1.婚約破棄されました
「ルジェリエ。申し訳ないが、君との婚約を解消させてほしい」
ああ、ついにこの時が。
私は壁際のソファに腰かけたまま、人形のようだと評される銀の目で前を塞ぐ男女を仰ぎ見た。
藍色の髪をさらりと流し、こちらへと真摯に首を垂れるのは、婚約者であり幼馴染でもあるアレクセイ・エドナだ。
傍らには、これ以上ないほど身を縮めたもう一人の幼馴染、シスカ・マヌエラが寄り添っていた。
魔法学院の卒業生を祝う、小宮殿を貸し切っての盛大なパーティー会場の一角。
そこここでは華やかな衣装をまとった参加者たちが三年に及ぶ学院生活を楽しげに振り返り、これから先の未来に思いをはせては、パートナーとのダンスに興じていた。
カーティス公爵家の次女である私もまた、薔薇色の髪がよく映えるドレスに身を包み、アレクセイとともに会場入りしたはずだった。
友人に挨拶をと言って傍を離れた彼の戻りを、シェリー酒を手に静かに待っていたのだ。
談笑を交わす学友たちの晴れやかな笑顔。
幸せそうにステップを踏む恋人たち。
戻るやいなや口にされたアレクセイの願いは、そんな祝いの場にはそぐわぬものだった。
「一月後には結婚式の手はずですが、ご承知の上での申し出でしょうか」
「急な申し出だとは理解している。だが、シスカの魔法ゆえに、この機を逃せば君に納得してはもらえないだろう」
アレクセイの言葉に、シスカはその美しい菫色の瞳を静かに伏せた。
シスカの生家、マヌエラ公爵家は心象操作・精神感応系の魔法を得意とする。
在学二年目に突如シスカに入れ込み始めたアレクセイを、エドナ家の【心眼】がマヌエラ家の【魅了】に屈したのだと学院内ではもっぱらの噂だった。
彼の言う『この機』とは、卒業パーティーを指す。
晴れの舞台で万一にも騒動が起こらぬよう、このホール内では一切の魔法が封じられ、魔道具の持ち込みも厳しく規制されているのだ。
だからこそアレクセイは好機と踏んだ。
この場においても変わらぬ想いを、真実の愛として示すことができると。
「ルジェリエ、君に非はない。ただこのまま君と結婚しても互いに不幸になるだけだ。僕は、どうしてもシスカを諦めきれない。罵ってくれてかまわない。賠償も君の望む通りにしよう。……どうか、頼む」
「私からも重ねて非礼をお詫びいたします。どうかお認めくださいませ」
会場の隅での会話ではあるものの、三大公爵家の子息令嬢が揃えばそれだけで人目を引く。
それも普段から慎ましやかに話題に上っていたのであれば、なおさら顛末が気になるのだろう。
付近には卒業生のみならず、パートナーとして参加した在校生も、彼らの親や出資者もいる。
不躾な視線こそ送らずとも、こちらへと意識を割いていることは明白だった。
「お二方の家の了承はお済みということかしら」
シスカがアレクセイの婚約者に選ばれなかったのは、シスカとアレクセイのほかに公爵家ゆかりの魔法を受け継いだ者がいないことに起因している。
その点が解消されない以上、愛の証明は意味をなさない。
「君と、君のご両親を説得できれば認めると」
それすなわち、カーティス公爵家に喧嘩を売る覚悟があるのならという意味だ。
条件付きの了承というよりむしろ脅迫に近い。
エドナ公爵はご自慢の【心眼】で息子の心を読んだでしょうに。
それで怖気づくと思われたのかしら。
……バカな人たちですこと。
私は一つため息をこぼすと、手にしたグラスをサイドボードに預けてソファから身を起こした。
「そうでしたか。では、こちらをお返しいたします」
私は婚約のしるしにと贈られていた指輪を外し、二人へと一歩近づく。
「どうかお幸せに」
アレクセイの掌に乗せるちょうどその時、野次馬の垣根が崩れた。
「待て待て、やめろ。めでたい場で何始めてやがる」
こっそりと聞き耳を立てる人の間を縫うように現れたのは、細身の眼鏡をかけた長身の男。
漆黒の髪を上げ正装しているために一目でそうとわからなかったが、あの粗暴な物言いは魔道具科教師を務めるノーラッドだ。
「ほら散れ、あっちにうまいもんあるから」
生徒たちを追い立て、来賓には如才ない笑みを返してから、こちらへと向き直る。
「アレクセイ・エドナ……! おまえ仮にも次期公爵だろうが、こんな場所で何考えてやがる! 少しは影響力ってもんをだなぁ」
ノーラッド先生はその気難しげな印象を与える藍色の目を吊り上げ、アレクセイの鼻先に指を突き立てた。
声量を落としての恫喝ではあったが、冷や汗の浮かぶ顔と、動揺にか震える指先が事の重大さを物語っている。
「すみませんノーラッド先生。僕たちの願いを叶えるには、今日この機会を逃すわけには」
「だからってなあ……」
教師への謝罪はすれど場を収める様子のないアレクセイに、先生も呆れて矛をおさめたようだ。
「はあ、もう十分伝わったろう。これ以上おまえたち三人がここで針の筵にさらされてやる必要はない。意味はわかるな?」
「わかりました。では、続きは三家同席の場にて」
アレクセイはそう告げると、受け取った婚約指輪を握りしめ、一礼してシスカとともに人の波に消えていく。
「お、おい! エッエドナー……」
アレクセイを呼び止めようとした教師の手が空を切り、所在なく揺れる。
あいつマジで空気読まねえ、とその拳を握った先生は、パートナーを失い一人残された私に視線を移し、低く唸ったあとに掌を見せた。
「……疲れたろ、今日はもう休め。馬車まで送る」




