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8.舞踏会は華麗に?

 翌日の城内は朝から大騒ぎだった。各国の賓客を招いての大々的な舞踏会など、実に十数年ぶりなのだ。文官たちが会場準備などのため忙しなく廊下を行き交い、侍女たちも貴婦人たちを装う準備で慌しい。厨房に至ってはほとんど戦場だった。静羽も早々に起こされて着せ替え人形と化している。

 この日最も忙しかったのは宰相で、意外に暇を持て余していたのが国王のアルフだった。陣中見舞いのつもりで静羽の部屋を訪ねたが、静羽に付けた侍女によって、丁重に、且つ頑なに入室を断られた後は、仕方なく執務に勤しんでいた。エトヴァも神殿の代表として大忙しである。

 そんなこんなもあったが、夕刻前には会場の準備も整い、日が落ちると、いよいよ舞踏会が始まった。

 会場の入り口では、文官の良く通る紹介の声と共に、各国の代表や、国内外の有力貴族たちが艶やかな衣装やドレスで次々と入場してくる。

その中でも特に注目を集めた客がいた。

「ワルツ駐在大使、エスターナ王国ヴィンセント・ファン・ムスタヴァル様! ご入場!!」

 国交が途絶えて久しい国名に、会場の多くの者が入り口の方を注目する。

 入場してきたのは、この辺では見掛けない褐色の肌をした痩せた男だった。今回は急な招待であったため、婦人は同行していない。エスターナ本国からの特使では間に合わないので、エクリムスに比較的近いワルツ王国に駐在していた大使を招待したのだ。しかし、本人もなぜ急に自分が招待されたのか判らない様子で戸惑いの方が大きく、広い会場の隅の方で所在無げにしているが、エスターナ王国特有の南国風の礼服は嫌が上にも目立っていた。

 一通りの招待客が来場し、広かった会場も煌びやかな衣装をまとった人々でいっぱいになった。エクリムス国王のアルフも会場入りして、宰相と共に、各国の代表達の間を忙しく廻っていく。音楽隊の演奏により、会場中央ではダンスも始まった。

 皆、長く臥せっていた若い国王の回復に祝辞を贈るも、気になるのはやはり女神の使徒と噂される娘のことであった。

「エクリムス国王陛下におかれましては、ご回復喜ばしい限りで御座います。これからのエクリムスも、これで安泰でありましょう。・・・ところで、お噂でお聴きしております戦女神の使徒殿はどちらで御座いましょう? 一度お姿を拝見させて頂いて、我が国もその恩恵に与ろうと思っておりましたが・・・」

「きっと支度に手間取っているのでしょう。こういった場には、あまり慣れていないようでしたので」

 誰もが同じように訊ねてきて、アルフもその度に苦笑気味に答えることになった。

 貴婦人たちの会話も、ほとんどその話題が中心だ。

「女神の使徒様とは、いったいどんな方なのでしょう?」

「お噂では、女神のように美しい方とお聴きしましたが・・・」

「あら。女神といっても戦女神なのでしょう? しかも、屈強揃いの近衛兵団も敵わなかった化け物を、退治したらしいではありませんか」

「そうですわ。きっと男勝りな猛々しいお方なのではないかしら? ドレスより剣が似合うような」

「まあ! お声が高こうございますわ。城内の者達は皆、その方を崇拝しているらしいですわよ ・・・でも、きっとそうで御座いますわね。オホホホ」

 巷に流れている静羽の噂は大きく二つ。戦女神レティメイシアの使徒で美目麗しい娘だという噂と、女剣士のような筋肉隆々の女傑だという噂だった。しかし、恐ろしい化け物を倒したという事実から、後者の方が多く広まっている。特に貴婦人たちの多くは、その後者の噂を信じていて、陰ながら女神の使徒という者を笑ってやろうと考えているのだ。


 そうして、二曲目の舞踏曲が終わったとき、閉じられていた会場の大扉が再び開かれた。会場が一瞬静まり、皆が入り口に注目する。

「ファラミス神殿エクリムス王国顧問神官長、エトヴィエル・シーブック・アクトバス様! 及び・・・」

 先触れの文官が一瞬紹介に詰まった。手にした書類に目をやって緊張して声を上げる。

「日本国、私立双葉女子学園高等部二年生、女子ラクロス部所属、シズハ・オクムラ様! ご入場!」

 聞いたことのない国名に誰もが顔を見合わせて首を傾げた。またその肩書きも聞いたことがない。これは、何も肩書きがないのも寂しいので、どうせ誰も判らないから、何でもいいから長いものを付けてしまえというアルフの提案によるものだった。

 会場がざわめいたが、入り口に二人が現れると、再び会場は静まり返る。

 エトヴァは普段の物より豪華なファラミス神殿の祭典用の神官服で、なかなか様になっていて立派に見える。

 そして静羽は、こちらの世界の者がこれまで見た事がないようなファッションに身を包んでいた。

 全体的にほっそりとしたシルエットの真っ白なドレスが、誰よりもほっそりとした腰から裾へと緩やかに広がる。 上半身は体にピッタリとして、豊かな胸の上から二の腕まで素肌が露出した大胆なものだ。脇の前の部分から幅広な肩紐が付いていて、それが首を一周するように釣られている。手には肘の上まである真っ白な手袋。ゴテゴテした飾りは一切なく、唯一胸元に金糸の刺繍が施されているのみであった。体の線がはっきり判ってしまうデザインで、体形に余程の自信がなければ、およそ着られそうにないものである。

 極シンプルだが、貧相なイメージは受けない。それはドレス全体に惜しみなく散りばめられたダイヤモンドの輝きがあるからだ。真っ白なドレス自身の輝きに加えてダイヤが照明を反射して、少し動く度にキラキラと瞬く。正に光り輝くという表現がピッタリだ。

 化粧も極薄く、軽く頬紅を載せているだけで、あくまでナチュラル。会場にいる貴婦人たちのように、どぎついアイシャドーもしていない。口紅は可愛らしく上品なピンク色のものを付け、しかも濡れたような感じで、時折光を返す。

 また、髪型も目を引く。こちらではドレスの時、長い髪はきっちりと結い上げるのが一般的で、髪が短くて結えない者は付け毛をして形を作る。しかし、静羽は艶やかな黒髪を真っ直ぐに垂らしていた。普段のきっちりしたポニーテールより少しゆったりとまとめ、ドレスと同じ白く細いリボンで留めている。耳の上から前髪にかけてのサイドの髪も、多めに残して真っ直ぐに垂らし、ここにもダイヤの髪飾りを付けてアクセントにしている。

 この上なく美しい。まさに女神が光臨したかのようだ。何もかもが型破りだったが、それが返って神秘性を強くしていて、誰もが声もなく見惚れている。貴婦人達に至っては、開いた口が塞がらない様子だ。

 このドレスも髪型も化粧も静羽のアイデアである。こちらの貴婦人のゴテゴテ衣装やどぎつい化粧も、現代っ子の静羽には我慢ならなかった。髪型も実は憧れの白鳥先輩が普段しているもので、一度真似してみたいと密かに思っていたものだ。

 初め侍女達は静羽のアイデアに難色を示していた。戦女神の使徒と言われている者の装いとしてはあまりにシンプル過ぎると言って反対していたが、これだけは静羽も頑として譲らなかった。しかし、本番前に出来上がった静羽を見て侍女たちは文字通り声を失い、ナチュラル美というものを目の当たりにしたのだった。


 緊張でカチカチになって、動きが多少ぎこちないエトヴァにエスコートされて、静羽は幾分伏せ目がちに優雅に会場を進んでいく。進行方向にいた者たちが自然と脇に避けて、道ができる。その道の先に佇むのはエクリムス国王アルフだった。二人はアルフの前まで進むと優雅に礼をする。そこでエトヴァは脇に避け、静羽のエスコートをアルフに譲る。今度はアルフと静羽が並んで静かに歩き始めた。

 アルフが周りに聞こえないような小声で、そっと静羽に囁く。

「・・・笑顔が引き攣っているぞ」

「・・・仕方ないでしょ! 緊張で倒れそうなんだから!」

 柔らかく微笑んだまま、静羽も小声で言い返す。

「だが、とても綺麗だ。今すぐ抱き締めたいくらいに」

「な! 何言ってるのよ! もう! こんなところで!」

 昨日のことが思いだされ静羽は真っ赤になって俯いた。なんか告白してから大胆になってない?と静羽は内心で思う。今のこの状況も、自分で選んだドレスも、まるで教会の結婚式のようで、気恥ずかしい限りだ。

 そんな二人の様子は、傍から見れば仲睦まじく囁き合う恋人同士にしか見えず、半数は暖かい目で、しかし、もう半数は値踏みするような目が向けられていた。

 嘗て大陸の中心的な大国だったエクリムスは、王家の呪いにより衰退の一途を辿っていた。国力も衰え、盛んだった交易も今は細々として、嘗ての活気は見る陰もない。

 周辺諸国は虎視眈々と、エクリムスの豊かの土壌と広大な土地を狙っている。支援と称して多額の資金援助を申し出たり、共同統治を前提にした併合を提案したりと、様々な政治的手段によりエクリムスに揺さ振りを掛けてきているのだ。

 しかし、それらを現宰相は何とか躱してきた。資金援助など名目だけで、エクリムスを借金だらけにして身動きできなくしようという腹であり、共同統治など最初だけの建前で、政権内部から侵食して全てを奪い取ろうという腹なのだ。いかに衰退しようとも歴史有る名国として、そんなことは決してさせない。それが宰相の信念であり、その信念によりこれまでこの国は守られてきたのだ。

 そのエクリムスが、ここにきて呪いを退け、長く臥せっていた国王も見違えるように回復。しかも女神の使徒という者まで現れ、庶民の間では、エクリムスは神に救われたのだと声も少なくなく、国中に明るい兆しが見てきている。

 これはエクリムスを狙っていた諸国からすると、計算外の事態である。そこで各国の代表のほとんどは、今後の動向を見極めるためと、噂の使徒とやらを確認するのが目的なのだ。

 静羽に対する反応は様々だった。素直にその美しさに見惚れる者。見慣れない衣装やこちらにはない艶やかな黒髪を見て、本当に女神の使徒が現れたのかと羨む者など。

 しかし、その大半は、

「なんだ。女神の使徒だというので、どんな美女かと思ったが、まだほんの小娘ではないか」

「誠に。噂では恐ろしい化け物を退治したというが、所詮、噂は噂ということですな。これは、エクリムスに一杯食わせられましたかな?」

 これで、静羽が猛々しい女傑であったなら反応も違っていただろうが、誰もがこの可憐な少女が長年王家に巣食っていた化け物を退治したなどとは信じていない。おそらくはエクリムスが各国の気を惹くために仕掛けた話題作りであろうと予想している。

 しかし若い国王の回復は本当だと思われた。血色も良く、即位当時のような覇気も感じられる。辣腕で知られる宰相も健在であり、この国にも再興の兆しが見えてきたのは確かだ。今後の対応の方針変更をせざる得なくなるだろうと、各国の代表は思いを等しくしていた。また、若い国王に宛がう政略結婚に使えそうな貴族令嬢はいないかと考え始める者も中にはいたであろう。

 そんな様々な思惑の中、アルフは一段高くなった玉座の前に立ち、静羽はそのすぐ近くに控えた。静羽は大勢の視線が自分に向いていることに緊張を通り越して恐怖まで感じていたが、アルフに恥をかかせていけないと、平静を装って毅然と顔を上げていた。

 アルフは会場全体を悠然と見回すと、落ち着いたよく通る声で話し始めた。

「今宵は、我がエクリムスのために、かくも大勢の方々に御出席頂き、心より御礼申し上げる。長年王国を、王家を苦しめていた呪いは祓われ、我が王国の人々にも笑顔が戻ってきた。私自身も御覧のように、もはや何の心配もいらぬと、ここに宣言する。今後は臣下一同一丸となって再興に努める所存である。宜しく協力を賜りたいと願う ・・・さて、既に聞き及んでいることと思うが、此度の王家の呪い祓いに助力してくれた人物を紹介したいと思う。シズハ・オクムラ殿だ」

 そういうとアルフは静羽を促し自分の隣に立たせた。会場全ての視線が静羽に集中して、さすがに静羽も表情が硬くなる。緊張で倒れそうだ。視線が怖いので、なるべく人を見ないように遠くに目をやる。

「シズハ殿は、遥か遠方より参られて我が国のためにご尽力頂いた。そして、その神秘な御技により、長年我が国を蝕んできた呪いを打ち祓ってくれた。エクリムスを代表してこの場で感謝の意を示したいと思う」

 ここで、アルフは一旦言葉を切って静羽を見つめる。アルフの視線に気付いて静羽もアルフを見て、軽く首を傾けた。髪飾りが小さな澄んだ音を立てる。アルフは僅かな間静羽を見つめて、一つ頷くと再び正面に向き直る。

「しかし、どんなに感謝の言葉を連ねても、彼女が与えてくれたものには遠く及ばない。そこで、長く彼女の行いを記憶に留めていられるようにしたいと考える。長い間閉鎖され、魔物の巣窟になっていた旧後宮を取り壊し、そこを清浄なる花園にする。そして、その花園に彼女の名を頂き、エクリムスの歴史が続く限り、彼女への感謝を忘れぬようにしたいと思う」

 おぉと会場がざわめき、次いで拍手が起こる。初めは驚いた顔をしていた宰相も、したり顔で何度も頷くと快く拍手を送っていた。しかし、急な話しに静羽は焦る。

「ちょ、ちょっとアル・・・ いえ、陛下、そんな話聞いてないです!」

 小声で訴えると、アルフは小さくウィンクする。

「当然だ。たったいま思い付いた」

 いかにも当然という顔が小憎らしい。

「い、いくらなんでもやり過ぎですよ! 私、こ、困ります! それにそんな無茶な話通るわけが・・・」

「ある程度の無茶を通せるのが、国王の数少ない特権というものだ。それに、すでに諸侯の前で宣言してしまったしな。いまさら撤回はできん」

 ウーと唸ってみたが、確かに状況的に撤回できそうにはない。静羽は諦めて大きな溜め息をつくと、悔し紛れの悪態をつく。

「・・・・・・暴君」

「褒め言葉と受け取っておこう」

 そう言って楽しそうに笑うアルフの顔が、とても、とても・・・カッコ良かった。静羽は頬が上気しそうなのを隠すようにプイッとそっぽを向く。

「さて、堅苦しい挨拶はこのくらいにして、皆さん、今宵は大いに楽しんで頂きたい! 音楽を!」

 音楽隊が明るい曲を奏で始め、皆思い思いに会場に散らばっていく。アルフと静羽が玉座から降りると、待ってましたとばかりに各国の代表やら有力貴族たちが群がってきた。

「いやはや、驚きました。女神の使徒様がこのようにお美しいお方とは!!」

「まことに! 女神その人が現れたのかと思いましたぞ!」

 突然の賛美の嵐に、静羽は驚いて折角覚えてきた応対の台詞が頭から飛んでいってしまった。

「あ、あの・・・ わ、わたくしは、その・・・」

「いや、しかし。信じられませんな。このような可憐なお姿で、王家に巣くっていた化け物を退治するとは。いったい、どのような御技で?」

「そう。それに今後は如何なされるのですかな? できれば是非我が国にも一度おいで頂きたいのですが?」

「え? そ、それは・・・」

 静羽は慣れない場にすっかり萎縮してしまい、答えに窮してアルフに救いの目を向ける。

「まあまあ、皆さん。彼女はこういった場には不慣れのよう。訊きたいことは多々あるかと思いますが、ここは一先ず舞踏会を楽しんで頂き、彼女が落ち着いたところで話されるが良いであろうと。それに・・・」

 そういうとアルフは静羽を楽しそうに見下ろすと、

「私も先ずは彼女と一曲踊りたいと思うのです」

 その言葉に静羽はギョッとした。

「これはこれは。陛下も使徒様にご執心のようですな」

「さもあろう。これほど美しい使徒様であれば」

 さすがの諸国の代表たちも、国王が踊りたいというものを引き止めたりはできない。

「一曲お願いできるかな?」

 みんなの前で国王の誘いを断れる訳がない。絶対判っていて言っているに違いない。憎たらしく思いながらも、差し出されたアルフの手に静羽は渋々手を重ねた。アルフはそのまま会場の真ん中に静羽を誘う。既に踊っていた人たちは二人に気付いて一旦ダンスを止め、場を二人に譲る。

「恥を掻いても知りませんからね!」

 とてもまともには踊れない。練習のときもセンスは悪くないと言われたが、さすがにダンスは付け焼刃でできるようなものではない。

「なに。心配するな。俺に合わせるだけいい」

「それが難しいんですっ!」

 表面上はにこやかにしているが内心焦りまくって必死に教わったステップを頭の中で思い出す。いつの間にか周りの人たちは踊るのを止めて、遠巻きに自分たちを注目している。

「俺もダンスは素人同然だ。まあ、任せておけ」

「・・・その根拠のない自信はいったいどこからくるのよ」

 静羽は諦めてそっと溜息をつく。こうなったらやるしかない。

 演奏が始まった。練習で習ったステップを必死に思い出す。自然と俯き加減になり表情が硬くなる。

「シズハ」

 呼ばれて顔を上げると、アルフの優しい顔が間近にあった。思わず状況を忘れて見詰めてしまう。

「俺の目だけを見ているのだ。心配はいらない」

 アルフが静羽の腰に回した手を軽く引く。

「あ・・・」

 静羽の右足が自然に一歩を踏み出す。周りの観衆のことが意識から遠のく。アルフの目を見詰め、優しい動きに身を任せる。

 まるでそこだけが別世界かのように、二人はお互いだけを見詰めて優雅に舞った。


演奏が終わり、二人のダンスも動きを止める。しかし二人はそのまま見詰め合って離れようとはしなかった。

 割れんばかりの拍手が起こった。お世辞にも優雅とは言い難いダンスであったが、若い二人の仲睦まじい姿に誰もが惜しみない拍手を送る。

 拍手の音で我に返った静羽は、慌ててアルフから離れると、頬を赤く染めながらぎこちなく礼をした。アルフもそれに応えて軽く礼をすると、静羽の手をとってその場を離れた。

 待ってましたとばかりに皆が二人に群がり、口々に先ほどのダンスを褒め称える。しかし、それも始めのうちだけで、話の中心は徐々に政治的な方へと移っていく。静羽は邪魔にならないようにタイミングを見計らって、アルフの傍を離れた。

「・・・ふぅ」

 窓際まで下がった静羽は、そこで大きな溜め息をついた。まだ胸のドキドキが収まらない。先ほどはアルフを見詰めた途端に周りのことが意識から消えた。アルフのリードで無意識にステップを踏んでいたが、ちゃんとできていたのだろうか。下手なダンスでアルフに恥をかかせなかっただろうか。そんな心配ばかりが頭に浮かぶ。

 こうして静羽が一人でいても、不思議と誰も寄っては来ない。もちろん注目は浴びている。若手貴族たちはどうやって声を掛けようかとソワソワしているが、あまりにも美しく神秘的な静羽に声を掛けるのを躊躇っているのだ。

 また、貴婦人たちも時折静羽に視線を送っては、コソコソと話している。普段なら新入りを取り囲んで、遠回しな皮肉や脅しで自分たちの地位を判らせようと躍起になるのだが、誰も近寄ろうとはしないのは、静羽と並んで比べられるのを恐れたからだ。誰も決して口にはしないが、静羽の美しさは悔しいながらも認めざるを得ない。とても傍になど寄れないのだった。

「お疲れのようですね」

 聞き慣れた声に振り向くと、正装のエトヴァが両手にグラスを持って立っていた。そして片方のグラスを静羽に差し出す。

「・・・私、お酒は飲めないわ」

「だろうと思いました。大丈夫。ただのお水ですよ。どうぞ」

 礼を言って静羽はグラスを受け取った。実は緊張でずっと喉がカラカラだったのだ。一気に飲み干して、ほぉっと長い溜め息をつく。

「先ほどのダンス、とてもお上手でしたよ」

 エトヴァが笑顔でそう言うと、静羽は弾かれたように顔を上げてエトヴァに迫る。

「ほんとに? 変じゃなかった? へたくそなのは判っているけど、アルフさんに恥かかせたりしなかったかな?」

「だ、大丈夫でしたよ。私より余程うまく踊っていましたよ」

「ほんと? ほんとに、ほんと?」

「ええ。ほんとにお上手でしたよ。それに・・・」

 エトヴァは僅かに言い淀む。

「・・・それに、とてもお似合いでしたよ。お二人は・・・」

「そっか、良かったぁ」

 赤くなった頬を両手で押さえつつ静羽は安堵の溜め息をついた。そんな静羽の様子にエトヴァは一瞬だけ遣る瀬無い表情を浮かべたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。

「あれなら、もう誰とでも踊れますよ。きっと」

「それは無理よ! さっきだって、ほとんどアルフさんがリードしてくれてたんだし、それに・・・・・・ !!」

 言い掛けた静羽は、急に後ろを振り向いて厳しい顔で会場を見回した。首筋辺りがピリピリとして寒気がする。

「シズハ殿、これは!」

 見ればエトヴァも厳しい顔をしている。エトヴァも感じたらしい。

「・・・かなり強い霊気だわ」

「やはり! 何か見えますか?」

「待って・・・ あっ! あれは!」

 人々の間に、何かを探すかのように漂う白い靄のようなものが見えた。そして、それは数人で談笑していた一人の貴婦人の上にしばらく停滞すると、その貴婦人の後頭部に吸い込まれるように消えた。その瞬間、貴婦人は全身をビクッと硬直させると、ぎこちない動きで歩き始める。

「あれは、もしかして・・・」

「シズハ殿、何か判りましたか?」

 霊の気配は感じても見ることのできないエトヴァは静羽に訊いた。

「なんか霊のようなものが、あの女の人の中に入っていったの。それで・・・」

 エトヴァは驚いて、静羽が指差す貴婦人を見る。

「中に入ったって・・・ 取り憑いたってことですか??」

「判らない。でもなんか動きが変なような・・・」

 見れば確かに、その貴婦人は周りが目に入っていないのか、人にぶつかっても意に介さずに、フラフラと料理が置かれたテーブルへ向かっている。

 そして、こちらに背を向けてテーブルの前にしばらく立ち止まると、今度は左に向かって歩き始めた。

「いったい何をしているのでしょう?」

「さあ・・・ 私に訊かれても・・・」

 エトヴァも静羽もここで騒ぎ立てるわけにいかないので、とりあえず様子を伺う。

 その貴婦人は、やはり人にぶつかっても無関心で、ぶつかられた方は迷惑気に貴婦人を見てブツブツ文句を言っている。

「・・・いったいどこに向かって・・・ ハッ!!」

 その貴婦人が大柄の男性にぶつかってよろけた瞬間、その右手に握られている物が見えた。それは照明を反射してキラッと光った。静羽は焦って貴婦人の向かう方向を見て、そして息を詰めた。

 その向かう先には、他国の使者と談笑するアルフの背がある。

「まさか!?」

 静羽は躊躇いなく走りだした。

「あ、シズハ殿! どうしました!?」

 エトヴァに答える余裕もなく静羽は走る。しかし、裾の長いドレスで走り難い。

「もう! 走りにくい!!」

 言うが早いか静羽はドレスのスカートを両手で鷲掴みにして、はしたなくも持ち上げる。邪魔なハイヒールも脱ぎ捨てて会場を駆け抜ける。

「退いて! 退いて下さい!!」

 皆が驚いた顔を向けてくるが構ってはいられない。

 その貴婦人はアルフの背後で立ち止まると、右手を持ち上げ、そして振り下ろした。

「アルフさん!!」

 呼ばれてアルフが振り向くのと、静羽がアルフに飛び付くのが同時だった。

 縺れるように倒れ込む二人。会場は一瞬しんと静まり返る。

 背中から倒れたアルフは、したたか打った頭を擦りながら身を起こした。そして、自分に抱き付いている黒髪の人物に気付く。

「あつつ・・・ シズハか? いったいどうし・・・」

 その言葉は、間近に起こった女性の悲鳴で掻き消された。訝しんで悲鳴を上げた女性の視線を辿って、アルフは息を呑む。

 静羽の剥き出しの二の腕辺りから真っ赤な血が滴っていた。肘の上まである真っ白な手袋が見る間に赤く染まっていく。

「シズハ!!!」

 アルフは血相を変えて静羽を抱き起こした。

「あ・・・ アルフさん・・・ よかった。間に合った・・・ あ! 痛ぅ!」

 アルフの無事を確認して微笑んだ静羽だったが、左腕の鋭い痛みに呻いた。

「動くな! 今すぐ手当てを・・・ !?」

 衛兵を呼ぼうとして顔を上げたアルフは気付いた。目の前に呆然と立つ貴婦人の右手に、僅かに鮮血の付いたナイフが握られているのを。

「お前が!!」

 アルフは静羽を背後に庇うと、その貴婦人を睨み付ける。しかし、その貴婦人はあらぬ方向を見たまま全く反応がない。

「陛下! ご無事で!?」

 やっと近衛長と会場を警備していた衛兵たちが駆けつけてきた。

「俺は何ともない。しかし、シズハが・・・」

「わ、私も大丈夫よ。ちょっと掠っただけだから・・・」

 そう強がって言うが、純白のドレスに染まる血の量は決して少なくはない。近衛長は悔しそうに顔を歪めた。

「申し訳ありません! 私が居ながら・・・」

 衛兵たちは会場の壁際に立って警備を行っているが、近衛長は正装して会場に入り、常に国王の傍で警戒を行っていたのだ。それがその時、他国の使者に話し掛けられており、またちょうど死角になっていて、危険を察知できなかった。それをこの少女は身を挺して護ってくれ、しかも負傷まで負わせてしまった。感謝と申し訳なさと、自責の念に苛まれる。しかし、ここで呆けてはいられない。

「その者を捕らえよ!!」

 近衛長の指示で衛兵たちが貴婦人を取り囲む。それでも貴婦人は何も反応しない。貴婦人の左右にいた衛兵が目配せして、右の衛兵がナイフを持った右手を、左の衛兵が左手と肩を抑えようとした瞬間、衛兵たちは見えない力で吹き飛ばされた。慌てて他の衛兵が貴婦人を取り押さえようととするが、やはり触れる寸前に吹き飛ばされてしまう。

「おのれ! 抵抗するならばご婦人とて容赦はせぬぞ!!」

 近衛長は部下が持ってきた愛剣を受け取ると抜刀した。悲鳴が起こり、周りにいた客たちが慌てて下がる。

 ここで静羽が慌てて声を上げた。

「待って!! その人はただ霊に取り憑かれているだけなのよ!」

 その言葉に近衛長と、そしてアルフも驚いて静羽を見た。

「シズハ。それはどういうことなのだ?」

「さっき、強い霊気を感じて、そのとき霊のような物がその人に入っていくところを見ました。それに・・・」

「それに?」

「・・・昨夜、私のところにソフィア王妃が来たんです」

 普段動じないアルフもさすがに驚く。

「ソフィア王妃だって? しかし、あのとき成仏したのではなかったのか?」

「してなかったようです・・・ そして・・・」

 静羽はその貴婦人に目を向けると、確認するように言った。

「ソフィア王妃さん、ですよね?」

 アルフも近衛長もギョッとして貴婦人を見た。すると、今まで無反応だった貴婦人が、ぎこちなく動いて視線を静羽たちに向けた。そして、今まで僅かだった霊気が一気に膨れ上がる。

 あまりの霊気に静羽はたじろぎながらも言う。

「・・・私たちは、大きな勘違いをしていたのかもしれない・・・」

「勘違い? それはどういう・・・」

 アルフが言い掛けた瞬間、会場中の照明が突如暗くなった。そして、通常の明かりとは異なる物が会場のそこ彼処に現れ、ユラユラと漂い始める。霊だ。誰もが茫然自失としてその光景を眺める。その霊たちの動きが激しくなるにつれ、靄のようだったものは、その形を確かにしてゆく。それは苦悩に満ちた人の顔であった。

「キャー!!!」

 誰かの悲鳴をきっかけに、会場はパニックに陥った。我先にと出口に殺到する。しかし、まるで固められたかのように扉はビクともしない。テラスに続くガラス戸も同様だった。恐慌に陥った者が椅子を叩き付けてガラスを割ろうとしたが、砕けたのは椅子の方だ。

「アルフレッド王!? これはどういうことですか!?」

 各国の使者が金切り声を上げて、アルフを問い詰める。しかし、ナイフを持った貴婦人がいるため近付けない。

「ご安心を、彼女の狙いは私だ。 近衛長、皆を壁際に非難させろ」

「し、しかし!」

「早く!!」

 有無を言わせぬ様子に、近衛長は渋々頷き、皆を反対側の壁際に誘導する。

「シズハ殿! 大丈夫ですか?! あぁ! そんなに血が!」

 混乱している人波を掻き分けて、エトヴァが静羽のところに駆け付けた。その手には静羽のクロスが握られている。

「大丈夫・・・掠り傷よ。クロスを・・・」

 エトヴァから受け取ったラクロスのクロスを杖代わりにして、静羽は立ち上がった。昨夜ソフィア王妃の霊が現れたことを不安に思って、クロスは会場内に隠していた。

 今や、会場中央にいるのは、アルフと静羽、エトヴァ、そして憑依された貴婦人だけだ。そして、漂っていた霊たちは貴婦人の頭上で渦を巻いている。

「・・・シズハ。先ほどの勘違いとはどういうことか?」

 目の前の貴婦人から目を逸らさずに問うアルフに、左腕の痛みに顔を顰めながらも、しっかりとクロスを構え静羽は応えた。

「あの時、私たちは、悪霊がソフィア王妃の霊に取り憑いて、化け物になったと思っていたけど・・・ ほんとは逆。ソフィア王妃の方が悪霊に取り憑いていたのよ。きっと・・・」

「では、やはり、呪いの元凶は彼女、ということか」

「・・・おそらく」

「そ、そんな・・・」

 それを聞いたエトヴァは青褪める。ということは、あの化け物よりソフィア王妃の方が強いということになる。あの化け物でさえ、やっとの思いで倒したのに。

『・・・王家は、滅びなければいけない・・・』

 この瞬間、皆に見えているのは貴婦人ではなかった。真っ白なドレスに長い金髪、痩せ細った白皙の顔。ソフィア王妃、その人だった。

 消え入るような小さな声。しかし、その怨念の籠った声は会場にいる全ての者に届いた。その恨みの念に、腰が抜けて座り込む者や、失神して倒れる婦人たちが続出する。

『・・・死んでください・・・』

 ソフィア王妃の右手が真っ直ぐにアルフを指差す。渦巻いていた霊たちが一斉にアルフに襲い掛かる。

「陛下ぁ!!」

「させない!!」

 近衛長が悲痛な声を上げるのと、静羽が前に飛び出すのが同時だった。

 眼前に構えたクロスの護符の辺りが輝く。その光に霊たちが激突した。そこに見えない壁があるかのように霊たちが弾かれる。

『オオオオオォォォォーンンン!!』

 風鳴りのような声を上げながら、それでも霊たちが次々と突っ込んでくる。

「くっ!」

 まるで強風に押される扉を押さえているようだ。左腕の傷が痛むが、ちょっとでも気を抜けば押し切られそうになる。

「臨!兵!闘!者!皆!陣!列!在!・・・」

 静羽は念を込めて九字を叫ぶ。一言毎にクロスが輝きを増して光の粉が舞い、次第に静羽を光が包んでいく。

「前!!」

 最後の一言で光が爆発した。霊たちを吹き飛ばされ、光に溶けるように消えていく。

「おおぉ!! まさに女神様・・・」

 会場の隅に避難した人々は呆然とその様子を見ていた。美しくも華奢な静羽が王家の呪いを倒したなどというのは、世間の注目を集めるための作り話と誰もが思っていたが、現実を目の当たりにして、それを信じざるを得ない。女神の使途、いや、まさに女神そのものが降臨したと思った。

「アルフさんは、死なせないわ!!」

 その身を輝かせながら静羽は、ソフィア王妃に対してクロスを構える。

『・・・あれほど言ったのに・・・まだ判らないのですか・・・』

 そういうとソフィア王妃は美しい顔を歪めて静羽を睨みつけた。長い金髪が下から風を受けたように逆立ち、途端にものすごい霊気が静羽に襲い掛かる。

「ぐぅっ!!」

 さっきの霊たちの比ではない霊気に静羽は、よろめきながらも必死に堪える。

「シズハ! もういい! 無理するな!」

 アルフが叫ぶが、答える余裕もない。

「り、臨!・・・ 兵!・・・」

 歯を食いしばりながら九字の言葉を絞りだす。

 ソフィア王妃はゆっくりと右手を上げると真っ直ぐに静羽に向ける。

『無駄です』

 凄まじい形相でくわっと目を見開くと、更に猛烈な霊気が噴出する。

 ビシィという音と共に静羽が吹き飛ばされた。

「キャアァー!!」

 白いドレスが宙を舞う。細い身体が硬い床に叩き付けられた。

「シズハ!」

「シズハ殿!」

 アルフとエトヴァが慌てて駆け寄る。しかし、静羽はぐったりとして動くこともできない。

「シズハ! 大丈夫か!? しっかりしろ!」

 アルフが静羽を抱き起こして必死に声を掛ける。呻き声を上げて、やっと静羽が目を開けた。

「・・・あうぅ・・・ あ、アルフさん・・・私・・・ あっ! あぐぅ!」

 起き上がろうとして全身に走った鈍い痛みに呻き声を上げる。

「もういい! 動くな!」

 アルフが悲痛な顔で言う。彼女には護られてばかりだ。何もできない自分が悔しくて仕方がない。

「で、でも・・・ あっ!」

 それでも静羽は起き上がろうとクロスを手にして、その手触りの違いに慌てて引き寄せてクロスを見る。

「ああ!? 護符が!!」

 護符を貼り付けてテーピングを巻いてあった部分がズタズタになっていた。そして、中の護符はまるで燃えたかのように真っ黒になって、達筆な字で書かれていた退魔の呪文も見る影も無くなっていた。

 静羽は蒼白になる。静羽自身は、ただちょっと霊感が強いだけの普通の女子高生に過ぎないのだ。これでは悪霊になど対抗できない。まして、強力な護符を一瞬で焼いてしまうほどの力を持つソフィア王妃など・・・

「どうしよ・・・ もう、戦えない・・・・・・」

 静羽が呆然と呟いたのを聞いて、アルフは静羽を抱きしめて言った。

「戦う必要はない! もう十分だ!」

「でも・・・ ソフィア王妃が・・・」

 アルフはそっと腕の力を緩め、静羽を真正面から見詰める。

「これ以上君に傷ついてほしくない。そのくらいなら俺が・・・」

「そんなの駄目です!!」

 言い掛けた言葉を静羽が遮る。真夏の海のような水色の瞳と、星空のような黒い瞳が見詰め合う。

 しかし、そんな甘い時間は許されなかった。



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