぐ。……交易も文化も、人の関係も。つながっていれば、切れた時に結び直せる」


 そして勇輝。勇輝は一拍置いた。置いてから、言った。


「まもる。……ただ守るだけじゃなくて、守り方を毎年更新する。町が変わるなら、守り方も変える」


 画面の向こうで、拍手が起きた音がした。水晶越しの拍手は、少し遅れて届く。その遅れが、妙にあたたかい。


 美月は控室で、画面を見ながら小さく息を吐いた。


「よし。今の、変に切り取られない。……大丈夫。大丈夫だ」


 加奈が横で頷く。


「美月がちゃんと支えてるから。言葉は、ひとりで守れない」


 投票は、日没後まで続いた。投票所では、意思波紋の照合が行われ、投票箱は魔法と電算の二重管理。異界式の封印と、日本式の封緘が並んでいる。面倒だ。けれど、その面倒が信頼を作る。


◆夜・開票センター


 開票センターは、臨時に市民ホールの裏手に設けられた。魔力と電算が混ざる空間は、光が少し青い。集計システムが光り、票が数字に変わっていく。


 スクリーンに、速報が浮かび上がった。


1位:スラ(通称スラ14) 36%

2位:勇輝 33%

3位:リュシエル 31%


「接戦だな……」


 誰かが呟き、会場がざわめく。リュシエル陣営の人たちも、落ち込むというより、最後まで見届ける顔をしていた。投票が、結果だけではないことを知っている。


 そして、最後の票が加算される。数字が、ふっと揺れた。魔法文字が書き換わり、表示が切り替わる。


1位:スラ 33.5%

1位:勇輝 33.5%

3位:リュシエル 33.0%


 ほんの僅差。けれど、同率は同率だ。会場が、どよめく。ミャゴスがマイクを持って前へ出た。


「同率……!? これは、選挙管理委員会の決定が必要ニャ」


 選管の田辺が、手元の規程を開く。汗が光る。規程のページには、細かい文字で「同数得票の場合」の項がある。そこまで想定していたのは、えらい。想定していても、心臓に悪い。


「ええと……規程上、今回の“代表席”は一席ですが、同数の場合、二つの対応があります。ひとつは、抽選。もうひとつは、共同代表制として“席を共有”すること。共同代表制は、条例で既に条文が入っています。……ただし、運用は初めてです」


 抽選、という言葉が出た瞬間、会場の空気が少し冷えた。勝ち負けをくじで決めるのは、合理的ではある。でも、納得が難しい。


 勇輝は、壇上の端で立ったまま、スラを見た。スラはぷるん、と揺れ、発声魔石に触れて、静かに言う。


「くじ、いや。……わたし、いっしょにやる。勇輝、まもる。わたし、まぜる。……両方、いる」


 その言葉が、会場の空気を少しだけ温めた。足りないものを奪うのではなく、足りないものを合わせる発想。ひまわり市は、そうやって制度を増やしてきた。


 田辺が、深く頷く。


「選管としても、共同代表制を提案します。運用上は、代表席の議決権は一票ですが、発言権と協議権を二名で分担します。議事録には両名の署名結晶を付け、意見が割れた場合は“共同代表内協議”の手続きを挟む。……面倒です。でも、面倒に耐えられる町なら、できます」


 会場から、拍手が起きた。納得の拍手だ。誰かが勝って誰かが負けるだけじゃない形が、ここでは「現実的な解決」になる。


 リュシエルが、ゆっくり壇上に立った。悔しさがないわけではない。でも、顔に出さない。商人は、負け方も知っている。


「提案に賛同します。私が負けたから言うのではありません。……この町は、分けるより、組むほうが強い。次の選挙までに、私は商業区の提案を、制度として整えて持ってきます。代表が二人なら、相談相手も二人いる」


 その言葉に、会場が少し笑った。笑いは軽い。でも、優しい。


 こうして、決まった。


「スラ、そして勇輝。共同代表として、就任を受諾しますか?」


 田辺の問いに、スラが発声魔石に触れる。


「うける。……こわいけど、やる」


 勇輝も、マイクに近づいた。出馬の経緯が妙であっても、受けた以上は逃げない。


「受ける。……ただし、俺は“代表”って言葉に酔わない。やることは、現場の延長だ。町の声を聞いて、手続きを作って、必要なら直す。スラと一緒に、それをやる」


 拍手が、もう一度広がった。今度は、さっきより少し大きい。決まったからだ。町が、次へ進めるからだ。


◆夜・市役所 共同代表協定書


 開票の興奮が少し落ち着いた頃、庁舎の一室で「共同代表協定書」が作られた。タイトルは堅い。内容も堅い。けれど、堅くないと守れないものがある。


 加奈は、机の上に紙を並べながら言う。


「条文、最低限にしました。『共同代表は、協議の上で意見をまとめる』『意見がまとまらない場合は、町民意見聴取を追加で行う』『行政は共同代表に必要な資料を開示する』。これだけでも、役割が曖昧にならない」


「ありがとう。こういうの、加奈がいると安心する」


 勇輝が言うと、加奈は少しだけ目を細めた。


「安心していい。でも、甘えすぎないで。共同代表になったら、今までより“説明”が増える。逃げられない」


「逃げないよ。……逃げないって、口で言うのは簡単だから、手続きで縛ってくれ」


 加奈は笑って、ペンを渡す。


「はい。じゃあ署名。……紙の署名と、署名結晶。両方」


 スラは、結晶に触れる前に、少しだけ止まった。ぷるん、と揺れ、勇輝を見上げる。


「ゆうき。……わたし、字、うまくない」


「字は、うまくなくていい。意思があればいい。ここは、そういう制度にした」


 勇輝の言葉に、スラはぷるん、と大きく揺れて、結晶に触れた。淡い光が走り、結晶の中に波紋が刻まれる。加奈はそれを確認し、静かに頷いた。


「はい。これで、正式です」


 美月が控えめに、でも嬉しそうに言う。


「共同代表就任、広報文はもう作ってあります。『抽選ではなく共同代表制を採用し、多様な視点で行政協議を進めます』って。……変にドラマにしないで、でも、ちゃんと誇れる文にしました」


「ありがとう。誇るって、たぶんそういうことだな」


 勇輝は言い、協定書をそっと閉じた。


◆深夜・市役所屋上


 夜風が吹き抜ける屋上。二つの月が、静かに空に浮かんでいる。昼間の騒がしさが嘘みたいに、町の灯りは落ち着いて見えた。遠くで、温泉街の湯気が薄く揺れている。


 勇輝は手すりにもたれ、缶のお茶を開けた。ぷしゅ、という音が小さく響く。横に並ぶ加奈も同じように缶を開け、少しだけ笑う。


「ほんとに、共同代表になっちゃいましたね」


「なったな。……俺が一番驚いてる」


 勇輝は空を見上げる。笑いにしたい気持ちはある。けれど、今日一日で積み上がったものが、笑いだけでは収まらない重さを持っている。


「でも、市民みんなが参加してくれた。投票も、討論も、質問も。あれだけ種族が違っても、同じ列に並べた。それだけで、俺は少し救われた」


 加奈は、屋上の冷えた空気を吸って、ゆっくり吐いた。


「選挙って、勝った人のための行事じゃなくて、参加した人のための手続きなんだって、今日ちょっと分かりました。……分かるの、遅いかな」


「遅くない。分かるタイミングが来ただけだ。町が変わったから」


 そこへ、美月が屋上の扉から顔を出した。さすがに今日はタブレットではなく、メモ帳を抱えている。夜の風に髪が揺れ、少しだけ目が疲れているのが見える。


「二人とも、ここにいました。……写真、撮らないです。今日はもう、撮らない。代わりに、記録だけ」


「記録なら歓迎。明日の自分が助かる」


 勇輝が言うと、美月は頷き、メモ帳を開いた。


「勇輝さん、さっき言ってましたよね。『選挙は手続きを共有すること』って。あれ、広報の言葉にするなら、どう言えばいいと思います?」


 加奈が先に答えた。


「難しい言葉にしないで。『みんなで決めるための約束』とか。約束なら、守る気持ちが湧く」


「いい。『約束』は強い。スラにも伝わる言葉だ」


 勇輝は、少し考えてから言った。


「選挙って、信頼の証明書みたいなものだと思う。紙の証明書じゃなくて、行動で作る証明書。だから、破れない。破れそうになったら、また作り直す。今日みたいに」


 美月がメモを取りながら、静かに笑った。


「……それ、いい。『破れない』って、今日の町に合ってる」


 風が吹き、三人の間の沈黙を優しく揺らした。下の街では、まだ少しだけ人の声が残っている。今日の選挙の話をしている声だ。誰かが誰かを責める声ではない。『どうだった?』と確かめ合う声だ。


 勇輝は、その声を聞きながら、今ようやく実感した。

 選挙は終わった。けれど、この町の「選ぶ」は、これからも続く。制度が追いつかない場面がまた来る。迷う場面も来る。そのとき、今日の手続きが、少しでも支えになる。


「……よし。明日から、共同代表の初仕事だ。まずは、代表席の机をどこに置くかから決めよう。机の位置って、意外と揉める」


 加奈が笑い、肩をすくめた。


「揉めたら、ちゃんと議事録に残してね。共同代表の最初の議事録が『机の位置』でも、それがひまわり市らしいから」


 美月も笑った。


「その議事録、広報に出さないでくださいね。さすがに」


「出さない。……でも、いつか笑える日は来るかもしれない」


 三人の笑いは小さく、夜風に溶けた。二つの月は変わらず、町の上に浮かんでいる。祝福というより、見守りに近い光だった。

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