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第17話「壊された世界の続きを」

――11年前。


リブキの故郷は、ベヒーモスの“通り道”にあった。

ただそれだけで、滅んだ。


王都の測量隊は警告を出していた。

空を裂くように警鐘も鳴った。

人々は逃げようとした――だが、遅かった。


分厚い皮膚に矢は刺さらず、術士の火球は弾き返され、燃え落ちた屋根が次々と地を覆い、土を砕き、市民を飲み込んでいった。


リブキが目にしたのは、遠ざかる母の背中。

その背にしがみついて泣いていた、まだ赤子だった妹の声。

そして――

「お前だけでも逃げなさい!」

そう叫び、鎧の音を残してリブキを突き飛ばした父の大きな背中。


あの日の空は、燃えるように赤かった。

街の先で、ベヒーモスの影が“ただ通過する”光景は、すべてが焼け落ちる中、妙に静かだった。


目にした風景は地獄だった。

盲目に突進する獣の足元で、石造りの家が潰れ、地面がめくれ、庭だった場所が瓦礫に変わる。

口を開けて放たれた衝撃波は、半径十メートルを吹き飛ばし、死の炎とともに襲ってきた。


あれは、戦いですらなかった。

戦う暇などなかった。抗う余地などなかった。


――ただ、壊されたのだ。


あの夜を境に、リブキは生きる場所を失った。

家族を失い、名前を名乗る理由もなくなり、旅の傭兵に拾われ、無言で剣を振るう日々が始まった。


そして間もなく、

同じように家族と部族を失い、焼け跡をさまよっていたゴロウスと出会った。


血と灰と瓦礫の中で、互いに何も語らずとも、なぜか“共に歩く”ことを選んだ。

それから幾度もの戦いを超え、季節をいくつも越え――


王都に辿り着いた頃、リブキは立派な鎧を着るほどの騎士となっていた。

けれど、胸の奥に焼きついた“あの夜の赤”だけは、どんな盾を持ってしても防げなかった。


窓の外では風が唸っていた。

午後の陽光は高く、けれどその光は、王都の石畳を濁った金に染めている。


リブキの口元が、ふと、わずかに動いた。


「……この手で、“終わらせる”と決めたんだ。

もう、同じことは繰り返させない」


その声音には、騎士としての威厳は宿っていなかった。


ただそこにあったのは、一人の少女として、かつての“あの日”に置き去りにされた――

祈りにも似た、ひたむきな決意だった。


 

けれど――その声に、自分でも気づいたのだ。


いつの間にか、声に込められる憎しみの温度が薄らいでいたことを。

焼き尽くしたはずの心の中に、いくつかの“灯り”が残っていたことを。


「……ふふっ」


リブキは、小さく笑った。

それは誰にも気づかれないほどの、ほんの一瞬の表情。


思い出したのだ。

――ユーキと出会った日のことを。

毒の罠を踏んで転げ落ちてきた風変わりな魔術師。

「いやぁ、僕、運は悪いけど手先は器用なんだよね〜」などと笑っていた。


そしてヘンリス。

礼儀正しく、真面目で、祈りと癒しを操る聖術師。

それでいて、意外に毒舌だった。


ブームストは――ああ、ブームスト。

死霊術を扱うことを恥じていたが、仲間思いで、控えめで、そして寂しがり屋だった。


彼らとともに、ダンジョンを巡り、魔獣を倒し、財宝を手にして、

ときに笑い、巨大蟹(ジャイアントクラブ)の群れから逃げ、安宿の布団に文句を言い合った。

そんな日々が――確かにあったのだ。


中でも、あの夜の記憶は、今も強く胸に残っている。


“あの村”で、五人でオークとゴブリンの連合軍を撃退した日のこと。

火を吹く納屋。叫ぶ村人たち。

だが、五人の力はそれを押し返した。


戦いのあと、満月の下で村人たちが握った手。

その中にいた、自分よりも3つほど離れていただろうか――村娘がいた。


歳の離れた妹のようなその少女は、くったくのない笑顔でこう言ったのだ。


「私の故郷……実は、ベヒーモスに襲われたことがあるんです」


とても穏やかに、信じられないことを言った。


「お母さんは亡くなったけど、お父さんと二人で、この村に逃げてきたんです。

今ではすごく幸せ。来年、赤ちゃんが生まれるんですよ。ふふ、すごいでしょ?」


――幸せ。と、彼女は笑った。


あれほどの災厄に遭ってなお、人は生きて、笑えるのか――

そう、リブキは思った。


その時だった。


リブキの中で、怒りや憎しみとは別の形で、“使命”という言葉が生まれたのは。


だが、それから間もなくして知ることになる。

その村が、ベヒーモスの円環状の徘徊ルートに差しかかっていることを。


救えた命は、また蹂躙されるかもしれない。

あの少女の腹の中で眠っている――小さな命ですら。


リブキは静かに目を閉じた。

胸の奥で、心音とは違う何かが、不規則に脈打っていた。


「……あの子は、村長のことも、村のことも“好き”だと言っていた」


ぽつりと、誰に向けるでもなく呟く。

それは記憶の中の少女に、語りかけるような声だった。


「村には、足腰の悪い老人も居た。戦火を逃れて隠れ住んでいる家族も。

もしかしたら……いや、たぶん――あの子は逃げない!」


背筋を伸ばしたまま、リブキは重たく息を吐く。

冷たい石の床が、足元から現実を引き戻してくるようだった。


「留まるという選択をするかもしれないんだ」


彼女はそう言って、自分自身に向き合うように視線を伏せた。


「家族を、仲間を、守りたくて。

“今度こそ”何かを守りたくて、きっと……」


少女の柔らかな声、太陽のような笑顔、そして

“ベヒーモスに襲われたけれど、いまは幸せなんです”と語った時の、あの震えのない言葉。


リブキは、口元をきつく結んだ。


「……幸せになるために生き延びた命だ。

それを、また“通り道”だからって踏み潰されるなんて、冗談じゃない」


声に熱がこもった。

それは冷静さではなく、感情の底から溢れる“怒り”だった。


「それでもあの子は、誰も責めないんだろう。

村の人が逃げられなくても、自分ひとりだけ逃げるなんて、きっとしない」


“誰かが、残らなきゃ”――きっと、そう思ってしまう子だ。


「……だったら、あたしが行くしかない。あの子が踏み潰される未来を、

この手で、書き換える」


拳を握る音が聞こえるほど、リブキの手は強く震えていた。


その震えは、恐怖でも怒りでもなく――

願いに、命を預ける決意だった。


静まり返った部屋に、ひとすじの風が吹き込む。


机の上の地図が一枚、はらりとめくれ、

ベヒーモスの通過予定地を、淡く翳らせる。


リブキは、その地図を静かに見下ろした。


まだ間に合う命たちが、あの村にはある。


「……絶対に」


その呟きは風に乗り、静かに地図の上を渡っていった。

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