第8話「古代王の手首に宿る謎」
……と思っていた矢先、シチューがいつの間にかどこかからトトトッと軽快な足取りで戻ってきた。
「おいオイ、もう枝はイいっテ。そロそろ関節がきしンでキたんダよ」
そう言いかけて手を止めた瞬間、目の前のネズミが口にくわえていたものに気づく。
……枝じゃなかった。
それは、小さな陶器製の腕輪だった。
くすんだ青緑色が、乾いた光の中でかすかに光を帯びて見える。
一部は砕け、縁にはヒビが走っていたが、繊細な模様の彫り込みは、かつての気品と威厳を確かに宿していた。
装飾というには素朴すぎ、道具というにはどこか神聖すぎる。
まるで――そう、まるで古代エジプトの神官が、儀式の際に身につけていた聖具のようだった。
「なンだヨこレ……」
思わず呟きながら、俺はゆっくりとシチューの前に膝をつき、慎重にその腕輪を手に取った。
ひんやりとして、土のにおいがわずかにする。
乾いたミイラの指先でも、はっきりと伝わってくる冷たさがあった。
「陶器……カ?焼きものニシてハ質感が妙に柔ラかい。……」
気づけば口が勝手に分析を始めている。
「どこカラ拾ッテキたんだ、これ」
シチューはくるりと身体を丸めて俺の隣に座り、尻尾をゆらりと振ったあと、まるで「どうだ」と言わんばかりの顔でこちらを見上げてくる。
「……褒メてほしイノか? ギュチュ名探偵」
冗談めかしてそう言えば、やつは誇らしげに「ンチュッ!」と一声鳴いた。
死んでるのにやたらと賢い。
俺は腕輪をもう一度見つめる。
古代エジプトの遺物に似てはいる。だが、明らかにどこかが違う。
パッと見では“っぽさ”はあるが、細部に「別の文化圏の論理」が透けて見える。
「……レプリカじゃなイな。質感はしっカりしテル。鈍イ光沢がアって、表面の劣化モ天然の風化って感じだ」
昔、学芸員に教わったことがある。
“本当に意味を持つ文様は、意味がわからなくてもなんとなく気配で伝わってくる”んだって。
たぶん、そういうやつなんだ。これ。
なんか……ざわざわする。
そもそも、こんなものをぽんと地下に落としておくようなやつがいるか。歴史的遺物だろ、コレ。
間違いなく、ゴンギのやつがどこかの墓地か遺跡から、“俺”と一緒に持ち帰ってきたに違いない。
「遺物ニハ興味なイノか……ファラオをアンデッドにしトいて、そこハ適当ナのな……」
展示の解説文をせっせと書いていた博物館時代の記憶を引っ張り出してみるが、
この意匠には見覚えがない。書籍でも、現物でも、こんな異質な雰囲気は一度も目にしたことがなかった。
……あの棺といい、やっぱり、この世界に“古代エジプト”は存在していなかったのかもしれない。
もしくは、似て非なるものが――別の系譜としてここにはあったのか。
シチューがじっと見てくる。
「それ、すごいもんなんだぜ」みたいな顔で。
俺は苦笑しながら視線を落とし、腕輪の冷たい曲線にそっと指をなぞった――
なんとなく――その腕輪を右手に取ると、カチャっと縦の溝に沿って腕輪を開き、左手にはめてみた。
案の定、ぶかぶかだ。乾ききった腕にはまるどころか、隙間にもう二、三本は入りそうなほど余裕がある。
「まァ、ソりゃそうだよナ」
苦笑しながら外そうとした、その時だった。
腕輪が、キュッと音を立てて締まり、俺の腕にぴったりと沿う。
「……エッ?」
困惑して左手を上げてみても、びくともしない。まるで俺の骨に貼り付いたかのように、しっかり固定されていた。
屍体が勝手に蘇るよりは、まだファンタジーとしては理解できる。
けど……これ、完全にご都合アイテムじゃないか?
いや、もともと俺の副葬品だったのなら、持ち主の腕に合わせて形を変えるのも不思議じゃないのかもしれない。
それにしても、俺の手首は異様に細い。ほとんど骨みたいな腕に、腕輪がぴたりと食い込む光景は、なんだかみすぼらしい。
「これ、外レルのか……?」
そんな疑問が頭をよぎった瞬間、腕輪はパッと元のサイズに戻り、カランと肘まで落ちた。
「……自由自在カよ。便利ダな」
呆れながら、俺はもう一度腕輪を手首まで持ち上げる。右肘がギギギと不穏な音を立てるのは無視だ。
するとまた、キュッと締まり、しっかりと左手首に収まった。
「おオ……」
これはもう間違いない。完全に魔法のアイテムだ。
数千年も経ってもなお、こうして機能しているのが信じられない。異世界ではこういうのが当たり前なのか……?
こんな特殊な遺物がさらりと転がってるあたり、この世界に古代エジプトなんて存在しなかったのだろう――そう確信せざるを得なかった。
やがて、石蓋がズズっと動く音、重たい足取りが階段を降りてくる気配――そして、見慣れた姿が現れる。
「待たせたな」
革袋を手に、どこか満足げな顔を浮かべながら、ゴンギが戻ってきた。
おそらく、出かけてから二、三時間は経っている。
その表情から察するに、収穫は悪くなかったようだ。
中から取り出したのは、表紙に滅びた古代文明の壁画っぽい絵が描かれた分厚い書物、
それから、いかにも呪われてそうなミイラ関連の専門書と、その他。
それらを机の上にずらっと並べながら、ゴンギはどこか上機嫌だ。
とはいえ、それが“古代文明へのロマン”から来てるわけじゃないのは知ってる。
こいつの関心は、あくまで「俺という変わり種のアンデッドが、もっと便利になるかどうか」――つまり、強化素材的な意味での情報収集なのだ。
「むっ? それは……」
ゴンギの鋭い視線が、俺の左手首に突き刺さる。
気づかれるのは時間の問題だと思っていたが、やっぱり来たか。
「……ああ、これナ」
俺は観念して、経緯を説明する。
シチューが転がしてきたこと。好奇心で手首にはめてみたら、ぐにゃりと形を変えて俺の腕にぴったり収まったこと。
伸縮自在の、超ご都合アイテムだったこと。
ゴンギは話を聞き終えると、腕輪をしげしげと見つめて、ぼそりと言った。
「ああ、そういえば……ファラオの棺の中にあったものだな」
「オいおイおい」
思わず俺はツッコんだ。
「なンデそンナ重要そうなモンが、床にゴミみたいに転がってたンダよ!」
ゴンギは「いや、それほど価値があるとは思わなかった」という顔で、平然としている。
その態度がちょっとだけイラっとした。
「ふざケんナヨ……」
小声で毒づきながら、この大きな魔法陣――ネクティル・フォルマ、だっけか?――を思い出した。
あれを描くのに夢中になって、足元の腕輪なんて気づかずに蹴り飛ばしたんだろうな。想像に難くない。
それでも、不思議な安心感が胸にあった。
ファラオの体に宿ってしまった俺が、またこの腕輪を身につけられたことで、少しだけ「元の持ち主に戻った」気がしたのだ。
「……ちょっと、貸してみろ」
ゴンギが手を差し出してきた。
腕輪を外して、渋々差し出す。重さは見た目の割にやけに軽く、ひんやりしている。
ゴンギは腕輪を受け取り、俺と同じように左手首に通した。
――しかし、何も起きなかった。
「……おかしいな」
ゴンギが眉をひそめ、何かを念じながら何度も試すが、腕輪はただの緩い輪っかのままだ。
彼が腕を振っても、持ち上げても、ピクリとも動かない。
「本当ニ、何も変わラナイのか?」
信じられずに聞くと、ゴンギは怪訝な顔をして「ああ」とうなずいた。
何度やっても結果は同じだった。
「……完全ニ俺専用アイテムじゃン」
直立したままのミイラ男は、肩を落としながら呟く。