第15話「異界温泉と湯けむり協定」
■朝・ひまわり温泉郷
山間に朝霧がゆっくり満ちていく。
“湯けむりの町”の名にふさわしく、川沿いの温泉街は白い蒸気に包まれていた。
木造旅館の軒先からは湯気が立ちのぼり、通りののぼりには大きく
「異界開通記念・温泉まつり」
と染め抜かれている。
観光案内所の前で、加奈は両手いっぱいにパンフレットを抱えながら目を丸くした。
「見てください勇輝さん! お客さんでいっぱいですよ!」
視線の先には――
通りを埋め尽くすように流れる、耳の長い旅人たち。
髪色は銀・淡金・翡翠色。どこを見てもエルフ、エルフ、エルフ。
勇輝は思わず言葉を失った。
「……うわ、全員耳尖ってる!?」
隣で微笑むマルコ(エルフ商人)が、誇らしげに胸を張る。
「エルフ界では“湯に入る文化”が希少なのだ。
“肌が柔らかくなる水”として噂が広まっている。」
そこへ市長が、嬉しさを隠せない様子で駆け寄ってきた。
「観光収入3倍だよ! ひまわり温泉の再ブーム到来だね!」
喜びで声が弾んでいるが、勇輝は眉間を押さえた。
「いや待って、市の水源、持つのこれ!?」
美月は観光客の長蛇の列を見ながら、
「(広報ページのアクセス増える……サーバー落ちる……)」と頭を抱えていた。
■昼・温泉組合会館
昼になっても温泉街は騒がしさを増す一方だった。
組合会館の扉が勢いよく開き、現場責任者・古市支配人が駆け込んでくる。
「市長! 湯の花が……湯の花が足りません!
異界エルフが“瓶詰めして持ち帰る”んです!」
顔が真っ赤だ。おそらく“湯の花不足”の件で限界を迎えたのだろう。
市長の表情が固まる。
「瓶詰め!? あれ観光土産じゃなくて資源じゃないのか!?」
加奈が真剣な顔で補足した。
「このままじゃ、温泉の泉質が落ちます!」
勇輝は腕まくりをしながら、大きく頷く。
「異世界の“湯泥棒”案件か……! 行政対応します!」
美月は「(これは広報で火消し必要だな……)」と素早くメモを取り始めた。
■午後・異界温泉街(温泉神社)
温泉街の奥、湯気に包まれた石段を登ると、
古びた鳥居が静かに立っていた。
その奥から、湯煙をまとった神域の気配が流れてくる。
勇輝と加奈、そして美月は、深く一礼して鳥居をくぐった。
湯気のヴェールが揺れ、女神の気配が満ちていく。
白い湯煙が一か所に集まり、人の形へ変わった。
姿を現したのは――
温泉神・湯津比売
透きとおる湯をまとった女神のような存在だった。
「人の町よ、湯を乱す者を放ってはならぬ。
湯は大地の息、命のめぐり。奪えば、町は枯れる。」
加奈が息を呑む。
その声は湯の流れに溶けるようで、抗えない力を帯びていた。
勇輝は真剣な表情で一歩前に出た。
「……つまり、“温泉の管理”を異界共通ルールにしろと。」
「左様。湯けむりの協定を結べ。
人と異界とが湯を分かち合うのだ。」
次の瞬間、湯の花がふわりと光り、
二人の手の甲に淡い紋章が浮かび上がる。
手元の巻物が勝手にひらき、文字が湯気のように書き上がっていく。
それは――
《温泉協定書》
ひまわり市と異界双方の“湯の権利”と“利用ルール”を定める、
新たな異界行政文書だった。
■夕方・温泉街・広場
「異界湯けむり協定 締結式」
温泉街中央の広場には、地元住民と異界の客が入り混じり、
湯気の向こうで提灯が揺れている。
湯津比売の神域から広場まで、湯の香りが柔らかく流れてくる。
壇上に並んだのは――
勇輝、加奈、市長、マルコ、湯津比売、古市支配人。
市長は杯を掲げ、朗らかに声を響かせた。
「異界と人界、湯けむりのもとに一つに! 乾杯!」
「カンパーイ!」
エルフ客たちの声が山々へ反射して広がる。
その瞬間、花火のように湯の花が空へ舞い、
虹色の湯気が夜空を照らした。
小さな温泉街が、まるで祝祭の都に変わったようだった。
美月はスマホを構えながら、
「(これ絶対バズる……!)」と輝く目で撮影していた。
■夜・露天風呂
仕事を終えて、加奈と美月は静かな露天風呂へ身を沈めた。
星空が湯面に映り、遠くではエルフたちの笑い声が聞こえる。
湯気が頬をくすぐり、今日一日の慌ただしさがゆっくり溶けていく。
「こんなに忙しいのに……なんだか幸せですね。」
加奈が湯に肩まで浸かりながら微笑む。
美月は苦笑しつつ、頭の後ろで手を組んだ。
「異世界に来て、風呂入ってるのに“町おこし感”あるって、どういう状況よ。」
「でも、みんなが笑ってる。それが一番の再生ですよ。」
「……ですね。湯も人も、循環してる。」
湯気がふわりと流れ、微かな声が風に乗る。
それは湯津比売のものだった。
『忘れるな、人の子よ。湯は心を映す鏡なり。』
美月は湯面をパシャリと叩き、空を仰ぐ。
「はいはい、明日も残業確定ってことですね……。」
加奈はくすっと笑い、静かに目を閉じた。
「でも、“湯けむりの町”って、いい響きです。」
『異界に浮かぶ町、ひまわり市』
― 第15話「異界温泉と湯けむり協定」END ―
次回予告
第16話「異界グルメフェスと保健所バトル!」
魔物肉輸入で検疫大混乱!?
“保健所 vs スライム商人”の胃袋バトルが始まる――!
ひまわり市、グルメ行政編へ突入!




