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第7話 星1つの矜持


 佐藤警部補が現場に着いた時、辺りには血の匂いが充満していた。和泉橋警察署の東方、左衛門橋北詰のあたりだ。

 空の端がぼんやりと明るいが、次第に暗くなって来ている。その中で、身の丈六尺はあろうかという大男と一人の巡査が斬り結んでいた。


 件の辻斬りであろう。


 黒い着物姿の辻斬りと死闘を演じているのは、佐藤も知っている若い巡査で、日頃から、もっと早く生まれて、この腕で御一新に参加したかったと語っていた剛の者である。粗悪な巡査サーベルで良く凌ぐと思う間にも辻斬りは、巡査を捨ておき、通りがかった少女に襲い掛からんとした。


 一瞬早く佐藤が割って入り、辻斬りの刀を受け止めるが、その剣圧たるや凄まじく、受け止めた刀ごと吹き飛ばされた。


 倒れた先で、べちゃりと生ぬるい水溜りに浸かったと思えば、先の巡査の同輩であろう、数名の巡査が血溜まりで事切れていた。

 素早く身を起こして戦いの場に戻らんとする佐藤の目に映ったのは、少女を刺し殺そうとする辻斬りと、その前に立ちはだかる巡査の姿だった。


 サーベルで刺突を受け止めるが、粗悪な支給品が耐えられるものではない。中ほどから砕かれ、巡査は辻斬りの刀に胸を貫かれてしまった。


 辻斬りは、そのまま背後の少女をも串刺しにし、二人の身体を高く持ち上げて振り捨てた。


 信じられない思いでその光景を見た佐藤警部補だったが、横たわる少女の元へ向かう辻斬りを前にして動かぬような臆病者ではない。少女のそばにかがみこんだ辻斬りに向けて、示現流独特の気合とともに愛用の刀を一気に振り下ろした。


 常人必殺の一撃に頭蓋を叩き割られ、脳漿を噴出させて死に至る、そのはずが。硬い手応えと同時に、刀の方が根元からへし折れた。


 振り返った辻斬りの口には血の滴る臓物が咥えられており、猩々面の如き笑みを浮かべた顔が赤く染まっていた。長いざんばら髪が揺れ、ひひひという笑い声が聞こえる。


 辻斬りは刀を持ち上げ、丸腰の佐藤目掛けて振り下ろした。思わず念仏を唱えた佐藤だが、激しい音と火花が散って、刀が地面に突き刺さっていた。


 辻斬りと対峙しているのは稲田十五郎である。尋常でない力を見て、斜めに受け流したのだ。それでも、ややもすれば弾き飛ばされてしまいそうな一撃で、十五郎の額には嫌な汗が浮かんでいた。最初から始末する気で行けという舩坂少佐の言葉の意味がよく分かった。とても捕縛するような余裕はない。


 守りの構えから徐々に攻めの構えに切り替えながら、じりじりと間合いを詰めていく。少佐のおかげで相手は片腕である。手でも足でも、もう一本奪えば早々に決着がつこうというもの。


 しかし、覚悟を決めて間合いに踏み込んだ十五郎を尻目に、辻斬りは、もう用は済んだとばかり、ふわりと跳びずさった。

 その跳躍も人のものとは思えず、人家の屋根に降り立って中腰になると、からかうように首を傾げて見せ、爪先立ちでくるりと回り、舞うようにして暗い空へ消えていった。


 後に残されたのは、戦場の如き無残な有様よ。命は助かるも気に食わぬ十五郎のお陰とあって、あまり嬉しくも感じられない佐藤だったが、そういう気持ちは一瞬だけのこと。まずは少女と巡査の容態である。


 少女は腹を裂かれ、臓物を抜き取られていた。脈を取るまでもない。巡査はどうかと近付いてみるに、まだ息はあったが、胸を貫かれ、もはや助かる見込みはない。小さな声で何事か繰り返している。


「少女は無事でしょうか。守れたでしょうか」


 佐藤は咄嗟に嘘をつくことができず、無念さを表情に出してしまった。巡査はそれと見て取り、涙を流しつつ息を引き取った。傍らに立つ十五郎に向かって振り向きもせずにいう。


「いいか。帝都を守っているのは、お前じゃない。俺でもない。こいつらのような一巡査よ。

 雨の日も風の日も、木偶のように歩き回って、いざ事が起これば躊躇なく自らの身をささげる。そんな覚悟を持った気の良い連中だ。

 正直言って、お前のことは気に食わない。剣に優れている点も、俺の後を追ってきた点も、少佐殿に認められている点も、すべてだ。

 だが、こいつらの仇を討ち、これ以上の犠牲を出さないためなら、俺は糞にだって頭を下げよう。協力してくれ。分かっていることは何でも話してやる」


 悔しさと無念と怒りと悲しみと、猛り狂う感情を岩のように閉じ込めた佐藤の背中に向かって、十五郎が力強く頷いた。


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