1話「日常の中に潜む」
何も変わらない平凡な朝。
竹刀の振り下ろしで、朝の空気が裂けた。
少し寝癖のついた茶髪が揺れ、汗が飛ぶ。
朝日大和の日常は剣道から始まる。
剣道部の朝練明け。
汗を拭き、道着から制服に着替える。
何も変わらない、いつもの日常だ。
ただ一つだけ——
「……またか」
視界の端で、何かが揺れた。
誰もいないはずの部屋の隅。
そこに、ほんの一瞬だけ“なにか”がいた。
黒く、不規則な動きをする何か。こちらを伺っている。
大和は見なかったことにする。
彼の日常では当たり前のことだ。
教室に入ると、いつものざわつきがある。
机、椅子、笑い声。
その中に、ひとつだけ静かな影があった。
窓際の席。
光に透けるような、白に近い灰色の髪。
夜月静紀。
目が合う。
一拍遅れて、大和が口を開く。
「おはよ」
「……うん」
それだけ。
会話はすぐに終わってしまう。静紀は大和と目を合わせたくないのか窓の外に視線を向けている。
視線の先には咲き誇る桜の木。はらはらと花びらが舞う。
昔は違った。
もっと近くにいたはずなのに——今は、距離がある。
静紀はそれ以上何も言わない。
大和も追わない。
昼休みの廊下。生徒たちが行き交う。
それに混じり”なにか”がいる。
生徒の流れに混じり、じわじわとこちらへ近づいてくる。
こう言う時は見えてないふりだ。
誰もいないはずの空き教室。
そこに、影がある。
先ほどの"なにか"と同じ気配。
先ほどより形になりかけているそれ。
それは壁に溶けるように揺れ、そして一瞬だけこちらを見た。
次の瞬間。
消える。
「……なんだよ」
慣れている。
こういう“なにか”を見ることは、日常の一部だ。
放課後。部活が終わり帰路に着く。
夕焼けに染まる通学路。
ひんやりとまだ冷たさの残る春風が吹く。
大和は、ふと足を止めた。
視線。
振り向く。
そこにいたのは——
静紀。
白に近い灰色の髪と、紫の目。
整いすぎた顔が、はっきりと不機嫌に歪んでいる。
「……早く帰りな」
それだけ言う。いつも通り静かな声。
けれど、その背後。
夕暮れの空気の中に、説明のつかない“歪み”があった。
何かがいる。
見えないはずのものが、そこにいる。
大和は目を細める。
夕焼けの光が差し込み、大和の緑の瞳がわずかに揺れる。
「お前さ……」
言いかけて、やめた。
静紀は何も答えない。
ただ、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。
まるで——
見せたくないものを隠すみたいに。
帰宅。嗅ぎ慣れた家の匂いにほっとする。
「……今日も変なもの見ちまったな」
けれど、それ以上考えるのはやめる。
辺なものが見えるのは日常茶飯事なのだ。
ただ、それでも——
静紀の背中だけが、妙に引っかかったままであった。
“あいつは俺を遠ざけようとしている……?”




