第25話 憑き物屋敷では、天井がささやく
舞台は、神尾家の屋敷である。
憑き物屋敷として名高く、屋敷に通う安川夫人は屋敷内で妖しいことが起こると言って譲らない。人もないのに声が聞こえ、白い影が廊下を行き来する、いつの間にか物が増え、背後に附き歩く者がいるなどと、それだけ聞けば気を病んだ者の戯言とも思えるが、普段はしっかりとした御夫人であるだけに、一概に虚言とは為し難いところ。
山中佐奈と風間正三、それに稲田十五郎とで屋敷内外を確認するも、なんら妖しげなことは起こらず。本日は、正三たっての願いで神尾邸を再訪した。
ちょうど例の御夫人、琴葉の叔母である安川夫人が通ってくる日のこと。また何やら起きないか。起きるならば看破して見せようと意気揚々の正三である。むしろ、今日は何か起きると踏んでいるらしい。
案の定、応接間で待機している正三の耳に、安川夫人の悲鳴が聞こえた。その場へ向かうと、御夫人は廊下にへたり込んでいた。頭上から囁くような声がして、天井一杯に無数の人影が映ったという。みなが駆けつけた後、もう一度、天井を見てみたが、すべて消え失せていたらしい。
琴葉、佐奈、正三、それに十五郎は、安川夫人の正気を疑いつつ天井を見た。目の見えない佐奈は首を上げただけであるが。
すると、頭上から何やら囁きが聞こえ始めた。恨むような悲しむような声で繰り返し呟いている。琴葉が、ぎゅっと十五郎の手を握り、佐奈は何を言っているのか聞き取ろうと耳を澄ませている。
続けて天井一杯に無数の人影が現れ、それぞれ目を見開いてみせる。やがて影は消えたが、何が起こったのかと、みな放心状態である。そんな中、憤懣やるかたない様子の正三が吐き捨てるようにいう。
「まったく、馬鹿げた仕組みを作ったものだ」
皆を呼び寄せ、壁に並んだ壁龕の内部を軽く押すと、壁がへこみ、小さな通路が現れた。大人一人、なんとか通れるほどの大きさである。
その奥へ、行き先が分かっているかのようにずんずんと進む。おっかなびっくり後をついてくる十五郎らを従えて、行き止まりにある扉を開けると、意外に広い洋間となっていた。
そこには驚いた表情の神尾瑞樹ともう一人、にこやかな表情をした年配の男性だ。
「おや、たいしたものだ。よく仕掛けが分かりましたね」
応えず、正三が瑞樹を問いただした。
「説明してくれますね」
「わかった。降参だ」
と肩をすくめて応える。
「全部、僕と立板とで仕組んだことさ。そこの彼、立板は、英国紳士から依頼を受けて、日本の憑き物屋敷を探していたんだ。向こうでは幽霊が出るような屋敷は逆に受けがいいらしい。
そういう意味では神尾の屋敷は申し分ない。見た目も由来も十分だ。ただ、祖母がなかなか手放しそうもない。そこで、迷信深い叔母が屋敷で妖しいことが起きると言うのを利用しようと思ったんだ。僕の説得では無理でも、叔母から説得してもらえばいい。憑き物屋敷としての値打ちも上がって、願ったり叶ったりじゃないか」
「屋敷を売るなどと。なぜ、そんなことを?」
問いかけるのは琴葉である。少し寂しそうにしながら瑞樹が答える。
「琴葉には言いたくなかったが、要は金のためだ。恥を忍んで家へ戻ったのも、異国での放蕩三昧、ついに路銀も学費も何もかもなくなって、ついでに言うと、かなりの借金もある。
うまく屋敷を売り抜けたら、相当な額の謝礼をくれると言うから、ここまで手伝ったんだ。値を下げるのじゃなく、値を上げるためのことで、買い手も曰くを聞いて喜ぶのなら、誰も損しないとおもってさ。
ここは父が大事に、また秘密にしていた幻灯機の映写室だ。うまく調整すれば、ここの声と映像を通路に流すことができるようになっている」
「他のことはどうなんだ? 白い影が行き来するとか、勝手に湯が沸いたり、食材が増えたり減ったり、後をつく者があるとかないとか」
十五郎の問いかけに、正三が満足げに応える。
「それは僕が答えましょう。白い影なんてものは簡単です。蒸気か煙か、そういったものに幻灯機を当てるのです。幽霊じみたもののできあがりですね。
また、後をつくものについては、下の階からあるいは例の反響で足音だけを響かせるのです。普段からビクビクしている御婦人には、それで十分。
食材云々なんてのは、琴葉ちゃんか使用人か、もしかしたら御当主様が、ちょっぴり摘み食いしたり、自分で買って来たんじゃないですか」
「なるほど、なるほど」
立板が、しきりに感心して頷く。
「いや、思いつきませなんだ。蒸気に幻灯機ですか。足音を響かせるだけというのも良いですねぇ。こんな手間のかかることより、よっぽど恐い。いろんな方法があるものですね。参考になります。
あ、最後の食材の件ですが、この立板、まっとうな商人としての誇りがありますれば、摘み食いと言いますか、盗み食いのようなことは致しません。これだけは天地天命に誓って、真実で御座います。
しかし、そうしますと、使用人もいないし、誰が摘み食いをしたのか気になりますな。まさか御当主様でもありますまいが。意外な方が犯人というのは、よくあることで。この間も西洋の小説なるものを読んでおりましたら……」
「待った。いま何て言った?」と十五郎。
「ですから、西洋の小説なるものを……」
「その前、その前だ」
「御当主様が犯人というやつですか。これは、ほんの冗談で。まさか御当主様に言いつけたりなさるおつもりで?」
「違う違う。使用人がいないとはどういうことだ。それに白い影だの後をつくものだのは、お前の仕業じゃないのか?」
「はあ、この立板、寡黙と真面目が売りでして。言われたようなことは思いつきませず。屋敷に潜むに当たって使用人の有無は確認いたしましたが、こちらの屋敷には御当主様と御家族のほか、安川夫人が通ってみえるだけで使用人など一人もおりません」
「一人もおらんて、メイドさんがおるやろ。元気なメイドはんに内庭を案内してもらったで」
「そうだ。新見あやと言っていた」
名前を聞いた琴葉の顔から、すっと血の気が引いた。胸を押さえ、顔を上げてきたと思うと、冷ややかな警戒するような表情である。その雰囲気はすでに葛葉のものに変わっている。
「あまり琴葉を驚かすな。悪い冗談はよせ。あやは三年前に死んだ」
不意にしんとした部屋で、葛葉に応えるのは若い女性の声だ。
『うふふ、ばれちゃいましたね』
頭上から聞こえた声に天井を見上げると、そこには、メイド姿の新見あやが浮かんでいた。以前とまるで違う恐ろしげな表情でこちらを睨みつけている。
幻灯機であってくれという十五郎の思い空しく、それは奇妙な存在感を持って床に降り立った。




