何この『石ノ森章太郎のマンガ家入門』て?
昼間のリビング。
学校から帰宅してきた制服姿のサユリがカバンを落として叫んだ。
「え! お父さん、会社辞めちゃったの?」
「そうなのよ。マンガ家になるんだって。あはは」
と笑うのはサユリの母親である。
「なんてバカなことを……お父さん、いったい幾つだと思ってんのよ!」
「四一歳。世間的には厄年というやつね」
「わが家的にも厄年だよ! 生活費はどうすんの」
「大丈夫よ。私も手伝うから。ほら」
と取り出したのが『石ノ森章太郎のマンガ家入門』だ。
サユリは思わずズコーッとこける。
肩をいからせたサユリが廊下をドスドスと歩いていく。
「おねーちゃん、聞いた?」
と姉の部屋のドアを開ける。
「お父さんたら……」
室内には姉と父がいて、マンガ原稿をチェックしていた。
「このキャラ、インパクト弱すぎない?」
「だったら、語尾に特徴もたせよっか」
「みょんとか?」
「そうだみょん」
サユリ、ちゅどーんと自爆する。
(ダメだ……うちの家族)
……と、以上はマンガの原稿用紙に描かれている内容である。
その生原稿をトントンと揃えて、カヤは小さく「コホン」と咳をした。
テーブルを挟んで父親のマコトが上目遣いで見ている。
「……どうかな?」
「古い」
とバッサリ。
「いまどき“ズコーッ”とか“ちゅどーん”って、あり得ない」
「ハハ……カヤは厳しいな〜」
と頭を掻く。
「それと、何この『石ノ森章太郎のマンガ家入門』て?」
「あ、それ? マンガ家志望者たちのバイブル。実物あるよ。見る?」
立ち上がろうとする父親を
「いまはいい」
と両の手のひらで制止しながら、カヤは内心でため息をつく。
父親が会社を辞めたと告げたのは一か月前のことだ。
昔からの夢だったマンガ家を目指す、というのがその理由だ。
最初は耳を疑った。
改めて聞き返したら、同じ答が戻ってきて、カヤは思わず天を仰いだ。
どうやら本気らしい。
というか、本気でなければ会社を辞めたりはしないだろう。
(せめて前もって相談してくれたら……)
全力を振り絞って、思いとどまるよう説得しただろうに。
父は中学生の頃からマンガ家になる夢を抱いていたが、大学を卒業する時は現実に折り合いをつけて就職をした。
やがて結婚をし、子どもも授かり(カヤのことだ)、平凡ながらも幸せな家庭を築き上げた。
それなりに満足できる人生を過ごしてきた……と言える。
(去年、お母さんが亡くなるまでは)
カヤは部屋の隅にある仏壇に目をやる。
そこには優しく微笑む母の遺影が飾られていた。




