第78話 壁を持たぬもの
“ゲート”の内側は、底なしの宇宙のようだった。
ちかちか光る、形のない影がぐるぐる周って通り過ぎていく。
そこには上も下もなくて、体重を支えてくれる地面もない。
自分が今、浮いているのか落ちているのかもわからない。
いつかリリニアさんの魔法で水晶宮殿に連れて行かれた時のトンネルを、広くしたような空間……。
いや、広いなんてもんじゃない。
どこまでも続いていて、果てがみえない……。
「マコさん、なにボーっとしてんのさー。奥へ進むよー」
「はっ、はいっ」
ソニアさんの後を追って、翼をはためかせる。
まだ飛ぶのには慣れていないけど、バル様を担いで飛んだ時よりはずっと楽に、自然に動くことができた。
──いまのところ、トンネルの内側はおだやかだ。
風は吹いていないし、凍えるような寒さでもないし、汗をかくような暑さでもない。
時折、前方から本や食器などの日用品や、建物の壁のかたまりなど大小さまざな異界の品が浮遊しながら流れてすれ違っていく。
ボクたちは川の流れに逆らって遡上する、二匹の魚みたいだ。
黙ったまま飛ぶのもおかしい気がして、トンネルを進みながら前を飛ぶソニアさんに声をかけた。
「……ソニアさん」
「なーにー、マコさん」
「ソニアさんは、風精……魔人の一種、でしたよね」
「見てのとーりだよー」
「ボク、実はいま”魔人”として迷っていることがあってですね……。ソニアさんにも、ご意見を伺いたいんですけど」
「そーなのー? 言ってみー?」
「ええと……。"人間"っていう種族に対して……どう、思ってます?」
「んー? んー……」
「もしも、これから"人間"と仲良くやっていこうって決まったら……できそうですか?」
彼女は腰から伸びる縄をたわませながら、ふわふわと上下した。
考えごとを頭の中でひっくり返すように首を捻り、小瓶とスプーンでキン、キンと小さく音を鳴らしている。
「……そもそもさー。誰かと過ごす時に、その人がどんな種族かなんて、どーでもよくないー?」
「えっ……?」
「もしもだよー、あたいが実は風精じゃなくて人間なんですよーって言ったらさー、マコさんはあたいの友達やめちゃうのー?」
「いえ、そんなことは……」
「でしょー。だからさー、マコさん。難しく考えすぎなんじゃないかなー」
「でも……、アイゼンさんが言ってましたよ。魔人と人間じゃ、どうしても身体の構造が違うって。ボクも……最近、やっぱり別の生き物なんだなって思うこと……ありましたし」
「アイゼンねー。あたいは、違うからこそ一緒にいて面白いって思うけどねー」
「個人の付き合いだったら、そうですね……。みんながそんな風に考えられたらなぁ……」
……確かにバル様も今朝、同じような事を言っていた。魔人や人間なんてくくりは、記号に過ぎないって。
でも、人間からするとどうだろう。
魔人は元から大きな魔力を持ち、武器を持たずともその力は猛獣よりも強い。
例えば、人間とライオンが檻のない場所で対等に仲良く暮らすことができるだろうか。
ライオン側がいくら、”大丈夫だ、気を遣う必要はない”と言っても……人間側は戦々恐々《せんせんきょうきょう》としてしまうだろう。
それならいっそ、人間側も武器を対抗できる持った方が安心できるのかもしれない。
しかし……そうして"ライオン"が滅ぼされてしまったのが前回の祭壇起動であって。
"ライオン"にそのつもりがなくても、人間を勢い余って傷つけてしまうことだって、ないとは言えない。
現に、昨日ボクはミナミに噛み付いてしまったばかりだ。
彼女は許してくれたけど……もう一歩なにかを間違えていたらと思うと、恐ろしい。
うう──ソニアさんの言うように、難しく考えすぎなのかな。
だけど、ボクには"巫女"としてこの問題を考え抜く義務があるんじゃ……?
「──あれっ。そういえばアイゼン、昨日は帰って来なかったなー。どこ行ったんだろなー」
「へ? 帰ってって……」
「んや、あたいアイゼンと一緒に住んでるんだよー。あいつ、けっこう留守がちだけどねー」
「えーっ。同棲してる……んですか?」
「そだよー」
二人は知り合いだと聞いていたけど、まさかそこまでの繋がりがあったなんて。
同棲してるってことは、つまり……?
いや、どうだろう。いまいち想像がつかない。
「アイゼンさんは、なにか言ってました? 魔人について」
「あー、言ってたかもねー。魔人は特別な存在だって。あたいはそうは思わないけどねー。……そーいえば、霊水が欲しいとか言ってたっけ。おみやげにちょっと持って帰ってやろーかなー」
「えっ。ソニアさん、そんなの危ないですよ。霊水を飲んだら死んじゃうって、ロゼッタさんが言ってました……!」
「飲むぅ? なんでー?」
「アイゼンさん、霊水を飲んで魔人になりたいって言ってたじゃないですか。いや、飲んでもなれないらしいんですけど……」
「んんー? アイゼンったら、魔人になりたかったのー?」
「あ……。ご存知なかったんですか?」
「なんも聞いてないよー、あたいはー」
「そ、それは……勝手に話しちゃ悪かったかな……」
やがてトンネルが終わって、開けた場所に飛び込んだ。
まるで屋外みたいに遠くまで見渡せて、上には空も広がっている。
しかし、その色は赤い絵の具を塗りたくったような、夕焼けとは違う禍々しい色だ。
赤い空の中を虹色の雲が形を次々に変えながら、早回し映像のように流れていく。
地面と岩のかたまりが、飛び石のように点々と浮いている。
この世界に来てから色々な景色をみてきたけど、ここはことさらに異様な亜空間だ……。
風邪をひいて熱にうなされている時の夢のようでもある。
じっとりとした不気味な空気が肌にまとわりついてきて、落ち着かない。
……あまり、長居したくはない場所だ。
「さあ、もう少しだよー、マコさん」
「うわぁ……」
景色に圧倒されてその場に留まっていると、小さな手がボクの右腕を引っ張った。
「こっちだよー。ついてきてー」
──あれ?
ソニアさんはボクの前を飛んでいたはずなのに。
右を向いても、そこに彼女の姿はなかった。
前方に視線を戻すと……。
──誰もいない。
あるのは、不気味に渦を巻く虹色の雲だけだった。
「……ソニアさん? どこ……どこですか?」
きょろきょろと周囲を見回しても、ボクを先導してくれていたソニアさんの姿は、忽然と──。
「あたいはここさ、マコさん。あんたのすぐ左に居るよ」
「あたいはここさ、マコさん。あんたのすぐ右に居るよ」
耳元で、感情のない声が囁いた。
「えっ、う──」
背筋がぞっとして、瞬間的に金縛りにあった。
右も左も、見ることができない。
視線を向けたら、そこには人の形をしていない何かが居るような気がして。
「──マコさん、だめだー! そっちじゃない! ……命綱! 命綱を握ってー!」
今度は、正真正銘ソニアさんの声だ──!
彼女の声に反応して、咄嗟に腰から伸びている縄を掴んだ。
縄は、ボクの後方へと遠く長く伸びている。ぎゅっと、確かな握り心地が両手に返ってくる。
──ざざ、ざわざわ……。
周りの景色が、チャンネルを変えるように反転した。
ボクは、いつのまにか切り立った崖の上にぽつんと立ちすくんでいた。
下には闇だけが広がっていて、どこまでも落ちてしまいそうだ。
振り向くと、彼女はボクのすぐ後ろにいた。
縄をホースのように巻いて小脇に抱え、ふわふわ浮いている。
「ソニアさん、ごめんなさい。いきなり迷子になっちゃうところでした……!」
「慣れてないから、仕方ないよー。ここにはなんにもないけど、なんでもある。ここはなにもかもがあいまいなんだ。気を抜くと、おかしなものに絡まれちゃうからさぁ。さっと採って、さっと帰ろー」
ボクの脇を彼女の妖精のような翅が通り過ぎて、再び先導した。
それに倣い、急いで翼を動かして追いかける。
飛び石のように浮く岩の上を歩いて追うこともできるけど……どうにも、この地面は信用できない予感がする。
信じてよさそうなのは、自分の翼と命綱だけだ。
「何にも……何でも……? ここは、どういう場所なんですか」
辺りを見回すと、見えるのは真っ赤な空と、崖と……。
そして、はるか遠くに縦に細長く伸びた塔が見える。
あれは……三角大陸の中心にそびえる、天弓の祭壇だ。
「転移魔術師さんが、異界から品物を引っ張ってくる時に使うトンネルらしいよー。本来は中に入らずに、入り口で何かが飛び出して来るのを待ってるだけらしいんだけどねー」
「それ、大丈夫なんですか……?」
「だいじょぶかどうかはわからんけどー。……面白いと思うよ、あたしは」
「えっ。ええ?」
「あたしは、この空間がさ……世界のひみつに一番近い場所のような気がしてるんだよね」
ソニアさんは、いつものあっけらかんとした調子がまるで演技だったかのような、低い声を出した。
「世界の……ひみつ?」
「けけけ、そうだよ」
──ざざ、ざ……!
彼女が身を翻すとそれに呼応するように、また景色が溶けるように切り替わって──瞬きする間もなく、視界が狭い石壁で覆われた。
ここは……ソニアさんの部屋の中だ。
「わっ……!?」
「想像すれば、なんだって出てくる。魔法みたいにね」
部屋中を埋め尽くす、緑色のジャングル。
蔦と蔓と葉っぱと、天井から垂れ下がる鮮やかな色の細長い果実たち。
全て、ソニアさんの部屋そのままだ。
見た目だけは本物としか思えないけど……。
肌にじっとりとまとわりつく、不気味な空気は変わっていない。
「なんだか魔法というより、それ以上の──まるで、夢の中みたいです」
「でも、確かなものもあるよ」
──ざざざッ……。
彼女がくるりと宙返りすると、今度は景色が王国の上空に切り替わった。
これは、昨日バル様と一緒に飛んだ夜空の再現だ──!
「確かな、もの……?」
「なんだと思う?」
眼下に見える王国の建物が、音もなく溶けていく。
そして、その下にあるはずの大陸と、海もなくなっていく──。
残ったのは、まっさらな赤い空間と、遠くに見える細長い建造物だけになった。
「天弓の、祭壇……」
ボクは、初めてその全貌を目撃した。
雲の上にあって目視できなかった部分から、地面の下に埋まっていた部分まで。
先端部分は筒状に穴があいていて、何かを発射できそうな構造になっている。
下のほうは中途半端に欠けているけど……もっと大きな建物の一部だったようなつくりだ。
「そう。あれは、この大陸で唯一、”一つ上の次元”に建てられた──いいえ。打ち捨てられたものさ」
──その口調は、もはやボクが知っている風精の彼女とは別物になっていた。
ぞわぞわと、鳥肌が立つ。
さっきからボクに非現実的な光景を見せていたのは──ソニアさんではない。
いつのまにか、すり替わっていたんだ!
「あ、あなたは……誰ですか──!?」
「けけけ……? あれぇ、バレちゃったかな。せっかく笑い方まであの子に寄せてみたんだけどなぁ」
ざざ、ざ──。
次に切り替わったのは周りの景色ではなく、彼女の姿そのものだった。
緑色の髪と妖精のような薄翅がぼやけて──そこにいたのは、もう別人。
愉快そうに笑う、赤い髪色の女性だ。
「う、わ──」
「……改めてはじめまして、次代の天弓巫女。まさか、生きてるヒトがこんなところまで来るなんてなぁ!」
なぜだか不思議と恐怖はなくなった。
彼女が、太陽のように明るい声をしていたから。
次回「第79話 あるがままに」は8/17更新予定です。




