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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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1226/1979

第1226話「手土産と儀礼と出発式:市長、最後に一手」

◆午前・ひまわり市役所 倉庫


 市役所の倉庫は、だいたい“段ボールの国”だ。

 伝票の束と、古いポスターと、いつ使うのか分からない机の脚。そこに「念のため」が積み重なって、結果として世界が出来上がっている。


 なのに今日だけは、その国が妙に華やかだった。


 机の上に並んでいるのは、段ボールではない。

 ひまわり柄の紙袋、温泉まんじゅうの箱、小瓶に入った黄金色のひまわり油、乾燥ひまわり茶のティーバッグ、地元職人が作った木のスプーン。

 そして、机の端にちょこんと置かれた小袋――塩。


「……塩、誰が持ってきた?」


 勇輝が口にした瞬間、加奈が遠慮がちに手を挙げた。

 申し訳なさと、自分の案を簡単には捨てたくない気持ちが、笑い方に混ざっている。


「ごめん。私。……温泉ってさ、塩が合うじゃん? 汗かいたあとに、ちょっとだけ舐めると落ち着くっていうか」


「温泉に合うかどうかじゃなくて、外交だよ。渡した瞬間に『落ち着く』じゃ済まない可能性がある」


 勇輝が言うと、机の向こうでレフィアが静かに資料を開いた。

 付箋が増えた手帳の隣に置かれた紙には、見慣れてきた文字が並ぶ。


 手土産・儀礼リスト(暫定)

 ※国ごとの解釈差があるため、文言・包装・数量を調整すること

 ※禁忌が不明な場合は「渡さない」を優先


 淡々と書かれているのに、最後の一行だけ、急に強い。


 美月が紙の端を覗き込み、目をきらきらさせた。


「わぁ……手土産会議、なんかもうイベント感ある。写真にしたら絶対、雰囲気いいやつ」


「雰囲気で選んだら、終わる。こっちは『何を贈るか』だけじゃなくて、『どう受け取られるか』を先に考えないといけない」


「わかってる、わかってるけど……第一印象って大事じゃん?」


「第一印象が“宣戦布告”になったら、そこで終わる」


 勇輝の言い切りに、レフィアが小さく頷いた。


「その通りです。贈答は、相手の文化の上に立つ“最初の言葉”です。言葉が違えば、同じ品でも意味が変わります」


 加奈は塩袋に視線を落としながら、ぽつりと聞いた。


「そんなに危ないの? ただの塩だよ?」


 レフィアは、言い方を急がなかった。

 塩袋を指先で軽く押さえ、そこに「何が起きうるか」を丁寧に置いていくみたいに、言葉を選ぶ。


「塩は地域によって役割が違います。浄化、結界、境界の宣言。儀礼で“入るな”を示すために撒く文化もあります。つまり、受け取り手がその側の文化を持っていた場合、『距離を置け』と解釈される可能性がある」


「距離を置け……」


 加奈が息を吸い、視線が少しだけ泳いだ。

 悪気のない善意が、矢印を反転させてしまう話を、今ここで初めて触れたみたいな顔だ。


 勇輝はペンを持ち、塩の欄に二重線を引いた。

 勢いではなく、ちゃんと決めた線に見えるように、ゆっくり引く。


「塩は、なし。……加奈、持ってきたこと自体は責めない。考えた理由も分かる。ただ、今日は“相手にどう届くか”を優先する」


 加奈は小さく頷き、塩袋を自分の手元に引き寄せた。

 その動きが、倉庫の空気を少し落ち着かせる。


「うん。分かった。温泉は温泉で、別の場所でちゃんと出すよ。ここで混ぜない」


 レフィアが、その言葉に少しだけ表情を和らげる。

 そして、資料の別のページをめくった。


「次は、ひまわり油ですね」


「これならどうだ。地元産で実用的だし、料理に使える。癖も少ない」


 勇輝が小瓶を持ち上げると、倉庫の窓から差す光を受けて、黄金色がきらりとした。

 派手すぎない、でもちゃんと“いいもの”に見える色だ。


 レフィアはラベルを読み、ほんの少し頷く。


「良い選択です。『豊穣』『暮らし』『実り』の象徴として受け取られる国が多い。……ただし、注意点があります」


 美月が反射的に肩をすくめた。

 最近、みんなが“ただし”に慣れ始めている。


「形状です。この瓶は、宗教的な儀礼で用いる“聖油”の容器に似て見える場合があります。相手がそれを連想すると、軽く扱えない品になり、扱いが難しくなる」


「見た目でそんなところまで……」


 勇輝は小瓶を机に戻し、代わりに紙を取った。

 説明文――あまり好きな響きじゃないが、ここでは頼りになる。


「説明を付ければいいんだな。『ひまわり市の特産の食用油です。家庭料理にお使いください』。これなら、暮らし寄りに寄せられる」


「“家庭料理”は良いです。民の生活に紐づけられる。宗教の領域から離れます」


 加奈も頷く。


「うん。これなら渡された方も、“使っていいんだ”って分かる」


 美月が瓶を撮ろうとして、勇輝の視線に気づき、ぴたりと手を止めた。

 その仕草だけで、最近の小さな積み重ねが見える。


「……ここ、資料いっぱいだし、背景に番号とか映ったらまずいよね」


「その判断ができたなら十分だ。撮るなら、撮影場所を決めてから。倉庫の机の上は危ない」


「はい。学習しました。今は……」


 美月が言いかけて、口を閉じる。

 言い直す前に、顔が先に反省しているのが面白い。


「……言い方、気を付けます」


 倉庫の空気が少し軽くなった、そのタイミングで、扉が開いた。


「お、いい匂い。今日は“お土産選び”か」


 市長が、紙コップのコーヒー片手に入ってきた。

 入ってくるだけで空気が動く。軽いのに、場を抜けない人の動きだ。


 机の上の温泉まんじゅうを見つけると、市長は迷いなく箱を持ち上げた。

 そして、そのまま笑う。


「これでいいじゃん。まんじゅう。世界はまんじゅうで平和になる」


「市長、平和はまんじゅうだけじゃ作れません」


 勇輝が言うと、市長は肩をすくめた。


「作れるよ。だって甘い。甘いと、だいたい人は落ち着く」


 加奈が笑ってしまい、美月も「それはちょっと分かる」と頷きかける。

 そこへレフィアが、礼儀正しく一礼してから、穏やかに釘を刺した。


「市長閣下。甘味は、確かに強いです。ただ、贈答の作法は“味”だけでは決まりません。包装の色、渡す順番、言葉の添え方。国によっては、甘味が儀礼の中心にある場合もあれば、逆に“幼い品”と受け取られる場合もあります」


 市長が「ほう」と面白がるように頷く。


「じゃあ、まんじゅうは“幼い”って思われる可能性がある、と」


「可能性はあります。ただし、工夫で変えられます。説明を添える、渡す相手を選ぶ、場を選ぶ」


 レフィアが言い終えると、美月がぽつりと呟いた。


「……レフィアさん、今の言い方、めちゃくちゃ優しい」


 レフィアが一瞬だけ固まり、咳払いで姿勢を整える。


「私は、常に相手に失礼がないように努めています」


「そこ、急に真面目になるの、好きです」


「好きと言われても、反応に困ります」


 そのやり取りに、勇輝は笑いを堪えながら、ホワイトボードを引き寄せた。


「よし。決める。安全に通る“共通セット”を作る。国別に追加できるものは追加。危ないものは最初から排除。そうすれば、迷いが減る」


 ペンが走り、文字が並んでいく。


 共通セット(全行程):ひまわり油(説明文付き)+乾燥ひまわり茶

 国別追加(必要時):木のスプーン/温泉まんじゅう(包装と渡す相手を調整)

 避ける:塩/刃物/鏡/割れる装飾品/意味が強すぎる紋章入り


「刃物と鏡が同じ列に並ぶの、やっぱり異界だな……」


 勇輝が言うと、市長が楽しそうに笑う。


「異界って、そういうところが面白い。だから“面白がりながら慎重に”が大事だね」


「市長がそれを言うと、信用していいのか迷うんですよ」


「信用してよ。今日は最後までちゃんと慎重にする」


 市長はそう言ってから、温泉まんじゅうの箱を机に戻した。

 戻す動きが丁寧で、ちゃんと“今は遊んでいない”のが分かる。


 レフィアが指を一本立てた。


「もう一つ。数量です」


「数量?」


「偶数が不吉な国があります。逆に奇数が禁忌の国もある。ですから、個数を固定しない。『一揃え』と表記します。相手の側で、縁起の良い数に整えられる」


「表記で逃げるのは強いな」


 勇輝が言うと、レフィアは首を横に振った。


「逃げではありません。相手の文化に合わせる余白です。余白は、礼儀です」


 加奈が小さく頷く。


「なるほど……。こちらが“決めすぎない”のも、気遣いになるんだね」


 美月が、ホワイトボードの文字をじっと見つめてから、ふっと笑った。


「なんか、役所の文章って、こういう時すごい。曖昧にすることで丁寧になるんだ」


 勇輝は軽く肩をすくめた。


「曖昧じゃなくて、調整可能って言ってくれ。……あと、ここで“魔法”とか言い出すと、余計な誤解が増える」


 市長が口笛を吹くふりをして、あえて黙る。

 黙れる市長は、たぶん今が一番頼もしい。


◆正午・倉庫横の作業スペース


 手土産の中身が決まると、次に来るのは“外見”だ。

 包装。ラベル。説明札。渡す順番。

 見た目の話に入った瞬間、全員の集中が別の種類に切り替わる。


 勇輝は、ひまわり油の瓶を別の容器に移し替える案を提案した。

 円柱よりも、少し平たいボトル。宗教的に見えにくく、台所にありそうな形。


「これ、商店街の雑貨屋にある。食用油のボトルっぽいやつ。移し替えは衛生面が気になるから、元の瓶を包んで“台所の品”に見えるようにする方がいいか」


 加奈が「包みで寄せるのはいいね」と頷き、レフィアも「包装の説明で補強できます」と言った。


 美月は、説明札の文面に目を走らせながら、じっと黙っている。

 黙っている美月は珍しい。

 でも、黙っている理由が分かる。今は、言葉を“出す”より、“揃える”方に意識が向いている。


「説明札、テンプレ作ります。油用、お茶用、スプーン用、まんじゅう用。短く、でも誤解しにくい言葉」


 美月がそう言って、紙に書き始めた。

 文字が整っている。いつもの勢い文字じゃない。


「油用はこれ。『ひまわり市の特産の食用油です。家庭料理にお使いください』。

 お茶用は、『乾燥ひまわり茶です。香りを楽しむ飲み物としてお召し上がりください』。

 スプーン用は、『地元職人の木工品です。日常の食事に使える道具として』……」


「いい。言葉がちゃんと“暮らし”に寄ってる」


 勇輝が頷くと、美月は少しだけ嬉しそうに息を吐いた。

 褒められるために書いていない。でも、ちゃんと届いてほしい顔。


 レフィアが、さらりと補足する。


「まんじゅうは、贈る相手を選びましょう。公式の場ではなく、受け入れ側が“歓迎”として受け取る場面で。儀礼監察がいる場合は特に注意です」


 その単語が出た瞬間、倉庫の空気が一瞬だけ引き締まった。

 儀礼監察。

 レフィアは言葉を強くしないが、強さが内側にある単語だ。


 市長が、コーヒーを一口飲んでから言った。


「儀礼監察がいると、何が変わるの?」


 レフィアは少しだけ間を取り、全員が同じ絵を思い浮かべられるように話す。


「形式が“目的”になります。こちらが誠意を持っていても、形式が崩れていると誠意が届きにくい。逆に、形式が整っていれば、言葉が足りなくても礼が伝わる。そういう方です」


 勇輝は、心の中で“今日の訓練、やっておいてよかった”と静かに思った。

 あの時の図と角度が、ここで繋がる。


 加奈が小さく拳を握る。


「じゃあ、ますます、出発式で“ちゃんと送り出す”の大事だね。町として整ってるって見せられる」


「その通りです。だから出発式は、単なるイベントではありません。ひまわり市という組織の姿勢を示す場になります」


 レフィアが言った言葉が、倉庫の天井に吸い込まれていく。

 倉庫の中なのに、急に外の世界へ繋がる感覚がした。


◆午後・庁舎前広場 出発式の準備


 夕方に向けて、庁舎前広場が少しずつ“式”の形になっていく。

 簡易ステージ、マイク、ひまわり柄の横断幕。

 文字は大きい。けれど、余計なことは書いていない。


 ひまわり市 研修旅行 出発式

 ※行き先の記載なし

 ※応援は歓迎、問い合わせは窓口へ


「……最後の一文、役所っぽい」


 加奈が笑うと、勇輝も苦笑した。


「ここで“どこ行くの?”が爆発すると、窓口が麻痺する。式の最中に窓口が麻痺したら、式が式じゃなくなる」


「役所の事情、ちゃんと分かるようになってきたね、主任」


「分かりたくて分かってるわけじゃない」


 美月は庁舎アカウントの投稿画面を開き、撮影位置を確認していた。

 背景に写り込むものを一つずつチェックして、角度を数センチ単位で変える。

 その姿が、すでに訓練の成果だ。


「撮影はここ。背景は横断幕とステージだけ。人の顔は、許可取った人だけ。コメント返しはテンプレ。位置情報は切る。……それと、余計な言葉は足さない」


「自分で言い聞かせてるの?」


「うん。自分が一番うっかりするタイプだから。先に声に出すと止まれる」


 美月の言い方は、冗談みたいで、でも真剣だった。

 レフィアが、そのやり方を否定しないのが、静かに安心になる。


「良い方法です。自分の癖を把握しているのは強い」


「……強いって言われた。嬉しい」


 美月が小さく笑うと、レフィアもほんの少しだけ口元を緩めた。

 その一瞬が、“怖い”と言いながらも歩こうとしている人の顔に見える。


 市長が、ステージの上でマイクのチェックをしていた。

 軽く声を出し、音の反響を確かめ、スタッフに指示を飛ばす。

 騒がしいのに、雑にならないのが市長の不思議なところだ。


 勇輝は横断幕を見上げた。

 行き先が書いていない。

 ひまわり市の“学習”が、ちゃんと形になっている。


「主任、原稿は?」


 加奈が小声で聞く。


「一応ある。役所らしいやつ」


「役所らしいのも必要だけど、今日の場は“町の場”でもあるよ。主任が町の人に向けて話すって、たぶん、すごく効く」


 加奈の言い方が、妙に真っすぐだった。

 勇輝は原稿を握り直す。

 ここで必要なのは上手な話じゃない。立ち位置だ。町の中で、役所がどう立つか。


◆夕方・庁舎前広場 出発式


 人が集まってくる。

 住民の顔は、応援が半分、心配が半分。

 異界の住人も混ざっている。商店街の人、温泉街の人、役所の職員。

 前列にはスライムがぷるんぷるんしていて、その隣には、なぜか木のスプーンを持ったドワーフが座っていた。


 市長がマイクを握る。

 いつもの軽さを残しながら、言葉を丁寧に置く声だ。場を煽らない。急がせない。


「みなさん、集まってくれてありがとう。ひまわり市はここに来てから、ずっと内側を整えてきた。生活、ルール、窓口、税のこと、交通のこと。新しい世界で暮らすために、毎日ちょっとずつ、地味に、ちゃんとやってきた」


 ざわめきが落ち着く。

 「地味に」のところで、何人かが笑った。

 笑いが起きるのは、そこに実感があるからだ。


「今日は、その整えた内側を抱えたまま、外側を学びに行く。これは遊びじゃない。……というか、主任が遊びにするはずがない。あの人、まじめだから」


 後ろで勇輝が「そこは余計だ」と小さく呟く。

 けれど、笑いが広場に広がり、空気が少しだけ柔らかくなる。

 市長は、その柔らかさを使って、次の言葉へ繋げた。


「学んで、戻ってきて、また整える。もっと暮らしやすくする。もっと安心できる町にする。ここに来てから、“なんとかする”を繰り返してきたひまわり市だから、きっと出来る。僕はそう信じてる」


 拍手が起こる。

 拍手の中に、異界側の拍手が混ざっているのが分かる。

 それが、少し嬉しい。


 市長が、勇輝へ目配せした。


「じゃあ主任。ひとこと」


 勇輝はステージに上がり、マイクを持つ。

 視線が集まる。

 ここで言葉が固くなるのは仕方ない。でも、固すぎると届かない。


「……ひまわり市役所の、都市運営担当として研修に行ってきます。目的は、周辺国の行政運用を学び、ひまわり市の運営に持ち帰ることです。向こうのやり方を尊重しながら、必要なことを必要な範囲で学びます」


 自分の声が、広場に落ちる。

 何人かが頷くのが見えた。

 短く切らないように、言葉を繋ぐ。


「行き先については、調整があるので、ここでは細かく言えません。決まり次第、正式にお知らせします。……その代わり、ひとつだけ約束します。行って、戻って、ここで報告します。町のみんなに、ちゃんと返します」


 拍手が、少し強くなる。

 加奈がステージ脇で、ほっと息を吐いた。

 美月は画面越しに頷きながら、涙を堪えている顔をしている。


 そのタイミングで、市長が手を挙げた。


「ここで、商店街のみなさんから預かったものがあります。主任、読み上げてくれる?」


 勇輝が受け取ったのは、ひまわり柄の小さな布と、短いメッセージカード。

 文字は飾り気がない。でも、その分だけ強い。


『ひまわり市は、外へ出てもひまわり市。

 無事に帰ってこい。待ってる。』


 読み上げた瞬間、拍手が起こった。

 声も混ざる。

 「いってこい」「気を付けて」「ちゃんと帰ってこいよ」

 応援は優しいのに、背中を押す力がある。


 加奈の目が潤み、美月が鼻をすすった。

 スライムがぷるん、と大きく揺れて、まるで拍手の代わりに光った。


「応援エフェクト、ほんとにあるんだな……」


 ドワーフの誰かがぽつりと言って、周囲が笑う。

 笑いがあるのに、場が軽くなりすぎない。ちょうどいい。


 最後にレフィアがステージへ上がった。

 見知らぬ顔に、住民の何人かが探るような目をする。

 それをレフィアは理解した上で、丁寧に頭を下げる。ここで言葉を急がない。


「アスレリア王国、外務連絡官のレフィア・ルーミエルです。研修旅行の案内役を務めます」


 声は落ち着いていて、広場の端まで届く。

 その声が“異界の役所”のものだと、住民が少しずつ理解していく。


「ひまわり市の皆様が、町を守るために整えてきたものは、私にとっても学びです。研修は、互いの理解を深める機会になります。皆様が送り出してくださるこの姿勢は、受け入れ先にとっても『市の意思』として伝わります」


 その一言で、住民の表情がほどける。

 外交官の言葉は、派手じゃない。

 でも、目に見えないところで“安心”を作る。


 市長が締めに入った。


「よし。送り出そう。ひまわり市、研修旅行団――出発!」


 拍手と声。

 横断幕が風で揺れた。

 そこに書かれた文字が、今日だけは“本物”に見える。


◆式の後・庁舎裏 最終確認


 人が引いていく。

 広場の片付けが始まり、スタッフがマイクを下ろし、横断幕を畳む。

 ステージの裏で、勇輝は最終行程表を確認していた。


 最終行程表(暫定/外部秘)

 ※第1訪問地:アスレリア王国 王都近郊(行政運用視察)

 ※以降、調整中


 そこへ、レフィアが近づいてきた。

 いつもより少しだけ表情が硬い。

 硬い、というより、慎重な顔だ。


「主任。連絡が入りました」


 勇輝は行程表から顔を上げる。

 周囲の音が少し遠くなる。こういう瞬間に、人は勝手に緊張する。


「……良くない連絡か?」


「第一訪問地は変わりません。ただし、到着後の受け入れ窓口が変更になります」


「窓口変更……担当者が替わるってことか」


 レフィアは頷く。


「はい。王都の“儀礼監察”に近い方です。形式を重視します」


 美月が、端末を握ったまま顔を上げた。


「それって……めちゃくちゃ堅い人、ですよね」


 レフィアは否定しない。でも煽らない。

 言葉を大きくしないところに、彼女の仕事がある。


「堅い、というより、形式が言葉の代わりになる人です。こちらが整っていれば、相手も整います。整っていなければ、どれだけ誠意があっても届きにくい」


 加奈が小さく息を吸う。


「じゃあ……手土産の渡し方も、挨拶も、より大事になる」


「はい。だから、今日決めた“説明札”と“共通セット”は、効きます。余白があるから、相手の形式に合わせられる」


 勇輝は、行程表の上に新しいメモを書き足した。


 受け入れ窓口変更:儀礼重視

 挨拶動線/手土産の順番/説明札の読み上げ、再確認


 書いていると、市長が背後から肩を軽く叩いた。


「いいね。研修っぽい」


「市長、他人事みたいに言わないでください」


「他人事じゃないよ。だから“最後に一手”を打つ」


 その言い方が、妙に落ち着いていた。

 市長はポケットから封筒を二つ取り出し、机の上に置いた。


「ひとつは、受け入れ先向けの“紹介状”。もうひとつは、町からの“送り状”だ。形式が好きな相手なら、形式で礼をするのが一番伝わる」


 勇輝が封筒を見る。

 封は、押印具の印と、封蝋。

 しかも、封蝋の上に、薄い紙が一枚挟まっている。説明札と同じ紙質で、同じ文字の整い方。


「……これ、いつの間に」


 市長はさらっと言った。


「出発式の前に、商店街と自治会と、庁内の関係者に回した。署名と、印の確認も済ませた。内容はシンプルだよ。『ひまわり市として研修を行う』『目的は行政運用の学習』『情報の扱いは順序を踏む』『無用な誤解を避ける』。そして、町が責任を持って送り出す、って」


 勇輝は言葉を失いかけた。

 市長の軽さは、こういう時に“段取りの速さ”として出る。

 しかも、余計な飾りがない。必要な要点だけ。


 レフィアが封筒を見て、目を細めた。

 驚きと、安心と、少しの敬意が混ざった顔だ。


「……素晴らしい。儀礼監察が関わるなら、こういう文書は強い。市の意思と、手続きの整いが一目で伝わります」


 市長が肩をすくめる。


「僕はね、式の言葉は得意だけど、形式の言葉は主任とレフィアさんが得意だと思ってる。だから、得意な人に合わせて形を作った。最後に一手、っていうのはそういう意味」


 勇輝は封筒を手に取る。

 封蝋の上の紙には、短く書いてあった。


 贈答品:ひまわり市特産(食用)

 用途:家庭料理向け

 数量:一揃え

 説明札添付


 形式が、言葉の代わりになる。

 レフィアの言ったことが、ここで形になっている。


「市長……こういうの、先に言ってくださいよ。心の準備が」


「言ったら、主任が“もっと整える”でしょ。だから、整えた状態で渡す。安心して」


 市長の言い方が、いつもより少しだけ柔らかい。

 軽口じゃなくて、ちゃんと背中を支える柔らかさだ。


 美月が封筒を見て、そっと息を吐いた。


「……私、こういうの見ると、投稿したくなるけど、今日はしない。これは“現地で効くやつ”だから」


 レフィアが、真面目に頷く。


「その判断ができるなら、発信担当として十分です」


 美月が一瞬だけ照れて、でもすぐに真剣な顔に戻った。


「はい。現地で、必要なときに、必要な形で」


 加奈が小さく笑って、勇輝の袖を引いた。


「ね。みんな、ちゃんと整ってきた。怖いのは怖いけど、進めるよ」


 勇輝は、封筒の重みを手の中で確かめる。

 これは紙の重みで、責任の重みで、町の意思の重みだ。


「……よし。想定外が来ても、順序を踏む。形を崩さない。必要なら直す。ここまでやったなら、行ける」


 市長が満足そうに頷き、レフィアが静かに微笑む。

 その微笑みは外交官のものだけじゃない。

 ひまわり市の“今”を、ちゃんと受け止めている人の顔だ。


 夕方の風が、庁舎の裏を抜けた。

 横断幕はもう畳まれているのに、あの言葉だけが耳の奥に残っている。


 ひまわり市、学びに行きます。


 それはもう、飾りの言葉じゃなかった。


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