第58話 怒髪天
「……煉獄の魔王か。噂はかねがね聞いている。……逢いたかったぞ、貴様に」
老魔術師は、両手で杖を構えたまま静かに口を開いた。
老いた風貌とは裏腹に、指先まで魔素が漲り、一分の隙も見せていない。
「誰だァ、オマエは。俺はお前のようなジジイは知らんぞ?」
「お初にお目にかかる。儂の名はヘイムダール。しがない宮廷魔術師さ」
「……ほう、そうか。俺の名はバルフラム。しがない魔王をやっている者だ。親しみを込めて、バル様と呼ぶといいぞ」
“ヘイムダール”と名乗った老魔術師は、意外そうに笑いだした。
「フッ、フッハッハッハ……。随分と気さくな魔王が居たものだな」
「俺を最初にそう呼んだのは、オマエら人間だ。勝手なやつらだよなァ……オマエらの期待に応えて魔王らしく振る舞った結果が、この有様だ──」
──ズ、ズズ……!
談笑する二人の中間で、静かに闘気がぶつかりあう──。
足元の塵が、後方へ吹き飛んでいった。
満員だった観客席から、人々が洪水のように出口に押し寄せていくのが見える。
あんなに魔素合戦を楽しく観戦していたのに、その顔色は一様に恐怖に染まっているようだ。
「魔人……か。儂も落ちたものだ。まさかここまで、国内に魔人の侵入を許してしまうとはなあ」
「とぼけたジジイだ。国内には、魔人を排するような障壁や術式はどこにも張られていなかったぞ……ひとつもだ」
「はて、なんのことかな……。いや、儂としては不本意なのだよ……殿下はつくづく甘いお人だ」
「……俺たちを、わざと招き入れたとでもいうのか?」
「ああ、そうさね。実に不思議だった。いま王国内には、何人もの魔人が潜んでいる。……魔王よ、お前の差し金だな?」
「……否定はしないが」
「彼奴等は、我々に対して一向に牙を剥こうとせなんだ。それとも今日、一斉に蜂起する手はずだったか? ……こうして一堂に会した王国民を一網打尽にする為、今日この場所を選んだのだろう?」
──ゴゴォ……ッ!
「……ふざけるなッ! 言いがかりも甚だしいッ!」
彼の言葉を受けて、魔王の髪が怒りを表すようにゴウゴウと音を立て、燃え盛った。
集まった熱で、空気がゆらめく。まさに一触即発だ。
なんとか、止めないと……!
「待ってください! ボクは……純粋に、大会に参加する為に来たんです。王国のひとに危害を加えるだなんて……!? 考えつくはずもないですよ!」
「ええい黙れ、悪魔め。そのような愛らしい姿でこの儂を惑わそうとしても、そうはいかんぞ! 胸や尻を放り出しおって、大変けしからない娘だ」
「──えぇっ!?」
あまりにも心外なことを言われたので、思わず叫んでしまった。
この服は背中から急に翼が生えてきたから破れちゃったのであって……男性の気を惹くつもりなんて、断じてない!
「オマエが黙れ、ドスケベジジイ! マコをそういう目で見ていいのは! 俺だけだァ!」
「ちょっと待ってください!?」
「いいや、それはいいとしても……誠に遺憾ながら、この王国に”魔人”は居てはならないと決まっておるのでな。当然、大会に参加など認められるはずもない。……ご退去願おうか、お二方……!」
「なんですって……?」
魔人は……居ては……ならない?
初めて聞いた話だ。
誰が、決めたんだ?
そんなことを。なんのために?
「……断る、と言ったら?」
バル様は威圧するように相手を見据え、ボクを腕で制して退がらせようとした。
「実力行使をさせてもらうしかあるまいな」
老魔術師の周囲の空気が、張り詰めていく──。
「ククク……。人間が、この俺に勝てるとでも?」
「魔王よ。水の魔素が豊富なこの国では、お前の魔力は相当に落ちているだろう」
「些細な問題だなァ。その程度で天地の差が埋まらないことは、オマエが一番わかっているはずだ」
「……肝心なのは結果ではない。これが儂の仕事であり、使命なのだから」
ちらりと、老魔術師ヘイムダールの瞳と目が合った。
刹那、思考の一部が垣間見える──。
──彼は……!
魔王と対峙する彼は、たったいま──”死”を覚悟している!
人間が煉獄の魔王に対して啖呵を切るということは、そういうことだ。
しかし……彼はどこか、死に場所を求めているかのようにも見える。
まるで散歩するかのように気軽な気持ちで、死の淵まで歩いてやってきたんだ。
「俺はまだ王国でやるべき事があってなァ、帰るわけにはいかんのだ。いま退けば見逃してやるぞ、ジジイ」
「……二度は言わん。儂はただ、この国の矛として役目を全うするだけさね」
「それは残念だ。だが、喜べ。冥土はいい所だと聞くぞ。直行便の切符をくれてやろう」
バル様は掌を掲げ、魔素を練った。
巨大な炎がぐるぐる回転しながら、大きく生成されていく……。
……このままでは、取り返しのつかないことになる!
「待って……やめてください!」
二人の間に、割って入った。
ぶつかりあう魔素の圧力で、身体がちぎれそうだ──!
背中から生えたばかりの翼と、露出したしっぽをなんとか腰に巻きつける。
足を踏ん張らないと、吹き飛ばされてしまう。
「……マコ、何をしている。そこは危ないぞ。……どいてくれ」
「……」
ボクにできるのは、目で訴えること。
いま、老魔術師には背中を向けているけど……さっき目が合ってから、おそらく彼は自分からは撃ってこないだろうという気がしていた。
もしも、その予感が外れていたら。
その時は、それまでだ。
「聞こえなかったか? ──どくんだ、マコ!」
「いやです……!」
後ろから、しわがれた声が飛んできた。
「どうした、早う撃ってこい! 人間と魔人が相容れないことを証明してみせろ!」
「クハハ、証明するまでもない。答えは決まっている。やはりこうするのが、俺の性分に合う」
──ゴ、ゴ、ゴ……!
煉獄の炎が、小さな太陽のように圧縮されていく。
凄まじい魔力だ──闘技場が更地になってしまうほどの……!
「待って──! 彼は……事情はわからないけど、先に攻撃されることを望んでいます! 乗ったら、だめです……彼の瞳が見えないのですか!」
「ハッ、こんなヤツの瞳など……覗く価値もない! こちらの心が腐るだけだ。もう人間にはうんざりだ、心底な!」
バル様が、腕を振りかぶった。
だめだ、そんなことしたら……止めなきゃ!
ボクなら彼を、止められる! バル様なら──止まってくれる!
「……うああッ!」
──バキキィンッ!! ──ゴシュウウッ!!
わけもわからず、とっさに練った氷結の魔法がボクの手から迸る。
それは火球とぶつかって破裂し、彼の手元で白い蒸気が弾け飛んだ。
「なにをッ……!?」
「バル様! 変わるときだって、言ったじゃないですか……! 話し合いましょう!」
「このようなドスケベジジイとは天気の話すらゴメンだァ!!」
「──それでは、私とであれば話してくれるかい? 煉獄の魔王よ」
突然、舞台の外から凛とした声が降ってきた。
前触れもなく嵐がピタリと止んで、雲の切れ間から光が射してきたかのような。
口論していたことを忘れてしまうくらい涼やかで、芯の強い、よく通る声だ。
ふいにやってきた第三者の存在に気を取られ、ボクたちは動きを止めた。
──コツ、コツ、コツ……。
足音が近づいてきて、現れたのは……知っている顔。
女性とも男性ともつかない、不思議な顔立ち。
お茶でもしにきたかのような、気品ある微笑み。
ノージェさんだ──!
背後には、護衛と思わしき騎士を一人引き連れている。
「殿下……!? ここは危険です。さがって──」
老魔術師は目を丸くして、ノージェさんのほうへ歩み寄った。
「退がるのはキミだ、ヘイムダール。何も心配はいらない。そこにいるマコくんは……私の友人だからね」
次回「第59話 光」は6/16更新予定です。
あと1話で、この章がおわります!




