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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第1174話「象徴は燃やすな、議論は燃える:竜像デザイン大戦争」

◆朝・拍手の翌朝に机へ積まれるのは、だいたい紙だ


 “見える回”が当たった翌朝、勇輝の机にはコーヒーより先に紙が積まれていた。


 来場者アンケート。

 問い合わせメモ。

 広報課から回ってきた反応一覧。

 商店街の感想。

 近隣住民の心配。

 そして、いかにも市民から届きそうな、熱量だけで走った要望書。


 昨日の夜空では炎の龍がきれいに消えたはずなのに、役所の朝はまだ消えていなかった。火ではなく、感動の勢いが紙になって残っている。しかもその紙は、放っておくと勝手に燃え広がる種類の紙だ。


 勇輝は一番上の要望書を持ち上げた。字が大きい。勢いもある。良いことだとは思う。思うが、勢いのある字ほど、運用の話はあとから重くなる。


『炎の龍をひまわり市の象徴として常設してほしい』


 次の紙には、少し違う言い方で似た願いがあった。


『あの感動を、一回限りで終わらせないでください』


 その下には、もっと実利寄りの文面が続いている。


『通年展示にすれば宿泊客が増える。夜間消費も期待できる』


 要望書の前半は、その三種類が多かった。好きだった。惜しい。もったいない。町の顔になる。どれも気持ちとしてはよく分かる。だから厄介だ。分かることを、そのまま通せるかは別の話だからである。


 そして束の後ろ半分には、まるで別の熱量で書かれた紙が控えていた。


『火を常設するのは本当に安全なのか』

『夜に人が集まり続けるなら近隣住宅は落ち着かない』

『維持費はどこまで税金で出すのか』

『昨日は見物人で道が詰まった。毎日ああなるのは困る』


 感動のあとに来る紙は、たいてい二手に割れる。もっと見たいという紙と、もう少し落ち着いて考えてほしいという紙だ。役所は、その両方が乗った机の前で朝を迎える。


 美月が端末を抱えて入ってきたのは、その紙の山を勇輝が机の端で整え直しているときだった。椅子へ座る前から、顔に“これは良いニュースです”の雰囲気が出ている。こういう時ほど怖いと、勇輝はもう学んでいる。


「主任、来てます。公式じゃない圧も、正式な要望も、商店街の期待も、議会筋の探りも、まとめると全部“常設にしよう”です」


「来るなって言ったところで来る案件ではあるが、ずいぶん早いな」


「昨日の投稿がかなり伸びましたから。現場で泣いてた人もいましたし、“あれを一回で終わらせるのは惜しい”が、そのまま朝の紙になってます」


 そこへ加奈が、喫茶ひまわりの紙袋を抱えて入ってきた。パンの匂いより先に、話の続きが出てくる。


「喫茶にも来たよ。“あれ、ずっと見られるようにならないの?”って。しかも悪気のない顔で言うんだよね。ほんとに好きだったから、当然そうなるだろうと思ってる顔。あと、“常設になったら観光客、さらに増えるよね?”って、そこまで一息で言う人もいた」


「当然みたいに言われると、一番困る」


 勇輝はそう言って要望書の束を軽く揃えた。紙が多い時ほど、まず端を揃えたくなるのは、たぶん役所で働く人間の病気みたいなものだ。


 市長が扉を開けたのは、その直後だった。しかも、かなり機嫌のいい顔で。昨日の拍手をまだ背中に背負っている人の歩き方で入ってくる。


「聞いたぞ! 常設希望がもう来てるんだろう。いいじゃないか。こういう勢いは逃がさないほうがいい」


「市長、まだ何も決まってません」


 勇輝はあえて一番固い言い方を選んだ。ここでふわっと頷くと、昼までに“市長、常設前向き”が一人歩きして、夕方には消防も財務も余計に疲れる。


 市長は机の上の要望書を一枚つまみ上げ、嬉しそうに読み上げる。


「『炎の龍は町の象徴。末永く市民と観光客を迎える存在に』ほら見ろ。“象徴”って言ってる」


「末永くの前に、消防と保険と維持費が来ます」


 美月がほとんど反射で差し込む。


「“象徴”が燃えると、象徴どころじゃないです。あと、象徴って言葉のあとには、“誰が鍵を開けて、誰が見回って、誰が清掃して、誰が責任を負うんですか”が並びます。それが役所です」


 加奈は笑いながらも、かなり真面目に言った。


「でも、気持ちは分かるよ。昨日、終わったあとに“ここへ来てよかった”って言ってる人、本当に多かったから。だから簡単に“無理です”で切るのも違うと思う。ただ、“常設”って言ってる人が頭の中で何を想像してるか、そこは一回ばらしたほうがいいかも」


「その通りだ。まず“常設”をほどく」


 勇輝は立ち上がり、ホワイトボードへ大きく三つ書いた。


 一つ、通年常設。二十四時間、通年、そこにある。

 二つ、期間限定の常設。たとえば三か月だけ固定で置く。

 三つ、定期イベント化。普段は別の形で象徴を見せ、火が入るのは決まった日だけ。


 美月がすぐ乗る。


「みんなが言ってる“常設”は、だいたい一番上です。毎日そこにあって、いつ行っても見られるやつ。でも現実に通る可能性があるのは、かなり高い確率で三番目です。頑張って二番目です」


 市長が腕を組んだ。


「なぜだ。一番上が分かりやすいだろう。象徴って、そういうものじゃないのか」


「分かりやすいほど危ないからです」


 勇輝はためらわず言った。


「火がある。人が集まる。昼も夜も寄る人がいる。維持がいる。監視がいる。昨日の一回を三百六十五日に伸ばした瞬間、感動より先に管理の話になります」


 市長が口を尖らせかけたので、加奈が柔らかく補う。


「市長、常設って“ずっとある”だけじゃなくて、“ずっと面倒を見る”ってことだよ。きれいに保つのも、危なくないか確かめるのも、故障したら直すのも、全部ずっと続く」


 そこでようやく市長の姿勢が少し正された。


「……よし。じゃあ、管理もセットで考える」


 その一言が出るなら、まだ前へ進める。


◆午前・消防は夢を壊しに来るんじゃない。夢に床を付けに来る


 臨時の協議会は、いつもより早い時間に組まれた。観光課、施設管理、財務課、指定管理者、消防本部、そして竜王領の彫刻師グラド。昨日までは“見せる”側の中心にいた彼も、今日は“守る”側の質問を浴びる席にいる。表情が少し硬いのは当然だろう。


 消防の担当者は、資料を一枚ずつめくりながら、必要以上に大きくも小さくもない声で言った。


「まず確認します。常設という言葉が独り歩きしていますが、ここで言う常設は、火を常時出し続ける想定ですか。それとも、火を伴わない展示を基本とし、火が入るのは限定した時間だけですか」


 市長が反射で口を開きかけたので、勇輝は軽く咳払いし、自分で答える。


「現時点では未定です。だからこそ、火を出し続ける案も含めて、何が通り、何が通らないかを整理したい」


 消防担当者は頷いた。その頷き方は、“なら遠慮なく聞く”の合図でもあった。


「火を常に出すなら、周辺可燃物の管理。夜間の監視体制。異常時の即時停止手段。近隣建物への輻射熱。見物人の群集事故対策。不法侵入時の抑止。風向き変化時の運用停止基準。停電時の処理。ここまで全部必要です」


 列挙されるたび、会議室の温度が少しずつ下がっていく。感動の余熱を、消防はこういうふうに削る。


 美月が小さく囁いた。


「冷却魔法みたいな列挙ですね」


「比喩が失礼だ」


 勇輝は口ではそう言いつつ、内心は少し同意していた。消防の役割は、まさに“勢いの熱を現実で冷ます”ことなのだ。


 グラドが顔を上げる。


「竜王領の炎は、誇りであり、制御される。勝手に暴れぬ。無作法に周囲を焼くことはない」


 消防担当者は、その言葉を否定はしなかった。ただ、地上の枠へ戻す。


「制御されることは理解します。しかし、その制御の仕組みを“地上の規格”で示せますか。誰が、何を、どの条件で、どう操作すると止まるのか。止まらなかった場合、次に何で止めるのか。そこが文書にならない限り、私は通年常設へ賛成できません」


 グラドは一瞬、言葉に詰まりかけた。誇りで受け止めてきたものを、規格書へ落とせと言われているのだから無理もない。けれど、彼は逃げず、机の上へ掌を置いた。


「……示せるようにする。我らは器を持つ。結界を持つ。煤捕りの膜もある。だが、地上の規格書は持たない」


「そこを作るのが、ひまわり市です」


 勇輝は即座に切り替えた。


「だから、まず形を絞ります。火を二十四時間置き続けるのか、特定時間だけ燃やすのか、それとも火を使わない象徴を常設して、実演は別日にするのか。ここが決まらないと規格も運用要綱も作れません」


 消防担当者が短く頷く。


「率直に言えば、火を二十四時間置き続ける案に私は賛成できません」


 丁寧な言い方なのに、内容は鉄の扉だった。


 市長がそこで、珍しくすぐ折れた。


「……二十四時間は、やめよう」


「よし」


 勇輝はその言葉を逃さず拾う。


「なら、一番上は外します。今日考えるのは“火を常設しない象徴の作り方”と、“火を定期的に見せる運用”です」


 そこまで言葉にした瞬間、会議室の空気が少しだけ軽くなった。夢が潰れたというより、床が見えた感じに近かった。


◆昼前・保険会社は優しい笑顔で“それ、いくら掛けるつもりですか”と聞いてくる


 次に来たのは、保険会社との打ち合わせだった。担当者は炎の龍の写真や来場者データを見ながら、にこやかなまま目だけを少し細めた。役所が一番構えたくなる種類の笑顔である。


「大変魅力的な企画ですね。観光資源としての可能性も十分に感じます」


 その前置きが来た時点で、勇輝はだいたい覚悟を決める。褒め言葉のあとほど、条件は重い。


「ただ、補償の前提条件はかなり丁寧に設計する必要があります。火災そのものだけでなく、熱による損耗、煤による汚損、来場者の滞留による事故、夜間監視、設備故障時の責任分界。常設に近づくほど、確認項目は増えます」


 美月が横で、ぼそっと言う。


「“魅力的ですね”のあとに来る現実、毎回ずっしりしますね」


「褒められた後ほど気を引き締める。社会人の基本だ」


 勇輝はそう返してから、正面から聞く。


「逆に伺います。期間を限定すれば、条件はどこまで現実的になりますか。たとえば三か月の試行設置、火が入るのは月二回、そのほかは不燃素材の展示を常設、という構成なら」


 担当者は即答だった。


「通年よりは、かなり現実的です。リスクを限定できますので。特に、火の入る日が限定され、火のない日は不燃素材だけで構成されるなら、補償設計は組みやすいです」


 財務課の佐伯課長が、いつもの無表情で言う。


「では、通年が難しい根拠と、試行期間なら現実的と判断できる根拠、両方を数字でください。市としては、“夢の形”を“支払いの形”へ翻訳したい」


 担当者の笑顔が少しだけ薄くなるが、逃げはしない。


「概算は出せます。ただし、夜間監視の委託、設備点検、消防立会い、煤対策、導線整備、このあたりの分担でかなり変わります」


「そこは市だけでは持ちません」


 勇輝は先に線を引いた。


「スポンサー、竜王領観光組合の協力、任意協力金、その三つを組み合わせます。税負担だけで“火を待つ象徴”を維持する設計にはしない」


 市長が身を乗り出す。


「よし、竜王領観光組合には私から——」


「市長、条件の整理が先です」


 美月がすぐ止める。


「条件なしの約束は、あとで“聞いてない”が増えます。今日やるのは営業じゃなくて棚卸しです」


 市長は少しだけ唇を尖らせたが、反論しなかった。消防の列挙がまだ効いているらしい。


 加奈は、ずっと黙っていたところで静かに言った。


「通年で火を見せないなら、“何がいつもそこにあるか”を先に考えたほうがいいかも。みんな“常設”って言うと、火を想像してるようで、実は“そこに行けば竜の気配がある”を求めてるのかもしれない。毎日燃えてなくても、“ここがあの場所”って感じられれば、気持ちはかなり満たされると思う」


 その言葉で、話の軸が少し変わった。火をどう置くかから、象徴をどう置くかへ。そこが大きかった。


◆昼・善意の木箱には、だいたい丁寧に包まれた火種が入っている


 会議の熱が少し落ち着いたところで、グラドが黒い布で包まれた木箱を持ってきた。昨日も似た光景はあったが、今日は意味が違う。象徴の話をしている流れの中で、竜王領から“これを使えば常設に近づく”と言いたげな空気をまとっている。


「ひまわり市へ、記念の寄付を」


 そう言って箱を開けた瞬間、会議室の空気がまた少し張る。中にあったのは、黒い石のような小片だった。表面には細い赤の筋が走り、よく見ればごくわずかな熱も残っている。


 美月が反射で一歩下がった。

 加奈は覗き込み、目を丸くする。

 市長だけが前のめりだ。危ない。


「……それ、何ですか」


 勇輝が慎重に聞くと、グラドは誇らしげに答えた。


「署名入りの火種だ。竜王領の炎の“芯”。祭りの日に点せば、同じ龍の息が再現できる。象徴の像へ、一貫した火を宿らせたいときに使う」


「最高じゃないか!」


「最高じゃないです!」


 市長の声と、勇輝と美月の声が、かなり綺麗に重なった。


 美月は息を吸い直し、言葉を整えてから、はっきり告げる。


「保管場所がありません。これ、市が預かった瞬間、管理台帳と保管庫と点検記録と事故時の責任分界が全部生えます。庁舎のどこに置くんですか。会議室の棚では済みません」


 グラドは本気で驚いた顔をした。善意しかないからこそ、こちらの拒否がそのまま痛みに見えてしまう。加奈はそこへやわらかく入る。


「気持ちはすごく嬉しいよ。町の象徴に、竜王領の誇りを分けてくれるってことだもん。でも、役所って“嬉しいから預かります”が通らない場所なんだ。ここ、紙と責任でできてるから」


 グラドはしばらく黙った。勇輝はそこへ、すぐに代案を差し出した。


「火種そのものは、市が保管しない。竜王領側で保管し、実演日だけ立会いのもとで持ち込み、点火し、終了後に回収する。市が受け取るのは火種そのものではなく、“使用の約束”です。その方が、こちらの責任も、そちらの礼儀も守れます」


 グラドはその言葉を飲み込み、ゆっくり頷いた。


「火を贈るのではなく、火を扱う約束を贈る。……それなら、誇りは傷まぬ」


 市長も今回はすぐ乗った。


「よし、それでいこう。火種は預からない。だが、約束は受け取る」


 勇輝は小さく息をついた。実物が一つあるだけで、会議は急に現実になる。だが、その現実のおかげで“何なら受け取れるか”もはっきりした。


◆午後・ロビーと広場で、人は“立場”じゃなく“目線”で喋り始める


 会議室を一度離れ、スケッチ案と簡易模型は庁舎ロビーへ持ち出された。さらに午後には、設置予定地の広場で見え方の仮実験も行うことになった。机の上での議論は、どうしても“観光課の言葉”“議員の言葉”“役所の言葉”になる。だが、模型を目の前に置くと、人はもっと生活の言葉で反応する。


 ロビーで最初に立ち止まったのは、ベビーカーを押した母親だった。B案寄りの丸みある竜の模型を見て、子どもが「こっち好き」と指をさす。母親は笑ってから、A案寄りの鋭い竜へも目を向けた。


「昼間に子どもと寄るなら、優しい顔のほうが嬉しいです。でも、夜にライトが入るなら、少し強い感じもほしいかな。昼と夜で違って見えるなら、一つでも十分かも」


 その感想を、美月が即座に端末へ入れる。


 次に来たのは、商店街の年配の店主だった。彼は抽象的なC案をしばらく見てから、率直に言った。


「これはこれで綺麗だけど、説明なしで“竜だ”と分かる人ばかりじゃないだろうな。観光客は、分かりやすさにもお金払うんだよ。分かる人にだけ分かるやつは、町の顔にするには少し惜しい」


 その言葉に、勇輝はかなり頷きたくなった。抽象は嫌いではない。だが、町の入口に置くものとしては、伝わりやすさも同じくらい大事だ。


 午後、広場では段ボールと細い仮フレームで、A案とB案の中間みたいな簡易骨格が立てられた。昼の光でどう見えるか、夕方の影でどう立つか、子どもの目線だとどう感じるか、大人が遠くから見たとき何が先に来るか。その全部をざっくり見るための、かなり手作りの実験だ。


 加奈が子どもの高さにしゃがみ込んで言う。


「この角度、ちょっと笑ってるように見える。怖くない。でも、横に回ると首の線がぐっと強くなる」


 美月は少し離れた位置から写真を撮る。


「画面で見ると、昼は柔らかいのに、逆光にすると急に守ってる感じが出ます。夜に照明を下から当てたら、かなり威厳が立つはずです」


 ベテラン議員も、仮フレームの影を見ながら口を開いた。


「会議室の蛍光灯の下では鋭い顔が良く見えたが、昼の広場に立つと少し怒りすぎて見えるな。町の顔が朝から睨んでいる感じになるのは、たしかに重いかもしれん」


 若手職員がすぐに乗る。


「ほら、やっぱり柔らかいほうが——」


「いや、柔らかすぎても弱い」


 議員はそこも譲らない。


「子どもに好かれるのは大事だが、それだけだと“なぜここに竜がいるのか”の筋が薄くなる。昼に親しみがあって、夜にちゃんと芯が立つ、そのくらいが欲しい」


 加奈が、そこで穏やかにまとめる。


「結局みんな、“昼に怖すぎず、夜に弱すぎない”が欲しいんですね。言い方が違うだけで」


 その言葉に、場の全員がかなり素直に頷いた。


 ただ、実験はそれだけでは済まなかった。近くにいた子どもが、仮フレームの下へ入り込み、「ここで写真撮りたい」と言い出したのだ。可愛い話で終わればいいが、常設になれば毎日それが起きる。つまり、触りたくなる高さや、くぐりたくなる空間をどう扱うかまで、最初から決めておかなければならない。


 勇輝はすぐメモを取った。


「足をかけたくなる横棒は作りすぎない。くぐり抜けたくなる抜け感も調整する。ただし、全部を禁止にすると今度は“近づける象徴”の良さが消える。だから、触っていい場所を意図的に作る。尾の先か、台座の一部か、そのへんへ吸わせる」


 グラドが顎へ手を当てる。


「触れてよい部分を先に決めるのか」


「そうです。全部駄目です、だと人はどこでも触ろうとします。ここはいい、ここは違う、を形で教えたほうが早い」


 グラドは、その説明に静かに頷いた。地上のやり方を、少しずつ自分の道具へ混ぜ込んでいく顔だった。


◆夕方・結論は“二つ作る”ではなく“一つで時間を分ける”へ落ちた


 会議室へ戻ると、話はかなり具体になっていた。もう“可愛いか威厳か”ではない。昼の顔と夜の顔をどう分けるか、触れてよい位置をどこへ作るか、照明の角度で影をどう立たせるか、火の実演が入る日だけどこが完成するか。象徴の話が、ようやく運用とつながり始めている。


 勇輝はホワイトボードへ新しく整理した。


 昼は親しみ。輪郭に丸みを持たせ、家族連れが写真を撮りやすい距離感を作る。

 夜は威厳。照明で影を深くし、見上げたときに竜の強さが立つ。

 普段は触れられるが、登れない。触ってよい位置を意図的に設ける。

 火の実演日は、常設骨格の内側へ炎が宿って完成する構成にする。

 火種は市保管にしない。竜王領立会いのもとで持込・点火・回収する。


 美月がまとめる。


「一体で二つの顔を持たせる、ですね。昼に愛着、夜に象徴性。可愛い派と威厳派、欲しい時間帯が違うだけなら争わなくて済みます」


 加奈も頷く。


「昼に家族連れが“写真撮りたい”って思えて、夜に大人が“見上げたい”って思えるなら、両方生きるよね。しかも、実演日だけ火が入るなら、普段来た人にも“次はあの日に来よう”って理由ができる」


 グラドは静かに言った。


「竜は、見る者によって顔を変えてよい。戦の時と、祭りの時と、眠る時とで、同じ竜でも違う。ならば、昼の顔と夜の顔があることは、むしろ誠実だ」


 ベテラン議員も、最後にはそこで頷いた。


「夜に威厳が立つなら、象徴として十分だ。昼に少し柔らかくてもかまわん。市民が寄らぬ象徴は、結局ただ遠くにあるだけだからな」


 若手職員も、今度は勢いより納得の顔で言う。


「昼に写真が撮りやすくて、夜にちゃんと強いなら、観光としても一番きれいです。しかも、火が入る日だけ完成するなら、普段の投稿と実演日の投稿で流れも作れます」


 佐伯課長が最後に、現実の釘を静かに打つ。


「照明費、清掃費、点検費、全部見積もりへ入れてください。象徴は設置した瞬間に終わりません。むしろ、そこから月々の支払いが始まります」


「はい。そこまで含めて町の顔にします」


 勇輝はそう返した。会議室の空気は、ようやく落ち着いた。決まった、というより、“どう決めるか”が共有された感じだ。行政にとっての勝ちは、だいたいそこにある。


◆夕方前・“常設して”の熱をそのまま発表文に乗せると、明日また違う紙が燃える


 方針が固まったからといって、役所の仕事がそこで終わるわけではない。むしろ、そこから先の“どう伝えるか”のほうが、後から効く。常設してほしいという声は、言葉としては一つでも、頭の中で思い描いている景色は人によって違う。毎日燃えている龍を想像する人もいれば、記念写真が撮れる静かな像を想像する人もいる。夜中まで人が集まる観光地を期待する人もいるし、逆に、夜は静かであってほしいと願う人もいる。


 その違いを放っておいたまま、「町の象徴を整備します」とだけ発表すると、空白へそれぞれの期待と不安が勝手に流れ込む。そして、翌朝の机にはまた別の紙が積まれる。ひまわり市は、それをここ最近かなり学んでいた。


 だから美月は、正式発表の前にFAQのたたき台を作ると言い出した。役所の文書らしくないようで、実は役所らしいやり方だ。最初から“よくある勘違い”の置き場を作っておく。熱い案件ほど、その効き目は大きい。


「まず、絶対に聞かれるやつから並べます」


 美月は端末を会議室の画面へつないで、質問を打ち出した。


『炎の龍は毎日燃えるのですか』

『夜中も見られますか』

『普段は何が見えるのですか』

『子どもが近づいても大丈夫ですか』

『費用は市が全部負担するのですか』

『近隣への騒音や混雑はどうなるのですか』

『雨や強風の日は中止ですか』

『火種は市が持っているのですか』


 加奈がそれを見て、かなり本質的なことを言った。


「これ、質問っていうより、みんなが心の中で勝手に完成させそうな物語だね。だから先に答えておくの、すごく大事かも。“毎日燃える”と思ったままニュースだけ見たら、たぶん近くの人は一気に怖くなる」


「そうなんです」


 美月は頷いた。


「だから“違います”だけじゃなくて、“じゃあ何がいつ見えるのか”まで一緒に置きたいんです。“普段は竜の骨格と影が見えます”“火が入るのは月二回程度、条件を満たした日だけです”って。否定で終わらせると、勝手な想像が消えても、代わりのイメージが残らないので」


 勇輝もその方針には賛成だった。むしろ、今日のような日はそこで躓くと全部がやり直しになる。


「費用の答え方も先に決めましょう。“市が全部持ちます”でも、“全部外へ投げます”でもない。市の事業費、協力金、スポンサー、竜王領観光組合の支援、その分け方を最初から見せる。隠したり濁したりすると、あとでそこだけ太って戻ってきます」


 佐伯課長が静かに頷く。


「費用は、見えないと高く見えます。だから見せる。細部までは難しくても、“誰がどこを負担する考えか”までは最初から出したほうがいい。会計の炎は、だいたい説明不足で広がるので」


 市長が腕を組んだまま、少しだけ真面目に言う。


「つまり、夢の話をするときほど、現実の札を先に立てろということだな」


「そうです。しかも、札は怖がらせるためじゃなく、安心して夢を見るために立てる」


 勇輝がそう返すと、市長は満足そうに頷いた。今日は言葉の受け取り方がかなり良い。


◆夕方・近くに住む人と、近くで商う人では、“同じ常設”でも欲しい一日が違う


 発表前にもう一つ必要だったのが、近隣説明だった。イベントのたびに人が増える広場は、観光の目で見れば強みだが、暮らしている側から見れば騒がしさの種にもなる。しかも今回は“一回のイベント”ではなく、“これからしばらくそこにあり続けるもの”の話だ。先に話しておくかどうかで、あとで届く言葉の質がかなり変わる。


 夕方、広場に近い町内会と商店街、それに観光ボランティアの代表が集められた。大げさな説明会ではない。机を円形に並べた、小さな意見交換の場だ。市長、勇輝、美月、加奈、施設管理、そしてグラドも同席した。


 最初に口を開いたのは、商店街の和菓子店の店主だった。


「正直に言えば、期待しています。昨日の人出を見たら、店としては無視できない。火が入る日が定期的にあるなら、合わせて営業時間も考え直せるし、町全体の流れも作りやすい」


 その言葉に、広場の裏手に住む女性が続く。


「うちは期待より先に、夜の静けさのほうが気になります。昨日はイベントだから仕方ないと思えましたけど、それが常に続くのなら話は別です。火が綺麗なのは分かります。でも、人が集まる音は毎日積もるので」


 勇輝はその二つの声を、どちらも切らずに受け取った。


「そこは分けて考えています。普段そこにあるのは、不燃素材の骨格です。昼も夜も静かに見られる象徴で、毎日火が出るわけではありません。火が入るのは月二回程度、時間も固定です。終演時間も決めますし、群集対策まで含めて運用要綱へ入れます」


 美月がそこへ補う。


「つまり、“毎晩燃える観光地”にはしません。常に人を呼び続ける装置じゃなくて、“普段は寄れる”“時々だけ祭りになる”の二段構えです。そこを最初からはっきりさせたいです」


 観光ボランティアの年配女性が、少し安心したように言った。


「それなら案内しやすいわね。“今日は静かな竜です”“今日は息をする日です”って言えるもの。毎日同じ強さで見せるより、むしろ町の説明がしやすいかもしれない」


 加奈がその言い方を気に入ったように笑った。


「いいですね。静かな竜の日と、息をする日。お客さんにも伝わりやすい」


 グラドも、その場へ静かに言葉を置く。


「竜王領の誇りを見せたい気持ちはある。だが、地上で暮らす者の夜を奪ってまで誇りたいわけではない。火は祭りの日にだけ強くあればよい。日常へ置くのは、形と気配で十分だと、私は今は思う」


 その一言で、住民側の顔が少し変わった。押し切られると思っていた相手が、ちゃんと“抑える”言葉を持っている。それは近隣の安心にかなり効く。


 質問は続いた。照明は何時までか。子どもが登らないか。犬の散歩で寄っても大丈夫か。雨の日に滑らないか。掃除は誰がするのか。どれも細かいが、町に置く以上、全部が現実だ。


 勇輝は、その一つ一つへ答えながら思った。こういう席では、夢を大きく語るより、「何時に灯りが落ちるか」「誰が翌朝に拭くか」を明言したほうが人は安心する。ロマンは、案外その先にしか立てない。


◆夜・名前を先に付けると、形が少しだけぶれなくなる


 意見交換が終わり、会議室へ戻るころには外が暗くなっていた。模型の影が机の上へ長く落ちる。その影を見ながら、市長がぽつりと言った。


「なあ。形はだいぶ見えてきたが、名前はどうする」


 その一言で、場がまた少しだけ止まった。役所で名前を付けるというのは、いつも最後に残りがちなのに、付けた瞬間に全部の印象が少し変わる仕事でもある。


 美月が即座にいくつか口にする。


「“竜の影”はどうですか。普段の常設が影を見せる感じに合うし、実演日だけ息が入るって流れにもつながる」


 加奈は首を傾げた。


「綺麗だけど、少し静かすぎるかな。“ここに来たら会える”感じがもう少し欲しいかも。町の顔って、言葉でもちょっと呼びやすい方がいいよね」


 グラドが低く言う。


「竜の門、はどうだ。通る者を迎え、見上げる者を試す。普段は門であり、火が入る日は生きる」


 市長が「強いな」と唸り、議員のベテランも遠くから悪くない顔をした。だが、加奈は少しだけ考えてから言う。


「門だと、くぐる人が増えそうだなあ。うれしいけど、設計がまた大変そう」


「たしかに」


 勇輝はすぐにメモへ書く。名前一つで人の動きまで変わる。そういうところが、この町では案外馬鹿にできない。


 結局、その夜の時点では仮称として「竜の影」と「竜の門」が残り、最終決定は翌週へ持ち越しとなった。だが、不思議とそれでよかった。名前を急いで決めるより、名前の候補ごとに人がどんな動きを想像するか、もう一度見たほうがいい。そう思えるくらいには、会議が少し地面へ降りてきていた。


 市長は最後に、机の上の書類と模型を見比べながら、やけにしみじみした声で言った。


「常設してほしい、という紙から始まって、ここまで来るのに一日か。火を囲うより、期待を囲うほうが難しいな」


「期待は、見えないし、消火器も効きませんからね」


 勇輝がそう返すと、美月が吹き出した。


「でも今日は、かなりいい囲い方ができたと思います。燃やしっぱなしにしない。かといって冷たく消しもしない。形へ変える。たぶん、町がやるべきことって、その変換なんでしょうね」


 加奈も静かに頷いた。


「うん。来た理由を作る。でも、暮らしを崩さない。そういうの、派手じゃないけど、いい仕事だと思う」


 グラドは窓の外の夜を見て、最後に小さく言った。


「炎を日常へ置かぬからこそ、祭りの日に火が生きる。地上のやり方は、少しずつ分かってきた。私は今日、火を渡すより、待ち方を渡すほうが深いことを学んだ気がする」


 その言葉を聞いて、勇輝は机の上の要望書の束をもう一度見た。朝にはただ熱かった紙が、今は少しだけ、器に収まりかけているように見える。


 炎を囲えた町なら、書類の熱だってそのうち冷ませる。

 そう信じて、勇輝は最後のメモへ一行だけ書き足した。


『象徴は燃やし続けるものではなく、待たせ続けられるものであること』


 少し長い。けれど、今日の全部はたぶんそこへ入っている。

 炎を囲えた町なら、書類の熱だってそのうち冷ませる。

 そう信じて、勇輝は庁舎の明かりの中へ戻り、もう一度ペンを持ち直した。

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