第45話 魔王の憂うつ
旅館・宵星のロビー天井に空いた焼け焦げた穴は、黒ずんだフチをぽっかりと開け、上階の床下部分の暗闇を覗かせている。
「いや、本当にすまない」
バル様は正座して、フウメイさんに頭を下げた。
なぜだか、ボクもバル様の隣に正座させられている。
いや、たしかに原因の一端を担ったかもしれないけど……。
「バルフラム様……。いいえ、済んでしまったことは仕様がない事でございます。……故意では無いのですものね?」
「あァ……もちろんだ。あまりにもマコがカワイくて、俺は悩殺されてしまったのだ」
「なっ、何言ってるんですか!?」
バル様の横顔は、口惜しそうだ。
「マコ、すまない……。俺はいまオマエのほうを見ることができない。魔素が溢れてしまうからなァ」
「本当に何言ってるんですか、どういうことですか……」
ミナミは、フウメイさんの後ろから楽しそうに野次を飛ばした。
「へへ、マコ。カワイイということはそれだけで罪なのだよ~?」
「その通りだ、小娘。珍しく意見が合うなァ。ククク」
「……陛下、反省しましょう」
「本当にすまないと思っている」
バル様は今度こそ誠実に、背筋を正した。
魔王と言えど、自らに非があれば素直に謝るのは彼のいい所かもしれない。
「初期消火が出来たことで大事には至らなかったの点は不幸中の幸いというものでございますね。コニーさんには何と礼を申し上げてよいか……」
「いやあ、そんなーっ! あたしにも、なにがなんだか! 的なしでこんなふうにちゃんと水の魔法を使えたの、初めてで……ほんとうに、あたしが出したのかな……?」
「わたし、見てたけど……間違いなく、コニーが使った魔法だったよ」
「そうね~。コニーちゃん、もう一度できるか試してみたらどうかしら?」
「う、うんっ! やってみる!」
コニーは目を瞑って、水をすくうように両の手のひらを掲げた。
そして、ひとつひとつ言葉を確かめるように詠唱した。
『お水さん、お水さん。あたしの声を聞いて、集まって。姿をみせて──』
──シュワァァ……。
コニーの手のなかに、温泉が湧くようにふつふつと水が溢れた。
正真正銘、彼女自身で発動した水の魔法だ。
コニーは感極まって、力が抜けるように膝をついた。
ぽろぽろと溢れた涙が手の中に落ちていく。
「あっ……ううっ、なんでだろ? よくわからない、けど……あたし。水の魔素と、仲良くなれたみたい……! 嬉しい……嬉しいよぉ……!」
ロゼッタさんはコニーを抱きしめ、すりすりと頭を撫でた。
「コニーちゃん~! すごいわぁ……奇跡って、あるのねぇ~」
「ほんとにぃー! あたし、今日までずっと……お水が……うぅ、うわーん……!」
「いや、待て待て。コニー、オマエの元々の属性は光で、水の素養は……言っちゃ悪いが、からきしだったよな」
「そっ、そうだよーバルさま。あたし、すっけんぴょんだった……。けど、今はそうじゃないみたい?」
「これは、奇跡や偶然で片付けていい問題じゃないと思うんだがなァ……実に奇妙だ、興味深い」
「えへへ……、これ夢じゃないよね? ねーっ!? うわーっ、どうしよどうしよー!」
コニーは今が人生の最高潮と言わんばかりに喜んだ。
実際、ずっと願い続けていたことが叶ったのだから無理もないことかもしれない。
「ここに空いた穴も、夢だったらよかったのですが……」
フウメイさんはバル様のほうを見ながらチクリと言った。
「返す言葉もないなァ……」
「まあまあ、フウメイさん。穴でしたら私が塞ぎますから~」
「……そうですね、ロゼッタさん。貴女にお任せすれば、このような穴は立ち所に直せることでございましょう。しかし、わたくしが受けた心の傷のほうは……よよよ……」
フウメイさんは着物の袖で顔を隠して、芝居掛かったようにすんすんと泣く真似をした。
「わかった、わかった……。フウメイ、俺は何をして詫びればいいんだ?」
「ほほほ……。冗談でございますよ。ただ、今のお言葉はありがたくお預かりしておきます」
「ぐッ、言質を取られちまったな……」
一つ貸しである、ということなのだろう。
フウメイさんは鼻歌でも歌い出しそうな顔で受付の奥へ戻っていった。
* * * * * * *
夕食の席。
今日のご飯は和食だった。白米に味噌汁に、焼き魚。どれも懐かしさを感じる味だ。
かつてこの世界にやってきた転生者から伝えられたものなのだろうか。
ボクは、故郷を思い起こさせてくれた見知らぬ恩人への感謝を噛み締めながら、舌鼓を打った。
食事の合間に、ロゼッタさんが買い物の帰り道での出来事を持ち出した。
「ところで陛下、お耳に入れたいことがありまして~。先ほど、陛下にお目にかかりたいという青年に会いました」
「ほう? 物好きな奴もいるものだなァ」
「ええ。彼は陛下のお噂を曲解したのか、霊水を飲んだら魔人になれると盲信していまして……なんとか、やめさせることはできないでしょうか」
「……好きにさせたらいいだろう。そんな無鉄砲者を気にかけてやれるほど、暇じゃないぞ」
「それがですね、その彼は……フウメイさんの息子さんなんですよ~」
「なんだとぉ?」
バル様は、口に運ぶ途中だった魚の尻尾を皿に戻した。
「──で、オマエは止めたのか? ロゼッタ」
「聞き入れて貰えませんでした。幸い、彼は霊水を手元に持っていないので、今はまだ実行には移せないでしょうけど~……」
「んん? なら、やはり放っておけばいいんじゃないか……? 霊水なんぞ、そう易々と手にはいる代物ではないだろうが」
バル様は再び魚の尻尾をつまんで大口を開けた。
「それがですね~、これから二週間後に行われる魔素合戦大会の優勝賞品として、霊水が出品されるらしいのです」
「なんだとぉ~~??」
魚の尻尾が、彼のひざの上にポトリと落ちた。
「……きな臭いな。巫女の件と言い──何を企んでいるんだ、王族どもは」
「私には計りかねます~」
ボクとコニーは、食事をしながら二人の会話に耳をそばだてた。
魔素合戦大会に出場したいことを話すなら、今しかない。
「それで? そのフウメイの息子ってやつの腕前は、どうなんだ。そいつが優勝する可能性はあるのか?」
「彼……アイゼンくんは、強いですよ。いまの王国西地区で路上魔素合戦を仕切っているのは、おそらく彼です」
──そのアイゼンを、ロゼッタさんは魔素合戦ではなくビンタ一発で撃退していたんだけど……。
ボクは口を挟もうか迷いながら、白米を飲み込んだ。
「むう。俺が出るわけにはいかないしなァ。目立ちすぎるだろう」
「私もパスさせて貰いたいですねぇ~」
ロゼッタさんがこちらに目配せした──今だ!
「ばっ、バルさまー! はい! あたし、大会に出たいですっ!」
「ボクも、出場したいです!」
「なッ、なんだとぉ……!」
その”なんだと”は、三回目にして最も困り声だった。
「お、オマエらなァ……。いや、コニーはともかく、マコ。オマエは魔人なんだから、注目を浴びるような舞台に上がるべきではないだろう」
「ええーっ、どゆことー? あたしはいいの? でも、マコ……」
──ボクが、魔人なんだから……?
彼の口からそれを聞いた瞬間、やるせない気持ちになった。
「なんで、ですか……! ボク、この世界に来てから……”魔人”だからって不当な扱いを受けた事、これまで一度だって無いです。人間と獣人の関係も、そう悪くないみたいですし……。種族の壁なんて、本当は無いんじゃないですか?」
「……偶々《たまたま》、巡り合わせがよかっただけだ。人間たちは時に、突如として愚かな集団心理を発揮し……流されるまま理解しないまま、罪のない者を袋叩きにするのだ」
「そんなの……行ってみないと、わからないじゃないですか」
「マコ……。俺は、オマエが傷つくのを見たくないのだ。強制はしないが、どうか聞き入れて欲しい」
……ボクだって、つまるところはアイゼンと同じだ。自己の確立のために、霊水を手に入れたい。
バル様にそれを否定されたら、たまらない。
悔しくて、膝の上に乗せた拳を握った。
そもそも、ボクがいま”魔人”なのは──彼がボクを転生させたからじゃ?
本当は、彼と喧嘩なんかしたくない。バル様と人間、どちらも信じたい、のに……。
──しゅらっ。
襖が開く音。
振り返るとそこには、狐の頭があった。
「ふっ!? フウメイさん……」
「皆様、食後の甘味をお持ちいたしました」
「お、おう……」
みんな、何か合図を受けたように静まり返った。
フウメイさんは沈黙が流れる席の周りを滑るように移動して、あんこに白玉が乗ったぜんざいのようなものを配膳した。
そして、元の位置に戻って座り直すと、襖を閉め──閉めなかった。
「……ところで。わたくし、人一倍耳がきくものですから……。偶然──ええ、偶然。いまのお話が聞こえてしまいまして」
「──えっ!?」
「差し出がましいようでしたら、すみません。──マコさんに、コニーさん。わたくしが全面的に支援させていただきますので、魔素合戦大会に出場しませんか?」
フウメイさんが、どこからどこまで聞いていたのか……定かではないけど。
それは、思いも寄らない場所から差し入れられた救いの手のように思えた。




